黄金が生み出す一欠片の名作
2011年6月28日 アニメ・マンガ
最近、CSのテレ朝チャンネルで再放送をやっているので観る機会が多いんですけど、私は平成ライダーの中では555が2番目に好きですかね。というか、この作品以降はディケイドまでまともにライダー見なくなったんですが、当時はハロゲンヒーターだとか散々な言われようだった気がする。バトル的な面白さでは龍騎に劣るものの、作品的な濃さでは上回るんじゃないかな。どちらも井上敏樹脚本の作品だけど、それなりの救いがあった龍騎に比べて、555はなにも残っていないという対照的なところが好きだった。登場人物の裏設定とか、人を見せるライダーだったよね。
私は頭の硬い旧人類ではないから、ライダーは昭和以外認めないとか、平成以外のライダーは化石なんていう、そういう考えとは今のところ無縁です。単純な好みから言えば、やはり世代ということもあってBLACKやRXが好きで、ディケイドに南光太郎本人が登場したときは感動した覚えがあるけど、だからといってライダーはウルトラマンと同じく、シリーズ単位で一括りにしても良いんじゃないかと思う。確かに旧来のウルトラ戦士に比べ、平成のウルトラマンは光の巨人という設定であり、同じようにライダーも表現規制から昭和の頃は当たり前だった改造人間という設定が使えなくなっているけど、そんなものは些細な違いに過ぎないよ。
長くシリーズをやっていると、これは違うとか、こんなものは何々じゃないみたい議論がなされることが特に多くて、ライダーはガンダムと同じぐらい、特にそれが顕著だと思うんですよ。ウルトラマンの場合は設定こそ違えど、やっていることは巨大化して怪獣と戦うという昔ながらのお約束を守り続けてますし、それに対する違和感など発生しようもない。けれど、ライダーやガンダムは新作が発表されるたびに見た目や設定が大きく変わり、同じシリーズでありながら地続きではないんですね。キャラクターの設定という意味では戦隊ヒーローも、その年の流行を取り入れ大きく変化をつけてきますが、やっていることはウルトラマンと同じで変りないですし、その辺の違いがファン心理に大きく影響しているんですかね。
私はシリーズものに対する深いこだわりというのが、実のところあまりない人なので、新作が出ると無条件でそれを受け入れる傾向にあります。勿論、前のほうが面白かったとか、そういう感情を抱くことはありますけど、だからといって新作を否定するほど了見が狭いとも思わない。
しかし、555に話を戻すと、ライダーってのは序盤にやろうとしたことを、後々まで引っ張ることがなかなか出来ない作品だよね。例えば、555は最初の舞台が九州で、バイクでツーリング中のヒロインが、同じくバイクで旅している主人公に出会うといった、どこかロードムービーを思わせる旅物語になっています。事実、序盤数話はそうしたバイクでの移動がメインであり、何話か経過した後に、初めて東京へと舞台が移るのです。訊いたところによると、当初はそうしたロードムービー的な作品にしたかったらしく、それが地方ロケの連続という事情から制作費を圧迫し、序盤で頓挫してしまったとのこと。
私はライダーの制作総予算は知りませんけど、前述のとおりライダーってやりたことを最初にやりまくった挙句、後は無難な作品、展開になることが非常に多くて、最近だと響鬼も同じような感じになってましたね。始終、森の中、山の中でロケをしまくった挙句、予算が底をついて路線変更を余儀なくされたとか。同じような話は初代平成ライダーのクウガにもあるけど、なにか変わったことをやろうとすると、その分だけお金がかかるという良い例ですね。まれに作品なんてのものはタダで作れると勘違いしている人がいますけど、そんな訳はありません。小説だって、ペンと原稿用紙だけあれば書けるもんじゃないのですから。まあ、今はワープロが主流なんだろうけど。
私は今やっているライダーも戦隊も観ていませんし、多分、次回作も観ることはないでしょう。私がそれらを熱心に観ていたのは遠い昔のことであり、仮面ライダー龍騎ですら9年以上前なのです。ただ、たまにCSかなにかで見返してみると、10年経とうと良い作品は色褪せないと思うんですよんね。まあ、単に日本の文明、流行、技術がここ10年であまり変化してなくて、映像の時代や古臭さを感じないからなんでしょうが……まあ、それは昭和ライダーにだって言えることか。そう考えると、丁度中間に当たるBLACKやRXは、昭和臭さや今っぽさのアンバランス具合が非常に良い感じですね。
誰かBLACK好きの人で、私と一緒に倉田てつをがオーナーやってるステーキハウスに行ってくれる人いないかな。いないか、さすがに。遠いし、高いもんね。気軽に行ける距離ではないだけに、いつも二の足を踏んでいる気がする。
私は頭の硬い旧人類ではないから、ライダーは昭和以外認めないとか、平成以外のライダーは化石なんていう、そういう考えとは今のところ無縁です。単純な好みから言えば、やはり世代ということもあってBLACKやRXが好きで、ディケイドに南光太郎本人が登場したときは感動した覚えがあるけど、だからといってライダーはウルトラマンと同じく、シリーズ単位で一括りにしても良いんじゃないかと思う。確かに旧来のウルトラ戦士に比べ、平成のウルトラマンは光の巨人という設定であり、同じようにライダーも表現規制から昭和の頃は当たり前だった改造人間という設定が使えなくなっているけど、そんなものは些細な違いに過ぎないよ。
長くシリーズをやっていると、これは違うとか、こんなものは何々じゃないみたい議論がなされることが特に多くて、ライダーはガンダムと同じぐらい、特にそれが顕著だと思うんですよ。ウルトラマンの場合は設定こそ違えど、やっていることは巨大化して怪獣と戦うという昔ながらのお約束を守り続けてますし、それに対する違和感など発生しようもない。けれど、ライダーやガンダムは新作が発表されるたびに見た目や設定が大きく変わり、同じシリーズでありながら地続きではないんですね。キャラクターの設定という意味では戦隊ヒーローも、その年の流行を取り入れ大きく変化をつけてきますが、やっていることはウルトラマンと同じで変りないですし、その辺の違いがファン心理に大きく影響しているんですかね。
私はシリーズものに対する深いこだわりというのが、実のところあまりない人なので、新作が出ると無条件でそれを受け入れる傾向にあります。勿論、前のほうが面白かったとか、そういう感情を抱くことはありますけど、だからといって新作を否定するほど了見が狭いとも思わない。
しかし、555に話を戻すと、ライダーってのは序盤にやろうとしたことを、後々まで引っ張ることがなかなか出来ない作品だよね。例えば、555は最初の舞台が九州で、バイクでツーリング中のヒロインが、同じくバイクで旅している主人公に出会うといった、どこかロードムービーを思わせる旅物語になっています。事実、序盤数話はそうしたバイクでの移動がメインであり、何話か経過した後に、初めて東京へと舞台が移るのです。訊いたところによると、当初はそうしたロードムービー的な作品にしたかったらしく、それが地方ロケの連続という事情から制作費を圧迫し、序盤で頓挫してしまったとのこと。
私はライダーの制作総予算は知りませんけど、前述のとおりライダーってやりたことを最初にやりまくった挙句、後は無難な作品、展開になることが非常に多くて、最近だと響鬼も同じような感じになってましたね。始終、森の中、山の中でロケをしまくった挙句、予算が底をついて路線変更を余儀なくされたとか。同じような話は初代平成ライダーのクウガにもあるけど、なにか変わったことをやろうとすると、その分だけお金がかかるという良い例ですね。まれに作品なんてのものはタダで作れると勘違いしている人がいますけど、そんな訳はありません。小説だって、ペンと原稿用紙だけあれば書けるもんじゃないのですから。まあ、今はワープロが主流なんだろうけど。
私は今やっているライダーも戦隊も観ていませんし、多分、次回作も観ることはないでしょう。私がそれらを熱心に観ていたのは遠い昔のことであり、仮面ライダー龍騎ですら9年以上前なのです。ただ、たまにCSかなにかで見返してみると、10年経とうと良い作品は色褪せないと思うんですよんね。まあ、単に日本の文明、流行、技術がここ10年であまり変化してなくて、映像の時代や古臭さを感じないからなんでしょうが……まあ、それは昭和ライダーにだって言えることか。そう考えると、丁度中間に当たるBLACKやRXは、昭和臭さや今っぽさのアンバランス具合が非常に良い感じですね。
誰かBLACK好きの人で、私と一緒に倉田てつをがオーナーやってるステーキハウスに行ってくれる人いないかな。いないか、さすがに。遠いし、高いもんね。気軽に行ける距離ではないだけに、いつも二の足を踏んでいる気がする。
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