お久しぶりです。実は最後の日記を更新した翌日、街を歩いていたら車と激突しまして。その加療があったので、しばらくのんびりしていました。おかげさまで右足を打撲したのと、両肘をすりむいた以外は怪我らしい怪我もなく、なんとか日常生活に復帰しております。まだ走れなかったり、階段を降りる際にきつかったりするのですが、とりあえずはまあ大丈夫になったかなと。心身ともに結構なダメージは負いましたけど、生きてさえいれば、そのうち良いこともあるでしょう。前向きにならないと、前に進むことは出来ません。

本当なら事故の詳細とか書くべきなのかも知れませんが、正直なにも覚えていないというのが現状だったりします。勿論、病院に行ったり警察に行ったりしたことは覚えてますが、事故の瞬間や直後の記憶というのは完全に消えていて、一種の記憶障害になりました。これはなにも強い衝撃でふっ飛ばされて意識を失ったとかではなく、車に跳ね飛ばされても意識は普通にあったみたいです。あったみたいのというのは、私自身がよく覚えてないからなんですけど、診察してくれた脳外科医の先生によると、「あなたの事故に関する記憶は完全に消えた。もう永久に戻ることはない」ということらしい。交通事故にはありながちなことらしいのだけど、衝撃やショックで前後及び直後の記憶が消失することは珍しくないのだという。
後遺症というほどのものではないけど、自分の記憶が完全に消滅したという事実はそれなりに衝撃的でした。だって、足は痛いけど自分が交通事故にあったという実感や認識が私の中にあまり存在しないんだもん。警察に行ったときも加害者と面合わせしたときも、どこか他人事のような気分で、気付いたら右足に酷い怪我をしていって感じなんだよね。車のフロントガラスを叩き割って、バンパーっていうんですか? あれを全壊させたと聞いたときも、「へぇ、そうなのか」という感想しか出てこなかった。
脳外科医の先生は慣れてるのか、「思い出して気分のいい記憶でもないんだし、今ある記憶を大切に生きて下さい」なんて言ってたけど、まあ、家族の記憶を失いとかよりはよっぽどマシだし、失くしたところで実害のない記憶といえば、その通りなんだけどさ。

私は物書きなんてやってますけど、交通事故と警察にご厄介にだけはならないと思っていたし、これの経験談を書くことだけは無理だろうなと思っていました。誰だって痛い思いなんでしたくないし、塀の中になんか入りたくはないでしょう。それがどうしたことか、休日診療している病院の救急外来に運ばれたり、地元のしょぼくれた所轄署に出向いたりと、人生で経験することはない、出来ればしたくないと考えていたことが自分の身に降りかかってしまいました。厨二病的な言い方をすれば、運命の歯車が狂ったとでも言うんでしょうか? あの日以来、いや、あの日以前から私はなにをやってもダメというか、空回りしていたところがあって、それが爆発したのかなぁと思っていたり。
なんでこんなことになったのか、厄年のときに厄払いしなかったからですかね? 取るに足らないことを含めても、大小様々な問題が私の周囲に渦巻いているというか、このところは本当にろくな目にあってないです。クリアビニールに入っていた雑誌を買ったら、あり得ないほど表紙と特典冊子が傷んでいたり、その雑誌を取り替えたついでに漫画を買ったら、ページがインク汚れで読めたものじゃなかったりと、なんかもう踏んだり蹴ったりで。
私は別に迷信深い男ではないですが、不幸も続けば祟や呪いを疑ってしまいます。ただ、普段から信心深いわけでもなければ、信仰に厚い人間でもない私が、今更のように厄払いにいくのもどうなのかなと思っていたり。神奈川県には川崎大師がありますから、金さえ払えば厄除けだの厄払いだのはしてくれます。なんか、このままズルズルと良くない方向に引っ張られている気がしますし、ここは一つ神頼みといったほうが良いんでしょうかね。

まあ、生きているだけで丸もうけとも言いますし、右足の打撲程度で済んだのは奇跡みたいなものです。精神的なダメージはそれなりでしたが、折角助かった命なんですから、大切にしていこうと思います。人生長いこと生きれいれば、こんなこともあるのでしょう。出来れば経験したくはありませんでしたが、してしまったものは仕方ないですし、後はそれをど受け入れて、今後生活していくかです。失った記憶のようになかったことにするのもありだろうし、なにかの形で糧にできるかも知れない。要は、気持ちの切り替え方一つですよ。

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