最近、海外のファンタジー小説が元気ないんじゃないかという話をしたのだけど、映画はともかくとして、小説だと真面目にそういう風潮になってきてますよね。あの、魔法の国ザンスシリーズでさえも打ち切られたぐらいですし、ファンタジー冬の時代といっても差し支えはないんじゃないでしょうか。決して、面白い作品が無くなったわけではないと思うのだけど、なんて言うのか、現代日本人の感性と往年の海外ファンタジーが合わなくなっているのではないかと、そんなことを考えていたりします。

ファンタジー小説と言われて一般的に思い浮かぶのは、やはり中世ヨーロッパ風の世界観に、剣と魔法、ドラゴンや魔王なんかが登場する、俗に「Sword and Sorcery」と呼ばれているものかと思います。トールキンの指輪物語から始まる、近大ファンタジーの形態ですが、日本においてもこれらは非常にヒットしました。過去の早川書房などを見れば、先に上げたザンスもそうですが、多種多様な作品が出版されて私もいくつか好きなシリーズ、昔読んでいた物語などがあります。近年はハリポッターやデルトラクエスト、それに乱発されたファンタジー映画の影響からか、ファンタジーとはどこか子供向け、児童書がほとんどであるという見方が強いように感じますが、本来は老若男女楽しめる、どちらかと言えば大人向けの作品も多かったように思います。
例えば、私が好きな作品に「ランドオーヴァーシリーズ」というのがありますけど、これの主人公は妻を亡くしたばかりの中年弁護士で、デパートのカタログで見つけた「魔法の王国売ります!」という記事を冗談かアトラクションの類だと思い、実際に申し込んだら本当に魔法の王国の王になる権利を与えられ……という話で、ハリポタなんかと違って少年が主人公というわけではありません。ランドオーヴァーシリーズは、荒廃した魔法の王国を、新国王が意外なほど優れた手腕で立て直し、その裏に隠された様々な思惑や謎に迫っていくという物語なんですが、これがまた面白い。どれだけ面白いかを語るには、今回の趣旨から外れてしまうので控えますが、一度は読んで見ることをオススします。

それでまあ、上記のようにファンタジーというのは海外はともかく、日本の場合かつて栄えていた小説のジャンルという認識が強く、今はわずかに児童向けが残っている程度にまで落ち込んでしまいました。勿論、そこには現代人があまり読書をしなくなったからとか、様々な理由が複合しているに違いないのですが、私は一つ、仮説ではないけど、こんな風に思うことがある。ファンタジーは架空、または過去の世界が舞台をすることが多いけど、そのモデルは大体が中世ヨーロッパであり、前述したように剣と魔法の世界です。
つまり、読者たる日本人にとっては架空であると同時に外国でもあり、海外の話ということになります。よく、海外のゲーマーが日本のゲーム作品、特にRPGへ寄せる疑問として、「何故、西洋風の世界観に、欧米人のような青少年たちが主人公なのか?」というのがあります。ドラクエでもFFでも良いですが、言われてみればそれらの作品に日本風の主人公や、例えば漢字で表記されるような日本人のキャラクターは、ほぼ出て来ませんよね。これは要するに中世風の世界観において、日本人の登場人物は雰囲気を崩してしまうからなんでしょうが、もっと言うと、日本人が出ることによって、途端に現実感が出てきてしまうからなんだと思います。外国であり、欧米風の日本人と異なるキャラだからこそ、プレイヤーは剣や魔法を許容できるのであって、日本人だと逆にあり得ないという気持ちが強くなってしまう。だから、キャラクターも西洋のそれに偏るのでしょうね。
ファンタジー小説が落ち込んだ要因の一つに、私は日本人の中にある外国観の変化があると思います。二十年ぐらいならいざ知れず、この情報化社会、国内にいても海外の様子や、姿形を見ることは容易であり、田舎町ならともかく、今やどの国も都市部や高層ビル社会であることを我々は知っています。故にかつて流行った剣と魔法、のどかな田園風景が過去のものであり、古臭いことを意識してしまい、なかなか積極的に読むことがなくなってしまったのだと思う。

時代や時世の違いといえばそれまでだけど、こういうことって結構あると思うのよ。例えばハリウッド映画とかでビルとかが大爆発したり、警察や軍隊がドンパチやってるのを見て、我々日本人は「まあ、アメリカだし」と受け入れることが出来るけど、当のアメリカ人からすれば「こんなことあるわけ無いだろ」とウンザリしているのかもしれない。それは我々が、未だに武士や忍者がいると思い込んでいる外国人に感じるのと同じものだけど、これにしたところで、段々と消えて行くことなんでしょうね。近い将来、ファンタジーというものがどうなっているのか、大いに興味深い話です。

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