原稿をカタカタと打ちながら、年末に録画したアニメを観ていました。刀語は原作こそ読んだことはあるのですが、アニメは月イチでの放送だったから見逃すことが多く、もっと言えば1話以外はろくに観たことがなかった。アニマックスでも地上波に遅れて放送していたことは知ってたんだけど、年末にプレイバックと題して9話までを一挙放送するということだったので録画することに。丁度、コミケ前だかコミケ中だったかでリアルタイムで視聴する時間はなかったんだけど、改めて一気見すると見応えがありますね。

月イチ1時間アニメというのは珍しいことのように思えますが、過去に例がないわけでもなく、かつてAT-Xでやっていたフィギュア17などは同局の1時間枠で放送し、地上波では分割して30分ごとにするという方法をとっていました。AT-Xでは比較的1時間のアニメというのが多くて、そういった事例を知っている人間からすれば刀語の1話1時間というのは珍しくはあっても意外ではなく、驚くほどのことではありません。ただ、それを地上波でも実現させたというのは、制作側や放送局の作品に対する力の入れよう、ということなんでしょうか? 10年ほど前になりますが、特撮作品で鉄甲機ミカヅキというのがあって、やはり月イチで1時間ぐらいの作品だったんだけど、あれは元々映画の企画だったものをTVシリーズに変えたものだし、事情がちょっと違うかな。ふと思ったんだけど、フィギュア17も約10年前の作品なんだよね……割と最近のアニメであるという印象が強いのは一応2000年代のアニメだからだけど、ミレニアムとか2000年問題となんかで騒がれていたときから、もうそんなに経ったのか。あんまり実感ないのは、それほど私自身が成長していないから? 無駄に年齢重ねてきたとは思いたくないけど、まあ、フィギュア17は好きな作品だったし、あの頃はCSを導入したばかりの頃だから、色々と思い出深いんでしょうね。1時間制作のアニメだなんて、やっぱりCSは凄い! とか思ってましたから。単純だったというか、後のProject BLUEやMnemosyneはそれほど印象に残ってないのに、フィギュア17は頭に焼き付いてる。そういや、AT-Xの1時間アニメは共通点として全部SF作品ですけど、これにはなんか理由があるんでしょうかね? あまり流行らなかったのか、ここ最近は作られてませんけど。

刀語のプレイバックは二夜連続放送で、とりあえず5話までを見てみました。私は西尾維新という作家には思うところあって、様々な経緯から割と同情的な視線を送ってしまいがちなのですが、作品に関してはそれなりに読んでいる方だと思います。ただ最近は年齢的なこともあってか段々と読めなくなってきて、刀語や化物語に関してはそれほど深くは読み込んでいません。西尾維新という作家の作品には年齢による境界線みたいのがあって、ある程度の年齢になるとまともに読むことが出来ないのではないか? というのが、私の周囲にいる年齢層の高い作家や編集者たちの意見。まあ、第二世代ないし第三世代の作家は濃いからね……西尾維新みたいなタイプは受け付けないんでしょう。清涼院流水もそうだけど、ああいうのが理解出来ないというのは当たり前だと思いますよ。それを古い臭いとか、年寄りだというのは当然の意見だと思うが、ああいうのは別に次世代でも新世代とも違うものなんですよ。西尾にしろ清涼院にしろ、あれは個人の才能や才覚が文体に表現されているだけで、小説における新しい形というわけでは決してない。大体、その狭い分野においても意識差や年代差というものが存在して、例えば西尾維新の著作を頻繁に読む若年層は西尾こそがああいった作風の開祖であると思い込んでいるが、そんなことあるわけもなく、清涼院流水などが存在する。同期作家ですら、舞城王太郎や佐藤友哉みたいのがいるのである。ただ、その三者がアニメ化ライトノベルという分かりやすい形で、その手の読者層の前に姿を表していないだけである。もっとも、講談社のファウスト・メフィスト系のファンというのは既に形成されているから、そこから飛び出してさらに広がりを見せたのが、西尾維新といったところか。しかし、それでも、有川浩や桜庭一樹のような広く一般的ではない、狭い空間における作家であることは否定出来ないだろう。
年配の作家たちで、特に弟子や学生などに物を教える立場にある人が近年言うのだが、今の作家志望、特にライトノベルを目指す若者たちは本当に視野と読書の幅が狭いらしい。曰く、彼らには過去を振りかることがなく、言ってみれば2~3年前の古い作品には見向きもせず、ひたすら今量産されている作品だけを読んでいるというのだ。例えば、西尾維新で言うなら化物語や刀語は読んでも、戯言シリーズは読まないといったところか。電撃文庫等で流行っているような作品を少しかじって、まあ、それで作家を目指すことが悪いとは言わないが、なんとも薄っぺらい話ではある。別に読書力がないわけではないのにだ。

過去の名作、SFなら夏への扉を読ませたとして、彼らはそれを理解できるし、面白いと思うことも出来る。けれど、彼らには進んでそれら過去の名作を、古い作品を、もっと言えばライトノベル以外を読むつもりがない。単純な話、彼らはラノベを読んでラノベ作家を目指しているわけだから、それ以外のものを読むことは、彼らにとって読書ではなく勉強になってしまうのだという。そして、誰しも好き好んで勉強をしたがるものはいないのだ。所謂、エロゲ的なイラストが付いていなければ読む気がしないというのは、なんとも微妙な話である。これもまたジェネレーションギャップなのだろうか。

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