茶飲み話は取り留めのない
2012年2月1日 アニメ・マンガ先日、悲恋堂の風呂場のリフォームに立ち会って来ました。あそこは木造家屋で割とボロい、もとい古いからあちこち傷んでいるんだけど、最近になって水周りのそれが顕著になってきたから、私が半分ほど出して改修することに。店主は業者とはいえ、余所者を家の中に入れることを最期まで拒んでたけど、費用の幾らかを私が持つと言ったら、渋々折れました。現金な奴と言うよりは、けち臭い私がそこまでするということに、事の深刻さを悟ったというところでしょうか。
まあ、立ち会うといってもずっと作業を眺めているわけもいかないし、そんなことをしていても邪魔になるだけだから、私自身は店主と居間で茶を啜っていたのだけど、茶菓子のとおりもん食べながら風呂に関連して、こんな話になった。
「子供の頃に風呂とか入っていると、よく『100数えてから上がりなさい』みたいなことを言われるじゃない」
「まあ、十分の一という場合もありますけど、大抵それぐらいですね」
「私は基本的にカラスの行水、長風呂が嫌いな人間だったから、100秒って物凄く長く感じたのよ。なんでそんなに数えなきゃいけないんだ、50ぐらいでいいじゃないかって」
「好みはあると思いますけど、まあ、嫌いな人には辛いでしょうね。100秒も数えるのは」
「でも、この間風呂に入っているとき、ふと思ったのよ。未だに100秒は長く感じるけど、これが2分ならどうだろうと?」
「2分?」
「店主よ、君にとって2分間とは長いかな? それとも短いかな?」
「……感覚的に言えば、短いですね。2分じゃカップ麺も出来ません」
「私もそう思う。2分というのはとても短い。カップ麺も作れないし、ちょっと時計から目を離せば、すぐに過ぎる時間だ。けど、これを秒数に直すとどうだろうか?」
「2分間は120秒ですね。当たり前の話ですが」
「その通りだ。しかし、我々が短いと感じている2分間は、長いと感じている100秒よりも秒数的には多いんだ」
「確かに。何故か100秒間の方が2分間よりも長い印象を受けますね。そんなはずはないのに」
「数字としての桁が違うからだろうか? と、最初は考えた。でも、20分間と100秒なら、どうしたって20分の方が長いということを、私は感覚でも事実でも知っている。つまり、桁の問題ではない」
「けれど、2分間が100秒よりも時間的に長い事実を知っているのに、それを実感的に認識することができないと?」
「なんでだろうねぇ? 3分間と180秒なら、3分の方が長いような気がするのに」
「300秒と5分間は、互角とか?」
「互角……いいね、響きがいい」
要は感覚の問題でしかないのだろうけど、我々にとっては100秒の長大さと、2分の短小さが同時に存在し、どちらが時間的に長短であるのかという事実を知っているにもかかわらず、受け入れられないでいるということ。特にオチがあるわけでもないのだけど、言い回し次第で感覚というのはいかようにも変わるのだなと私は思った。
「つまり、これからは100秒と思わずに1分40秒浸かってから出ると考えればいいんじゃないですか?」
「それは大分気が楽になるね」
そんな意味があるのかも分からない話を、いつものように延々としていたら、おかげさまで改修工事は終わったのだけど、安いプランにしたので見違えるほど華やかになった、という程でもないですね。業者には後日振込を行うとして、店主はそのまま風呂にはいるというので私は茶菓子をくすねつつ帰りました。まあ、店主は世捨て人ですけど、私と同年代という時点で、余生にも結構な余裕があるのだから、家と共に朽ちていくなんていう考えはやめて欲しいものです。私はきっと、それが嫌だったんだろうな。傷みきった風呂に我慢ならなかったというのも、あるのだろうけど。
まあ、立ち会うといってもずっと作業を眺めているわけもいかないし、そんなことをしていても邪魔になるだけだから、私自身は店主と居間で茶を啜っていたのだけど、茶菓子のとおりもん食べながら風呂に関連して、こんな話になった。
「子供の頃に風呂とか入っていると、よく『100数えてから上がりなさい』みたいなことを言われるじゃない」
「まあ、十分の一という場合もありますけど、大抵それぐらいですね」
「私は基本的にカラスの行水、長風呂が嫌いな人間だったから、100秒って物凄く長く感じたのよ。なんでそんなに数えなきゃいけないんだ、50ぐらいでいいじゃないかって」
「好みはあると思いますけど、まあ、嫌いな人には辛いでしょうね。100秒も数えるのは」
「でも、この間風呂に入っているとき、ふと思ったのよ。未だに100秒は長く感じるけど、これが2分ならどうだろうと?」
「2分?」
「店主よ、君にとって2分間とは長いかな? それとも短いかな?」
「……感覚的に言えば、短いですね。2分じゃカップ麺も出来ません」
「私もそう思う。2分というのはとても短い。カップ麺も作れないし、ちょっと時計から目を離せば、すぐに過ぎる時間だ。けど、これを秒数に直すとどうだろうか?」
「2分間は120秒ですね。当たり前の話ですが」
「その通りだ。しかし、我々が短いと感じている2分間は、長いと感じている100秒よりも秒数的には多いんだ」
「確かに。何故か100秒間の方が2分間よりも長い印象を受けますね。そんなはずはないのに」
「数字としての桁が違うからだろうか? と、最初は考えた。でも、20分間と100秒なら、どうしたって20分の方が長いということを、私は感覚でも事実でも知っている。つまり、桁の問題ではない」
「けれど、2分間が100秒よりも時間的に長い事実を知っているのに、それを実感的に認識することができないと?」
「なんでだろうねぇ? 3分間と180秒なら、3分の方が長いような気がするのに」
「300秒と5分間は、互角とか?」
「互角……いいね、響きがいい」
要は感覚の問題でしかないのだろうけど、我々にとっては100秒の長大さと、2分の短小さが同時に存在し、どちらが時間的に長短であるのかという事実を知っているにもかかわらず、受け入れられないでいるということ。特にオチがあるわけでもないのだけど、言い回し次第で感覚というのはいかようにも変わるのだなと私は思った。
「つまり、これからは100秒と思わずに1分40秒浸かってから出ると考えればいいんじゃないですか?」
「それは大分気が楽になるね」
そんな意味があるのかも分からない話を、いつものように延々としていたら、おかげさまで改修工事は終わったのだけど、安いプランにしたので見違えるほど華やかになった、という程でもないですね。業者には後日振込を行うとして、店主はそのまま風呂にはいるというので私は茶菓子をくすねつつ帰りました。まあ、店主は世捨て人ですけど、私と同年代という時点で、余生にも結構な余裕があるのだから、家と共に朽ちていくなんていう考えはやめて欲しいものです。私はきっと、それが嫌だったんだろうな。傷みきった風呂に我慢ならなかったというのも、あるのだろうけど。
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