偏りのある作品たちよ
2011年1月6日 アニメ・マンガ昨年は何故か薄桜鬼を最終回まで観ていたんですが、私って意外と女性向けアニメを観る方な気がする。近年で言うと黒執事とか、昔で言うと快感フレーズなんかもそうだけど、変にBL的なものを意識していなければ普通に観られる作品だと思うんですよ、ああいうのって。桜蘭高校ホスト部の一挙放送がキッズステーションで大晦日に行われていましたけど、あれだって女性向けが男性層にもヒットした作品だしね。取り分けて女性向けがすごいってわけじゃないと思いますが、少なくとも偏見を抱くにはよく出来ているものが多いような気がする。
女性向けアニメってのは、なにも美形、美男子、美少年が出てくる作品だけではなくて、例えばちょっと前に流行ったマリア様がみてること、マリみてシリーズは元々少女文庫であるコバルト文庫から刊行されているシリーズです。コバルトは少女小説を出しているところで、もう30年近い歴史のある古参レーベルです。新井素子や久美沙織といった偉大な作家を生み出したかと思えば、90年代には作家を酷使しすぎて次々と潰してしまい、マリみてが登場しなければ存続の危機にあったと言われていますね。
まあ、そんなことはどうでもいいとして、本来少女小説であるマリみてが男性層に受けたことは、その後のアニメ界にかなりの影響を与えたと思います。つまり、男性の必要性というものが浮上したんですね。マリみてだって、別に男性キャラが皆無なわけじゃないけど、所謂主人公、主役としての男性キャラ、レギュラーとしての男性が存在しない作品というのは、それまで皆無でなかったにせよ珍しいことで、これがヒットしたというのは大きかったと思います。かつて、ギャルゲーが一世を風靡した頃、ヒロインを攻略する主人公はなるべく無個性がいいとされ、主人公はプレイヤーの分身として感情移入しやすい存在として作られていました。女性の中に唯一いる男性というのは、所謂ハーレムアニメに散見されることで、分かりやすいものでラブひなやシスプリがそうですけど、サクラ大戦なんかも典型的すぎる作品でしたね。その流れを作ったのは天地無用であるとか言われてますけど、まあ、10年ぐらい前はそういう作品が多かったんですよ。時代性といいますか、当時は本当の意味で恋愛シミュレーションしている奴が多かったというわけで。
そして月日は流れ、そうした流れが2つに分かれました。まず、無個性主人公の終焉です。これはギャルゲブームが廃れたことも原因してるんだけど、変わって台頭してきたエロゲにおける個性的な主人公というものが際立ってきたわけです。これは秋桜の空にというあらゆる属性の原典ともいうべきエロゲが登場したことや、泣きゲーなどストーリーを魅せる作品が数多く出てきたことで、登場人物としての主人公が重要視されるようになった。でも、逆にアニメではマリみてという男性主人公がいなくても成立する作品が出てきたことで、男性キャラそのものが排除され始めたんですね。ストロベリー・パニックが最初かは分かりませんけど、極上生徒会だとか、ストライクウィッチーズもそうですよね。まあ、この辺はほとんどオリジナル作品だからいいんですが、問題はそれが原作モノにも影響してきたことでしょうか。恋姫無双みたいに、まさかの主人公削除でアニメ化とかは記憶に新しいところです。しかも、それなりに売れて3期ぐらいまでアニメやったんだから笑えない。
リリカルなのはシリーズも、StSになってくると申し訳なさ程度に男キャラがいるだけで、ハッキリ言って女性が中心のアニメです。ViVidなんてその極地だし、今のオタク業界は男性キャラというものを必要としていないのではないかとさえ、一時期は考えられてました。その究極がクイーンズブレイドであるわけだし。そして、以前はやったハーレム物は廃れ、現在ではセキレイとか一部の作品だけに見られるものになってしまいましたね。
俗に少女漫画は男性漫画の20年先を行くコンテンツだと言われてますが、まさに昨今の少女だらけのアニメというのは女性向けの手法を使って創りだされているのです。それをゆりだと切り捨てるのは簡単だけど、私は少し違うんじゃないかなとも思う。
話を最初に戻すと、女性向けでも例えば女の子キャラが一人も出ていない作品ってのは面白くないと思うんですよ。古くはふしぎ遊戯なんかがそうですけど、男性たちの中における女性の重要性ってのは創作物でも大きくて、それがメインであってもサブであっても、軽視すべきではないと私は思うのです。本当に男の世界を書きたいとかなら、また違ってきますけど。銀英伝だろうとスクライドだろうと、男の物語における女の存在意義が重要であるように、女性の物語であるから男性はいらないなんて感じにはなってほしくないんですけどね。あれ、また話が戻ってしまった。
女性向けアニメってのは、なにも美形、美男子、美少年が出てくる作品だけではなくて、例えばちょっと前に流行ったマリア様がみてること、マリみてシリーズは元々少女文庫であるコバルト文庫から刊行されているシリーズです。コバルトは少女小説を出しているところで、もう30年近い歴史のある古参レーベルです。新井素子や久美沙織といった偉大な作家を生み出したかと思えば、90年代には作家を酷使しすぎて次々と潰してしまい、マリみてが登場しなければ存続の危機にあったと言われていますね。
まあ、そんなことはどうでもいいとして、本来少女小説であるマリみてが男性層に受けたことは、その後のアニメ界にかなりの影響を与えたと思います。つまり、男性の必要性というものが浮上したんですね。マリみてだって、別に男性キャラが皆無なわけじゃないけど、所謂主人公、主役としての男性キャラ、レギュラーとしての男性が存在しない作品というのは、それまで皆無でなかったにせよ珍しいことで、これがヒットしたというのは大きかったと思います。かつて、ギャルゲーが一世を風靡した頃、ヒロインを攻略する主人公はなるべく無個性がいいとされ、主人公はプレイヤーの分身として感情移入しやすい存在として作られていました。女性の中に唯一いる男性というのは、所謂ハーレムアニメに散見されることで、分かりやすいものでラブひなやシスプリがそうですけど、サクラ大戦なんかも典型的すぎる作品でしたね。その流れを作ったのは天地無用であるとか言われてますけど、まあ、10年ぐらい前はそういう作品が多かったんですよ。時代性といいますか、当時は本当の意味で恋愛シミュレーションしている奴が多かったというわけで。
そして月日は流れ、そうした流れが2つに分かれました。まず、無個性主人公の終焉です。これはギャルゲブームが廃れたことも原因してるんだけど、変わって台頭してきたエロゲにおける個性的な主人公というものが際立ってきたわけです。これは秋桜の空にというあらゆる属性の原典ともいうべきエロゲが登場したことや、泣きゲーなどストーリーを魅せる作品が数多く出てきたことで、登場人物としての主人公が重要視されるようになった。でも、逆にアニメではマリみてという男性主人公がいなくても成立する作品が出てきたことで、男性キャラそのものが排除され始めたんですね。ストロベリー・パニックが最初かは分かりませんけど、極上生徒会だとか、ストライクウィッチーズもそうですよね。まあ、この辺はほとんどオリジナル作品だからいいんですが、問題はそれが原作モノにも影響してきたことでしょうか。恋姫無双みたいに、まさかの主人公削除でアニメ化とかは記憶に新しいところです。しかも、それなりに売れて3期ぐらいまでアニメやったんだから笑えない。
リリカルなのはシリーズも、StSになってくると申し訳なさ程度に男キャラがいるだけで、ハッキリ言って女性が中心のアニメです。ViVidなんてその極地だし、今のオタク業界は男性キャラというものを必要としていないのではないかとさえ、一時期は考えられてました。その究極がクイーンズブレイドであるわけだし。そして、以前はやったハーレム物は廃れ、現在ではセキレイとか一部の作品だけに見られるものになってしまいましたね。
俗に少女漫画は男性漫画の20年先を行くコンテンツだと言われてますが、まさに昨今の少女だらけのアニメというのは女性向けの手法を使って創りだされているのです。それをゆりだと切り捨てるのは簡単だけど、私は少し違うんじゃないかなとも思う。
話を最初に戻すと、女性向けでも例えば女の子キャラが一人も出ていない作品ってのは面白くないと思うんですよ。古くはふしぎ遊戯なんかがそうですけど、男性たちの中における女性の重要性ってのは創作物でも大きくて、それがメインであってもサブであっても、軽視すべきではないと私は思うのです。本当に男の世界を書きたいとかなら、また違ってきますけど。銀英伝だろうとスクライドだろうと、男の物語における女の存在意義が重要であるように、女性の物語であるから男性はいらないなんて感じにはなってほしくないんですけどね。あれ、また話が戻ってしまった。
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