なんだかんだで10月も中旬になりました。1ヵ月以上日記を放置していましたが、肉体的にも精神的にも元気になってきたので再開しようと思います。まあ、交通事故にあった後も色々ありましてね。運がないと言うか、不幸が続くと言うか、些細なことも積み重なると馬鹿にできないといいますか。なにをやっても上手くいかないとはまさにこのことで、やることなすこと全部裏目に出たり空回ったりして、迷惑をかけてしまった相手にまで同情される始末です。交通事故が身体的な死を意味するなら、ここ最近は社会的な死と言うか、下手すると人生というものが終わっていた可能性もあるので、もう最悪な気分でした。

私は別に無宗教というわけではありませんが、信仰としての宗教を信じておらず、宗教学こそ学んだことはありますが、信心深い方では決してありません。困った時の神頼みぐらいはしますけど、日本人らしく宗教観念に薄いんですね。帰属意識に欠ける、とでも言うんでしょうか? 寺社仏閣に行くことはあっても、年中行事である初詣を除けば大抵は観光ですし、宗教それ自体を深く考えたことは一度もなかったと思う。
だから、そんな私がこんなときだけ神頼みとかしても良いものなんだろうかと、変な引け目みたいのを感じていたんだけど、事故の後に色々あった中でトドメみたいな事件が先月ありましてね……まさか、ドン底より下があるとは思っても見なかったから、意を決して厄払いへ出かけることにしました。神奈川県には厄除け三大師の川崎大師があるわけですが、私が行くのは多分二度目。一度目は子供の頃に初詣へ出かけたときのことで、やはり有名所だけあってかなりの人で混雑していたのを覚えています。ただ、それより印象的だったのは何故か路上でキリスト教徒が、イエスの肖像画を貼りつけた大きな十字架を掲げて、熱心に神の教えや信仰について叫んでいたことで、何故に川崎大師の直ぐ側でそんなことをしていたのかと、今でも不思議に思います。異教徒を改宗させるつもりだったのか、私にはどうも理解できなかった。まあ、川崎大師へ行ったのはそれっきりで、その後は地元で済ませたり、最近じゃ職場から近いこともあって神田明神に行ったりもしてたんですが、まさか厄払いのために訪れる日が来るとは思ってもいませんでした。

一人で出歩けないほど精神的に参っていたこともあり、当日は親に付き添ってもらったのですが、やはり観光地ということもあってそれなりの人がいたと思います。境内へと続く道にいくつもの土産物屋があるんですが、これが初詣とかだと更に出店の屋台なんかも加わって、一種のお祭り状態になるんですね。まあ、大きいところならどこも似たような感じでしょうけど、土産物屋に限って言えば、どの店舗も同じようなものというか同じ物しか売っていなかったので新鮮味がなかった。いくら名物といっても、向かい及び両隣で同じ物を売ることもないだろうに。
私がかつて川崎大師に行ったのは、それこそ10年以上前の話であり、久しぶりに訪れたその場所は、懐かしいと言うより初めましてともいうべき感覚に満ちていた。厄除け三大師であるからして厄払いは毎日行なっているのですが、意外なほど多くの人が参加しており、私他数名ってことにはならなかった。厄払い、向こうの言い方ならお護摩ですが、これは当然のことながらタダで出来るわけではありません。祈願料にはそれぞれランクがあって、5000円から始まり7000円、1万円と上がっていくのですが、大護摩特別大護摩と言われるものは2万から3万といった高額になります。なにが違うのかといえば、厄払いの後に貰える札的なものが通常より大きかったり、本殿に祭ってある仏像の傍で儀式を受けることができるなど、まあ、気分的な問題ですね。私はなにせお金がありませんから、7000円の奴を選んだんですけど、厄払い自体は付き添いも見ることができて、更には仏像への祈願ないし参拝も出来るというから、ほとんどお札代みたいなものでした。

どれほどの効果があったのかといえば、ちょっとはマシになったというぐらいでしょうか? 実は厄払いの次の日に、気分転換も兼ねて親友と旅行に行ったんですよ。遠出する気力はなかったから、近場の湘南・鎌倉にセイクリッドセブンとメモリーズオフの聖地巡礼も兼ねて。まあ、そこそこ楽しい旅で、写真とかもデジカメに沢山撮ったんだけど、その日の晩にホテルでノートPCに取り込もうとしたら、メモリーカードが故障しましてね。撮った写真が全部消えるという、まったく酷い目に合いましたよ。
他にも大小様々な不幸っぷりなんですが、この日記を書いている時点ではそれなりに安定しているので今後共に何事もないことを祈りたいです。

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