足りないより、欠けたもの
2010年2月13日 アニメ・マンガ今日は霙降るなか神楽坂まで芝居を見に行きました。芝居というか演劇ですか、とある声優のブログを気まぐれで覗いたら舞台に出るとか書いてありまして、その声優それ自体は特にファンというわけではなかったんですが、演目のタイトルに惹かれてチケットの予約をとってしまいました。だって、サイエンスフィクションとか言われたら行くしかないじゃん。
まあ、名塚佳織という見知った声優が出ていることを考えても、霙が降る中で神楽坂まで行くのはいささか以上に億劫だった。元々神楽坂という街があまり好きではないというのもあるんですが、天候が悪くてしかも寒い。ジャンルがSFでなければまず蹴っていたと思う。
会場、いや、会場というほどのものでもない芝居小屋は45名ほどが収容出来る、如何にも小劇団が劇をやるような小汚い小屋で、こういうところで芝居を見るのは結構久しぶりだったりする。なんの偶然か、私は最前列のど真ん中で見ることになったんだけど、おざなりである舞台との距離が1メートルもないもんだから、それこそ鼻先で役者が演技をしてるんですよ。この距離感は良かったというか、なかなかの迫力があった。
内容に関しては休憩なしの2時間芝居ということでしたが、まあ、面白くはなかった。チケット代は前売り、当日共に3500円だったけど、内容的には2500円でもお釣りが来ると思う。脚本の構成が甘いのと、オチや展開の弱さ、結局なにがしたいのかが伝わってこないのは致命的で、渦巻く人間ドラマを2時間という尺で描ききれてないですね。劇中、登場人物の一人がSFというものに対して偉そうではないにしろ講釈たれるシーンがありましたけど、私はその考えには否定的。そういう側面があってもおかしくはないが、そういうものが良いSFであると断定されるのは正直嫌だ。大体、その定義を当てはめるならこの舞台は全然良いSFになってないじゃないか。
伏線の張り方が弱く、前情報として観客に答えを導き出すパズルピースを与えていないのもどうかと思った。ありがちな話し、ありがちな展開としてオチを予想することはできたけど、それはほぼイコールでつまらなかったと言っているようなものだし、とにかく本が駄目だった。
けどまあ、こういう芝居はつまらないことを前提に観るものでもあるから、あまり面白くなかったのはある意味で予想の範囲内だった。名塚佳織が長広舌で噛みまくってたのが印象に残ったけど、まあ、激昂しているシーンだからどうとでもごまかせる。人間、感情が高ぶると上手く舌が回らないものですからね。
久しぶりの芝居観賞だったけど、感想としては特に面白くもなかったがこんなもんだろうな、という感じだった。酷い出来だったと思わないだけマシな部類なんだろうし、小劇場でやるような芝居にそこまでのものを私は求めない。一応、3月にも一つ芝居の予定を入れてはいるんだけど、これは完全に趣味というか、キャスト目当てで行くから内容はどうでもいい。まあ、コメディという話だから肩の力を抜いて観られるのかな。私が好きな声優の中では、こう言っちゃなんだがおみまゆ以上にマイナーだから、姿を拝見出来る機会は貴重なのです。ただ、劇場が遠いのが難点だけど。京王線か……
今日の舞台は終演後も霙が降っていたのでさっさと帰宅しました。こう寒いと寄り道をする気にもなれないというか、秋葉には月曜行けば良いし、横浜も明日よれば良いのだから、なにもこんな寒い日に動かなくてもいいじゃないかと。それでなくとも、芝居の前に色々ありましたから。色々ね。
なんかこうさ、違ったことがしたかったのかも知れない。いつもと違うことをして、いつもと違うものを見て、それによって自分を変えたかったのだろうか。なにかが捻れた自分を解きほぐすには、他にどんな方法があるのだろうか。
悲恋堂は私にこういったことがある。
「足りないものは補えるけど、はじめから欠けているものはどうにもならない」
その通りだと思った。だからこそ、今の私はこんなにも悩んでいるのかも知れない。自分の力は不足しているのではなく、最初からありもしないのではないかとか、そんなことばかり考えている。限界も限度でもなく、ただの見せかけ。ありもしないものをあるようにみせ、騙し騙しやってきただけなのだろうか。そこまで自分を卑下する必要はないはずだが、自分に対する自信が持てなくなりつつあるのも事実だ。
今日の芝居にしてもそうで、文句や不満を感想と称していうことは実に簡単だが、私にあれ以上の脚本が書けるのかといえば、書けないのかも知れない。なにが嫌かって、あの程度の内容にまあ無難であろうと妥協している自分がいることだ。まったく、近頃の私はどうかしている。
まあ、名塚佳織という見知った声優が出ていることを考えても、霙が降る中で神楽坂まで行くのはいささか以上に億劫だった。元々神楽坂という街があまり好きではないというのもあるんですが、天候が悪くてしかも寒い。ジャンルがSFでなければまず蹴っていたと思う。
会場、いや、会場というほどのものでもない芝居小屋は45名ほどが収容出来る、如何にも小劇団が劇をやるような小汚い小屋で、こういうところで芝居を見るのは結構久しぶりだったりする。なんの偶然か、私は最前列のど真ん中で見ることになったんだけど、おざなりである舞台との距離が1メートルもないもんだから、それこそ鼻先で役者が演技をしてるんですよ。この距離感は良かったというか、なかなかの迫力があった。
内容に関しては休憩なしの2時間芝居ということでしたが、まあ、面白くはなかった。チケット代は前売り、当日共に3500円だったけど、内容的には2500円でもお釣りが来ると思う。脚本の構成が甘いのと、オチや展開の弱さ、結局なにがしたいのかが伝わってこないのは致命的で、渦巻く人間ドラマを2時間という尺で描ききれてないですね。劇中、登場人物の一人がSFというものに対して偉そうではないにしろ講釈たれるシーンがありましたけど、私はその考えには否定的。そういう側面があってもおかしくはないが、そういうものが良いSFであると断定されるのは正直嫌だ。大体、その定義を当てはめるならこの舞台は全然良いSFになってないじゃないか。
伏線の張り方が弱く、前情報として観客に答えを導き出すパズルピースを与えていないのもどうかと思った。ありがちな話し、ありがちな展開としてオチを予想することはできたけど、それはほぼイコールでつまらなかったと言っているようなものだし、とにかく本が駄目だった。
けどまあ、こういう芝居はつまらないことを前提に観るものでもあるから、あまり面白くなかったのはある意味で予想の範囲内だった。名塚佳織が長広舌で噛みまくってたのが印象に残ったけど、まあ、激昂しているシーンだからどうとでもごまかせる。人間、感情が高ぶると上手く舌が回らないものですからね。
久しぶりの芝居観賞だったけど、感想としては特に面白くもなかったがこんなもんだろうな、という感じだった。酷い出来だったと思わないだけマシな部類なんだろうし、小劇場でやるような芝居にそこまでのものを私は求めない。一応、3月にも一つ芝居の予定を入れてはいるんだけど、これは完全に趣味というか、キャスト目当てで行くから内容はどうでもいい。まあ、コメディという話だから肩の力を抜いて観られるのかな。私が好きな声優の中では、こう言っちゃなんだがおみまゆ以上にマイナーだから、姿を拝見出来る機会は貴重なのです。ただ、劇場が遠いのが難点だけど。京王線か……
今日の舞台は終演後も霙が降っていたのでさっさと帰宅しました。こう寒いと寄り道をする気にもなれないというか、秋葉には月曜行けば良いし、横浜も明日よれば良いのだから、なにもこんな寒い日に動かなくてもいいじゃないかと。それでなくとも、芝居の前に色々ありましたから。色々ね。
なんかこうさ、違ったことがしたかったのかも知れない。いつもと違うことをして、いつもと違うものを見て、それによって自分を変えたかったのだろうか。なにかが捻れた自分を解きほぐすには、他にどんな方法があるのだろうか。
悲恋堂は私にこういったことがある。
「足りないものは補えるけど、はじめから欠けているものはどうにもならない」
その通りだと思った。だからこそ、今の私はこんなにも悩んでいるのかも知れない。自分の力は不足しているのではなく、最初からありもしないのではないかとか、そんなことばかり考えている。限界も限度でもなく、ただの見せかけ。ありもしないものをあるようにみせ、騙し騙しやってきただけなのだろうか。そこまで自分を卑下する必要はないはずだが、自分に対する自信が持てなくなりつつあるのも事実だ。
今日の芝居にしてもそうで、文句や不満を感想と称していうことは実に簡単だが、私にあれ以上の脚本が書けるのかといえば、書けないのかも知れない。なにが嫌かって、あの程度の内容にまあ無難であろうと妥協している自分がいることだ。まったく、近頃の私はどうかしている。
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