S-Fマガジン 2011年 08月号 [雑誌] 電子の歌姫-初音ミク-
2011年6月25日 アニメ・マンガ
私の手元にもやってきましたよ、初音ミク特集のSFマガジン8月号が。なんか、先日の日記を書いてからというもの、山岸真や堺三保、それに野尻抱介といったSF界のお歴々や、変なところでは三崎尚人みたいな業界人が、私の目の前や周囲に現れては消えて行くというのを繰り返していたんだけど、それだけSFMのミク特集に反響があったのだと思っておきましょう。でなければ、こんな場末の日記なんて誰も見ませんからね。関係者からは謝られる反面、良い宣伝になったとも言われたし、私にしたところで平凡に生きていたら絡む機会もないような人たちと接することが出来たので、実はそれほど気にしていなかったりする。驚きはしたけどさ。
さて、今回のSFMは初音ミク特集なわけですが、その前に1本の読み切りが収録されています。SF作家、神林長平書き下ろしの「いま集合的無意識を、」です。これは初音ミクとかまったく関係ないもので、謂わば先月号で特集されたことの続きだったりします。先月号持っている人なら分かると思うけど、前回のあれはこの書き下ろしを読むことで初めて終了するんです。どうして今月の企画とは関係ない短編がミク特集の前に載っているのかといえば、この時点ではまだSFM7月号だから。
私は一種の演出のようなものだと捉えることにしたけど、これを読むことでSFM7月号は終わり、ミク特集である8月号へと移ることが出来るのです。正直、上手いやり方だと思った。というのも、神林長平の読み切りが載ることは知ってたものの、例のごとく内容までは詳しく知らなかったんですよ。SFファンで彼の名前を知らない人はいないと思うけど、知らない人のために解説すると、戦闘妖精雪風などで知られる第3世代SF作家になります。日本のフィリップ・K・ディックとも言われ、ハードもコメディも書くことの出来る大ベテラン。当然ながら、私の好きな作家の一人でもある。
書き下ろしの内容については、発売したばかりということもあって、どこまで書いていいのか悩むが……幻想的であると同時に、胡散臭いと私は思った。編集から感想を聞かれたときに、私は失礼にもそう言ってしまった。けれど、どうしたことだろうか。読めば読むほど、そうした最初の印象は薄れていき、圧倒的なSFと強いテーマ性、そして作者が持つ作家としての技術力にのめり込んでしまうのだ。先月号を読んでいるか否か、もっと言えばとある一人のSF作家を知っているかどうかで感想や印象は大きく変わるのだろうが、題材の凄まじさも含めて是非多くの人に呼んでもらいたい作品だと思う。
私はSFMを読むときは、とある理由からリーダーズ・ストーリイを最初にと決めているのだが、その次に読んだのが神林長平の読切だった。メインはあくまでミク特集なのだから、読み飛ばすか後に回しても良かったものを、最初から順当にと思ったのだろう。カラーページをざっと観て、そして書き下ろし短編を読んで……全てがひっくり返ってしまった。神林長平はこの読切を自分への決着と、若者へのメッセージであると書いている。経験上、年配者から若者に向けて送られる言葉など、大半が説教の類であって、この話もそういった部分がないわけではない。しかし、それ以上に、とある一人のSF作家への想いが滲み出ており、私が当初感じていた胡散臭さは、奇妙な納得感へと変化していた。ネタとして有りか無しと言われれば、神林長平以外がこれをやったら袋叩きもいいところだと思うが、逆に言えば彼だからこそ許される、そんな作品であることは確かなのだ。
それ故に感じる、説得力とは違う一種の納得力。内容自体はとても物静かにも関わらず、読了後に胸を打つ力強さがあった。物書きとしては少々悔しい気もするのだけど、読者としてなら、私のような、私たちのような若い世代こそが読むべき作品なのだろう。
本当は読切に付いてはあまり書かないつもりだったんだけど、気づけばいつもの日記並に書いてますね。SFM元編集長である塩の人がTwitterで言ってましたけど、今回のSFMはとにかく豪華なんですよ。だから書くことがいっぱいあるんですが、後はミクについてのみ書こうと思います。ピーター・ワッツの読切も面白かったものの、誌面のすべてを取り上げていたらきりがないのでね。神林長平について書いたのは、読み飛ばしてもらいたくないと私が思ったからで、例え虐殺器官やハーモニーを知らなくても、一読して欲しいと感じたからです。
まあ、それはともかくとしてメインであるミク特集。表紙の画像は前回も載せましたけど、KEIの描き下ろしですね。KEI自体は早川書房でイラストの仕事をやっていたこともあり、あるいはその繋がりで今回のミク特集に発展したのではないかと私は思っているのですが、掲載される雑誌が雑誌ということもあってか、いつにもましてSFチックな雰囲気が漂ってますね。他のボーカロイド、クリプトン製ならリン・レンやルカも載せるべきか否かという意見はあったらしいけど、あの子らまで出てくると企画趣旨が若干ずれてしまうからね。特にリン・レンは、SFよりもファンタジー的な楽曲が多いから、表紙をミクだけにしたというのは正解だったと思います。
カラーページはまず、初音ミクの生みの親であるクリプトンの佐々木渉インタビューが載っています。定盤ということで基本的なこと、導入的な部分しか触れられてないのだけど、モノクロページから始まる続きは、かなり詳細で読み応えのある内容になっています。勿論、私は熱心な初音ミクファンというわけじゃないから、あるいはこの佐々木氏のインタビュー内容は、以前に他誌でも話したことがあるようなものなのかも知れないけれど、初音ミクを知る、製作者を知るという意味ではかなり分かりやすいものなっている気がする。やはり、音楽ソフトなだけあって、佐々木氏の中にある音楽観などの話題も触れられてるんだけど、これもミクを知る上では非常に興味深い内容だ。
印象に残ったやりとりとして、インタビュアーがこんな質問をしている。
そろそろ初音ミク特集のメイン企画であると思われる、現役SF作家3人による短編について書きましょうか? インタビューと短編の他にはエッセイなんかもあるんだけど、私はどうにもエッセイの解説というのが苦手でね。少々堅苦しい内容のものも多かったから、気軽に感想というわけにはいかなそうで。だから、とりあえずは短編のほうを書くことにします。
以前の日記でも触れたとおり、今回の初音ミク特集には3人の作家による書き下ろし短編が収録されており、それぞれがVOCALOID、というよりもミクをテーマにしている。発売したばかりなので、詳しいネタバレはさけるが、三者三様とでも言うのか、どれも作家自身の持ち味が強く出ており、なかなかに読み応えがあった。
まず、山本弘の「喪われた惑星の遺産」であるが、これは一言で言えばおバカSFという奴だ。いや、文章自体は至ってまともだし、書いている本人はさぞ真剣に書いたのだろうが、山本弘という人は実に馬鹿馬鹿しい内容を説得力のある真面目くさった文章で、さも壮大な話のように書き上げるプロなのである。彼の持論に「SFの本質はバカである」というのがあるが、金星探査機あかつきを発見した2800万年後の異星人が、異星人的見地からあかつき内に搭載された初音ミクのキャラクターに迫り、研究していくという内容は非常に読み応えがある。海外SFによくある話として、現代にやってきたタイムトラベラーが過去の文化に対する世間知らずを披露し、分からないものだらけの世界で右往左往とするというのがあり、日本で言えば現在人が江戸や戦国などの過去へ行く、などがあるだろうか? 逆に現代人が未来に行ってしまったり、それこそ江戸時代人が現代に来てしまったりと、タイムトラベルものとしては本当にメジャーなものであり、「喪われた惑星の遺産」という作品はそれに近いものがあるのだ。数千万年後の宇宙人は、遠い過去に存在した惑星人たちの文化を紐解くことに真剣であり、その真剣さが初音ミクという存在をよく知る我々には、思わず笑ってしまうような、馬鹿馬鹿しい光景に思えるのだろう。山本弘は自身のブログで、初音ミクは数百年後も残るキャラクターであると、以前この日記でも紹介した、富野由悠季や冲方丁の意見とは真逆の考えを披露していた。しかし、今回の短編は数百年どころか数千万年であり、彼の初音ミクに対する考えや、文化というものに対する想いなどが全体的なテーマとして滲み出ているのだ。そういった意味では、この短編こそ一番初音ミクという存在を全面に出していたのではないかと、私はそう思う。
泉和良の「DIVA の揺らすカーテン」は、視点という意味でなら、前述の短編以上に初音ミクを前に押し出している作品だ。しかし、私はこれが作りの甘い作品のように思えてならない。泉和良は2007年のデビューであり、年齢も35歳と比較的若目だ。彼はハヤカワで一度書いたことはあるものの、基本は講談社BOXと星海社を中心に執筆している男であり、どうにも文章や作風が雰囲気重視になっているように思えるのだ。最近の若い作家にはありがちな傾向で、まあ、流行りでもあるのだろうけど、淡々とした主人公による切々とした話の展開というのは、どうにも私の心に響きにくい。単純な趣味や好みの問題なのかも知れないが、物静かという意味では先の神林長平の読切だってそうであるのに、こちらにはあちらと違い心の奥底にある熱情のようなものがなく、どうにも淡白なのだ。
SF的な話をすると、この作品もジャンルとしては非常にシンプルでありがちだ。前述の「喪われた惑星の遺産」もそうなのだが、この2つに共通することとして、SFとしては非常に分かりやすいネタを、ミクを使って如何に表現しているか、というのがある。ジャンルやネタとしての新鮮味はないのだが、完成されているがゆえに型くずれすることがなく、どちらもまずまずな内容へと仕上がっているのである。「DIVA の揺らすカーテン」自体は、青春というよりは恋愛に傾倒した面が見て取れるが、作品の落とし所としては、まあ、こんなものだろう。長編小説の一部分を切り抜いたかのような印象をうけるのは、おそらく作者が短編を書き慣れていないせいもあるのだろうが、それ故に長編で読んでみたいと思わせる内容であったことは確かだ。まあ、現実的に考えれば難しい話なのかも知れないが、早川書房には是非とも検討していただきたいものである。
野尻抱介の「歌う潜水艦とピアピア動画」は、この短編の中で唯一のシリーズ物であり、前前作の「南極点のピアピア動画」は星雲賞の短編部門を受賞している。初音ミク、というよりはニコニコ動画をモデルにしたパロディ小説であり、先の2作品と決定的に違うのは、初音ミクそのものは登場しないことだろう。出てくるのは、小隅レイというミクをモデルにしたオリジナルのVOCALOIDであり、そういった意味ではミクや動画サイトをネタにはしているが、ミクそのものをテーマとはしてないとも言える。私はこれを機会に、本格的に初音ミクを絡ませるぐらいのことをやってのけるんじゃないかと思ったのだけれど、やはりシリーズ物ということもあってか、内容的には前作、前前作の設定を継承するしかなかったようだ。
ちなみにこの「歌う潜水艦とピアピア動画」は、初音ミク特集どころか今月号のトリを務める作品なのだけど、私にはなんとも感想が書きづらい。別にパロディ小説が嫌いな訳ではないのだが、ネタバレや元ネタ解説をしない方向で話を進めようとすると、あまりに書くことが少なく、魅力も伝えにくい。サブカルというよりは、最近のオタク向け小説と言い切ってしまったほうが適当とも言える内容は、初音ミク目当てに初めてSFMを買った若い読者にも、十分受け入れて貰うことが出来るだろう。
ところで、この野尻抱介であるが、先日ネット上で私の前に突然と姿を表した。実は今月号のSFMは、発売前から増刷と重版が決定し、Amazonがとある条件を出したことから早川書房が踏み切ったとかいう話で、そんな経緯もあってかAmazon上での売上が物凄いことになってたんですよ。趣味雑誌ランキングで1位になったかで、そうなると全てにおいて1位を取りたがるのが、昨今のオタクというかなんというかで、雑誌の総合ランキンの1位を取るみたいな運動が展開されて言ったわけです。まあ、ありがちな話ですよね。
ありがちな話だったけど、書籍という意味では珍しいこともあってか、私は最近の若いオタクはそういうの好きだねぇと、過去のハルヒやハピマテなどを思い出しながらTwitterで呟いてました。すると、突然そこに野尻抱介がやってきて、「運動の旗振りをしているのは自分だが、自分は50歳と若くもないし、ハピマテなんてものも知らないが」と非公式RTをしてきたのです。正直、50歳にもなってなにをしているんだと思わないでもなかったけど、野尻抱介の感覚としては、かつて吾妻ひでおが提唱した「SFを読むのではない、SFするのだ!」という教えを実践してのことらしい。
そう言われてみればなるほど、と思わないでもないけれど、野尻抱介本人がそういう考えのもとに動いていたとしても、それに乗っかっている若年層のオタクたちは、もっと単純に事を考えていると私は思うのだ。これもTwitterで呟いたことであるが、購入や購買によって本やCDの順位を上げることって、今のオタクにとってはある種の「祭り」なんですよね。参加条件は買うだけと簡単だし、貢献した気分も得られやすい。なにより実際に1位や1番をとったときの喜びや嬉しさが、共有しやすいんですよ。大抵がネットで行われていることだから。ブルーレイやDVDの売上を注視して、その結果で作品の価値を決めるという風潮も、今は普通にあるからね。
もっとも、私自身はそういう「祭り」を否定しているわけじゃなくて、それが好みの作品であれば乗っかることもしばしばありますから、今回のSFMに関しては良いんじゃないかと思っています。なにせSFMの増刷や重版自体、創刊史上はじめてのことですし、SFファンとしては嬉しいじゃないですか。これが最初で最後かもしれないけど、少なくとも悪い気なんてするわけがないです。
最後は話が少しずれましたけど、初心者からコアなファンまで、幅広く楽しむことの出来る初音ミク特集だったのではないでしょうか? 初心者の場合、小説誌にありがちな堅苦しさに戸惑いを覚えることもあるでしょうが、めげずにじっくりと読んでいけば、割とすんなり読めるようになるものです。山本弘はブログで、数年も前に星雲賞を取ったのだから、今回の特集は遅すぎるほどではないかと言っていたのだけど、私はそれに半分だけ同意し、もう半分で否定したいと思う。確かにミクが星雲賞の自由部門を、3年か4年前にとったのは事実だ。でも、数年前と今では事情が違うし、当時に出来なかったことが、今なら出来るということもあるだろう。
SFMの編集が、「今がベストタイミングであると信じているからこそ出来た」といった感じのことを言っていたけど、私はその通りだと思った。所謂オタク雑誌や一般誌が初音ミクを取り上げ尽くした今だからこそ、SF専門誌であるSFマガジンが初音ミクという電子の歌姫を特集することに、意味が出てくるのだ。
初音ミクはもはや一つの文化となった。そして我々は、その文化を見つめ直す、あるいは紐解くために、SFという新たな観点を必要としていたのだろう。忘れてならないのは、流行は廃れるが、文化というものは進化する可能性に満ちているということだ。かつて、富野由悠季や冲方丁が初音ミクを論じたときよりも、彼女は着実に成長し、進化している。SFMは私にそういったことを確認する機会を与えてくれたようなもので、期待以上の答えを私は得ることが出来た。だから今、私はとても満足している。
さて、今回のSFMは初音ミク特集なわけですが、その前に1本の読み切りが収録されています。SF作家、神林長平書き下ろしの「いま集合的無意識を、」です。これは初音ミクとかまったく関係ないもので、謂わば先月号で特集されたことの続きだったりします。先月号持っている人なら分かると思うけど、前回のあれはこの書き下ろしを読むことで初めて終了するんです。どうして今月の企画とは関係ない短編がミク特集の前に載っているのかといえば、この時点ではまだSFM7月号だから。
私は一種の演出のようなものだと捉えることにしたけど、これを読むことでSFM7月号は終わり、ミク特集である8月号へと移ることが出来るのです。正直、上手いやり方だと思った。というのも、神林長平の読み切りが載ることは知ってたものの、例のごとく内容までは詳しく知らなかったんですよ。SFファンで彼の名前を知らない人はいないと思うけど、知らない人のために解説すると、戦闘妖精雪風などで知られる第3世代SF作家になります。日本のフィリップ・K・ディックとも言われ、ハードもコメディも書くことの出来る大ベテラン。当然ながら、私の好きな作家の一人でもある。
書き下ろしの内容については、発売したばかりということもあって、どこまで書いていいのか悩むが……幻想的であると同時に、胡散臭いと私は思った。編集から感想を聞かれたときに、私は失礼にもそう言ってしまった。けれど、どうしたことだろうか。読めば読むほど、そうした最初の印象は薄れていき、圧倒的なSFと強いテーマ性、そして作者が持つ作家としての技術力にのめり込んでしまうのだ。先月号を読んでいるか否か、もっと言えばとある一人のSF作家を知っているかどうかで感想や印象は大きく変わるのだろうが、題材の凄まじさも含めて是非多くの人に呼んでもらいたい作品だと思う。
私はSFMを読むときは、とある理由からリーダーズ・ストーリイを最初にと決めているのだが、その次に読んだのが神林長平の読切だった。メインはあくまでミク特集なのだから、読み飛ばすか後に回しても良かったものを、最初から順当にと思ったのだろう。カラーページをざっと観て、そして書き下ろし短編を読んで……全てがひっくり返ってしまった。神林長平はこの読切を自分への決着と、若者へのメッセージであると書いている。経験上、年配者から若者に向けて送られる言葉など、大半が説教の類であって、この話もそういった部分がないわけではない。しかし、それ以上に、とある一人のSF作家への想いが滲み出ており、私が当初感じていた胡散臭さは、奇妙な納得感へと変化していた。ネタとして有りか無しと言われれば、神林長平以外がこれをやったら袋叩きもいいところだと思うが、逆に言えば彼だからこそ許される、そんな作品であることは確かなのだ。
それ故に感じる、説得力とは違う一種の納得力。内容自体はとても物静かにも関わらず、読了後に胸を打つ力強さがあった。物書きとしては少々悔しい気もするのだけど、読者としてなら、私のような、私たちのような若い世代こそが読むべき作品なのだろう。
本当は読切に付いてはあまり書かないつもりだったんだけど、気づけばいつもの日記並に書いてますね。SFM元編集長である塩の人がTwitterで言ってましたけど、今回のSFMはとにかく豪華なんですよ。だから書くことがいっぱいあるんですが、後はミクについてのみ書こうと思います。ピーター・ワッツの読切も面白かったものの、誌面のすべてを取り上げていたらきりがないのでね。神林長平について書いたのは、読み飛ばしてもらいたくないと私が思ったからで、例え虐殺器官やハーモニーを知らなくても、一読して欲しいと感じたからです。
まあ、それはともかくとしてメインであるミク特集。表紙の画像は前回も載せましたけど、KEIの描き下ろしですね。KEI自体は早川書房でイラストの仕事をやっていたこともあり、あるいはその繋がりで今回のミク特集に発展したのではないかと私は思っているのですが、掲載される雑誌が雑誌ということもあってか、いつにもましてSFチックな雰囲気が漂ってますね。他のボーカロイド、クリプトン製ならリン・レンやルカも載せるべきか否かという意見はあったらしいけど、あの子らまで出てくると企画趣旨が若干ずれてしまうからね。特にリン・レンは、SFよりもファンタジー的な楽曲が多いから、表紙をミクだけにしたというのは正解だったと思います。
カラーページはまず、初音ミクの生みの親であるクリプトンの佐々木渉インタビューが載っています。定盤ということで基本的なこと、導入的な部分しか触れられてないのだけど、モノクロページから始まる続きは、かなり詳細で読み応えのある内容になっています。勿論、私は熱心な初音ミクファンというわけじゃないから、あるいはこの佐々木氏のインタビュー内容は、以前に他誌でも話したことがあるようなものなのかも知れないけれど、初音ミクを知る、製作者を知るという意味ではかなり分かりやすいものなっている気がする。やはり、音楽ソフトなだけあって、佐々木氏の中にある音楽観などの話題も触れられてるんだけど、これもミクを知る上では非常に興味深い内容だ。
印象に残ったやりとりとして、インタビュアーがこんな質問をしている。
――例えば、「シンギュラリティ」という言葉があります。簡単にいえば、機械が人間を超える特異点を指すんですが、ミクがいずれは「楽器・ツール」を超えて「歌手」として人間には表現できない領域に踏み込むという意識はおありですか?本当はもっと長いんですが、私はここに堪らないほどのSFを感じてしまった。初音ミクというのは楽曲制作や二次創作のしやすさを優先するため、本当に基本的な設定外はなにもなく、KEIがコミックラッシュでやっていた漫画も非公式であるとクリプトンが宣言したほどだったのですが、なんていうか上記のやりとりで初音ミクという歌姫の本質を垣間見たような気がした。ミクファンにとっては常識的なことなのかも知れないけど、私にはなんか衝撃的で、掻き立てられものがあった気がする。
佐々木 人間を超えるというより、そもそも人間と違うこと、人間になりきれなかった女の子であることが重要だと思ってるんです。肉体存在という唯一無二の実態がない分、劣化コピーではなく初音ミクそのものが個々のユーザーの手元にいて、ユーザーが動かしてあげて、何とか歌える……云々。
そろそろ初音ミク特集のメイン企画であると思われる、現役SF作家3人による短編について書きましょうか? インタビューと短編の他にはエッセイなんかもあるんだけど、私はどうにもエッセイの解説というのが苦手でね。少々堅苦しい内容のものも多かったから、気軽に感想というわけにはいかなそうで。だから、とりあえずは短編のほうを書くことにします。
以前の日記でも触れたとおり、今回の初音ミク特集には3人の作家による書き下ろし短編が収録されており、それぞれがVOCALOID、というよりもミクをテーマにしている。発売したばかりなので、詳しいネタバレはさけるが、三者三様とでも言うのか、どれも作家自身の持ち味が強く出ており、なかなかに読み応えがあった。
まず、山本弘の「喪われた惑星の遺産」であるが、これは一言で言えばおバカSFという奴だ。いや、文章自体は至ってまともだし、書いている本人はさぞ真剣に書いたのだろうが、山本弘という人は実に馬鹿馬鹿しい内容を説得力のある真面目くさった文章で、さも壮大な話のように書き上げるプロなのである。彼の持論に「SFの本質はバカである」というのがあるが、金星探査機あかつきを発見した2800万年後の異星人が、異星人的見地からあかつき内に搭載された初音ミクのキャラクターに迫り、研究していくという内容は非常に読み応えがある。海外SFによくある話として、現代にやってきたタイムトラベラーが過去の文化に対する世間知らずを披露し、分からないものだらけの世界で右往左往とするというのがあり、日本で言えば現在人が江戸や戦国などの過去へ行く、などがあるだろうか? 逆に現代人が未来に行ってしまったり、それこそ江戸時代人が現代に来てしまったりと、タイムトラベルものとしては本当にメジャーなものであり、「喪われた惑星の遺産」という作品はそれに近いものがあるのだ。数千万年後の宇宙人は、遠い過去に存在した惑星人たちの文化を紐解くことに真剣であり、その真剣さが初音ミクという存在をよく知る我々には、思わず笑ってしまうような、馬鹿馬鹿しい光景に思えるのだろう。山本弘は自身のブログで、初音ミクは数百年後も残るキャラクターであると、以前この日記でも紹介した、富野由悠季や冲方丁の意見とは真逆の考えを披露していた。しかし、今回の短編は数百年どころか数千万年であり、彼の初音ミクに対する考えや、文化というものに対する想いなどが全体的なテーマとして滲み出ているのだ。そういった意味では、この短編こそ一番初音ミクという存在を全面に出していたのではないかと、私はそう思う。
泉和良の「DIVA の揺らすカーテン」は、視点という意味でなら、前述の短編以上に初音ミクを前に押し出している作品だ。しかし、私はこれが作りの甘い作品のように思えてならない。泉和良は2007年のデビューであり、年齢も35歳と比較的若目だ。彼はハヤカワで一度書いたことはあるものの、基本は講談社BOXと星海社を中心に執筆している男であり、どうにも文章や作風が雰囲気重視になっているように思えるのだ。最近の若い作家にはありがちな傾向で、まあ、流行りでもあるのだろうけど、淡々とした主人公による切々とした話の展開というのは、どうにも私の心に響きにくい。単純な趣味や好みの問題なのかも知れないが、物静かという意味では先の神林長平の読切だってそうであるのに、こちらにはあちらと違い心の奥底にある熱情のようなものがなく、どうにも淡白なのだ。
SF的な話をすると、この作品もジャンルとしては非常にシンプルでありがちだ。前述の「喪われた惑星の遺産」もそうなのだが、この2つに共通することとして、SFとしては非常に分かりやすいネタを、ミクを使って如何に表現しているか、というのがある。ジャンルやネタとしての新鮮味はないのだが、完成されているがゆえに型くずれすることがなく、どちらもまずまずな内容へと仕上がっているのである。「DIVA の揺らすカーテン」自体は、青春というよりは恋愛に傾倒した面が見て取れるが、作品の落とし所としては、まあ、こんなものだろう。長編小説の一部分を切り抜いたかのような印象をうけるのは、おそらく作者が短編を書き慣れていないせいもあるのだろうが、それ故に長編で読んでみたいと思わせる内容であったことは確かだ。まあ、現実的に考えれば難しい話なのかも知れないが、早川書房には是非とも検討していただきたいものである。
野尻抱介の「歌う潜水艦とピアピア動画」は、この短編の中で唯一のシリーズ物であり、前前作の「南極点のピアピア動画」は星雲賞の短編部門を受賞している。初音ミク、というよりはニコニコ動画をモデルにしたパロディ小説であり、先の2作品と決定的に違うのは、初音ミクそのものは登場しないことだろう。出てくるのは、小隅レイというミクをモデルにしたオリジナルのVOCALOIDであり、そういった意味ではミクや動画サイトをネタにはしているが、ミクそのものをテーマとはしてないとも言える。私はこれを機会に、本格的に初音ミクを絡ませるぐらいのことをやってのけるんじゃないかと思ったのだけれど、やはりシリーズ物ということもあってか、内容的には前作、前前作の設定を継承するしかなかったようだ。
ちなみにこの「歌う潜水艦とピアピア動画」は、初音ミク特集どころか今月号のトリを務める作品なのだけど、私にはなんとも感想が書きづらい。別にパロディ小説が嫌いな訳ではないのだが、ネタバレや元ネタ解説をしない方向で話を進めようとすると、あまりに書くことが少なく、魅力も伝えにくい。サブカルというよりは、最近のオタク向け小説と言い切ってしまったほうが適当とも言える内容は、初音ミク目当てに初めてSFMを買った若い読者にも、十分受け入れて貰うことが出来るだろう。
ところで、この野尻抱介であるが、先日ネット上で私の前に突然と姿を表した。実は今月号のSFMは、発売前から増刷と重版が決定し、Amazonがとある条件を出したことから早川書房が踏み切ったとかいう話で、そんな経緯もあってかAmazon上での売上が物凄いことになってたんですよ。趣味雑誌ランキングで1位になったかで、そうなると全てにおいて1位を取りたがるのが、昨今のオタクというかなんというかで、雑誌の総合ランキンの1位を取るみたいな運動が展開されて言ったわけです。まあ、ありがちな話ですよね。
ありがちな話だったけど、書籍という意味では珍しいこともあってか、私は最近の若いオタクはそういうの好きだねぇと、過去のハルヒやハピマテなどを思い出しながらTwitterで呟いてました。すると、突然そこに野尻抱介がやってきて、「運動の旗振りをしているのは自分だが、自分は50歳と若くもないし、ハピマテなんてものも知らないが」と非公式RTをしてきたのです。正直、50歳にもなってなにをしているんだと思わないでもなかったけど、野尻抱介の感覚としては、かつて吾妻ひでおが提唱した「SFを読むのではない、SFするのだ!」という教えを実践してのことらしい。
そう言われてみればなるほど、と思わないでもないけれど、野尻抱介本人がそういう考えのもとに動いていたとしても、それに乗っかっている若年層のオタクたちは、もっと単純に事を考えていると私は思うのだ。これもTwitterで呟いたことであるが、購入や購買によって本やCDの順位を上げることって、今のオタクにとってはある種の「祭り」なんですよね。参加条件は買うだけと簡単だし、貢献した気分も得られやすい。なにより実際に1位や1番をとったときの喜びや嬉しさが、共有しやすいんですよ。大抵がネットで行われていることだから。ブルーレイやDVDの売上を注視して、その結果で作品の価値を決めるという風潮も、今は普通にあるからね。
もっとも、私自身はそういう「祭り」を否定しているわけじゃなくて、それが好みの作品であれば乗っかることもしばしばありますから、今回のSFMに関しては良いんじゃないかと思っています。なにせSFMの増刷や重版自体、創刊史上はじめてのことですし、SFファンとしては嬉しいじゃないですか。これが最初で最後かもしれないけど、少なくとも悪い気なんてするわけがないです。
最後は話が少しずれましたけど、初心者からコアなファンまで、幅広く楽しむことの出来る初音ミク特集だったのではないでしょうか? 初心者の場合、小説誌にありがちな堅苦しさに戸惑いを覚えることもあるでしょうが、めげずにじっくりと読んでいけば、割とすんなり読めるようになるものです。山本弘はブログで、数年も前に星雲賞を取ったのだから、今回の特集は遅すぎるほどではないかと言っていたのだけど、私はそれに半分だけ同意し、もう半分で否定したいと思う。確かにミクが星雲賞の自由部門を、3年か4年前にとったのは事実だ。でも、数年前と今では事情が違うし、当時に出来なかったことが、今なら出来るということもあるだろう。
SFMの編集が、「今がベストタイミングであると信じているからこそ出来た」といった感じのことを言っていたけど、私はその通りだと思った。所謂オタク雑誌や一般誌が初音ミクを取り上げ尽くした今だからこそ、SF専門誌であるSFマガジンが初音ミクという電子の歌姫を特集することに、意味が出てくるのだ。
初音ミクはもはや一つの文化となった。そして我々は、その文化を見つめ直す、あるいは紐解くために、SFという新たな観点を必要としていたのだろう。忘れてならないのは、流行は廃れるが、文化というものは進化する可能性に満ちているということだ。かつて、富野由悠季や冲方丁が初音ミクを論じたときよりも、彼女は着実に成長し、進化している。SFMは私にそういったことを確認する機会を与えてくれたようなもので、期待以上の答えを私は得ることが出来た。だから今、私はとても満足している。
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