やっと時間が出来たので新刊を読みました。5年ぶり……いや、6年ぶりになるのかな? 正確なところは面倒くさいので数えてませんが、まあ、それぐらいは確実に経ったと考えていいでしょう。6年といえば結構な月日を感じますが、アルスラーンに関してはなにせ9巻から10巻が出るまでかなり長かったですし、10巻から11巻の相当だったので、まあ、こんなものかなというのが感覚として染み付いているのかもしれない。11巻から13巻は、それなりに順調だったと思うんですけどね。漫画も始まったことだし、早いところ完結して欲しいのだけど、さて、20巻は超えるのかどうか。

感想としては、大きく話が動くことはなかったかな、という印象です。前回からの続きと言ってしまえばそれまでだし、確かにまあ、どの口でも政変というかクーデター的なものが起きたり、王位が交代したりもしたけど、それが物語の大筋や全体にどう関わってくるのかといえば、なんというか未知数な部分が多い。
まず、意外なほど出番が多かったシンドゥラとラジェンドラ国王ですけど、サリーマとはまた懐かしいキャラクターが出てきましたね。処刑した兄王子の奥さんで、シンドゥラでも名高い美女ですが、その人を引っ張りだしてチェルク国の王妃にとはなかなか考えたものです。ただ、この作品の王侯階級にあるご婦人というのは、アルスラーンの母であるタハミーネもそうなんですが、基本的に冷徹で腹の中がわからない人が多いですからね。再登場したサリーマにもそういった雰囲気があったし、そんな性格であることが作中で書かれているから、ハッキリ言うとタハミーネとキャラが被っていると言えなくもない。
もっとも、サリーマはタハミーネほどに心がささくれ立つ経験はしていないはずだし、それにラジェンドラが画策したチェルク支配とて、本当に上手くいくのかは分かりません。不思議なのは、サリーマという女性に叛意というか、謀反気みたいな伏線を匂わせておきながら、当のチェルクは魔将軍イルテリシュによってあっさりと陥落してしまいましたから、一体サリーマの下りはなんだったのかと思わずにはいられません。
この巻にはまさにそうした、「あれ?」という感じの引っ掛かりがとても多くて、それが伏線なのか、ただなんとなく書いただけなのかが判らないところが結構目立ちました。

たとえば、魔将軍イルテリシュに偶然仕えることになったチェルクの若き騎士ジャライルですが、彼は蛇王ザッハークの鎖をヤスリで断ち切るという、封印とは一体なんだったのかと言いたくなる地味な作業をやってのけるのですが、彼はイルテリシュによるチェルク侵攻が現実味を帯びてくると、段々不安にかられてきます。家族を救い出すためにイルテリシュの力を借りるしかないとはいえ、魔獣たちを率いての武力侵攻となれば、それはもう戦争です。母国が魔将軍や魔獣に蹂躙されるという現実を、もともと生真面目な青年である彼が受け入れられるはずもありません。
けれど、彼はそれとは別にイルテリシュの形式上の妻であるレイラに対して思慕に似た感情を抱いているようでもありました。あんな不気味な空間に美女がいて、唯一まともそうなんですから、惹かれるのも無理はないと思いますが、じゃあ、ジャライルが囚われの家族を見捨ててレイラと一緒に逃げるのかと言われたら、別にそんなこともないんですよね。
ジャライルの心境の変化みたいのが書かれているにもかかわらず、結局イルテリシュはチェルクに侵攻するし、カルハナ王は魔将軍の凶刃に倒されます。カルハナが実は武闘派でイルテリシュと打ち合えるほどの実力者だったというのは驚きですが、その際に母親を殺されたジャイラルは意気消沈して、イルテリシュが王宮の制圧を完了するのに合わせて、残された家族とともに父祖の土地に引っ込むことを決めました。
てっきり、イルテリシュの忠臣として今後も活躍するのかと思いきや、随分とあっさりした退場の仕方です。イルテリシュは止めようとはせず、ジャライルが母親の死で戦意を完全に失ったことを見抜いたこともあり、あっさりとこれを認めました。しかも、彼が去るにあたって、トゥラーン流として恩賞の金貨を持って行かせた辺り、それなりに功を労う気はあったようです。
ジャライルがあっさり退場できた理由は、唐突に現れたバシュミルというトゥラーン出身の将軍の存在が大きいです。チェルクで難民のような生活をしていたようですが、元武将なだけあった屈強な肉体をしており、トゥラーン出身ということもあってイルテリシュへの忠誠心が高く、イルテリシュの関心を買いました。
イルテリシュはすぐにバシュミルを部下にするとチェルクの文官たちを集めさせ、チェルク国の支配を実行していきます。この時点で、彼は右腕としてのバシュミルと、チェルク国に詳しい文官たちを手に入れたことになりますから、ジャライルの存在価値が大きく減じたんですね。チェルク国に行くまでは重要だったかもしれないけど、いざ支配たいせが始まれば取り立てて用がなくなる。ジャライルにその意志があれば、イルテリシュは彼を重用したかもしれないけど、彼にはその気力がなかった。

こんな風にジャライルはレイラへの思慕を抱えたまま、それを何か行動に移すこともなく消えてしまいました。一体、彼はなんだったのかと思いますが、いずれにせよジャライルが蛇王ザッハークの鎖を切った事実は変わらないし、伏線を回収する気があるのなら、レイラ絡みでまた出てくることがあるかもしれません。
次にこれってどうなのよ、と思ったのはヒルメスです。前巻でミスル国を手中に収めたかに思えたヒルメスですが、彼は遠征先の南方でまさかの大敗を喫しました。誰ぞ、作中に出てきた名のある武将かと思いきや、なんとこの巻で初登場した新キャラにです。敵の用意が周到だったことと、ヒルメスやその部下が海戦に慣れていなかったこともあるんだろうけど、それにしたってボコボコにやられすぎです。
慌てて国都にまで撤退したヒルメスは、しかし、敵の侵攻を防ぐことが出来ず、あろうことかミスル国からの退去を迫られます。あまりに上手く行きすぎていたヒルメスのミスル国支配も、蓋を開けてみれば宮殿と国都だけだったと、そういう訳ですね。しかも、彼には人心を掌握する時間がなく、ミスル人の同士討ちを嫌った兵士たちからも見放されてしまいました。
結局、ヒルメスは敗北を認めて退去という名の追放を受け入れるのですが、その際にフィトナを置いていきました。孔雀姫と呼ばれるフィトナはタハミーネの娘疑惑もある腕輪の持ち主ですが、ヒルメスはいきなり死んだ妻であるイリーナのことを思い出すようになり、意図的にフィトナの立ち位置を対等なところから下げていました。挙句にイリーナのことを忘れられない自分にフィトナをどうこうする資格はないと来たもんだ。一体、フィトナとは、いや、ミスル編とは何の意味があったんでしょうか?
私としては、田中芳樹はもうヒルメスという存在を持て余しているのではないかと思いました。武勇ではダリューンに及ばず、知謀ではナルサスに劣り、あろうことかぽっと出の新キャラに負けるとは、落ちぶれも甚だしくて見ていられません。ミスル国を抑えてアルスラーンやその他勢力に対抗していく、というのならまだしも、国を追い出されてブルハーンというトゥラーン人の部下を一人だけ従え、流浪の身に逆戻りですからね。まったく酷い話だ。

ヒルメスはマルヤムに行くらしいですが、あの国はルシタニアの元王弟ギスカールが国王として支配しています。ヒルメスがイリーナとの間に子供でも作っていれば、マルヤム王家の正統性を訴えて戦いの一つもできそうだけど、イリーナは子供を産むことなく死んでしまいましたし、彼がイリーナの夫だった事実を知るマルヤム国民は殆どいないでしょう。
それに、これは重要な事だと思いますが、おそらくマルヤム国民はギスカールにそれほどの不満はないはずです。ルシタニアの王弟が国王になったことに精神的な違和感を覚えている人は多いだろうけど、ギスカール自身は執政者としてかなり有能な方ですから、マルヤム一国の中であれば名君にだってなれてしまうんだよね。
現にギスカールは無駄な戦を避けて国作りに励んでいるし、国を富ませることに専心していると書かれています。後は彼の野心がどう転ぶかで、機会さえあればとも書かれているけど、魔軍の大将であるイルテリシュなどに比べると、国政の点ではともかく見劣りするし、今更パルス国の、アルスラーンの敵として台頭するとは思えません。あるいはマルヤムに流れ着いたヒルメスと再び手を結ぶ可能性もあるけど、あの二人は仲が良いのか悪いのか、よく分からないからなぁ。
マルヤムで気になったのは、イリーナが語った姉のミリッツァの話です。ルシタニア軍に両親である国王夫妻を殺されたミリッツァ内親王は、盲目の妹イリーナを連れて内海に面した城の一つに立てこもると、落城するまで二年もの間、激しい抗戦を続けていたというのです。やたらと出てくる女性が強い作品だけど、殆どファランギース並と考えてもいいでしょう。結局、内通者の発生で落城してしまったらしいけど、ミリッツァはイリーナを船で逃すと、自身は内海に身を投げて沈んだと書かれています。普通に考えれば自殺、自害ということになりますが……もし、生きていたとしたら? 生きていて、マルヤムに辿り着いたヒルメスと再会でもしたら、ちょっと面白そうですよね。まあ、そういった話を書くような作者ではないけど、なんとなく期待していまいます。

さて、メインであるパルス国のことを何も書いていませんが、今回もまた十六翼将から死人が出ました。それも3人と、結構な数が一気にいなくなった。最初の死者はトゥースで、2部になって三姉妹の嫁さんを貰ったムッツリスケベですが、地震の際に起こった柱の崩落からアルスラーンを守ってという戦場以外での殉職になります。
次に死んだのはグラーゼで、ギランの街を収める総督代理で、パルス国の水軍を指揮する将軍でもありましたが、魔軍との戦いで囚われの身になり、戦いの最中に転落死をするという再登場してすぐの戦死です。気風の良い海の男だっただけに残念でなりませんが、更にその戦いでジムサも死にました。トゥラーン出身の吹き矢使いでしたが、この巻ではキシュワードの養女であるオフルールとの交流が少なからず書かれました。元々、ジムサが助けた娘ではありますが、小さい子と大人の交流を書くのが、田中芳樹は上手いですね。やや唐突だったけど、自分の遺産を彼女にという辺り、後10年もあれば……と思わずにはいられない。しかし、オフルールって喋れない設定じゃなかったっけ? 普通にアルスラーンと喋っていたのだけど。
十六翼将から3人の戦死者、前巻のザラーヴァントも合わせれば4人になりましたが、「え、こいつが死ぬの?」ってキャラばかりが死んでいくんですよね。死に対して必然性や意味を求めるのは馬鹿らしいけど、作品としての必要性はどこにあるのかな? と思わずにはいられない。だってグラーゼはともかくとして、こう言っちゃなんだがトゥースとかジムサとか、別に殺してどうこうなるようなキャラでもないでしょう。生きていても死んでいても変わらないというか、だからこそ作者の毒牙、魔の手に掛かったのかもしれないが。
逆に言えばアルスラーンにとって最初期の仲間は死にそうにないよね。死亡フラグが経ったように思えたナルサスも何だかんだで生きてるし、ダリューンは大将軍になった。エラムは戦場に出ることがなそうだし、ナルサスの後継者という立ち位置もある。ファランギースやアルフリードは女性だし、ギーヴは殺しても死ななそう。そう考えていくと、最古参の6人は、ナルサス以外生き残りそうな気がしないでもない。

パルスで他に活躍したのは、従者のカセームですかね。自称、宰相ルーシャンの甥ですが、動かしやすいのか、色々なところで登場しています。意外に真面目なところもあるようで、策謀や陰謀で出世しようという気はないらしく、ちゃんと仕事をこなして行く辺り、真っ当に栄達していきそうなキャラではある。
後、一瞬の登場だったけど侍女のアイーシャが出てきましたね。アルスラーンとしっかり絡む辺り、やはりそういうことなのかと思わなくもないけど、あるいは彼女に苦言を呈することが多いエラムと……なんてこともあるのだろうか? まあ、無難にアルスラーンだとは思うけど、果たしてそれがいつ書かれるのか、そもそも次が出るのは何年後かと、なんだかため息が出そうな読了後でした。

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