神のみぞ知るセカイ FLAG268「未来への扉」 再考察
2014年4月24日 神のみぞ知るセカイ コメント (4)
検索等で来られた方は、
先に感想その1&その2&おまけをお読み下さい。
その1→URL:http://mlwhlw.diarynote.jp/201404230057509989/
その2→URL:http://mlwhlw.diarynote.jp/201404230121171653/
おまけ→URL:http://mlwhlw.diarynote.jp/201404231546152015/
神のみぞ知るセカイの最終回、連載終了、作品完結から一夜明けて、昨日はお疲れ様でした。コミックスの発売がまだあるので気分は早くもそちらの方に傾いているのですが、実はまだ少し語り足りない部分があります。あれだけ書いて、しかも、おまけまで付け足したのに、これ以上なにを追加するんだよ、という感じですが、幾つかの疑問点を整理したくなりまして。
本当は少し時間を置いたほうが良いのかもしれないけど、まあ、まとめておかないと忘れてしまいそうなので、とりあえず書いておくことにします。
感想その1とその2、そしておまけは元々Word上で打ったクソ長い論文みたいな文章を、日記用に編集し、分割投稿してたものですが、今回は少し日記サイトへの直打ちをします。なので、昨日の感想集とは書き方やレイアウトのようなものが違うと思いますけど、その点はご了承ください。むしろ、こっちの方が読みやすいんじゃないかな? 感想論文みたいなあれも、今回書くのと合わせて一纏めにしたいとは考えてるんだけど、なにせまだ最終巻も出てないし、ブログでの解説もあるそうだから、当分は先になる気がします。
さて、そんな私が語り尽くしていない、自分の中で結論が出ていないと思うのは主に3つ。
天理に宛てた手紙と、女神たちの今後、そして桂馬は何故ちひろ選んだのか? という3点になります。新規項目としては、ちひろのことでしょうか? 思えば前回の感想ではちひろの件にはこれといって触れませんでしたが、これは何も私がちひろを嫌いだからとか、興味が無いからというわけではなく、彼女の場合は話の本筋に絡んでいないことと、未来が桂馬と同じく明確すぎるので、特に書くことがなかったというのが本当のところです。まあ、興味や関心がないってのも嘘じゃないんだけど。
ちひろに関して言えば、ちひろはまあ、幸せになったんだからそれでいいじゃないと、そこで話を済ませることが出来てしまうんですよね。天理を筆頭に話が終わっていないキャラの方が多いから、そっちの今後にばかり気が向いてしまう。なにせ、彼女たちは語られることはあっても、描かれることはないと分かっていますから、それだけに思い入れも強くなる。
では、再考察に入るわけですが、まず最初は天理に宛てた手紙について。
これの何が気になっているかというと、やはり最後の一文が何通目の手紙に書かれていたのか、その真実です。私は感想1において心情的な問題と、それ以外の理由からも、あの酷薄とした文章は2通目に書かれたのではないかと思いました。そうでないとおかしいというよりは、そうであって欲しいという結論付けでしたが、改めて考えを巡らせてみると、3通目でも成立させることは可能なんじゃないかと気付きまして。
あの手紙が2通目でないかもしれない理由の一つは、なんといっても漢字で書かれているところです。桂馬は天理に宛てた3通の手紙の内、小学生天理が読むことになる1通目と2通目は、ほぼ漢字を使っていません。それに引き換え、あの手紙は確認事項等、漢字を多用しています。
そして歩美から手紙を読ませた際に隠した部分、それがこの一文だったとするなら、あの手紙の内容からして3通目である可能性は高い。となれば、やはりあの一文が書かれているのは1通目や2通目でなく、3通目なのか? しかし、そうなると桂馬の心情がよく分からない。3通目は天理と自分が再会したときに読んで欲しいと言っていた。天理のことだ、きちんと言いつけを守っていたことだろう。言いつけを守り、桂馬と再会するその日まで、手紙を封印していたはずです。
ここで問題になってくるのは、桂馬自身は天理と自分が再会したシチュエーション及び、その後の関係を知っているというところです。ノーラとの間に一騒動あったことも、芝居ではあるがキスしたことも知っている。そんな経験をした天理に対し、いきなりエンディングがないことを、手紙とはいえ告げることが出来るだろうか? 天理が10年間、桂馬への想いや恋頃でルートを歩んできたのだとすれば、手紙にそんなことが書いってあった日には、その場で心が砕け散ってディアナが永遠に力を失ったかもしれない。そんな危険を、桂馬が敢えて選択するのか?
しかし、もし順序が逆であるのなら? 桂馬の確認事項が、以前伝えたことがある言葉に対するものだとしたら? 話は大きく変わってきます。
――ボクらは全てが終わったら、別々のルートを歩いて行くんだ。
これは最終回で天理が回想した、子供桂馬から発せられた言葉です。勿論、中身は10年後の高校生桂馬な訳ですが、この姿が天理のイメージ映像などではなく、初恋にしてもっとも印象残っていた桂馬の姿だからとかではなく、実際に言われた時のものだとすれば? 桂馬が学校か、あるいは洞窟の中でもいいから、上記の台詞を天理に告げていたのだとすれば……一連の疑問に対する説明は付くんだよね。
手紙の一文が先に出てきたから錯覚しがちですが、もし桂馬が予め自分と天理に同じルートが存在しないことを教えていたのだとすれば、あの手紙に書いてある確認事項という言葉も理解できます。桂馬は文字通り、確認したんですよ。
10年前も言ったと思うが、ボクとお前との間にルートはないという意味で、あの文章書いたんです。これならあの酷い一文が3通目目でも成立しますし、桂馬の感覚としては一度伝えたことの再確認に過ぎません。それはそれで人としてどうなんだと思いますが、確認事項という情を感じさせない言葉を使ってしまったのも、本当に確認しただけなのだとすれば、納得はできなくても理解は出来てしまうのです。
無論、それによって桂馬が許されるのか、認められるのかは別問題でしょう。彼のやり方に情が欠けているのは事実ですし、その点は否定できるものではありません。
ただ、上記の用に手紙を結論づけたとき、そこからまた新たな疑問が生まれてきます。即ち、天理は一体どのタイミングで手紙を読んだのか? 2通目ではなく3通目なら、天理はいつ手紙を読むことが出来たのか。それが問題になってきます。
手紙なんて別にいつでも読めると言われそうですが、桂馬と再会した時点で、天理の中には女神ディアナが宿っています。彼女は天理と意識を共有させており、その視線や目線は天理と同じであると推測されます。勿論、鏡など自分を映し出せるなにかを用いることで、客観的、多角的な視線を得ることは可能ですが、基本的に天理が見たものは、全てディアナにも見えている、と考えるべきでしょう。
メリクリウスを見れば分かるように、女神にも睡眠という概念はあるらしいから、ディアナが眠っているときにこっそりと読んだ、という可能性は否定できません。しかし、天理のことを常に気に掛けているディアナが、天理より先に眠ったりするものでしょうか? 天理にはディアナが喋らないからといって、本当に眠っているかどうかは分かりませんし、内容が内容です。愛情の変化に機敏な女神が心の動揺を察知できないとは思いにくいし、天理が隠し通せたとも思えない。
これが2通目だったのなら、ディアナは自分の知らない情報、記憶を共有することは出来ませんから、天理が黙ってさえいれば、ディアナは手紙の内容を知ることが出来ません。現にディアナは、愛情とは違うところにある、天理の考えていることまでは分かりませんでしたからね。しかし、3通目であるのなら、ディアナが気付かないはずはないと思うのだけど……あるいは手品で培った高等技術を使ったのかもしれませんが、それにしたってあの内容だからなぁ。
ディアナが手紙の内容を把握したのは、女神会議での発言を忘れれば女神篇だとは思います。今後のことを話し合う中で、天理は僅かな可能性に、ほんの少しの夢に希望を見出していると語ったのかもしれません。そんな彼女の直向きさにディアナは心を打たれたのかもしれないし、天理が挑んだある種の賭けに、ディアナも乗っかったのではないか。
天理にとってディアナが大切な友達なら、ディアナにとっても天理は大事な存在です。宿主だからとか、そんな理由ではない、もっと強い絆が二人にはある。
結論が出たのかどうかは分かりませんが、手紙の件については以上です。3通目でも大丈夫なのではないかと、いや、内容的には全然大丈夫じゃないのだけど、自分の中で一つの答えをだすことは出来たから、この件に関しては解説が来るのを待つことにしましょう。
次に取り上げるのは、女神たちの今後について。
女神は未だいるのか、それとも既にいないのかという話は前回の感想で散々しましたけど、そもそも女神って行く宛はあるんですかね? ディアナが言うところによると、彼女たちは元々古代の天界の王であるユピテルの血筋を引く王族のようなものだったそうです。まあ、有り体に言えばお姫様という奴で、アポロがご先祖様も~とか言ってるのはこの為ですね。王族の中で霊力の高かった姉妹たちが志願し、古悪魔を封印したというのが、アルマゲマキナ終結の直接的な要因でした。
「ユピテルの姉妹…地獄の地に殉じた人柱……」
女神たちはその高い霊力を用い、自らを犠牲にして古悪魔たちを封じ込みました。そして、ディアナ以外は人間の宿主たちの中で目覚めるまで、長い年月を要することになります。それはそれで仕方ないのですが、では何故、女神たちが覚醒して以降、天界はこれを保護するための行動に移らなかったのでしょうか? 女神篇でアポロがフィオーレに、アニメではリューネでしたが、これに敗れたとき、彼女が空高く警告サインを出していました。他の姉妹に充てたものではありますが、天界がこれを把握していなかったとは思えないし、把握していたのなら、すぐに女神救出のために動いても良いはずです。
ディアナは霊力に自信があったから女神になったといいます。ましてや元々が王族であるならば、天界での地位も相当だったはずです。しかし、いえ、地位が高いからこそ、彼女たちの存在が忌避されているのだとすれば?
確かに旧地獄と古悪魔の暴走、そして戦争への対抗手段として女神の力は必須だったでしょう。けれど、一度戦争が終わればどうでしょうか? 古悪魔たちを封印し、眠りについた女神たち。眠っている分にはいくらでも功績をたたえ、人柱として殉じたその伝説を語り継ぎますけど、それがもし復活してしまったら? 古悪魔たちを一網打尽に出来る実力と、地獄の兵器をも寄せ付けない最強の存在が覚醒したとき、天界の、特に権力構造の上にいる連中はどう感じたでしょうか? 果たして、女神たちを歓呼の嵐で呼び戻すことが出来たのか。
天界に政治構造や権力構造が存在し、それが地獄と大差ないものなのだとすれば、復活した女神の力は明らかに脅威です。ましてや王族と言った権力闘争の見本みたいなものが存在しているのなら、現在天界で支配体制を築いている側からすれば、女神はそれを一撃で崩されかねない存在と言っていいでしょう。女神たちにその気があるかないかではなく、この場合は出来るか出来ないかであり、女神たちにはそれをするだけの力が確かにあった。
女神篇における天界の腰の重さは、世界に平和をもたらした女神たちに対するものとしては、物足りないどころの騒ぎではありませんでした。あるいは天界には人間界や地獄に干渉できない法則でもあるのかもしれませんが、女神たちがアルマゲマキナに終止符を打った時点で、それはあり得ないでしょう。となれば、天界は意図的に今回の事件を見逃していた可能性が高い。
あるいは天界には女神を救い出すだけの余力がないのかもしれませんが……三界において天界だけが疲弊している理由が分かりませんし、地獄だって焦土から一応の復興は遂げているのです。同じく300年以上の時間はあったはずの天界が、一方的に衰弱しているというのはどうにも考えづらい。であるとすれば、仮に女神が宿主の体から離れたとしても天界には帰れない、もしくは居場所がないということもあるかもしれません。
まあ、そうなったときは地上で宿主と宜しくやっていれば良いような気もしますけど、やはり女神たちの今後が気になるところです。
それでは最後に、桂馬は何故ちひろを選んだのか? という話。
この件に関しては桂馬がいつちひろを好きになったのか分かりにくい、という話がありますけど、私は別にその点はどうでもいいと思ってます。天理の発言から推測するに女神篇じゃないかな、と予想はしていますけど、別に攻略時でも構いませんし、時期は大した問題じゃないんですよ。
問題は何故ちひろだったのか? 天理や宿主、エルシィやハクア、その他攻略女子ではなくちひろでなければならなかったのか。作品的な都合とか、そういうのではなくて、桂馬はなどうしてちひろを好きになったのか、その理由ですね。
好きなことに理由がなければいけないのかと言われるかもしれませんが、では逆に、どうして天理や宿主たちが選ばれなかったのか、それを考えることによって、自然とちひろに対する答えも出てくるのではないでしょうか?
何故、桂馬はちひろに恋することが出来たのに、天理や他の宿主ではダメだったのか? 天理については、感想でも書いたとおりです。では、他の娘は? 歩美やかのん、栞や月夜、結の場合はどうしてダメだったんでしょうか? 彼女たちは桂馬も評したようにそれぞれの分野で才覚ある、個性豊かでとても魅力的な少女たちです。こんな子を彼女に出来ればどんなに良いかとは、誰もが思うことでしょう。
しかし、まさにそんな彼女たちの魅力が原因だとしたら?
桂馬は確かに優れたプレイヤーです。落とし神と呼ばれ、自身もそう名乗っているだけあって、攻略対象の望む主人公に彼はなることが出来る。それが最も顕著だったのはスミレ編で、彼女を攻略した際は家業であるラーメン屋のバイトになるという、かなり本人の事情に反ったキャラクターへと自分を変えています。また、二人目の攻略ヒロインである、美生のときも社長令嬢を続けたい彼女の意志に沿い、付き人のようなキャラになりましたね。又、榛原七香を攻略したときも、彼女の心の隙間が出来た原因である将棋に着目し、自らが将棋指しになりました。
このように、桂馬は基本的に攻略女子の悩み、心の隙間に嵌まるよう自分自身を自由自在に変えることが出来るんです。ラーメン屋のバイトも出来れば、社長令嬢の付き人にも慣れて、将棋だって指せる。でも、そのすべてが本当の桂木桂馬ではありません。本物の桂木桂馬ではあるけど、本当の彼自身ではないんです。
そして素の桂木桂馬は、果たして魅力あるヒロインたちと釣り合う少年でしょうか? 確かに桂馬は何事もそつなくこなせるし、運動はともかく勉強だって出来ます。しかし、彼は基本的にギャルゲー廃人ですし、ギャルゲー以外にはこれといった能が無い。魅力あるヒロインたちに匹敵するだけのものを、普段の彼は持ってないんです。
別にラーメン好きじゃなくてもラーメン屋の一人娘とは付き合えるし、将棋が趣味じゃなくても、将棋指しと付き合うことは可能でしょう。しかし、桂馬の恋愛観はギャルゲー基準ですから、彼氏たるプレイヤーは常に相手の望む姿でいなければいけないはず。
桂馬にはそれが出来る。出来るけど……それは対等な関係じゃありません。
ちひろと他ヒロインの違いはそこであり、彼女が「攻略されていない」と言われる所以でもあるんですね。女神篇でのちひろは確かに攻略時の記憶を持っていませんでした。しかし、そもそも桂馬はちひろを攻略したことなどあったでしょうか? 所謂、ちひろ編、桂馬はちひろを、彼女の想い人と思われたイケメンとくっつけるために奔走し、彼女自身を攻略しようとはしませんでした。
けれど、ちひろは桂馬と交流を重ねるうち、段々と彼に惹かれていき、最終的には彼のことを好きになります。故にちひろは、ただの一度だって桂馬に攻略はされてないし、桂馬自身、ちひろのためのなにかだったことがないないんですよね。彼はちひろのためのイケメン男子を演じた訳でもないし、始終落とし神としての自分しか見せていない。なのに、ちひろは彼に惹かれ、恋をした。
だから、桂馬とちひろは対等だった。
勿論、攻略をしていないキャラはちひろに限った話ではありません。
妹のエルシィを除けば、天理にディアナ、そしてハクアが該当します。ドクロウは攻略したも同じですから省きますが、少なくともちひろの他に3人が、攻略とは関係なく桂馬に惹かれ、彼を愛していた訳です。
では、彼女たちと桂馬は対等な関係ではないのか? ディアナは確かに女神だし、ハクアも悪魔です。しかし、それは人種の違いみたいなもので、決定的な差にはなりません。仮にこれが問題になるのだとしても、天理は女神を宿している以外は普通の女の子ですからね。ちょっと桂馬に対する観察眼と洞察力が凄いだけで。
攻略していないのなら条件は同じだし、一見するとなんの問題もないように思える。けれど、そこには明確な、決定的な違いが存在しました。
「だから、好きになったんだろう?」
二階堂が言ったこの台詞。ちひろは桂馬の言うとおりにしない。だからこそ、桂馬はちひろを好きになった。受け入れるだけでは、そこには何も生まれない。天理のときに書いたと思いますが、ディアナにしろ、ハクアにせよ、彼女たちは基本的に桂馬を受け入れる側の存在なんです。彼の態度に不平不満を覚えることはあっても、その知力や行動力を信頼している面があり、桂馬の考えや行いに反することはないんですよね。配慮のない性格や、ラッキースケベに怒ることはあっても、大きな部分で彼を否定することがない。
多分、桂馬にはそれが物足りない。
桂馬が自分の思い通りにならない存在に惹かれるなら、天理は勿論、ディアナやハクアであっても、彼に刺激を与える存在にはなり得ないんですよ。だからこそ、桂馬はちひろに惹かれてしまう。そしてもっと言えば、彼にとってちひろは未知の存在なんです。
女神篇のアニメ、第1話で桂馬はこんなことを言ってました。
「下級生、ラーメン屋、幽霊、将棋指し、姉キャラ等々……リアルで攻略した女子たちについては最早迷う気がしない!」
これは主にアニメ2期と女神篇の間に飛ばされたヒロインたちについての解説だが、逆に言えばこれは、こういったヒロインがギャルゲーには珍しくないとも言える。桂馬はみなみを攻略する際、かなり詳細なパターンを持って正確に攻略して見せました。月夜のときなどにあったような、失敗が存在しない。
無論、桂馬がリアルでの攻略に手慣れてきたというのもあるでしょうが、それ以上に後輩キャラそのものの攻略法を熟知していたのだと思います。エルシィに色々語っていたりもしましたからね。だから、あんなにもあっさり、綺麗に攻略を済ませることが出来た。
他所の失敗はあれど、桂馬にとって攻略ヒロインたちは既知の存在でしかなかった。だから、ギャルゲー理論を応用しての攻略が可能だったのです。それは宿主だって同じことで、彼女たちは桂馬にとって未知の存在ではなかったから。
でも、ちひろは違います。桂馬はちひろ編の際、彼女をモブキャラだと言いました。ヒロインでもサブキャラでもなく、単なるモブキャラ。ゲームでは顔グラフィックもないような、攻略対象には絶対ならない相手。
そして桂馬には、当然モブキャラなど攻略したことはなかった。だからこそ、彼はちひろ編において変則的な方法を取らざるを得なかったのです。
未知の存在は、人にとっての好奇心を煽ります。
言ってしまえば、桂馬にとってちひろは宇宙人やUMAみたいなものなんでしょう。
分からないからこそ知りたい、知らないからこそ惹かれる。桂馬にとって、ちひろは自分自身に強い刺激を与えて来るのだと思います。
天理やディアナ、そしてハクアから得られない刺激を、ちひろだけは持っていた。
これが桂馬の、ちひろに惹かれた理由ではないかな。どうして他の攻略女子ではダメなのかも、一応の説明もつきます。彼は自分をさらけ出し、対等でありながらも反発し合える関係を望んでいた。彼が欲したのは、既知でなく未知だった。それが、天理に届かなかったものの正体でしょう。
ただ、桂馬が本当に刺激を求める意味でちひろに惚れているのなら、その関係は意外に早く終わってしまうかも知れない。というのも刺激って言うのはね、慣れるんですよ。慣れるとね、飽きちゃうんだよ。かつて小松左京がショートショートで、刺激のなくなった近未来というのを書いていました。あらゆる娯楽、快楽が発達した世界において、並大抵のことは人々の心も体も刺激しなくなってしまったという話です。酒にも麻薬にも、そしてセックスにも飽きた若者たちは、自分の体に直接電流を流して刺激を味わうようになるんですが、年齢が上の大人たちが取った行動は違うもの。
刺激に慣れ、飽き果てた彼らが次に求めたのは……癒やしだった。
そう考えたとき、まだ天理には少しぐらいチャンスもあるんじゃ無いかなと思えるようになった。つまり、桂馬の女の趣味嗜好が変わるようなことがあったら、そのとき彼と対等なのは天理だけだろうしね。まあ、そんな機会があればの話だけど。
勿論、他の宿主だって可能性が皆無な訳ではありません。月夜は自分にとっての桂木桂馬という存在ではなく、本当の彼を知ろうと、歩み寄ろうとしていました。だからまあ、諦める必要なんてないんですよ。理不尽なリアルでも、未来は等しく訪れるんだから。
先に感想その1&その2&おまけをお読み下さい。
その1→URL:http://mlwhlw.diarynote.jp/201404230057509989/
その2→URL:http://mlwhlw.diarynote.jp/201404230121171653/
おまけ→URL:http://mlwhlw.diarynote.jp/201404231546152015/
神のみぞ知るセカイの最終回、連載終了、作品完結から一夜明けて、昨日はお疲れ様でした。コミックスの発売がまだあるので気分は早くもそちらの方に傾いているのですが、実はまだ少し語り足りない部分があります。あれだけ書いて、しかも、おまけまで付け足したのに、これ以上なにを追加するんだよ、という感じですが、幾つかの疑問点を整理したくなりまして。
本当は少し時間を置いたほうが良いのかもしれないけど、まあ、まとめておかないと忘れてしまいそうなので、とりあえず書いておくことにします。
感想その1とその2、そしておまけは元々Word上で打ったクソ長い論文みたいな文章を、日記用に編集し、分割投稿してたものですが、今回は少し日記サイトへの直打ちをします。なので、昨日の感想集とは書き方やレイアウトのようなものが違うと思いますけど、その点はご了承ください。むしろ、こっちの方が読みやすいんじゃないかな? 感想論文みたいなあれも、今回書くのと合わせて一纏めにしたいとは考えてるんだけど、なにせまだ最終巻も出てないし、ブログでの解説もあるそうだから、当分は先になる気がします。
さて、そんな私が語り尽くしていない、自分の中で結論が出ていないと思うのは主に3つ。
天理に宛てた手紙と、女神たちの今後、そして桂馬は何故ちひろ選んだのか? という3点になります。新規項目としては、ちひろのことでしょうか? 思えば前回の感想ではちひろの件にはこれといって触れませんでしたが、これは何も私がちひろを嫌いだからとか、興味が無いからというわけではなく、彼女の場合は話の本筋に絡んでいないことと、未来が桂馬と同じく明確すぎるので、特に書くことがなかったというのが本当のところです。まあ、興味や関心がないってのも嘘じゃないんだけど。
ちひろに関して言えば、ちひろはまあ、幸せになったんだからそれでいいじゃないと、そこで話を済ませることが出来てしまうんですよね。天理を筆頭に話が終わっていないキャラの方が多いから、そっちの今後にばかり気が向いてしまう。なにせ、彼女たちは語られることはあっても、描かれることはないと分かっていますから、それだけに思い入れも強くなる。
では、再考察に入るわけですが、まず最初は天理に宛てた手紙について。
これの何が気になっているかというと、やはり最後の一文が何通目の手紙に書かれていたのか、その真実です。私は感想1において心情的な問題と、それ以外の理由からも、あの酷薄とした文章は2通目に書かれたのではないかと思いました。そうでないとおかしいというよりは、そうであって欲しいという結論付けでしたが、改めて考えを巡らせてみると、3通目でも成立させることは可能なんじゃないかと気付きまして。
あの手紙が2通目でないかもしれない理由の一つは、なんといっても漢字で書かれているところです。桂馬は天理に宛てた3通の手紙の内、小学生天理が読むことになる1通目と2通目は、ほぼ漢字を使っていません。それに引き換え、あの手紙は確認事項等、漢字を多用しています。
そして歩美から手紙を読ませた際に隠した部分、それがこの一文だったとするなら、あの手紙の内容からして3通目である可能性は高い。となれば、やはりあの一文が書かれているのは1通目や2通目でなく、3通目なのか? しかし、そうなると桂馬の心情がよく分からない。3通目は天理と自分が再会したときに読んで欲しいと言っていた。天理のことだ、きちんと言いつけを守っていたことだろう。言いつけを守り、桂馬と再会するその日まで、手紙を封印していたはずです。
ここで問題になってくるのは、桂馬自身は天理と自分が再会したシチュエーション及び、その後の関係を知っているというところです。ノーラとの間に一騒動あったことも、芝居ではあるがキスしたことも知っている。そんな経験をした天理に対し、いきなりエンディングがないことを、手紙とはいえ告げることが出来るだろうか? 天理が10年間、桂馬への想いや恋頃でルートを歩んできたのだとすれば、手紙にそんなことが書いってあった日には、その場で心が砕け散ってディアナが永遠に力を失ったかもしれない。そんな危険を、桂馬が敢えて選択するのか?
しかし、もし順序が逆であるのなら? 桂馬の確認事項が、以前伝えたことがある言葉に対するものだとしたら? 話は大きく変わってきます。
――ボクらは全てが終わったら、別々のルートを歩いて行くんだ。
これは最終回で天理が回想した、子供桂馬から発せられた言葉です。勿論、中身は10年後の高校生桂馬な訳ですが、この姿が天理のイメージ映像などではなく、初恋にしてもっとも印象残っていた桂馬の姿だからとかではなく、実際に言われた時のものだとすれば? 桂馬が学校か、あるいは洞窟の中でもいいから、上記の台詞を天理に告げていたのだとすれば……一連の疑問に対する説明は付くんだよね。
手紙の一文が先に出てきたから錯覚しがちですが、もし桂馬が予め自分と天理に同じルートが存在しないことを教えていたのだとすれば、あの手紙に書いてある確認事項という言葉も理解できます。桂馬は文字通り、確認したんですよ。
10年前も言ったと思うが、ボクとお前との間にルートはないという意味で、あの文章書いたんです。これならあの酷い一文が3通目目でも成立しますし、桂馬の感覚としては一度伝えたことの再確認に過ぎません。それはそれで人としてどうなんだと思いますが、確認事項という情を感じさせない言葉を使ってしまったのも、本当に確認しただけなのだとすれば、納得はできなくても理解は出来てしまうのです。
無論、それによって桂馬が許されるのか、認められるのかは別問題でしょう。彼のやり方に情が欠けているのは事実ですし、その点は否定できるものではありません。
ただ、上記の用に手紙を結論づけたとき、そこからまた新たな疑問が生まれてきます。即ち、天理は一体どのタイミングで手紙を読んだのか? 2通目ではなく3通目なら、天理はいつ手紙を読むことが出来たのか。それが問題になってきます。
手紙なんて別にいつでも読めると言われそうですが、桂馬と再会した時点で、天理の中には女神ディアナが宿っています。彼女は天理と意識を共有させており、その視線や目線は天理と同じであると推測されます。勿論、鏡など自分を映し出せるなにかを用いることで、客観的、多角的な視線を得ることは可能ですが、基本的に天理が見たものは、全てディアナにも見えている、と考えるべきでしょう。
メリクリウスを見れば分かるように、女神にも睡眠という概念はあるらしいから、ディアナが眠っているときにこっそりと読んだ、という可能性は否定できません。しかし、天理のことを常に気に掛けているディアナが、天理より先に眠ったりするものでしょうか? 天理にはディアナが喋らないからといって、本当に眠っているかどうかは分かりませんし、内容が内容です。愛情の変化に機敏な女神が心の動揺を察知できないとは思いにくいし、天理が隠し通せたとも思えない。
これが2通目だったのなら、ディアナは自分の知らない情報、記憶を共有することは出来ませんから、天理が黙ってさえいれば、ディアナは手紙の内容を知ることが出来ません。現にディアナは、愛情とは違うところにある、天理の考えていることまでは分かりませんでしたからね。しかし、3通目であるのなら、ディアナが気付かないはずはないと思うのだけど……あるいは手品で培った高等技術を使ったのかもしれませんが、それにしたってあの内容だからなぁ。
ディアナが手紙の内容を把握したのは、女神会議での発言を忘れれば女神篇だとは思います。今後のことを話し合う中で、天理は僅かな可能性に、ほんの少しの夢に希望を見出していると語ったのかもしれません。そんな彼女の直向きさにディアナは心を打たれたのかもしれないし、天理が挑んだある種の賭けに、ディアナも乗っかったのではないか。
天理にとってディアナが大切な友達なら、ディアナにとっても天理は大事な存在です。宿主だからとか、そんな理由ではない、もっと強い絆が二人にはある。
結論が出たのかどうかは分かりませんが、手紙の件については以上です。3通目でも大丈夫なのではないかと、いや、内容的には全然大丈夫じゃないのだけど、自分の中で一つの答えをだすことは出来たから、この件に関しては解説が来るのを待つことにしましょう。
次に取り上げるのは、女神たちの今後について。
女神は未だいるのか、それとも既にいないのかという話は前回の感想で散々しましたけど、そもそも女神って行く宛はあるんですかね? ディアナが言うところによると、彼女たちは元々古代の天界の王であるユピテルの血筋を引く王族のようなものだったそうです。まあ、有り体に言えばお姫様という奴で、アポロがご先祖様も~とか言ってるのはこの為ですね。王族の中で霊力の高かった姉妹たちが志願し、古悪魔を封印したというのが、アルマゲマキナ終結の直接的な要因でした。
「ユピテルの姉妹…地獄の地に殉じた人柱……」
女神たちはその高い霊力を用い、自らを犠牲にして古悪魔たちを封じ込みました。そして、ディアナ以外は人間の宿主たちの中で目覚めるまで、長い年月を要することになります。それはそれで仕方ないのですが、では何故、女神たちが覚醒して以降、天界はこれを保護するための行動に移らなかったのでしょうか? 女神篇でアポロがフィオーレに、アニメではリューネでしたが、これに敗れたとき、彼女が空高く警告サインを出していました。他の姉妹に充てたものではありますが、天界がこれを把握していなかったとは思えないし、把握していたのなら、すぐに女神救出のために動いても良いはずです。
ディアナは霊力に自信があったから女神になったといいます。ましてや元々が王族であるならば、天界での地位も相当だったはずです。しかし、いえ、地位が高いからこそ、彼女たちの存在が忌避されているのだとすれば?
確かに旧地獄と古悪魔の暴走、そして戦争への対抗手段として女神の力は必須だったでしょう。けれど、一度戦争が終わればどうでしょうか? 古悪魔たちを封印し、眠りについた女神たち。眠っている分にはいくらでも功績をたたえ、人柱として殉じたその伝説を語り継ぎますけど、それがもし復活してしまったら? 古悪魔たちを一網打尽に出来る実力と、地獄の兵器をも寄せ付けない最強の存在が覚醒したとき、天界の、特に権力構造の上にいる連中はどう感じたでしょうか? 果たして、女神たちを歓呼の嵐で呼び戻すことが出来たのか。
天界に政治構造や権力構造が存在し、それが地獄と大差ないものなのだとすれば、復活した女神の力は明らかに脅威です。ましてや王族と言った権力闘争の見本みたいなものが存在しているのなら、現在天界で支配体制を築いている側からすれば、女神はそれを一撃で崩されかねない存在と言っていいでしょう。女神たちにその気があるかないかではなく、この場合は出来るか出来ないかであり、女神たちにはそれをするだけの力が確かにあった。
女神篇における天界の腰の重さは、世界に平和をもたらした女神たちに対するものとしては、物足りないどころの騒ぎではありませんでした。あるいは天界には人間界や地獄に干渉できない法則でもあるのかもしれませんが、女神たちがアルマゲマキナに終止符を打った時点で、それはあり得ないでしょう。となれば、天界は意図的に今回の事件を見逃していた可能性が高い。
あるいは天界には女神を救い出すだけの余力がないのかもしれませんが……三界において天界だけが疲弊している理由が分かりませんし、地獄だって焦土から一応の復興は遂げているのです。同じく300年以上の時間はあったはずの天界が、一方的に衰弱しているというのはどうにも考えづらい。であるとすれば、仮に女神が宿主の体から離れたとしても天界には帰れない、もしくは居場所がないということもあるかもしれません。
まあ、そうなったときは地上で宿主と宜しくやっていれば良いような気もしますけど、やはり女神たちの今後が気になるところです。
それでは最後に、桂馬は何故ちひろを選んだのか? という話。
この件に関しては桂馬がいつちひろを好きになったのか分かりにくい、という話がありますけど、私は別にその点はどうでもいいと思ってます。天理の発言から推測するに女神篇じゃないかな、と予想はしていますけど、別に攻略時でも構いませんし、時期は大した問題じゃないんですよ。
問題は何故ちひろだったのか? 天理や宿主、エルシィやハクア、その他攻略女子ではなくちひろでなければならなかったのか。作品的な都合とか、そういうのではなくて、桂馬はなどうしてちひろを好きになったのか、その理由ですね。
好きなことに理由がなければいけないのかと言われるかもしれませんが、では逆に、どうして天理や宿主たちが選ばれなかったのか、それを考えることによって、自然とちひろに対する答えも出てくるのではないでしょうか?
何故、桂馬はちひろに恋することが出来たのに、天理や他の宿主ではダメだったのか? 天理については、感想でも書いたとおりです。では、他の娘は? 歩美やかのん、栞や月夜、結の場合はどうしてダメだったんでしょうか? 彼女たちは桂馬も評したようにそれぞれの分野で才覚ある、個性豊かでとても魅力的な少女たちです。こんな子を彼女に出来ればどんなに良いかとは、誰もが思うことでしょう。
しかし、まさにそんな彼女たちの魅力が原因だとしたら?
桂馬は確かに優れたプレイヤーです。落とし神と呼ばれ、自身もそう名乗っているだけあって、攻略対象の望む主人公に彼はなることが出来る。それが最も顕著だったのはスミレ編で、彼女を攻略した際は家業であるラーメン屋のバイトになるという、かなり本人の事情に反ったキャラクターへと自分を変えています。また、二人目の攻略ヒロインである、美生のときも社長令嬢を続けたい彼女の意志に沿い、付き人のようなキャラになりましたね。又、榛原七香を攻略したときも、彼女の心の隙間が出来た原因である将棋に着目し、自らが将棋指しになりました。
このように、桂馬は基本的に攻略女子の悩み、心の隙間に嵌まるよう自分自身を自由自在に変えることが出来るんです。ラーメン屋のバイトも出来れば、社長令嬢の付き人にも慣れて、将棋だって指せる。でも、そのすべてが本当の桂木桂馬ではありません。本物の桂木桂馬ではあるけど、本当の彼自身ではないんです。
そして素の桂木桂馬は、果たして魅力あるヒロインたちと釣り合う少年でしょうか? 確かに桂馬は何事もそつなくこなせるし、運動はともかく勉強だって出来ます。しかし、彼は基本的にギャルゲー廃人ですし、ギャルゲー以外にはこれといった能が無い。魅力あるヒロインたちに匹敵するだけのものを、普段の彼は持ってないんです。
別にラーメン好きじゃなくてもラーメン屋の一人娘とは付き合えるし、将棋が趣味じゃなくても、将棋指しと付き合うことは可能でしょう。しかし、桂馬の恋愛観はギャルゲー基準ですから、彼氏たるプレイヤーは常に相手の望む姿でいなければいけないはず。
桂馬にはそれが出来る。出来るけど……それは対等な関係じゃありません。
ちひろと他ヒロインの違いはそこであり、彼女が「攻略されていない」と言われる所以でもあるんですね。女神篇でのちひろは確かに攻略時の記憶を持っていませんでした。しかし、そもそも桂馬はちひろを攻略したことなどあったでしょうか? 所謂、ちひろ編、桂馬はちひろを、彼女の想い人と思われたイケメンとくっつけるために奔走し、彼女自身を攻略しようとはしませんでした。
けれど、ちひろは桂馬と交流を重ねるうち、段々と彼に惹かれていき、最終的には彼のことを好きになります。故にちひろは、ただの一度だって桂馬に攻略はされてないし、桂馬自身、ちひろのためのなにかだったことがないないんですよね。彼はちひろのためのイケメン男子を演じた訳でもないし、始終落とし神としての自分しか見せていない。なのに、ちひろは彼に惹かれ、恋をした。
だから、桂馬とちひろは対等だった。
勿論、攻略をしていないキャラはちひろに限った話ではありません。
妹のエルシィを除けば、天理にディアナ、そしてハクアが該当します。ドクロウは攻略したも同じですから省きますが、少なくともちひろの他に3人が、攻略とは関係なく桂馬に惹かれ、彼を愛していた訳です。
では、彼女たちと桂馬は対等な関係ではないのか? ディアナは確かに女神だし、ハクアも悪魔です。しかし、それは人種の違いみたいなもので、決定的な差にはなりません。仮にこれが問題になるのだとしても、天理は女神を宿している以外は普通の女の子ですからね。ちょっと桂馬に対する観察眼と洞察力が凄いだけで。
攻略していないのなら条件は同じだし、一見するとなんの問題もないように思える。けれど、そこには明確な、決定的な違いが存在しました。
「だから、好きになったんだろう?」
二階堂が言ったこの台詞。ちひろは桂馬の言うとおりにしない。だからこそ、桂馬はちひろを好きになった。受け入れるだけでは、そこには何も生まれない。天理のときに書いたと思いますが、ディアナにしろ、ハクアにせよ、彼女たちは基本的に桂馬を受け入れる側の存在なんです。彼の態度に不平不満を覚えることはあっても、その知力や行動力を信頼している面があり、桂馬の考えや行いに反することはないんですよね。配慮のない性格や、ラッキースケベに怒ることはあっても、大きな部分で彼を否定することがない。
多分、桂馬にはそれが物足りない。
桂馬が自分の思い通りにならない存在に惹かれるなら、天理は勿論、ディアナやハクアであっても、彼に刺激を与える存在にはなり得ないんですよ。だからこそ、桂馬はちひろに惹かれてしまう。そしてもっと言えば、彼にとってちひろは未知の存在なんです。
女神篇のアニメ、第1話で桂馬はこんなことを言ってました。
「下級生、ラーメン屋、幽霊、将棋指し、姉キャラ等々……リアルで攻略した女子たちについては最早迷う気がしない!」
これは主にアニメ2期と女神篇の間に飛ばされたヒロインたちについての解説だが、逆に言えばこれは、こういったヒロインがギャルゲーには珍しくないとも言える。桂馬はみなみを攻略する際、かなり詳細なパターンを持って正確に攻略して見せました。月夜のときなどにあったような、失敗が存在しない。
無論、桂馬がリアルでの攻略に手慣れてきたというのもあるでしょうが、それ以上に後輩キャラそのものの攻略法を熟知していたのだと思います。エルシィに色々語っていたりもしましたからね。だから、あんなにもあっさり、綺麗に攻略を済ませることが出来た。
他所の失敗はあれど、桂馬にとって攻略ヒロインたちは既知の存在でしかなかった。だから、ギャルゲー理論を応用しての攻略が可能だったのです。それは宿主だって同じことで、彼女たちは桂馬にとって未知の存在ではなかったから。
でも、ちひろは違います。桂馬はちひろ編の際、彼女をモブキャラだと言いました。ヒロインでもサブキャラでもなく、単なるモブキャラ。ゲームでは顔グラフィックもないような、攻略対象には絶対ならない相手。
そして桂馬には、当然モブキャラなど攻略したことはなかった。だからこそ、彼はちひろ編において変則的な方法を取らざるを得なかったのです。
未知の存在は、人にとっての好奇心を煽ります。
言ってしまえば、桂馬にとってちひろは宇宙人やUMAみたいなものなんでしょう。
分からないからこそ知りたい、知らないからこそ惹かれる。桂馬にとって、ちひろは自分自身に強い刺激を与えて来るのだと思います。
天理やディアナ、そしてハクアから得られない刺激を、ちひろだけは持っていた。
これが桂馬の、ちひろに惹かれた理由ではないかな。どうして他の攻略女子ではダメなのかも、一応の説明もつきます。彼は自分をさらけ出し、対等でありながらも反発し合える関係を望んでいた。彼が欲したのは、既知でなく未知だった。それが、天理に届かなかったものの正体でしょう。
ただ、桂馬が本当に刺激を求める意味でちひろに惚れているのなら、その関係は意外に早く終わってしまうかも知れない。というのも刺激って言うのはね、慣れるんですよ。慣れるとね、飽きちゃうんだよ。かつて小松左京がショートショートで、刺激のなくなった近未来というのを書いていました。あらゆる娯楽、快楽が発達した世界において、並大抵のことは人々の心も体も刺激しなくなってしまったという話です。酒にも麻薬にも、そしてセックスにも飽きた若者たちは、自分の体に直接電流を流して刺激を味わうようになるんですが、年齢が上の大人たちが取った行動は違うもの。
刺激に慣れ、飽き果てた彼らが次に求めたのは……癒やしだった。
そう考えたとき、まだ天理には少しぐらいチャンスもあるんじゃ無いかなと思えるようになった。つまり、桂馬の女の趣味嗜好が変わるようなことがあったら、そのとき彼と対等なのは天理だけだろうしね。まあ、そんな機会があればの話だけど。
勿論、他の宿主だって可能性が皆無な訳ではありません。月夜は自分にとっての桂木桂馬という存在ではなく、本当の彼を知ろうと、歩み寄ろうとしていました。だからまあ、諦める必要なんてないんですよ。理不尽なリアルでも、未来は等しく訪れるんだから。
コメント
皆さんそれぞれの想いがあり神のみを読んでたことと思います
結末はそれぞれの胸のうちで良いと思ってますが、個人的には
限りなく天理エンドを意識した終わり方だと思っています
読ませて頂いて、手紙が第二の手紙ではないかと言うことと、
回想部分が子供桂馬であったと言うことには考えが及ばなかっ
たので新鮮かつ頷けるものでした
天理にはロミオとジュリエットよろしく桂馬が死んだと早合点し
て死ぬことなく、待ってあげる…もしくはアプローチしたら良いな
と思ってます
余談ですが、二階堂の『他の子と仲良くする…』は、嫉妬心ではなく
天理のことを思ってとも解釈は可能だと思ってます
100%天理の言葉を信じてるが故の最終話と思いたいですね
でなければ、香織の言う通りのバッドエンドにしかなりませんから
どこかで、見かけましたがエルシーの妹化も桂馬ママの娘が欲しかった
と言う願望を叶えたと解釈すれば、一度失敗したとは言え桂馬と天理…そして女神達と協力して戻ってきたセカイと言うのが成立して破綻なく最終話を迎えたんだと安心します
言い忘れましたが、『総てを見届けても天理が歩き続けたいならぼくを呼び戻してくれ…』と言う手紙
個人的にはこちらが第三の手紙の(一部)のような気がします
であれば、天理が紅くなってる理由も分かるし、運命をぶっ壊し自分たちで作っていく…ひいては桂馬と天理の攻略だと言うのも頷けます
エルシィの件はどうなんでしょうね。
私は、エルシィと麻里さんは血の繋がりがなくとも、本当の母娘のように暮らしていましたから、その関係を否定して実子として生まれ変わる、というのは少し違和感がありまして。
麻里さんの認識からすればエルシィは旦那と浮気相手の不義の子ですけど、それでも娘として愛することが出来た素晴らしい母親ですし、特にお互いが引け目や負い目を感じてはいなかったと思いますから……そこに血の繋がりって重要なのかなと。
それに、エルシィが桂木えりとなったことで手に入れたのは、「血の繋がり」と「記憶・想い出」ですから、これって桂馬の言っていた妹BMW理論そのままなんですよね。実妹や想い出に拘っていたのは、他でもない桂馬の方でしたから。
勿論、桂木家の本当の家族になりたかったのは事実だろうけど、エルシィは何よりも桂馬の望んだ妹になりたかったんじゃないかな、と考えています。
なるほど、そう考えた方がしっくりいきそうですね
ともかく、天理やドクロウ、女神ズの協力によって
どれだけ人に支えられてきたか認識した上での過去
からの帰還なので、薄情にみえて何か理由があるか
もですね
全然関係ないですが、先日CATVをながら観して
てたら、宣伝でやたら耳に残る・心に入ってくる作品
があったので、アニメ版も観ましたが、原作を読んで
みました
『君のいる町』と言うモノで、オーソドックスなラブコメ、
恋愛モノでご都合主義的な展開もふんだんにあるのですが、
神のみの最終回を観てからのまとめ読みと言うのもあるのか、
伏線は置いといて神のみの心情的な未回収部分、不満があがってるような箇所を上手く拾っているような作品のように思えました
まぁ、様々な捉え方はあると思いますが連載時期も神のみとほぼ同じ時期の作品だけに不思議な感じがしました