日本橋のTOHOシネマズで「シェフ~三ツ星フードトラック始めました~」を観てきました。二日連続で同じ映画館に来た訳ですが、この映画は先週、先々週にも観ようと思って、雨で延期していた作品です。今日も雨がぱらついてたけど、昨日のうちにチケットは買ってましたから、これはもう行くしかないなと。
既に公開から3週間程度は経っている作品ですが、劇場内の人入りも良く、早期に打ち切られることもなく上映が続いているところ見ると、結構人気なんですかね?

あらすじについて簡単に触れると、ロサンゼルスの有名フランス料理屋で料理長を務めるシェフが、頑固で分からず屋のオーナーと対立し、自分の望む料理を作れない中、ふとした切欠で始めたツイッターから、人生を変えることになる……といった感じの話です。
ざっと説明すれば、有名な料理批評ブログを運営していた男に、オーナーの指示通り作った料理をこき下ろされたシェフが、その記事がツイッターで拡散されていると知って、自分もツイッターに登録するところから物語は始まっていきます。ジョン・ファヴロー演じるシェフ、カール・キャスパーは、料理を作ることを至上の喜びとし、結婚して妻子を持つも、家庭作りには失敗するなど、とにかくプロの料理人であることに誇りとプライドを持つキャラです。
予告編を見ると、オーナーと喧嘩してすぐにフードトラックを始めたような印象を受けるけど、実際にトラックを、移動屋台を始めるのは物語の後半に入ってからと結構遅い。しかも、元々は別れた女房が勧めていた話で、カールは乗り気じゃなかったんですね。
しかし、ブログの一件でプライドを傷付けられたと感じたカールは、登録したばかりのツイッターで批評家にリプライを送ってしまいます。個人的な内容を、個人にだけ送ったと思い込んだままに。当然、DMでもないカールの下品な反論は批評家によってRTされ、十万単位でフォロワーを持つ彼との間に檄が生じます。ネットでは彼らの対決をはやし立て始め、カールは料理で対抗しようと、彼に酷評されたのとは違う、全くの新作を用意しようとするのですが……それもまた、分からず屋のオーナーに止められ、逆に解雇されてしまいました。

結果、カールは店を追い出され、再び来店した批評家に出されたのは前回来たときと同じメニュー。批評家は酷評し、カールは逃げ出したと罵倒ツイートをしますが、それにぶち切れたカールは店に舞い戻り、批評家に罵声を浴びせる訳です。
けれど、このとき店に来ていた客の多くは、ネットの騒動を聞きつけた者ばかりで、つまりツイッターなどのSNSやツールに明るい人達でした。カールがキレて叫び声を上げる姿はたちまちネット動画としてYouTubeなどに公開され、カールは一躍時の人、正し仕事にはありつけない状態となってしまいました。要するに炎上した訳ですが、これはカールの無知から来る結果であり、決してツイッターを始めとしたSNSを悪くは描いていません。
YouTubeを始めとした動画を消すことは難しいという現代社会におけるイタチごっこについても分かりやすく説明されており、その辺りが非常に現代的な感覚で作られてるんだよね。カールはそれまで料理一筋で、SNSなどには触れたこともないような職人気質の人でした。息子が汚い、悪い言葉を使うことにも敏感で、YouTubeなどで知ったと言えば顔を顰めるなど、清廉とした人柄の持ち主で、それは彼が批評家に罵声を浴びせたとき、どこか無理をして、必死になって汚い言葉を考え、吐き出していたことからも見て取れます。
彼はブログやツイッターを始めとしたネットの影響で全てを失い、一度ならずツイッターをやめることを考えました。しかし、そんな彼を救ったのもまた、ツイッターだったのです。

別れた女房の元夫の援助という、何とも複雑な構図からフードトラックを入手したカールは、息子と、元の職場で一緒だったコックと共に移動屋台を始めます。予告ではキューバサンドイッチだけみたいな印象を受けますが、芋のフライや、テキサスに行ったときはテキサスBBQなど、伝統的な料理屋地元の食材なども多数取り入れ、メニューは豊富とは行かないまでも、充実していたように思えます。
そんなフードトラックの宣伝として活躍したのが、他でもないツイッター。そして、フェイスブックです。位置情報を登録することで今現在屋台がどこで販売しているかを世界中に伝え、写真をアップし、如何に楽しそうに屋台をやっているか、料理をしているかを見せていく。テレビに取り上げられた訳でも、雑誌に掲載された訳でもない。シェフの息子が投稿したツイートの一つ一つが、写真の一枚一枚が人を呼び、屋台を繁盛させていったのです。
シェフは言います。「俺の息子で、コックの見習い中なんだ。ツイッターはこいつがやってる」と。
ツイッターによって全てを失ったはずの男が、今やツイッターによって世界と繋がり、客を呼び、料理を作る喜びを取り戻していたのです。しかも、それを嬉しそうに訪れる客に語っていく。
そんなシーンを見たとき、私はこの作品がSNSを中心としたネット文化に対し、極めて好意的で、理解のある話だと感じました。日本では多分、こうは行かないでしょう。ツイッターは一部ネット住人からはバカッターと揶揄され、さながら炎上発生装置扱いで、既存のTVメディアや出版業界は、焦りからか、未だにネットを胡散臭い者扱いして下に見ています。

私がシェフという作品で驚いたのは、作中にTVを見るシーンや、新聞・雑誌を読むシーンが一切登場しないことです。小鳥が呟きを運ぶ姿は幾度となく描写されるけど、ネット以外の既存メディアが全く登場しないんですね。
たとえば批評家に罵声を浴びせて炎上したシーンにしても、昔の映画なら翌朝新聞や雑誌の三面記事にでも掲載されて「くそっ!」とでも言いながらグシャグシャにするか、TVでちょっと取り上げられて乱暴にリモコンで消すと言った、そんな描写になっていたことでしょう。それがこの作品では、批評家が批評した場は数十万ドルの価値があると言われる有名ブログで、晒されたのはツイッター。フェイスブックも登場するけど、とにかく全てがネットのSNSや動画サイトで完結してしまってるんです。
つまり、ネットでのありがちな失敗を、ネットで挽回してるんですね。そこには最初からネットに対する偏見や悪意がなく、ツールを好意的に取られているからこそ、出来たのだと思います。
そして、おそらく今の日本にそれは出来ないことだろうと。日本はネットに対する偏見が強いから、ドラマなんかを見てもネットは良くないものという前提から話作りを始めています。だから、きっと逆立ちしたってこんな内容の物語は作れないんです。
ただ、ツイッターを始めとしたSNSの有用性を理解し、この映画のように活用している人達もいます。それはたとえば秋葉原のお店とか、その辺りが顕著でしょう。秋葉原という街は一つの文化発信点であり、流行の生まれる場所でもあるけど、電気街という特性からか、ネットツールに対する抵抗感が非常に少ないんですね。
だから、店は積極的にツイッターやフェイスブックを宣伝媒体に使うし、それは老舗だって変わりません。私がよく行く秋葉原の天ぷら屋は昭和の時代から営業しているそうですが、ここは昨年の夏頃にアカウントを取得し、私はそれを通じてお店にお邪魔しました。初めて来店した際、ツイッターを見ましたと言ったときの女将さんの嬉しそうな顔は、上記の映画で息子がツイッターを管理していると誇らしげに、そして嬉しそうに伝えたシェフのそれにとても近いような気がしたのです。
料理や家族愛を通して分かる、ツイッターを始めとしたSNSや動画サイトの現在と将来性。そのことが非常によく伝わってくる映画であり、飲食店に限らず、何かお店や商売をやっている人に是非観て欲しい、そんなロードムービーでした。

シェフの物語は、カール・キャスパーが一度どん底に落ちて、そこから再起を図る話です。故にフードトラックを手に入れてから楽しい旅のスタートであり、それ以降は事件というほどの事件は何も起こりません。だから全体的に楽しく観られるし、話運びに安心感みたいのがあるんだよね。無理にドラマ性を付けないというか、たとえば屋台を初めてキューバサンドイッチが飛ぶように売れているとき、あそこでカールが売上を箱に仕舞うシーンが二度ほど登場します。
これが凡庸な話だと、売上を泥棒に取られるか、あるいはロスから駆けつけた同僚が裏切って売上を持ち逃げするか……なんて、ありがちなドラマを入れてきそうなものだけど、シェフにはそういったものが一切ないんだよね。ロスから駆けつけてきた同僚は、元の職場でスーシェフ、つまり、副料理長みたいな立場にまで昇進したというのに、カールがフードトラックを買ったと聞きつけたら、そこを辞めてマイアミまでやってきたのです。
「次の店に入ったら、呼んでくれる約束でしたよ」
「給料は出ないぞ?」
地位や賃金よりも友情を。尊敬するシェフの店で働きたい、お祝いに車の塗装をプレゼントする。こういう性格の男が、裏切るはずなんてないじゃないですか。
それもこれも、シェフ、カール・キャスパーの人となりが為せる技で、別れた女房と暮らしている息子も、どちらかと言えば父親と一緒にいる時間を大事にして、シェフとしての彼を尊敬しているフシがあります。だからこそ、一緒に屋台をやりたかったのでしょう。
カールは息子に言います。
「自分は良い夫、良い父親でもなかったが……料理が作れる」と。
息子がカールを尊敬しているのは正にその一点が大きく、親子の仲も、そして夫婦の仲も、料理が取り持ったと考えて良いでしょう。

親子愛、友情、料理をすること楽しさ。
それらを詰め込み、心が幸せで満腹になる。元気を出したい人に向けて。ごちそうさまでした。

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