よく、日本の中高生がする妄想の一つに「もし、学校がテロリストに占拠されたら?」というものがあります。要は自分の通う学校にテロリストがやってきて、それを自分が格好良く撃退するといった類のものなんですが、試しにGoogleで学校+テロリストで検索をかけると出るわ出るわ、その手の話が山のように現れる。それほど日本の、特に男子学生にとってはポピュラーな妄想なんですけど、実はこれって世界的に珍しいものではなかったりします。むしろ、テロリストという非日本的な題材な時点で、海外な方が活発なぐらいです。

1991年に公開されたアメリカ映画で、「トイ・ソルジャー」という作品があります。若き日のショーン・アスティンが主演の作品ですが、この映画を一言で言うと、アメリカ版学校+テロリストといった感じです。簡単に概要を説明すると、囚人である父親の釈放を目論むテロリストのリーダーが、金持ちの子息ばっかり通う全寮制の男子校を占拠し、それに対して校内でも札付きの悪ガキグループが抵抗を開始するという話。まんま、前述した日本の厨二病的妄想であり、違いがあるとすれば守るべきヒロイン、つまり女生徒がいないことと、全寮制という日本では珍しい空間が舞台ということでしょうか? 日本の男子学生が妄想で済ませるところを、映画にしてしまう辺り、さすがアメリカはスケールが違うと思いますが、学生時代に一度は夢見る妄想だけあって、内容の方もそれなりに楽しむことが出来ます。
ただ、日本の妄想と違う部分としては、決して悪ガキたちはテロリストと殺し合いをしません。特殊能力や武器知識があるわけでもなく、あくまで敵を出し抜き、欺いて、外に展開している軍を引きこもうとするだけです。これは後述しますけど、アメリカと日本における子供という存在に対する考え方の差なんでしょうね。日本の妄想なら主人公達がテロリストから銃器を奪い、敵を殲滅するぐらいの勢いなんですが、この映画での場合、そういう流れにはなりません。もっとも、悪ガキの一人が銃を奪うシーンはあって、暴走の挙句に殺されてしまうのですが、なんとこいつがマフィアのボスの一人息子なのです。
マフィアのボスは囚人であるテロリストリーダーの父親と顔見知りで、彼を通じて息子だけを助けだそうとするのですが、元々マフィアのボスである親を嫌っていた息子は自分だけを助かるのをよしとせず、怒りのあまり暴走して射殺されてしまいます。仲間であった悪ガキたちは抵抗を諦めてしまうほどに気落ちしますが、マフィアのボスである父親は黙っていません。刑務所に手を回し、報いを受けさせるとして囚人を殺してしまうのです。

友人を失った悲しみから立ち直り、仲間と共に反撃を開始する主人公ですが、前にも書いたとおりテロリストのリーダーを撃ち殺すとか、そういう直接的な手段はとらず、実際にリーダーを射殺したのは、悪ガキたちをいつも叱っていた校長……いや、教頭先生だったかな? たまたま学校の外へ用事があってテロに巻き込まれなかったという、日本の妄想なら主人公となりうるシチェーションですが、それを生徒ではなく教師が持っているのです。いつも小馬鹿にしていた教頭が、自分の命を助けたヒーローとなった。ここから分かるように、英雄とは大人がなるものであって、子供に与えられる称号ではないのです。アメリカは英雄願望が強いことで有名ですけど、それは決して子供に当てはまるものではありません。例えば、アメリカ人が日本に抱く疑問として、何故日本のゲームやアニメは少年少女が主人公であることが多いのか? というのがあります。アメコミなんか見るとわかりますけど、中学生とか小学生のスーパーマン的存在が活躍する話って、無効じゃか限り無く皆無に近いんだよね。それはアメリカ人にとって、戦いとは大人がする行為であって、世界を子供に背負わせるという発想がないから。大人には大人の果たすべき責任というものがあり、子供にもまたそれはあるけど、差し当たって世界の宿命や命運は含まれてないんだよね。だからこそ、日本の少年少女主人公は向こうで受けにくいのです。

たまにアニメとか、特にロボットアニメを見ていて思うことなんだけど、10代で人生のすべてを決めてしまっている奴があまりに多いと思うんだよ。15~18歳に間に起こった出来事が、人生で最大級の事件だったとしても、普通ならその後6,70年の人生が残ってるわけじゃない? 10代からそんな調子で、残りの人生どうやって生きて行くんだよとか、そういうくだらない心配をしないでもないんだよね。早く咲いた花ほど、枯れるのも早いっていうし。

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