後悔なんて人それぞれ
2011年3月20日 アニメ・マンガ三連休の真ん中ということで、久しぶりにまとまった休みを得られた気がする。地震の翌日は土曜日であり休みだったけど、あの日は家に帰るまでに半日過ぎちゃったし、次の日の日曜日は恩師の新居に出かけてましたからね。なかなかどうした、心も体も休まる暇がなかった。なにせ恩師の家には遊びに出かけたというよりは、引っ越し後放置されていた本の山を片付ける手伝いに行ったのであって、ほとんど肉体労働である。まあ、自分から進んで手伝ったのでそれはいいのだけど、思えばあの日が一番平和だったな。嵐の前の静けさとは、また違うんだろうけど。
恩師の新居といっても、新築というわけではないただの引越しで、何故か都内近郊にある山の側に居を構えていた。若い頃は山登りも趣味だったとか行ってたから、まあ、その名残もあるのだろう。横浜からだと訪ねるのもそれほど時間は掛からなかったし、都心への交通も不便というほどではないから、意外と住みやすいのかも知れない。のどかなところだしね。
私は前述の通り、引越の荷物を片付ける手伝いに赴いたわけだけど、SF畑においてかなり有名人である恩師は書籍収集家としても相当なもので、要するに本の入ったダンボールが放置されているから、それに整理に駆り出されたということだ。引越しの際に6000冊は処分したと聞いていたから、少しは減ったのかと思ったが、未だに5万冊以上は残っているとのことだったので、目に見える形ではなんの変化もなかった。まったく、この世界にいる人間の救われないところは、延々と本を買い続けることだろう。既に恩師は本だけに数千万、あるいは億単位つぎ込んでいると言うが、それでもまだ極めてはいないのだ。何故なら本は今日も、そして明日も出版され続けるのだから。
しかし、5万冊という割にはやけにダンボールの数が少ない。ハードカバーや画集などの大型本もあるのだし、百数箱で収まるはずはないのだ。なにか大事なものが、そう、ライトノベル関係がまったくないことに私は気付いた。恩師は世代的には珍しいことにラノベにも造詣が深く、選考委員等をしていたこともあるからラノベの蔵書も果てしないほどだったのに。気になった私はそれに付いて訪ねてみると、半ば予想していた答えが返って来た。
「家に入りきらなかったから、ラノベ用にワンルーム借りて押しこんである」
この趣味の人間にはありがちな話だが、書庫として一部屋借りてあるとのことだ。まあ、新居のほうが片付いたら、次はそっちのものを運び入れるのだろう。まったく、我が師ながら見上げたものである。
いつか恩師が、なにかの趣味に没頭し続けるというのは、他のことをすべては言わないが、限りなく犠牲にすることだと言っていた。本以外にはペットの猫と犬ぐらいしかいないような家で、本とそれにまつわる仕事をし続けてきた恩師は、私などではとても真似できない高みにいる人だ。真似など、模倣など出来るものではない。恩師は十代の頃から業界で仕事をしていたし、その経歴の厚さは私などとは比べものにならない。生まれ育った時代が違うのだといえばそれまでなのかも知れないけど、一つのことにあそこまで打ち込んできた人間というのは、それだけでいつまでも輝いてみるというものだ。
とはいえ、一つのことだけに熱中したことに対する代償もあった。若い頃ならいざ知れず、歳をとれば体力や行動力は落ちていき、本当の意味で他のことが出来なくなる。つまり、メインとしての趣味はともかくとして、サブ的な意味合いのあるものにまで手が出しづらくなるのだ。それはオタク以外の趣味、例えば山登りだとか釣りだとか、そういうのでもいいし、もっと酷くなればオタク趣味の中でさえ、取るものと捨てるものを選ばなければいけない日が来る。結局の話、アニメ鑑賞やゲームプレイ、そして読書といったものはすべて別々の趣味であって、深く没頭するにはどれもを両立させることなどで気はしないのだ。オタク的なものとして一括りにされがちなこれらであるが、それぞれが違うものであることは明白であり、広く浅くという考えでもない限りは、いつかどこかで破綻してしまう。だからこそ、一つを選ばずにはいられなかったのだろう。
まあ、中には稀有な人物もいて、それらを見事に両立させている人もいるにはいるのだが、これが出来るのはよっぽど要領がいいか、もしくはかなりいい加減に生きている奴だけだ。適当な人間ほど上手くやるというのは、なにもこの世界に限った話ではないのかも知れないが、私はおそらくどちらも無理だろうな。要領は悪いし、適当に生きていると思い込もうとして、それが出来ないでいる半端者なんだから。私にもいずれ来るのだろうか、選ぶ日というものが。そしてそのとき、私は一体どんな選択をするのだろう? 多分、これはそう遠い未来ではないと思うから。
恩師の新居といっても、新築というわけではないただの引越しで、何故か都内近郊にある山の側に居を構えていた。若い頃は山登りも趣味だったとか行ってたから、まあ、その名残もあるのだろう。横浜からだと訪ねるのもそれほど時間は掛からなかったし、都心への交通も不便というほどではないから、意外と住みやすいのかも知れない。のどかなところだしね。
私は前述の通り、引越の荷物を片付ける手伝いに赴いたわけだけど、SF畑においてかなり有名人である恩師は書籍収集家としても相当なもので、要するに本の入ったダンボールが放置されているから、それに整理に駆り出されたということだ。引越しの際に6000冊は処分したと聞いていたから、少しは減ったのかと思ったが、未だに5万冊以上は残っているとのことだったので、目に見える形ではなんの変化もなかった。まったく、この世界にいる人間の救われないところは、延々と本を買い続けることだろう。既に恩師は本だけに数千万、あるいは億単位つぎ込んでいると言うが、それでもまだ極めてはいないのだ。何故なら本は今日も、そして明日も出版され続けるのだから。
しかし、5万冊という割にはやけにダンボールの数が少ない。ハードカバーや画集などの大型本もあるのだし、百数箱で収まるはずはないのだ。なにか大事なものが、そう、ライトノベル関係がまったくないことに私は気付いた。恩師は世代的には珍しいことにラノベにも造詣が深く、選考委員等をしていたこともあるからラノベの蔵書も果てしないほどだったのに。気になった私はそれに付いて訪ねてみると、半ば予想していた答えが返って来た。
「家に入りきらなかったから、ラノベ用にワンルーム借りて押しこんである」
この趣味の人間にはありがちな話だが、書庫として一部屋借りてあるとのことだ。まあ、新居のほうが片付いたら、次はそっちのものを運び入れるのだろう。まったく、我が師ながら見上げたものである。
いつか恩師が、なにかの趣味に没頭し続けるというのは、他のことをすべては言わないが、限りなく犠牲にすることだと言っていた。本以外にはペットの猫と犬ぐらいしかいないような家で、本とそれにまつわる仕事をし続けてきた恩師は、私などではとても真似できない高みにいる人だ。真似など、模倣など出来るものではない。恩師は十代の頃から業界で仕事をしていたし、その経歴の厚さは私などとは比べものにならない。生まれ育った時代が違うのだといえばそれまでなのかも知れないけど、一つのことにあそこまで打ち込んできた人間というのは、それだけでいつまでも輝いてみるというものだ。
とはいえ、一つのことだけに熱中したことに対する代償もあった。若い頃ならいざ知れず、歳をとれば体力や行動力は落ちていき、本当の意味で他のことが出来なくなる。つまり、メインとしての趣味はともかくとして、サブ的な意味合いのあるものにまで手が出しづらくなるのだ。それはオタク以外の趣味、例えば山登りだとか釣りだとか、そういうのでもいいし、もっと酷くなればオタク趣味の中でさえ、取るものと捨てるものを選ばなければいけない日が来る。結局の話、アニメ鑑賞やゲームプレイ、そして読書といったものはすべて別々の趣味であって、深く没頭するにはどれもを両立させることなどで気はしないのだ。オタク的なものとして一括りにされがちなこれらであるが、それぞれが違うものであることは明白であり、広く浅くという考えでもない限りは、いつかどこかで破綻してしまう。だからこそ、一つを選ばずにはいられなかったのだろう。
まあ、中には稀有な人物もいて、それらを見事に両立させている人もいるにはいるのだが、これが出来るのはよっぽど要領がいいか、もしくはかなりいい加減に生きている奴だけだ。適当な人間ほど上手くやるというのは、なにもこの世界に限った話ではないのかも知れないが、私はおそらくどちらも無理だろうな。要領は悪いし、適当に生きていると思い込もうとして、それが出来ないでいる半端者なんだから。私にもいずれ来るのだろうか、選ぶ日というものが。そしてそのとき、私は一体どんな選択をするのだろう? 多分、これはそう遠い未来ではないと思うから。
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