MF文庫の騒動を見て、出版社というものがあまりにいい加減な存在だと誤解されないだろうかと不安を覚える。確かに出版社は往々にして慣例主義的なところがあって、口約束による仕事の取り決めも多いのだが、だからといって契約等を適当に行うことなどありはしないし、あってはいけないのだ。
メディアファクトリーが著作者と、どのような出版契約を結ぶのかはしらないが、契約書を交わさないということはありえない。特に著作物の二次利用や海外出版権などについては、事細かに決める必要があるのだから。

メディアファクトリーの出版部門とは縁がないので、他のライトノベルレーベルほど内情に詳しくはないのですが、今回の事件のまずさと言ったらない。一般的かはともかく著者と出版社というのは刊行物に対して、刊行前ないし刊行後に出版契約書と、必要であれば著作物利用許諾契約書というものを交わすのですが、要するに刊行した書籍の多角的な利用をする際に、誰がその権利を得て、どのように行使することが出来るかというのを取り決めた書面です。要するに誰がその本に対する独占権を持っているか、ということですね。
ライトノベルというものはメディアミックスに適しているとされる媒体ですから、文庫一冊からアニメ化、コミック化、ラジオドラマ化、ドラマ化など様々な媒体に変貌を遂げることがあり、今回の問題となった外国語版などもその一つ。こういった多種多様なメディア利用に対する権利を誰が持っているのか、それを分かりやすく示すのが上記の契約書や誓約書になるわけだけど、これは出版社ごとの色が出るものでもあります。
一般的に見ても例えば赤川次郎や五木寛之は自作を様々な出版社から出版し、中には違う出版社で書いた同じ作品の再出版なんかをしているわけだけど、これはなにも一般文芸やエンタメに限ったことではなく、ライトノベルにだって当て嵌ります。例えば、桜庭一樹が富士見ミステリー文庫で刊行していたGOSICKを角川文庫で移籍復活させたり、浅井ラボが角川スニーカーで書いていた、されど罪人は竜と踊るをガガガ文庫に移籍、その後にリメイクしたりと、ライトノベルにもいくつかの例が散見します。まあ、浅井ラボに関していえば清水文化よりもドロドロした事情があるわけだけど。
個人事務所を開いていたり、どこか大きな組織にでも所属している作家でない限り、自作の著作権管理というは往々にして面倒くさいものがあって、特にアニメ化やら漫画化やら、そういったメディア展開に対して個人で対応するのは難しいものがあります。出版社の自社企画というのならまだしも、まあ、最近はそういうのも多いですが、大抵は制作会社側からのオファーですから、そういった面倒なやりとりは出版社側にして貰った方がいいと、そういった意味で各種権利を任せることが出来るのが契約であり誓約であったりするのです。ろくでもない出版社ならともかく、大抵は営業なり広報がメディア担当としての部署として機能しているし、編集部にだってある程度の心得はあるわけだから、彼らはそういった事態に対するプロなのです。田中芳樹のように事務所を会社にしている作家はともかく、大抵の作家は個人業なわけですし、人りでやるには限界というものがありますから、そういった意味で出版社に権利をあずけるのは制約があっても面倒が少なくて良いのです。

無論、出版社による著作に対する独占を嫌う作家も当然いて、それに関する取り決めがなされるのも上記の契約です。例として、ハードカバーで出された書籍が、何年か経った後に文庫化する、なんてことが一般文芸では良くあると思いますが、これだって実際は文庫化権というものを出版社が有しており、文庫化する権利があるから刊行することが出来るのです。元々が文庫であるライトノベルではイマイチピンと来ないかもしれませんが、逆のパターンであれば、例えばライトノベルだったものがハードカバー化するなど、桜庭一樹なんかで観られないこともない現象でしょうし、例えば新書である講談社ノベルスで出されていた西尾維新の作品が、完結後に文庫となって再刊行されたなんてのも、記憶に新しい話です。
版権の扱いをどうするか、それを決めるのが契約であるなら、その内容が書いてあるのが契約書で、これは法的効力を持つものだからそんなに軽視は出来ません。例えば各種メディア展開にしても、出版社に一任するという場合もあれば、話が持ち上がる度に著者との協議を必要とするなど、まあ、様々なケースがあるわけで。著者が著作物に持つ権利意識というわけだけど、出版社側が出来る限り独占したいというのもまた事実。そこから揉め事に発展するなんてことも、枚挙にいとまがないでしょう。

今回のMS文庫における騒動の争点は、言ってしまえばどのような契約を結んでいたのかということで、交わしたはずの契約書にはなにが書かれていたのか、ということでしょう。そもそも契約書をかわしていないというのは論外ですが、あれだけ怒っているのだから海外出版に対する取り決めもちゃんとなされていた場合が高い。
それを無視した上でメディアファクトリー側が勝手に契約し、書面すら作成したというのなら、これはもう立派な犯罪でしょう。本人の了解がないままに契約が成り立つなどありえない、という件の作家の発言はその通りだと思いますし。
謝罪や対応云々に関しては省きますが、そもそもね、例えすべての権利を出版社に一任しているのだとしても、再販、重版、文庫化、そういったのを全部出版社の意思で行えるのだとしても、一言ぐらい著者に連絡するのが筋ってものでしょうよ。電話一本かければ済む話ですし、そんなに手間がかかることではないはずです。そうした当たり前のことをしないで、ろくな説明もしなければ、笑いながら謝罪をするなど、もはや出版物を扱うものの風上にも置けないでしょう。

まあ、実際問題として出版社が適当かつ頭でっかちな連中の集まりであるというのも、事実の一側面ではあるのだと思う。さすがに三大出版社ほど酷くはないけど、編集者というのは往々にしてどこも似たような感じですからね。版権に関する細かい問題、あえて書かせてもらうと今回の件は出版社側からすれば些細な問題になると思うことも、末端レベルで処理してしまうこともあるのです。例としては、やはり気象精霊記で起こった問題が有名でしょうか。あれもまた編集部が内々に処理をしようとして、あまつさえ作者に責任をなすりつけようとした浅ましい事件でしたが、幸いなことに法的闘争にまでは発展しなかった。
著作者としては、どれだけ自分が正しくて、尚且つ絶対に勝てる状況にあっても、裁判沙汰を嫌うし、避ける傾向が多いのですよ。問題を起こす奴、面倒な奴と思われては後の仕事に差し支えが出ますから。
今回の問題がどのような決着を迎えるのかはともかく、浅井ラボのような一件もあるだけに、そう簡単には謝罪をしないんじゃないかと思う。気象精霊記の件が作者に責任をなすりつけようとしたように、誰だって自分たちのイメージが悪くなるようなことはしたくないのです。けれど今回は、作者側が先手をとってなにが起こったのかを細かく書いてしまったから、もはや隠すことも逃げることもできなくなった。だんまりを決め込むのは、版権を取り扱う企業として出来るはずもないでしょう。場所を法定に移すのか、それとも妥協案を見つけて手打ちにするのかは分かりませんが、性根の腐った問題だけに作者の方には折れることなくしっかりとした解決を迎えて欲しいものです。
しかし、これによってMF文庫の価値はどれぐらい下がるのか。所詮に二流レーベルではあるが、アニメ化を量産して上りだそうとする最中だったのにね。潰れることはないだろうけど、新人は避けちゃうよ、きっと。

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