閏年で思い出すのは、進研ゼミの漫画。私も若かりし頃は進研ゼミのダイレクトメールがよく届いていて、付録の漫画を読むのが楽しみだったんだけど、十何年か前の閏年に届いた奴は特に印象深いものだった。確か、ヒロインの名前がそのまま「うるう」であり、実際はなにかしらの漢字表記だったと思うが、主人公の通う学校のクラスにやってきた転校生という感じだったかな。今はどうだか知らないけど、当時の進研ゼミ漫画の主人公はスポーツ系の部活に熱中するあまり勉強が疎かに、というパターンが多くて、その漫画の主人公も例に漏れず、確かバスケ部に所属していたような気がする。で、ヒロインは女バスに入ったんだったかな。

漫画の内容自体はもう薄ぼんやりとしか覚えてないんだけど、あの頃としては珍しいことに前後編の2冊が封入されていたのが強く記憶に残ってる。ダイレクトメール自体も、今回は2冊も漫画があってラッキーとかお得とか、そんな論調で申込を諭していたような気がするし、私もそれに惹かれた部分はあったんだと思う。まあ、だからといって申し込んだのかと言われると、そんなことは全然ないんだけど、最近ネットとかでよく進研ゼミの話題を目にするもんで、少し懐かしくなってね。
今は漫画冊子が2冊付くことは当たり前みたいになってるそうなんだけど、私が読んだ前後編とは違い、進研ゼミをやった人と、やらなかった人を別々に描くことで、比較のようなものをしているらしい。進研ゼミの漫画といえば、前述のように部活動に打ち込む主人公が進研ゼミをやることで勉強でも活躍しだし、テストでいい点を取ることで部活も勉強も、そして恋もすべて上手く行くなんて言うお約束の展開になるわけだけど、このところは実際に進研ゼミをやらなかった人の末路として、勉強も恋も何一つ上手くいかないバッドエンドを描いているそうで。
まあ、実際に進研ゼミをやることですべてが上手くいくなんて、そんなことは全然ないし、結局は本人の努力次第なんだけど、わざわざ明るい話と暗い話を同時に収録するのは、なんか分かるような気がするんだよね。あの漫画は確か、小学生の中高学年から、中学生ぐらいまで届いていたはずだけど、私なんかが現役の学生だった頃に比べると、やはり子供の感性が変わってきていると思うから。

最近の子供が殊更暗い話が好きってわけでもないんだろうけど、若者向けのエンターテインメント小説や、漫画雑誌にしても、エヴァ以降は何かと暗い内向的な主人公が増えてきたといいますし、新本格派ミステリーや、西尾維新に代表される講談社ノベルスの作家勢が台頭してきたことにより、バッドエンドや明るさのない話というのが、若い読者層に自然と受け入れられるようになったんだと思う。救いがない、希望もない、後味は悪いけど面白いといった感じに、昔のように夢や情熱に溢れたものに対する共感よりも、どこが内側の、青少年の内面を書いたような作品への同調意識が強くなったんでしょう。
勿論、読者が後ろ暗い小説を読んで、自分もこうなりたいなんて思うことはあり得ないと思うけど、バッドエンドだからイコールでつまらないということにはならないんですね。昨今話題の進研ゼミ漫画にしても、内容の荒唐無稽さはともかくとして、嫌悪を持って迎えられたということはないそうですし、一つの手法といてはありなんじゃないかな。商法として正しいのかは知りませんけど、これさえやればすべて上手く行くよりも、これをやらなきゃこうなるかも知れないの方が、却って自然に受け止められやすいのかも。前者は言ってしまえば、新聞の休日版広告に入っている開運グッズとか、金運上がるブレスレットと同じような謳い文句ですから、こうなりたいよりも、こうはなりたいくないという姿を描くことで、今の若者の支持を得られるのかも知れない。だって、誰もがリア充になりたいわけではないのだから。

私が昔読んだ2冊組の漫画は、最終的に主人公とヒロインは両思いになるんだけど、ヒロインが親の仕事の都合だかでまた転校してしまい、意外なことに結ばれることなく終わってしまいます。しかし、バッドエンドというわけではなく、転校先の学校でバスケを続けている旨を綴った手紙が送られてきて、主人公は進研ゼミに載っていた閏年についての記述を見て彼女のことを思い出し、いつかまた会えるみたいな、希望を抱くラストだったと思う。進研ゼミの漫画にしてはストーリーがしっかりしていて、これだけは未だに頭の片隅に残っている、忘れられない話でした。バッドエンドを否定するわけじゃないけど、やっぱり物語というのは、どんな形であれ明るいラストの方が良いよ。私はそういうのが好きです。

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