神のみぞ知るセカイ コミックス第26巻 考察篇
2014年6月19日 神のみぞ知るセカイ
神のみぞ知るセカイ26巻発売と言うことでね、今日は最終巻の考察をしようかと思います。まあ、最終巻と言うよりは最終回なんだけど、結構な加筆修正もあったし、作者の言うとおりニュアンスが大分変わったので、そこら辺を踏まえた上で神のみという作品のラストについて書いていこうかなと。ただ、一部キャラクターのファンには、あんまり嬉しくない話や内容になるので、神のみ最高だった! このエンディングは素晴らしい! なんて人は、回れ右をオススメします。
検索等から来た人は、先に26巻の感想の方をどうぞ。
URL:http://mlwhlw.diarynote.jp/201406180001416250/
さて、幾つか書きたいことはあるんですが、先に26巻とは関係ないところで……26巻と最終巻、表現のブレが気になりますね。どちらも間違っちゃいないんだけど、ややこしいから26巻と言うことにしますか。まあ、それはともかく、実はツイッターに存在していた鮎川天理のアカウントが、この度botとしてリニューアルを果たしました。元々、作者が作ったアカウントであり、ネットにおける神のみ関係のイベントを取り仕切る存在だったんだけど、神のみ自体が終わると言うこともあって、その去就というか、存続については不明確なところがありました。
そこで、思い切って天理はどうなるのか訊ねたんだけど、bot化を考えていると言うことで、それが宣言通り実行された形になります。神のみの連載は終わったけど、天理とディアナはbotという形で存在し続ける。天理好きとしては、ホッとする結果になったと言えます。
天理botはツイッターbotによくある登録された台詞を2時間ごとにランダムで呟く形式を取っているのだけど、原作の台詞をそのまま呟くのではなくて、その全てがオリジナルです。非公式の二次創作ならまだしも、このアカウントは作者の所有物ですから、その呟きは限りなく公式に近いか、公式そのものと言ってもいいでしょう。
天理が、あるいはディアナの呟きは神のみ本編とリンクする部分があり、時間設定は連載中であることがそのツイートから見て取れます。その一言一言は日々の何気ない暮らしぶりや、天理の数少ない友人である榛原七香とのことなど、微笑ましいものばかりですが、いくつか気になる点が存在するのも事実です。例えば、以下の呟き。
(天理のことは私でも時々知らないことがあります…天理は何をしてるのでしょう?)— 鮎川天理 (@angelfrench_tnr) 2014, 6月 15
これはディアナのツイートになりますが、ここから読み取れるのはディアナが天理の全てを把握しているわけではない、という事実です。如何にディアナといえど、自分と出会う前の天理のことは知らないはずであり、それ故に過去篇のことは天理の口から聞くまで分からなかったのだ、と言われていましたが、天理はもしかするとディアナと出会って以降も影で色々やっていた可能性が高いです。
その証拠に、天理はこのようなことを呟いています。
ドーちゃん、学校の先生ちゃんとやってるのかな?— 鮎川天理 (@angelfrench_tnr) 2014, 6月 13
あ、白鳥のおじいさんだ…いつもかっこいい車に乗ってるなぁ。— 鮎川天理 (@angelfrench_tnr) 2014, 6月 14
天理は過去篇で桂馬と別れて以降も、彼の手紙に従い様々なことをしてきました。そうした中で一種の協力関係になっていたのがドーちゃんことドクロウと、白鳥のじいさんこと白鳥正太郎になります。特に後者は、天理の指示に従ってあれこれと手配したことが本人の口から語られていますし、天理はディアナの知らないところで、ドクロウや白鳥のじいさんとあれこれする機会を持っていたと考えるべきでしょう。
勿論、それは直接会ってとは限りません。ディアナが四六時中天理の行動を見守っているのかは知りませんが、七香や、よく吠える犬の一件を考えれば、普段からかなり天理を大切にしていることが分かります。であるなら、ドクロウや白鳥のじいさんに会っていたことをディアナが知らない、気付かないというのは無理がある。
では、どのように連絡を取っていたのか? そのヒントも、天理とディアナのツイッターにあります。
(でんわの仕組みがよくわかりません)— 鮎川天理 (@angelfrench_tnr) 2014, 6月 16
そう、電話です。天界の生まれで、しかも人間界の情報は300年前というディアナにとって、電話とは文明の利器どことか、まさしく未知の機械でしょう。女神全員がそうだとは限らないけど、古風な性格のディアナが電話を解さないというのは決して不自然な話ではありません。勿論、ディアナは仕組みと言っていますから、電話の用途自体は分かっているはずだけど、彼女がそれを使う機会はまずないだけに、天理にとっては抜け道の一つと言えるでしょう。
また、連絡手段は電話だけとは限りません。手紙は時間が掛かるからともかく、ファックスという手もあるだろうし、他にも現代人にとってはオーソドックスな、こんな方法もある。
榛原さんにメールしとこっと。— 鮎川天理 (@angelfrench_tnr) 2014, 6月 17
天理が七香とメールのやり取りをする関係というのは意外でしたが、それはともかくとしてメールです。天理の部屋にパソコンはありませんが、自宅のどこかにはあるかも知れないし、そもそも携帯のメールがあります。ディアナがどこまで天理と視界を共有しているのか知りませんが、携帯メールをこっそり打ち込んで連絡を取るぐらいは決して不可能ではないでしょう。
勿論、10年という長い時間を考えれば、何回か顔を合わせる機会もあっただろうけど、天理は電話やメールと言った手段を用いて、ドクロウや白鳥のじいさんと連絡を取り合っていたのではないか? 書いてみると実に単純な、当たり前の話のように思えますけど、一つの答えにはなっているかなと。それにターニングポイントといえるほど大きな出来事はそれほどなかったはずだし、案外連絡頻度は少なかったのかも知れない。
天理botから考察する天理の10年間はこんな感じだけど、後はOVA主題歌だったヒカリノキセキとか、最終回のタイトルにもなった未来への扉の歌詞なんかは、改めて聴いてみると深いよね。どちらも天理を象徴する歌であり、ヒカリノキセキは桂馬との関係を日々と、想い出を歌っている。
過去篇に置いて、天理は自分と桂馬のことを「運命だ」と言いました。しかし、26巻で天理が語ったように、25巻で桂馬が口にしたとおり、桂馬自身は「運命じゃない」と否定した。でも、天理本人は……やはり、運命だと思っていたのではないでしょうか?
運命だと信じているからとは、まさに天理のそうした気持ちを歌っている歌詞のように感じます。
そして、未来への扉は……改めて歌詞を読むと、驚くほど最終回にリンクしています。タイトルにするぐらいですから、作者はこの歌詞から最終回の内容を、情景を構想したのではないかと思うほどであり、生まれたての想いがあふれてくとは、まさしく最終回に天理が流した涙そのものだった。桂馬に告白することが出来なかった天理。それは彼女が、踏み出して傷付くことを恐れていたなんじゃないか?
なんて、そんなことを考えてしまいます。
26巻の考察と言いつつも天理のことばかりですが、ここからはちょっときつい話になります。最終巻、最終回に満足して、最高のエンディングだったとか思っている人はお帰り下さい。まあ、別にエンディングがどうこう言うつもりはないんだけど、昨日からずっと考えていたことがあるというか、思い至ったことがありまして。
勿体付けるのもあれなんで書きますけど、桂馬って本当にちひろのことが好きなんですかね?
いきなりなにを言い出すんだと言われるかも知れないけど、割と真面目に書いてます。根拠と言えるものも、一応はあると思います。
まず最初に、どうしてそんなことを考えたのかというと、やはり最終回で加筆修正された、ちひろとの一連のやり取り。本誌掲載時にあった桂馬はちひろに恋してますみたいな表情が改められて、酷くクールな顔付きになったこと。別にちひろが嫌いになったとか、興味がなくなったなんてことはないだろうけど、あるいはそこに恋愛感情が存在しないのだとすれば、どうだろうか?
思えば桂馬はちひろが好きというのは、ドクロウと、そして天理が示唆していることであって、桂馬自身は否定も肯定もしていません。確かに告白はしたけれど、それはされた当人であるちひろがそうであるように、簡単に信じられるものではない。だけど連載時なら、あの如何にもといった表情が桂馬の恋心を物語っており、口に出さずとも本音であり、本心だと言うことが見て取れました。
だけど、今やそうした恋する少年の桂木桂馬はどこかに消えてしまった。更に重要な加筆修正として、結のシーンがある。
「桂馬くんがボクらと仲良くしないのは…ボクらが好きだからさ!!」
「つまり!! ボクにもチャンスがあるってこと!!」
昨日の感想にも載せた台詞であるが、連載時より前向きに、そして一途に桂馬のことを想っている結の言葉には、一つ気になるところがある。というのも、結は「ボクらが好きだから」とは言っているが、「ボクらのことも好きだから」とは言ってないのだ。桂馬の想い人がちひろであるという事前情報があるにもかかわらず、結は敢えてボクら=女神の宿主に絞っているのだ。
更に、これは掲載時から変わっていないが、結は桂馬に好きな人がいたという事実を意外という風に捉えていて、心底驚いていた。つまり、ドクロウや天理と違い、結にとっては桂馬がちひろを好きだということは半信半疑なのだろう。それどころか、上記の言葉を考えれば信じていない可能性すらあり得てくる。
ではもし、結の言葉が100%真実だったとすればどうだろうか? 桂馬は天理含めた宿主たちのことが好き。それが紛れもない事実だったとしよう。そんなまさかと思うかも知れないが、同じく26巻では、天理と歩美がこんな会話をしている。
「私は本気で好きになっちゃったんだよ!! どうしたらいいの!?」
「それは…桂馬くんも同じだよ!!」
「だから今、桂馬くんも悲しいんだよ!!」
この台詞が掲載されたとき、私は天理の発言を宿主から本当に愛されてどうすれば良いのか分からない桂馬のことをさしているのだと思いました。歩美の気持ちに対して同じ、つまり桂馬も歩美のことが好きだとは、露ほどにも考えなかった。だから、これは桂馬の困惑や戸惑いをさしているのだろうと、そんな風に結論づけた。
でも、これが言葉通りの意味だとすれば? 桂馬も同じ、同じように歩美を始めとした宿主のことを好きになっていたのだとすれば、どうでしょうか? 会話の流れからすれば、そちらの方が自然なのは確かだし、もしこれが事実なのであれば、桂馬は宿主を選ばなかったのではなく、選べなかったという可能性さえも出てきます。
最終回の感想か、あるいは考察で書いたと思いますが、桂馬は最終回における一連の流れをシステムだと言いました。自分が独り身であることは不味いから、だからちひろに告白したのだと。それに対して私は、システムだというのならば、より完成度が高いであろう宿主から選んだ方が確実ではないかと書きました。そして、宿主から選ばない時点で、それはちひろの元へ向かう言い訳でしかないと。
あのときは確かにそう思ったけど、今は異なる可能性が存在するのではないか?
もし桂馬が本当に宿主たちのことが好きで、誰か一人を選ぶことが出来なかったのだとすれば、結の台詞や、天理と歩美のやり取りにも一応の辻褄というか、説明がついてしまう。そして、ちひろの元に走った真意すらも。
桂馬は自身が言ったように、物語から女の子たちを解放するシステムのキーとしてのみ、ちひろを求めたのかも知れない。愛する彼女たちを選ぶことが出来ず、しかし、関係を続けることも出来ない。だから、桂馬にはちひろが必要だった。恋愛感情ではなく、合理性。宿主ではない、記憶を失っている攻略ヒロインでもないちひろは、桂馬がシステムを完成させる条件としては、理想的ではないにしても、現実的であった。
そして恋愛感情がないからこそ、「なにも考えてない」のであり、将来像を抱かないからこそ、「どーなるか分からん」のではないか。
作者は最終回掲載時に、あれは桂木桂馬のために作った、桂馬へのお礼であると言いました。その礼が、掲載時に済まされていたのだとすれば? 26巻では、また違う答えと可能性を用意してきたとも考えられなくはないはずだ。それが上記のような極端なものかはともかく、少なくとも加筆修正された最終回が結末を限定しないものになったことは確かだ。故に私は、その幾つかについてこれからも考えを巡らせようと思う。
まあ、考察としてはこんなところでしょうか。最後は随分と逆説的になっている気がするけど、これも一つの考え方ではないかなと。作者がブログで解説すると言っているからには、上記の考察などするまでもなく、疑問、質問はすべからく回収されていくのかも知れませんが、そのときはそのときってことで。
とにもかくにもお疲れ様でした。まだまだ続くらしい神のみプロジェクトに期待しつつ、次のオンリー出だす本のネタでも練ることにしましょう。
※6月20日更新
エルシィに対する考察論を書きました→http://mlwhlw.diarynote.jp/201406201455467809/
検索等から来た人は、先に26巻の感想の方をどうぞ。
URL:http://mlwhlw.diarynote.jp/201406180001416250/
さて、幾つか書きたいことはあるんですが、先に26巻とは関係ないところで……26巻と最終巻、表現のブレが気になりますね。どちらも間違っちゃいないんだけど、ややこしいから26巻と言うことにしますか。まあ、それはともかく、実はツイッターに存在していた鮎川天理のアカウントが、この度botとしてリニューアルを果たしました。元々、作者が作ったアカウントであり、ネットにおける神のみ関係のイベントを取り仕切る存在だったんだけど、神のみ自体が終わると言うこともあって、その去就というか、存続については不明確なところがありました。
そこで、思い切って天理はどうなるのか訊ねたんだけど、bot化を考えていると言うことで、それが宣言通り実行された形になります。神のみの連載は終わったけど、天理とディアナはbotという形で存在し続ける。天理好きとしては、ホッとする結果になったと言えます。
天理botはツイッターbotによくある登録された台詞を2時間ごとにランダムで呟く形式を取っているのだけど、原作の台詞をそのまま呟くのではなくて、その全てがオリジナルです。非公式の二次創作ならまだしも、このアカウントは作者の所有物ですから、その呟きは限りなく公式に近いか、公式そのものと言ってもいいでしょう。
天理が、あるいはディアナの呟きは神のみ本編とリンクする部分があり、時間設定は連載中であることがそのツイートから見て取れます。その一言一言は日々の何気ない暮らしぶりや、天理の数少ない友人である榛原七香とのことなど、微笑ましいものばかりですが、いくつか気になる点が存在するのも事実です。例えば、以下の呟き。
(天理のことは私でも時々知らないことがあります…天理は何をしてるのでしょう?)— 鮎川天理 (@angelfrench_tnr) 2014, 6月 15
これはディアナのツイートになりますが、ここから読み取れるのはディアナが天理の全てを把握しているわけではない、という事実です。如何にディアナといえど、自分と出会う前の天理のことは知らないはずであり、それ故に過去篇のことは天理の口から聞くまで分からなかったのだ、と言われていましたが、天理はもしかするとディアナと出会って以降も影で色々やっていた可能性が高いです。
その証拠に、天理はこのようなことを呟いています。
ドーちゃん、学校の先生ちゃんとやってるのかな?— 鮎川天理 (@angelfrench_tnr) 2014, 6月 13
あ、白鳥のおじいさんだ…いつもかっこいい車に乗ってるなぁ。— 鮎川天理 (@angelfrench_tnr) 2014, 6月 14
天理は過去篇で桂馬と別れて以降も、彼の手紙に従い様々なことをしてきました。そうした中で一種の協力関係になっていたのがドーちゃんことドクロウと、白鳥のじいさんこと白鳥正太郎になります。特に後者は、天理の指示に従ってあれこれと手配したことが本人の口から語られていますし、天理はディアナの知らないところで、ドクロウや白鳥のじいさんとあれこれする機会を持っていたと考えるべきでしょう。
勿論、それは直接会ってとは限りません。ディアナが四六時中天理の行動を見守っているのかは知りませんが、七香や、よく吠える犬の一件を考えれば、普段からかなり天理を大切にしていることが分かります。であるなら、ドクロウや白鳥のじいさんに会っていたことをディアナが知らない、気付かないというのは無理がある。
では、どのように連絡を取っていたのか? そのヒントも、天理とディアナのツイッターにあります。
(でんわの仕組みがよくわかりません)— 鮎川天理 (@angelfrench_tnr) 2014, 6月 16
そう、電話です。天界の生まれで、しかも人間界の情報は300年前というディアナにとって、電話とは文明の利器どことか、まさしく未知の機械でしょう。女神全員がそうだとは限らないけど、古風な性格のディアナが電話を解さないというのは決して不自然な話ではありません。勿論、ディアナは仕組みと言っていますから、電話の用途自体は分かっているはずだけど、彼女がそれを使う機会はまずないだけに、天理にとっては抜け道の一つと言えるでしょう。
また、連絡手段は電話だけとは限りません。手紙は時間が掛かるからともかく、ファックスという手もあるだろうし、他にも現代人にとってはオーソドックスな、こんな方法もある。
榛原さんにメールしとこっと。— 鮎川天理 (@angelfrench_tnr) 2014, 6月 17
天理が七香とメールのやり取りをする関係というのは意外でしたが、それはともかくとしてメールです。天理の部屋にパソコンはありませんが、自宅のどこかにはあるかも知れないし、そもそも携帯のメールがあります。ディアナがどこまで天理と視界を共有しているのか知りませんが、携帯メールをこっそり打ち込んで連絡を取るぐらいは決して不可能ではないでしょう。
勿論、10年という長い時間を考えれば、何回か顔を合わせる機会もあっただろうけど、天理は電話やメールと言った手段を用いて、ドクロウや白鳥のじいさんと連絡を取り合っていたのではないか? 書いてみると実に単純な、当たり前の話のように思えますけど、一つの答えにはなっているかなと。それにターニングポイントといえるほど大きな出来事はそれほどなかったはずだし、案外連絡頻度は少なかったのかも知れない。
天理botから考察する天理の10年間はこんな感じだけど、後はOVA主題歌だったヒカリノキセキとか、最終回のタイトルにもなった未来への扉の歌詞なんかは、改めて聴いてみると深いよね。どちらも天理を象徴する歌であり、ヒカリノキセキは桂馬との関係を日々と、想い出を歌っている。
過去篇に置いて、天理は自分と桂馬のことを「運命だ」と言いました。しかし、26巻で天理が語ったように、25巻で桂馬が口にしたとおり、桂馬自身は「運命じゃない」と否定した。でも、天理本人は……やはり、運命だと思っていたのではないでしょうか?
運命だと信じているからとは、まさに天理のそうした気持ちを歌っている歌詞のように感じます。
そして、未来への扉は……改めて歌詞を読むと、驚くほど最終回にリンクしています。タイトルにするぐらいですから、作者はこの歌詞から最終回の内容を、情景を構想したのではないかと思うほどであり、生まれたての想いがあふれてくとは、まさしく最終回に天理が流した涙そのものだった。桂馬に告白することが出来なかった天理。それは彼女が、踏み出して傷付くことを恐れていたなんじゃないか?
なんて、そんなことを考えてしまいます。
26巻の考察と言いつつも天理のことばかりですが、ここからはちょっときつい話になります。最終巻、最終回に満足して、最高のエンディングだったとか思っている人はお帰り下さい。まあ、別にエンディングがどうこう言うつもりはないんだけど、昨日からずっと考えていたことがあるというか、思い至ったことがありまして。
勿体付けるのもあれなんで書きますけど、桂馬って本当にちひろのことが好きなんですかね?
いきなりなにを言い出すんだと言われるかも知れないけど、割と真面目に書いてます。根拠と言えるものも、一応はあると思います。
まず最初に、どうしてそんなことを考えたのかというと、やはり最終回で加筆修正された、ちひろとの一連のやり取り。本誌掲載時にあった桂馬はちひろに恋してますみたいな表情が改められて、酷くクールな顔付きになったこと。別にちひろが嫌いになったとか、興味がなくなったなんてことはないだろうけど、あるいはそこに恋愛感情が存在しないのだとすれば、どうだろうか?
思えば桂馬はちひろが好きというのは、ドクロウと、そして天理が示唆していることであって、桂馬自身は否定も肯定もしていません。確かに告白はしたけれど、それはされた当人であるちひろがそうであるように、簡単に信じられるものではない。だけど連載時なら、あの如何にもといった表情が桂馬の恋心を物語っており、口に出さずとも本音であり、本心だと言うことが見て取れました。
だけど、今やそうした恋する少年の桂木桂馬はどこかに消えてしまった。更に重要な加筆修正として、結のシーンがある。
「桂馬くんがボクらと仲良くしないのは…ボクらが好きだからさ!!」
「つまり!! ボクにもチャンスがあるってこと!!」
昨日の感想にも載せた台詞であるが、連載時より前向きに、そして一途に桂馬のことを想っている結の言葉には、一つ気になるところがある。というのも、結は「ボクらが好きだから」とは言っているが、「ボクらのことも好きだから」とは言ってないのだ。桂馬の想い人がちひろであるという事前情報があるにもかかわらず、結は敢えてボクら=女神の宿主に絞っているのだ。
更に、これは掲載時から変わっていないが、結は桂馬に好きな人がいたという事実を意外という風に捉えていて、心底驚いていた。つまり、ドクロウや天理と違い、結にとっては桂馬がちひろを好きだということは半信半疑なのだろう。それどころか、上記の言葉を考えれば信じていない可能性すらあり得てくる。
ではもし、結の言葉が100%真実だったとすればどうだろうか? 桂馬は天理含めた宿主たちのことが好き。それが紛れもない事実だったとしよう。そんなまさかと思うかも知れないが、同じく26巻では、天理と歩美がこんな会話をしている。
「私は本気で好きになっちゃったんだよ!! どうしたらいいの!?」
「それは…桂馬くんも同じだよ!!」
「だから今、桂馬くんも悲しいんだよ!!」
この台詞が掲載されたとき、私は天理の発言を宿主から本当に愛されてどうすれば良いのか分からない桂馬のことをさしているのだと思いました。歩美の気持ちに対して同じ、つまり桂馬も歩美のことが好きだとは、露ほどにも考えなかった。だから、これは桂馬の困惑や戸惑いをさしているのだろうと、そんな風に結論づけた。
でも、これが言葉通りの意味だとすれば? 桂馬も同じ、同じように歩美を始めとした宿主のことを好きになっていたのだとすれば、どうでしょうか? 会話の流れからすれば、そちらの方が自然なのは確かだし、もしこれが事実なのであれば、桂馬は宿主を選ばなかったのではなく、選べなかったという可能性さえも出てきます。
最終回の感想か、あるいは考察で書いたと思いますが、桂馬は最終回における一連の流れをシステムだと言いました。自分が独り身であることは不味いから、だからちひろに告白したのだと。それに対して私は、システムだというのならば、より完成度が高いであろう宿主から選んだ方が確実ではないかと書きました。そして、宿主から選ばない時点で、それはちひろの元へ向かう言い訳でしかないと。
あのときは確かにそう思ったけど、今は異なる可能性が存在するのではないか?
もし桂馬が本当に宿主たちのことが好きで、誰か一人を選ぶことが出来なかったのだとすれば、結の台詞や、天理と歩美のやり取りにも一応の辻褄というか、説明がついてしまう。そして、ちひろの元に走った真意すらも。
桂馬は自身が言ったように、物語から女の子たちを解放するシステムのキーとしてのみ、ちひろを求めたのかも知れない。愛する彼女たちを選ぶことが出来ず、しかし、関係を続けることも出来ない。だから、桂馬にはちひろが必要だった。恋愛感情ではなく、合理性。宿主ではない、記憶を失っている攻略ヒロインでもないちひろは、桂馬がシステムを完成させる条件としては、理想的ではないにしても、現実的であった。
そして恋愛感情がないからこそ、「なにも考えてない」のであり、将来像を抱かないからこそ、「どーなるか分からん」のではないか。
作者は最終回掲載時に、あれは桂木桂馬のために作った、桂馬へのお礼であると言いました。その礼が、掲載時に済まされていたのだとすれば? 26巻では、また違う答えと可能性を用意してきたとも考えられなくはないはずだ。それが上記のような極端なものかはともかく、少なくとも加筆修正された最終回が結末を限定しないものになったことは確かだ。故に私は、その幾つかについてこれからも考えを巡らせようと思う。
まあ、考察としてはこんなところでしょうか。最後は随分と逆説的になっている気がするけど、これも一つの考え方ではないかなと。作者がブログで解説すると言っているからには、上記の考察などするまでもなく、疑問、質問はすべからく回収されていくのかも知れませんが、そのときはそのときってことで。
とにもかくにもお疲れ様でした。まだまだ続くらしい神のみプロジェクトに期待しつつ、次のオンリー出だす本のネタでも練ることにしましょう。
※6月20日更新
エルシィに対する考察論を書きました→http://mlwhlw.diarynote.jp/201406201455467809/
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