私はなんでか早川書房の編集部と縁が深く、いつだったかの日記でミステリマガジンを取り上げたことがあります。でも、私自身はどちらかというとSF畑の人なので、どちらかというとSFマガジンの方が好きだったりします。決してSFマガジン編集部に混ざりたいとは思わないけど、雑誌としてはやっぱりね、好みというものがありますから。
そんなSFマガジンですけど、この前担当編集の人が妙なことを話しているのを小耳に挟みました。なんでも、6月25日に発売される8月号では、あの初音ミク特集だというのです。これはもう、話を聞くしかないと思い、詳細を聞き出すことにしました。

初音ミクというVOCALOIDのことを知らない人は、今やこの業界でいないと思いますが、簡単に説明すると音声合成及びデスクトップミュージックを作成するために作られたソフトウェアで、VOCALOIDという呼称自体はYAMAHAの音声合成システムの総称だったりするんですよね。だから、初音ミクを出しているクリプトン・フューチャー・メディア=VOCALOIDというのは、ちょっと間違っていたりする。
まあ、そんな説明を今更する必要はないよね。よく分からないって人は、それこそウィキペディアでも見てくださいって感じなんですけど、とにかく初音ミクってのはそうした音声合成ソフトに流行りの萌えキャラをイメージイラストとして付加したもので、これが世のオタクたちへ馬鹿みたいに受けたんですよ。それこそ、ちょっとした社会現象並に。今でこそ漫画作品とか各種メディアミックスがされてますけど、パッケージ絵しかない状態で同人誌が山のように出たり、ろくに設定もないのにそれはもう凄いブームでね。
だから、音楽ソフトというよりはオタク向けのツールとしての意味合いが強くて、私の勝手な考えだと、なにかの作品に属さないキャラクターとしてここまでヒットしたのは、最初期のデ・ジ・キャラット以来だと思う。あれも始めは店舗のマスコットキャラであって、アニメやゲームは後からメディア展開したものだからね。もう十年以上前の話だけど、そういった意味では、初音ミクはかつてのでじこと同じ道を歩んでいるんじゃないかなと。

音楽ソフトの範疇を飛び越え、一大ムーブメントとしてオタク界を席巻している初音ミクだけど、それがどうして早川書房のSFマガジンで特集されるのか? それを疑問に思った人は、少なからずいるのではないでしょうか。確かに見た目はSFチックではあるけど、音楽合成ソフトは現代の技術であって、SFでもなんでもありません。
けど、実はこの初音ミクって何年か前に星雲賞を受賞しているんですよ。星雲賞というのは毎年開催れている日本SF大会で授賞式が行われる、所謂SF限定の文学賞なんですが、ミクはこれの自由部門で受賞経験がありましてね。最近話題になった探査機のはやぶさとかと一緒に名を連ねているのです。故に、SF界でも前々から注目されており、今回のSFマガジンでの特集は、どちらかといえば やっときたかとか、なんだ、まだやっていなかったのかという感じだったりします。もっとも、これまでも小規模な記事ぐらいはあったかも知れないけど、紙面を上げての総力特集は初めてでしょう。
初音ミクの特集を行う雑誌というのは、当たり前の話ですがこれまでにいくつもありました。それはなにもアニメ誌などのオタク向け雑誌に限らず、例えば一般向けの週刊誌とか、経済誌なんかでも取り上げられたことがありますね。しかし、それはどれも音楽合成ソフトとして、あるいは萌えキャラとしてのミクを特集ないし研究するだけで、内容としては結構似通ったものであることが多い。要はマンネリ化してしまったんですよ。上にも書きましたけど、色々コラボやメディア展開しているとはいえ、元々が音楽ソフト兼萌えキャラだから、これ以上話が広げにくいんですね。一つの視点から観た初音ミクというのは、ミク本人の広がりに比べると頭打ちになってしまったんだと思う。
アニメ雑誌に載ろうが、ゲーム雑誌で取り上げられようが「ふーん、そうなんだ」で済んでしまうし、例え新聞に記事が掲載されたとしても、さしたる新鮮味は感じられないでしょう。もはやその程度では驚きも感じられないほどに、初音ミクというキャラクターは成長してしまったんです。

そんな中で、SFマガジンはその紙面の特性であるSFという観点から、歌姫初音ミクの本質と、そのSF的想像力に迫りたいと考えているようです。これはちょっと、今までにない、新しい視点発想だと思いませんか?
紙面の方も、とてもSFマガジンらしい感じに仕上がっていて、まず眼を引くのは3人の作家による初音ミクの短編小説が載ることでしょう。これまでに漫画化したことは何度もあるミクですが、小説化されるということはあまり例がなく、しかも書き下ろすのはSF界を代表し、尚且つ初音ミクにも精通している作家たちです。
野尻抱介はニコニコ動画で活動することも多く、ミクファンには尻Pとして知られている人ですが、この人はパンツを空に飛ばすことに熱中している変なおっさんというわけではなく、なんと先程の星雲賞を6回も受賞したことがある凄い作家だったりします。短編作品の名手であり、今回は初めて本業でミクを表現するわけですね。
山本弘はハードSFを得意とする作家だけど、ライトノベル作家として90年代に活躍したこともあり、そっちで知っている人も多いんじゃないでしょうか? ソード・ワールドシリーズとか。この人はサブカル事情にとても詳しく、初音ミクも自身のブログで何度か取り上げたことがあります。この人のパラノイアSFと言われる独自の作風で、どんなミクが書かれるのかは、私もちょっと楽しみだったりします。
最後の一人である泉和良は、説明の必要ありますかね? 作家であり同人音楽家であり、野尻抱介以上にニコニコへどっぷりと浸かっている人ですね。作家としては最近デビューした人ですが、初音ミクの仲間である鏡音リンでの楽曲制作に定評があり、ジェバンニPとしても名声を得ています。そんな彼が満を持してVOCALOIDをテーマにした短編を書くわけですから、期待度も高まるというものでしょう。

インタビュー面でも充実しています。初音ミクの開発者であるクリプトンの佐々木渉氏が、わざわざ早川書房を訪れていたという噂も耳にしましたし、ヒャダインの名前で現在ブームを起こしているミュージシャンの前山田健一氏など、初音ミクに縁の深い人達がそろっています。他にもエッセイやイラストギャラリーなど、かつてSFマガジンが作品ではない、単なる一人のキャラクターを、ここまで徹底的に特集したことなど合ったでしょうか? ミステリマガジンがこの前出したコナンだって、名探偵コナンという作品の特集ですからね。作品ではなく、ただのキャラクターでしかない。それは初音ミクの強みであり欠点でもあったけど、今回のSFマガジンはそこを最大限に利用して、SFという分野から電子の歌姫に歩み寄ろうとしているわけです。SFマガジンがやらずに誰がやるんだ、という感じもしますけど。
既に早川書房の通販サイト、ハヤカワオンラインで予約が始まっているし、紙面の目次も見られるので、興味のある人は覗いて、ついでに買ってみるといいでしょう。
URL:http://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/721108.html

少し話はずれるけど、私が初音ミクの特集で印象に残っているのは昨年のニュータイプ誌上で行われた、富野由悠季と冲方丁の対談です。特集というよりは、二人の対談の中で初音ミクの話題が出てきたという感じなんですが、その中で富野由悠季は「初音ミクは100年残るキャラクターではない」と断言しています。これはミクのことを100年後も残るキャラクターであると断言した人たちを否定するために言ったことですが、冲方丁はそれに同意し、同調しています。理由は飽きるから。
それだけ書くとなんだそりゃって感じだけど、初音ミクが100年後も残っていると主張する人たちは、初音ミクが「皆で作っているからこそ生き残れる」のだそうだけど、富野さんは「みんなでよってたかっているからこそ飽きるんだ」と。世界的なキャラクターであるミッキーマウスと比較して、時代を超えて生き残るようなキャラクターは、総意ではなく独占で作られるのだという意見です。皆でやっているから育つのではなく、皆でやっているから潰し合いが始まる。ミッキーとミクでは、ミクのほうがリアルかも知れないけど、リアルを追求すればするほど、キャラクターとしてのリアリズムは失われてしまう……冲方丁はキャラクターのリアリズムは現実感ではなく実在感だと言っていますし、富野由悠季はミッキーの手触りより、ミクの精巧さをリアルだと思うのは勘違いであると言い、私はそれに酷く感銘を受けました。
でも、それが初音ミクという存在でもあるんですよね。最低限の設定しかないから多くの人が参加することが出来る、ミクはそういうキャラクターなんです。私はミクにあまり想い入れがある方ではありませんが、一社独占で育ててきたデ・ジ・キャラットが今もいるのかといれば、すっかり過去の存在になってしまったし、キャラクターの行く末がどうなるかなんて、誰にも分かりませんからね。ただ、私の考えが富野由悠季のそれに少し近かったというだけで。

富野由悠季と冲方丁の対談は、冲方丁のムックであるNewtype Libraryという本に収録されています。初音ミクに付いて触れられているの僅かだけど、SF人といって差支えのない二人の初音ミク観に対して、SFマガジンはどのような答えや結論を出してくるのかというのが、実のところ私は一番楽しみだったりする。だから、実際に雑誌が発売された後に、またこの話は書こうかと思います。では、また発売日の時にでも。

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