私は気がつかない人間だから、気がつくことを期待されてもこまる。たりないものや、不満があったらはっきり口にすること

ダゴンの英雄、ユースフ・トパロウル元帥の言葉ですが、私も実はこれと似た感じというか、同じような心境を抱いたことがあります。私はどうしたって人の心を理解するのが苦手で、気が利かないし、なにかをやろうとしては空回りしている自分本意なやつです。
だからこそ、私は上記のような言葉を、特に重要な間柄の人には予め伝えてあります。悲恋堂に言わせるとそれは修正や直すことに対する責任放棄になるそうだけど、こうでもしないと円滑な人付き合いというのは難しいのですよ。察すること、読み取ること、汲んでやること、出来ないわけじゃないけど、私の貧弱で貧相な思考回路はそこに至るまでの道のりが結構長いわけで。ならば予め、目的地がどこなのか教えて貰いたいところです。でないと、取り返しの付かないことになる。
相手が自分になにを望んでいるのか、どんなことを期待しているのか、私はそういった気持ちに鈍感で、自分に向けられた感情や想いに気付かないことが多い。だから、私の対人関係は常に慎重で、情けないほどあれこれ考えていたりします。考えたところで答えは出ないし、なにも判らないのにね。身内に言わせればそれは私が馬鹿だからで、悲恋堂曰くそれは君の怠慢だ。どちらも正しいし、事実の一側面をカットしていると思う。
公人としての自分と、私人としての自分、私にとってそれらは明確に分けられているはずなんだけど、ある一定の分野においては公人、私人、どちらで行い、接するべきなのか判らないときがある。私は今も昔も私人としての立場を崩していないけど、それが正しき姿なのかどうか、最近判らなくなってきた。公人として望む理由が私にはなくて、私人としての感性や感情をひた走らせているわけだけど、果たしてこのままで良いのだろうか。
公人としての関係性よりも、私人としての付き合いを優先してきただけに、少なからず複雑な感じがします。この場合、互いが追い求めているものに差違があるわけで、これまで同一ではないにしろズレの少なかった感覚に違いが生じたとき、私はどうすればいいのか。それとも上手くいっていたというのは私の錯覚で、実のところはそうでもなかったというオチなのだろうか。私には良く分からない。

なんだってこんな話を書いているのかというと、色々あったんです。この一言ではなんの説明にもなってないけど、色々と思うところがあった。私は公私を混同していたのだろうか? いや、そもそも公的なものだとは思っていなかった私の認識こそが甘くて、私人としての感情は捨て去るべきなのか……なんか違う気がするけど、それも複数ある考え方の一つなのでしょう。私がその流れに合わせるのも、必然なのかも知れない。
まあ、それほど深く考える必要はないのかもね。私は今までもなにか大それたことをしてきたわけじゃないし、これからもするつもりはない。私人として楽しむべきところを楽しみ、やりたいことをやる。その考えが正しいかどうかは個々によって分かれるだろうけど、私は本来こうあるべきだ思っていることを、単に実行しているに過ぎない。あるいは、私の感性が古すぎるだけなのかもね。そういった時代を生きてきた人たちが、私の身近には多すぎる。感化されたに過ぎないにせよ、ね。
どうにも近頃は複数人に対する関係の見直しを図る時期なのかも知れない。そのもっともたるは身内ですけど、他にも幾人かね。対人関係ほど後回しにしたい問題はないけど、そうも言ってられないみたいなので。ただでさえ、同人関連で忙しくなりつつある昨今、面倒ごとはあまり抱え込みたくないんですけどね。深刻化する前に済ませておきたいこともあるのよ。

私には私のやるべきことがあって、公私どちらで望むにせよ、それを果たさなくてはいけない。けれど、ヒビの入った精神と、折れ砕けそうな心には限界がある。なんで今更私がそんな悩みに直面しなければいけないんだと思わなくはないけど、これも定めと諦めよう。生きていれば、こんなことだってあるのさ。それが嫌なら世捨て人にでもなるか、外界との関わりを断ってひきこもるしかない。そして、私はそんなことはごめんだ。
なんてこと言いながら、私は明日からひきこもるんですけどね。というか、この日記書いてる時点で既にひきこもってます。用事がある人間は、明日の日記にも書いていると思うけど、緊急用の回線等を使ってください。ただ、仕事がともかくとして、基本的に同人関連以外の反応は遅くなるから。何故なら同人関連に関しては、丁度公私の中間に置いているので。個人でやる分にはとことん私人として挑むけど、他者と協力する場合は私人でばかりもいられない。同人に関してはそういうスタンスというか、立ち位置で望んでいます。何故かって言うと、同人はそれに対する人それぞれの考え方、というのが明確に出てくるものなんですよ。例が安直すぎるけど、コミパでもあったでしょ、そういうの。私のように趣味や遊びとして捉える人、勉強・修行の一種と考える人、もしくは商業的意識から創作を行う人。どれが正しいとか、どれが間違っているとか、そういうのはないんですよ。私はどれも尊重しますし、個人個人の同人活動ってのものがあるのだから。
私はそれに合わせるだけです。我を押し通すってのは、この場合もっともしてはいけないことだと思っているので。上記の問題も、これぐらいハッキリ出来れば良かったんだけどなぁ……いやはやなんともはや、上手く行かないものです。

貴方は傲慢なんじゃなくて、高慢なんだ、か……

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