数日前の話になりますが、水風天さんのブログに、ヨスガノソラの漫画化、コミカライズを担当されることが告知されていました。穹のイラストも一枚載っていて、やや金色が強い瞳が印象的です。この線の細さが溜まりませんね。制服姿や私服姿も早く見たいものです。もしかしたら、漫画独自の服装なんかも出てくるかも知れないし。

ヨスガノソラに限らず、エロゲというものはキャラクター表現に特化した媒体だと私は思っています。エロゲのキャラは主に立ち絵を使って動かされるわけですが、、僅かな動作と限られた表情、それにBGMや音声を付けることでキャラの存在を表現しているわけです。気分や気持ち、感情や体調、これを分かりやすく表すことができ、悲しいときには悲しい表情に沈んだ声、怒っているときは怒りの表情と強い口調、また、それらに合ったBGMを付ければいい。そういった意味では、漫画よりもキャラクター表現において直感的な強みを持っていますよね。
逆に漫画という媒体は音もなければ分かりやすい表情や動作の変化もなく、その代りに動きを見せることに対しての自由度が高いと思います。アニメショーンほどの動きではないにしろ、画力や技術、その他様々な手法は漫画に多彩な表現性を与えており、空間描写と構図においてはエロゲに勝るでしょう。まあ、私は漫画の専門ではないので具体的にどうこう言えないけど。
文章媒体に関してはもっとも単純で、小説は主に説明や解説、心理描写に特化しています。キャラの心情や精神状態、つまり内面ですね。キャラクター小説の場合は、それが顕著に表れる。説明文や描写ばかりの小説なんてつまんないことこの上ないとは思いますが、それを表現できるのも小説の魅力と言いますか。例えば、エロゲを例にするとハルの言葉に対して悲しそうな表情で、寂しげな声を出す穹がいたとして、エロゲではその表情や口調、声のトーンから相手の心理を理解せねばならないわけで、心の深い部分まではわかりにくいものです。視点を変えればいいじゃないか、という意見もあるでしょうが、一人称が大半を占めるエロゲ世界で、早々に視点を変えることは出来ないのですよ。
まあ、私がヨスガノソラでSS書くときは原作を基準としてハルの一人称、もしくは視点切り替えを使っているんですけど、それだって多様出来るものじゃないですからね。あくまで、ハルと穹だから出来るわけで。例外中の例外です。基本的には三人称によって、個々の内面描写をしていくわけですから。
ただ、ライトノベルとかその辺のキャラクター小説の場合だと、これが結構難しい。三人称で書かれているものも結構ありますけど、あれは所謂キャラクター三人称と呼ばれる部類もので、視線はほとんど主人公固定なんですよね。私は似非三人称と呼んでますけど、あれだと一人のキャラクターを過不足なく表現し、伝えるのが難しいんじゃないかと思う。説明不足、描写不足なんですよね。ライトノベルには禁じ手というか、ある種の極論があって、キャラクターの描写はしなくてもいいってのがありまして、主に容姿に関してはする必要がないとすら言われてます。何故なら、ラノベには必ずイラスト、挿絵が付くわけで、それによって視覚的に読者に分かってしまうからです。
作者がどんなに長ったらしい描写と説明を用いて読者に伝えるよりも、絵を一枚見せるだけの方が分かりやすいじゃないですか。これがラノベのダメなところだと私は思うんですよね。昨日の日記で萌えキャラは記号化していると書いたと思いますが、それは絵によるイメージを優先しすぎている一面もあるんではないかと。

まあ、ライトノベルの欠点は置いておくにしても、それぞれの媒体で、様々な表現情報というものがあるわけで、横文字でいうとアプローチの仕方ですか? 同じ原作、内容、流れ、全てを用いたとしても媒体が違うだけでそこから感じる印象は全く違うわけです。私は良い原作が一つあったとして、それがどのように表現されていくのかを見るのが好きなのです。だから多少の脚色、その媒体にあった表現方法が用いられるのはともかくとして、最初からオリジナル展開で行く奴が好きじゃないんですよね。アニメがいい例ですけど、私はこの話がアニメでみたいのであって、アニメオリジナルの話や展開など見たくもない、と考えてしまう。長くやってるアニメとかは仕方ないにしてもね。
ヨスガノソラの漫画化にしたところで、コミカライズというぐらいだからそこまでオリジナリティあふれた変更や変化はないと思いますが、漫画化による脚色や解釈、手法による見せ方の違いには少し期待していますね。あくまで、原作を損なわないことを前提においてですけど。

エロゲにしろ漫画にしろ、そして小説にしろ、この世には色々な作品表現の媒体があるわけで、それぞれにそれを専門とする人間がいます。私は物書きなので文章表現の世界に身を置く人間で、イラストや漫画については素人だと自認しています。任せるべきはその道の専門家であって、その人が心の底から信頼できるなら、敢えて素人の私が口出しすることなどなにもないのですよ。
例えば、くろのとくろえのくろのさんと私は仲良くさせてもらっていますが、それは互いに異なる表現、創作活動に身を置く人間で、互いに見せるものが新鮮なんだと思うんですよ。絵描きには絵描きの、物書きには物書きの表現というものがあるわけで、それを互いにしか持っていないから上手くやれてるんじゃないかなーと。違うかな?

唐突に、キャラクター表現の話などはじめてしまいましたが、要するにヨスガノソラの漫画には期待していますよってことですねw
私は物書きとして、自分で表現できる範囲の穹を書きますし、ハルカナソラもエロゲとしてとびきり可愛い穹を見せてくれることでしょう。そして漫画も、漫画という媒体を使ってできる表現を用いて、穹を描いてくれるはずです。
小難しい話になってしまいましたが、これだから創作活動は奥が深いと、私はそう思います。

コメント