Moon Flag

2009年10月8日 読書


     Ⅰ

――お久しぶりです。すっかり、ご無沙汰になってしまいました。元気にしてますか?
 全然連絡がないので、ちょっと心配しています。地球はいま、大変そうですね。月の人も、戦争が始まりそうだって、みんなそわそわしています。
 若い人の間では、軍隊に入るのがトレンドみたいです。これは冗談で言うのではないのですよ? 大学を卒業して兵隊になった同級生が何人もいるの。美大卒の兵隊なんて、なんか、全時代的でいやな感じです。カイくんもそう思うでしょう? 卒業式で、マシンガンを抱えて記念撮影している人がいたけど、そういうのに限って、芸術の才能はサッパリなんでしょう。
 フフッ、きっとそうです♪

 あたしはなんだか暗たんたる気分だわ。月の人たちはきっとすごく怖がりなんだと思います。地球を長く離れすぎて、地球の人たちのこと全然わからなくなってるのです。
 あたしにしたって、もう一年も月に住んでいて、多分もう地球では住めなくなってるから。カイくんも知ってると思うけど、月の六分の一の重力で暮らしていると、筋肉とか、心拍機能とかがどんどん弱くなって、地球の重力に耐えられない体になってしまいます。どんどん頭でっかちな人間になっていくしね。
 だから、地球に住む人々がみんな凶暴な野蛮人みたいに見えてしまうのでしょう。キトラの人はみんな、地球人がナイフを持って襲ってくると思っていて、本気でおびえているのですよ? ニュースによると、たくさんの宇宙戦艦が作られているみたいです。
 あたしは、なんだか悲しくなってしまいす。

 いきなり暗い話でごめんね。あたしは今、大学を卒業して、小さなデザイン事務所でアルバイトをしています。大学の講師の人がやっているオフィスで、毎日、広告のチラシとかを作っているのだけど、日々勉強って感じで、なかなか充実してると思う。うん。
 昔言った、椅子のデザイナーになるっていう夢も、まだ捨てていませんよ。うん、いつか、誰からも愛されるような、素敵なイスが作れたらなぁと、夢のまた夢の話です。

 カイくんは、元気にしていますか? あたしはずいぶん見当違いなこともあるけど、一応元気です。後半年で、月は火星に旅立ちます。でも、月と地球の距離が、火星と地球の距離になっても、あたしはカイくんを友達だと思っているのですよ。

 さよなら、またメールします。桐華より――


     Ⅱ


「楓少尉、入ります」
「楓? 何でお前がここに?」
 僕を見ると、楓は嬉しそうに、軍服を着る自分を誇るように口を開く。
「去年の暴動騒ぎ以来だもんなー。お前、卒業式にも来なかったし。俺もここに入所したのよ! しかも特務部隊配属! 演習が半分終わって、この度少尉になったわけよ」
 僕は、四月から月改修公社極東本部に勤務していた。父のコネクションを期待されたのだろう、所長室秘書官という異例の好待遇で迎えられた。
「月本君も知っての通りだが、月改修公社は更なる民衆の暴動から地球と月のシステムラインを守るため、自衛軍を組織する事になった。楓くんは、軍の方で働いてもらっているんだ。まだ新人研修中だがね」
  所長の言葉に、頼木中尉もうなずく。
「国連軍はありゃ官僚組織ですからね。動きは遅いわ、やることはトンチンカンだわ」
「改修公社軍は元国連軍の士官と、改修公社の特務職員によって指揮して貰ってる。君たちの一刻も早い結束が、この混乱を早期に収拾することになるだろう」
「まっかせてくださいよ! 地球の平和は私が守ります!」
 楓が明るい口調で叫ぶ。そこに人を殺す軍人になったという印象は受けない。
「やれやれ、この少尉殿、ずっと妙に張り切ってて、疲れるの何のって」
 本当に疲れたような声を出しながら、頼木中尉は所長に向き直る。

「それより所長、こりゃいよいよ戦争になりますね」

「戦争? この日本でですか?」

 僕は思わず声を張り上げる。

「改修公社の管轄外は、日本でも外国みたいなもんさ……この国の半分は、すぐにでもレジスタンスになっちまうよ。巧妙に群衆を組織化する奴が五万と居るんだ。外国スパイの陰もチラホラと見えている」
 僕のあずかり知らぬところで、事態はどんどんと悪い方向へ進んでいる。取り返しの付かない方向へと。
「国連は、途上国の反感を恐れて弱腰だからね。無知蒙昧の跳梁許すものだ。去年の暴動騒ぎは、むしろ僥倖だったよ。公社は、改修作戦前に私軍を組織することが出来た」
「しかし、この事が内乱を助長させる可能性は?」
 改修公社を恨んでいる人間は多い。その公社が自衛のためとはいえ、軍を組織すればその反感は計り知れない物になる。
「向こうさんが攻めてくるんだぜ? ここに戦車が入ってきたら、国連の警備だけで何が出来るよ」
 楓の口調は、心底意外そうで、不思議そうだった。
「内乱の助長ならば、むしろ月政府の方が心配だな。月の政治家は、どうも酷い恐がりのようで困る。地球の衛星軌道に軍艦を並べて、地球人を威嚇するつもりらしい」
「そんなことをしたら、地球に残った人の反感を、ますます煽るだけなのに……」
「彼らが恐れているように、月にだって乗り込まれかねん。月本君には近々私の代わりに月に行って貰うことになる。電話では要領をえんことが多くてね。君の父上は改修計画の強力な推進者だ。作戦前の火種は彼が一番憂いてるだろう。それに、首相補佐官のコネクションで君に会って貰いたい人物が何人か居るのでね」
「父に、混乱の収拾をと?」
「そして、改修作戦の計画通りの実行をだ。月には、一刻も早く火星に行って貰わねばならない。地球の環境と生活を管理し守っていくのは我々改修公社だ。いつまでも彼らに空から見下ろされるのは迷惑だ。それに、月が地球の空から消えない限り、人々はいつまでもを夢を見る」

 みんな、月に行きたがる。

「だから、自分から地球を壊すような真似をする」
 所長と、それに続く頼木中尉の言葉には重みと現実味があった。
「そうだ。月が在ろうと無かろうと、地球の人々に残された光はいよいよ少ない。私たちは彼らを導いていかなければならないのだよ」
 改修公社は、その為の組織なのだから。所長の目はそう告げている。それは、支配者の瞳であった。

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