私はあまりドラマを観る方ではないのだけど、最近放送しているSMAPの草なぎ剛主演の医者モノはなんとなく毎週観ています。偏見丸出しなことを書きますが、このところの医者モノ、あるいは医療モノというのは、やれ難しい手術を何時間で終えたとか、高度医療機関がどうとか、なにかと技術を売り物にする作品が多いですよね。一分一秒が左右した緊迫感とか、リアルな手術描写とか、まあ、そういうのが受けるのも分からなくはないですよ。海外でも、医療ドラマには一定以上の需要がありますし。

しかし、今放送している草なぎ剛主演のドラマはタイトルに純情と入っているだけあって、難しい手術がどうとか、凄い医療チームがなんていう、昨今の作品とは一線を画すものがあります。手術シーンが全くないというわけではありませんが、基本的に主人公の脱サラ研修医と、入院患者の触れ合いにのみ焦点が置かれている。患者は当然、病を患って入院しているわけですから、誰しも明るいわけじゃないし、例え治る病気で合っても、それぞれの事情から複雑な境遇に身を置いている人もいます。そして、不治の病に侵されている人も。
私は結構、人情モノが好きな方で、ドラマの場合は人間ドラマを好んでみる傾向にあります。前述の技術を売りにした作品がつまらないと言うつもりはないけど、私はそういう緊迫感よりも、ゆったりとして、そしてどこか切なさのある人と人の触れ合いが好きでね。医者モノですから、今日話している患者さんは明日の朝にはどうなっているか分からない。でも、だからこそ得られる関係性というものはあるわけで。
「必ず助けます」といって、難しい治療や手術を行い、それを達成することに意味が無いとは言いません。現に、私の親なんかはそういった昨今流行りの医療ドラマを好んでみてますし、再放送を録画するぐらいです。現代医療や医師に対する絶対的な安心感が欲しいのかは知りませんが、まあ、とにかく嬉しそうに見ている。私は所謂臓物が大嫌いなので、手術シーンとかチラ見しただけでも吐き気を催すのだけど、親は好きなのか医療ドキュメンタリーでさえ、「私は平気だから」などといって、食事時に付けていたりするんだよね。

純情や人情話が、必ずしも今の時代に受けるものでないというのを私は知っています。リアリティを追求した医療ドラマの方が人気はあるのだろうし、上記のように再放送も行われるぐらいには需要があるのでしょう。でも、私はあの手の作品にあるどことない冷たさが好きじゃなくてね。ファンに言わせれば、冷たいように見えて温かみがあるのが云々といってますけど、そんなツンデレよりは、最初から親身になってくれた方が嬉しいじゃないですか。難しい手術や、困難な治療を行うだけが医者じゃないとは、今やっている純情ドラマでも言っていたようなことですけど、私はまさにその通りだと思うのよ。技術は確かに大事だし、医者の使命が患者の病気を治すことなのは当たり前だ。
でも、それだけなのか? それだけで済ませていいのかということを、この純情ドラマは訴えているのだ。既に作中では不治の病に侵された患者が二人出てきて、一人は死に、もう一人も死に近いところへいる。医療ドラマのように天才医師が、奇跡のような神業で治してくれたりはしないし、そこに必ず助かる命というものは存在しない。別にそれこそがリアルだとか、人が死ぬからいいなんて言うわけじゃないのだけど、なんだろうね、それでしか伝わらないものも、やっぱりあると思うんだよ。特に今は医者が昔ほど信用されない時代だし、付き合いの長い主治医とかならまだしも、最近は医者と患者の信頼関係なんて重視されないからね。ドラマでさえ、ぶっきら棒な医者が時折見せる優しさで患者の心をつかむとか、そもそも医者側を一癖も二癖もある人間に書きすぎているように思う。

人は一人で生きられないというけど、人は死ぬときは一人だとも言います。どちらも正しいことではあるし、間違っているとはいえません。ただ、生きるにせよ死ぬにせよ、その人が納得や満足はしないくても、それを受け入れられるようにしてやるのも、お医者様の仕事だと私は思ってます。誰だって死ぬのは嫌だし、納得や理解を示すのは無理でしょう。でも、そんな自分に対して周囲の人がどれだけのことをしてくれたか、あるいはしてくれているのかを知ったとき、人はそうした自分の運命を受け入れられるんじゃないでしょうか? そして医者というのは、ある意味、家族以上に患者と接する機械の多い存在です。
人情とは苦楽です。甘いも苦いもあります。泣いたり笑ったり、単純ではないが故にドラマが生まれる。けれど、私は思うのです。こんな時代だからこそ、人と人は互いに真摯な眼差しを持って、向きあうべきなんじゃないかと。私はさ、誰かに優しい人でありたいんだよ。力はないし、学もないけど、その気持ちだけは忘れたくない。

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