冬コミの更新を行うはずだったんですが、準備が間に合わなかったので他のことを書きます。新刊情報はもう一日だけお待ち下さい。まあ、単純に画像の準備が出来てないだけなんですが、それ以外にもグッズのこととか色々ありましてね。詳しくは明日書きますけど、今回もそれなりに出しものがあったりするんですよ。まあ、それはいいとしてなんか違う話を書かないと行けないわけだけど……さて、なにが良いかな。このところ、原稿しかしてなかったから特にネタがないのですが、そうだ、あれにしよう。

先日、私はとある集まりに出かけて、某ラノベ作家とかに混じって若い世代の原稿を読むという作業をしていました。私は別にプロ作家じゃないけど、立場上は所謂先輩に当たるので、このところはもっぱら人の原稿を読む方が多いですね。まあ、最近の若い子なんてのは誰も彼もがラノベ作家志望ですから、ラノベ専攻ではない私が読んでも、と思われるかも知れないけど、小説として成立しているかを見るにあたっては、別にラノベであろうと文芸であろうと違いはありませんからね。そりゃ、ラノベにはラノベのルールなりテンプレートがあるわけですけど、結局小説という読み物であることには変わりないですから、そこが上手く出来ているかどうかの判断自体は出来るというわけです。近頃は、こんなの俺でも書けると言った感じにラノベの文章を軽視する傾向にありますけど、現実問題として文章書けないことには小説家にはなれませんからね。アイデア勝負なんて聞こえのいい言葉もありますけど、それだけで作品が出来れば苦労しないのですよ。
ただまあ、ネットでこんなの俺でも書けるとか、投稿サイトにちょっと文章載せて見ましたなんてのと違って、私のもとに回ってくるような原稿は、曲がりなりにも小説家志望の書いたものですから、文章レベルとしてはそこそこのものです。基本は出来てますし、その話においてなにをしなければいけないのか、その最低限はカバーできている。じゃあ、後はなにが足りないのか? どこがダメなのか? これを書き手本人が自分で理解するってのは、なかなかに難しいことでね。だから、私だったりプロだったりが引っ張り出されて、あれやこれやと適当な……もとい意見をしてあげねば行けないのです。

単純な話、自分の書いた原稿が文庫本ないし、単行本として売られている姿を想像できるかどうかで、自分の書いた原稿のレベルというのは知ることができます。まあ、余程のナルシストか、全身全霊を込めた自信作とかでもない限り、素人が容易に想像できるものではないかと思いますが、逆に言えばプロとして作品を世に出すというのは、そういうことなんですよ。自分でこれが売り物として出るとは思えないと実感してしまうようでは、まず賞なんて取れないわけでね。稀になんかの間違いみたいな作品が世に出ていることもありますけど、誰もがそんな間違いを目指しているわけではありませんからね。いっそ間違いでも構わない、という心理は理解できるけど。
でも、私やラノベ作家なんてのはあくまで書く側の人間だから、まだしも落ち着いたと言うか、お手柔らかな論調で作品を読むわけだけど、これが現役の編集とかだと本当に酷いね。私達が言いたくても言えないようなことを平気で言ってしまうというか、夢見がちな作家志望を前に「これを面白いと思っているようじゃダメだよね」と作品を切って捨てるのはどうなんだろう。ぶっちゃけ私も、そう思った作品がいくつかあったけど、それを言っちゃお終いではないか。まあ、一人ぐらいそういう立場の人間が居ても良いとは思うけどさ。なんていうか、夢のない話だ。大手ラノベレーベルの編集だけに、ダメージも大きかっただろうに。
私が読んだ作品に関しては、色々と思うところがあるので現在考えを保留にしています。正直、私好みの作品ではなかったけど、それだけに勉強になったといいますか、エンターテイメントに生きる人間としては、ああいう話もありなのかとか、考えさせられてしまった。面白いか面白く無いかで判断するのなら、もっと簡単で分かりきったことなんでしょうけどね。

ちなみに同席していたラノベ作家が、とある原稿を読んで「30ページも読んでるのに美少女が出てこねぇ!」と憤慨していたのが印象的だった。これはハッキリ言うと怒って当然というか、ラノベってのは美少女合っての世界なんですよ。表紙に女の子がいない作品は売っちゃいけないとまで言われてますし、どんな作品でも最初の1ページないし5ページ以内に美少女が出てくるものなんです。あの、灼眼のシャナでさえ悠二とシャナは1~2ページで出会っているじゃないですか。ラノベは美少女、この絶対条件だけは忘れないようにしましょう。

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