始めに断っておくと、私は別にデジモンが好きじゃないです。むしろ、マシュランボー派だから、デジモンには複雑な思いを感じているんですけど身内ほど深刻ではないかな。好きじゃないけど嫌いでもない、楽しいとも思うし面白いとも思う。けど、それだけ。世の中にはデジモンの無印こそ最高のアニメであるという世代の方々がいるそうだけど、私は02のほうが好きだなぁ。種より種死の方が好きみたいに、どちらかといえば二作目に傾く傾向にある。

なんで急にデジモンなのかというと、今、サマーウォーズとかいう細田守の最新作が劇場で上映されてるじゃないですか。あれがなんでも、デジモンの劇場版2作目である、ぼくらのウォーゲームの焼き直しだとかいうんで、観に行く前に見直してみようかと思いましてね。実際、恩師が観に行ったらしいんですけど、サマーウォーズのほうはウォーゲームからデジモンと戦闘パートを抜かしたり置き換えたりしただけの作品らしい。その時点で、そんな作品が面白いのかどうかと思ってたりするんですけど、要するにぼくらのウォーゲームを超えられるかどうかですよ。
デジモンの劇場版2作目として作られた今作は、尺にして40分という短い時間をフルに駆使してネット社会とデジモンを巧みに融合させた傑作ですけど、これがまた面白いんですよ。スレイヤーズの映画を観に行ったつもりが、エヴァの映画に度肝を抜かれたみたいに、同時上映のワンピースを観に行くはずがそっちの内容をもう思い出せないみたいなw
で、久々に観てみようと思って夜中に観てたんですけど……いやー、止まらないね繰り返し観ること3回、気がついたら続編のディアボロモンの逆襲まで観てるんだもの。映画の出来としては前作に及ばないにしても、こちらもなかなかの映画ですよ。特に02好きとしてはこっちを押したい気分でもある。
ただ、個人的にディアボロモンの逆襲で一番好きなシーンってかなり序盤で、復活したディアボロモンをオメガモンで叩くことを宣言する太一と、その発言に思わず身を起こすヒカリのシーンなんですよね。あのシーンと、後にタケルと一緒に休演に向かうシーンを観ると、如何にヒカリがブラコンなのかが判るというか、あの兄妹は本当に良いね。過保護すぎるシスコン兄貴と、依存しまくりなブラコン妹ですからね。双子じゃないけど、あれは萌える。

話をウォーゲームに戻しますけど、この映画はさてデジモンでしかできない映画だったのでしょうか? 世の中には名作ではあるけどなにもその作品でやらなくても良いじゃないか、というのが結構あって、代表的なのはビューティフルドリーマーでありカリオストロの城なんですけど、ウォーゲームに関しては今も昔もそういう声を聞きませんよね。個人の好き嫌いはともかく、あれはデジモンの映画として認められていますし、数ある劇場版の仲でも傑作に数えられる作品です。
だからこそ、その傑作を新たに作り直し、サマーウォーズという作品に焼き直すことへの心理的違和感が自分の中にはあって、決してデジモン好きでもないのにかかわらず、素直に認めることが出来ないという。色々と矛盾してますね。興味はあっても見ることへの抵抗感があるというか……いや、もっというと、

ぼくらのウォーゲームとディアボロモンの逆襲を連続で観たら、それで満足してしまった!

たまにみると、すっごい面白いから困る。決して好きではないシリーズなのに、出来だけは良いんですよ。身内は一生、デジモンを認めることはないでしょうけど、私は一時代気付いた作品だとは思うなぁ。まあ、02以降は知らないし、一切観たこともないけど。サマーウォーズ観に行くかは判らないけど、デジモンの本編でも見直した方が絶対楽しい気がする。
02でのラストには色々いいたいことがあるし、関弘美の腐女子みたいな発想や発言にはウンザリしてはいるけど、それを考えなければ良作だとは思うんですよ。そりゃ、タケルとヒカリがくっつかないと明言されたときはさすがにないと思ったけど。だけど、太一と空がくっつかないのは何故か納得できてしまう。
私は腐女子じゃないからデジモンにおけるカップリング論争には加担したことないんですけど、もう少し明確に書いても良かったとは思いますね。ミミとか、キャラソンでそれっぽいこと匂わせているキャラもいたけど。

ネットを扱った作品と言えば.hackシリーズがそうですけど、あれのやりたかったことって実はぼくらのウォーゲームに全部入っているんじゃないかと思うぐらいに凝縮された作品だと思う。だけど、最後にもう一度だけ書こう。私は身内ほどではないにしろ、マシュランボーのほうが好きだ。

コメント

nophoto
マップル
2009年8月27日3:36

サマーウォーズは焼き直しと言うことですが、その点に関しては見てから、評価した方がいいと思います。自分はウォーゲームよりサマーウォーズの方が好きです。焼き直しと言う意見もありますが、どちらも見た上で別個の作品として捉えている、そういう視聴者もいますので。