世間様は台風で酷いことになって、私も仕事が飛んだりしたのだけど、地元はまあ奇跡的に何事もなく夜明けを迎えることが出来たので、今日は映画を観てきました。相鉄線が平常通り運行していたのは驚いたけど、丁度横浜に出た辺りで上野東京ライン……と言っても東京までだから東海道線か。それも動き出したので、川崎へ行くことが出来たんですね。
行きの横浜駅は12時過ぎても百貨店や駅ビルが営業していないシャッター街。勿論、昨日だってそうだったんでしょうけど、昨日は外に出てないから、何だか新鮮でした。
そんな訳で、川崎チネチッタでアニメ映画「空の青さを知る人よ」を鑑賞してきました。超平和バスターズによる第3作、心は叫びたがってるんだから数えて4年振りになりますか。監督と脚本家だけなら間に鉄血のオルフェンズとかありますけど、まあ、ガンダムは関係ないので置いときましょう。
今年はアニメ映画が多い年で、3年前の君の名はによって産まれた一種のブームが、色々な企画にGOサインを出した結果だと言われています。劇場アニメは作るのに時間掛かりますから、今年になって完成したり、公開に漕ぎ着けた作品が多かったと言うことですね。奇しくも、ある日は必然か、君の名はの次作にあたる天気の子も夏に上映されたことで、そういった有象無象は大分忘れ去られた感がありますけど、本作「空の青さを知る人よ」は、天気の子の公開後に上映された作品なので当然ながらちょっと立ち位置が違います。
パンフレットによると、企画自体はここさけの制作終盤から次作も出来ることが決まっていたようですが、公開まで4年掛かったのはやっぱりガンダムがあったから……なんでしょうかね? 詳しいことは分かりませんが、私はここさけが結構好きというか、何であんなに劇場通ったのか、今となっては分からないほどリピーターをやっていたので、空の青さを知る人よが発表された当時、迷わず観に行くことを決めてました。ちなみにあの花に関しては本放送時、圧倒的に「C」の方が好きだったから、ちゃんと観たのは少し後になってからでした。なので、私の超平和バスターズは、ここさけから始まってるんですね。
空の青さを知る人よは、何度も書いているとおり4年振りの新作です。シリーズ物というわけではありませんが、同じ座組の作品で、なまじ1作目からヒットしているともなれば、その真価を問われるのは3作目だと私は思います。
つまり、2作目のここさけは「あの花スタッフが送る」という宣伝文句が使えて、その効果によるヒットというのもある程度はあったと思うんですね。だから、ここさけの作中にはあの花のキャラクター……と言ってもメインではないですが、それがちょっとは出てきましたし、あの花の存在を匂わせたり、強く出したりすることが必要だった。
けど、3作目ともなるといつまでもそれに頼っているわけにもいかず、同じ秩父が舞台の作品でも、過去作とは違うアプローチが必要になってくる。なので、どんな作品を出してくるのかと楽しみにしていたのですが……そこに広がっていたのは、意外なほど爽やかで、シンプルな物語でした。
私はここ最近、映画はそれほど事前情報を集める方じゃなくて、この作品も劇場予告とTVCM、あとは公式HPをチラッと見たぐらいで、けれど、たったそれだけで大体の内容が分かってしまうほどには、さっぱりしてたんですよね。別に彗星とか降ってこないし、東京が水没したりもしないし、幼馴染みの女の子が死んで幽霊になって出てきたりとか、呪いで喋れなくなった女の子が失恋したりもしない。
言ってしまえば、非常に明るい作風で、それが物語の分かりやすさに繋がっているというか。
私はてっきり、この映画はあおいが主人公で、あおいの成長物語だと思ってました。慎之介とあかねが全面に出されているのは、中の人による宣伝効果を狙ってのものだ、と。確かにそれは合ったと思います。
けど、鑑賞を終えてみると、なるほど、これは確かに慎之介とあかね、そしてしんのの物語で、あおいは語り部や視点とも言えるキャラクターなんですね。
確かに彼女はしんのが初恋で、生き霊となって現れたしんのに二度目の初恋をするわけですけど、それは実のところ主軸じゃないんです。だから、彼女は慎之介の存在に幻滅して失望はするけど、自分で彼と向き合うことはない、何故ならそれはヒロインであるあかねの役目であり、主人公であるしんのの務めだから。
あおいの進学や、音楽にしても、たとえばここさけならば順の拓実に対する想いや、地域交流会のミュージカルなどが物語における大きな軸になってくるわけですが、今作ではしんのとの恋愛や、あおいと慎之介がベースやギターを弾く音楽祭そのものは話の終着点、つまり、ラストにはなりません。なにせ、イベントそのものが開催する前に物語は終わり、EDの写真という形で描かれただけですから、本筋はそこじゃないんです。
じゃあ、どこなのか? それはあおいとあかねの姉妹愛であり、あかねと慎之介の再会であり、しんのと慎之介の対峙ではないか。特にあおいとあかねの姉妹愛はメインと言ってもよく、あおいが最終的に秩父を出ない選択肢を選んだらしいことからも分かります。
あおいは姉の青春を犠牲にした負い目があって、慎之介も元カノに対するばつの悪さがある。だから、あおいは秩父を出て行きたかったし、慎之介は秩父に帰りたくなかった。
あおいはしんのに恋をするけど、彼の存在が永遠でないことも頭の中で分かっていて、それでいてあかねが今も慎之介を好きで、何よりしんのがあかねを好きなことも知っていたから、身を引くと言うよりは自分の中でしっかりと飲み込んで区切りを付けます。
故に、しんのが消えてしまうこと自体は、物語上における大きな事件ではないんですよ。だから、ラストで彼はあっさりと消えてしまうのです。あおいだけが一陣の風で彼がいなくなったことを悟ったけど、それで良いんです。
そう考えたとき、彼女が経験するのは失恋ではなくて、悲恋なんですね。
土砂崩れも人死にやけが人が出るようなものではなく、たとえばここさけの終盤なんかに比べると痛々しさがありません。又、慎之介があかねを押し倒そうとするシーンもあるにはありますが、あかねは軽く交わしますから、静的に生々しい部分もない。一瞬、慎之介は千佳と関係を持ったのかと動揺しましたが、千佳に手を出さなかったのが慎之介の中にあるあかねへの未練を強く印象づけました。
これが少女漫画とか、いや、前作なら確実に手を出してましたよ。うん。
千佳と正嗣のキャラも良かったですね。千佳はあおいの単なるクラスメートで、別に仲は良くなかった。嫌い合っていたわけではないにせよ、学友からバンドに誘われたときの態度や、勉学に精を出していないことなど、あおいは学校生活にあまり楽しみを見出していなかったタイプでしょう。
対する千佳は都会に憧れる女子高生で、バンドマンの彼氏が欲しい、秩父を出たいなど、まあ、ギャル系といやギャル系です。硬派なところがあるあおいとは真逆と言っても良く、慎之介の件で複雑な気持ちを抱いていた彼女から良く思われないのは当然なんですね。
けど、千佳の面白いところは慎之介から相手にされなかったからと言って、別に音楽祭への関わりをやめたりはしないんですよ。あおいから酷いこと言われても、自分がうざったい絡み方をしていたことを自覚した上で、ぶつかり合ったりしない。妙なところでサッパリした部分があるし、そうした本質が分かったからこそ、あおいは彼女に対する認識を軟化させて、EDでも分かるように友人関係を築く。
そして正嗣は、まあ、最初に出てきたときからバレバレでしたが、あおいのこと好きで、彼女の存在を自分の人生プランに組み込んで生きている大人びた少年です。彼の想いが報われてたのかは分かりませんけど、あおいは正嗣に対してはかなり気を許しているというか、お堂での練習でも側に置いてますし、逃げ込む先として選んだりなど、あかねの次に近しい存在なんですね。普通なら学校の友達とかになるんでしょうが、そうじゃないのが面白い。
正嗣にしてみれば、11歳の小学生男子が高校生のお姉さん、それも結構可愛いに惚れない理由はないですし、始終冷静で、小学生離れしたクールな彼が、しんのの登場で心を乱していくのは当然の流れと言えるでしょう。けど、正嗣の良いところは焦ってあおいに告白するのではなくて、恋敵であるしんのに自分の想いを告げることろですよね。正嗣は賢いから、小学生の自分が高校生のあおいに告白しても失恋どころか、相手にされないことを分かっている。だから彼は、自分がどのタイミングで彼女に告白するか、結婚まで持ち込むかを入念に考えているわけですよ。
あおいの夢が東京でバンドやることなら、彼女を守ってやれる社会的地位なり、お金なりを稼げる大人になると。それは子供の夢物語なのかも知れないけど、本質的にはしんのと、ビッグになってあかねを迎えに来るんだと誓った彼と同じと言えるでしょう。誤算があるとすれば、おそらくあおいは東京でバンドやるのではなくて、秩父で進学して成人を迎えたことでしょうが……どうでしょうね、あおいにとっての正嗣がどういう存在なのか、その描写は結構薄かったし、EDでも描写されなかったから、ここの決着だけはちょっとその後が観たいです。多分、フラれると思いますけど。
最終的な感想としては、シンプルで、分かりやすい現代劇でした。青春映画と言うには恋愛してないし、ホームドラマというにはちょっと違うけど、それぞれのキャラクターがきちんと立っていて、私はやっぱりこういう映画好きですね。
ここさけほどではないにせよ、リピーターになるとは思いますが、音楽映画としての側面もあるにはあるので、LIVE ZOUNDは結構合ってるんじゃないかな。
そういや、RGBレーザーも初体験でしたけど、流石に綺麗でしたね。本当なら、京アニとか天気の子で観た方が良いのかも知れませんが、この作品でも十分堪能できました。
とりあえず、次を観に行く前に小説版を買っておこうかな。
行きの横浜駅は12時過ぎても百貨店や駅ビルが営業していないシャッター街。勿論、昨日だってそうだったんでしょうけど、昨日は外に出てないから、何だか新鮮でした。
そんな訳で、川崎チネチッタでアニメ映画「空の青さを知る人よ」を鑑賞してきました。超平和バスターズによる第3作、心は叫びたがってるんだから数えて4年振りになりますか。監督と脚本家だけなら間に鉄血のオルフェンズとかありますけど、まあ、ガンダムは関係ないので置いときましょう。
今年はアニメ映画が多い年で、3年前の君の名はによって産まれた一種のブームが、色々な企画にGOサインを出した結果だと言われています。劇場アニメは作るのに時間掛かりますから、今年になって完成したり、公開に漕ぎ着けた作品が多かったと言うことですね。奇しくも、ある日は必然か、君の名はの次作にあたる天気の子も夏に上映されたことで、そういった有象無象は大分忘れ去られた感がありますけど、本作「空の青さを知る人よ」は、天気の子の公開後に上映された作品なので当然ながらちょっと立ち位置が違います。
パンフレットによると、企画自体はここさけの制作終盤から次作も出来ることが決まっていたようですが、公開まで4年掛かったのはやっぱりガンダムがあったから……なんでしょうかね? 詳しいことは分かりませんが、私はここさけが結構好きというか、何であんなに劇場通ったのか、今となっては分からないほどリピーターをやっていたので、空の青さを知る人よが発表された当時、迷わず観に行くことを決めてました。ちなみにあの花に関しては本放送時、圧倒的に「C」の方が好きだったから、ちゃんと観たのは少し後になってからでした。なので、私の超平和バスターズは、ここさけから始まってるんですね。
空の青さを知る人よは、何度も書いているとおり4年振りの新作です。シリーズ物というわけではありませんが、同じ座組の作品で、なまじ1作目からヒットしているともなれば、その真価を問われるのは3作目だと私は思います。
つまり、2作目のここさけは「あの花スタッフが送る」という宣伝文句が使えて、その効果によるヒットというのもある程度はあったと思うんですね。だから、ここさけの作中にはあの花のキャラクター……と言ってもメインではないですが、それがちょっとは出てきましたし、あの花の存在を匂わせたり、強く出したりすることが必要だった。
けど、3作目ともなるといつまでもそれに頼っているわけにもいかず、同じ秩父が舞台の作品でも、過去作とは違うアプローチが必要になってくる。なので、どんな作品を出してくるのかと楽しみにしていたのですが……そこに広がっていたのは、意外なほど爽やかで、シンプルな物語でした。
私はここ最近、映画はそれほど事前情報を集める方じゃなくて、この作品も劇場予告とTVCM、あとは公式HPをチラッと見たぐらいで、けれど、たったそれだけで大体の内容が分かってしまうほどには、さっぱりしてたんですよね。別に彗星とか降ってこないし、東京が水没したりもしないし、幼馴染みの女の子が死んで幽霊になって出てきたりとか、呪いで喋れなくなった女の子が失恋したりもしない。
言ってしまえば、非常に明るい作風で、それが物語の分かりやすさに繋がっているというか。
私はてっきり、この映画はあおいが主人公で、あおいの成長物語だと思ってました。慎之介とあかねが全面に出されているのは、中の人による宣伝効果を狙ってのものだ、と。確かにそれは合ったと思います。
けど、鑑賞を終えてみると、なるほど、これは確かに慎之介とあかね、そしてしんのの物語で、あおいは語り部や視点とも言えるキャラクターなんですね。
確かに彼女はしんのが初恋で、生き霊となって現れたしんのに二度目の初恋をするわけですけど、それは実のところ主軸じゃないんです。だから、彼女は慎之介の存在に幻滅して失望はするけど、自分で彼と向き合うことはない、何故ならそれはヒロインであるあかねの役目であり、主人公であるしんのの務めだから。
あおいの進学や、音楽にしても、たとえばここさけならば順の拓実に対する想いや、地域交流会のミュージカルなどが物語における大きな軸になってくるわけですが、今作ではしんのとの恋愛や、あおいと慎之介がベースやギターを弾く音楽祭そのものは話の終着点、つまり、ラストにはなりません。なにせ、イベントそのものが開催する前に物語は終わり、EDの写真という形で描かれただけですから、本筋はそこじゃないんです。
じゃあ、どこなのか? それはあおいとあかねの姉妹愛であり、あかねと慎之介の再会であり、しんのと慎之介の対峙ではないか。特にあおいとあかねの姉妹愛はメインと言ってもよく、あおいが最終的に秩父を出ない選択肢を選んだらしいことからも分かります。
あおいは姉の青春を犠牲にした負い目があって、慎之介も元カノに対するばつの悪さがある。だから、あおいは秩父を出て行きたかったし、慎之介は秩父に帰りたくなかった。
あおいはしんのに恋をするけど、彼の存在が永遠でないことも頭の中で分かっていて、それでいてあかねが今も慎之介を好きで、何よりしんのがあかねを好きなことも知っていたから、身を引くと言うよりは自分の中でしっかりと飲み込んで区切りを付けます。
故に、しんのが消えてしまうこと自体は、物語上における大きな事件ではないんですよ。だから、ラストで彼はあっさりと消えてしまうのです。あおいだけが一陣の風で彼がいなくなったことを悟ったけど、それで良いんです。
そう考えたとき、彼女が経験するのは失恋ではなくて、悲恋なんですね。
土砂崩れも人死にやけが人が出るようなものではなく、たとえばここさけの終盤なんかに比べると痛々しさがありません。又、慎之介があかねを押し倒そうとするシーンもあるにはありますが、あかねは軽く交わしますから、静的に生々しい部分もない。一瞬、慎之介は千佳と関係を持ったのかと動揺しましたが、千佳に手を出さなかったのが慎之介の中にあるあかねへの未練を強く印象づけました。
これが少女漫画とか、いや、前作なら確実に手を出してましたよ。うん。
千佳と正嗣のキャラも良かったですね。千佳はあおいの単なるクラスメートで、別に仲は良くなかった。嫌い合っていたわけではないにせよ、学友からバンドに誘われたときの態度や、勉学に精を出していないことなど、あおいは学校生活にあまり楽しみを見出していなかったタイプでしょう。
対する千佳は都会に憧れる女子高生で、バンドマンの彼氏が欲しい、秩父を出たいなど、まあ、ギャル系といやギャル系です。硬派なところがあるあおいとは真逆と言っても良く、慎之介の件で複雑な気持ちを抱いていた彼女から良く思われないのは当然なんですね。
けど、千佳の面白いところは慎之介から相手にされなかったからと言って、別に音楽祭への関わりをやめたりはしないんですよ。あおいから酷いこと言われても、自分がうざったい絡み方をしていたことを自覚した上で、ぶつかり合ったりしない。妙なところでサッパリした部分があるし、そうした本質が分かったからこそ、あおいは彼女に対する認識を軟化させて、EDでも分かるように友人関係を築く。
そして正嗣は、まあ、最初に出てきたときからバレバレでしたが、あおいのこと好きで、彼女の存在を自分の人生プランに組み込んで生きている大人びた少年です。彼の想いが報われてたのかは分かりませんけど、あおいは正嗣に対してはかなり気を許しているというか、お堂での練習でも側に置いてますし、逃げ込む先として選んだりなど、あかねの次に近しい存在なんですね。普通なら学校の友達とかになるんでしょうが、そうじゃないのが面白い。
正嗣にしてみれば、11歳の小学生男子が高校生のお姉さん、それも結構可愛いに惚れない理由はないですし、始終冷静で、小学生離れしたクールな彼が、しんのの登場で心を乱していくのは当然の流れと言えるでしょう。けど、正嗣の良いところは焦ってあおいに告白するのではなくて、恋敵であるしんのに自分の想いを告げることろですよね。正嗣は賢いから、小学生の自分が高校生のあおいに告白しても失恋どころか、相手にされないことを分かっている。だから彼は、自分がどのタイミングで彼女に告白するか、結婚まで持ち込むかを入念に考えているわけですよ。
あおいの夢が東京でバンドやることなら、彼女を守ってやれる社会的地位なり、お金なりを稼げる大人になると。それは子供の夢物語なのかも知れないけど、本質的にはしんのと、ビッグになってあかねを迎えに来るんだと誓った彼と同じと言えるでしょう。誤算があるとすれば、おそらくあおいは東京でバンドやるのではなくて、秩父で進学して成人を迎えたことでしょうが……どうでしょうね、あおいにとっての正嗣がどういう存在なのか、その描写は結構薄かったし、EDでも描写されなかったから、ここの決着だけはちょっとその後が観たいです。多分、フラれると思いますけど。
最終的な感想としては、シンプルで、分かりやすい現代劇でした。青春映画と言うには恋愛してないし、ホームドラマというにはちょっと違うけど、それぞれのキャラクターがきちんと立っていて、私はやっぱりこういう映画好きですね。
ここさけほどではないにせよ、リピーターになるとは思いますが、音楽映画としての側面もあるにはあるので、LIVE ZOUNDは結構合ってるんじゃないかな。
そういや、RGBレーザーも初体験でしたけど、流石に綺麗でしたね。本当なら、京アニとか天気の子で観た方が良いのかも知れませんが、この作品でも十分堪能できました。
とりあえず、次を観に行く前に小説版を買っておこうかな。
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