ミルクスタンドってあるじゃないですか。秋葉原駅の総武線ホームとかにある。私ってああいうスタンドが結構好きで、昔はよく利用していました。軽食スタンドに哀愁を感じるような歳でもないけど、愛着があるんですよ。最近は総武線自体を利用しなくなったので、秋葉原に行く気かは会ってもご無沙汰という感じなのですが、最近になって横浜で似たような店を発見しましてなんとなく懐かしい気持ちに。

まあ、最近になってとか書きましたけど、ダイヤモンド地下街のミルクスタンドは前々から知っていたし、有隣堂とかPXストアに行く際は目の前を通るんですけどね。単に利用したことがなかったというだけで、一度あそこで瓶牛乳かソフトクリームを食べてみたい。昨日も有隣堂へ用事もないのに立ち寄った際、店先でソフトクリーム食べてる人がいましてね。アイスクリームはそれなりに食べるけど、ソフトクリームは最後に食べたのいつだっけというレベル。牛乳大好きなんだけど、胃腸が弱いからすぐに腹を下してしまう。好きなものを楽しめないというのもなかなかに不便です。ちょっとやそっとの腹痛なら我慢できるとはいえ。少し値段は高かったけど、一度ぐらい食べてみようかな。私もまだ若い方だから、ソフトクリーム頼んだっておかしくはないだろう。店員のお嬢さんがどう思うかはともかくとして。
いつだったか、悲恋堂の店主が私の食べ物の趣味に関して苦言を呈したことがあって、世捨て人からすれば偏食家の私が食べ物、飲み物にあれこれいうのは宜しくないらしい。偏食だからこそ好みや趣味が現れるのではないか、という反論に「あなたは偏食家のくせして食事や料理に洒落っ気を出そうとしているんです。要は気取り屋です」と、かなり的確な指摘をしてきた。
私が書く文章というか作品には、確かに食べ物や飲み物が結構登場する。二次創作がどうであるかはあまり意識してないけど、傾向としてはあるよね。特に今書いているヨスガノソラSSとか、私の好みや趣味、料理やホテルに対するこだわりが前面に出てるし。そういうのを世捨て人は「気取り屋のカッコつけ」と言い切ったわけだけど、反論できないのが辛いところ。自分が洒落者じゃないことなんて、自分が一番良く分かっているからね。私は羊肉も鴨肉も片手で数えられるほどしか食べたことはないし、鹿肉なんて一度もない。美味しいのかどうかすら、良く分かってない。
「あなたは雰囲気だけで料理を選んでる。実際に食べられるかどうかも分からないくせに」と言いながら、世捨て人が私を睨む。まあ、睨んできたところで身内よりも童顔だから怖くもなんともないんだけど。

実際に体験したことのないことを書くっていうのは、それ即ち想像や推測、嘘になるわけで、百聞は一見にしかずという言葉があるように、自分の目や鼻、口ほどに信頼できるものというのもないんですよ。そう考えると世捨て人が私にした指摘はかなり正しくて、ある意味で私の危うさのようなものを見抜いている。あなたの文章はハッタリに過ぎない……まったく容赦ないなと思う。まあ、それでこそあの人なんだけど。
ハッタリが通用するのはライトノベルぐらいですからね。雰囲気だけで引き込めるのは中高生までが限界なわけで。いささか以上に面倒な話ですけど、時間的都合や金銭的余裕を作って、自分の足で歩いたり、自分の舌で味を確かめたり、そういうことをする必要というのは確かにあるんですよ。大英博物館のサンドイッチがクソ不味いと言われても、サンドイッチが不味いなんて一般的に想像出来ないじゃないですか? それは実際に食した人にし変わらないことなんですよ。
やっぱり、取材費として毎月いくらかは用意しておかないとダメなのかなー。世捨て人のいう私の好みや趣味ってのは馬鹿みたいな値段だから、早々に手が出ないんだけどさ。誰か、私にフレンチおごってくれないだろうか。半分以上残すことを前提で。

私って基本的にケチなんですよ。日記に書いたかは忘れましたけど、飲食に金を使うことが一番嫌いで。だから外食なんて滅多にしないんですけど、そのくせ外食や食事のシーンに拘りを持っているから、悲恋堂店主の世捨て人からは「矛盾じゃないですか」と突っ込まれるんですね。けれど、私としては矛盾ではなく、ある種の憧れなんじゃないかと思う。どうしたって自分には無理だから書いてしまうというか、まあ、そういうのが一番ボロ出やすいんだけどさ。複雑なんじゃなくて、単に馬鹿なだけですね。世捨て人に指摘されるまでもないことだけど、仕方ないからたい焼きでも買って機嫌を取るか。くりこ庵も随分高くなってしまったけど、列ができるぐらいには人気だし。

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