枯葉に光る時代の萌芽
2011年5月5日 アニメ・マンガGWなのに毎日外出している気がする私ですが、この日は東京の郊外に住んでいる恩師の家へと出掛けました。私にとっての物書きの師匠であり、これまでそれなりに作家を輩出してきた色々と凄い人。私は一門の中でも比較的若い弟子になるんだけど、分野がSFだったことから水が合い、今現在でも色々と付き合いがある感じです。作家ではないですがSF畑ではかなりの有名人で、業界生活も数十年とかなり長い。アニメやラノベにも造詣が深く、オタク文化に対する研究や勉強も欠かさないため、師匠という点を差し引いても、私がこれまであった業界人で一番尊敬しています。
そんな恩師が近頃引っ越したことは以前の日記で書いたと思いますが、このところは月一のペースで自宅書庫の整理を手伝っていたりします。弟子の数は多いし、現在までも付き合いのある人は沢山いるけど、手が空いている人間という意味ではそれほどいないし、そもそも本の整理となれば本を知っている人間じゃないといけないからね。恩師に言わせると、私は古典から現代SF、ミステリーやファンタジーに、漫画やラノベを知っている方だから、どの本がなにかというのを見分けてくれるので便利らしい。それは暗に私の趣味が古臭いと言っているだけな気もするが、まあ、そういう需要ってあるよね。自身で職場の本棚が崩壊したときも、私ならどの本がなんのジャンルに属するか判別付くだろうということで、編集部の人間でもないのに片付けをしていたし。別に整理や片付けは嫌いじゃないから良いんだけど、月一のペースだとまだまだ先が見えないね。後何万冊残っているんだろうか。一般的にビブリオマニアは2000冊までなら自分がなにを所有しているか把握できるらしいけど、それを超えてしまうともう訳が分からなくなるそうだ。
私は控えめな人間なので数万冊はおろか数千冊の本も持っていないが、恩師に言わせれば30年もすれば私も同じようになるらしい。にわかには信じがたいが、考えて見れば恩師の蔵書にしても昨日今日買い揃えたわけではない数十年の集大成のようなものだ。私がこのまま何事もなく、順調に本を買い揃えていくなら、同じようなことにならなくはないのかもしれない。元々、私は恩師と似たような性質の持ち主だし、影響もかなり受けた。それを知っているからこそ、向こうは断言することが出来るのだろう。お前はこっち側じゃないと生きていけない人間だとは、かつて私が恩師に言われた言葉である。
そんな恩師は現在も作家志望の若人相手に門扉を開き、作家になるための修行や勉強を教えている。便宜的に学生という言い回しをさせて頂くが、弟子の中でも比較的若い部類になる私でさえ昭和生まれなのに対し、最近の学生は皆が皆平成生まれだ。所謂、ライトノベルレーベルの乱立期に小中高生をやっていた連中であり、世代で言うなら涼宮ハルヒ以降の電撃文庫が猛威を振るっていた辺りだ。私の時代のライトノベルといえば、やはりスレイヤーズシリーズに魔術士オーフェンといった富士見ファンタジア文庫が強く、ロードス島やバセット英雄伝は少し古いといった感じで、後は爆れつハンターかな。神坂一やあかほりさとるが一世を風靡していたときですね。あれから軽く15年以上経っているわけですが、時が過ぎるのは早いというか、今の学生にこれらの作家はまったく通用しないらしい。
遠まわしに言う必要もないのでハッキリ書くけど、今の学生はスレイヤーズという作品を知らないのですよ。ちょっと前にアニメがやってたから、名前だけ知っているという奴が入ればいいほうで、あかほりさとるとか水野良、中村うさぎなんて見たことも聞いたことがないというのがほとんどであり、リウイってなに? ゴクドーくんってどんなの? と、本気で知らない奴ばかりなのだそうです。
まあ、世代が違うのだから当然かも知れないけど、かつての大ヒット作品すら知識にないというのは私とって少なからず衝撃的で、ラノベ分野ですらこれなのだから、所謂一般的なエンターテイメントなどもっと酷いのだろうなと予想がついてしまった。恩師のもとに訪れるのは主にラノベ作家志望の少年少女であり、エンターテイメントや文芸は皆無と言っていい。しかし、どんな世界にもその道を歩いていく上での常識というものがあり、知っていなければいけない知識というものがある。
「夢枕獏を知らないと言われたとき、俺は目の前の学生たちになにを教えられるのか本気で悩んだよ」
恩師がそのように呟いたとき、私は思わず鳥肌が立ってしまった。この日記を読んでいる人で、まさか夢枕獏の名を知らない者はいないと思うが、あの陰陽師シリーズでお馴染みの偉大なる作家を知らないというのだ。陰陽師という存在や、安倍晴明という人物はゲームや漫画で知っているが、その火付け役となった大ヒット作品を欠片も認識していない。恩師でなくとも、目が眩むような話のはずだ。
しかしそれでも、ギリギリ夢枕獏はいいとしよう。陰陽師というものに興味がなければ、あまり縁のない作家かもしれないし、今でも出続けてはいるが、接する機会がなかったという解釈も出来なくはない。けれど、京極夏彦を名前しか知らなかったり、宮部みゆきの名前すら知らないような奴らが、一体なにを学びに来て、なにになろうとしているのだろうかと、私は本気で悩んでしまう。信じられないような話だが、今の学生は大極宮の3人を知らないし、作品など読んだこともないのだ。
じゃあ、彼らはなにを読んでいるのか? どんな物読み、なにを持って作家になりたいと言い張っているのか。ラノベ作家志望なのだからライトノベルを中心に読んでいるというのは、まあ、よしとしよう。愛読書は野性時代と小説すばるみたいな奴がライトノベル作家を目指すというのも……なくはないのかもしれないが、それよりは電撃文庫読んでてラノベ作家を目指してますのほうがまだしっくり来る。
でも、彼らは結局それだけなのだ。今のラノベ作家志望というのは、今現在出ているラノベ以外はなにも読んでいないのだ。彼らにとって本や書籍とは、目下刊行中のラノベのことであって、それ以前というものが存在しない。彼らは今書店に並んでいるような作品や、アニメとして放送されているような人気作については詳しいが、その他に関してはラノベであっても認識していない場合が多く、遡れて3年が限度なのだという。谷川流でさえ、知らない奴は知らないのだ。ラノベの乱立と出版ペースを考えれば、出ている作品を全部把握するなど不可能なのはわかるが、元々狭い視野がさらに狭まり、読書量にしても大したことはない。そもそも、それがまっとうな読書なのかどうかも私には判断不能だった。
西尾維新や入間人間を信奉することが悪いことだと言いたいのではない。その時代のトレンドや、人気作家の存在は否定されるべきではないし、私には理解出来ないが弓弦イズルみたいのが好きだという奴だって大勢いるだろう。でも、それを読んだだけで読書をしたつもりになって、作家になろうとする性根が気に入らない。いや、気にくわない。
私はファンタジーを書きたいのなら、まずは指輪やゲド、ナルニアに触れてみろと言われた世代だ。あの神坂一だって世界の神話や伝奇、魔術や占星術などの研究を重ねた上で、初めてスレイヤーズを書くことが出来たのに、ただラノベだけを読んで作家になろう、なれると信じることだけはやめて欲しい。
別に田中芳樹や山田正紀を読めと言いたいわけじゃない。けど、個々人の好みはともかく、読めばそれらの作品だって面白いはずなのだ。名作は古い作品だからそう呼ばれるのではなく、現代でも通用するだけの話だからこそ、今も尚出版され続けているのだから。夏への扉とか、いい例ではないか。
100冊のラノベを読めば1冊のラノベが書けるようにはなるかもしれない。でも、それで作家になることは不可能だ。翻訳物を毛嫌いし、エンターテイメントに目を向けず、文学なんて知りもしない。学ぶというのは、自主的な行動だ。特に物書きの勉強など、誰かに強制されるものでもないのだから、如何に自分から歩み寄り、見聞を広めるかだろう。狭い世界に閉じこもって、限られたものを読んで極めた気になっているようでは、何時まで経っても井の中の蛙だ。好きなラノベ以外に使う金がないといのなら図書館に行けばいいし、工夫次第で如何様にも読書幅というのは広げることが出来るはずだ。それをしようともせず、ラノベは文学だとか高尚なものだとか、立派な書物で読書足りうるといった自己満足だけはしてはいけない。あれはジュニアノベルの類であって、読者層は小中高生だ。いつまでもしがみついていられるわけ、ないではないか。そんなくだらない悦に浸った行為は今すぐ辞めて、固定概念を振り払って本を読むべきだ。アニメ風ないしエロゲ風の絵が付いていない本以外は読めませんなどと言っているような奴は、絶対に作家になどなれはしないのだから。
私は同世代より感性が古い人間だったから、子供の頃は赤川次郎やSF御三家の本などを読み、そこから田中芳樹などにハマっていった口である。修行時代は一人だけ考え方や作風、読んでいる本が古く、周りの人間からは不思議がられたものだ。そんな私だからこそ、今現在の流れに対する違和感や、不満のようなものを覚えてしまうのかもしれない。あるいはそれは時代に取り残された者の懐古なのかもしれないが、せめて夢枕獏ぐらいは知っていて欲しかったというのが、私の偽りない本音なのである。
そんな恩師が近頃引っ越したことは以前の日記で書いたと思いますが、このところは月一のペースで自宅書庫の整理を手伝っていたりします。弟子の数は多いし、現在までも付き合いのある人は沢山いるけど、手が空いている人間という意味ではそれほどいないし、そもそも本の整理となれば本を知っている人間じゃないといけないからね。恩師に言わせると、私は古典から現代SF、ミステリーやファンタジーに、漫画やラノベを知っている方だから、どの本がなにかというのを見分けてくれるので便利らしい。それは暗に私の趣味が古臭いと言っているだけな気もするが、まあ、そういう需要ってあるよね。自身で職場の本棚が崩壊したときも、私ならどの本がなんのジャンルに属するか判別付くだろうということで、編集部の人間でもないのに片付けをしていたし。別に整理や片付けは嫌いじゃないから良いんだけど、月一のペースだとまだまだ先が見えないね。後何万冊残っているんだろうか。一般的にビブリオマニアは2000冊までなら自分がなにを所有しているか把握できるらしいけど、それを超えてしまうともう訳が分からなくなるそうだ。
私は控えめな人間なので数万冊はおろか数千冊の本も持っていないが、恩師に言わせれば30年もすれば私も同じようになるらしい。にわかには信じがたいが、考えて見れば恩師の蔵書にしても昨日今日買い揃えたわけではない数十年の集大成のようなものだ。私がこのまま何事もなく、順調に本を買い揃えていくなら、同じようなことにならなくはないのかもしれない。元々、私は恩師と似たような性質の持ち主だし、影響もかなり受けた。それを知っているからこそ、向こうは断言することが出来るのだろう。お前はこっち側じゃないと生きていけない人間だとは、かつて私が恩師に言われた言葉である。
そんな恩師は現在も作家志望の若人相手に門扉を開き、作家になるための修行や勉強を教えている。便宜的に学生という言い回しをさせて頂くが、弟子の中でも比較的若い部類になる私でさえ昭和生まれなのに対し、最近の学生は皆が皆平成生まれだ。所謂、ライトノベルレーベルの乱立期に小中高生をやっていた連中であり、世代で言うなら涼宮ハルヒ以降の電撃文庫が猛威を振るっていた辺りだ。私の時代のライトノベルといえば、やはりスレイヤーズシリーズに魔術士オーフェンといった富士見ファンタジア文庫が強く、ロードス島やバセット英雄伝は少し古いといった感じで、後は爆れつハンターかな。神坂一やあかほりさとるが一世を風靡していたときですね。あれから軽く15年以上経っているわけですが、時が過ぎるのは早いというか、今の学生にこれらの作家はまったく通用しないらしい。
遠まわしに言う必要もないのでハッキリ書くけど、今の学生はスレイヤーズという作品を知らないのですよ。ちょっと前にアニメがやってたから、名前だけ知っているという奴が入ればいいほうで、あかほりさとるとか水野良、中村うさぎなんて見たことも聞いたことがないというのがほとんどであり、リウイってなに? ゴクドーくんってどんなの? と、本気で知らない奴ばかりなのだそうです。
まあ、世代が違うのだから当然かも知れないけど、かつての大ヒット作品すら知識にないというのは私とって少なからず衝撃的で、ラノベ分野ですらこれなのだから、所謂一般的なエンターテイメントなどもっと酷いのだろうなと予想がついてしまった。恩師のもとに訪れるのは主にラノベ作家志望の少年少女であり、エンターテイメントや文芸は皆無と言っていい。しかし、どんな世界にもその道を歩いていく上での常識というものがあり、知っていなければいけない知識というものがある。
「夢枕獏を知らないと言われたとき、俺は目の前の学生たちになにを教えられるのか本気で悩んだよ」
恩師がそのように呟いたとき、私は思わず鳥肌が立ってしまった。この日記を読んでいる人で、まさか夢枕獏の名を知らない者はいないと思うが、あの陰陽師シリーズでお馴染みの偉大なる作家を知らないというのだ。陰陽師という存在や、安倍晴明という人物はゲームや漫画で知っているが、その火付け役となった大ヒット作品を欠片も認識していない。恩師でなくとも、目が眩むような話のはずだ。
しかしそれでも、ギリギリ夢枕獏はいいとしよう。陰陽師というものに興味がなければ、あまり縁のない作家かもしれないし、今でも出続けてはいるが、接する機会がなかったという解釈も出来なくはない。けれど、京極夏彦を名前しか知らなかったり、宮部みゆきの名前すら知らないような奴らが、一体なにを学びに来て、なにになろうとしているのだろうかと、私は本気で悩んでしまう。信じられないような話だが、今の学生は大極宮の3人を知らないし、作品など読んだこともないのだ。
じゃあ、彼らはなにを読んでいるのか? どんな物読み、なにを持って作家になりたいと言い張っているのか。ラノベ作家志望なのだからライトノベルを中心に読んでいるというのは、まあ、よしとしよう。愛読書は野性時代と小説すばるみたいな奴がライトノベル作家を目指すというのも……なくはないのかもしれないが、それよりは電撃文庫読んでてラノベ作家を目指してますのほうがまだしっくり来る。
でも、彼らは結局それだけなのだ。今のラノベ作家志望というのは、今現在出ているラノベ以外はなにも読んでいないのだ。彼らにとって本や書籍とは、目下刊行中のラノベのことであって、それ以前というものが存在しない。彼らは今書店に並んでいるような作品や、アニメとして放送されているような人気作については詳しいが、その他に関してはラノベであっても認識していない場合が多く、遡れて3年が限度なのだという。谷川流でさえ、知らない奴は知らないのだ。ラノベの乱立と出版ペースを考えれば、出ている作品を全部把握するなど不可能なのはわかるが、元々狭い視野がさらに狭まり、読書量にしても大したことはない。そもそも、それがまっとうな読書なのかどうかも私には判断不能だった。
西尾維新や入間人間を信奉することが悪いことだと言いたいのではない。その時代のトレンドや、人気作家の存在は否定されるべきではないし、私には理解出来ないが弓弦イズルみたいのが好きだという奴だって大勢いるだろう。でも、それを読んだだけで読書をしたつもりになって、作家になろうとする性根が気に入らない。いや、気にくわない。
私はファンタジーを書きたいのなら、まずは指輪やゲド、ナルニアに触れてみろと言われた世代だ。あの神坂一だって世界の神話や伝奇、魔術や占星術などの研究を重ねた上で、初めてスレイヤーズを書くことが出来たのに、ただラノベだけを読んで作家になろう、なれると信じることだけはやめて欲しい。
別に田中芳樹や山田正紀を読めと言いたいわけじゃない。けど、個々人の好みはともかく、読めばそれらの作品だって面白いはずなのだ。名作は古い作品だからそう呼ばれるのではなく、現代でも通用するだけの話だからこそ、今も尚出版され続けているのだから。夏への扉とか、いい例ではないか。
100冊のラノベを読めば1冊のラノベが書けるようにはなるかもしれない。でも、それで作家になることは不可能だ。翻訳物を毛嫌いし、エンターテイメントに目を向けず、文学なんて知りもしない。学ぶというのは、自主的な行動だ。特に物書きの勉強など、誰かに強制されるものでもないのだから、如何に自分から歩み寄り、見聞を広めるかだろう。狭い世界に閉じこもって、限られたものを読んで極めた気になっているようでは、何時まで経っても井の中の蛙だ。好きなラノベ以外に使う金がないといのなら図書館に行けばいいし、工夫次第で如何様にも読書幅というのは広げることが出来るはずだ。それをしようともせず、ラノベは文学だとか高尚なものだとか、立派な書物で読書足りうるといった自己満足だけはしてはいけない。あれはジュニアノベルの類であって、読者層は小中高生だ。いつまでもしがみついていられるわけ、ないではないか。そんなくだらない悦に浸った行為は今すぐ辞めて、固定概念を振り払って本を読むべきだ。アニメ風ないしエロゲ風の絵が付いていない本以外は読めませんなどと言っているような奴は、絶対に作家になどなれはしないのだから。
私は同世代より感性が古い人間だったから、子供の頃は赤川次郎やSF御三家の本などを読み、そこから田中芳樹などにハマっていった口である。修行時代は一人だけ考え方や作風、読んでいる本が古く、周りの人間からは不思議がられたものだ。そんな私だからこそ、今現在の流れに対する違和感や、不満のようなものを覚えてしまうのかもしれない。あるいはそれは時代に取り残された者の懐古なのかもしれないが、せめて夢枕獏ぐらいは知っていて欲しかったというのが、私の偽りない本音なのである。
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