検索等で来られた方は、先に感想その1&その2をお読み下さい。
その1→URL:http://mlwhlw.diarynote.jp/201404230057509989/
その2→URL:http://mlwhlw.diarynote.jp/201404230121171653/

本日、神のみぞ知るセカイが完結し、連載終了となったわけですが、早くも作者である若木民喜先生のブログが更新されましたね。
単行本作業が忙しいようなので簡潔な内容でしたが、所謂積み残しについては、また単行本が発売された時期にブログにポツリポツリと書かれていくそうです。
私が今回の更新で着目したというか、目を引いたのは、若木先生が前回と今回の話を主人公桂木桂馬のために作ったと書かれていたところです。長年主人公を務めてきた彼に対する、一つのお礼であると。

一つ前の感想2で、私は桂馬のやや物足りない対応は作者なりの意趣返しだったのでは? と書きました。しかし、若木先生自身はお礼を言いたいと書かれているわけですから、それは違うことになりますね。
ただ、私は前回と今回……最終回ですが、それが桂馬のために書かれているというのはよく分かっているつもりです。天理とディアナが幕引きをしたとはいえ、作中で完全に物語を終えることが出来たのは彼だけですし、もっと言えば幸せな結末を迎えることが出来たのは彼と、後はエルシィぐらいなものでしょう。
たとえば前回は基本的に桂馬の視点で物語が書かれていますし、まあ、エルシィのエンディング云々はありましたが、やはり、桂馬のベストエンディングと比較すれば、あくまで前座みたいなものです。エルシィが桂馬にとってのエンディングなら、エルシィが妹に、家族になってよかったね、で話が終わるわけですからね。なので、エルシィは桂馬的に自分の目指したベストエンディングの、謂わばおまけみたいなものです。彼自身、エルシィが本当の妹になったことは予期していませんでしたし。
更に言えば、桂木えりとなったエルシィが桂馬に発したこの言葉。

「にーさまは、どうしますか?」

何気ない質問ですが、これはギャルゲでいう所の選択肢出現シーンみたいなものです。
つまり、桂馬がエルシィからこの質問を投げかけられたとき、彼の目の前には選択肢があった。

A.ちひろの家に行く
B.ちひろの家には行かない


あるいはもっと直接的に、ちひろに告白するか否か、だったかもしれません。
現にちひろの家の前で待つ桂馬のゲーム画面には、YESNOか、ただそれだけの選択肢が映っていましたからね。そしてそれは、桂馬が自分自身の物語を完結させるための選択肢でもあった。

そう考えると、作品を締めくくったのは確かに天理とディアナですが、最終回そのものが彼女たちのために用意されていたわけではありません。だって、天理は泣いて終わっているわけですし、他の宿主にしたって未来は見通すことが出来ても、幸せは掴んでいませんからね。やはり、桂馬のためにあった最終回と考えるのが自然でしょう。
私自身の感想もそうですが、最終回の桂馬は読者目線から言えば、「それってどうなの?」という部分が多々あります。やはり桂馬には天理や宿主と向き合って欲しかったし、その点に関しては今も変わりません。ただ、外部の反響を意識せずに読むと、桂馬の迎えたエンディングはそれなりにスッキリとしています。自分に課せられた使命を果たし、契約を解除し、好きな人とほぼ結ばれたわけですからね。これ以上のハッピーエンドは、まずあり得ないと言っていい。桂馬は最後の最後に自分の幸せと恋を追求し、それを勝ち得たのですから、意趣返しというよりは親心と言った方が、しっくり来るのかもしれません。
しかし、そのための犠牲になったものもある。犠牲という表現が必ずしも正しいか分からないので、ここは作者に習って積み残しと書いてみますが、とりあえず桂馬の話を終わらせたことを優先したため、最終回では描ききれなかった箇所が結構あるという訳です。勿論、それが宿主や天理とのあれこれとは限りませんし、単純に未回収の伏線を指しているのかもしれません。作者自身もブログに書いてますが、たとえば過去篇の最初で桂馬とちび桂馬が出会ってるシーンは、その後は描かれませんでしたね。感傷的な表情を桂馬がしてましたけど、あれは結局なんだったのでしょう。
それに、昨日の考察で推論立てたディアナの翼。あれだって、本当のところはもっと違う理由で出現したのかもしれません。女神たちの現在だって想像することは出来ても、それが真実に結びつくとは限りませんからね。

こうした積み残しが単行本の加筆で補足されるとは限りません。単行本が出た頃にポツポツと語っていくということは、加筆10Pでは書ききれない可能性があります。少し前のブログをみても、単行本の加筆は最終回のボリュームアップも兼ねているようですし。
前回、ハクアのバディある雪枝さんが、「天気もいいから出かけてこい」みたいなことをハクアとノーラの二人に言ってましたし、散歩にでも出かけたら桂馬かえりにバッタリ、なんてイベントが待っているかもしれません。そういえば、ハクアはこれから新地獄の再建に乗り出すのだと思いますが、いつまで雪枝さんちにいるんですかね? 雪枝さんは実の娘みたいに可愛がってくれてますし、それこそ自分の家から嫁に出すぐらいのことは考えてそうですが、しばらくは新地獄と地上の往復を続けるのだろうか?
まあ、それはいいとしても、他に加筆で描かれそうなこととして、最終回もしくはその付近に登場していないキャラが出てくるかもしれません。何気に生死不明の白鳥じいさんとか、後はリューネなんかもそうですね。ほとんど人間らしいドクロウの傷が治りかけということは、純悪魔であるリューネは今頃完治しているかもしれないわけで、あれで死んだとは考えにくいものがあります。サテュロスが一網打尽にならなかったことを考えると、リューネはリューネで再起を図っているのかもしれません。
過去篇で登場したうららや香織の10年後、それに、登場することなく終わったかつての攻略ヒロインたち。作品を締めくくる上では顔見せぐらいして欲しい面々もいることですし、やっぱり回収しきれない部分、積み残してしまう箇所はあると思うんですよ。そのためのブログという訳ですが、作者はそんな日のために読者からの質問、お便りを募集しているようです。だから、質問さえあればいつか答えくれることがあるかもしれない、ということですね。
私自身、栞ではありませんがまだまだ知りたいこと、探求を続けたいことがこの作品には山ほどあります。単行本の発売は約2ヵ月後ということになりますが、それまでには、もう少し自分の考えをまとめることが出来ればな、と思っています。これ以上なにを書くんだよ、という感じでもありますが。

けどまあ、折角最終回を迎えたことではありますし、もう一度1巻からじっくりと読み直すのもありだと思いますね。それに、アニメを観たり、CDを聴くのもいいでしょう。最終回のタイトルである「未来の扉」にしても、OVAの天理篇と重なるものですから。最終巻が出るまでに、振り返ってみるのもいいかもしれません。
多分、神のみは私が自分の中にある熱情を注ぐ、最後の作品だったと思います。それが終わってしまったのは悲しいですが、過去より未来に目を向けて、これからも進んでいきたいものです。
本当に長くなりましたがこの辺で。というか、これを全部読んだ人はいるんだろうか……?



※4月24日更新
個人的にしっくり来なかった部分を再考察しました。まだまだ読めるよ、という人は再考察までお進み下さい。


「未来への扉」 再考察→URL:http://mlwhlw.diarynote.jp/201404250132323429/

コメント

nophoto
匿名希望
2014年4月24日8:11

読ませていただきましたー
自分も天理が好きだったので全て読めました。

天理は桂馬なんかでは手に負えないって思ってしまう最終回でした。
天理のジョブが一方通行幼馴染って意味も随分違ってみえますなあ
とにかく彼女とディアナの幸せを願ってやみません

MLW
2014年4月26日18:16

長々読んで貰ってありがとうございます。
単行本で加筆があるそうなので、天理とディアナに幸せが訪れると良いですね。

nophoto
tomonejura
2015年11月11日23:10

この感想と、改めて本編を読み返してみて思ったのですが

桂木にとって、女神たちは攻略対象=ヒロイン=クリアしたら終わり

だから、女神たちは選ばれるはずがなかったのでは

天理にも一度攻略紛いのことをしていますし
何より彼にとっての「攻略」とは
ルートを考えながら正しい道を選ぶこと
天理との関係は、常に誰かの攻略のなかの要素でした。だから天理もゲームの一部。こい攻略がおわったら終わり。それが桂木の美学

nophoto
tomonejura
2015年11月11日23:23

作者からの視点では、桂木は例えば僕がギャルゲーをするときの主人公だったのでは?
つまり、ゲームをプレイするひとに、データをロードされる度に別のヒロイン会話させられている。ゲームのなかの主人公にとってはいい迷惑です(もちろんゲームのなかの主人公は生きていませんからこんなこと考えないでしょうが)
だから
「桂木」にとっては女神たちは「運命」ではなかった。

彼にとって、攻略は前述のように運命ではなくルートを選ぶことですが、メタ視点から言っても、「桂木」は動かされるだけの存在(キャラクター)で運命を感じることがでできなかった

そんな中、ちひろは、攻略女子でないキャラです
作者もいっていますが、最初はモブキャラでした
作品を描いているとキャラが思ったように動いてくれないといいます。
この点、ちひろは作者にとっても「運命」的な動きをしたのではないでしょうか

nophoto
tomonejura
2015年11月11日23:46

「桂木」は、最後にプレイヤーに操作されるだけの存在から、本当の意味でプレイヤーになった。
解放された。
作者からいえば、長きにわたって操作してきたキャラクターを解き放った。
長年の友のマリオネットの糸を断ち、彼自身で歩くように、背中を押してあげたのではないでしょうか。

いささか、作者中心の勝手な理屈ですが。
なんか、どくろうの台詞は作者自身に言っているようにもきこえてきました。

桂木は女神たちに自分勝手だったし
作者は(読者も)「桂木」に自分勝手だった


まあ、僕は夢が覚める、現実に戻される落ちは大嫌いです。
でも、連載当時ならいざ知らず(たぶんクソゲー認定してる)、6年の間に随分大きくなりました
まさに、「時がたつのは本当に早い」
連載当時から知ってる人は.たぶん、最初はイラッと来るけど、それも多様性として認められると思うのです

まあ、リアルに戻されるのは後味は良くないんですが、

リアルはクソゲー
でも、
クリアしなければ
クソゲーはクソゲーのままだ