この前、映画「レオン」の話題で少し盛り上がりました。ジャン・レノが主演した、リュック・ベンソン監督の掃除屋シリーズの傑作ですが、私にとってはちょっと特別な意味がある作品でね。即ち、男女の「年齢差カップリング」の原点の一つなんですよ。所謂、おじさん×幼女or少女という奴だけど、私はこの手のカップリングが大好きで、大抵結ばれずに終わるところとかにいつも心を響かせています。要するに悲恋の物語なわけですが、だからこそ美しいってものはあると思うんですよ。

レオンという作品は、ジャン・レノ演じるレオンが、マフィアの抗争で家族を惨殺されたナタリー・ポートマン演じる隣家の少女、マチルダを匿い、彼女の訴えに応じて自身が持つ掃除の技術、つまり殺し屋の仕事を教える話です。年の離れた男性が、少女を裏の世界に連れて行ってくれる。まあ、よくある物語のパターンだけど、レオンはその中でも傑作中の傑作だと思う。仕事以外にすることもなく、観葉植物だけが友達だという孤独で不器用なレオンと、両親というより幼い弟の復讐に燃えつつも、レオンと不思議な交流を続けるマチルダ。やがてそれは、本人達にも理解しづらい複雑な感情へ、奇妙な信頼と安らぎに変わるのだけど、結局この二人が結ばれることはありません。
結末は映画を観て確認してくれという感じですが、私はとにかくこういう年齢差のあるカップリングが好きなんですよ。レオン自身、色々な作品に影響を与えており、明言されているところではスクライドのカズマとかなみは、レオンをモチーフにしているとムックに書いてありますね。別にカズマはかなみを殺し屋に育てているわけじゃありませんが、代わりに自分が自堕落に見せることによって、一人でもやっていけるよう生活力を付けさせているわけですから、確かに近しいものがあると思う。しかも、二人の間にあるのはぶっちゃけとまで断言されましたから。けど、そんなラブラブ両思いな二人でさえ、TV版本編では結ばれたとは言い難いラストを迎えるわけだけど、やっぱり年齢差のあるカップリングというのは、それだけで成立させるのが難しい、あるいは成立しないことを前提としているのだろうか。うさぎドロップは例外としても、あれはそもそも後ろ向き、負の感情による出会いじゃないからなぁ。

私が最も好きな年齢差カップリングの一つに、神魂合体ゴーダンナーの剣×ルウがあります。この二人もまた真っ当な出会いや関係性をしているわけではなく、ルウは擬態獣によって唯一の肉親だった父親を殺され、剣は愛する人を機体ごと擬態獣に奪われていた。復讐に燃えるルウを主人公達は制止し、なるべくロボットに近づけないようにするのだけど、ルウはあるとき偶然出会った剣に、操縦技術を学びたいと願い出た。剣もまた、復讐に燃えるお尋ね者のロボット乗りだったから。
ルウがパイロットとして強くなりたい理由に、ある種の共感を覚えた剣は彼女にロボットの動かし方から戦う術まで教え、短期間に可能な限り鍛え上げてしまう。結果、パイロットとして急成長したルウは擬態獣とも戦えるようになり、父親の死後、自分を家族として扱ってくれていた主人公たちの下から離れることを決意する。ルウは、剣に着いていくことを選んだのだ。
剣とルウはアニメ本編でそれほど出番が多いわけじゃないので、関係性や内面がはっきりしない部分も多いのだけど、小説版の記述を借りるなら、ルウにとって剣とは自分の居場所であり、最終的に父親を超える存在になります。ルウは初めて剣にあったとき父親の姿を重ねてしまったわけですが、最終的に全く違う存在になるんだよね。それは彼女が父親との思い出の証であるロボット、コスモダイバーから、剣の愛した女性が乗っていたロボット、セレブレイダーに乗り換えたことからも分かります。今は亡き父親に謝りつつも、既に自分が剣を好きに、もっと言えば愛していることを自覚しながら。

剣とルウの物語もまた、本編、小説、ゲームと、すべてにおいて悲恋かそれに近い形で終わります。可能性があるのはスパロボぐらいでしょうけど、そっちは詳しくないので分かりません。もはや、形式的とも言えるパターンのカップリングだけど、なんて言うか様式美だよね。なまじ、凡庸な恋愛や結婚観を当てはめることが出来ないが故に、ほんの些細な幸せを噛み締めることが出来るというか。私が好んで書いているトビたまとかも、それほど年齢が離れているわけではないですが、おそらく同じ系譜なのだと思う。ただ、トビたまはある程度の未来像が見えると思うのよね。あれは何だかんだで現実の話だし、トビーがやばい仕事に手を染めていると言ったところで、別に裏社会の殺し屋をしているわけでもない。そういった意味では、現実的な感覚でその後や行く末を考えることが出来る。結婚という価値観が、二人が思う幸せの中にあるかは別として。
あぁ、どこかに良い年齢差カップリングはいないかな。

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