そらのおとしものf NOT モテ男 クリスマス
2010年12月25日 アニメ・マンガ
クリスマス・イヴの夜からクリスマスの朝にかけて開催されたそらのおとしものfのオールナイトイベント、NOT モテ男 クリスマスに参加してきました。聖夜の六本木ヒルズなんて場違いも甚だしかったんですが、本当にカップルしかいない街だった。地下鉄の駅からエスカレータで地上目指して上ってたんだけど、隣の下りにはカップルしか乗ってないのね。男女、男女、男女、男女、何かの流れ作業みたいに下りてきて、さすがにアウェイを感じずにはいられなかった。まあ、それを含めてのネタイベントなんだけど。
イベント自体は先日放送終了したそらのおとしものf全12話を一挙に上映するというシンプルなものなんだけど、司会進行に仮面プロデューサーが現れたり、ゲストに監督である斎藤久さんやキャラデザの渡邊さんなどが登場して、結構豪華な顔ぶれになりました。上映の合間に雑談という名の各話解説コーナーみたいのがあったんだけど、これが意外と真面目な話も結構あって、色々と興味深かったです。当人らは何気なく話してるつもりなんでしょうけど、聞いている側は思わず驚いてしまうような、そんな情報もあったりしました。
12月24日は公式でイカロスとニンフの誕生日ということになっていて、事前の告知通り2人の誕生日を祝いました。その際に1期13話の映像が使われたんですが、仮面P曰く「所謂ハッピーバースデートゥーユーは1回歌うごとに金が発生する」とのことで、本編では歌うことが出来なかったらしい。なんでも、この歌は著作権が結構複雑らしく、日本では2007年に消滅しているものの海外では生きているとかで、海外販売が出来なくなるということにギリギリのところで気付いて止めになったらしい。本当に収録直前まで声優陣に歌ってもらう予定だったそうなんですが、そんな事情があったとは。仮面Pが言うには、日本での権利が生きてた頃はアニメでおいそれと歌える曲じゃなかったらしいんだけど、あんまりそういう印象ないよね。というか、この歌に著作権があること自体、それほど知られてないんじゃないだろうか。結婚行進曲並に自然なものというか、まあ、これはクラシックですからとっくに権利消えてますが。
そして始まる上映会なわけだけど、2話ずつ上映して10分休憩を挟み、その休憩時間に各話の解説を行っていくという感じで、最初の1話、2話に関しては、やはりOPとEDに話になりましたね。俺のベルはともかくとして、ハートの確率でイカロスたちがそれぞれ異なる水場にいることに関しては斎藤監督から解説があって、まずイカロスは智樹への愛に目覚め、想いが溢れ出ていることから激流とも言うべきダム。ニンフは1期で羽根を失い、全体的に淀んだ気持ちを引きずっているので水たまり。そしてアストレアは馬鹿だから、よく分からないけど上を見つめているということで、とりえず上流の方を向いているという構図らしい。確かにそらおとfは最終回にいたるまで、水場ないし水そのものに関する話が多かったよね。9話が代表的だけど、例えばアストレアは川を居住地にしてますし。
2話のEDに関しては、やはりそらおと自体、1期の2話で名を上げたという自覚があったので、それを越えるものを作らなければいけないという意識みたいなものがあったらしい。原作のオチからどう広げようかという考えから始まって、祭りをやればいいじゃんという結論に至ったらしい。ちなみに納品したら突っ返されたそうですが、本編の内容でもED映像でもなく、サブタイが引っかかったとか。巨乳ってサブタイトルで使えないんですね。性的な単語としては生やさしい部類だと思うけど、なんでなんだろ? 上映会で流しているのはDVD 版でしたから、当然サブタイは修正されていないものでした。
ただ、会場が液晶スクリーンだったこともあってか、やや白がキツメなのが気になった。仮面Pも色々調整してもらったらしいんだけど、それも限界があるというか、映像を楽しむという意味では割と見辛かったと思う。まあ、TVアニメを劇場で流しているわけだから、その辺は仕方ないのかもしれませんが、普通に大きいスクリーンでのそらおとを楽しみに行った身としては、少し残念だったかなと。
第3話のプライドある戦いに関しては、まずプロレスの描写に付いてどのように描くべきかという議論があったそうです。つまり、制作側の世代である昔のプロレスを描くべきなのか、今のK-1など総合格闘技風のプロレスにするべきなのかということで、これは確かに悩むべきところですね。まあ、結局本編ではあんな感じになってましたが、即興で作られた会場の2階席、3階席はベニヤ板で作られた観客の絵だったりと、結構細かいネタが散見していた。ハイライトでは1期のキャラをほとんど出したとかね。あれは静止画ではなく動画としてやりたかったらしいんだけど、アニメとしての限界があったとかで出来なかったようです。
そはらがレフェリーとしてなにをしていいのか分からず、適当な動きをしているところとか、そらおとにはとにかくネタや設定が多いというのが斎藤監督や渡邊さんの感想だった。仮面Pの悪乗りも多いらしいけど、これがまだ序の口と言うんだからそらおとは凄いよ。
第4話はなんといっても合戦のシーン、と思わせておいて、実は最初の方にあった矢が刺さるシーンに監督は以上な拘りを見せていたらしい。タイミング的なものがあったらしく、何回も作り直したとかなんとか。まあ、ニンフが会長にいじめられたり、会長と守形が色々あったりするわけだけど、原作では守形関連の話って掘り下げられるか分からないんでしたっけ? これは12話を上映する前に解説されたんだけど、守形と会長がイチャイチャしていると主に女性ファンが喜ぶらしいです。だから、もしかするとアニメの方でこの2人の関係などが語られるかもしれませんね。女性人気があるというのも、まあ、なんとなくわかる話ですし私も嫌いじゃないです。ある種、悟りきった間柄とでもいうのか、結構どんよりとした事情があるんだろうね。
5話と6話に関しては、やっぱり5話の守形とそはらがシナプスを探索する部分の解説ですか。守形がシナプスの上空を飛行する中で、ちゃんと智樹がダイダロスと会っている場所も存在していたり、智樹は自分の夢じゃないと言ってましたが、実際には夢であり現実でもあるんですよね。こだわりのシーンとしてはオレガノが守形達の後ろを歩いているシーンで、2人が足を止めたから初めて存在に気づくことが出来たというアニメならではの演出だそうです。細かいようだけど、そういうところが丁寧に作られてるよね。漫画では表現しきれなかったシナプスの全容……というよりは一部分ですけど、2期では最初のシリアスパートということもあって、結構気を使っていたみたい。風音日和が初登場したのも5話ですけど、この辺りのSF的設定は原作読んだ当時に愕然とした記憶がある。SFにおいて夢と現実は割とオーソドックスなテーマで、言ってしまえば古典的なものです。最近はネット系のガジェットが発達してきたから仮想現実のほうが主流になってますけど、現実とは誰かの見ている夢である、なんてのは誰もが一度は考えることだと思う。だからこそ、それを今の時代に堂々とやったことに私は感銘を受けたし、ジャンルとしては縮小気味のSF漫画という媒体で、ちゃんとSFやっていることは素直に好感を持てた。
風音日和については後で書くとして、守形がニンフした「俺は現実か?」という質問は怖いよね。守形自身、自分の仮説の恐ろしさを理解していたし、確認することそれ自体に相当の勇気が必要だったと思う。ニンフは守形を現実の存在だといってくれたけど、じゃあ他のみんなは? 智樹やそはら、会長はどうなのか。自分の見ているもの、過ごしている日常が一変してしまうような事実だけに、守形が受けた衝撃はかなりのものだったでしょう。でも、気付くべき要素は存在していたんだよね。1話で大分ゲームが出てきたとき、ニンフは「シナプスで昔流行っていた」と言いました。じゃあ、どうして今は流行ってないのか? 単にブームが過ぎたからではなく、それ以上のものが生まれてしまったから。5話は劇場版の伏線でもあるから、見直すのも悪くないと思います。
7話はカオスが本格的に登場してくるということで、全体的にホラー映画を意識した演出を心がけたそうです。いきなり蝉の死骸がアリの軍隊に運ばれていくシーンから始まり、行き倒れているアストレアに目を奪われがちですが、この時点で既に異様さを出し始めているとのこと。分かりやすいところでは部室のジェイソンとか、会長がカオスとすれ違うシーンでカオスの影に翼のシルエットが浮かび上がったり、EDの水撒きもそうですね。ギャグでありながら随所に細かい演出があって、カオスという存在が現れたことを示しているわけです。智樹に化けたカオスとか、異様であり恐怖の対象であるカオスを印象づけるための演出ですか。ちなみに黙示録編というのは仮面Pが付けたタイトルらしいです。まあ、9話や10話のどこがアポカリプスなんだって話だけど。
8話、「空に響くウタヒメの声」の解説では、一番興味深い話が聞けたかな。前半も中盤も原作と相違ない話だけど、終盤の収拾のつけ方、ウラヌスシステムの登場には賛否どころか反対意見しかなかったらしい。仮面Pをはじめ、ほぼ全員が反対して、原作者の水無月すうもまたやんわりとだけど、「一方が武器を持っていて、片方が持っていない状況はどうなんだろう」みたいな感じに否定的だったそうです。ウラヌスシステムを使うことにこだわっていたのは斎藤監督であり、「意思を持たない機械が助ける」という流れをどうしても描きたかったらしい。結果、イカロスはカオスと心中するつもりだったということを話して水無月すうを納得させたらしいけど、実は監督的にウラヌスシステムを足枷に感じ始めていたとかで、一旦排除したかったとかなんとか。個人的には水無月すうが反対というか否定的だったというのに少し驚いたかな。8話のアニメオリジナル展開は、原作者がしたくても出来なかった演出だという意見が多かっただけに、本当は嫌がっていたということに割とビックリ。個人的には監督と同意見で、良い演出だったと思うんですけどね。仮面Pも「結果としてアームさん大人気になった」とのことだから、監督の意図は伝わってるんだと思う。
後、作画的なことではイカロスの肩部分で問題が発生したらしい。というのも、イカロスは空の女王モードで肩パーツがあるバージョンと無いバージョンがあって、あるバージョンの場合、肩の辺りまで腕の黒い部分で包まれているそうなんですよ。で、カオスを海中に沈めたときに肩パーツ壊れるわけだけど、その際、肩は黒があるバージョン、無いバージョンのどちらを描くのかっていうことで意見が分かれたとか。結局、素肌にしてましたけど。
9話に関してはシリアスが一転してギャグ回なわけですが、トモ子を登場させたことに付いてはまあ、諸般の事情ということで。ただ、シリーズ構成兼全話の脚本を担当している柿原優子が「私、智樹の『風がうんちゃら、潮がうんちゃ』って台詞好きなんですよねー」と言ったため、この台詞に関してはトモ子にそのまま言わせればいいじゃんということで採用されたらしい。
女子に浮輪モドキを付けたのもまた諸般の事情らしいですが、キャラデザの渡邊さん曰く、あれで本当に浮くかどうかは分からないとか。ギャグだけど、イカロスにとって最終話までのテーマであるプロポーズが出てきたのもこの辺ですし、愛に対して思い悩み始めた話でもあるから、重要といえば重要だったりします。そはらが生徒会の書記という設定を再び出したのは11話に向けての準備らしいけど、数字を打ち間違えたことに意味はなかったらしい。だから、11話で大分ゲームの機械を操作するシーンで打ち間違えがあるのではないかと思われたのは、そう思われても仕方ない描写だったと言ってました。
海中にいるカオスのシーンですけど、ウラヌスシステムは一応ダイダロスによって回収されたらしいです。Wikipediaとか見てると海中に放置されたままと解釈されているみたいだけど、実際はダイダロスが修理中らしい。カオスの「あ、光ってる……消えちゃった」というのはウラヌスシステムのこと言っているわけですね。
10話は原作の細かい話を纏め上げているわけだけど、ニンフは当然、アストレアの心境の変化とか、イカロスの溜まりに溜まった智樹への想いとか、記憶の消去はアニメオリジナルですが、良い演出だったのではないかと。敢えてそういう展開にしたと斎藤監督は言ってましたが、話を盛り上げる意味ではこれ以上にないでしょう。ちなみにラストにまた登場した一部の人が喜んだり悲しんだりした成長したカオスですけど、これに関してはサラリとばらしてましたが原作にもある設定だったそうです。なんでも、水無月すう曰くカオスは二段階の変身をするキャラで、最初はニンフほどの大きさまで成長し、次にイカロス並になるという、まるでセルみたいな存在だったとか。ただ、仮面Pの補足では水無月すうはよく設定や展開を変えることがあるので、原作のカオスに変身というか成長設定が残っているとは限らないらしい。ただ、最新号の展開を考えると……カオスが進化する可能性というのは、なくはないと思う。いい意味でも悪い意味でも、子供だから。
11話に関しては、仮面Pにしろ斎藤監督にしろ、結構不満というかそれほど出来に対して納得してないみたいです。もちろん、放送してしまった手前、ハッキリとした表現こそ使ってませんでしたが、まあ、世間的な評価もそれほど高くないですからね。その辺りのことも気にはしているみたい。ただ、2話に伸ばすほどの話ではないと思ったし、1話にまとめたことそれ自体は悪くはなかったのではないかと、そういう感じらしい。足枷だったウラヌスシステムを外したことで、エンジェロイドの共闘とそれぞれの戦いを描きたかったという言葉も、分からないではない話です。イカロスは消え行く記憶と智樹への愛、ニンフは失った羽根を取り戻すこと、そしてアストレアは勝つことが出来なかったカオスへの雪辱戦。ただ、私が微妙に感じる描写として、智樹がニンフだけではなくアストレアのマスターにもなると言ったシーンがあります。別にアストレアのマスターになること自体は良いんですけど、ニンフが智樹の言葉を「どれだけ聴きたかったか」と涙をながすのに対し、アストレアが「ですよね!」と応じるのはどうなのかと。だって、ニンフとアストレアでは智樹に対する想いの度合いが違うじゃないですか。ニンフが智樹が自分のマスターなら、と考えていたのはそれこそ1期の頃からですし、アストレアとは年季が違うよ。仮にアストレアの言葉がニンフの想いを汲みとってのものだとしても……いや、あの馬鹿にそれはないか。
ここでカオスの声優に付いて触れておくと、演じている豊崎愛生はオーディションで決まったらしいです。なんでもアストレアと同時にオーディションをして、アストレアは福原香織ともう一人が激しく争っていたそうです。それが誰だったのかはさすがに明かされませんでしたが、福原香織がキャスティングされた時点でアストレアのキャラがわかりそうなものだという発言はどうなんだろうねw そしてカオスの声優ですけど、重要視したのは誰が一番怖いのかということで、豊崎愛生は満場一致で決まったらしいです。確かに、恐怖の塊みたいな演技ですもんね。
最終話についてですが、元々は1期も14話をラストに持ってきたかったのが色々あって駄目になったそうで、最後は明るく終わりたいって気持ちがスタッフの中にはあるらしい。ウェディングドレスに付いては仮面Pの発案らしくて、当初は昔の香港映画みたいに智樹が花嫁姿のイカロスたちに囲まれるないし追いかけられるなりして、「もう勘弁してくれー!」なんていうオチを考えていたそうなんですが、さすがにそれではアレということで斎藤監督があのような形でまとめたらしい。でも、仮面Pの案も悪くないと思いますけどね? 結局、智樹は答えを出さずに終わってしまいましたから、いっそギャグで締めても良かったんじゃないだろうか。まあ、引っ張ってきたプロポーズに対する一つの答えではあるんだろうけど、イカロスに取っては少し複雑というか、可哀想な結果かな、とも思う。ちなみに会長が予約済みというのは先に書いた、というか本当はこの時に解説されたんですが、守形と会長が絡むと嬉しい女性ファン向けのサービスみたいなものらしい。カオスをあのような形で再登場させたことは、原作との整合性から良いのだろうかとは思うけど、まあ、そらおとスタッフなら上手くやるでしょう。すっかり邪気が抜けてますけど、この辺りは原作のほうがいいかなと思わないでもない。
EDのアイコンに付いてですが、これも直前になって決まったことらしい。最初はそらおとfに引っ掛けて、「f」を入れようとしたらしいんですが、それだと文字的に大きいので、キャラに関係するアイコンを入れてみたんだそうです。後、EDテーマに対して、「作品の趣旨と合ってないのでないか、という質問があった」とのことですが、イカロスbotにその疑問をぶつけたのは他でもない私だったりする。けどまあ、イベントで触れられるぐらいだから、同じような質問多かったのかな。いや、私もED曲当てクイズのときは迷ったんですよ。ヒントが出た際、まっさきに思い浮かんだ曲ではあったんだけど、歌詞に「愛なんて言葉は捨てろ」みたいなのがあって、ここまで愛というものに対してずっと考えてきたのに捨てろはないんじゃないかってことで候補から外したんだけど……監督的には歌詞も爽やかだし違和感ないらしい。まあ、いい歌ではあると思うけど。
特報というか映画化に付いて。さすがにこの時期だと話せることも少なかったんだけど、情報の公開がやけに早かったことは質問コーナーでも指摘されてましたが、一応の理由はあったらしい。普通なら放送の終了と同時に発表するようなもんだけど、なんでも仮面P曰く「ノリで3期より早く映画の企画書を立ててしまった」とのことで、なんとプロデューサーのノリで始まったことらしい。ほとんどダメもとで、どうせ却下されるだろうなーと思ってたら、「予算を組め」と言われたらしく、企画が始まったとか。ちなみに保志総一朗へ映画化が決まったことを伝えたら、「映画はいいですけど3期は?」と当たり前のツッコミを受けたらしい。ここで重要なのは、3期の代わりに映画化を選んだわけではないということですね。BDの売り上げもあるんでしょうが、映画以外の続編も十分に狙えるというわけです。
そして、映画化の企画が通った時期と同じくニュータイプの表紙が決まって、スタッフ的にはこれが凄い意外というか、驚くべきことだったらしい。いくら角川原作とはいえ、ニュータイプの表紙はないだろうと思っていたとかで。斎藤監督は嘘かホントか田舎に何冊か送ったと言ってました。それでまあ、折角ニュータイプの表紙になるわけだし、こんな機会二度もあるとは限らないから、まだなにも決まってないけど発表してしまおうかと、そういう流れだったそうです。
特報に付いては、始め単なるCMを作る予定だったのが、監督たちがどうせなら特報にしてしまえということで深夜にキャッチコピーを仮面Pのところに考えるよう電話してきて、「そらおと史上最大の~とかでいいんじゃ?」と答えたら、出来上がったの見たら「智樹ついにモテ期到来!!」と全然違うものになっていたらしい。
まあ、原作読んでいる人にはどこが映画化されるのか分かりきっているようなものですがと前置きした上で、それを如何に劇場作品に仕上げていくかというのが今後の課題らしい。でも、どういう形になるにせよ、そらおとのスタッフなら大丈夫なんじゃないかと、そんな安心感を与えてくれる作品だと私は思っています。
上映会の後はプレゼントコーナーがあって、なんと渡邊さんが上映中に描き上げたイカロス、ニンフ、アストレアの色紙が3枚出たりと、色々豪華でした。特にニンフは青色がなかったとかで、今回きりの緑髪。欲しかったけど、さすがに当たらなかった。意外とこういう抽選回は当たる確率高いんだけどなーとか思ってたら、最後のほうでグッズが当たってしまいました。イカロスのトートバッグでしたか、普通に売っているようなグッズでしたけど、なんかこういうのが当たると参加した甲斐があったという気になって嬉しいよね。ちなみに当日になって物販も決定して、サイリウムとかアストレアテレカが売ってました。サイリウムなんてなにに使うんだということでテレカを購入しておきました。
実はオールナイトの上映会って初めてで、トークショーとかは経験合ったんだけど、好きなアニメを一晩掛けて観るってのは楽しいものですね。次の機会があるのかは分かりませんが、参加してよかったです。映画はまだまだ先ですけど、3期も視野にはいれているそうだから、今後の展開に期待してこれからもそらのおとしものという作品を応援し続けましょう!
イベント自体は先日放送終了したそらのおとしものf全12話を一挙に上映するというシンプルなものなんだけど、司会進行に仮面プロデューサーが現れたり、ゲストに監督である斎藤久さんやキャラデザの渡邊さんなどが登場して、結構豪華な顔ぶれになりました。上映の合間に雑談という名の各話解説コーナーみたいのがあったんだけど、これが意外と真面目な話も結構あって、色々と興味深かったです。当人らは何気なく話してるつもりなんでしょうけど、聞いている側は思わず驚いてしまうような、そんな情報もあったりしました。
12月24日は公式でイカロスとニンフの誕生日ということになっていて、事前の告知通り2人の誕生日を祝いました。その際に1期13話の映像が使われたんですが、仮面P曰く「所謂ハッピーバースデートゥーユーは1回歌うごとに金が発生する」とのことで、本編では歌うことが出来なかったらしい。なんでも、この歌は著作権が結構複雑らしく、日本では2007年に消滅しているものの海外では生きているとかで、海外販売が出来なくなるということにギリギリのところで気付いて止めになったらしい。本当に収録直前まで声優陣に歌ってもらう予定だったそうなんですが、そんな事情があったとは。仮面Pが言うには、日本での権利が生きてた頃はアニメでおいそれと歌える曲じゃなかったらしいんだけど、あんまりそういう印象ないよね。というか、この歌に著作権があること自体、それほど知られてないんじゃないだろうか。結婚行進曲並に自然なものというか、まあ、これはクラシックですからとっくに権利消えてますが。
そして始まる上映会なわけだけど、2話ずつ上映して10分休憩を挟み、その休憩時間に各話の解説を行っていくという感じで、最初の1話、2話に関しては、やはりOPとEDに話になりましたね。俺のベルはともかくとして、ハートの確率でイカロスたちがそれぞれ異なる水場にいることに関しては斎藤監督から解説があって、まずイカロスは智樹への愛に目覚め、想いが溢れ出ていることから激流とも言うべきダム。ニンフは1期で羽根を失い、全体的に淀んだ気持ちを引きずっているので水たまり。そしてアストレアは馬鹿だから、よく分からないけど上を見つめているということで、とりえず上流の方を向いているという構図らしい。確かにそらおとfは最終回にいたるまで、水場ないし水そのものに関する話が多かったよね。9話が代表的だけど、例えばアストレアは川を居住地にしてますし。
2話のEDに関しては、やはりそらおと自体、1期の2話で名を上げたという自覚があったので、それを越えるものを作らなければいけないという意識みたいなものがあったらしい。原作のオチからどう広げようかという考えから始まって、祭りをやればいいじゃんという結論に至ったらしい。ちなみに納品したら突っ返されたそうですが、本編の内容でもED映像でもなく、サブタイが引っかかったとか。巨乳ってサブタイトルで使えないんですね。性的な単語としては生やさしい部類だと思うけど、なんでなんだろ? 上映会で流しているのはDVD 版でしたから、当然サブタイは修正されていないものでした。
ただ、会場が液晶スクリーンだったこともあってか、やや白がキツメなのが気になった。仮面Pも色々調整してもらったらしいんだけど、それも限界があるというか、映像を楽しむという意味では割と見辛かったと思う。まあ、TVアニメを劇場で流しているわけだから、その辺は仕方ないのかもしれませんが、普通に大きいスクリーンでのそらおとを楽しみに行った身としては、少し残念だったかなと。
第3話のプライドある戦いに関しては、まずプロレスの描写に付いてどのように描くべきかという議論があったそうです。つまり、制作側の世代である昔のプロレスを描くべきなのか、今のK-1など総合格闘技風のプロレスにするべきなのかということで、これは確かに悩むべきところですね。まあ、結局本編ではあんな感じになってましたが、即興で作られた会場の2階席、3階席はベニヤ板で作られた観客の絵だったりと、結構細かいネタが散見していた。ハイライトでは1期のキャラをほとんど出したとかね。あれは静止画ではなく動画としてやりたかったらしいんだけど、アニメとしての限界があったとかで出来なかったようです。
そはらがレフェリーとしてなにをしていいのか分からず、適当な動きをしているところとか、そらおとにはとにかくネタや設定が多いというのが斎藤監督や渡邊さんの感想だった。仮面Pの悪乗りも多いらしいけど、これがまだ序の口と言うんだからそらおとは凄いよ。
第4話はなんといっても合戦のシーン、と思わせておいて、実は最初の方にあった矢が刺さるシーンに監督は以上な拘りを見せていたらしい。タイミング的なものがあったらしく、何回も作り直したとかなんとか。まあ、ニンフが会長にいじめられたり、会長と守形が色々あったりするわけだけど、原作では守形関連の話って掘り下げられるか分からないんでしたっけ? これは12話を上映する前に解説されたんだけど、守形と会長がイチャイチャしていると主に女性ファンが喜ぶらしいです。だから、もしかするとアニメの方でこの2人の関係などが語られるかもしれませんね。女性人気があるというのも、まあ、なんとなくわかる話ですし私も嫌いじゃないです。ある種、悟りきった間柄とでもいうのか、結構どんよりとした事情があるんだろうね。
5話と6話に関しては、やっぱり5話の守形とそはらがシナプスを探索する部分の解説ですか。守形がシナプスの上空を飛行する中で、ちゃんと智樹がダイダロスと会っている場所も存在していたり、智樹は自分の夢じゃないと言ってましたが、実際には夢であり現実でもあるんですよね。こだわりのシーンとしてはオレガノが守形達の後ろを歩いているシーンで、2人が足を止めたから初めて存在に気づくことが出来たというアニメならではの演出だそうです。細かいようだけど、そういうところが丁寧に作られてるよね。漫画では表現しきれなかったシナプスの全容……というよりは一部分ですけど、2期では最初のシリアスパートということもあって、結構気を使っていたみたい。風音日和が初登場したのも5話ですけど、この辺りのSF的設定は原作読んだ当時に愕然とした記憶がある。SFにおいて夢と現実は割とオーソドックスなテーマで、言ってしまえば古典的なものです。最近はネット系のガジェットが発達してきたから仮想現実のほうが主流になってますけど、現実とは誰かの見ている夢である、なんてのは誰もが一度は考えることだと思う。だからこそ、それを今の時代に堂々とやったことに私は感銘を受けたし、ジャンルとしては縮小気味のSF漫画という媒体で、ちゃんとSFやっていることは素直に好感を持てた。
風音日和については後で書くとして、守形がニンフした「俺は現実か?」という質問は怖いよね。守形自身、自分の仮説の恐ろしさを理解していたし、確認することそれ自体に相当の勇気が必要だったと思う。ニンフは守形を現実の存在だといってくれたけど、じゃあ他のみんなは? 智樹やそはら、会長はどうなのか。自分の見ているもの、過ごしている日常が一変してしまうような事実だけに、守形が受けた衝撃はかなりのものだったでしょう。でも、気付くべき要素は存在していたんだよね。1話で大分ゲームが出てきたとき、ニンフは「シナプスで昔流行っていた」と言いました。じゃあ、どうして今は流行ってないのか? 単にブームが過ぎたからではなく、それ以上のものが生まれてしまったから。5話は劇場版の伏線でもあるから、見直すのも悪くないと思います。
7話はカオスが本格的に登場してくるということで、全体的にホラー映画を意識した演出を心がけたそうです。いきなり蝉の死骸がアリの軍隊に運ばれていくシーンから始まり、行き倒れているアストレアに目を奪われがちですが、この時点で既に異様さを出し始めているとのこと。分かりやすいところでは部室のジェイソンとか、会長がカオスとすれ違うシーンでカオスの影に翼のシルエットが浮かび上がったり、EDの水撒きもそうですね。ギャグでありながら随所に細かい演出があって、カオスという存在が現れたことを示しているわけです。智樹に化けたカオスとか、異様であり恐怖の対象であるカオスを印象づけるための演出ですか。ちなみに黙示録編というのは仮面Pが付けたタイトルらしいです。まあ、9話や10話のどこがアポカリプスなんだって話だけど。
8話、「空に響くウタヒメの声」の解説では、一番興味深い話が聞けたかな。前半も中盤も原作と相違ない話だけど、終盤の収拾のつけ方、ウラヌスシステムの登場には賛否どころか反対意見しかなかったらしい。仮面Pをはじめ、ほぼ全員が反対して、原作者の水無月すうもまたやんわりとだけど、「一方が武器を持っていて、片方が持っていない状況はどうなんだろう」みたいな感じに否定的だったそうです。ウラヌスシステムを使うことにこだわっていたのは斎藤監督であり、「意思を持たない機械が助ける」という流れをどうしても描きたかったらしい。結果、イカロスはカオスと心中するつもりだったということを話して水無月すうを納得させたらしいけど、実は監督的にウラヌスシステムを足枷に感じ始めていたとかで、一旦排除したかったとかなんとか。個人的には水無月すうが反対というか否定的だったというのに少し驚いたかな。8話のアニメオリジナル展開は、原作者がしたくても出来なかった演出だという意見が多かっただけに、本当は嫌がっていたということに割とビックリ。個人的には監督と同意見で、良い演出だったと思うんですけどね。仮面Pも「結果としてアームさん大人気になった」とのことだから、監督の意図は伝わってるんだと思う。
後、作画的なことではイカロスの肩部分で問題が発生したらしい。というのも、イカロスは空の女王モードで肩パーツがあるバージョンと無いバージョンがあって、あるバージョンの場合、肩の辺りまで腕の黒い部分で包まれているそうなんですよ。で、カオスを海中に沈めたときに肩パーツ壊れるわけだけど、その際、肩は黒があるバージョン、無いバージョンのどちらを描くのかっていうことで意見が分かれたとか。結局、素肌にしてましたけど。
9話に関してはシリアスが一転してギャグ回なわけですが、トモ子を登場させたことに付いてはまあ、諸般の事情ということで。ただ、シリーズ構成兼全話の脚本を担当している柿原優子が「私、智樹の『風がうんちゃら、潮がうんちゃ』って台詞好きなんですよねー」と言ったため、この台詞に関してはトモ子にそのまま言わせればいいじゃんということで採用されたらしい。
女子に浮輪モドキを付けたのもまた諸般の事情らしいですが、キャラデザの渡邊さん曰く、あれで本当に浮くかどうかは分からないとか。ギャグだけど、イカロスにとって最終話までのテーマであるプロポーズが出てきたのもこの辺ですし、愛に対して思い悩み始めた話でもあるから、重要といえば重要だったりします。そはらが生徒会の書記という設定を再び出したのは11話に向けての準備らしいけど、数字を打ち間違えたことに意味はなかったらしい。だから、11話で大分ゲームの機械を操作するシーンで打ち間違えがあるのではないかと思われたのは、そう思われても仕方ない描写だったと言ってました。
海中にいるカオスのシーンですけど、ウラヌスシステムは一応ダイダロスによって回収されたらしいです。Wikipediaとか見てると海中に放置されたままと解釈されているみたいだけど、実際はダイダロスが修理中らしい。カオスの「あ、光ってる……消えちゃった」というのはウラヌスシステムのこと言っているわけですね。
10話は原作の細かい話を纏め上げているわけだけど、ニンフは当然、アストレアの心境の変化とか、イカロスの溜まりに溜まった智樹への想いとか、記憶の消去はアニメオリジナルですが、良い演出だったのではないかと。敢えてそういう展開にしたと斎藤監督は言ってましたが、話を盛り上げる意味ではこれ以上にないでしょう。ちなみにラストにまた登場した一部の人が喜んだり悲しんだりした成長したカオスですけど、これに関してはサラリとばらしてましたが原作にもある設定だったそうです。なんでも、水無月すう曰くカオスは二段階の変身をするキャラで、最初はニンフほどの大きさまで成長し、次にイカロス並になるという、まるでセルみたいな存在だったとか。ただ、仮面Pの補足では水無月すうはよく設定や展開を変えることがあるので、原作のカオスに変身というか成長設定が残っているとは限らないらしい。ただ、最新号の展開を考えると……カオスが進化する可能性というのは、なくはないと思う。いい意味でも悪い意味でも、子供だから。
11話に関しては、仮面Pにしろ斎藤監督にしろ、結構不満というかそれほど出来に対して納得してないみたいです。もちろん、放送してしまった手前、ハッキリとした表現こそ使ってませんでしたが、まあ、世間的な評価もそれほど高くないですからね。その辺りのことも気にはしているみたい。ただ、2話に伸ばすほどの話ではないと思ったし、1話にまとめたことそれ自体は悪くはなかったのではないかと、そういう感じらしい。足枷だったウラヌスシステムを外したことで、エンジェロイドの共闘とそれぞれの戦いを描きたかったという言葉も、分からないではない話です。イカロスは消え行く記憶と智樹への愛、ニンフは失った羽根を取り戻すこと、そしてアストレアは勝つことが出来なかったカオスへの雪辱戦。ただ、私が微妙に感じる描写として、智樹がニンフだけではなくアストレアのマスターにもなると言ったシーンがあります。別にアストレアのマスターになること自体は良いんですけど、ニンフが智樹の言葉を「どれだけ聴きたかったか」と涙をながすのに対し、アストレアが「ですよね!」と応じるのはどうなのかと。だって、ニンフとアストレアでは智樹に対する想いの度合いが違うじゃないですか。ニンフが智樹が自分のマスターなら、と考えていたのはそれこそ1期の頃からですし、アストレアとは年季が違うよ。仮にアストレアの言葉がニンフの想いを汲みとってのものだとしても……いや、あの馬鹿にそれはないか。
ここでカオスの声優に付いて触れておくと、演じている豊崎愛生はオーディションで決まったらしいです。なんでもアストレアと同時にオーディションをして、アストレアは福原香織ともう一人が激しく争っていたそうです。それが誰だったのかはさすがに明かされませんでしたが、福原香織がキャスティングされた時点でアストレアのキャラがわかりそうなものだという発言はどうなんだろうねw そしてカオスの声優ですけど、重要視したのは誰が一番怖いのかということで、豊崎愛生は満場一致で決まったらしいです。確かに、恐怖の塊みたいな演技ですもんね。
最終話についてですが、元々は1期も14話をラストに持ってきたかったのが色々あって駄目になったそうで、最後は明るく終わりたいって気持ちがスタッフの中にはあるらしい。ウェディングドレスに付いては仮面Pの発案らしくて、当初は昔の香港映画みたいに智樹が花嫁姿のイカロスたちに囲まれるないし追いかけられるなりして、「もう勘弁してくれー!」なんていうオチを考えていたそうなんですが、さすがにそれではアレということで斎藤監督があのような形でまとめたらしい。でも、仮面Pの案も悪くないと思いますけどね? 結局、智樹は答えを出さずに終わってしまいましたから、いっそギャグで締めても良かったんじゃないだろうか。まあ、引っ張ってきたプロポーズに対する一つの答えではあるんだろうけど、イカロスに取っては少し複雑というか、可哀想な結果かな、とも思う。ちなみに会長が予約済みというのは先に書いた、というか本当はこの時に解説されたんですが、守形と会長が絡むと嬉しい女性ファン向けのサービスみたいなものらしい。カオスをあのような形で再登場させたことは、原作との整合性から良いのだろうかとは思うけど、まあ、そらおとスタッフなら上手くやるでしょう。すっかり邪気が抜けてますけど、この辺りは原作のほうがいいかなと思わないでもない。
EDのアイコンに付いてですが、これも直前になって決まったことらしい。最初はそらおとfに引っ掛けて、「f」を入れようとしたらしいんですが、それだと文字的に大きいので、キャラに関係するアイコンを入れてみたんだそうです。後、EDテーマに対して、「作品の趣旨と合ってないのでないか、という質問があった」とのことですが、イカロスbotにその疑問をぶつけたのは他でもない私だったりする。けどまあ、イベントで触れられるぐらいだから、同じような質問多かったのかな。いや、私もED曲当てクイズのときは迷ったんですよ。ヒントが出た際、まっさきに思い浮かんだ曲ではあったんだけど、歌詞に「愛なんて言葉は捨てろ」みたいなのがあって、ここまで愛というものに対してずっと考えてきたのに捨てろはないんじゃないかってことで候補から外したんだけど……監督的には歌詞も爽やかだし違和感ないらしい。まあ、いい歌ではあると思うけど。
特報というか映画化に付いて。さすがにこの時期だと話せることも少なかったんだけど、情報の公開がやけに早かったことは質問コーナーでも指摘されてましたが、一応の理由はあったらしい。普通なら放送の終了と同時に発表するようなもんだけど、なんでも仮面P曰く「ノリで3期より早く映画の企画書を立ててしまった」とのことで、なんとプロデューサーのノリで始まったことらしい。ほとんどダメもとで、どうせ却下されるだろうなーと思ってたら、「予算を組め」と言われたらしく、企画が始まったとか。ちなみに保志総一朗へ映画化が決まったことを伝えたら、「映画はいいですけど3期は?」と当たり前のツッコミを受けたらしい。ここで重要なのは、3期の代わりに映画化を選んだわけではないということですね。BDの売り上げもあるんでしょうが、映画以外の続編も十分に狙えるというわけです。
そして、映画化の企画が通った時期と同じくニュータイプの表紙が決まって、スタッフ的にはこれが凄い意外というか、驚くべきことだったらしい。いくら角川原作とはいえ、ニュータイプの表紙はないだろうと思っていたとかで。斎藤監督は嘘かホントか田舎に何冊か送ったと言ってました。それでまあ、折角ニュータイプの表紙になるわけだし、こんな機会二度もあるとは限らないから、まだなにも決まってないけど発表してしまおうかと、そういう流れだったそうです。
特報に付いては、始め単なるCMを作る予定だったのが、監督たちがどうせなら特報にしてしまえということで深夜にキャッチコピーを仮面Pのところに考えるよう電話してきて、「そらおと史上最大の~とかでいいんじゃ?」と答えたら、出来上がったの見たら「智樹ついにモテ期到来!!」と全然違うものになっていたらしい。
まあ、原作読んでいる人にはどこが映画化されるのか分かりきっているようなものですがと前置きした上で、それを如何に劇場作品に仕上げていくかというのが今後の課題らしい。でも、どういう形になるにせよ、そらおとのスタッフなら大丈夫なんじゃないかと、そんな安心感を与えてくれる作品だと私は思っています。
上映会の後はプレゼントコーナーがあって、なんと渡邊さんが上映中に描き上げたイカロス、ニンフ、アストレアの色紙が3枚出たりと、色々豪華でした。特にニンフは青色がなかったとかで、今回きりの緑髪。欲しかったけど、さすがに当たらなかった。意外とこういう抽選回は当たる確率高いんだけどなーとか思ってたら、最後のほうでグッズが当たってしまいました。イカロスのトートバッグでしたか、普通に売っているようなグッズでしたけど、なんかこういうのが当たると参加した甲斐があったという気になって嬉しいよね。ちなみに当日になって物販も決定して、サイリウムとかアストレアテレカが売ってました。サイリウムなんてなにに使うんだということでテレカを購入しておきました。
実はオールナイトの上映会って初めてで、トークショーとかは経験合ったんだけど、好きなアニメを一晩掛けて観るってのは楽しいものですね。次の機会があるのかは分かりませんが、参加してよかったです。映画はまだまだ先ですけど、3期も視野にはいれているそうだから、今後の展開に期待してこれからもそらのおとしものという作品を応援し続けましょう!
聖夜の街を、一人で歩く
2010年12月24日 ヨスガノソラクリスマス・イヴということで、私は今日が仕事納めでした。職場の仕事納めそのものは来週の29日なんですが、私はコミケの準備がありますから、一足先に冬休みというわけです。趣味に対して理解ある職場というか、一応物書き兼作家志望で通してますから、「自作の小説を即売会に出すので休みます」と言ったら、割とすんなり許可がおりました。同人誌とはいえ、これもまた修行ですからね。仕事の進行状況はともかく、年内はこれでいいでしょう。
実は24時からオールナイトのイベントに参加することを前々から決めていて、荷物になるからといつも持参している弁当を今日は持って行きませんでした。というか、今週は折角作った弁当を家に忘れたり、年内の仕事が最終週だというのにずっと外食とか買い食いだったかも。まあ、それは仕方ないからいいとして、丁度昼頃秋葉原に行く予定があったから、最近出来た駅ビルのアトレに入ってみました。実は工事しているのとか完成したのとかを横目で見てはいたんだけど、特に興味がなかったのでまだ足を踏み入れてなくて。三省堂書店の品揃えを確認した後、一階でなにか昼飯になるものでもないかと散策してみました。なんか、神保町のカレー屋が複数集まったカウンター式の店がありましたけど、全然違うタイプのカレーを一つに集めるなんてどうやったんでしょうね? まあ、ラーメンよりは簡単そうだけど、共栄堂のスマトラカレーが秋葉で食べられるとはビックリだ。
色々あってカレーは年内食べないことにしてたので、デリカとして出店していたキッチンジローで適当に惣菜を買って帰りました。奇しくも数日前、職場近くのジローで弁当を買っていたんですが、すっかり忘れてまして。惣菜にマカロニとブロッコリーが入って150円前後、白米は180円だったかな? 今思うと白米だけ買って、おかずは後ろの惣菜屋で買えば良かったと思うんだけど、安かったしね。まあ、味の方も値段相応だったが。クリスマスということもあってチキン売ってる店が多かったけど、そういや職場のレストランもローストチキンが社割で買えるらしい。私はなにせイベントの予定入れてたから買わなかったけど、なかなかに美味しいとかなんとか。社食ないくせに喫茶店とレストランがある出版社というのは……別に珍しくもないのかな。けど、結構長く今の職場いるのに一度も利用したことがない私がいる。喫茶店だって、今日ちょっとした用事で入ったのが初めてだし。
仕事を終えた後はオールナイトのイベントまで時間があったので、再び秋葉原に行ったりして時間を潰してました。その少し前に私はヨスガノソラのとある同人誌を手に入れたんですが……これに付いての話はどうしようか? あんまり宜しくない内容だったというか、同じ穴のムジナである私が批判するのは良くないと分かってるんだけど、アニメだけ見て書いたにしても、ちょっとこれはないんじゃないかなと。キャラの口調とか設定とか、あんまり把握できておらず、それでいて内容は酷い鬼畜物でしたから。ネタ自体は田舎にありがちな感じだったんだけど、ハルと穹でそれをやられるとさすがに心が痛いというかね。かなり精神的なショックを受けてしまいました。私って、基本的に救いのない話が好きじゃないんですよ。ハッピーエンド至上主義ですし、絶望的な結末はあまり受け付けなくて。例え鬼畜物でも、最終的に救いとかがあるなら過程として受け入れるんだけど、今回みたいな話はどうにも抵抗がある。具体的な名前は出しませんけど、ヨスガノソラでそれをやってくれるなと、立場も弁えずに言ってしまうわけです。
私は二次創作や同人活動ってのは作品への愛情表現の一種だと思ってますから、こんな作品やキャラをろくに理解もしていない同人誌というのを読むと、なんとも言えない気分になるんだよね。鬼畜がサークルや作家の作風なのだとしても、最低限の知識も怪しい段階で、よくもまあ描けたものだと。最初に読んだときはあまりの内容にTwitterでブツクサ言ってしまいましたが、改めて読み直して見ると粗が目立つというよりは雑なだけだと分かったので、今は少し落ち着きました。
随分、口幅ったいことを書いてしまいましたが、私はどこまで行っても趣味同人の人なんだろうね。同人活動とは作品への愛であるなんて、商業同人家からすれば失笑ものでしょう。私が今回冬コミで出す本はいつも通り完売しても赤字なんだけど、古い知り合いの商業同人家、ずっと昔に所属していたサークル時代からの付き合いがある奴ですが、そいつは私を理解出来ないのかよく馬鹿にしてきましてね。今度出す新刊にしても、折角旬のジャンルなのに売りを考えないとは頭おかしいんじゃないかとか、まったく酷い言われようですよ。まあ、言いたいことは悪けどさ。
秋葉原で時間を潰していて、夜飯も秋葉で取ることにしたんだけど、さすがにイヴということもあってか、食べ物系の商業ビルはどこもクリスマス一色で、なんか入りづらかった。私がまさか気後れするとは思わなかったんだけど、やっぱりムードというものがありますからね。秋葉とはいえカップルや親子連れも多かった。いや、むしろ秋葉だからだろうか? カップル向けの洒落た店も増えたし、親子連れはプレゼントでも買いに来たんでしょう。なので結局、移動時間までファミレスで過ごすことにしました。これが結構虚しくて、少し人恋しくなったりしてました。雰囲気に当てられたんですかね? 私としたことが、情けない話です。
実は24時からオールナイトのイベントに参加することを前々から決めていて、荷物になるからといつも持参している弁当を今日は持って行きませんでした。というか、今週は折角作った弁当を家に忘れたり、年内の仕事が最終週だというのにずっと外食とか買い食いだったかも。まあ、それは仕方ないからいいとして、丁度昼頃秋葉原に行く予定があったから、最近出来た駅ビルのアトレに入ってみました。実は工事しているのとか完成したのとかを横目で見てはいたんだけど、特に興味がなかったのでまだ足を踏み入れてなくて。三省堂書店の品揃えを確認した後、一階でなにか昼飯になるものでもないかと散策してみました。なんか、神保町のカレー屋が複数集まったカウンター式の店がありましたけど、全然違うタイプのカレーを一つに集めるなんてどうやったんでしょうね? まあ、ラーメンよりは簡単そうだけど、共栄堂のスマトラカレーが秋葉で食べられるとはビックリだ。
色々あってカレーは年内食べないことにしてたので、デリカとして出店していたキッチンジローで適当に惣菜を買って帰りました。奇しくも数日前、職場近くのジローで弁当を買っていたんですが、すっかり忘れてまして。惣菜にマカロニとブロッコリーが入って150円前後、白米は180円だったかな? 今思うと白米だけ買って、おかずは後ろの惣菜屋で買えば良かったと思うんだけど、安かったしね。まあ、味の方も値段相応だったが。クリスマスということもあってチキン売ってる店が多かったけど、そういや職場のレストランもローストチキンが社割で買えるらしい。私はなにせイベントの予定入れてたから買わなかったけど、なかなかに美味しいとかなんとか。社食ないくせに喫茶店とレストランがある出版社というのは……別に珍しくもないのかな。けど、結構長く今の職場いるのに一度も利用したことがない私がいる。喫茶店だって、今日ちょっとした用事で入ったのが初めてだし。
仕事を終えた後はオールナイトのイベントまで時間があったので、再び秋葉原に行ったりして時間を潰してました。その少し前に私はヨスガノソラのとある同人誌を手に入れたんですが……これに付いての話はどうしようか? あんまり宜しくない内容だったというか、同じ穴のムジナである私が批判するのは良くないと分かってるんだけど、アニメだけ見て書いたにしても、ちょっとこれはないんじゃないかなと。キャラの口調とか設定とか、あんまり把握できておらず、それでいて内容は酷い鬼畜物でしたから。ネタ自体は田舎にありがちな感じだったんだけど、ハルと穹でそれをやられるとさすがに心が痛いというかね。かなり精神的なショックを受けてしまいました。私って、基本的に救いのない話が好きじゃないんですよ。ハッピーエンド至上主義ですし、絶望的な結末はあまり受け付けなくて。例え鬼畜物でも、最終的に救いとかがあるなら過程として受け入れるんだけど、今回みたいな話はどうにも抵抗がある。具体的な名前は出しませんけど、ヨスガノソラでそれをやってくれるなと、立場も弁えずに言ってしまうわけです。
私は二次創作や同人活動ってのは作品への愛情表現の一種だと思ってますから、こんな作品やキャラをろくに理解もしていない同人誌というのを読むと、なんとも言えない気分になるんだよね。鬼畜がサークルや作家の作風なのだとしても、最低限の知識も怪しい段階で、よくもまあ描けたものだと。最初に読んだときはあまりの内容にTwitterでブツクサ言ってしまいましたが、改めて読み直して見ると粗が目立つというよりは雑なだけだと分かったので、今は少し落ち着きました。
随分、口幅ったいことを書いてしまいましたが、私はどこまで行っても趣味同人の人なんだろうね。同人活動とは作品への愛であるなんて、商業同人家からすれば失笑ものでしょう。私が今回冬コミで出す本はいつも通り完売しても赤字なんだけど、古い知り合いの商業同人家、ずっと昔に所属していたサークル時代からの付き合いがある奴ですが、そいつは私を理解出来ないのかよく馬鹿にしてきましてね。今度出す新刊にしても、折角旬のジャンルなのに売りを考えないとは頭おかしいんじゃないかとか、まったく酷い言われようですよ。まあ、言いたいことは悪けどさ。
秋葉原で時間を潰していて、夜飯も秋葉で取ることにしたんだけど、さすがにイヴということもあってか、食べ物系の商業ビルはどこもクリスマス一色で、なんか入りづらかった。私がまさか気後れするとは思わなかったんだけど、やっぱりムードというものがありますからね。秋葉とはいえカップルや親子連れも多かった。いや、むしろ秋葉だからだろうか? カップル向けの洒落た店も増えたし、親子連れはプレゼントでも買いに来たんでしょう。なので結局、移動時間までファミレスで過ごすことにしました。これが結構虚しくて、少し人恋しくなったりしてました。雰囲気に当てられたんですかね? 私としたことが、情けない話です。
世間的には天皇誕生日ですけど、ヨスガノソラ的にはダメイドこと乃木坂初佳の誕生日ですね。まあ、どちらも私には関係ないことですけど、今上天皇陛下は思っていたより元気そうでなにりよでした。ニュースで見たところによると、最近は耳が遠くなっているそうですが、歴代天皇の中でも長寿を誇った昭和天皇を超える勢いでいて欲しいものです。それと例のクニマスを発見した話題に触れたそうですが、今上天皇は魚類学者ですから当然といえば当然でしょうね。
祝日ということでWonderGOOまでコミカライズ版ヨスガノソラの2巻を取りに行ったり、色々と動きまわってました。実はあるものを探していたんですけど、さすがに2ヵ月近く経過していることもあってどこにもなかった。不思議な話、どうして私があれが配布されていたことを知らなかったのか、気付いていなかったのか、それが分からない。普通に毎日アニメショップとか言ってたはずなのに、一度だって見かけたことがない。先月の頭って私、なにをしてたんだろう。
まあ、過ぎてしまったことは仕方ないからいいとして、全国のアニメイトを回りでもしない限り手に入れるのは無理でしょう。行動範囲内にアニメイトは3店舗残ってますけど、この忙しい時期にそんなことしていられないしね。あぁ、でも、メロンブックスも出来たというし、蒲田には年内中に行ってみたい気がしないでもない。横浜からは近からず遠からずといった距離にあるけど、あんまり行く機会がないんだよね。学生街であると同時にB級グルメの街でもあるんだけど、私は鳥久の唐揚げが好きかな。あそこの惣菜は美味しいよ。もっとも、私は食べ物関係にはけち臭い男だから滅多に買わないけど。蒲田自体、Pioのイベントに参加するときぐらいしか行かない場所だからね。
話をヨスガノソラに戻すと、これでコミックスも特典をコンプリートしたわけで、結局前回と同じ読む用合わせて13冊という感じです。読む用買って特典付きを開封しないなら、別に2冊ずつ買う必要ないじゃないですかと悲恋堂の店主が言ってたけど、なんか2冊ぐらい欲しいじゃないの。売り上げに貢献したいとか、そんなつもりはさらさらないけど、BDとDVDを合わせて5枚買ったことよりはよっぽど有意義だと思う。
帰宅後はAT-Xでヨスガノソラのリピート放送を視聴して、最終回を改めて見直すことに。まあ、これといって感想が変わることはないんだけど、初回放送時から幾日か過ぎて、その間に何度も録画したのを見続けてきたから、さすがに冷静さを保つことが出来ました。最終回というか、アニメ版に対する想いや気持ちというのは尽きないんですが、私はどうしても肯定的ではなく否定的な感情を抱いてしまいますからね。大分冷めてきているとはいえ、やはり理解も納得も出来ないといった感じです。譲れないものがある、とでもいうんでしょうか? 私自身、自分がヨスガノソラに入れ込みすぎているという自覚はあるし、ヨスガノソラに関する事柄では人が変わるという指摘も、自己認識はしているんですけどね。一つの作品を本気で愛するっていうのは、こういうことを言うのかな。
最終回の感想日記を書く際に、書き上がるまでの時間つぶしとして夏コミで出した本に収録されているヒレンノヨルを公開しましたけど、結構評判が良かったみたいです。あれはハルカナソラでハルにフラれた委員長が立ち直るまでを、天女目瑛という少女の想いを交えて書いてみた作品なんだけど、私は原作の委員長に確かな強さというものを感じていたんですよね。それは決して物分りの良さとか、そういう都合のいい一面じゃなくて、互いの想いに対し真剣に向き合った結果、ハルカナソラでの和解があるわけですから。
思えば、あの本の表題作であるトカイノソラは、なんとしてもアニメ放送前に書かなければいけないと思って書いた話でした。原作で描かれなかった、ハルと穹が両親の法要で都会へと帰郷した際の話を膨らませてみたんですが、私はアニメの放送が始まったら、必ずこの部分は描かれると思っていたんですよ。全編穹ルートでアニメ化されることを、私は疑ってすらいなかったからね。結局アニメは意味のない構成法を取ったため、一人のヒロインに費やせる時間がなくなり、穹のイベントもほとんどカットされたので、私の考えは杞憂となってしまった。
トカイノソラはハルと穹以外に誰も登場しない話なんですが、文量が多いから公開については考えてません。DL頒布でもいいので、と言われることもあるんですが、そこまでするほどのものかとも思ってまして。最初の同人誌をDL頒布しているのは、単に機能とかを試してみたかったというのがあるんですが、あれにしたって中身の半分はフリーで公開してますからね。それと、元々縦書きで書いた文章だから横書きのネット公開には適していないんじゃないか、という考えもあって。ただ、ヒレンノヨルに関してはそれほど長くもないから、そのうちpixivに収録でもしてみようかな、と考えています。
祝日ということでWonderGOOまでコミカライズ版ヨスガノソラの2巻を取りに行ったり、色々と動きまわってました。実はあるものを探していたんですけど、さすがに2ヵ月近く経過していることもあってどこにもなかった。不思議な話、どうして私があれが配布されていたことを知らなかったのか、気付いていなかったのか、それが分からない。普通に毎日アニメショップとか言ってたはずなのに、一度だって見かけたことがない。先月の頭って私、なにをしてたんだろう。
まあ、過ぎてしまったことは仕方ないからいいとして、全国のアニメイトを回りでもしない限り手に入れるのは無理でしょう。行動範囲内にアニメイトは3店舗残ってますけど、この忙しい時期にそんなことしていられないしね。あぁ、でも、メロンブックスも出来たというし、蒲田には年内中に行ってみたい気がしないでもない。横浜からは近からず遠からずといった距離にあるけど、あんまり行く機会がないんだよね。学生街であると同時にB級グルメの街でもあるんだけど、私は鳥久の唐揚げが好きかな。あそこの惣菜は美味しいよ。もっとも、私は食べ物関係にはけち臭い男だから滅多に買わないけど。蒲田自体、Pioのイベントに参加するときぐらいしか行かない場所だからね。
話をヨスガノソラに戻すと、これでコミックスも特典をコンプリートしたわけで、結局前回と同じ読む用合わせて13冊という感じです。読む用買って特典付きを開封しないなら、別に2冊ずつ買う必要ないじゃないですかと悲恋堂の店主が言ってたけど、なんか2冊ぐらい欲しいじゃないの。売り上げに貢献したいとか、そんなつもりはさらさらないけど、BDとDVDを合わせて5枚買ったことよりはよっぽど有意義だと思う。
帰宅後はAT-Xでヨスガノソラのリピート放送を視聴して、最終回を改めて見直すことに。まあ、これといって感想が変わることはないんだけど、初回放送時から幾日か過ぎて、その間に何度も録画したのを見続けてきたから、さすがに冷静さを保つことが出来ました。最終回というか、アニメ版に対する想いや気持ちというのは尽きないんですが、私はどうしても肯定的ではなく否定的な感情を抱いてしまいますからね。大分冷めてきているとはいえ、やはり理解も納得も出来ないといった感じです。譲れないものがある、とでもいうんでしょうか? 私自身、自分がヨスガノソラに入れ込みすぎているという自覚はあるし、ヨスガノソラに関する事柄では人が変わるという指摘も、自己認識はしているんですけどね。一つの作品を本気で愛するっていうのは、こういうことを言うのかな。
最終回の感想日記を書く際に、書き上がるまでの時間つぶしとして夏コミで出した本に収録されているヒレンノヨルを公開しましたけど、結構評判が良かったみたいです。あれはハルカナソラでハルにフラれた委員長が立ち直るまでを、天女目瑛という少女の想いを交えて書いてみた作品なんだけど、私は原作の委員長に確かな強さというものを感じていたんですよね。それは決して物分りの良さとか、そういう都合のいい一面じゃなくて、互いの想いに対し真剣に向き合った結果、ハルカナソラでの和解があるわけですから。
思えば、あの本の表題作であるトカイノソラは、なんとしてもアニメ放送前に書かなければいけないと思って書いた話でした。原作で描かれなかった、ハルと穹が両親の法要で都会へと帰郷した際の話を膨らませてみたんですが、私はアニメの放送が始まったら、必ずこの部分は描かれると思っていたんですよ。全編穹ルートでアニメ化されることを、私は疑ってすらいなかったからね。結局アニメは意味のない構成法を取ったため、一人のヒロインに費やせる時間がなくなり、穹のイベントもほとんどカットされたので、私の考えは杞憂となってしまった。
トカイノソラはハルと穹以外に誰も登場しない話なんですが、文量が多いから公開については考えてません。DL頒布でもいいので、と言われることもあるんですが、そこまでするほどのものかとも思ってまして。最初の同人誌をDL頒布しているのは、単に機能とかを試してみたかったというのがあるんですが、あれにしたって中身の半分はフリーで公開してますからね。それと、元々縦書きで書いた文章だから横書きのネット公開には適していないんじゃないか、という考えもあって。ただ、ヒレンノヨルに関してはそれほど長くもないから、そのうちpixivに収録でもしてみようかな、と考えています。
コンプエース版ヨスガノソラ コミックス第2巻レビュー
2010年12月22日 ヨスガノソラ
既に特典付きが4冊と読む用が1冊ほど手元にあるんですけど、アニメが終わったばかりということもあってか、相当売れているみたいですね。とらのあな横浜店は特典のイラストカードで表紙が隠れてしまってましたが、今日発売の新刊では一番売れてるんじゃないかってぐらい冊数が少なくなっていた。ゲーマーズも同じような感じだったので、特典付きが欲しい人は急いだ方がいいかも知れません。私は後WonderGOOの分を回収すれば終わりですが、結局前回と変わらない感じになってしまった。特典情報に付いては19日の日記に記載しているので確認してみてください。
今回は1巻の時よりも2話多い8話分収録ということで、特にSphereや橋本タカシの描き下ろしなどはありませんが、巻末で水風天が穹を描き下ろしており、連載を終えての感想をコメントしていました。全14話、1年と少しの連載でしたが、私が感じたように作者本人もあっという間だったようです。穹を中心に話を組み立てて言ったことに触れていますが、こういうコミカライズって編集の意向が強いとされているだけにちょっと意外だった。もちろん、すべてにおいて水風天が構成したとも限らないんだけどさ。
穹中心であるが故に、他キャラとの絡ませ方が難しかったと書いてありますが、私は見事に纏め上げていると思うんですがね。特に瑛のキャラクターに関しては、原作よりもコミカライズ版のほうが好きなぐらいですし。後、アニメに触れつつも何気にゲーム押しなコメントに読めなくもないんだけど、ゲームをプレした方がいいというのは同意します。構成上絡ませられなかったキャラというのは他でもない乃木坂初佳のことでしょうけど、コミカライズでは一切登場しませんし、親友のやひろにしたところで結局2話しか登場しませんでしたからね。そういったキャラを見る意味では、原作をプレイする価値は十分あるでしょう。
ただ、私自身はコミカライズの構成や完璧と言っていいハルと穹の物語を高く評価していますし、コミックスの1巻と2巻を読むだけでも、ヨスガノソラのよさは伝わるんじゃないかと思っています。2巻は序盤に奈緒ルートが挟まれはしますけど、それもまたハル×穹の一部として描かれていますし、ハルと穹を愛する人達が求めていたものが、このコミックスに集約されていると言っても過言ではないかなと。
それじゃあ、この辺りで一つ一つの話を簡単にですが振り返っていきましょうか? 修正点の紹介もしたいですし、画像レビューをしないのだから、せめて文章は書かないとね。
予想通り、雑誌掲載時と同じカラーページが収録されていた第7話「海へ行こうよ!」ですが、意外なことにかなりのレベルで描き直しというか修正が施されていました。私はてっきり前回と同じく薄い背景やトーンなどの修正に徹するのかと思ったんですが、キャラクターも結構描き直されていますね。瞳や顔付きなどに変化が見られ、当たり前ながら最近の絵柄になっています。見比べてみると、ガラリと変わったと表現してもいいぐらいの修正っぷりだと思う。比較画像でも出せればいいんだろうけど、あれは結構大変なので今回は止めておくことにします。買って確認してみてください。まあ、アホ毛という名の触覚の追加とかは前回に増して多かったですけどね。キャラに対する修正も目立つけど、基本は背景だと思うから、雑誌のときとはまた違った雰囲気を受けるかも知れない。
ちなみに、雑誌掲載時の7話レビューはこちら。
URL:http://60741.diarynote.jp/201003270242346139/
読み直して気付いたことは特にないんだけど、やっぱりこの話の穹は可愛いね。ハルと2人きりになれなくて、イチャイチャ出来ないことにいじけていましたけど、こんな風に穹のハルに対する想いの高ぶりを表現するのは上手いと思った。序盤に瑛と彼女にその後について話すことで、明確に瑛ルートが終わったことを印象づけ、穹ルートにシフトしていくやり方とかね。奈緒がハルに絡んできたり、委員長が勇気を出して距離を縮めてきたりと、穹ルートで重要な役割を持ったキャラたちが動き出したという感じです。
第8話「思い出の爪痕」は、穹ルートの前哨戦とも言うべく奈緒の話です。いきなり逆レイプから始まる流れは、掲載時に相応の衝撃を持って迎えられたような気がする。コミカライズ版は原作で曖昧だった逆レイプに対するハルの感情を、明確に否定的な方向で描いていました。奈緒との情事を夢に見るも、ほとんど悪夢にうなされているかのように飛び起きて、表情も不快げというかなり直接的な表現です。
URL:http://60741.diarynote.jp/201004272319174118/
当時の私が書いた感想もそこに触れており、やっぱり驚きみたいなものがあったんでしょう。
コミックスで読み直して気付いたことは、改めて見ると逆レイプされているハルはどことなく幼さの見え隠れする表情や容姿をしているということかな。上記の感想書いたときはそれまでコミカライズに登場したハルと大差ないと思ってたんだけど、顔付きに子供が持つ瑞々しさがあるというか。時間を置くと、受ける印象って結構変わるんもんです。修正箇所は主に背景と、奈緒の髪留めでしょうか? 前髪に付けているやつがありますけど、雑誌掲載時にはなかったんですよね。だから、それを追加している感じ。まあ、アホ毛修正と似たようなものです。この次の話もそうなんだけど、ところどころハルの表情への修正も多いような気がする。気がするだけかも知れないけど、よりシャープな感じになっているというか、プレイボーイ化が進んでいるというか。
話的には穹ルートにおける奈緒との対決と、奈緒ルートの終盤を掛けあわせたかのような話なんだけど、実は穹以上にハルが思いつめてたりするんだよね。ハルが奈緒をかばった理由は色々あったのでしょうが、それ以上に穹のことで思い悩む姿がいい。バスのシーンの使い方も上手いし。ただ、これは掲載時に気付くべきだったんだけど、一つミスを発見してしまった。というのも、バスのアナウンスが行き先を告げる際に穂積と言ってるんですよ。確かにほづみを普通に変換すると出てくるのはこの単語ですが、実際にヨスガノソラで使われている表記は穂見なんですよ。穂見学園とかさ。どうして掲載時に気付くことが出来なかったのか、気付いていれば指摘することも出来たのに。
続く、第9話「苦しみの先に」は絵に関する変化が現れた回でもありました。丁度、コミックスの1巻と同じ頃に掲載された話なんですが、単行本作業が終了していることもあって、例えばアホ毛とかが予め描かれるようになったんですよ。前回はなかった奈緒の髪留めとかも。だからコミックスにおける修正も主に背景がメインとなっており、トーンの追加とかが目立ちますね。話自体は前回からの続きで、穹によってバスへ乗せられたハルが原作の奈緒ルートと同じような流れで穹のことを説得するんだけど、その思考や言動があくまで穹よりなのが良い感じ。
URL:http://60741.diarynote.jp/201005260046485355/
穹は最終的に説得を受け入れて、ハルと一緒に奥木染へ引き返すわけだけど、再会した奈緒に対する態度は面白いよね。奈緒を許し、認めているようで、実は妥協した感がありありと伝わる表情をこっそりと見せていましたし。
「……奈緒ちゃんと同じことしたら、私も好きになってもらえるのかな」
この台詞は原作よりも直接的に穹がハルに対する感情を表現したもので、幕引きとしてはかなり印象的な言葉になっていると思った。なまじ、奈緒の逆レイプ、性行為を生々しく描いた後でしたから、私はいよいよ来たかという気持ちになった。
そして明確に穹ルートへと突入した第10話「雨降って、地固まらず」は、第1話以来の女装ハルが久方ぶりに描かれた回でした。1話のときは女子の制服でしたが、今度は普通レディースの洋服。改めて見ると、ハルが凄く可愛い。
URL:http://60741.diarynote.jp/201006261210176493/
この話は絵柄や背景がとても安定しており、雑誌とコミックスを見比べても本当に僅かな違い、それこそ髪の毛のトーンだとか靴のトーンぐらいしか修正点がありません。雑誌だと白猫の印象が強い猫の師匠も、この回で再登場なんだけど、普通に色付きで出てきており、ハルの言うようなとても猫とは思えない堂々たる態度に拍車がかかっているように思える。なんでこれを維持できなかったんでしょうね?
穹の自慰行為に加筆があるかとも思ったけど、実際に修正されたのは穹が自慰しているところを目撃し、固まった際のハル。若干ですが、表情に違いがあるような気がします。まあ、加筆された冷や汗による印象かもしれませんけど。しかし、何度読みなおしても穹の切なげな表情が堪りませんね。水風天はそっち方面でも描いている人ですから、やっぱり描き方に味があるわ。決してあからさまなエロじゃないのに、性的な興奮が確かに伝わってくるというのは凄いことじゃないだろうか。
第11話「変わりゆく日常」は物語の山場であり、遂に穹がハルに対して思いの丈をぶつけて告白し、ハルがそれを受け入れるという話です。目に付く修正箇所といえば、この話から急に白猫となってしまった猫の師匠に色が付いたことぐらいですかね。実は師匠の色というかトーンを除けば、全体的なレベルが下がったわけではないんだけど、まあ、師匠の場合は目立つからね。脱色でもしたのかっていう印象を受けてしまう。
URL:http://60741.diarynote.jp/201008270150592109/
それ以外は特に修正や変化もなく、純粋に内容を楽しむことが出来ますね。瑛がエスパー瑛として覚醒したのもこの辺りからで、周囲の空気すらも変える圧倒的な力に、ハルもなにかを見透かされたかのような感覚を覚えていました。神社組、とでも表現するべきなのか、コミカライズ版では瑛と師匠が超能力ないし神通力でも持っているのではないかというぐらいの存在感を示しており、ハルと穹というメインに対して、確固たる立ち位置を確保していると思います。水風天は確か瑛が一番好きだと言ってましたが、前述のとおり私も水風天の描く瑛は好きですね。キャラに対し少々極端な捉え方をしているとは思うけど、それがまたいい味を出してるんですよ。実は瑛に関してはかなりの影響を受けていたりします。
結局、ハルと穹の初夜も加筆はされませんでしたが、私はコミカライズ版にはあからさまなエロなど不要と思っているので、これぐらいが丁度いいんじゃないかなと。
原作における修羅場ともいうべきシーンを再現した第12話「ともだち」もまた、特に修正点らしいものはありません。描き忘れと思われる穹のアホ毛が追加され、後は師匠に色が付いたぐらいか。私はこの話と次の13話がたまらなく好きで、瑛のある種超越した存在感もさることながら、駆け足ながらもハルと和解する委員長がしっかりと描かれているところがよく出来ていると思う。やっぱり、委員長はこういう強さを持った少女じゃないとね。
「正しいかどうかは分かりません。でも、春日野君も穹さんも大切な友達ですから」
涙を浮かべながら、気丈にも笑顔を見せる委員長はコミカライズでも五指に入る名シーンではなかろうか。掲載時はあまりの展開の早さに苦言を呈しましたけど、改めて読んでみるとそれほど違和感を感じないというか、1冊に纏まったことで流れるように展開を受け入れることが出来たからかな。
URL:http://60741.diarynote.jp/201009250036426076/
瑛は割とハルを試すような言動が多くて、原作よりも具体的にハルと穹へ道を示そうとしている感じがしますね。言葉としては明確にしなくても、気付けば瑛が最良と思った方向へ進んでいるというか。瑛が初めて笑顔を消して、微笑すら浮かべていないカットがありますけど、その言いようのない冷たさにもまた、不思議な魅力があると思う。
クライマックス直前である第13話「いつも二人で」は、コミカライズがある意味で原作を超えたかも知れない瞬間でした。修正点はハルの靴のトーンやベタが変わっていたり、水に対するハルの恐怖を効果的に描いているところぐらいでしょうか? 後、猫の師匠ね。ここまで来るとさすがに安定してきてるというか、粗探しをしているわけじゃないにせよ、ほとんどなにも出てこないといった感じです。
URL:http://60741.diarynote.jp/201010260137458792/
原作においてハルがもっとも非難される部分をいい方向に改変することで、これでもかというぐらいのハル×穹を見せつけてきたというか、迷いを捨てたハルの格好良さといったらないね。穹を失いたくない、穹のためなら例え水の中だろうと入ってみせるというハルの男気もさることながら、溺れて助かった後、穹がハルに対して感激する辺りなど、もう最高でしたよ。これこそがヨスガノソラであり、コミカライズ版がハルと穹の物語として完全に完成されたときだった。
すべてが終わった際に、朝日を見つめる瑛と師匠がいるわけだけど、もはや風格すら漂う一人と一匹のコンビは、妙な説得力が備わっているようにも見える。ハルと穹が手を握り合って下山を始めるシーンは、ここで連載が終了してもおかしくないような、そんな印象さえ抱かせる名シーンになったと思います。
そして最終話の第14話「ハルカナソラ」です。これに関しては諸事情があって最近感想を書いたばかりなんですが、単行本作業と同時進行で描いていたというだけあって、これに関しては修正点も変化も一切ありません。
URL:http://60741.diarynote.jp/201011262309478185/
個人的にはハルと穹の服装をハルカナソラ仕様にして欲しかったんですけど、それをすると全部描き直さなくてはいけないので無理があったんでしょうね。服装が普段着だからあんまり旅行している感じがしないんだけど、まあ、仕方ないということで。結末も、原作を忠実に再現していると思いますし、地味な印象はありますけど、無難な形で終わったんじゃないでしょうか。なにか特別なことをしようとして型崩れすることもなく、話としても破綻せずにコミカライズとしての責務を全うしたと思う。それこそ連載が始まるから追いかけ続けてきて良かったと、私の想いが報われた瞬間だったのかも知れませんね。それぐらい嬉しく、感無量だった。まあ、ハルカナソラまで描かれなかったのは少し残念でしたけど。
コミックスも2巻が発売されたことで、コミカライズは完全に終了したわけですが、そういえばコミックス1巻告知漫画は収録されていませんでしたね。告知用の1ページ漫画とはいえ、一応描き下ろしだったんだし収録すれば良かったのに。まあ、本誌を買った人のお楽しみということで、大事に取っておけばいいのかな。話として割と面白かっただけに、結構もったいない気もするんだけど。
コミカライズや作者である水風天に対する感謝の気持ちを書き連ねると、多分残りの文字数では絶対足りないと思います。色々あった中でも連載を続け、なんとか最後まで描き上げてくれた水風天さんには感謝してもし足りない。コミカライズが一体どれだけ心の支えになったか、ハルカナソラにも並ぶであろうハル×穹を本当にありがとうございました!
またの機会に会えることを、楽しみにしています。
今回は1巻の時よりも2話多い8話分収録ということで、特にSphereや橋本タカシの描き下ろしなどはありませんが、巻末で水風天が穹を描き下ろしており、連載を終えての感想をコメントしていました。全14話、1年と少しの連載でしたが、私が感じたように作者本人もあっという間だったようです。穹を中心に話を組み立てて言ったことに触れていますが、こういうコミカライズって編集の意向が強いとされているだけにちょっと意外だった。もちろん、すべてにおいて水風天が構成したとも限らないんだけどさ。
穹中心であるが故に、他キャラとの絡ませ方が難しかったと書いてありますが、私は見事に纏め上げていると思うんですがね。特に瑛のキャラクターに関しては、原作よりもコミカライズ版のほうが好きなぐらいですし。後、アニメに触れつつも何気にゲーム押しなコメントに読めなくもないんだけど、ゲームをプレした方がいいというのは同意します。構成上絡ませられなかったキャラというのは他でもない乃木坂初佳のことでしょうけど、コミカライズでは一切登場しませんし、親友のやひろにしたところで結局2話しか登場しませんでしたからね。そういったキャラを見る意味では、原作をプレイする価値は十分あるでしょう。
ただ、私自身はコミカライズの構成や完璧と言っていいハルと穹の物語を高く評価していますし、コミックスの1巻と2巻を読むだけでも、ヨスガノソラのよさは伝わるんじゃないかと思っています。2巻は序盤に奈緒ルートが挟まれはしますけど、それもまたハル×穹の一部として描かれていますし、ハルと穹を愛する人達が求めていたものが、このコミックスに集約されていると言っても過言ではないかなと。
それじゃあ、この辺りで一つ一つの話を簡単にですが振り返っていきましょうか? 修正点の紹介もしたいですし、画像レビューをしないのだから、せめて文章は書かないとね。
予想通り、雑誌掲載時と同じカラーページが収録されていた第7話「海へ行こうよ!」ですが、意外なことにかなりのレベルで描き直しというか修正が施されていました。私はてっきり前回と同じく薄い背景やトーンなどの修正に徹するのかと思ったんですが、キャラクターも結構描き直されていますね。瞳や顔付きなどに変化が見られ、当たり前ながら最近の絵柄になっています。見比べてみると、ガラリと変わったと表現してもいいぐらいの修正っぷりだと思う。比較画像でも出せればいいんだろうけど、あれは結構大変なので今回は止めておくことにします。買って確認してみてください。まあ、アホ毛という名の触覚の追加とかは前回に増して多かったですけどね。キャラに対する修正も目立つけど、基本は背景だと思うから、雑誌のときとはまた違った雰囲気を受けるかも知れない。
ちなみに、雑誌掲載時の7話レビューはこちら。
URL:http://60741.diarynote.jp/201003270242346139/
読み直して気付いたことは特にないんだけど、やっぱりこの話の穹は可愛いね。ハルと2人きりになれなくて、イチャイチャ出来ないことにいじけていましたけど、こんな風に穹のハルに対する想いの高ぶりを表現するのは上手いと思った。序盤に瑛と彼女にその後について話すことで、明確に瑛ルートが終わったことを印象づけ、穹ルートにシフトしていくやり方とかね。奈緒がハルに絡んできたり、委員長が勇気を出して距離を縮めてきたりと、穹ルートで重要な役割を持ったキャラたちが動き出したという感じです。
第8話「思い出の爪痕」は、穹ルートの前哨戦とも言うべく奈緒の話です。いきなり逆レイプから始まる流れは、掲載時に相応の衝撃を持って迎えられたような気がする。コミカライズ版は原作で曖昧だった逆レイプに対するハルの感情を、明確に否定的な方向で描いていました。奈緒との情事を夢に見るも、ほとんど悪夢にうなされているかのように飛び起きて、表情も不快げというかなり直接的な表現です。
URL:http://60741.diarynote.jp/201004272319174118/
当時の私が書いた感想もそこに触れており、やっぱり驚きみたいなものがあったんでしょう。
コミックスで読み直して気付いたことは、改めて見ると逆レイプされているハルはどことなく幼さの見え隠れする表情や容姿をしているということかな。上記の感想書いたときはそれまでコミカライズに登場したハルと大差ないと思ってたんだけど、顔付きに子供が持つ瑞々しさがあるというか。時間を置くと、受ける印象って結構変わるんもんです。修正箇所は主に背景と、奈緒の髪留めでしょうか? 前髪に付けているやつがありますけど、雑誌掲載時にはなかったんですよね。だから、それを追加している感じ。まあ、アホ毛修正と似たようなものです。この次の話もそうなんだけど、ところどころハルの表情への修正も多いような気がする。気がするだけかも知れないけど、よりシャープな感じになっているというか、プレイボーイ化が進んでいるというか。
話的には穹ルートにおける奈緒との対決と、奈緒ルートの終盤を掛けあわせたかのような話なんだけど、実は穹以上にハルが思いつめてたりするんだよね。ハルが奈緒をかばった理由は色々あったのでしょうが、それ以上に穹のことで思い悩む姿がいい。バスのシーンの使い方も上手いし。ただ、これは掲載時に気付くべきだったんだけど、一つミスを発見してしまった。というのも、バスのアナウンスが行き先を告げる際に穂積と言ってるんですよ。確かにほづみを普通に変換すると出てくるのはこの単語ですが、実際にヨスガノソラで使われている表記は穂見なんですよ。穂見学園とかさ。どうして掲載時に気付くことが出来なかったのか、気付いていれば指摘することも出来たのに。
続く、第9話「苦しみの先に」は絵に関する変化が現れた回でもありました。丁度、コミックスの1巻と同じ頃に掲載された話なんですが、単行本作業が終了していることもあって、例えばアホ毛とかが予め描かれるようになったんですよ。前回はなかった奈緒の髪留めとかも。だからコミックスにおける修正も主に背景がメインとなっており、トーンの追加とかが目立ちますね。話自体は前回からの続きで、穹によってバスへ乗せられたハルが原作の奈緒ルートと同じような流れで穹のことを説得するんだけど、その思考や言動があくまで穹よりなのが良い感じ。
URL:http://60741.diarynote.jp/201005260046485355/
穹は最終的に説得を受け入れて、ハルと一緒に奥木染へ引き返すわけだけど、再会した奈緒に対する態度は面白いよね。奈緒を許し、認めているようで、実は妥協した感がありありと伝わる表情をこっそりと見せていましたし。
「……奈緒ちゃんと同じことしたら、私も好きになってもらえるのかな」
この台詞は原作よりも直接的に穹がハルに対する感情を表現したもので、幕引きとしてはかなり印象的な言葉になっていると思った。なまじ、奈緒の逆レイプ、性行為を生々しく描いた後でしたから、私はいよいよ来たかという気持ちになった。
そして明確に穹ルートへと突入した第10話「雨降って、地固まらず」は、第1話以来の女装ハルが久方ぶりに描かれた回でした。1話のときは女子の制服でしたが、今度は普通レディースの洋服。改めて見ると、ハルが凄く可愛い。
URL:http://60741.diarynote.jp/201006261210176493/
この話は絵柄や背景がとても安定しており、雑誌とコミックスを見比べても本当に僅かな違い、それこそ髪の毛のトーンだとか靴のトーンぐらいしか修正点がありません。雑誌だと白猫の印象が強い猫の師匠も、この回で再登場なんだけど、普通に色付きで出てきており、ハルの言うようなとても猫とは思えない堂々たる態度に拍車がかかっているように思える。なんでこれを維持できなかったんでしょうね?
穹の自慰行為に加筆があるかとも思ったけど、実際に修正されたのは穹が自慰しているところを目撃し、固まった際のハル。若干ですが、表情に違いがあるような気がします。まあ、加筆された冷や汗による印象かもしれませんけど。しかし、何度読みなおしても穹の切なげな表情が堪りませんね。水風天はそっち方面でも描いている人ですから、やっぱり描き方に味があるわ。決してあからさまなエロじゃないのに、性的な興奮が確かに伝わってくるというのは凄いことじゃないだろうか。
第11話「変わりゆく日常」は物語の山場であり、遂に穹がハルに対して思いの丈をぶつけて告白し、ハルがそれを受け入れるという話です。目に付く修正箇所といえば、この話から急に白猫となってしまった猫の師匠に色が付いたことぐらいですかね。実は師匠の色というかトーンを除けば、全体的なレベルが下がったわけではないんだけど、まあ、師匠の場合は目立つからね。脱色でもしたのかっていう印象を受けてしまう。
URL:http://60741.diarynote.jp/201008270150592109/
それ以外は特に修正や変化もなく、純粋に内容を楽しむことが出来ますね。瑛がエスパー瑛として覚醒したのもこの辺りからで、周囲の空気すらも変える圧倒的な力に、ハルもなにかを見透かされたかのような感覚を覚えていました。神社組、とでも表現するべきなのか、コミカライズ版では瑛と師匠が超能力ないし神通力でも持っているのではないかというぐらいの存在感を示しており、ハルと穹というメインに対して、確固たる立ち位置を確保していると思います。水風天は確か瑛が一番好きだと言ってましたが、前述のとおり私も水風天の描く瑛は好きですね。キャラに対し少々極端な捉え方をしているとは思うけど、それがまたいい味を出してるんですよ。実は瑛に関してはかなりの影響を受けていたりします。
結局、ハルと穹の初夜も加筆はされませんでしたが、私はコミカライズ版にはあからさまなエロなど不要と思っているので、これぐらいが丁度いいんじゃないかなと。
原作における修羅場ともいうべきシーンを再現した第12話「ともだち」もまた、特に修正点らしいものはありません。描き忘れと思われる穹のアホ毛が追加され、後は師匠に色が付いたぐらいか。私はこの話と次の13話がたまらなく好きで、瑛のある種超越した存在感もさることながら、駆け足ながらもハルと和解する委員長がしっかりと描かれているところがよく出来ていると思う。やっぱり、委員長はこういう強さを持った少女じゃないとね。
「正しいかどうかは分かりません。でも、春日野君も穹さんも大切な友達ですから」
涙を浮かべながら、気丈にも笑顔を見せる委員長はコミカライズでも五指に入る名シーンではなかろうか。掲載時はあまりの展開の早さに苦言を呈しましたけど、改めて読んでみるとそれほど違和感を感じないというか、1冊に纏まったことで流れるように展開を受け入れることが出来たからかな。
URL:http://60741.diarynote.jp/201009250036426076/
瑛は割とハルを試すような言動が多くて、原作よりも具体的にハルと穹へ道を示そうとしている感じがしますね。言葉としては明確にしなくても、気付けば瑛が最良と思った方向へ進んでいるというか。瑛が初めて笑顔を消して、微笑すら浮かべていないカットがありますけど、その言いようのない冷たさにもまた、不思議な魅力があると思う。
クライマックス直前である第13話「いつも二人で」は、コミカライズがある意味で原作を超えたかも知れない瞬間でした。修正点はハルの靴のトーンやベタが変わっていたり、水に対するハルの恐怖を効果的に描いているところぐらいでしょうか? 後、猫の師匠ね。ここまで来るとさすがに安定してきてるというか、粗探しをしているわけじゃないにせよ、ほとんどなにも出てこないといった感じです。
URL:http://60741.diarynote.jp/201010260137458792/
原作においてハルがもっとも非難される部分をいい方向に改変することで、これでもかというぐらいのハル×穹を見せつけてきたというか、迷いを捨てたハルの格好良さといったらないね。穹を失いたくない、穹のためなら例え水の中だろうと入ってみせるというハルの男気もさることながら、溺れて助かった後、穹がハルに対して感激する辺りなど、もう最高でしたよ。これこそがヨスガノソラであり、コミカライズ版がハルと穹の物語として完全に完成されたときだった。
すべてが終わった際に、朝日を見つめる瑛と師匠がいるわけだけど、もはや風格すら漂う一人と一匹のコンビは、妙な説得力が備わっているようにも見える。ハルと穹が手を握り合って下山を始めるシーンは、ここで連載が終了してもおかしくないような、そんな印象さえ抱かせる名シーンになったと思います。
そして最終話の第14話「ハルカナソラ」です。これに関しては諸事情があって最近感想を書いたばかりなんですが、単行本作業と同時進行で描いていたというだけあって、これに関しては修正点も変化も一切ありません。
URL:http://60741.diarynote.jp/201011262309478185/
個人的にはハルと穹の服装をハルカナソラ仕様にして欲しかったんですけど、それをすると全部描き直さなくてはいけないので無理があったんでしょうね。服装が普段着だからあんまり旅行している感じがしないんだけど、まあ、仕方ないということで。結末も、原作を忠実に再現していると思いますし、地味な印象はありますけど、無難な形で終わったんじゃないでしょうか。なにか特別なことをしようとして型崩れすることもなく、話としても破綻せずにコミカライズとしての責務を全うしたと思う。それこそ連載が始まるから追いかけ続けてきて良かったと、私の想いが報われた瞬間だったのかも知れませんね。それぐらい嬉しく、感無量だった。まあ、ハルカナソラまで描かれなかったのは少し残念でしたけど。
コミックスも2巻が発売されたことで、コミカライズは完全に終了したわけですが、そういえばコミックス1巻告知漫画は収録されていませんでしたね。告知用の1ページ漫画とはいえ、一応描き下ろしだったんだし収録すれば良かったのに。まあ、本誌を買った人のお楽しみということで、大事に取っておけばいいのかな。話として割と面白かっただけに、結構もったいない気もするんだけど。
コミカライズや作者である水風天に対する感謝の気持ちを書き連ねると、多分残りの文字数では絶対足りないと思います。色々あった中でも連載を続け、なんとか最後まで描き上げてくれた水風天さんには感謝してもし足りない。コミカライズが一体どれだけ心の支えになったか、ハルカナソラにも並ぶであろうハル×穹を本当にありがとうございました!
またの機会に会えることを、楽しみにしています。
アニメ版ヨスガノソラ 第12話「ハルカナソラへ」
2010年12月20日 ヨスガノソラ終わってしまいましたね。まあ、言いたいことは山のようにあるし、書きたいことも沢山あるわけだけど、一体どれから始めればいいのか。アニメ版全体を振り返るとか、そんなことも考えないではなかったんですが、所詮は2万字しか打つことの出来ない日記ですからね。素直に最終回だけを書くことにしようと思います。全体的なまとめというのも、まあ、機会があればしてみたいけど、今は正直これを書くだけでも手一杯だからさ。ろくな結末やラストにはならないだろうと覚悟していたはずなのに、まさにその最悪を極められてしまいました。
前回からの続きで、委員長と奈緒にセックスの現場を目撃されたハルと穹。最近読んだエロ漫画によく似たシュチエーションがあったんですが、玄関でのセックスというのはそれほどおかしい描写ではないのかも知れませんね。逆に言えば、エロ漫画レベルでしかないってことにもなるけど、今更アニメ版の質の悪さについて言及しても意味のないことです。
委員長は発狂して取るものも取り敢えず逃げ出した、と言いたいところですがちゃんと自転車に乗って帰りました。前回から気になってたんですけど、なんで奈緒は委員長のことを梢ちゃんなんて呼んでるんでしょうか? そりゃ、上級生でクラスも違いますから委員長と呼ぶことはないでしょうけど、原作だと普通に苗字で呼んでるはず。他人との間に距離を作りがちだった奈緒が、後輩を馴れ馴れしく名前呼び出来るというのも妙な話です。1話以外に接点もなさそうな2人、これはどういう改変なのだろうか。
奈緒は錯乱して逃げ出した委員長を呼び止めるけど、本当に止まっていたらどうするつもりだったんだろうね。自分もまたハルと穹に対してなにも言えなかったのに、委員長に対して弁解や弁明でもするつもりだったのか。まあ、あのまま行かせてはいけないと思っただけなのかも知れないけど。性欲という熱病から覚めたハルは事の重大さに言葉もありませんが、奈緒も掛ける言葉がないのか「ごめん……」とだけ言って立ち去りました。謝られるような問題なのかといえば、まあ、間が悪かったというのはあるでしょうし、色々な意味で委員長を止めきれなかったわけだしね。奈緒に責任がないわけじゃない。
愕然としたハルに対し、穹には何故だか余裕があった。
「こっち見て、ハル。私のことだけ見てて」
頬にする口づけは、下手な呪いよりもずっと強烈な情愛の塊。しかし、それを以てしても、動揺しきったハルの心に平静を取り戻すには、しばらくの時間がかかったのだった。
最終回だからかOPはカットされ、すぐさま本編に突入しましたけど、いきなり裸の穹を出されたときはどうしようかと思った。無駄なエロ描写といえばその通りだけど、ハルと穹が着実に性生活を送っていることの現れでもあり、エロだけしかないアニメ版では仕方のない光景なのかも知れない。というか、原作と同じようにシーツ一枚羽織った穹がいたのなら裸というのも分かるけど、一夜明けて裸ということは結局昨晩もセックスをしたということになりますね。まあ、動揺や混乱からの逃避手段として肉体的な快楽による誤魔化し選択するのは、別に間違ってはいないと思うが。
ハルは穹に対して、学校をサボってどこかに行かないかといいますが、これは単に学校へ顔を出すのが怖いだけでしょうね。原作だと割とすぐに穹を拒絶し、関係の巻き戻しをはかろうとしますから、そういった意味ではアニメ版のハルはヘタレではない……のか? 単に今ある肉体的快楽を失いたくないだけかも知れないけど、それに付いては後述します。穹は委員長と奈緒に目撃されたことをなんとも思っておらず、これはある意味で当然の話です。委員長はともかく、奈緒は過去にハルを逆レイプしており、穹はそれを目撃している。けれど奈緒は普通に生活しており、当時のこともさして大事にはならなかった。事情や状況は全然違いますが、穹が現状というかハルとの性的な関係を大したことではないと想っているのは事実であり、むしろ穹にとっては当然であり自然の流れなのです。委員長にしてもいくらでも黙らせる方法はあると思ったのか、それとも周囲に広める勇気など持ち合わせていないと思ったのか、とにかく穹には余裕があった。周りが見えていないだけとは思えないほどに。
仕方なく学校へ向かうハルだけど、その足取りが軽いわけもなく、穹に引きずられるように登校していきます。辿り着いた教室では目を真っ赤に充血させた委員長がいますけど、正直怖いなんてものじゃなかった。生々しいというほどリアルではないけど、むしろ、アニメキャラという目が大きく描かれる存在であるからこその怖さみたいのがあった。その異様な姿に亮平のみならずクラスメイトもなにかあったことを気付きましたが、訊ねられても答えられるわけがありませんでした。
放課後の屋上、呼び出されたのか呼び出したのか、穹の前に奈緒が対峙しました。まあ、この時期の穹がハル以外を気にかけることなんてありえませんから、普通に呼び出されたんでしょうね。どんな会話がなされたのか、それは語られることなくシーンはハルへと切り替わります。今日はすぐ帰りたかっただろうに、掃除当番なのかゴミ出しをしているところに委員長が現れました。
「安心してください、あんなこと誰にも言いません」
泣きはらした瞳は異様なほど鋭く、口調は気圧されるほどに強い。後ずさるハルに対して畳み掛けるように、委員長は言葉を続けます。
「けど、あんなの変だと思います。人としておかしいです」
ハルと穹の関係を否定しながら、自分の中にあったハルへの想いを吐露し始める委員長。正直、全12話観てきた中でちっとも伝わってきませんでしたけど、始まりが一目惚れであったように、好きになったのも表面的な部分だけらしいね。まあ、それもまたハルの本質の一部であるとは思うけどさ。
「でも、もう二度と話しません!」
自らの想いを吐露しながら、それでいてハルとの関係を完全に断絶しようとする委員長は、原作のそれと明らかに違うものがありました。委員長は確かに普通人ではありますが、普通人なりにハルと穹の関係をわかろうと、良い友人であろうと努力をしてくれる娘だったはずなのに、まったく酷い改悪ですね。荒川が当初考えていた、否定者としての一面だけが残ってしまった感じですよ。
委員長の痛烈すぎる批判を受けたハルの前に、今度は奈緒が姿を見せました。場所を音楽室に移して行われた話は、ハルと穹の関係に付いて。やはり奈緒は、前々から感づいてはいたらしい。間違いであって欲しいという気持ちが、それを認められなかっただけで。ハルは奈緒に謝罪をしながら、長年自分の中にあった穹への想いを口にしました。
「ずっと、別々だったから。久しぶりに戻ってきた穹は、僕の知っている妹じゃなかった。見たこともない儚げな女の子になっていて、凄くドキドキした」
こんな風にハルの積年の想いが語れることは、結構珍しいことだったりします。原作でもコミカライズでも、そりゃあ穹のことは昔から好きですが、アニメ版のように異性としてずっと意識していたということはなく、ここに来てハルの気持ちを深く掘り下げ始めたというのは大きな意味があるよね。
「色んなことがあって、そのたびに意識して……あいつ、素直じゃないけど、だから余計、頼られたとき、ドキドキして」
ドキドキしっぱなしだね、というのはともかく、ハルの根底に穹を守りたいという気持ちがあったのは事実で、原作やコミカライズと違い、それが恋愛方面まで発展していたというのは真実らしい。それに気づいた奈緒はなにかを言おうとハルに対して向き直りますが、それより先にハルの方が叫びました。
「でも、妹だから! 妹だから、それ以上はダメだってずっと思い続けて……二年後の夏に、僕は別の恋をした」
それは紛れもなくハルのことを逆レイプした奈緒のことですが、これについては改悪し過ぎではないかと思った。つまり、ハルは奈緒との関係、逆レイプ含めた奈緒という存在を利用して、穹への想いを断ち切ろうとしたわけです。こうなってしまうと奈緒の行動は一概に非難できるものではなくなり、むしろ、「嫌じゃなかった」というハルの発言は「調度良かった」ということになってしまいます。奈緒の株を上げるにはハルと穹を貶めるしかないとは言え、これはいくらなんでもあんまりでしょう。ハルをここまでダメダメにして、そうまでしなければいけない価値が奈緒にあるというのか。
本当の恋にしようとしたけれど、なかなか上手くいかなかったというハルは、それでもしがみつこうとして、結果的に奈緒を傷つけた事実を謝罪します。下げた頭は簡単に上げられるものではなく、まさかハルがそんな昔から色々考えていたとはね。奈緒のことなんてどうでもいいですが、2年後に違う恋ということは、穹が退院してハルとキスなどをしたのは、9歳から11歳の間ということか。
「上手くいかないよね、ほんと……」
呟く奈緒の顔には涙らしきものが浮かんでおり、彼女はそのまま立ち去りました。その言葉の重みにハルも涙し、奈緒が去った後も頭を上げることが出来ませんでした。
委員長と奈緒の言葉に押しつぶされそうになるハルの元に、携帯の着信が鳴り響きます。委員長が家に来るキッカケとなった携帯ですが、確認したハルの表情が変わりました。家に帰るとレトルトのカレーで穹が夕飯を用意していたけど、ハルは呼びかけにも応じず部屋に閉じこもったまま。奈緒に呼び出されたことも穹はまったく気にしていないらしく、様子はいつもとまるで変わりません。
別になにも変わらなかったという穹ですが、ハルは委員長という友人を失いましたし、奈緒との関係も清算してしまいました。変わらなかったというのは、あくまでハルのことしか見えていない、ハルさえいれば他になにもいらないと想っている穹の主観における話です。ハルにとって行きたくもなかった学校での一日は、心をすり減らすには十分でした。
穹はキスをすることでハルの心を取り戻そうとしますが、ハルはそれを拒絶すると、逆に自分からキスをすることで、強引にセックスをし始めました。穹の胸を捌けさせ、乳首にむしゃぶりつき、原作においても穹の身体を強引に求めるハルというのは存在していますが、アニメ版はさすが映像描写だけ合って直接的ですね。はじめは驚いていた穹も徐々に快感を覚え始めたのか、表情には笑みが広がっていきます。
「いいよ……私のこと、メチャクチャにしても。ハルがしたいなら、していいよ」
揺らぐ瞳と、流れ落ちる涙の粒。ハルが泣いた理由は色々ありすぎて困るってぐらいでしょうけど、ここまでしても穹が拒絶せずに自分を受け入れてしまう事実、なにをしても離れられない自分たちの関係性に涙を流したのかも知れませんね。今の状況、関係、それらは違うものであると、辞めるべきものであるとハルは考えたのでした。しかし、することだけしておいて、いざ露見したら辞めようと言い出すハルを穹が許せるはずもありません。
「なんで!?」
激昂して詰め寄る穹を、ハルは片手で払いのけます。
「なんでって、僕たちは……兄妹だから」
今更過ぎる常識論と倫理観。そんな道徳がもう通用しないことは分かっているのに、それでもそれ以外に言うことはないというのか。当然のごとく、穹は反論します。
「今更なに? 兄妹でキスしちゃダメなの? セックスしちゃいけないの?」
「それは……!」
「受け入れてもらえないから? 私はそんなのどうでも良い。ハルと一緒ならそれでいい!」
「穹……」
ハルが見つめる先にあるものは、穹が母親からもらった黒うさぎのぬいぐるみ。
「他にも、色々な問題があるのは知ってるけど……全部どうでも良い。なにがあったって、ハルとの子供なら私は!」
「そんな簡単じゃないよ!」
「じゃあ、難しい現実なんて切ればいい!」
穹が叫んだとき、ハルの手が飛びました。ハルの手の平が、穹の頬を打ったのです。これ以上にない明確な拒絶を前に、穹はぬいぐるみを蹴り飛ばすとハルの部屋から出ていきました。
しかし、叩かれたぐらいで諦めるような穹ではありません。あくまでハルとの関係を続けようとする穹に対し、ハルは外国にいるらしい叔父さんとやらからメールが来たことを告げました。誰だそれ、という感じですけど、どうやら父方の弟妹らしく、原作にも出てくる叔母さんは旭川に住んでいるらしい。つまり、北海道ですか。
「気付かれてたんだ、本当は蓄えがないってことを」
蓄えがない割に、一向に自炊とかそういうのを始めてませんね。というか、そういう細かい部分を改変してくるのは本当にどうなんだろうか。経済的な安定というエロゲ的要素を廃して、それがリアリティのつもりなのか。確かに原作においても春日野家の経済基盤は安定にはほと遠いけど、それでも学校を卒業するぐらいまでは十分にあると言われてましたし、そもそも蓄えがないなら今までどうやって生活してきたんだよと。長期的な意味で、ということなのかもしれないけど、意味のない設定入れないでくれるかな。
「だからなんだっていうの?」
知ったことではないという態度を取る穹に対し、ハルは一人ずつなら引きとってもらえるという話を打ち明けた。穹はその言葉が意味することをすぐに理解します。
「それ、まさか」
「別れよう。その方が幸せになれる」
穹がなんと答えたのかは分かりませんが、燦々たる光景となった食堂を見るかぎり、そんな話が通るわけもなく、ハルは顔を覆うしかありませんでした。
翌日、ハルと穹は学校を休みました。穹がハルの布団に裸で寝ているとこからすると、昨晩の件をなだめるためにまた関係を持ってしまったといったところでしょうか。なんの夢を見ていたのかハルは頬を赤々とさせながら目覚めますが、それに呼応するかのように穹も目を覚まします。
「どうしたの……?」
「ううん……」
「好き……」
短いやりとりは、既に2人が引き返せない位置まで来てしまったことをまざまざと見せつけてきます。なにせ別れようといった翌日の朝にこれですから。
そのまま再び眠りについたハルは夕方に目を覚ましますが、隣に穹の姿はありません。家のどこにも居らず、穹の自室は強盗に入られてもこうならないであろうというぐらいに荒れ果てていた。ぬいぐるみは引き裂かれ、事態の異常さを知ったハルは家を飛び出そうとしますが、そこに穹からのメールが届きました。
『私はハルの妹だけどハルとキスしたい…つながりたい……でもそれがハルには迷惑になっちゃったんだね…ごめんね…』
日時は7月14日の18時27分と、この作品で最後にはっきりしている日付と時間です。
文面の意味する重大さにハルは自転車乗って家を出ますが、出たことろで奈緒に会いました。穹がいなくなったという展開は過去ルートのそれと同じだけど、今回探して回るのはハルと奈緒の2人だけ。他の友人達はかけずり回ってはいないようです。これは結構おかしな話で、例えば奈緒は亮平の家とかにも言っているはずなのに、彼が助力をしないというのはどうなのだろうか。
行動範囲の狭さからそんなに遠くには行っていないと推測したハルに、奈緒がふと言葉を漏らしました。音楽室では言えなかったこと、穹と屋上で対峙したときの話。ハルはここで初めて穹が奈緒との間にあった関係を知っていたことを知りました。
「穹ちゃんは本気だよ。それでも別れる? だからこそ、別れる?」
「……まだ、答えを探してる」
ハルはかつて瑛から聞いた話を思い出し、叉依姫神社へとやってきました。瑛の自宅の明かりは付いている、しかし、委員長に拒絶された最近の記憶から彼は瑛に助けを乞うことが出来ない。あるいはここもまた、選択肢の一つだったのかも知れない。瑛と委員長は違う。アニメ版は人格的に弱いとはいえ、瑛がハルと穹を拒絶するというのは考えにくく、2人の事情を分かった上で手を貸したことでしょう。ここで挟まれる瑛の様々な描写に関して、私はなにを意味するのかがよく分かりません。瑛はハルの来訪に気づいたようですが、ハルは結局会うことなく山へと登りました。原作やコミカライズのように、瑛が主導となっていないことは斬新な展開かも知れませんね。もっとも、今まさに入水自殺を使用止している穹などは、本当に急展開も甚だしいですけど。
穹を助けようとして、拒まれ、2人一緒に溺れてしまうわけだけど、原作のように自暴自棄になって穹と心中しようとするわけでもなく、コミカライズのように諦めに身体を絡め取られるわけでもなく、その光景は本当に幻想的だった。
――僕、死ぬのか? ごめん、穹。助けてやれなくて。でも、これでよかったのかも知れない……二人で、誰もいない遠い世界に行ければ
ハルが目を覚ましたとき、そこは奥宮の石段でした。涙を流す穹の表情を目の当たりにして、何故だか穏やかな笑みを見せるハル。二人の行く先が怖かったというハルは、今でもその答えを出すことが出来ないでいる。
「だから、二人で探さないか? 一番気持ちを大切に出来る道を」
「ハル……」
「僕はどう言われてもいい。どんなに苦しくてもいい。穹が、一番幸せになれるようにしたい」
朝日が登り始めたとき、冷え切った身体を上半身をはだけながら抱きしめあい、暖めあうハルと穹。生きているからこそ実感できる温もりに、ハルは穹への愛を再認識します。
「好きだよ、穹」
「私も大好き……」
そして月日は流れ……ハルと穹の去った奥木染。瑛や渚さん、亮平と奈緒、そして委員長が朝の通学路で一堂に会しました。ここからは完全にアニメオリジナル展開であり、瑛が渚さんにハルからの連絡があったかどうかを訊ねました。それが原作及びコミカライズのラストに送られてきたメールのことですが、それっきり連絡はないといいます。
なんとハルと穹は、両親が仕事で世話になったという家具職人がいる異国の地へと、旅行ではなく移住してしまったというのです。2人が幸せになるために、それしかなかったというのでしょうか。亮平じゃないけど、有り得ない展開ですよね。ハルカナソラへとかいうタイトルのくせして、ハルカナソラ全否定じゃないですか。
放置された春日野家は穹の部屋以外は普通でしたが、本当にすぐ逃げ出したかのような生活感が残っていました。もう少し身辺を整理しても良かったのではないかと思うし、これではただの駆け落ちじゃないか。
「分かりません。本当に幸せになれるんでしょうか?」
そんな疑問を口にしたのは委員長で、彼女は髪を卸しているというより、少し切ったのでしょうかね? 若干、短くなったような印象を受けます。
委員長の疑問に奈緒はこれからが大変だと答えつつも、自身の過去もあるせいか否定することは出来ませんでした。しかし、そんな事情を知らない委員長は声を荒らげます。
「どうしてですか?」
その瞳はいつになく強く、かつてハルを拒絶したときと同じ鋭さがある。
「だって、誰かを好きになる気持ちは止められないもん……だから、幸せになれるって信じてる」
「そんなのないです! 気持ちさえあればいいんですか?」
「そうは言ってないけど……」
「気持ちだけでしちゃっていいなら、私だってやりたいこといっぱいあります!」
泣きながら自転車を押す委員長の背中の痛ましさといったらない。結局委員長は、最後の最後までハルと穹の関係を認めることなく、友人に戻る機会すら失ってしまったのだから。原作にしろコミカライズにしろ悲恋という役目を負わされた彼女ですが、アニメ版はそれ以上に残酷だった。委員長に一体なんの恨みがあるのか、言ってしまえば一人で空回って自爆した普通人に過ぎないし、誰が彼女に感情移入し、同情するのか。可哀想ではあるけど、委員長の役回りはそうじゃないだろうに。
そしてどこかの電車の中、ハルと穹が座席に向かいあわせで座っており、ポッキーを食べています。何故か穹の横は引き裂いたはずの黒うさぎのぬいぐるみがあり、ハルの横にはスーツケースが。
「ついてる……」
「えっ?」
「欠片、口んとこ」
手で拭うハルですが、穹は取れていないといいます。もう一度拭うハルが再度訊ねたとき、列車がトンネルを抜けました。窓の外に映るのは青空だけ、穹は乗り出すようにハルヘ迫ると、その唇を奪います。電車の中ですが他に乗客もいませんし、まあ、良いんじゃないですかね。長いキスに対する躊躇いは、お互いに存在しなかった。
「……とれた」
満面の笑みを浮かべる穹とハル。異国の青空を映し出しながら、アニメ版ヨスガノソラの物語はここに完結したのでした。
なんだろう、この余韻のもたせ方とか、まんま18禁のエロアニメのそれと同じなんですけど、監督が高橋丈夫だけに仕方のないことなんだろうか。なんていうか全体的に詰め込み過ぎだし、駆け足だし、ラストの展開なんてどこが原作を忠実に再現しているのかさっぱりなんですけど、一体誰の期待を裏切らない作品になったんだろうね。私は基本的に冷めてますから、視聴後の一時的な感情の高ぶりが収まれば、今さら激昂するようなこともないですけど、本当にこんなアニメでよかったんでしょうかねぇ?
私はアニメ否定派を貫くことになると思いますが、まあ、ハルと穹が結ばれないとか、二人とも湖で命を落とすなんて展開にしなかっただけでもマシだと思っておきましょうか。ただ、ハル×穹と穹ルート、そしてハルカナソラは完全にスタチャによって殺されましたけどね。出来ることなら仇を打ちたいところですけど、ハルキノソラの更新もまだですから、しばらくは様子を見ようと思います。なにやら公式サイトで問題が発生しているらしく、未だに連動企画の壁紙もDL出来ませんからね。まあ、空気の読めない-穹&奈緒-の描き下ろし壁紙なんて、本当に誰の得にもならないと思うけど。
1話以外はすべてダメだったアニメ版ですが、逆に言えば1話が良かったからこそ期待するものがあったということなんでしょうね。これで1話もダメなら、最初から最後まで駄作だったとあきらめも付くんのだろうが。なるほど、確かに上手くいかない話ですよ。私としてはまだまだ書き足りないのですが、一旦ここで一区切りつけることにします。追記するか仕切り直すかは分かりませんけど、さすがに心身が疲れきっているので少しだけ休むことにします。
前回からの続きで、委員長と奈緒にセックスの現場を目撃されたハルと穹。最近読んだエロ漫画によく似たシュチエーションがあったんですが、玄関でのセックスというのはそれほどおかしい描写ではないのかも知れませんね。逆に言えば、エロ漫画レベルでしかないってことにもなるけど、今更アニメ版の質の悪さについて言及しても意味のないことです。
委員長は発狂して取るものも取り敢えず逃げ出した、と言いたいところですがちゃんと自転車に乗って帰りました。前回から気になってたんですけど、なんで奈緒は委員長のことを梢ちゃんなんて呼んでるんでしょうか? そりゃ、上級生でクラスも違いますから委員長と呼ぶことはないでしょうけど、原作だと普通に苗字で呼んでるはず。他人との間に距離を作りがちだった奈緒が、後輩を馴れ馴れしく名前呼び出来るというのも妙な話です。1話以外に接点もなさそうな2人、これはどういう改変なのだろうか。
奈緒は錯乱して逃げ出した委員長を呼び止めるけど、本当に止まっていたらどうするつもりだったんだろうね。自分もまたハルと穹に対してなにも言えなかったのに、委員長に対して弁解や弁明でもするつもりだったのか。まあ、あのまま行かせてはいけないと思っただけなのかも知れないけど。性欲という熱病から覚めたハルは事の重大さに言葉もありませんが、奈緒も掛ける言葉がないのか「ごめん……」とだけ言って立ち去りました。謝られるような問題なのかといえば、まあ、間が悪かったというのはあるでしょうし、色々な意味で委員長を止めきれなかったわけだしね。奈緒に責任がないわけじゃない。
愕然としたハルに対し、穹には何故だか余裕があった。
「こっち見て、ハル。私のことだけ見てて」
頬にする口づけは、下手な呪いよりもずっと強烈な情愛の塊。しかし、それを以てしても、動揺しきったハルの心に平静を取り戻すには、しばらくの時間がかかったのだった。
最終回だからかOPはカットされ、すぐさま本編に突入しましたけど、いきなり裸の穹を出されたときはどうしようかと思った。無駄なエロ描写といえばその通りだけど、ハルと穹が着実に性生活を送っていることの現れでもあり、エロだけしかないアニメ版では仕方のない光景なのかも知れない。というか、原作と同じようにシーツ一枚羽織った穹がいたのなら裸というのも分かるけど、一夜明けて裸ということは結局昨晩もセックスをしたということになりますね。まあ、動揺や混乱からの逃避手段として肉体的な快楽による誤魔化し選択するのは、別に間違ってはいないと思うが。
ハルは穹に対して、学校をサボってどこかに行かないかといいますが、これは単に学校へ顔を出すのが怖いだけでしょうね。原作だと割とすぐに穹を拒絶し、関係の巻き戻しをはかろうとしますから、そういった意味ではアニメ版のハルはヘタレではない……のか? 単に今ある肉体的快楽を失いたくないだけかも知れないけど、それに付いては後述します。穹は委員長と奈緒に目撃されたことをなんとも思っておらず、これはある意味で当然の話です。委員長はともかく、奈緒は過去にハルを逆レイプしており、穹はそれを目撃している。けれど奈緒は普通に生活しており、当時のこともさして大事にはならなかった。事情や状況は全然違いますが、穹が現状というかハルとの性的な関係を大したことではないと想っているのは事実であり、むしろ穹にとっては当然であり自然の流れなのです。委員長にしてもいくらでも黙らせる方法はあると思ったのか、それとも周囲に広める勇気など持ち合わせていないと思ったのか、とにかく穹には余裕があった。周りが見えていないだけとは思えないほどに。
仕方なく学校へ向かうハルだけど、その足取りが軽いわけもなく、穹に引きずられるように登校していきます。辿り着いた教室では目を真っ赤に充血させた委員長がいますけど、正直怖いなんてものじゃなかった。生々しいというほどリアルではないけど、むしろ、アニメキャラという目が大きく描かれる存在であるからこその怖さみたいのがあった。その異様な姿に亮平のみならずクラスメイトもなにかあったことを気付きましたが、訊ねられても答えられるわけがありませんでした。
放課後の屋上、呼び出されたのか呼び出したのか、穹の前に奈緒が対峙しました。まあ、この時期の穹がハル以外を気にかけることなんてありえませんから、普通に呼び出されたんでしょうね。どんな会話がなされたのか、それは語られることなくシーンはハルへと切り替わります。今日はすぐ帰りたかっただろうに、掃除当番なのかゴミ出しをしているところに委員長が現れました。
「安心してください、あんなこと誰にも言いません」
泣きはらした瞳は異様なほど鋭く、口調は気圧されるほどに強い。後ずさるハルに対して畳み掛けるように、委員長は言葉を続けます。
「けど、あんなの変だと思います。人としておかしいです」
ハルと穹の関係を否定しながら、自分の中にあったハルへの想いを吐露し始める委員長。正直、全12話観てきた中でちっとも伝わってきませんでしたけど、始まりが一目惚れであったように、好きになったのも表面的な部分だけらしいね。まあ、それもまたハルの本質の一部であるとは思うけどさ。
「でも、もう二度と話しません!」
自らの想いを吐露しながら、それでいてハルとの関係を完全に断絶しようとする委員長は、原作のそれと明らかに違うものがありました。委員長は確かに普通人ではありますが、普通人なりにハルと穹の関係をわかろうと、良い友人であろうと努力をしてくれる娘だったはずなのに、まったく酷い改悪ですね。荒川が当初考えていた、否定者としての一面だけが残ってしまった感じですよ。
委員長の痛烈すぎる批判を受けたハルの前に、今度は奈緒が姿を見せました。場所を音楽室に移して行われた話は、ハルと穹の関係に付いて。やはり奈緒は、前々から感づいてはいたらしい。間違いであって欲しいという気持ちが、それを認められなかっただけで。ハルは奈緒に謝罪をしながら、長年自分の中にあった穹への想いを口にしました。
「ずっと、別々だったから。久しぶりに戻ってきた穹は、僕の知っている妹じゃなかった。見たこともない儚げな女の子になっていて、凄くドキドキした」
こんな風にハルの積年の想いが語れることは、結構珍しいことだったりします。原作でもコミカライズでも、そりゃあ穹のことは昔から好きですが、アニメ版のように異性としてずっと意識していたということはなく、ここに来てハルの気持ちを深く掘り下げ始めたというのは大きな意味があるよね。
「色んなことがあって、そのたびに意識して……あいつ、素直じゃないけど、だから余計、頼られたとき、ドキドキして」
ドキドキしっぱなしだね、というのはともかく、ハルの根底に穹を守りたいという気持ちがあったのは事実で、原作やコミカライズと違い、それが恋愛方面まで発展していたというのは真実らしい。それに気づいた奈緒はなにかを言おうとハルに対して向き直りますが、それより先にハルの方が叫びました。
「でも、妹だから! 妹だから、それ以上はダメだってずっと思い続けて……二年後の夏に、僕は別の恋をした」
それは紛れもなくハルのことを逆レイプした奈緒のことですが、これについては改悪し過ぎではないかと思った。つまり、ハルは奈緒との関係、逆レイプ含めた奈緒という存在を利用して、穹への想いを断ち切ろうとしたわけです。こうなってしまうと奈緒の行動は一概に非難できるものではなくなり、むしろ、「嫌じゃなかった」というハルの発言は「調度良かった」ということになってしまいます。奈緒の株を上げるにはハルと穹を貶めるしかないとは言え、これはいくらなんでもあんまりでしょう。ハルをここまでダメダメにして、そうまでしなければいけない価値が奈緒にあるというのか。
本当の恋にしようとしたけれど、なかなか上手くいかなかったというハルは、それでもしがみつこうとして、結果的に奈緒を傷つけた事実を謝罪します。下げた頭は簡単に上げられるものではなく、まさかハルがそんな昔から色々考えていたとはね。奈緒のことなんてどうでもいいですが、2年後に違う恋ということは、穹が退院してハルとキスなどをしたのは、9歳から11歳の間ということか。
「上手くいかないよね、ほんと……」
呟く奈緒の顔には涙らしきものが浮かんでおり、彼女はそのまま立ち去りました。その言葉の重みにハルも涙し、奈緒が去った後も頭を上げることが出来ませんでした。
委員長と奈緒の言葉に押しつぶされそうになるハルの元に、携帯の着信が鳴り響きます。委員長が家に来るキッカケとなった携帯ですが、確認したハルの表情が変わりました。家に帰るとレトルトのカレーで穹が夕飯を用意していたけど、ハルは呼びかけにも応じず部屋に閉じこもったまま。奈緒に呼び出されたことも穹はまったく気にしていないらしく、様子はいつもとまるで変わりません。
別になにも変わらなかったという穹ですが、ハルは委員長という友人を失いましたし、奈緒との関係も清算してしまいました。変わらなかったというのは、あくまでハルのことしか見えていない、ハルさえいれば他になにもいらないと想っている穹の主観における話です。ハルにとって行きたくもなかった学校での一日は、心をすり減らすには十分でした。
穹はキスをすることでハルの心を取り戻そうとしますが、ハルはそれを拒絶すると、逆に自分からキスをすることで、強引にセックスをし始めました。穹の胸を捌けさせ、乳首にむしゃぶりつき、原作においても穹の身体を強引に求めるハルというのは存在していますが、アニメ版はさすが映像描写だけ合って直接的ですね。はじめは驚いていた穹も徐々に快感を覚え始めたのか、表情には笑みが広がっていきます。
「いいよ……私のこと、メチャクチャにしても。ハルがしたいなら、していいよ」
揺らぐ瞳と、流れ落ちる涙の粒。ハルが泣いた理由は色々ありすぎて困るってぐらいでしょうけど、ここまでしても穹が拒絶せずに自分を受け入れてしまう事実、なにをしても離れられない自分たちの関係性に涙を流したのかも知れませんね。今の状況、関係、それらは違うものであると、辞めるべきものであるとハルは考えたのでした。しかし、することだけしておいて、いざ露見したら辞めようと言い出すハルを穹が許せるはずもありません。
「なんで!?」
激昂して詰め寄る穹を、ハルは片手で払いのけます。
「なんでって、僕たちは……兄妹だから」
今更過ぎる常識論と倫理観。そんな道徳がもう通用しないことは分かっているのに、それでもそれ以外に言うことはないというのか。当然のごとく、穹は反論します。
「今更なに? 兄妹でキスしちゃダメなの? セックスしちゃいけないの?」
「それは……!」
「受け入れてもらえないから? 私はそんなのどうでも良い。ハルと一緒ならそれでいい!」
「穹……」
ハルが見つめる先にあるものは、穹が母親からもらった黒うさぎのぬいぐるみ。
「他にも、色々な問題があるのは知ってるけど……全部どうでも良い。なにがあったって、ハルとの子供なら私は!」
「そんな簡単じゃないよ!」
「じゃあ、難しい現実なんて切ればいい!」
穹が叫んだとき、ハルの手が飛びました。ハルの手の平が、穹の頬を打ったのです。これ以上にない明確な拒絶を前に、穹はぬいぐるみを蹴り飛ばすとハルの部屋から出ていきました。
しかし、叩かれたぐらいで諦めるような穹ではありません。あくまでハルとの関係を続けようとする穹に対し、ハルは外国にいるらしい叔父さんとやらからメールが来たことを告げました。誰だそれ、という感じですけど、どうやら父方の弟妹らしく、原作にも出てくる叔母さんは旭川に住んでいるらしい。つまり、北海道ですか。
「気付かれてたんだ、本当は蓄えがないってことを」
蓄えがない割に、一向に自炊とかそういうのを始めてませんね。というか、そういう細かい部分を改変してくるのは本当にどうなんだろうか。経済的な安定というエロゲ的要素を廃して、それがリアリティのつもりなのか。確かに原作においても春日野家の経済基盤は安定にはほと遠いけど、それでも学校を卒業するぐらいまでは十分にあると言われてましたし、そもそも蓄えがないなら今までどうやって生活してきたんだよと。長期的な意味で、ということなのかもしれないけど、意味のない設定入れないでくれるかな。
「だからなんだっていうの?」
知ったことではないという態度を取る穹に対し、ハルは一人ずつなら引きとってもらえるという話を打ち明けた。穹はその言葉が意味することをすぐに理解します。
「それ、まさか」
「別れよう。その方が幸せになれる」
穹がなんと答えたのかは分かりませんが、燦々たる光景となった食堂を見るかぎり、そんな話が通るわけもなく、ハルは顔を覆うしかありませんでした。
翌日、ハルと穹は学校を休みました。穹がハルの布団に裸で寝ているとこからすると、昨晩の件をなだめるためにまた関係を持ってしまったといったところでしょうか。なんの夢を見ていたのかハルは頬を赤々とさせながら目覚めますが、それに呼応するかのように穹も目を覚まします。
「どうしたの……?」
「ううん……」
「好き……」
短いやりとりは、既に2人が引き返せない位置まで来てしまったことをまざまざと見せつけてきます。なにせ別れようといった翌日の朝にこれですから。
そのまま再び眠りについたハルは夕方に目を覚ましますが、隣に穹の姿はありません。家のどこにも居らず、穹の自室は強盗に入られてもこうならないであろうというぐらいに荒れ果てていた。ぬいぐるみは引き裂かれ、事態の異常さを知ったハルは家を飛び出そうとしますが、そこに穹からのメールが届きました。
『私はハルの妹だけどハルとキスしたい…つながりたい……でもそれがハルには迷惑になっちゃったんだね…ごめんね…』
日時は7月14日の18時27分と、この作品で最後にはっきりしている日付と時間です。
文面の意味する重大さにハルは自転車乗って家を出ますが、出たことろで奈緒に会いました。穹がいなくなったという展開は過去ルートのそれと同じだけど、今回探して回るのはハルと奈緒の2人だけ。他の友人達はかけずり回ってはいないようです。これは結構おかしな話で、例えば奈緒は亮平の家とかにも言っているはずなのに、彼が助力をしないというのはどうなのだろうか。
行動範囲の狭さからそんなに遠くには行っていないと推測したハルに、奈緒がふと言葉を漏らしました。音楽室では言えなかったこと、穹と屋上で対峙したときの話。ハルはここで初めて穹が奈緒との間にあった関係を知っていたことを知りました。
「穹ちゃんは本気だよ。それでも別れる? だからこそ、別れる?」
「……まだ、答えを探してる」
ハルはかつて瑛から聞いた話を思い出し、叉依姫神社へとやってきました。瑛の自宅の明かりは付いている、しかし、委員長に拒絶された最近の記憶から彼は瑛に助けを乞うことが出来ない。あるいはここもまた、選択肢の一つだったのかも知れない。瑛と委員長は違う。アニメ版は人格的に弱いとはいえ、瑛がハルと穹を拒絶するというのは考えにくく、2人の事情を分かった上で手を貸したことでしょう。ここで挟まれる瑛の様々な描写に関して、私はなにを意味するのかがよく分かりません。瑛はハルの来訪に気づいたようですが、ハルは結局会うことなく山へと登りました。原作やコミカライズのように、瑛が主導となっていないことは斬新な展開かも知れませんね。もっとも、今まさに入水自殺を使用止している穹などは、本当に急展開も甚だしいですけど。
穹を助けようとして、拒まれ、2人一緒に溺れてしまうわけだけど、原作のように自暴自棄になって穹と心中しようとするわけでもなく、コミカライズのように諦めに身体を絡め取られるわけでもなく、その光景は本当に幻想的だった。
――僕、死ぬのか? ごめん、穹。助けてやれなくて。でも、これでよかったのかも知れない……二人で、誰もいない遠い世界に行ければ
ハルが目を覚ましたとき、そこは奥宮の石段でした。涙を流す穹の表情を目の当たりにして、何故だか穏やかな笑みを見せるハル。二人の行く先が怖かったというハルは、今でもその答えを出すことが出来ないでいる。
「だから、二人で探さないか? 一番気持ちを大切に出来る道を」
「ハル……」
「僕はどう言われてもいい。どんなに苦しくてもいい。穹が、一番幸せになれるようにしたい」
朝日が登り始めたとき、冷え切った身体を上半身をはだけながら抱きしめあい、暖めあうハルと穹。生きているからこそ実感できる温もりに、ハルは穹への愛を再認識します。
「好きだよ、穹」
「私も大好き……」
そして月日は流れ……ハルと穹の去った奥木染。瑛や渚さん、亮平と奈緒、そして委員長が朝の通学路で一堂に会しました。ここからは完全にアニメオリジナル展開であり、瑛が渚さんにハルからの連絡があったかどうかを訊ねました。それが原作及びコミカライズのラストに送られてきたメールのことですが、それっきり連絡はないといいます。
なんとハルと穹は、両親が仕事で世話になったという家具職人がいる異国の地へと、旅行ではなく移住してしまったというのです。2人が幸せになるために、それしかなかったというのでしょうか。亮平じゃないけど、有り得ない展開ですよね。ハルカナソラへとかいうタイトルのくせして、ハルカナソラ全否定じゃないですか。
放置された春日野家は穹の部屋以外は普通でしたが、本当にすぐ逃げ出したかのような生活感が残っていました。もう少し身辺を整理しても良かったのではないかと思うし、これではただの駆け落ちじゃないか。
「分かりません。本当に幸せになれるんでしょうか?」
そんな疑問を口にしたのは委員長で、彼女は髪を卸しているというより、少し切ったのでしょうかね? 若干、短くなったような印象を受けます。
委員長の疑問に奈緒はこれからが大変だと答えつつも、自身の過去もあるせいか否定することは出来ませんでした。しかし、そんな事情を知らない委員長は声を荒らげます。
「どうしてですか?」
その瞳はいつになく強く、かつてハルを拒絶したときと同じ鋭さがある。
「だって、誰かを好きになる気持ちは止められないもん……だから、幸せになれるって信じてる」
「そんなのないです! 気持ちさえあればいいんですか?」
「そうは言ってないけど……」
「気持ちだけでしちゃっていいなら、私だってやりたいこといっぱいあります!」
泣きながら自転車を押す委員長の背中の痛ましさといったらない。結局委員長は、最後の最後までハルと穹の関係を認めることなく、友人に戻る機会すら失ってしまったのだから。原作にしろコミカライズにしろ悲恋という役目を負わされた彼女ですが、アニメ版はそれ以上に残酷だった。委員長に一体なんの恨みがあるのか、言ってしまえば一人で空回って自爆した普通人に過ぎないし、誰が彼女に感情移入し、同情するのか。可哀想ではあるけど、委員長の役回りはそうじゃないだろうに。
そしてどこかの電車の中、ハルと穹が座席に向かいあわせで座っており、ポッキーを食べています。何故か穹の横は引き裂いたはずの黒うさぎのぬいぐるみがあり、ハルの横にはスーツケースが。
「ついてる……」
「えっ?」
「欠片、口んとこ」
手で拭うハルですが、穹は取れていないといいます。もう一度拭うハルが再度訊ねたとき、列車がトンネルを抜けました。窓の外に映るのは青空だけ、穹は乗り出すようにハルヘ迫ると、その唇を奪います。電車の中ですが他に乗客もいませんし、まあ、良いんじゃないですかね。長いキスに対する躊躇いは、お互いに存在しなかった。
「……とれた」
満面の笑みを浮かべる穹とハル。異国の青空を映し出しながら、アニメ版ヨスガノソラの物語はここに完結したのでした。
なんだろう、この余韻のもたせ方とか、まんま18禁のエロアニメのそれと同じなんですけど、監督が高橋丈夫だけに仕方のないことなんだろうか。なんていうか全体的に詰め込み過ぎだし、駆け足だし、ラストの展開なんてどこが原作を忠実に再現しているのかさっぱりなんですけど、一体誰の期待を裏切らない作品になったんだろうね。私は基本的に冷めてますから、視聴後の一時的な感情の高ぶりが収まれば、今さら激昂するようなこともないですけど、本当にこんなアニメでよかったんでしょうかねぇ?
私はアニメ否定派を貫くことになると思いますが、まあ、ハルと穹が結ばれないとか、二人とも湖で命を落とすなんて展開にしなかっただけでもマシだと思っておきましょうか。ただ、ハル×穹と穹ルート、そしてハルカナソラは完全にスタチャによって殺されましたけどね。出来ることなら仇を打ちたいところですけど、ハルキノソラの更新もまだですから、しばらくは様子を見ようと思います。なにやら公式サイトで問題が発生しているらしく、未だに連動企画の壁紙もDL出来ませんからね。まあ、空気の読めない-穹&奈緒-の描き下ろし壁紙なんて、本当に誰の得にもならないと思うけど。
1話以外はすべてダメだったアニメ版ですが、逆に言えば1話が良かったからこそ期待するものがあったということなんでしょうね。これで1話もダメなら、最初から最後まで駄作だったとあきらめも付くんのだろうが。なるほど、確かに上手くいかない話ですよ。私としてはまだまだ書き足りないのですが、一旦ここで一区切りつけることにします。追記するか仕切り直すかは分かりませんけど、さすがに心身が疲れきっているので少しだけ休むことにします。
コンプエース版ヨスガノソラ コミックス第2巻特典情報
2010年12月19日 ヨスガノソラ
コンプエース版ヨスガノソラのコミックス第2巻が今週の25日、クリスマスに発売となるわけですが、作者である水風天のブログに店舗特典情報が載っていました。前回と違い、今回はアニメ化効果もあるから特典付きの店舗が増えるかと思ったけど、結局は1巻のときと同じく3店舗だけのようですね。全部描き下ろしのイラストカードで、その内2枚はフルカラーとなっています。
水風天自身は各絵柄がどの店舗の特典なのか把握していないようなので、私の方でちょっと補足をしておきましょうか。
まず、最初のモノクロカードですが、これはWonderGOOの特典になっています。
URL:http://e.wonder.co.jp/MxMDetail3/1/0/1/9784047155862/
既にオンラインショップでは完売しているため、購入するには直接店舗に行くしかないんですが、この店は東京や神奈川にはほぼ存在しないチェーンなので、今から買うのだとすれば少なからず努力する必要があるかも知れません。ただ、穹以外のヒロインたちが描かれている唯一の特典ですし、瑛や渚さんが好きだという人はここで買うのが良いんじゃないでしょうかね。電話で予約することも出来ますから、近隣の店舗をなんとか探して買いに行くとか方法はあると思います。それにしても、奥のほうにいる委員長少し適当過ぎやしないだろうかw
次に真ん中にある水着の穹ですが、これはゲマ屋ことゲーマーズの特典です。
URL:http://www.anibro.jp/tokuten/fair_1012.html#2503
クリスマス発売なのに何故水着なんだと言われそうですが、それは2巻の最初に収録される第7話が海に行く話だからです。本誌で掲載された際はセンターカラーだった話ですけど、1巻と同じくカラーページで収録されるんじゃないかな。穹の水着は描き下ろしだと数が少ないし、赤らんだ頬がとても可愛らしいので、共感した人は今すぐ近場のゲマ屋に行くことをお勧めします。
最後に魔女っ子の姿をした穹ですけど、どうしてハロウィンテイストなのかは私にも不明です。とらのあなの特典であることは分かりますけど、サンタコスならまだしも何故ハロウィン。まだ画像が記載されたページが存在しないので、通販ページのアドレスだけ載せておきます。
URL:http://www.toranoana.jp/cgi-bin/book_detail.cgi?it=200010992562&bl_fg=0&sit_top=M
何故か既に購入できるようになってますけど、予約ページもまだ残っているという相変わらずのいい加減っぷり。まあ、今注文して明日届くというのなら買いますけど、とらの通販は届くまでにかなりの時間がかかりますからね。3日以上は覚悟しないといけないでしょう。それでも正式な発売日よりは早く買えるんだろうけど、店頭のほうが先に出るだろうしねぇ。1巻のときは4日前には出てたんでしたっけ? そうすると2巻も明後日には並んでいておかしくないわけだ。この穹も凄く可愛いから、どうしてハロウィンなのかということは考えずにゲットすることにしましょう。
コミックスもこの第2巻が出れば完結であり、コミカライズも完全に終了になりますね。なんだか物悲しくい話です。アニメ版があんな感じの中で、コミカライズは純粋にハル×穹を貫いてくれましたし、原作から大きく外れないキャラクターやストーリー構成を私は高く評価しています。ここ数ヵ月における心の支えになったのも事実だしね。出来ればハルカナソラまで描いて欲しかったという想いもありますけど、あそこまで見事なハル×穹を描ききってくれたのだし、これ以上望むのは贅沢というものでしょう。
まあ、そんな簡単に売り切れるものではないと思いますけど、確実に欲しいという人はネット書店等を利用するのが良いんじゃないでしょうか。店頭だとすぐに捌ける可能性もありますし、特典等に拘りがない人はね。私は既に全店舗分を確保していますから、後は読む用の1冊だけかな。けど、すべて最終巻に相応しい特典ですし、いっそ私のように3店舗集めてみるのもありかも知れませんよ? ハル×穹がなかったのは残念だけど、穹が可愛らしいことには違いないですからね。今後は水風天のヨスガノソラを見る機会も、皆無ではないにせよ激減するでしょうし、良い記念になると思います。
水風天自身は各絵柄がどの店舗の特典なのか把握していないようなので、私の方でちょっと補足をしておきましょうか。
まず、最初のモノクロカードですが、これはWonderGOOの特典になっています。
URL:http://e.wonder.co.jp/MxMDetail3/1/0/1/9784047155862/
既にオンラインショップでは完売しているため、購入するには直接店舗に行くしかないんですが、この店は東京や神奈川にはほぼ存在しないチェーンなので、今から買うのだとすれば少なからず努力する必要があるかも知れません。ただ、穹以外のヒロインたちが描かれている唯一の特典ですし、瑛や渚さんが好きだという人はここで買うのが良いんじゃないでしょうかね。電話で予約することも出来ますから、近隣の店舗をなんとか探して買いに行くとか方法はあると思います。それにしても、奥のほうにいる委員長少し適当過ぎやしないだろうかw
次に真ん中にある水着の穹ですが、これはゲマ屋ことゲーマーズの特典です。
URL:http://www.anibro.jp/tokuten/fair_1012.html#2503
クリスマス発売なのに何故水着なんだと言われそうですが、それは2巻の最初に収録される第7話が海に行く話だからです。本誌で掲載された際はセンターカラーだった話ですけど、1巻と同じくカラーページで収録されるんじゃないかな。穹の水着は描き下ろしだと数が少ないし、赤らんだ頬がとても可愛らしいので、共感した人は今すぐ近場のゲマ屋に行くことをお勧めします。
最後に魔女っ子の姿をした穹ですけど、どうしてハロウィンテイストなのかは私にも不明です。とらのあなの特典であることは分かりますけど、サンタコスならまだしも何故ハロウィン。まだ画像が記載されたページが存在しないので、通販ページのアドレスだけ載せておきます。
URL:http://www.toranoana.jp/cgi-bin/book_detail.cgi?it=200010992562&bl_fg=0&sit_top=M
何故か既に購入できるようになってますけど、予約ページもまだ残っているという相変わらずのいい加減っぷり。まあ、今注文して明日届くというのなら買いますけど、とらの通販は届くまでにかなりの時間がかかりますからね。3日以上は覚悟しないといけないでしょう。それでも正式な発売日よりは早く買えるんだろうけど、店頭のほうが先に出るだろうしねぇ。1巻のときは4日前には出てたんでしたっけ? そうすると2巻も明後日には並んでいておかしくないわけだ。この穹も凄く可愛いから、どうしてハロウィンなのかということは考えずにゲットすることにしましょう。
コミックスもこの第2巻が出れば完結であり、コミカライズも完全に終了になりますね。なんだか物悲しくい話です。アニメ版があんな感じの中で、コミカライズは純粋にハル×穹を貫いてくれましたし、原作から大きく外れないキャラクターやストーリー構成を私は高く評価しています。ここ数ヵ月における心の支えになったのも事実だしね。出来ればハルカナソラまで描いて欲しかったという想いもありますけど、あそこまで見事なハル×穹を描ききってくれたのだし、これ以上望むのは贅沢というものでしょう。
まあ、そんな簡単に売り切れるものではないと思いますけど、確実に欲しいという人はネット書店等を利用するのが良いんじゃないでしょうか。店頭だとすぐに捌ける可能性もありますし、特典等に拘りがない人はね。私は既に全店舗分を確保していますから、後は読む用の1冊だけかな。けど、すべて最終巻に相応しい特典ですし、いっそ私のように3店舗集めてみるのもありかも知れませんよ? ハル×穹がなかったのは残念だけど、穹が可愛らしいことには違いないですからね。今後は水風天のヨスガノソラを見る機会も、皆無ではないにせよ激減するでしょうし、良い記念になると思います。
TVアニメ『ヨスガノソラ』リレー企画第5弾 シリーズ構成・荒川稔久氏に質問!
2010年12月18日 ヨスガノソラアニメイトTVニュースに、TVアニメ『ヨスガノソラ』リレー企画第5弾が掲載されていました。シリーズ構成・荒川稔久氏に質問!ということで読んでみたんですけど、なんていうか壁を殴りつけたくなるってのはこういう瞬間のことを言うんだと実感してしまった。もちろん、作品づくりにおける監督や構成の重要性を私は認識していますけど、プロデューサーと同じくヨスガノソラのスタッフはろくなのがいないね。
URL:http://www.animate.tv/news/details.php?id=1292259295
もう、全文引用してもいいぐらいなんだけどさ、例えば最初の質問にある能的な表現に頼らずに官能的なものを目指せないかという部分。いや、それでいいじゃないか。全体の構成も、悠と穹の関係に梢が割り込んで来て、純愛と背徳の対比をしてみたらという感じも面白いし、なにか? やまちゅーとかハルキングはこうした荒川の意見に反対してあんなエロエロな話を作ったって言うの? 荒川さんが梢押しだったことは彼らの口から語られた事実だけど、最初は単純に出番を必要以上に多くしていたとか、そんなことだと思ってたよ。まさか、こんな裏があったとは知らなかった。なにこれ、なんでこういう話で作らなかったの? やまちゅーとかは馬鹿なの? ハルキングはアホなの?
2つ目の質問にある、こだわったのは、それぞれの女の子にとって悠と親しくなることがどんな幸せをもたらすかということを凝縮して語るということですね。紆余曲折があるにせよ、悠がいてよかった、という形で終わらせたいですからという箇所。あのアニメ版の悠でそれを表現できたと本当に思ってるの? だって、なにもしてないよ? 余計なこと以外は本当になにもしてないじゃないか。すべては結果論であって、悠は単にセックスしただけじゃん。美少年に抱かれるのが女の子の幸せだというのなら、それはまあ否定しないけどさ。
3つ目の質問に書かれた、Sphereとのやり取りについて。Sphereがアニメ化に辺りスタチャと話し合いを繰り返し、前提として原作を崩さないことを注文していたのは割と知られた話ですけど、スタチャがそんな要求を飲むわけがないというのも有名な話で、案の定こんなやり取りがあったらしい。
尺的な部分でやむ得ず変更って言うけどさ、コミカライズみたいに穹ルート基準で原作通りに作れば尺の問題は発生しなかったんじゃないの? 尺が余るから今の形にしたというのならまだしも、そうではないんだから。荒川は何故初期案を押し通さなかったんだ。例えヨスガノソラでなくても、今よりずっといい作品になったかも知れないのに。
4つ目の質問に関しては、さすがに悪い評判ばかりでしたとは言えるわけもないし、エロだけは注目されていましたとか書けるわけもないでしょうから、まあ、こんなものですかね。センセーショナルな部分以外もそれなりの高評価、とか書いてますけど評価されたのは映像や演出であって内容じゃないから。物語とかストーリー褒めた奴はほとんどいないって。
最後の質問は……まあ、穹に対する解釈は人それぞれだよね。私はさ、たくさんの女の子の魅力的な部分なんて見たくなかったんだよ。ただ、ハル×穹が描かれていればそれで良かったんだ。その狭間にいる切なげな穹に価値がないとは言わない。でも私が、私たちが見たかったのはそんなものじゃなかった。ハルと穹がイチャイチャラブラブしていれば、それだけで名作になり得たかも知れないのに。荒川は圧力に負けず、初期案を書くべきだったんだと思う。私はそれが残念でならない。
URL:http://www.animate.tv/news/details.php?id=1292259295
もう、全文引用してもいいぐらいなんだけどさ、例えば最初の質問にある能的な表現に頼らずに官能的なものを目指せないかという部分。いや、それでいいじゃないか。全体の構成も、悠と穹の関係に梢が割り込んで来て、純愛と背徳の対比をしてみたらという感じも面白いし、なにか? やまちゅーとかハルキングはこうした荒川の意見に反対してあんなエロエロな話を作ったって言うの? 荒川さんが梢押しだったことは彼らの口から語られた事実だけど、最初は単純に出番を必要以上に多くしていたとか、そんなことだと思ってたよ。まさか、こんな裏があったとは知らなかった。なにこれ、なんでこういう話で作らなかったの? やまちゅーとかは馬鹿なの? ハルキングはアホなの?
2つ目の質問にある、こだわったのは、それぞれの女の子にとって悠と親しくなることがどんな幸せをもたらすかということを凝縮して語るということですね。紆余曲折があるにせよ、悠がいてよかった、という形で終わらせたいですからという箇所。あのアニメ版の悠でそれを表現できたと本当に思ってるの? だって、なにもしてないよ? 余計なこと以外は本当になにもしてないじゃないか。すべては結果論であって、悠は単にセックスしただけじゃん。美少年に抱かれるのが女の子の幸せだというのなら、それはまあ否定しないけどさ。
3つ目の質問に書かれた、Sphereとのやり取りについて。Sphereがアニメ化に辺りスタチャと話し合いを繰り返し、前提として原作を崩さないことを注文していたのは割と知られた話ですけど、スタチャがそんな要求を飲むわけがないというのも有名な話で、案の定こんなやり取りがあったらしい。
Sphereの方々とはやはり設定の確認や、尺的な都合でやむを得ず変更する部分についてご了承を頂くといったやりとりが多かったですね。ユーザーが自分のスピードで理解していけるゲームと違って、アニメは時間が流れていきますから、そのために簡素化した部分はけっこうあったように記憶しています。
尺的な部分でやむ得ず変更って言うけどさ、コミカライズみたいに穹ルート基準で原作通りに作れば尺の問題は発生しなかったんじゃないの? 尺が余るから今の形にしたというのならまだしも、そうではないんだから。荒川は何故初期案を押し通さなかったんだ。例えヨスガノソラでなくても、今よりずっといい作品になったかも知れないのに。
4つ目の質問に関しては、さすがに悪い評判ばかりでしたとは言えるわけもないし、エロだけは注目されていましたとか書けるわけもないでしょうから、まあ、こんなものですかね。センセーショナルな部分以外もそれなりの高評価、とか書いてますけど評価されたのは映像や演出であって内容じゃないから。物語とかストーリー褒めた奴はほとんどいないって。
最後の質問は……まあ、穹に対する解釈は人それぞれだよね。私はさ、たくさんの女の子の魅力的な部分なんて見たくなかったんだよ。ただ、ハル×穹が描かれていればそれで良かったんだ。その狭間にいる切なげな穹に価値がないとは言わない。でも私が、私たちが見たかったのはそんなものじゃなかった。ハルと穹がイチャイチャラブラブしていれば、それだけで名作になり得たかも知れないのに。荒川は圧力に負けず、初期案を書くべきだったんだと思う。私はそれが残念でならない。
進めばそちらに風が吹く
2010年12月17日 ヨスガノソラSphereのHPで冬のグッズ通販が始まりましたけど、今回は最初からミラーページも用意されていたこともあって、あっさりと購入することが出来ました。メインページは結構重かったり鯖落ちもしてましたけど、特にそっちで買う理由や拘りもなかったかしね。グッズ通販も何度目になるのか、買い逃したことは一度もないですが、やっぱり幾らかの緊張はあったものの、無事に購入出来てよかったです。
まあ、特に目を引くグッズもなかったから、ヨスガノソラ関係のグッズを2個ずつ購入するだけで済ませました。だから、合計で5万円未満に抑えこむことが出来まししが、もう少し減らしても良いかなぁと思ったり。やひろの抱き枕カバーは元々1枚しか買ってないけど、これは買う必要があるのかどうか。ダメイドのときも相当悩んだけど、思い入れが一欠片もないだけに……嫌いじゃないんですよ? でも、別に好きでもないからさぁ。魔法瓶はなにせ、使用することを考えると保存用というか予備が必要だし、スクールカレンダーもまた同じ。委員長の抱き枕を2枚買うのは当然として、穹のテレカを2枚以上買うことに理由なんていらない。しかし、コミケ前ということを考えれば、さらにアニメ版BDの大量購入を控えている身とだけにあまり無駄遣いも出来なくて。新刊の印刷費もあるしさ。
結局、BDに関しては描き下ろし付きの店舗で4枚ほど購入して、後は1店舗はDVDとすることになりそうです。アニメイト通販でのDVD購入が決めかねているうちに販売終了となってしまったこともあり、また、オリジナル特典に対して魅力も感じなかったので。公式には書いてないけど、WonderGOOとかも特典を用意しているようだし、描き下ろし以外にもこだわっていると金がいくらあっても足りやしない。それに買うのはヨスガのBDだけってわけじゃないから、それなりに抑えめにいかないと色々持たないのでね。まあ、年末は以外なほど買うエロゲが少ないこともあって、それが救いといえば救いなんだけど。
ヨスガノソラに今年だけでいくら使ったのか、それを考えるのだけは止めておこうと思うんだけど、少なくとも10万や20万程度には収まらないだろうな。私も色々馬鹿やっているとは思うけど、Sphereの新作が出ないことにはまだまだ引っ張るのだろうし、来年もしばらくは続きそうですね。春のドリパ辺りで動きがあればいいのだけど、私は参加できないからなぁ。同じ会場にいるはずなのに参加できないとは、まったく酷い話だ。
冬コミの準備も着々と進めてはいますけど、サークルとしての準備なんて釣銭その他を用意するぐらいだから、もっぱら一般参加としての準備ばかりしていますね。3日目はある程度捨てる覚悟で行かなくちゃいけないけど、1日目と2日目はね……正直、今のところ2日目に参加する理由が見出せなくて。今まで2日目に配置されていた大手が1日目に戻ってきたのもあるけど、私の好きなサークルというのがいないもんで。まあ、企業用に使える日とでも思っておくのがいいのかな。スタチャも、まさかぬいぐるみだけ売るなんてことはないんだろうしさ。ただ、企業にしたところで特別私の目を引いたり、琴線に触れるようなものがあるかと言われれば、別にそうでもないから、そう考えると割と楽なコミケになるのだろうか? 楽になるとか、金を使わないでも済むとか言ってそうなった試しは一度だってないけど、エロゲグッズもこれといってねぇ。
この1年、収入が若干安定してきたこともあって月に買うエロゲの本数を増やしたりもしてみたんですが、結局のところ収入が増えたということはそれだけ仕事が忙しくなったということでもあり、ちゃんと買った分だけプレイ出来たのかといえば、全然そんなことはないんだよね。中にはちょっと気を引かれただけで買ってしまったようなものもあるから、来年はもう少し自制していこうと思う。最終痴漢電車3は確かに面白かったけど、ヨスガノソラみたいな衝撃があったわけでもないし、やっぱりid-イド-が今年は一番良かったかな。あのレベルの作品が良いという時点で、どうかと思うんだけどさ。
コミケはおそらく3日目があんな感じということもあって、満足に身動きがとれないと思う。私とてスペースを何時までも開けておくわけにはいかないし、かといって東館を疎かにすることなんて不可能です。いつも行くサークルを捨てるつもりはまったくありませんが、おそらく東にも散らばっているであろうヨスガ新刊を手に入れるというジャンル買いを遂行するには、例えば店舗で後々買えるようなところはそちらで済ますとこか、そういうこともしなければならなくなる。ギャルゲジャンルが西に移動しなければ、こんな苦労を背負う必要もなかったのですが……やれやれですね。そういや、コミケ準備ということでヨスガノソラの同人誌情報を調べてるんですが、ググッても自分のところしか出ないのはなんとかならないのだろうか。一応、いくつかは押さえてあるんですけど。
まあ、特に目を引くグッズもなかったから、ヨスガノソラ関係のグッズを2個ずつ購入するだけで済ませました。だから、合計で5万円未満に抑えこむことが出来まししが、もう少し減らしても良いかなぁと思ったり。やひろの抱き枕カバーは元々1枚しか買ってないけど、これは買う必要があるのかどうか。ダメイドのときも相当悩んだけど、思い入れが一欠片もないだけに……嫌いじゃないんですよ? でも、別に好きでもないからさぁ。魔法瓶はなにせ、使用することを考えると保存用というか予備が必要だし、スクールカレンダーもまた同じ。委員長の抱き枕を2枚買うのは当然として、穹のテレカを2枚以上買うことに理由なんていらない。しかし、コミケ前ということを考えれば、さらにアニメ版BDの大量購入を控えている身とだけにあまり無駄遣いも出来なくて。新刊の印刷費もあるしさ。
結局、BDに関しては描き下ろし付きの店舗で4枚ほど購入して、後は1店舗はDVDとすることになりそうです。アニメイト通販でのDVD購入が決めかねているうちに販売終了となってしまったこともあり、また、オリジナル特典に対して魅力も感じなかったので。公式には書いてないけど、WonderGOOとかも特典を用意しているようだし、描き下ろし以外にもこだわっていると金がいくらあっても足りやしない。それに買うのはヨスガのBDだけってわけじゃないから、それなりに抑えめにいかないと色々持たないのでね。まあ、年末は以外なほど買うエロゲが少ないこともあって、それが救いといえば救いなんだけど。
ヨスガノソラに今年だけでいくら使ったのか、それを考えるのだけは止めておこうと思うんだけど、少なくとも10万や20万程度には収まらないだろうな。私も色々馬鹿やっているとは思うけど、Sphereの新作が出ないことにはまだまだ引っ張るのだろうし、来年もしばらくは続きそうですね。春のドリパ辺りで動きがあればいいのだけど、私は参加できないからなぁ。同じ会場にいるはずなのに参加できないとは、まったく酷い話だ。
冬コミの準備も着々と進めてはいますけど、サークルとしての準備なんて釣銭その他を用意するぐらいだから、もっぱら一般参加としての準備ばかりしていますね。3日目はある程度捨てる覚悟で行かなくちゃいけないけど、1日目と2日目はね……正直、今のところ2日目に参加する理由が見出せなくて。今まで2日目に配置されていた大手が1日目に戻ってきたのもあるけど、私の好きなサークルというのがいないもんで。まあ、企業用に使える日とでも思っておくのがいいのかな。スタチャも、まさかぬいぐるみだけ売るなんてことはないんだろうしさ。ただ、企業にしたところで特別私の目を引いたり、琴線に触れるようなものがあるかと言われれば、別にそうでもないから、そう考えると割と楽なコミケになるのだろうか? 楽になるとか、金を使わないでも済むとか言ってそうなった試しは一度だってないけど、エロゲグッズもこれといってねぇ。
この1年、収入が若干安定してきたこともあって月に買うエロゲの本数を増やしたりもしてみたんですが、結局のところ収入が増えたということはそれだけ仕事が忙しくなったということでもあり、ちゃんと買った分だけプレイ出来たのかといえば、全然そんなことはないんだよね。中にはちょっと気を引かれただけで買ってしまったようなものもあるから、来年はもう少し自制していこうと思う。最終痴漢電車3は確かに面白かったけど、ヨスガノソラみたいな衝撃があったわけでもないし、やっぱりid-イド-が今年は一番良かったかな。あのレベルの作品が良いという時点で、どうかと思うんだけどさ。
コミケはおそらく3日目があんな感じということもあって、満足に身動きがとれないと思う。私とてスペースを何時までも開けておくわけにはいかないし、かといって東館を疎かにすることなんて不可能です。いつも行くサークルを捨てるつもりはまったくありませんが、おそらく東にも散らばっているであろうヨスガ新刊を手に入れるというジャンル買いを遂行するには、例えば店舗で後々買えるようなところはそちらで済ますとこか、そういうこともしなければならなくなる。ギャルゲジャンルが西に移動しなければ、こんな苦労を背負う必要もなかったのですが……やれやれですね。そういや、コミケ準備ということでヨスガノソラの同人誌情報を調べてるんですが、ググッても自分のところしか出ないのはなんとかならないのだろうか。一応、いくつかは押さえてあるんですけど。
牧野由依コンサート~So Merry&So Peace
2010年12月16日 アニメ・マンガ
12月15日と16日に品川教会のグローリアチャペルで行われた、牧野由依コンサートSo Merry&So Peaceに参加してきました。グローリアチャペルは久しぶりに行ったんですけど、平日の18時半開演というのは日程的に結構無茶がありますよね。遅刻こそしませんでしたけど、昨年の12月といい平日開催は精神的な余裕がなくなるので難しいところです。正直言うと牧野由依でなかったらここまではしませんが、逆に言えば牧野由依であればこれぐらいしてしまうというほどには、好きな声優なんでしょうね。
2日間の開催ということで、両日共に同じ内容なのかと思いきや、それぞれまったく違う内容だったことに驚きました。まず、1日目はほぼ全編に渡って牧野由依の弾き語りで構成されており、どちらかといえばピアノコンサートに近いものでした。私は年末になんの幸運か最前列で見ることができたんだけど、よく考えるとグローリアチャペルという決して広いわけではない会場の最前列ってのは凄いことですよね。チケットが当選したときはあんまり実感がなくて、漠然とした気分だったんだけど、いざ席についてみるとその距離感の近さに口笛の一つも吹きたくなってきた。まあ、吹けないんだけどさ。
クリスマスコンサートということもあってツリーを何本かステージに配置して、綿を雪のように敷き詰めていたんだけど、演出的にそれほど凝っているというわけじゃなく、むしろ教会という空間を最大限に利用している感じだったかな。日本人ってのは宗教意識が薄いから、教会という場所に必要以上の神聖さを覚えるものだし、そういった場所でピアノ弾き語りをすると厳かな気分になるというか、簡単にいえば雰囲気が出るんでしょうね。牧野由依は声優であり歌い手であり、それはよくいるアイドル声優なんてのと変わりはないんだろうけど、それ以上に演奏家としての一面を強く押し出したコンサートだったと思う。単に歌えるだけの人ならいくらでもいるけど、自分で弾き語りが出来る人ってのは、ほとんどいませんからね。そういった意味でも、稀有な存在ですよ。
セットリスト等は会場に貼り出されてなかったので、どこかファンサイトにでも行って確かめて下さいとしかいえないんだけど、私の一番好きな曲は歌わなかったですね。まあ、季節柄というのもあるし、仕方ないんだろうけど。
最前列という場所に座っていて改めて実感したんだけど、牧野由依は本当に歌うこと、演奏することが好きなんでしょうね。日本青年館の時も是非弾いてみたかったというダブルピアノを借りてきたりしてましたけど、なんていうんだろ、一曲歌い終わるごとに見せる表情が、本当に嬉しそうな笑顔なんですよ。心の底から楽しんでいるんだろうなと、肌で感じられるといいますか。だからこちらも自然と温かい気持ちになるというか、応援したくなるんでしょうね。
2日目は椅子をたくさん並べてオーケストラ方式をとっていましたが、これはこれで味があるというか、演奏会のような趣があって良かったと思います。前日と違って後方付近に座っていたんですけど、最前列と違う視点で見れて楽しかった。私はバンドというものにそれほど思い入れがある方じゃなくて、むしろ吹奏楽器に強い憧れを持っているから、今回のような様々な楽器による演奏を聴けたのはとても喜ばしく思いました。私はなにせ音楽的素養が鈍いので、良い演奏を見たり聴いたりすると気持ちが高ぶるんでしょうね。
曲の構成も前日とは違い、ステージの綿も取り除かれたため、まったくの別物という仕上がりになりました。両日共に違う内容というのがどれほど珍しいのかは分かりませんが、私はあまり経験がなかったので、結構新鮮な気分でした。演出を考えたのは別に牧野由依自身ではないんでしょうけど、本人も魅せ方というか、人を楽しませる方法というの分かっている人だから、例えばMCのトーク一つとっても笑いを混ぜることを忘れないし、演者としては本当に素晴らしいと思う。
私は最近声優のイベントというものにほんと行かなくなって、堀江由衣のFCイベントもまた申し込みを忘れてしまったんだけど、それほど衝撃を受けてないというか、別にどうでも良くなっている自分がいるんだけど、牧野由依に対する熱はしばらく冷めそうもないな。いや、これは熱と表現するには少し違うか。単純に私の声優に対する趣味が代わったんでしょうね。代替わりとでも言うべきか。
声優イベントしては、これが今年最後かな。アニメ系のイベントは後一つだけ控えているんだけど、それには声優とか来ないから。終わればコミケを残すのみだし、最後を牧野由依で飾れたのは個人的にも良いことだったのかも知れませんね。来年の予定も色々決めてはいるんですけど、好きな人を間近で見られることの出来る機会というのは大切にしていかないといけませんね。花澤香菜はもうすっかり人気声優になってしまったからともかく、例えば斎藤桃子とかさ。なにやら引退を匂わせているそうだけど、私の精神が死んでしまうので勘弁して欲しいものです。牧野由依もそうだけど、力はあるのだから後はそれを活かす場に恵まれるかどうか、なんですよね。まあ、それもまた来年に持ち越される話です。
2日間の開催ということで、両日共に同じ内容なのかと思いきや、それぞれまったく違う内容だったことに驚きました。まず、1日目はほぼ全編に渡って牧野由依の弾き語りで構成されており、どちらかといえばピアノコンサートに近いものでした。私は年末になんの幸運か最前列で見ることができたんだけど、よく考えるとグローリアチャペルという決して広いわけではない会場の最前列ってのは凄いことですよね。チケットが当選したときはあんまり実感がなくて、漠然とした気分だったんだけど、いざ席についてみるとその距離感の近さに口笛の一つも吹きたくなってきた。まあ、吹けないんだけどさ。
クリスマスコンサートということもあってツリーを何本かステージに配置して、綿を雪のように敷き詰めていたんだけど、演出的にそれほど凝っているというわけじゃなく、むしろ教会という空間を最大限に利用している感じだったかな。日本人ってのは宗教意識が薄いから、教会という場所に必要以上の神聖さを覚えるものだし、そういった場所でピアノ弾き語りをすると厳かな気分になるというか、簡単にいえば雰囲気が出るんでしょうね。牧野由依は声優であり歌い手であり、それはよくいるアイドル声優なんてのと変わりはないんだろうけど、それ以上に演奏家としての一面を強く押し出したコンサートだったと思う。単に歌えるだけの人ならいくらでもいるけど、自分で弾き語りが出来る人ってのは、ほとんどいませんからね。そういった意味でも、稀有な存在ですよ。
セットリスト等は会場に貼り出されてなかったので、どこかファンサイトにでも行って確かめて下さいとしかいえないんだけど、私の一番好きな曲は歌わなかったですね。まあ、季節柄というのもあるし、仕方ないんだろうけど。
最前列という場所に座っていて改めて実感したんだけど、牧野由依は本当に歌うこと、演奏することが好きなんでしょうね。日本青年館の時も是非弾いてみたかったというダブルピアノを借りてきたりしてましたけど、なんていうんだろ、一曲歌い終わるごとに見せる表情が、本当に嬉しそうな笑顔なんですよ。心の底から楽しんでいるんだろうなと、肌で感じられるといいますか。だからこちらも自然と温かい気持ちになるというか、応援したくなるんでしょうね。
2日目は椅子をたくさん並べてオーケストラ方式をとっていましたが、これはこれで味があるというか、演奏会のような趣があって良かったと思います。前日と違って後方付近に座っていたんですけど、最前列と違う視点で見れて楽しかった。私はバンドというものにそれほど思い入れがある方じゃなくて、むしろ吹奏楽器に強い憧れを持っているから、今回のような様々な楽器による演奏を聴けたのはとても喜ばしく思いました。私はなにせ音楽的素養が鈍いので、良い演奏を見たり聴いたりすると気持ちが高ぶるんでしょうね。
曲の構成も前日とは違い、ステージの綿も取り除かれたため、まったくの別物という仕上がりになりました。両日共に違う内容というのがどれほど珍しいのかは分かりませんが、私はあまり経験がなかったので、結構新鮮な気分でした。演出を考えたのは別に牧野由依自身ではないんでしょうけど、本人も魅せ方というか、人を楽しませる方法というの分かっている人だから、例えばMCのトーク一つとっても笑いを混ぜることを忘れないし、演者としては本当に素晴らしいと思う。
私は最近声優のイベントというものにほんと行かなくなって、堀江由衣のFCイベントもまた申し込みを忘れてしまったんだけど、それほど衝撃を受けてないというか、別にどうでも良くなっている自分がいるんだけど、牧野由依に対する熱はしばらく冷めそうもないな。いや、これは熱と表現するには少し違うか。単純に私の声優に対する趣味が代わったんでしょうね。代替わりとでも言うべきか。
声優イベントしては、これが今年最後かな。アニメ系のイベントは後一つだけ控えているんだけど、それには声優とか来ないから。終わればコミケを残すのみだし、最後を牧野由依で飾れたのは個人的にも良いことだったのかも知れませんね。来年の予定も色々決めてはいるんですけど、好きな人を間近で見られることの出来る機会というのは大切にしていかないといけませんね。花澤香菜はもうすっかり人気声優になってしまったからともかく、例えば斎藤桃子とかさ。なにやら引退を匂わせているそうだけど、私の精神が死んでしまうので勘弁して欲しいものです。牧野由依もそうだけど、力はあるのだから後はそれを活かす場に恵まれるかどうか、なんですよね。まあ、それもまた来年に持ち越される話です。
えっちなからだの作り方 (ポプリコミックス 83)
2010年12月15日 アニメ・マンガ
いつの間にか発売されていたので買ってきました。ここ数ヵ月、一つの作品に集中しすぎて他のことが見えていなかった状態なので、出ていたことすら知らなかった。私としたことがまったく、情けない話です。書店をかけずり回ってなんとか特典付きをゲットすることが出来ましたけど、成年向け商業作家では一番好きな人なのに、日々のチェックを怠るとは。前作レンアイショウジョが昨年の12月発売だったことを考えると、期間的には約1年ありましたし、新刊が出てもおかしくはないんですよね。ポプリクラブでの連載は普通に続けていたわけだし。まあ、年内に気付くことが出来てよかったですよ。
私は実のところ、ポプリクラブとか快楽天などの成年向け商業誌を買ったりするほうじゃなくて、LOなどもあまり読んだりしないんですけど、だからこそコミックスを買うことが結構多かったりします。成年向け商業作家は同時に同人作家であることがほとんどだから、まあ、その縁もあって。今作品の作者である獅童ありすもその一人ですね。元々はガンガン系同人、特にスパイラルや魔ロキで活動されていた方で、魔ロキに関しては現在もメインジャンルだったりするんだけど、商業作品はこれで3冊目ですか。エピキュリアンシンドローム、レンアイショウジョとカタカナタイトルでここまで来て、いきなりえっちなからだの作り方とは随分俗な感じになりましたね。直接的なタイトルにしたのは商業的な部分を意識したからでしょうか? 個人的にはカタカナで統一して欲しかったんですけど、まあ、本の内容的にもこっちのほうが合っているのかも知れませんね。
作者である獅童ありすの日記にも書いてあったけど、今作品は分かりやすいエロ話が中心となっていて、物語的な深みというものがありません。全体的に内容が軽いというか、キャラを掘り下げて描くようなタイプの話とは真逆という感じです。そのため、今作品に限っては私好みのキャラというものが存在しませんでした。色々登場してはいますし、それぞれが可愛かったりするわけですが、なんかこう魅力に欠けるといいますか。話が単調であるからして、キャラまで単純になってしまったというわけではないんでしょうけど、言い様のない物足りなさは感じた。そういやロリキャラもいなかったっけ。
全体的な感想としては、ストーリー性が皆無なためか割と簡素な話が目立ったかなと思います。エロ重視ということもあってか、内容的な目新しさはないですし、新鮮味に欠けるといいますか。まあ、エロ漫画にそれらを求めるのはどうかと思うけど、エロを全面に押し出すばかり感覚的にも感情的も軽くなってしまったというか、ハッキリ言うと平凡な作品になってしまった。それまであった作者の作風とか、作品の雰囲気が変わってしまったんですね。レンアイショウジョにあったような悩ましいまでの美しさとか、そういう目を引く部分が今回はまるでなかった。表題作であるえっちなからだの作り方もよくあるネタといえばそれまでだし、年齢高めを目指そうとして空回りしている印象すら受ける。決して面白くなかったわけじゃないんだけど、じゃあ楽しかったのかと言われると、ちょっと考えてしまうっていうの? エロを重視するか、話を重視するかは読み手の個人的な趣味趣向が大きいと思うけど、私は前作までの作品が話ばっかりでエロが薄いなんて感じたことはなかったから、今回の方針転換には少し首を傾げざるをえないんでしょうね。まあ、作品に対する印象なんて人それぞれだろうけど、エピキュリアンにしろレンアイにしろ、十分にエロかった気がするんだけどなぁ。
後、作者は1年前と絵が変わっていないと言ってますけど、私はかなり変わったんじゃないかと思う。違和感を感じるほどではないにせよ、そこら辺もまた私の評価が上がらない要因なのかも知れません。やっぱり私は、エピキュリアンシンドロームが一番好きだな。あれは本当によかったと思う。
ただ、純粋なエロ漫画という意味ではよく出来ている方だと思うし、絵柄が気に入ったなた買う価値は十分にあります。前2作は話的に少な必ず重たい部分もあったので、軽い気持ちでエロを読みたいと思うならば、えっちなからだの作り方は適しているんじゃないかなと。私の場合、どうしても物語性を重視してしまう傾向にあるからこういう感想になってしまったけど、一つ一つの作品単位としてはよく出来ていると思うし、エロくもあったから、後は個人の好みの問題でしょう。メロンブックスやたちばな書店だと特典も付きますし、まだ残っている店舗が多いと思うので、近場に店舗があったり、行く機会があるという人は覗いてみることをお勧めします。
私は実のところ、ポプリクラブとか快楽天などの成年向け商業誌を買ったりするほうじゃなくて、LOなどもあまり読んだりしないんですけど、だからこそコミックスを買うことが結構多かったりします。成年向け商業作家は同時に同人作家であることがほとんどだから、まあ、その縁もあって。今作品の作者である獅童ありすもその一人ですね。元々はガンガン系同人、特にスパイラルや魔ロキで活動されていた方で、魔ロキに関しては現在もメインジャンルだったりするんだけど、商業作品はこれで3冊目ですか。エピキュリアンシンドローム、レンアイショウジョとカタカナタイトルでここまで来て、いきなりえっちなからだの作り方とは随分俗な感じになりましたね。直接的なタイトルにしたのは商業的な部分を意識したからでしょうか? 個人的にはカタカナで統一して欲しかったんですけど、まあ、本の内容的にもこっちのほうが合っているのかも知れませんね。
作者である獅童ありすの日記にも書いてあったけど、今作品は分かりやすいエロ話が中心となっていて、物語的な深みというものがありません。全体的に内容が軽いというか、キャラを掘り下げて描くようなタイプの話とは真逆という感じです。そのため、今作品に限っては私好みのキャラというものが存在しませんでした。色々登場してはいますし、それぞれが可愛かったりするわけですが、なんかこう魅力に欠けるといいますか。話が単調であるからして、キャラまで単純になってしまったというわけではないんでしょうけど、言い様のない物足りなさは感じた。そういやロリキャラもいなかったっけ。
全体的な感想としては、ストーリー性が皆無なためか割と簡素な話が目立ったかなと思います。エロ重視ということもあってか、内容的な目新しさはないですし、新鮮味に欠けるといいますか。まあ、エロ漫画にそれらを求めるのはどうかと思うけど、エロを全面に押し出すばかり感覚的にも感情的も軽くなってしまったというか、ハッキリ言うと平凡な作品になってしまった。それまであった作者の作風とか、作品の雰囲気が変わってしまったんですね。レンアイショウジョにあったような悩ましいまでの美しさとか、そういう目を引く部分が今回はまるでなかった。表題作であるえっちなからだの作り方もよくあるネタといえばそれまでだし、年齢高めを目指そうとして空回りしている印象すら受ける。決して面白くなかったわけじゃないんだけど、じゃあ楽しかったのかと言われると、ちょっと考えてしまうっていうの? エロを重視するか、話を重視するかは読み手の個人的な趣味趣向が大きいと思うけど、私は前作までの作品が話ばっかりでエロが薄いなんて感じたことはなかったから、今回の方針転換には少し首を傾げざるをえないんでしょうね。まあ、作品に対する印象なんて人それぞれだろうけど、エピキュリアンにしろレンアイにしろ、十分にエロかった気がするんだけどなぁ。
後、作者は1年前と絵が変わっていないと言ってますけど、私はかなり変わったんじゃないかと思う。違和感を感じるほどではないにせよ、そこら辺もまた私の評価が上がらない要因なのかも知れません。やっぱり私は、エピキュリアンシンドロームが一番好きだな。あれは本当によかったと思う。
ただ、純粋なエロ漫画という意味ではよく出来ている方だと思うし、絵柄が気に入ったなた買う価値は十分にあります。前2作は話的に少な必ず重たい部分もあったので、軽い気持ちでエロを読みたいと思うならば、えっちなからだの作り方は適しているんじゃないかなと。私の場合、どうしても物語性を重視してしまう傾向にあるからこういう感想になってしまったけど、一つ一つの作品単位としてはよく出来ていると思うし、エロくもあったから、後は個人の好みの問題でしょう。メロンブックスやたちばな書店だと特典も付きますし、まだ残っている店舗が多いと思うので、近場に店舗があったり、行く機会があるという人は覗いてみることをお勧めします。
C79冬コミ新刊 ヨスガノソラ同人誌「オカシノソラ」&「オトギノソラ」
2010年12月14日 ヨスガノソラ
改めましてお久しぶりです。冬コミ原稿の修羅場もなんとか乗り越え、新刊2冊の入稿を完了しました。何事もなく無事に、というには締切りを超過してしまったり、印刷所に泣きついて期限を延ばしてもらったりと、かなりギリギリのスケジュールだったのですが、まあ、おかげ様でどちらも落とすことなく冬コミで頒布できることになりました。描き下ろしの新刊を2冊も用意するのは初めてだったので、それに結構手間取ったという感じかな。特に200ページ以上も書き下ろすとは想像もしていなかった。確かにこれまでも300Pとか400Pとか分厚い小説本は出してきたんだけど、あれはネットで連載していたもののを同人誌化しただけなので、執筆というよりは編集に近い作業だったしね。考えて見れば私って、ヨスガ本以外に書き下ろしの新刊って出したことないのかも知れない。夏に出したゼロ本とか、それ以前の読本は小説本ってわけじゃなかったし、るーるーのほんも挿絵入れただけで内容は再録だったからね。エロ以外は。
まあ、兎にも角にも新刊用の原稿作業も終了したということで、遅れましたが宣伝や告知のようなものをさせていただこうと思います。一応サイトの方にも特設ページは作っているんですが、バナーの作成が間に合わなかったので、まだ公開はしていません。
URL:http://www.usamimi.info/~mlwhlw/index/c79.html(現在製作中)
冬コミでは前述のように新刊が2冊と、先着で頒布するグッズが1つあります。既刊はまあ、ゼロとかるーるーが少し余ってなくはないんだけど、いい加減持って行っても捌けないだろうと思うから、今回は新刊だけということで。予定していたトカイノソラの再販に関しても、予算や需要面での都合から見送らせていただきました。
以下が参加情報及び当日の出し物になります。
まあ、こんなところでしょうか? 新刊の解説をすると、「オカシノソラ」はいつものヨスガ本に表紙絵がついただけとも言えるんですが、収録内容に関しては両極端な話になってると思う。「ハルと穹のクリスマスケーキ」は私がいつも書いているようなハル×穹小説だから良いんですけど、「変身・魔法少女 ゴスロリ穹たん」に関してはなんて説明すればいいのか。元々は、某所での会話を元に生まれた発想なんですけど、内容を少し黒くしすぎたかも知れません。まあ、私のアニメ版に対する考えみたいなものが、少なからず反映されてるんじゃないかなと。最初はギャグとして書いていたはずなんですが、いつの間にかシリアスでハードな話になっていたという不思議現象。テーマは本当に分かりやすいんだけど、私はこういう風にしかこのネタを表現できなかった。
次に「オトギノソラ」は、私が前々から書こうと思っていた童話パロディ本です。あんまり男性向けでは見かけないジャンルですけど、パロディとしては一番ありがちなネタですよね。収録作品も有名所ばかり集めましたし、画像は表紙絵ですが、カバー裏から中表紙に到るまで装丁の方もかなり凝ったものになっています。ここまで拘ったのも、多分これが初めてでしょう。童話パロという時点で普通のヨスガ本ではないんですけど、それぞれが独立していい色合いを出せたと思うし、書いていても楽しかったから、是非お手にとって読んでいただきたい1冊です。装丁の都合からページ数は増えてしまいましたけど、頒布価格はギリギリまで抑え込みました。いつも通り完売しても赤字は確定してますけど、楽しく書けて、面白いものを本にできるならそれでいいじゃないとね。これを損な性格だとは、私は思いません。
コミケ終了後の委託に関してですが、夏に引き続き今回も委託は一切考えていません。DL頒布も同様で、例えばあっという間に新刊が完売してしまったとか、そういう奇跡でも起こったのなら考えなくもないですけど、まずあり得ないことですから。それに、今回は夏に比べると冊数を刷っていますし、以前のロクゼロ本並に数は用意してあるので、早々に完売するようなことはないと思います。タペストリーも価格が価格のネタグッズですし、どうなるかは当日になってみないと分かりませんね。
また、コミケが近くなったら書きますが、今のところはこんな感じでしょうか。私もヨスガ本の購入計画とか、サークルへのあいさつ回りとかを考えている最中ですが、まずは身内に預けっぱなしだったコミケカタログを読まないとな。なにせ修羅場中は読んでしまうこともあって、漫画雑誌からアニメ雑誌、なにからなにまで絶っていたから。アニメは眼と耳しか使いませんが、本は手を使いますからね。執筆中は傍に置いておかないほうがいいんです。
まあ、兎にも角にも新刊用の原稿作業も終了したということで、遅れましたが宣伝や告知のようなものをさせていただこうと思います。一応サイトの方にも特設ページは作っているんですが、バナーの作成が間に合わなかったので、まだ公開はしていません。
URL:http://www.usamimi.info/~mlwhlw/index/c79.html(現在製作中)
冬コミでは前述のように新刊が2冊と、先着で頒布するグッズが1つあります。既刊はまあ、ゼロとかるーるーが少し余ってなくはないんだけど、いい加減持って行っても捌けないだろうと思うから、今回は新刊だけということで。予定していたトカイノソラの再販に関しても、予算や需要面での都合から見送らせていただきました。
以下が参加情報及び当日の出し物になります。
イベント名:コミックマーケット79
日時:2010年12月31日(金) 3日目
会場:東京ビッグサイト
スペース番号:西2ホール と-06b
サークル名:シャリテクロワール
新刊その1
オカシノソラ
ジャンル:ヨスガノソラ
イベント価格:500円
総ページ数:60P
サイズ:A5版
備考:ヨスガノソラ同人誌第3弾。ハル×穹中心の小説2本、「ハルと穹のクリスマスケーキ」及び「変身・魔法少女 ゴスロリ穹たん」を収録。現在、pixivにてサンプル公開中。
URL:http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=122855
新刊その2
オトギノソラ
ジャンル:ヨスガノソラ
イベント価格:1000円
総ページ数:208P
サイズ:新書本
備考:ヨスガノソラ同人誌第4弾。子供の頃に誰もが呼んだことのある名作童話、シャルル・ペローの「灰かぶり姫」、グリム兄弟の「白雪姫」、そしてシェヘラザードの「アラジンとふしぎなランプ」をヨスガノソラのキャラクターでパロディ化。 瑛がヒロインの「によめデレラ」、穹がお姫様になる「穹雪姫」、ハルが主人公の「ハルと魔法の指輪」の三本を収録。現在、pixivにてサンプル公開中。
URL:http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=122866
会場限定グッズ 先着1名様限定
「春日野穹」タペストリー
価格:6000円
原画:サークル・くろのとくろえ
備考:夏の抱き枕に続くグッズ製作ということで、今回はオカシノソラの表紙絵を使用したタペストリーを用意してみました。印刷所の都合で数を刷れなかったため限定1枚で価格も高めですが、再販の予定は一切無いので欲しい方は是非どうぞ。早い者勝ちなので売れた時点で終了ですが、展示用も作ってはいるのでスペースに来れば見ることは可能です。
当日の諸注意
当日は釣銭不足が予想されます。最近1万円や5千円といったお札を出す方が大変の多いのですが、なるたけ小銭を用意し、釣銭の出ないようにしてくださると、サークルとしても助かりますのでご協力ください。
それと、サークル主であるゼロorMLWは午前中は基本的にスペースにいません。午後からは入る予定ですが、今回は初の西館配置ということもあって忙しなく会場を動いていると思います。火急の用があるとか、どうしても会って話がしたいという物好きは、売り子さんに言ってくれれば連絡も取れますが、東館などにいる場合は早々に戻ってくることも出来ないので、午後にでも再訪してくれるのが確実かと思われます。
まあ、こんなところでしょうか? 新刊の解説をすると、「オカシノソラ」はいつものヨスガ本に表紙絵がついただけとも言えるんですが、収録内容に関しては両極端な話になってると思う。「ハルと穹のクリスマスケーキ」は私がいつも書いているようなハル×穹小説だから良いんですけど、「変身・魔法少女 ゴスロリ穹たん」に関してはなんて説明すればいいのか。元々は、某所での会話を元に生まれた発想なんですけど、内容を少し黒くしすぎたかも知れません。まあ、私のアニメ版に対する考えみたいなものが、少なからず反映されてるんじゃないかなと。最初はギャグとして書いていたはずなんですが、いつの間にかシリアスでハードな話になっていたという不思議現象。テーマは本当に分かりやすいんだけど、私はこういう風にしかこのネタを表現できなかった。
次に「オトギノソラ」は、私が前々から書こうと思っていた童話パロディ本です。あんまり男性向けでは見かけないジャンルですけど、パロディとしては一番ありがちなネタですよね。収録作品も有名所ばかり集めましたし、画像は表紙絵ですが、カバー裏から中表紙に到るまで装丁の方もかなり凝ったものになっています。ここまで拘ったのも、多分これが初めてでしょう。童話パロという時点で普通のヨスガ本ではないんですけど、それぞれが独立していい色合いを出せたと思うし、書いていても楽しかったから、是非お手にとって読んでいただきたい1冊です。装丁の都合からページ数は増えてしまいましたけど、頒布価格はギリギリまで抑え込みました。いつも通り完売しても赤字は確定してますけど、楽しく書けて、面白いものを本にできるならそれでいいじゃないとね。これを損な性格だとは、私は思いません。
コミケ終了後の委託に関してですが、夏に引き続き今回も委託は一切考えていません。DL頒布も同様で、例えばあっという間に新刊が完売してしまったとか、そういう奇跡でも起こったのなら考えなくもないですけど、まずあり得ないことですから。それに、今回は夏に比べると冊数を刷っていますし、以前のロクゼロ本並に数は用意してあるので、早々に完売するようなことはないと思います。タペストリーも価格が価格のネタグッズですし、どうなるかは当日になってみないと分かりませんね。
また、コミケが近くなったら書きますが、今のところはこんな感じでしょうか。私もヨスガ本の購入計画とか、サークルへのあいさつ回りとかを考えている最中ですが、まずは身内に預けっぱなしだったコミケカタログを読まないとな。なにせ修羅場中は読んでしまうこともあって、漫画雑誌からアニメ雑誌、なにからなにまで絶っていたから。アニメは眼と耳しか使いませんが、本は手を使いますからね。執筆中は傍に置いておかないほうがいいんです。
アニメ版ヨスガノソラ 第11話「ソラメクフタリ」
2010年12月13日 ヨスガノソラこのアニメはアレですかね、エロというか肉欲しかないんですかね? 前回に続いて話はそれなりに面白かったんだけど、ヨスガノソラの穹ルート・穹シナリオと考えると、落胆せざるを得ない出来栄えだったと思う。私がハル×穹至上主義者ということを差し引いても、ヨスガノソラという作品の根幹やテーマをアニメ版は完全に履き違えているというか、意図的に改悪してしまった。だからこそ、例え話が面白かろうと作品そのものを楽しむことが出来ないんでしょう。
11話は性的な話でした。それは単純にハルと穹がセックスをするというだけではなく、登場するキャラクターの行動原理や、発想などが性愛を中心に構成されていたからです。最初の5分で奈緒との関係に自ら終止符を打ってしまったハル。これについて私はハルに対して同情します。キャラの改悪というのはもちろんそうですし、まさか恋人同士とはいえ、ハルにあそこまで強引な方法を取らせたアニメスタッフには嫌悪感しか湧きませんけど、それを抜きにしてもハルは果たして責められることをしたのでしょうか?
奈緒との二度目のデート、ハルは駅に現れた奈緒に対して服装を褒めました。けど、その服は前回のデートでも着ていたもので、特別新鮮さや真新しさを感じさせるものではありません。私は女子がデートに同じ服を着てくるものなのだろうかと首を捻りますが、このシーンで重要なのは、ハルが奈緒の服装を覚えていなかったということにあります。まあ、ハルにしたところで前回と同じ格好してますけど、既にこの時点でハルの頭の中は穹だけしか存在していないんです。水族館にいたときも、軽食を食べていたときも、ハルの脳裏には穹の自慰行為という扇情的で鮮烈な光景が焼き付いて離れない。そして奈緒もそれに気付きつつ合った。気付いていたけど触れなかった。触れてしまえば、自分たちの関係は終わってしまうから。現実味のない恋人関係であることを承知した上で、奈緒はハルのことを失いたくはなかったんでしょうね。それに奈緒はハルが想っている相手が穹なのではないかということを薄々ではあるけど感づいていたし、自分の考えを肯定することは、ハルと穹の間にある特殊な感情を認めることにもなりかねなかった。だから奈緒は我慢した、けれど遂に耐え切れなくなった。
ハルが強引に奈緒と肉体関係を結ぼうとしたのは、肉欲からではありません。奈緒ルートの悠はセックスしか考えていない愚か者でしたが、この場合は単なる逃避に過ぎません。ハルは奈緒とセックスをすることで、肉体的な繋がりを持って穹から逃げようとしたのです。そこには恋愛も性愛も存在しない、本当に形だけでしかない性行為。ホテルに連れ込まれる前に奈緒は拒めよと思ったけど、まあ、それは話の流れと勢いの問題だしね。仕方ないということにしておきましょう。それに奈緒だってまんざらでは……うーん、アニメ版のハルって手馴れてるのか手馴れてないのかよく分からないね、後々のシーンのときにもう一度触れるけど、なんというかあのまま続けていたとして、奈緒と致せたとは思えない。
奈緒がハルを直前になって拒んだのは、その豹変ぶりもさることながらハルが自分を愛していない、好きじゃないことを悟っていたから。逆レイプした女が性的なことでなにかあっても自業自得であり、ざまあみろとしか言えないでしょうけど、今回のハルの行動は強姦やレイプの類ですらないんです。何故ならハルは、性的な興奮を奈緒に覚えていない。自らの欲求を満たすためにセックスを行おうとしたわけじゃなく、偽りの愛をごまかし切るための虚しい行為。奈緒はおそらく、単純な性欲や肉欲が理由なら、ハルを受け入れていたでしょう。過去の自分がそうだったし、付けが回って来ただけの話です。でも、奈緒は気付いてしまった。ハルが自分のことを好きでもないのに抱こうとしていることを。それが奈緒には耐えられなかった。好きでもない相手に抱かれることが嫌なのではなく、愛してくれない相手から抱かれるのが堪らなく嫌だったのでしょう。だから奈緒は訊ねた。本当にハルは自分のことを好きなのかという、触れてはいけないはずの核心を。
アニメ版の奈緒というのは強い罪悪感を前提にしたキャラですから、そんな彼女が常に不安を抱えてハルと付き合っていたというのは普通に納得のいく話です。ハルの想い人が穹であるかはともかくとしても、奈緒はハルが自分のことを見ていない、自分を好きではないという事実に気付き、核心を抱きつつ合った。ハルは奈緒に対して好きだったといった。でも、今この瞬間も好きだとは、一言も言わなかった。それが意識的にか、無意識によるものなのかは分からない。だけど、ハルはおそらく言わなかったのではなく、言えなかったのでしょう。何故なら彼は一番、それが心にもない言葉であることを分かっていたから。嘘でも良いから言えばよかったのに、という意見は当然あるだろうけど、ハルは嘘でも言うことが出来なかったんですよ。穹に対する自分の想いを、すべて否定することはハルにとって不可能だったのだから。
デートから帰宅したハルが幾分か穏やかなのは、嘘で塗り固めていた自分自身を脱ぎ捨てたからでしょう。奈緒と付き合うことそれ自体が重荷であったといえば、これ以上に失礼な話はないのかも知れないけど、事実ハルにとって奈緒との関係は負担以外の何物でもなかった。自分を殺し、自身の気持ちに嘘を突き続けることに、ハルは疲れきっていたんです。それは仏間で洗濯物に囲まれて眠りに付く穹を見つけたときの、優しげな表情と声音からも分かります。結局、奈緒との関係はハルにとってなんの意味もなかった。穹の策略が介在していたにせよ、ハルは穹から、穹というより自分の本当の気持から逃げることが出来なかった。
ちなみにこのシーンに出てくる仏間の掛け軸が一期一会なのは、セーブ・ロード方式を指しているのでしょうが、今となっては皮肉にしか見えなかった。それと風呂場とトイレの正確な位置が分かったことで、以前に作られた間取り図が完全に正しかったことを裏付けましたね。
ハルは穹が洗濯をしたことに意外さを覚えつつも、元来そういう性格であることをちゃんと理解し、その成長を素直に喜びました。
「決めたの! ハルのことを、もっと大切にしようって。二人きりの、家族だから」
穹の言葉は、原作ユーザーである私にとってはそれなりに重たく響いたけど、アニメ版は両親の死について、その原因や要因を一切触れてこなかった。どうして奥木染に来たのか、そういった事情すらも説明されてない状態では、二人の関係性に生じる重さが伝わりにくいんじゃないだろうか。例えば原作とコミカライズでは、ハルと穹が奥木染に来た理由は大きく異なります。前者は両親の死とそれに纏わる心労に打ちのめされたハルが、穹に手を差し伸べられたことで田舎で少し休むために奥木染行きを決意するという、どちらかといえば自分自身の問題や理由というものが強いです。もちろん、穹を離れたくなかったという一面もありますし、穹を連れて逃げたという発言もありますが、それにしたってハル個人の都合でしかありません。現にハルは、穹の真意はともかくとしても自分の勝手やわがままに穹を巻き込んでしまったと述懐していますし。逆にコミカライズだと理由のほとんどは穹にあり、両親の死に絶望し、ハルと離れ離れになることを恐れ、すがりついた穹を守るため、穹とずっと一緒にいるために、ハルは奥木染行きを決めるのです。比べてみるとまるで違いますが、コミカライズはいい方向でハルに改変を加えてくれたから、まるで違和感がないんだよね。アニメ版におけるその辺の事情がどうなっているかは分かりませんけど、この分だと語られることはないんだろうな。
湖については今更書くこともないでしょうけど、これもまた唐突に出してきましたね。いや、瑛が禊ぎしてたから登場自体はしてますけど、歴史とか伝説とかさ、説明する暇がなかったから無理やり出してきた感じ。それと、これは後々登場する委員長にも言えることなんだけど、原作におけるキャラクターの魅力というものがアニメではまったく反映されてないよね。瑛の場合、彼女は作中で他のヒロインとは感性の面で一線を画す存在で、極めて達観した考えを持っています。ハルや穹に対する接し方や、二人の関係性に対してなど、ヨスガノソラの登場人物は委員長を除いて全員が心に抱え込んでいるものがありますが、瑛はそれを考慮しなくてもハルと穹を最初から受け入れていた。それは彼女の生まれ育った境遇も影響してるんでしょうけど、人格に磨きがかかってるんですよ。単純な包容力や懐の深さ以上に、瑛は目先の理屈や倫理観よりも感性や感覚、そして感情を優先するタイプだから。それを極端なまでに表現したのはコミカライズで、私は勝手にエスパー瑛と読んでますけど、超能力者と勘違いするぐらい相手の心を見透かしていると思う。
そんな瑛というとてつもなく大きい存在が、アニメでは一切描かれてないんだよね。二番目の攻略対象ヒロインってぐらいで、ハッキリ言うと魅力の欠片もない状態です。ハルにしてもそうだけど、アニメ版はキャラクターの元からあった性能というか、魅力を意図的に下げることでバランスを取ろうとしているきらいがあるよね。底上げしたコミカライズとは、まるで対照的です。瑛の人格的影響がない状態で、一体ハルと穹はどうやって周囲に関係性を認めてもらうというのか。そういった細かい部分まで、このスタッフはちゃんと考えているのだろうか? 正直、小手先の手法に囚われて大事なものが見えていないような気がする。
昨日の今日で近親婚や近親姦について調べ始めるハルは、前述のとおり吹っ切れてしまったんでしょうね。だからこそ、穹とのことについて前向きに考えるようになった。歴史書を紐解くことが正解かは知りませんが、過去にはそういうことも認められ、存在していたという事実で自分を納得させたかったのかも知りません。ふらっと現れた委員長ですけど、なんていうか委員長もまたキャラが随分変わってますよね。原作の穹ルートにおける委員長というのは、ハルに淡い恋心をいだいた、本当に純粋な恋する乙女でした。ハルになかなか話しかけることも出来ず、出来たとしても恥ずかしくて会話を続けることが出来ない、そんな少女です。アニメにしたって1話はかなりハルのことを意識していますし、OP映像の登校シーンで赤面しつつハルを見つめていることからも、委員長はハルに対して恋をしているはずでした。間違っても、気さくに気楽に話しかけてくるようなキャラではなかったんです。
やんわりと近親姦や近親愛を否定した委員長ですが、ハルに恋もしていなければ、穹の友人というわけでもない委員長が二人の関係に絡んできても、完全な第三者ではないですか。否定しようにも他人は引っ込んでいろと、そういうことになりかねない。仮に原作と同じような流れで行くのだとして、ハルのことが好きなわけでもない委員長との間になにが出来ますか? もちろん嫌いであろうはずはないけど、恋をしているようには全然見えません。その時点で、委員長という少女のキャラクター性と、本来合ったはずの魅力が綺麗さっぱり消え失せてしまいました。
高熱で倒れた穹と、看病をするハル。奈緒に最低限のことを頼み、それ以上の助力を断ったことについては、ハル本人も言うようにああいう別れ方をした相手に対する自分の図々しさを鑑みたのかも知れませんが、単純に穹の面倒は自分が観るという意識が現れていただけなのかも知れない。
ハルは汗をびっしょりとかいた穹の身体をタオルで拭きますが、穹は寝込んでしまったことを謝ります。ハルに迷惑を掛けるつもりはなかった、これに関しては原作にも近い感情や流れはありますけど、原作やコミカライズがそこを丁寧に掘り下げていたのに対し、アニメ版は今のところ洗濯物を洗って畳んだぐらいしかしていない。この後、色々なことをし始めてはいますけど、それはあくまで関係を結んだ後の話であって、原作では関係を結ぶ前の過程ですからね。この差は結構大きいですよ。
夕暮れとなり、看病疲れで居眠りをするハルに穹がキスをした。ハルが自分の素肌に触ったことで、遂に我慢できなくなったという穹。性愛のままに相手を求め、自分の想いを伝え、ハルもまたそれに応えてしまう。キスからはじまるセックスは、今までハルがしてきたものと明らかに違った。そもそもハルと穹はセックスというものに対する考えが、共に幼少期の体験の影響から一般と少し違うのだ。原作における穹の印象的な台詞の一つに、「私も同じことをすれば、好きになってもらえるの、かな……?」というのがあります。奈緒との過去を清算した後、ハルとのこれからを考えた際にポロリとこぼれた言葉ですが、何気ないでは済ませれない一言にハルはどうよし、心に波紋を呼んでいた。このことからも、ハルや穹にとってセックスは単なる快楽的行為ではないんです。相手に対する繋がりや、関係性を明確にするための、極めて貴重な確認手段と言うべきもの。そう考えれば、ハルが奈緒と強引に致そうとしたことも、少なからず納得が行くと思います。穹は前回から、ハルに対して積極的な性的アピールをしていました。それは穹にとっても性的な一面、そしてセックスがハルとの関係を決定づけるものであるとの核心があったからで、二人がそのことを確かめ合った瞬間、もう溺れる以外の道は残されてなかったんじゃないかなと。
さらに言えば奈緒に対するセックスと、穹に対するセックスの最大の差は、恋愛感情もさることながら、それが本人にとってどのような意味があるのか、ということです。穹については上記に書きましたが、では奈緒についてはどうでしょうか? ハルは奈緒に逃げることで穹から離れ、セックスをすることで嘘に塗り固められた関係を完全なものにしようとしました。これは完全な逃避ですが、そもそもかつての奈緒自身がセックスを一つの逃避手段としてハルに対して行っているのです。彼女の場合はいさかいが絶えない両親から逃げたわけですが、ハルと穹の性愛感や貞操観念、そしてセックスという行為に対する認識における奈緒の存在は、決して小さくはなかった。本人がそれを自覚しているかはともかくね。だからこそ、奈緒はハルと穹の関係性を否定することが出来ない。出来るわけがないんです。
ところで、穹の純潔を奪うシーンで、ハルがナニを入れ損なってますけど、その程度でよく奈緒とやろうとしたな……まあ、ちょっと可愛げがあって良かったけどさ。単純に緊張しているだけとも取れるけど、そもそも原作に置いてもハルは手馴れてるという指摘をよく受ける男です。それが都会での経験なのか、それとも奈緒の逆レイプによる体験だけで得られたものかは分かりませんが、私は後者の暗示だと思った。アニメのハルが都会でどういう生活を送っていたのかは不明ですが、幼少期から女子に人気があったという描写もあるぐらいです。告白をされたのも一度や二度じゃないでしょうし、その、なんですか、最近は色々早いといいますからね。原作の場合は都会での性生活及び、女性関係を否定していますけど、アニメだと果たしてどうなのか。もっとも、今までのルートにおける悠は夢の産物だから、性技の面で差があっても全然問題はないんだけどね。さすがにきつすぎるって? まあ、私もそう思うよ。
翌日、熱も下がったことで学校へ登校することにしたハルと穹。通学路で瑛や亮平、奈緒などと合流します。その際、瑛が体調のほうを穹に訊ねるわけですが、対する穹は笑顔で「うん、平気」と軽く答えます。それまでどこか鬱屈そうな表情や声音をしていた穹が、今や清々しいほどの明るさを全身から発している。ハルの表情もまた穏やかで優しげになっており、如何にもスッキリとした感じの2人がそこにはいたわけです。穹は長年の想いを果たしたわけだし、ハルもこれ以上自分の気持ちに嘘を付く必要がなくなった。互いの気持ちを確かめ合い、愛し合いながら夜を明かしたわけですし、そりゃあ精神的にも肉体的にもスッキリしているでしょう。特に穹の得意そうな顔ときたら。腕を組んだ際も、とにかく穹は嬉しさや喜びを隠そうとしないんですよね。奈緒は気付いてましたけど、彼女の場合は最初から2人の関係を疑っていましたし、倫理観や道徳観から半信半疑といった感じかな。確信を持つのは簡単だけど、常識という足枷がそれを否定しているといいますか。奈緒は原作でもそうですが、穹の気持ちというものを理解していなかった。元々、他人の気持ちに鈍感な面が奈緒にはあって、敏感すぎる瑛なんかとは事情が異なる。故にハルの本当の気持ちでさえ、実際に付き合ってからじゃないと気付くことが出来なかったわけです。
しかし、ハルと穹にとってもはや奈緒の存在など眼中にすら入っていなかった。愛は盲目とはまた違うだろうけど、今が幸せすぎる2人には他人のことなど気に止める必要もなかったんですね。それは余裕であると同時に油断でもあるんだけど、ハルと穹の場合は変わり方が急激すぎた。穹は少しでもハルと対等の存在になるために料理やなんだと頑張り始め、ハルは今まで遠回りをしてきた分の時間を埋めるため、穹の願いならなんでも聞くようになってしまった。穹がハルの為に朝食を作るというのは原作にもある話ですけど、なんだって関係を結んだ後に持ってくるのかな。2人で料理する描写もカットだし、そもそも春日野兄妹が料理できない設定になってるって言うのがね。ハルは基本的に弁当だし、穹は冷凍物をチンしただけ。朝からピザとコロッケとソーセージに、サラダとピラフにスープまで食べられるのかと思いましたけど、ちょっとずつ凄いものを作れるように頑張るという穹の健気さは良かったね。良かったけど、原作の描写やシチュエーションに比べると幾分か劣る感じがするのは否めない。
「ふふん、いい子でしょ? じゃあ、ご褒美」
家の中でキスをねだる穹は可愛いけど、まさしく人が変わったかのような可愛さを魅せつけてくるよね。ハルもそれにやられたのか、引きずられるように求めに応じてしまうわけだけど、既に溺れ始めているのが見て取れるわけです。それは人目も憚らずにイチャイチャしだしているシーンからも分かります。原作にもある流れですけど、アニメの方がより直接的だよね。相合傘での会話もそうだけど、一応それなりに人目を気にした上で、どこまでイチャつけるのかを考えているというか、穹が2人でお弁当を食べることに理由をでっち上げたのは少し驚きました。原作ではもう他のことが見えなくなってましたから、強引というよりはさも当然といった感じにハルと一緒にいますし。だから、形だけとはいえ2人で過ごすことに理由付けをしたのは意外だった。
そんなハルと穹の関係性に対して最初から違和感を抱いていたのは奈緒だけど、亮平たちもまた急に2人きりで過ごすことが多くなったことに疑問を持たないわけがありません。瑛は気にしてないようですけど、原作とキャラが違うからなにも考えていないだけかもね。もっとも敏感に反応したのは委員長ですけど、彼女の場合は先日ハルが図書室で近親婚に付いて調べていたのを知っていましたから、感付く部分があったんでしょう。原作は困惑に止めて具体的な言及は避けましたけど、アニメだと割と強気にハルを諭そうとしてきます。ベタベタしすぎという委員長の指摘は正しいですが、彼女がそこまで言うとは思わなかったというのが私の本音。亮平相手ならまだしも、ハルに対してここまで気の強い部分も見せるとは。大分、キャラが変わってしまったようだ。
でもまあ、別に委員長は間違ったことは言ってないですし、むしろ問題があるのはハルの方でしょう。行いそのものは仕方ないにしても、その言い訳がねぇ……穹のせいにしてしまうんだから。咄嗟にしては上手くだまくらかしたとは思うけど、自分たちの行いを穹のせいだけにするなよと。
ハルもさすがに動揺したのか、自宅で委員長の言葉を重く受け止めますが、穹はまったく気にしません。まさか、原作のフェラまで再現するとは思わなかったけど、その後教室のシーンはEDのあれですね。単なるギャグでしかなかったはずのEDから、これで3シーンも使われたわけだ。一度目は溺れたハルを奈緒が助けるところ。二度目は雨の降るバス停で穹と奈緒が対決し、雷が落ちるところ。そして三度目が机の下に潜り込んだ穹……では、四度目はあるのでしょうか? 例えば、湖で溺れたハルと穹を奈緒が助けるとかね。それをやったらもうアニメの穹ルートはその存在価値すらなくしてしまうけど、ここまでEDが本編に使われるとは思ってなかったので。1話が放送した段階では、あくまでギャグで作っているから深い意味はないと言っていたのに、製作中に方針が変わったのかな。
委員長の重かったはずの言葉は穹によって消し飛ばされ、ずるずるとハルは深みに嵌っていくわけだけど、止めようと思って止められるものでもなかったんでしょう。情欲と性愛のままにお互いを求め続ける2人には、もう歯止めが利かないんです。
家に帰ってすぐセックスを始める辺り、盛りのついた猫より酷いですけど、一方で委員長が動き始める。ハルが教室に忘れた携帯を届けるかどうか悩んでいたのです。この携帯を教室忘れるというアニメ独特の描写に関しては、結構深い意味があります。ハルは1話に置いても携帯を自宅に忘れ、穹に寂しい思いをさせました。学校に行っていなかった穹にとって、携帯は日中ハルと自分を繋ぐ大切なツールだったからです。では、そんな大切なモノをどうしてハルは平然と忘れたのかというと、それがもはや必要のないものだから。ハルの携帯に電話を掛けてくるのは、都会の親戚を除けば穹一人だけであり、その穹と常に一緒にいるなら、もう携帯なんてものはハルにとって必要ないんですよ。だって電話を掛ける必要も、メールをする必要もない、自分の隣に穹はいるのだから。教室での着信が電話かメールかは分かりませんが、相手は親戚でしょうか? まあ、相手なんてどうでも良いんですよ。ハルが携帯との存在を軽視したように、この場合は掛けてきた相手が誰であるかなんて問題ではない。
携帯を見つめて思い悩む委員長の前に、何故か奈緒が現れました。部活か委員会か、いずれかの理由で学校へ残っていたにせよ、どうして下級生の教室に現れるのか? たまたま通っただけにしても、少し不自然だよね。だって、ハルの教室って奈緒の教室より上にあるんだもの。その証拠に10話のとき、奈緒はお弁当を持って階段を上がってきましたから。別に下級生の教室が上の階にあることは不自然じゃないし、不自然なのはどうして奈緒がそんなところを彷徨いていたかということでしょう。
委員長は奈緒と会ったことで、携帯を奈緒に託すという選択が出来ました。なにせお隣りさんですし、自分よりも交流が深いであろう相手ですから、任せること自体に不思議はありません。では、どうして委員長はそれを選ばなかったのか? 単純な話、委員長はハルの家に行ってみたかったんですよ。憧れの人の自宅を見てみたいではなく、ハルと穹の関係、その真相を確かめるために。でなければ、携帯を前にあそこまで悩んだりはしません。着信があったとはいえ、放置しておいても別段問題はないんですから。むしろ、降って湧いたようにハルの家へ訪れるだけの理由が出来てしまったことに、委員長は迷っていたのではないかと。奈緒が自分で届けると言って預からなかった理由は分かりませんが、あるいは委員長が他にも用事があるとか、理由付けをしたのかも知れません。どちらにせよ、委員長はハルと穹の家に行きたかった。そして自分の中に渦巻く疑惑に対して、答えを出したかったのだと思います。
ハルと穹がセックスしているところに委員長が飛び込むという演出は、原作にあった穹の寒気がするほどの美しさを見事に損ねており、あまり良い描写であるとはいえません。穹がまさにイッた瞬間に扉を開けるというのも、狙っている感が強すぎてそれほどの衝撃も受けませんでしたしね。麻痺したというわけではないんだろうけど、エロが多い割にそれを上手く活かせていなかった気がする。限られた時間の中でよくまとめてあるとは思ったけど、結局は肉欲中心の内容となってしまったのがね。何度も言ってるけど、私はヨスガノソラがエロ重視で作られていることに未だ違和感を感じているから、穹ルートの良い部分を軒並み削ってオリジナル展開を挟み、尚且つエロだけしかないかのような展開には不満がある。確かに原作におけるハルが穹を避け始めるシーンなどは、アニメとしては少し単調かも知れない。エロゲは瞬間的にシーンが切り替わるからまだしも、アニメは事情が違う。けれど、そこは別ヒロインのシナリオを差し挟んで穹を放置気味にするとか、いくらでもやりようはあったはずなのだ。現にコミカライズはそうしていた。
話として面白いことが、全体的な楽しさに繋がるわけはなく、キャラクターに対する強烈な違和感など、私のアニメ版に対する評価は著しく低いです。それでもまあ、穹ルートに入って多少は観れた感じになってきたけど、だからといってアニメ版を認めることはないと思います。今までが今までだしね。手の平を返す準備はしていたけど、結局それすらも出来ないような、期待外れの作品でしたよ。
次回で最終回、長かったのか短かったのかも分からないほどあっという間でしたけど、私の予想では同時期にコミックスの2巻が出るはずなので、例えアニメがどんな結末を迎えようと、コミックスを読むことで視線をそらすことは可能です。まあ、スタッフは期待を裏切らないラストになったとか言ってますけど、今さらそんな言葉を信用する奴は一人もいないと思いますし、スタチャは自分たちが支持されていないということに気付きませんからね。あそこは昔からそういうところだし、エロ以外の部分で痛烈な批判を受けていることを、果たして分かっているのかどうか。エロにしたところで、エロいから否定されているのではなく、それをすることで原作の大事な部分を削ってしまったことが非難されているのだけど、まあ、その辺りの言い訳をハルキノソラでするのかどうか、多分次回更新であちらも最終回でしょうから。
11話は性的な話でした。それは単純にハルと穹がセックスをするというだけではなく、登場するキャラクターの行動原理や、発想などが性愛を中心に構成されていたからです。最初の5分で奈緒との関係に自ら終止符を打ってしまったハル。これについて私はハルに対して同情します。キャラの改悪というのはもちろんそうですし、まさか恋人同士とはいえ、ハルにあそこまで強引な方法を取らせたアニメスタッフには嫌悪感しか湧きませんけど、それを抜きにしてもハルは果たして責められることをしたのでしょうか?
奈緒との二度目のデート、ハルは駅に現れた奈緒に対して服装を褒めました。けど、その服は前回のデートでも着ていたもので、特別新鮮さや真新しさを感じさせるものではありません。私は女子がデートに同じ服を着てくるものなのだろうかと首を捻りますが、このシーンで重要なのは、ハルが奈緒の服装を覚えていなかったということにあります。まあ、ハルにしたところで前回と同じ格好してますけど、既にこの時点でハルの頭の中は穹だけしか存在していないんです。水族館にいたときも、軽食を食べていたときも、ハルの脳裏には穹の自慰行為という扇情的で鮮烈な光景が焼き付いて離れない。そして奈緒もそれに気付きつつ合った。気付いていたけど触れなかった。触れてしまえば、自分たちの関係は終わってしまうから。現実味のない恋人関係であることを承知した上で、奈緒はハルのことを失いたくはなかったんでしょうね。それに奈緒はハルが想っている相手が穹なのではないかということを薄々ではあるけど感づいていたし、自分の考えを肯定することは、ハルと穹の間にある特殊な感情を認めることにもなりかねなかった。だから奈緒は我慢した、けれど遂に耐え切れなくなった。
ハルが強引に奈緒と肉体関係を結ぼうとしたのは、肉欲からではありません。奈緒ルートの悠はセックスしか考えていない愚か者でしたが、この場合は単なる逃避に過ぎません。ハルは奈緒とセックスをすることで、肉体的な繋がりを持って穹から逃げようとしたのです。そこには恋愛も性愛も存在しない、本当に形だけでしかない性行為。ホテルに連れ込まれる前に奈緒は拒めよと思ったけど、まあ、それは話の流れと勢いの問題だしね。仕方ないということにしておきましょう。それに奈緒だってまんざらでは……うーん、アニメ版のハルって手馴れてるのか手馴れてないのかよく分からないね、後々のシーンのときにもう一度触れるけど、なんというかあのまま続けていたとして、奈緒と致せたとは思えない。
奈緒がハルを直前になって拒んだのは、その豹変ぶりもさることながらハルが自分を愛していない、好きじゃないことを悟っていたから。逆レイプした女が性的なことでなにかあっても自業自得であり、ざまあみろとしか言えないでしょうけど、今回のハルの行動は強姦やレイプの類ですらないんです。何故ならハルは、性的な興奮を奈緒に覚えていない。自らの欲求を満たすためにセックスを行おうとしたわけじゃなく、偽りの愛をごまかし切るための虚しい行為。奈緒はおそらく、単純な性欲や肉欲が理由なら、ハルを受け入れていたでしょう。過去の自分がそうだったし、付けが回って来ただけの話です。でも、奈緒は気付いてしまった。ハルが自分のことを好きでもないのに抱こうとしていることを。それが奈緒には耐えられなかった。好きでもない相手に抱かれることが嫌なのではなく、愛してくれない相手から抱かれるのが堪らなく嫌だったのでしょう。だから奈緒は訊ねた。本当にハルは自分のことを好きなのかという、触れてはいけないはずの核心を。
アニメ版の奈緒というのは強い罪悪感を前提にしたキャラですから、そんな彼女が常に不安を抱えてハルと付き合っていたというのは普通に納得のいく話です。ハルの想い人が穹であるかはともかくとしても、奈緒はハルが自分のことを見ていない、自分を好きではないという事実に気付き、核心を抱きつつ合った。ハルは奈緒に対して好きだったといった。でも、今この瞬間も好きだとは、一言も言わなかった。それが意識的にか、無意識によるものなのかは分からない。だけど、ハルはおそらく言わなかったのではなく、言えなかったのでしょう。何故なら彼は一番、それが心にもない言葉であることを分かっていたから。嘘でも良いから言えばよかったのに、という意見は当然あるだろうけど、ハルは嘘でも言うことが出来なかったんですよ。穹に対する自分の想いを、すべて否定することはハルにとって不可能だったのだから。
デートから帰宅したハルが幾分か穏やかなのは、嘘で塗り固めていた自分自身を脱ぎ捨てたからでしょう。奈緒と付き合うことそれ自体が重荷であったといえば、これ以上に失礼な話はないのかも知れないけど、事実ハルにとって奈緒との関係は負担以外の何物でもなかった。自分を殺し、自身の気持ちに嘘を突き続けることに、ハルは疲れきっていたんです。それは仏間で洗濯物に囲まれて眠りに付く穹を見つけたときの、優しげな表情と声音からも分かります。結局、奈緒との関係はハルにとってなんの意味もなかった。穹の策略が介在していたにせよ、ハルは穹から、穹というより自分の本当の気持から逃げることが出来なかった。
ちなみにこのシーンに出てくる仏間の掛け軸が一期一会なのは、セーブ・ロード方式を指しているのでしょうが、今となっては皮肉にしか見えなかった。それと風呂場とトイレの正確な位置が分かったことで、以前に作られた間取り図が完全に正しかったことを裏付けましたね。
ハルは穹が洗濯をしたことに意外さを覚えつつも、元来そういう性格であることをちゃんと理解し、その成長を素直に喜びました。
「決めたの! ハルのことを、もっと大切にしようって。二人きりの、家族だから」
穹の言葉は、原作ユーザーである私にとってはそれなりに重たく響いたけど、アニメ版は両親の死について、その原因や要因を一切触れてこなかった。どうして奥木染に来たのか、そういった事情すらも説明されてない状態では、二人の関係性に生じる重さが伝わりにくいんじゃないだろうか。例えば原作とコミカライズでは、ハルと穹が奥木染に来た理由は大きく異なります。前者は両親の死とそれに纏わる心労に打ちのめされたハルが、穹に手を差し伸べられたことで田舎で少し休むために奥木染行きを決意するという、どちらかといえば自分自身の問題や理由というものが強いです。もちろん、穹を離れたくなかったという一面もありますし、穹を連れて逃げたという発言もありますが、それにしたってハル個人の都合でしかありません。現にハルは、穹の真意はともかくとしても自分の勝手やわがままに穹を巻き込んでしまったと述懐していますし。逆にコミカライズだと理由のほとんどは穹にあり、両親の死に絶望し、ハルと離れ離れになることを恐れ、すがりついた穹を守るため、穹とずっと一緒にいるために、ハルは奥木染行きを決めるのです。比べてみるとまるで違いますが、コミカライズはいい方向でハルに改変を加えてくれたから、まるで違和感がないんだよね。アニメ版におけるその辺の事情がどうなっているかは分かりませんけど、この分だと語られることはないんだろうな。
湖については今更書くこともないでしょうけど、これもまた唐突に出してきましたね。いや、瑛が禊ぎしてたから登場自体はしてますけど、歴史とか伝説とかさ、説明する暇がなかったから無理やり出してきた感じ。それと、これは後々登場する委員長にも言えることなんだけど、原作におけるキャラクターの魅力というものがアニメではまったく反映されてないよね。瑛の場合、彼女は作中で他のヒロインとは感性の面で一線を画す存在で、極めて達観した考えを持っています。ハルや穹に対する接し方や、二人の関係性に対してなど、ヨスガノソラの登場人物は委員長を除いて全員が心に抱え込んでいるものがありますが、瑛はそれを考慮しなくてもハルと穹を最初から受け入れていた。それは彼女の生まれ育った境遇も影響してるんでしょうけど、人格に磨きがかかってるんですよ。単純な包容力や懐の深さ以上に、瑛は目先の理屈や倫理観よりも感性や感覚、そして感情を優先するタイプだから。それを極端なまでに表現したのはコミカライズで、私は勝手にエスパー瑛と読んでますけど、超能力者と勘違いするぐらい相手の心を見透かしていると思う。
そんな瑛というとてつもなく大きい存在が、アニメでは一切描かれてないんだよね。二番目の攻略対象ヒロインってぐらいで、ハッキリ言うと魅力の欠片もない状態です。ハルにしてもそうだけど、アニメ版はキャラクターの元からあった性能というか、魅力を意図的に下げることでバランスを取ろうとしているきらいがあるよね。底上げしたコミカライズとは、まるで対照的です。瑛の人格的影響がない状態で、一体ハルと穹はどうやって周囲に関係性を認めてもらうというのか。そういった細かい部分まで、このスタッフはちゃんと考えているのだろうか? 正直、小手先の手法に囚われて大事なものが見えていないような気がする。
昨日の今日で近親婚や近親姦について調べ始めるハルは、前述のとおり吹っ切れてしまったんでしょうね。だからこそ、穹とのことについて前向きに考えるようになった。歴史書を紐解くことが正解かは知りませんが、過去にはそういうことも認められ、存在していたという事実で自分を納得させたかったのかも知りません。ふらっと現れた委員長ですけど、なんていうか委員長もまたキャラが随分変わってますよね。原作の穹ルートにおける委員長というのは、ハルに淡い恋心をいだいた、本当に純粋な恋する乙女でした。ハルになかなか話しかけることも出来ず、出来たとしても恥ずかしくて会話を続けることが出来ない、そんな少女です。アニメにしたって1話はかなりハルのことを意識していますし、OP映像の登校シーンで赤面しつつハルを見つめていることからも、委員長はハルに対して恋をしているはずでした。間違っても、気さくに気楽に話しかけてくるようなキャラではなかったんです。
やんわりと近親姦や近親愛を否定した委員長ですが、ハルに恋もしていなければ、穹の友人というわけでもない委員長が二人の関係に絡んできても、完全な第三者ではないですか。否定しようにも他人は引っ込んでいろと、そういうことになりかねない。仮に原作と同じような流れで行くのだとして、ハルのことが好きなわけでもない委員長との間になにが出来ますか? もちろん嫌いであろうはずはないけど、恋をしているようには全然見えません。その時点で、委員長という少女のキャラクター性と、本来合ったはずの魅力が綺麗さっぱり消え失せてしまいました。
高熱で倒れた穹と、看病をするハル。奈緒に最低限のことを頼み、それ以上の助力を断ったことについては、ハル本人も言うようにああいう別れ方をした相手に対する自分の図々しさを鑑みたのかも知れませんが、単純に穹の面倒は自分が観るという意識が現れていただけなのかも知れない。
ハルは汗をびっしょりとかいた穹の身体をタオルで拭きますが、穹は寝込んでしまったことを謝ります。ハルに迷惑を掛けるつもりはなかった、これに関しては原作にも近い感情や流れはありますけど、原作やコミカライズがそこを丁寧に掘り下げていたのに対し、アニメ版は今のところ洗濯物を洗って畳んだぐらいしかしていない。この後、色々なことをし始めてはいますけど、それはあくまで関係を結んだ後の話であって、原作では関係を結ぶ前の過程ですからね。この差は結構大きいですよ。
夕暮れとなり、看病疲れで居眠りをするハルに穹がキスをした。ハルが自分の素肌に触ったことで、遂に我慢できなくなったという穹。性愛のままに相手を求め、自分の想いを伝え、ハルもまたそれに応えてしまう。キスからはじまるセックスは、今までハルがしてきたものと明らかに違った。そもそもハルと穹はセックスというものに対する考えが、共に幼少期の体験の影響から一般と少し違うのだ。原作における穹の印象的な台詞の一つに、「私も同じことをすれば、好きになってもらえるの、かな……?」というのがあります。奈緒との過去を清算した後、ハルとのこれからを考えた際にポロリとこぼれた言葉ですが、何気ないでは済ませれない一言にハルはどうよし、心に波紋を呼んでいた。このことからも、ハルや穹にとってセックスは単なる快楽的行為ではないんです。相手に対する繋がりや、関係性を明確にするための、極めて貴重な確認手段と言うべきもの。そう考えれば、ハルが奈緒と強引に致そうとしたことも、少なからず納得が行くと思います。穹は前回から、ハルに対して積極的な性的アピールをしていました。それは穹にとっても性的な一面、そしてセックスがハルとの関係を決定づけるものであるとの核心があったからで、二人がそのことを確かめ合った瞬間、もう溺れる以外の道は残されてなかったんじゃないかなと。
さらに言えば奈緒に対するセックスと、穹に対するセックスの最大の差は、恋愛感情もさることながら、それが本人にとってどのような意味があるのか、ということです。穹については上記に書きましたが、では奈緒についてはどうでしょうか? ハルは奈緒に逃げることで穹から離れ、セックスをすることで嘘に塗り固められた関係を完全なものにしようとしました。これは完全な逃避ですが、そもそもかつての奈緒自身がセックスを一つの逃避手段としてハルに対して行っているのです。彼女の場合はいさかいが絶えない両親から逃げたわけですが、ハルと穹の性愛感や貞操観念、そしてセックスという行為に対する認識における奈緒の存在は、決して小さくはなかった。本人がそれを自覚しているかはともかくね。だからこそ、奈緒はハルと穹の関係性を否定することが出来ない。出来るわけがないんです。
ところで、穹の純潔を奪うシーンで、ハルがナニを入れ損なってますけど、その程度でよく奈緒とやろうとしたな……まあ、ちょっと可愛げがあって良かったけどさ。単純に緊張しているだけとも取れるけど、そもそも原作に置いてもハルは手馴れてるという指摘をよく受ける男です。それが都会での経験なのか、それとも奈緒の逆レイプによる体験だけで得られたものかは分かりませんが、私は後者の暗示だと思った。アニメのハルが都会でどういう生活を送っていたのかは不明ですが、幼少期から女子に人気があったという描写もあるぐらいです。告白をされたのも一度や二度じゃないでしょうし、その、なんですか、最近は色々早いといいますからね。原作の場合は都会での性生活及び、女性関係を否定していますけど、アニメだと果たしてどうなのか。もっとも、今までのルートにおける悠は夢の産物だから、性技の面で差があっても全然問題はないんだけどね。さすがにきつすぎるって? まあ、私もそう思うよ。
翌日、熱も下がったことで学校へ登校することにしたハルと穹。通学路で瑛や亮平、奈緒などと合流します。その際、瑛が体調のほうを穹に訊ねるわけですが、対する穹は笑顔で「うん、平気」と軽く答えます。それまでどこか鬱屈そうな表情や声音をしていた穹が、今や清々しいほどの明るさを全身から発している。ハルの表情もまた穏やかで優しげになっており、如何にもスッキリとした感じの2人がそこにはいたわけです。穹は長年の想いを果たしたわけだし、ハルもこれ以上自分の気持ちに嘘を付く必要がなくなった。互いの気持ちを確かめ合い、愛し合いながら夜を明かしたわけですし、そりゃあ精神的にも肉体的にもスッキリしているでしょう。特に穹の得意そうな顔ときたら。腕を組んだ際も、とにかく穹は嬉しさや喜びを隠そうとしないんですよね。奈緒は気付いてましたけど、彼女の場合は最初から2人の関係を疑っていましたし、倫理観や道徳観から半信半疑といった感じかな。確信を持つのは簡単だけど、常識という足枷がそれを否定しているといいますか。奈緒は原作でもそうですが、穹の気持ちというものを理解していなかった。元々、他人の気持ちに鈍感な面が奈緒にはあって、敏感すぎる瑛なんかとは事情が異なる。故にハルの本当の気持ちでさえ、実際に付き合ってからじゃないと気付くことが出来なかったわけです。
しかし、ハルと穹にとってもはや奈緒の存在など眼中にすら入っていなかった。愛は盲目とはまた違うだろうけど、今が幸せすぎる2人には他人のことなど気に止める必要もなかったんですね。それは余裕であると同時に油断でもあるんだけど、ハルと穹の場合は変わり方が急激すぎた。穹は少しでもハルと対等の存在になるために料理やなんだと頑張り始め、ハルは今まで遠回りをしてきた分の時間を埋めるため、穹の願いならなんでも聞くようになってしまった。穹がハルの為に朝食を作るというのは原作にもある話ですけど、なんだって関係を結んだ後に持ってくるのかな。2人で料理する描写もカットだし、そもそも春日野兄妹が料理できない設定になってるって言うのがね。ハルは基本的に弁当だし、穹は冷凍物をチンしただけ。朝からピザとコロッケとソーセージに、サラダとピラフにスープまで食べられるのかと思いましたけど、ちょっとずつ凄いものを作れるように頑張るという穹の健気さは良かったね。良かったけど、原作の描写やシチュエーションに比べると幾分か劣る感じがするのは否めない。
「ふふん、いい子でしょ? じゃあ、ご褒美」
家の中でキスをねだる穹は可愛いけど、まさしく人が変わったかのような可愛さを魅せつけてくるよね。ハルもそれにやられたのか、引きずられるように求めに応じてしまうわけだけど、既に溺れ始めているのが見て取れるわけです。それは人目も憚らずにイチャイチャしだしているシーンからも分かります。原作にもある流れですけど、アニメの方がより直接的だよね。相合傘での会話もそうだけど、一応それなりに人目を気にした上で、どこまでイチャつけるのかを考えているというか、穹が2人でお弁当を食べることに理由をでっち上げたのは少し驚きました。原作ではもう他のことが見えなくなってましたから、強引というよりはさも当然といった感じにハルと一緒にいますし。だから、形だけとはいえ2人で過ごすことに理由付けをしたのは意外だった。
そんなハルと穹の関係性に対して最初から違和感を抱いていたのは奈緒だけど、亮平たちもまた急に2人きりで過ごすことが多くなったことに疑問を持たないわけがありません。瑛は気にしてないようですけど、原作とキャラが違うからなにも考えていないだけかもね。もっとも敏感に反応したのは委員長ですけど、彼女の場合は先日ハルが図書室で近親婚に付いて調べていたのを知っていましたから、感付く部分があったんでしょう。原作は困惑に止めて具体的な言及は避けましたけど、アニメだと割と強気にハルを諭そうとしてきます。ベタベタしすぎという委員長の指摘は正しいですが、彼女がそこまで言うとは思わなかったというのが私の本音。亮平相手ならまだしも、ハルに対してここまで気の強い部分も見せるとは。大分、キャラが変わってしまったようだ。
でもまあ、別に委員長は間違ったことは言ってないですし、むしろ問題があるのはハルの方でしょう。行いそのものは仕方ないにしても、その言い訳がねぇ……穹のせいにしてしまうんだから。咄嗟にしては上手くだまくらかしたとは思うけど、自分たちの行いを穹のせいだけにするなよと。
ハルもさすがに動揺したのか、自宅で委員長の言葉を重く受け止めますが、穹はまったく気にしません。まさか、原作のフェラまで再現するとは思わなかったけど、その後教室のシーンはEDのあれですね。単なるギャグでしかなかったはずのEDから、これで3シーンも使われたわけだ。一度目は溺れたハルを奈緒が助けるところ。二度目は雨の降るバス停で穹と奈緒が対決し、雷が落ちるところ。そして三度目が机の下に潜り込んだ穹……では、四度目はあるのでしょうか? 例えば、湖で溺れたハルと穹を奈緒が助けるとかね。それをやったらもうアニメの穹ルートはその存在価値すらなくしてしまうけど、ここまでEDが本編に使われるとは思ってなかったので。1話が放送した段階では、あくまでギャグで作っているから深い意味はないと言っていたのに、製作中に方針が変わったのかな。
委員長の重かったはずの言葉は穹によって消し飛ばされ、ずるずるとハルは深みに嵌っていくわけだけど、止めようと思って止められるものでもなかったんでしょう。情欲と性愛のままにお互いを求め続ける2人には、もう歯止めが利かないんです。
家に帰ってすぐセックスを始める辺り、盛りのついた猫より酷いですけど、一方で委員長が動き始める。ハルが教室に忘れた携帯を届けるかどうか悩んでいたのです。この携帯を教室忘れるというアニメ独特の描写に関しては、結構深い意味があります。ハルは1話に置いても携帯を自宅に忘れ、穹に寂しい思いをさせました。学校に行っていなかった穹にとって、携帯は日中ハルと自分を繋ぐ大切なツールだったからです。では、そんな大切なモノをどうしてハルは平然と忘れたのかというと、それがもはや必要のないものだから。ハルの携帯に電話を掛けてくるのは、都会の親戚を除けば穹一人だけであり、その穹と常に一緒にいるなら、もう携帯なんてものはハルにとって必要ないんですよ。だって電話を掛ける必要も、メールをする必要もない、自分の隣に穹はいるのだから。教室での着信が電話かメールかは分かりませんが、相手は親戚でしょうか? まあ、相手なんてどうでも良いんですよ。ハルが携帯との存在を軽視したように、この場合は掛けてきた相手が誰であるかなんて問題ではない。
携帯を見つめて思い悩む委員長の前に、何故か奈緒が現れました。部活か委員会か、いずれかの理由で学校へ残っていたにせよ、どうして下級生の教室に現れるのか? たまたま通っただけにしても、少し不自然だよね。だって、ハルの教室って奈緒の教室より上にあるんだもの。その証拠に10話のとき、奈緒はお弁当を持って階段を上がってきましたから。別に下級生の教室が上の階にあることは不自然じゃないし、不自然なのはどうして奈緒がそんなところを彷徨いていたかということでしょう。
委員長は奈緒と会ったことで、携帯を奈緒に託すという選択が出来ました。なにせお隣りさんですし、自分よりも交流が深いであろう相手ですから、任せること自体に不思議はありません。では、どうして委員長はそれを選ばなかったのか? 単純な話、委員長はハルの家に行ってみたかったんですよ。憧れの人の自宅を見てみたいではなく、ハルと穹の関係、その真相を確かめるために。でなければ、携帯を前にあそこまで悩んだりはしません。着信があったとはいえ、放置しておいても別段問題はないんですから。むしろ、降って湧いたようにハルの家へ訪れるだけの理由が出来てしまったことに、委員長は迷っていたのではないかと。奈緒が自分で届けると言って預からなかった理由は分かりませんが、あるいは委員長が他にも用事があるとか、理由付けをしたのかも知れません。どちらにせよ、委員長はハルと穹の家に行きたかった。そして自分の中に渦巻く疑惑に対して、答えを出したかったのだと思います。
ハルと穹がセックスしているところに委員長が飛び込むという演出は、原作にあった穹の寒気がするほどの美しさを見事に損ねており、あまり良い描写であるとはいえません。穹がまさにイッた瞬間に扉を開けるというのも、狙っている感が強すぎてそれほどの衝撃も受けませんでしたしね。麻痺したというわけではないんだろうけど、エロが多い割にそれを上手く活かせていなかった気がする。限られた時間の中でよくまとめてあるとは思ったけど、結局は肉欲中心の内容となってしまったのがね。何度も言ってるけど、私はヨスガノソラがエロ重視で作られていることに未だ違和感を感じているから、穹ルートの良い部分を軒並み削ってオリジナル展開を挟み、尚且つエロだけしかないかのような展開には不満がある。確かに原作におけるハルが穹を避け始めるシーンなどは、アニメとしては少し単調かも知れない。エロゲは瞬間的にシーンが切り替わるからまだしも、アニメは事情が違う。けれど、そこは別ヒロインのシナリオを差し挟んで穹を放置気味にするとか、いくらでもやりようはあったはずなのだ。現にコミカライズはそうしていた。
話として面白いことが、全体的な楽しさに繋がるわけはなく、キャラクターに対する強烈な違和感など、私のアニメ版に対する評価は著しく低いです。それでもまあ、穹ルートに入って多少は観れた感じになってきたけど、だからといってアニメ版を認めることはないと思います。今までが今までだしね。手の平を返す準備はしていたけど、結局それすらも出来ないような、期待外れの作品でしたよ。
次回で最終回、長かったのか短かったのかも分からないほどあっという間でしたけど、私の予想では同時期にコミックスの2巻が出るはずなので、例えアニメがどんな結末を迎えようと、コミックスを読むことで視線をそらすことは可能です。まあ、スタッフは期待を裏切らないラストになったとか言ってますけど、今さらそんな言葉を信用する奴は一人もいないと思いますし、スタチャは自分たちが支持されていないということに気付きませんからね。あそこは昔からそういうところだし、エロ以外の部分で痛烈な批判を受けていることを、果たして分かっているのかどうか。エロにしたところで、エロいから否定されているのではなく、それをすることで原作の大事な部分を削ってしまったことが非難されているのだけど、まあ、その辺りの言い訳をハルキノソラでするのかどうか、多分次回更新であちらも最終回でしょうから。
アニメ版ヨスガノソラ 第10話「トリノソラネハ」
2010年12月6日 ヨスガノソラ遂に始まった穹ルートなんですが、予想以上に酷い内容でしたね。前回の予告から考えると信じられないほど共通ルートを引きずっていますけど、まさか、ハルと穹の関係性ではなく奈緒との恋人関係を描いてくるとは思わなかった。ハルの考えは穹からの逃避以外のなんでもないけど、個別ルートで別ヒロインとのデートシーンを見せられるなんて誰が思おうか。手の平を返す準備はしてたけど、これでは返すことも出来ないというか、穹ルートにあるべく重要な部分というのが全部削ぎ落とされてしまった感じがする。
穹シナリオのなんたるかを語るのは、まだ早いと思うので止めておきますけど、まさか日常パートを全部削って狡猾な穹によるハルの攻略作戦を描いてくるとは思わなかった。一緒に料理もしなければ、プールの授業で溺れたハルを助けることもなく、その時点でこれはヨスガノソラじゃなくなってるよね。まあ、元々アニメ版はヨスガノソラを名乗れるような作品ではないし、前の話の時点で決定的になっていたことなんだけど、それでもこの改悪は……どうなんだろう。いつもだったらとことん否定し、批判し、非難するはずなんだけど、なんかそんな気分になれない。
確かにヨスガノソラではないし、春日野穹の話としてこれを認めるわけにはいかないんだけど、逆にまったく別のものとして見てみると、意外と10話って面白い気がするのよ。穹による緻密な計算と、それに気付きつつある奈緒。間に挟まれているハルだけが、自分の気持ちに手一杯で状況を認識することが出来ていないという現実。キャラクターの関係性の組み立てと、そこから構成された話という意味では、10話は今までの話の中でも抜きんでていると思う。キャラが全員原作と別人であるからこそ、客観的な視線で見ることが出来たというか、人の思惑って言うのは絡み合うこともあれば、交わらないときもあるんだね。
ハルは穹の訴えに対し、奈緒とのデートを優先した。しかし、それは果たして穹にとっての敗北だったのだろうか? 奈緒ルートで穹を突き放したときとは明らかに違う、例えそれが嘘であっても穹と約束をしていたという罪悪感がハルにはあった。だからこそ待ち合わせに遅刻してしまうほどギリギリまで悩んでいたし、デート中も相手のことではなく穹のことを考えてしまう。穹を選ばなかったようで、実はなによりも穹を優先して動いているハルがそこにはいた。奈緒は確かに恋人だけど、彼女がこの先どうなるかは考えるまでもないでしょう。
奈緒はハルの気持ちが自分ではない相手、穹に大きく傾いていることに気付き始めていた。私は奈緒がデート中にハルの手を握り損なった時点で、このルートにおける彼女の命運が決まったんだと思った。穹のことを考えているときのハルが好きだという奈緒の言葉は、おそらく嘘ではない。けれど、妹であっても相手は違う女。嫉妬とはいかないまでも、顔を曇らせる程度には思うところもあるだろう。だから奈緒はあまりデートっぽくないことを、あくまで茶化しとしてハルに伝えた。苦笑気味に、それでもフォローすることを忘れずに。でも、そのフォローがいけなかった。奈緒は見たままのことを言っただけなのだろうが、ハルはその言葉に違和感を感じた。何故なら、穹を心配しているハルが凄く優しい顔をしているというのは、逆に言えば奈緒に対してそういった表情を見せることがないということになるのだから。
しかし、奈緒だって黙ってみている分けではなかった。10話の最初で穹に自分たちの関係性を打ち明けようとしたように、奈緒はハルとの仲を完全なものにしようと焦っている節があった。それは穹のことばかり考えているハルに対する危機感なのかも知れないし、穹に認められることで安心感のようなものを得たかったのかも知れない。どちらにせよ、奈緒が春日野家に行って料理がしたいと言いだしたのは、単なる善意からではないことが分かります。牽制しようとしたんでしょうね、ハルと穹の仲を。そして春日野家の敷居を跨ぎ、二人の間に割ってはいることで恋人としての自分を確立させたかったんではないだろうか?
結果として、そうした奈緒の目論見はすべて失敗した。穹は奈緒の一枚上手をいき、孤独感を演出することによって兄妹の、家族の強い絆をハルに再認識させることに成功した。なまじ、穹との約束を破ったという罪悪感もあり、泣いている穹の姿を見たときのハルはさぞ肝が冷えたに違いない。
そしてハルは、すぐさま奈緒を家から帰らせた。なにを相談するわけでもなく、咄嗟に適当なことを並べて、自分から玄関の扉を開けることで奈緒に帰宅を諭した。奈緒がハルや穹の真意をどこまで見抜いていたかは分からないし、あの幸せそうな表情からは気付いていない可能性も高い。けれど、ハルにはそんなことどうでもよかった。穹が一人泣いていると分かった彼は、奈緒の姿が見えなくなるとすぐさま穹の部屋へと飛び込んだ。一瞬前まで一緒にいた恋人のことなど、欠片も頭の中には残っていなかったに違いない。
穹の涙がすべて嘘だとは思えませんが、半分は演出でしょうね。穹は少なくとも、この時点では奈緒の上をいった。ハルを自分の元へ取り戻したのです。玄関に脱ぎ散らかされた靴の描写からも、ハルはどれだけ穹のことを心配し、動揺していたかが分かります。穹はハルが奈緒とデートに行っていたことを知っていた。知った上で、ハルがどのように行動し、反応するのかを試した。そして最終的に、穹は奈緒に勝ったのだ。
ハルは奈緒ではなく、穹に対して気を使った。二人で出掛けていた事実を伏せたのだ。当然、穹はその事実を知っているわけだが、驚いたのは奈緒だろう。彼女の場合、そもそもハルが自分とのデートを穹に黙っていたことを知らないのだから。故に穹はここで大きな行動に出た。自分とハルの空間から、奈緒を排除したのだ。恋人ではなく妹の自分を優先したハルであれば、押し切れることを穹は確信していた。
このときの勝ち誇った穹の表情が堪らないね。奈緒はあくまで大人の対応で流そうとするけど、さすがに形勢が不利になりつつあることに気付いたのか弱音を吐いていた。ハルはそれをフォローするけど、その言葉には説得力の欠片もないのだった。
穹の自慰に関しては規制が多すぎたのでなんとも言えません。ハルの涙は原作と同じ理由なんだろうけど、説明が不足しているせいかアニメだと唐突感があった。穹への想いを自覚した上で、この先どうなるのか……来週が楽しみですね。いや、いい話だったよ。一欠片だってヨスガノソラではないけど。
穹シナリオのなんたるかを語るのは、まだ早いと思うので止めておきますけど、まさか日常パートを全部削って狡猾な穹によるハルの攻略作戦を描いてくるとは思わなかった。一緒に料理もしなければ、プールの授業で溺れたハルを助けることもなく、その時点でこれはヨスガノソラじゃなくなってるよね。まあ、元々アニメ版はヨスガノソラを名乗れるような作品ではないし、前の話の時点で決定的になっていたことなんだけど、それでもこの改悪は……どうなんだろう。いつもだったらとことん否定し、批判し、非難するはずなんだけど、なんかそんな気分になれない。
確かにヨスガノソラではないし、春日野穹の話としてこれを認めるわけにはいかないんだけど、逆にまったく別のものとして見てみると、意外と10話って面白い気がするのよ。穹による緻密な計算と、それに気付きつつある奈緒。間に挟まれているハルだけが、自分の気持ちに手一杯で状況を認識することが出来ていないという現実。キャラクターの関係性の組み立てと、そこから構成された話という意味では、10話は今までの話の中でも抜きんでていると思う。キャラが全員原作と別人であるからこそ、客観的な視線で見ることが出来たというか、人の思惑って言うのは絡み合うこともあれば、交わらないときもあるんだね。
ハルは穹の訴えに対し、奈緒とのデートを優先した。しかし、それは果たして穹にとっての敗北だったのだろうか? 奈緒ルートで穹を突き放したときとは明らかに違う、例えそれが嘘であっても穹と約束をしていたという罪悪感がハルにはあった。だからこそ待ち合わせに遅刻してしまうほどギリギリまで悩んでいたし、デート中も相手のことではなく穹のことを考えてしまう。穹を選ばなかったようで、実はなによりも穹を優先して動いているハルがそこにはいた。奈緒は確かに恋人だけど、彼女がこの先どうなるかは考えるまでもないでしょう。
奈緒はハルの気持ちが自分ではない相手、穹に大きく傾いていることに気付き始めていた。私は奈緒がデート中にハルの手を握り損なった時点で、このルートにおける彼女の命運が決まったんだと思った。穹のことを考えているときのハルが好きだという奈緒の言葉は、おそらく嘘ではない。けれど、妹であっても相手は違う女。嫉妬とはいかないまでも、顔を曇らせる程度には思うところもあるだろう。だから奈緒はあまりデートっぽくないことを、あくまで茶化しとしてハルに伝えた。苦笑気味に、それでもフォローすることを忘れずに。でも、そのフォローがいけなかった。奈緒は見たままのことを言っただけなのだろうが、ハルはその言葉に違和感を感じた。何故なら、穹を心配しているハルが凄く優しい顔をしているというのは、逆に言えば奈緒に対してそういった表情を見せることがないということになるのだから。
しかし、奈緒だって黙ってみている分けではなかった。10話の最初で穹に自分たちの関係性を打ち明けようとしたように、奈緒はハルとの仲を完全なものにしようと焦っている節があった。それは穹のことばかり考えているハルに対する危機感なのかも知れないし、穹に認められることで安心感のようなものを得たかったのかも知れない。どちらにせよ、奈緒が春日野家に行って料理がしたいと言いだしたのは、単なる善意からではないことが分かります。牽制しようとしたんでしょうね、ハルと穹の仲を。そして春日野家の敷居を跨ぎ、二人の間に割ってはいることで恋人としての自分を確立させたかったんではないだろうか?
結果として、そうした奈緒の目論見はすべて失敗した。穹は奈緒の一枚上手をいき、孤独感を演出することによって兄妹の、家族の強い絆をハルに再認識させることに成功した。なまじ、穹との約束を破ったという罪悪感もあり、泣いている穹の姿を見たときのハルはさぞ肝が冷えたに違いない。
そしてハルは、すぐさま奈緒を家から帰らせた。なにを相談するわけでもなく、咄嗟に適当なことを並べて、自分から玄関の扉を開けることで奈緒に帰宅を諭した。奈緒がハルや穹の真意をどこまで見抜いていたかは分からないし、あの幸せそうな表情からは気付いていない可能性も高い。けれど、ハルにはそんなことどうでもよかった。穹が一人泣いていると分かった彼は、奈緒の姿が見えなくなるとすぐさま穹の部屋へと飛び込んだ。一瞬前まで一緒にいた恋人のことなど、欠片も頭の中には残っていなかったに違いない。
穹の涙がすべて嘘だとは思えませんが、半分は演出でしょうね。穹は少なくとも、この時点では奈緒の上をいった。ハルを自分の元へ取り戻したのです。玄関に脱ぎ散らかされた靴の描写からも、ハルはどれだけ穹のことを心配し、動揺していたかが分かります。穹はハルが奈緒とデートに行っていたことを知っていた。知った上で、ハルがどのように行動し、反応するのかを試した。そして最終的に、穹は奈緒に勝ったのだ。
ハルは奈緒ではなく、穹に対して気を使った。二人で出掛けていた事実を伏せたのだ。当然、穹はその事実を知っているわけだが、驚いたのは奈緒だろう。彼女の場合、そもそもハルが自分とのデートを穹に黙っていたことを知らないのだから。故に穹はここで大きな行動に出た。自分とハルの空間から、奈緒を排除したのだ。恋人ではなく妹の自分を優先したハルであれば、押し切れることを穹は確信していた。
このときの勝ち誇った穹の表情が堪らないね。奈緒はあくまで大人の対応で流そうとするけど、さすがに形勢が不利になりつつあることに気付いたのか弱音を吐いていた。ハルはそれをフォローするけど、その言葉には説得力の欠片もないのだった。
穹の自慰に関しては規制が多すぎたのでなんとも言えません。ハルの涙は原作と同じ理由なんだろうけど、説明が不足しているせいかアニメだと唐突感があった。穹への想いを自覚した上で、この先どうなるのか……来週が楽しみですね。いや、いい話だったよ。一欠片だってヨスガノソラではないけど。
今月の雑誌は3誌ともヨスガノソラの情報が載っていたわけですが、ピンナップ含めてあんまり質がいいとは言えませんでした。まあ、基本的にヨスガのアニメは情報の先出しをしないので、記事としてのボリュームに掛けるのは毎度のことなんですが、さすがにクライマックス間近と言うこともあって最終回までのサブタイトルぐらいは出してきましたね。ヨスガノソラを使わなかったのは個人的に意外だったけど、まあ、今となっては使ってくれない方が良かったのかも知れない。というより、穹ルートでそのタイトルを使うことを、意図的に避けたんじゃないかな。理由はまあ、色々あるでしょうけど。
全体的にピンナップも面白味がないというか、これに関しては趣味や好みもあるんだろうけど、娘TYPEは微妙だったね。電撃G’sほど酷くはないけど、よりにもよって穹と奈緒って。絵柄的には9話で描かれなかったシーン、奈緒が穹の浴衣の着付けをしているところなんですが、なんというか見ているだけで腹が立ってくるねw 私は9話は悪くなかったとは思うけど、別に好きというわけでもないし、そんなに評価もしていないので。なんていうか、奈緒がしたり顔で穹を見上げているのが気に食わない。というか、穹に触れるな。まあ、それでも電撃G’sよりはマシなんだけど。
記事は1ページのカラー記事があるだけで、内容はBDが出る渚さんシナリオのカットと、穹の1~2話のカットが少々。ダメイドも少々ありましたけど、全体的に情報と呼べるものはなにもなく、ただカットを並べただけの代物。当然、描き下ろしもなければ新規絵も存在しません。精々、裏表紙の新しいキービジュアルが載っていたのが、目新しさを誘ったぐらいでしょうか? しかし、これはキービジュアルじゃなくてBDのパケだったと言うんだから驚きだよ。あんまりキャラの表情もよくないというか、特にハルと瑛が宜しくない。ハルの立ち位置や角度、表情は非常に悪い感じがします。色々な意味でね。ちなみにピンナップの原画家は杉山了蔵さんで、過去にコンプティークの記事描いてた人ですね。あれはちょっと微妙だった記憶がある。
メガミマガジンのピンナップは川島勝さんで、この人が原画家やるの初めてだったかな? スタチャアニメではなじみ深い作画監督の一人ですが、私は汁気の多い絵柄というのはどうも苦手でね。瑛と渚さんに興味ないわけじゃないし、表情とかもなかなか良いと思うんだけど、なんかベタつきそうじゃないですか。ローションプレイとか好きじゃないんだよね。記事に関してはカラーで2ページありましたけど、基本的にはこれまでのヒロインをお復習いする感じで、まあ、エロいカットが沢山ありますね。正直、奈緒の書かれかたが納得いかないので、なんとも言いがたい。7話なんて、ただの奈緒ルートではないか。共通ルートとか、もう分けが分かんないよ。一応、図解としてルート分岐を表したわけだけど、お世辞にも分かりやすいとは言えないよね。なんていうかこう……穹の扱いがなぁ、ホント。なんていうか、エロゲの構成と言うよりエロアニメの構成に近いというのがありありと伝わって来るというか、今更ながらそれを再認識してしまう記事だった。
電撃G’smagazineはカラーの2ページ記事で、ゲーム雑誌にお馴染みの描き下ろし絵の上に文章書くって言うあれだったんだけど、原画家は藤井結と私好みだったんですよ。確かに下着姿の穹は表情共に最高だったんだけど……お邪魔虫が着いていてねぇ。いや、下着姿の奈緒とかいらないじゃん。どういうシチュエーションだよ、これは。浴衣の着付けしてるだけでも嫌だったのに、奈緒が穹の太ももに腕を回して、あまつさえ股間に指先を偲ばせるなんて合って良いはずがない。今すぐ離れろ、この淫乱売女が! 確かに瑛と渚さんはコンビでも良いけど、だからっと穹と奈緒をセットにするのは短絡過ぎる。せめて、委員長にしてくれよと。穹は最高だっただけに、とても残念な絵だった。
しかし、愛されているのはどっち?とは重い言葉だね。まあ、奈緒ルートを規準に書かれた記事だから仕方ないにしても、発売した時点で奈緒ルートは終わっており、悠がどちらを愛したのかは、決定的となっているわけだからね。正直、空気の読めない記事内容だったような気はしないでもない。
本当に今月号は電撃G’sが惜しかった。奈緒を削除して、記事の全体を来たるべきメインシナリオである穹ルートで構成していれば、かつてないほど良いものになったに違いない。しかし、それが出来ないのもヨスガノソラらしいと言えばらしいのかな。私はハルと穹だけ見ていれば幸せな人だから、他のヒロインにあまり関心を示せないけど、それにしたって奈緒のピンナップとか描き下ろしになんの意味があるのか分からない。割と大真面目に。まあ、どこか不満の残る月末美少女アニメ誌及びゲーム誌でした。
全体的にピンナップも面白味がないというか、これに関しては趣味や好みもあるんだろうけど、娘TYPEは微妙だったね。電撃G’sほど酷くはないけど、よりにもよって穹と奈緒って。絵柄的には9話で描かれなかったシーン、奈緒が穹の浴衣の着付けをしているところなんですが、なんというか見ているだけで腹が立ってくるねw 私は9話は悪くなかったとは思うけど、別に好きというわけでもないし、そんなに評価もしていないので。なんていうか、奈緒がしたり顔で穹を見上げているのが気に食わない。というか、穹に触れるな。まあ、それでも電撃G’sよりはマシなんだけど。
記事は1ページのカラー記事があるだけで、内容はBDが出る渚さんシナリオのカットと、穹の1~2話のカットが少々。ダメイドも少々ありましたけど、全体的に情報と呼べるものはなにもなく、ただカットを並べただけの代物。当然、描き下ろしもなければ新規絵も存在しません。精々、裏表紙の新しいキービジュアルが載っていたのが、目新しさを誘ったぐらいでしょうか? しかし、これはキービジュアルじゃなくてBDのパケだったと言うんだから驚きだよ。あんまりキャラの表情もよくないというか、特にハルと瑛が宜しくない。ハルの立ち位置や角度、表情は非常に悪い感じがします。色々な意味でね。ちなみにピンナップの原画家は杉山了蔵さんで、過去にコンプティークの記事描いてた人ですね。あれはちょっと微妙だった記憶がある。
メガミマガジンのピンナップは川島勝さんで、この人が原画家やるの初めてだったかな? スタチャアニメではなじみ深い作画監督の一人ですが、私は汁気の多い絵柄というのはどうも苦手でね。瑛と渚さんに興味ないわけじゃないし、表情とかもなかなか良いと思うんだけど、なんかベタつきそうじゃないですか。ローションプレイとか好きじゃないんだよね。記事に関してはカラーで2ページありましたけど、基本的にはこれまでのヒロインをお復習いする感じで、まあ、エロいカットが沢山ありますね。正直、奈緒の書かれかたが納得いかないので、なんとも言いがたい。7話なんて、ただの奈緒ルートではないか。共通ルートとか、もう分けが分かんないよ。一応、図解としてルート分岐を表したわけだけど、お世辞にも分かりやすいとは言えないよね。なんていうかこう……穹の扱いがなぁ、ホント。なんていうか、エロゲの構成と言うよりエロアニメの構成に近いというのがありありと伝わって来るというか、今更ながらそれを再認識してしまう記事だった。
電撃G’smagazineはカラーの2ページ記事で、ゲーム雑誌にお馴染みの描き下ろし絵の上に文章書くって言うあれだったんだけど、原画家は藤井結と私好みだったんですよ。確かに下着姿の穹は表情共に最高だったんだけど……お邪魔虫が着いていてねぇ。いや、下着姿の奈緒とかいらないじゃん。どういうシチュエーションだよ、これは。浴衣の着付けしてるだけでも嫌だったのに、奈緒が穹の太ももに腕を回して、あまつさえ股間に指先を偲ばせるなんて合って良いはずがない。今すぐ離れろ、この淫乱売女が! 確かに瑛と渚さんはコンビでも良いけど、だからっと穹と奈緒をセットにするのは短絡過ぎる。せめて、委員長にしてくれよと。穹は最高だっただけに、とても残念な絵だった。
しかし、愛されているのはどっち?とは重い言葉だね。まあ、奈緒ルートを規準に書かれた記事だから仕方ないにしても、発売した時点で奈緒ルートは終わっており、悠がどちらを愛したのかは、決定的となっているわけだからね。正直、空気の読めない記事内容だったような気はしないでもない。
本当に今月号は電撃G’sが惜しかった。奈緒を削除して、記事の全体を来たるべきメインシナリオである穹ルートで構成していれば、かつてないほど良いものになったに違いない。しかし、それが出来ないのもヨスガノソラらしいと言えばらしいのかな。私はハルと穹だけ見ていれば幸せな人だから、他のヒロインにあまり関心を示せないけど、それにしたって奈緒のピンナップとか描き下ろしになんの意味があるのか分からない。割と大真面目に。まあ、どこか不満の残る月末美少女アニメ誌及びゲーム誌でした。
アニメ版ヨスガノソラ 第9話「ハルカナオモイ」
2010年11月29日 ヨスガノソラ全体的に酷いとしか言いようのない奈緒ルートは終わったわけですが、私なりの解釈として一連の話は如何に春日野悠という主人公を屑にするかという意図があったんじゃないかと思う。結局、9話において悠はなにも出来なかった。穹を置いて海に行ったり、穹に選べと言われたときそれを無視した。前回の日記でも書いたけど、そのしっぺ返しを悠は食らったんですよ。自分が穹に対してなにをしたのか、あそこまで直接的な行動をされるまで気付かなかったし、考えようともしなかった。
だからこそ、悠に穹を見つけることは出来なかったわけです。
何故、ハルを屑化させたのかは色々な仮説を立てることが出来ますけど、8話におけるアルバムのシーンなどを見ても分かるように奈緒ルートの悠は女子から好かれる、所謂リア充タイプであることをかなり強調されています。実際にハルはモテますけど、過去まで遡ってそれを印象づけたのには必ず意味があり、悠の女性に対する貞操観念や性に対する奔放さを描くためではなかったのだろうか? 悠が女子の胸チラだパンチラだに赤くなるのは毎週のお約束みたいなものですが、奈緒に対してはそれが顕著すぎた。なにせ、奈緒に関しては逆レイプが一番強烈な印象として残っているため、つい肉体的なものを意識しがちになってしまう。ハルの都会における女性関係がどうだったのかは知りませんが、奈緒ルートの悠に関して言えば、かなり手慣れた感じがするのも事実。
つまり、奈緒ルートの悠は雄の本能でとにかく奈緒の身体を求めていたのではないか、という仮説が立てられる。いや、仮説もなにもそれが真実でしょう。穹に見られてもセックスを止めなかったり、今回の最後でまたヤっているところ見ると、あの悠は性欲の塊でしかない。
では、どうしてそのようにしたのか? 私は奈緒が穹のことで悠を責めるのは筋違いだと思いますし、奈緒が穹を見つけて和解する展開にそれほど意味はないと考えています。実にくだらないし、奈緒はまともに反論の一つも出来ませんでしたからね。穹のハルは変わってしまった発言は、1話から考えれば妥当なものですし、実際にハルは悠となり穹に対する配慮すらしなくなってしまった。要するに屑野郎になったわけですよ。穹を失いたくないと思ったから奥木染を選んだのに、自分から穹の真正面からの訴えを避けてしまった。向き合おうとしなかった。だから罰を受けた。
奈緒と穹が和解することに意義があったのではなく、上記にも書いたとおり悠が穹を見つけることは出来なかったことに、この場合大きな意味があるのです。穹のことを見ようとしなかった悠に、向き合おうことを拒否して奈緒との性愛に逃げた奴に、穹を見つけられるはずがないのだから。
予告に関しては、まあ、そうするしかなかったんだろうなと思う。私は当然のことだと感じているけど、すべてを夢としてなかったことにすることは、穹ルートを始める上で最低条件だったんじゃないかと。それは単に私のようにうるさい奴がいるからという理由だけじゃなくて、あれだけ1話からハル×穹を押しておいて、OPや本編EDもハルと穹一色なのに、穹を他ヒロインと同列、同格に置くことは明らかにおかしいもの。ロードすることを穹なりに表現したか、もしくは妄言だろうという意見もあるだろうけど、私はそうは思わない。
アニメの公式サイトによると、穹のBDにはツミナオトメラ(放送第7話)/BGM春日野穹Ver.&O.A Ver.収録とあります。渚さんや瑛のときと同じく、BGMを穹仕様にしただけのものが収録されるらしい。9話がどこまで戻るのかは知りませんが、あの7話を修正もせずに収録するというのなら、こちらも黙っているわけにはいかないでしょう。ハルキノソラ辺りで説明されるとは思いますが、いくらなんでもあれはない。
奈緒ルートを総括すると、私の評価は深海よりも底という感じなんですかね。穹の夏コミテレカ使用の浴衣姿見れたのと、髪を下ろした委員長の浴衣姿を見れたのが、唯一良かったところでしょうか。しかし、そんな2人の素晴らしさも、祭り会場の隅でセックスはじめた悠と奈緒でぶち壊し。いや、明らかにいらないシーンでしょ。なに? 話の最後にはエロシーン入れないといけない決まりでもあるの? 悠は結局このルートでなにもしませんでした。穹のことを突き放し続け、追い込んで、気付いたら奈緒と和解をしていたというだけのこと。主人公として、彼はなにもしなかった。そんな悠とハルの対比が、穹ルートで行われるんじゃないかと私は思っているんですけどね。
まあ、本音いうと奈緒に雷が落ちればよかったのにとか、バス停と一緒に燃え尽きてしまえとか思ってたけど、アニメスタッフは側撃雷というものを知らないんだろうか。あの距離で雷が落ちたら、直撃雷でなくとも放電で死んでしまうだろうに。後、完全にネタだと言っていたEDの映像とリンクしたのは意外だった。殴り合いはしなかったけど、まあ、奈緒ルートなんてこの程度で良いんでしょう。
来週からやっと本編に戻るわけですが、夢に8話も使うなよと思わないでもない。しかし、私は嬉しいけど、他のヒロインのファンには堪ったもんじゃないんだろうな。なにせ、すべて夢オチにされてしまったんだから。まあ、そういう人たちには申し訳ないけど、私はいくらか元気を取り戻すことが出来たので、今のうちに冬コミ作業を進めようと思います。
だからこそ、悠に穹を見つけることは出来なかったわけです。
何故、ハルを屑化させたのかは色々な仮説を立てることが出来ますけど、8話におけるアルバムのシーンなどを見ても分かるように奈緒ルートの悠は女子から好かれる、所謂リア充タイプであることをかなり強調されています。実際にハルはモテますけど、過去まで遡ってそれを印象づけたのには必ず意味があり、悠の女性に対する貞操観念や性に対する奔放さを描くためではなかったのだろうか? 悠が女子の胸チラだパンチラだに赤くなるのは毎週のお約束みたいなものですが、奈緒に対してはそれが顕著すぎた。なにせ、奈緒に関しては逆レイプが一番強烈な印象として残っているため、つい肉体的なものを意識しがちになってしまう。ハルの都会における女性関係がどうだったのかは知りませんが、奈緒ルートの悠に関して言えば、かなり手慣れた感じがするのも事実。
つまり、奈緒ルートの悠は雄の本能でとにかく奈緒の身体を求めていたのではないか、という仮説が立てられる。いや、仮説もなにもそれが真実でしょう。穹に見られてもセックスを止めなかったり、今回の最後でまたヤっているところ見ると、あの悠は性欲の塊でしかない。
では、どうしてそのようにしたのか? 私は奈緒が穹のことで悠を責めるのは筋違いだと思いますし、奈緒が穹を見つけて和解する展開にそれほど意味はないと考えています。実にくだらないし、奈緒はまともに反論の一つも出来ませんでしたからね。穹のハルは変わってしまった発言は、1話から考えれば妥当なものですし、実際にハルは悠となり穹に対する配慮すらしなくなってしまった。要するに屑野郎になったわけですよ。穹を失いたくないと思ったから奥木染を選んだのに、自分から穹の真正面からの訴えを避けてしまった。向き合おうとしなかった。だから罰を受けた。
奈緒と穹が和解することに意義があったのではなく、上記にも書いたとおり悠が穹を見つけることは出来なかったことに、この場合大きな意味があるのです。穹のことを見ようとしなかった悠に、向き合おうことを拒否して奈緒との性愛に逃げた奴に、穹を見つけられるはずがないのだから。
予告に関しては、まあ、そうするしかなかったんだろうなと思う。私は当然のことだと感じているけど、すべてを夢としてなかったことにすることは、穹ルートを始める上で最低条件だったんじゃないかと。それは単に私のようにうるさい奴がいるからという理由だけじゃなくて、あれだけ1話からハル×穹を押しておいて、OPや本編EDもハルと穹一色なのに、穹を他ヒロインと同列、同格に置くことは明らかにおかしいもの。ロードすることを穹なりに表現したか、もしくは妄言だろうという意見もあるだろうけど、私はそうは思わない。
今までのことは全部夢。ハルの迷いが見せた夢。だから、奈緒とのことも泡沫と消える……。私のことだけ見ててハル。幸せにしてあげる。この夢という表現だが、私はこれが本当の意味で夢オチなのではいかと考えます。というのも、1話を思い出せば判ることですが、ハルは1話において穹と自分がキスをする光景を妄想しました。別にハルが妄想癖を持っているとは言いませんが、これがある以上はハルの夢だったですべてを済ませることも不可能ではないのです。それに予告映像を見るかぎり、何故だか分かりませんが採寸シーンからの再開するらしいですし、夜、寝入っていたハルが、穹によって夢から目覚めるということも十分にありえるわけで。けど、採寸シーンを遣るのは良いんだけど、そこまで戻ると7話の存在が意味不明になるからなぁ。回想で挟むのか、そもそも7話を制作側はどうするつもりなのか?
アニメの公式サイトによると、穹のBDにはツミナオトメラ(放送第7話)/BGM春日野穹Ver.&O.A Ver.収録とあります。渚さんや瑛のときと同じく、BGMを穹仕様にしただけのものが収録されるらしい。9話がどこまで戻るのかは知りませんが、あの7話を修正もせずに収録するというのなら、こちらも黙っているわけにはいかないでしょう。ハルキノソラ辺りで説明されるとは思いますが、いくらなんでもあれはない。
奈緒ルートを総括すると、私の評価は深海よりも底という感じなんですかね。穹の夏コミテレカ使用の浴衣姿見れたのと、髪を下ろした委員長の浴衣姿を見れたのが、唯一良かったところでしょうか。しかし、そんな2人の素晴らしさも、祭り会場の隅でセックスはじめた悠と奈緒でぶち壊し。いや、明らかにいらないシーンでしょ。なに? 話の最後にはエロシーン入れないといけない決まりでもあるの? 悠は結局このルートでなにもしませんでした。穹のことを突き放し続け、追い込んで、気付いたら奈緒と和解をしていたというだけのこと。主人公として、彼はなにもしなかった。そんな悠とハルの対比が、穹ルートで行われるんじゃないかと私は思っているんですけどね。
まあ、本音いうと奈緒に雷が落ちればよかったのにとか、バス停と一緒に燃え尽きてしまえとか思ってたけど、アニメスタッフは側撃雷というものを知らないんだろうか。あの距離で雷が落ちたら、直撃雷でなくとも放電で死んでしまうだろうに。後、完全にネタだと言っていたEDの映像とリンクしたのは意外だった。殴り合いはしなかったけど、まあ、奈緒ルートなんてこの程度で良いんでしょう。
来週からやっと本編に戻るわけですが、夢に8話も使うなよと思わないでもない。しかし、私は嬉しいけど、他のヒロインのファンには堪ったもんじゃないんだろうな。なにせ、すべて夢オチにされてしまったんだから。まあ、そういう人たちには申し訳ないけど、私はいくらか元気を取り戻すことが出来たので、今のうちに冬コミ作業を進めようと思います。
ぱにぽに 15 初回限定特装版 (SEコミックスプレミアム)
2010年11月28日 アニメ・マンガ
ぱにぽには8巻ぐらいまでがピークだったんじゃないかと思う。ここ数巻は特に酷いというか、なにがなんだかサッパリ判らない。楽しさや面白さを一切放棄した、気怠さとも言うべき展開の数々。オチがない漫画は珍しくないとはいえ、全編に渡ってそれをやる1ページ漫画ってどうなんだろう。それとも私の読解力が足りないだけで、世間一般には素晴らしい作品なんだろうか。どうみてもキャラ萌え以上の魅力がなくなってしまった気がするんだけど。特典のドラマCDも、なんでアニメ版のキャストなの? 出版社違うけど、まろまゆのときはくるみの声とかちゃんと戻したのに。
最初にあった寿司屋の話以外、本当に良く分からなかったというか、誰か説明と解説をしてくれないだろうか。いや、意味は分かるんだけど漫画としての笑いどころが分からないというか、本当に氷川へきるの絵を楽しむだけの作品になってしまった。確かに六号さんとか可愛いし、ベホイミも良い味出してるとは思ったけど……くるみ? あの髪型は似合わないような。全学年出してるからキャラも多くなってきたし、なんて言うか作品として飽和状態なのかも知れないね。8巻がピークとは書いたけど、後はもう作者がなにをしたいのかすら伝わりにくくなってしまったのではないかと。それが段々と崩れてきたものなのか、何巻かを境目に突然そうなったのかは読み直せば分かると思うけど、私は後者のような気がしないでもない。ある時期を境に、急に作風というか物語が破綻した気がする。作画もなんか凄い変化したしね。柏木姉妹とか見ていると凄く顕著に現れていると思う。
まあ、否定的に書いてはいますけど、買わない理由にはならないんだよね。ぱにぽに自体は好きな作品だし、ドラマCDも良く聴きました。アニメ版は独特な演出や声優の変更もあって微妙なんですけど、なんとかこう持ち直してくれないだろうか。パラレル編でシリアスな部分を見せたのは良いけど、カールでしたっけ? ギャグにしたってあの辺りは面白くもなんともないような気がする。長年の伏線に対する投げやり感というか、投げっぱなし過ぎるのではないかと。ぱにぽになんてこんなものだと言われればそれまでだし、まともさや真面目さを求めることに意味なんてないけど、初期や中期に比べると話の動きがなくなってしまった。キャラはこれ以上増やしようがないし、かといって話を進めるための鍵は自分で潰してしまいしたからねぇ。
追記します。
最初にあった寿司屋の話以外、本当に良く分からなかったというか、誰か説明と解説をしてくれないだろうか。いや、意味は分かるんだけど漫画としての笑いどころが分からないというか、本当に氷川へきるの絵を楽しむだけの作品になってしまった。確かに六号さんとか可愛いし、ベホイミも良い味出してるとは思ったけど……くるみ? あの髪型は似合わないような。全学年出してるからキャラも多くなってきたし、なんて言うか作品として飽和状態なのかも知れないね。8巻がピークとは書いたけど、後はもう作者がなにをしたいのかすら伝わりにくくなってしまったのではないかと。それが段々と崩れてきたものなのか、何巻かを境目に突然そうなったのかは読み直せば分かると思うけど、私は後者のような気がしないでもない。ある時期を境に、急に作風というか物語が破綻した気がする。作画もなんか凄い変化したしね。柏木姉妹とか見ていると凄く顕著に現れていると思う。
まあ、否定的に書いてはいますけど、買わない理由にはならないんだよね。ぱにぽに自体は好きな作品だし、ドラマCDも良く聴きました。アニメ版は独特な演出や声優の変更もあって微妙なんですけど、なんとかこう持ち直してくれないだろうか。パラレル編でシリアスな部分を見せたのは良いけど、カールでしたっけ? ギャグにしたってあの辺りは面白くもなんともないような気がする。長年の伏線に対する投げやり感というか、投げっぱなし過ぎるのではないかと。ぱにぽになんてこんなものだと言われればそれまでだし、まともさや真面目さを求めることに意味なんてないけど、初期や中期に比べると話の動きがなくなってしまった。キャラはこれ以上増やしようがないし、かといって話を進めるための鍵は自分で潰してしまいしたからねぇ。
追記します。
FMおだわらにて生放送されたアニラジ、ウタかたを聴きました。今日日珍しくなったコミュニティFMでのアニソン番組で、パーソナリティはアニメ版ヨスガノソラの挿入歌などでもお馴染みの天乙准花さん。実は、ラジオでこの人の声を聴くのは初めてだったりします。私が住んでいる横浜市ではあいにくFMおだわらの電波を受信することは出来ないのですが、サイマルラジオに加盟していることもあってネットで聴くことが出来ました。いや、便利なの世の中になったものだ。
サイマルラジオってのは要するにradikoのFM版みたいなもんで、加盟しているコミュニティFMの番組に限りネットで聴取が可能となるサービスです。元々は出力電波が弱いFMの欠点のカバーするために開始されたんですが、システム的な問題もあってradikoほどクリアな音質というわけではなく、ネットラジオにしては珍しい雑音混じりの放送になっています。特に番組聴いてる最中も感じたんだけど、パーソナリティの叫び声などが聴き取りづらく、そういった意味ではアニソン番組を放送するために適しているとは言い難いかも知れない。まあ、これに関しては24kで音声流しているFMおだわらにも責任があるはずなので、次回放送時には改善されていることを期待します。
番組の方は普通に面白かったですよ。少々、ノリやテンション任せなところも感じましたけど、昔ながらのアニラジって感じがしましたし。天乙准花の地声は私が想像していたより落ち着いた感じで、カッコイイ系だったんだけど、本人曰く歌声と変わらないと言われることがあるらしく、それを気にしてるんだとか。言われてみれば、エアーマン歌っているときの声と同じ感じはするね。それなりに場慣れしているというか、生放送に対する気後れがないのはニコ生における経験があるからでしょうか? 私はニコ生というものを聴いたことがないのでよく分かりませんけど、思っていた以上にちゃんとした番組だった。
けれど、生放送という点を差し引いいても放送事故が多かったかな。曲が流れなかったり、別の曲を流してしまったり、FMおだわらの規模がどれぐらいかは分かりませんけど、細々としたミスや失敗が目立っていたような気もする。Twitterを見る限り、下準備あまりが万全じゃなかったみたいだね。まあ、第2回までの課題ということで。レギュラー化含めた話し合いもたれているようだし。
Twitter上で前々から告知していたこともあって、私もリクエストとか送ったんですけどね。スタッフ側も受け取った云々言ってたし、感触良さそうだったんで採用されるかな、と思ったんだけど、放送中に送ったの含めてリクエスト曲が流れることはありませんでした。番組的にノリのイイ曲が中心だったのと、私のリクエストがカバー曲だったのが原因かな。だって、最近のアニソンと言われて思いついたのがそれしかなかったんだもん。一応、TwitterでもミルキィのOPを投げといたんだけど、そういやこれも駄目だったな。Twitter、事前メール、放送中メールと全部駄目だったわけか……全滅だとさすがに沈むな。投稿リスナーってのはやっぱり投稿が採用されることに意味があると思うのですよ。まあ、リクエストが採用されなかった事自体は私の方に責任があるので、精進していくしかありませんね。
ただ、意外なことにスタッフ側のイチオシと思われたけいおんの曲がなにも流れなかった。というか、ツナグキズナはともかくとして、最近のアニソンとして流れた中で印象深かったのがイカ娘ぐらいしかなかったような。ひだまりや化物語はちょっと前だし。あれ、そう考えると本当に秋アニメはヨスガとイカ娘しか流れてないのか? 最近の曲というのが放送中ないし前期ぐらいまでのアニメと考えていた私って。
私はリクエスト曲こそ流れなかったけど、投稿自体はテーマメールに出したのが採用されました。俺得No.1アニソンということで、これまた最近の楽曲から選んでみたんだけど、私は牧野由依ではスケッチブックを持ったままが一番好きです。番組EDにウンディーネが流れたけど、あの流れでどうしてウンディーネにいってしまったんだろう。まあ、スケブはラジオのEDって感じじゃないけどさ。
しかし、Twitterで何気なく呟いた私の冬コミ参加情報を拾ってもらえるとは思わなかった。でも、考えて見れば天乙准花さんは同人の出身だし、自身も未だにコミケとか参加される方だから、そういう方面に抵抗というのがないんでしょうね。なんか、スペースの方に来るみたいなこと言ってたけど、本当に来たらどうしよう。相手も同人やってる人だと、冗談ですまない場合があるから怖いよね。まあ、そのときは新刊でも渡すけど、ラジオでサークル名まで紹介されちゃったし、これは絶対に本を落とせなくなった。
サイマルラジオってのは要するにradikoのFM版みたいなもんで、加盟しているコミュニティFMの番組に限りネットで聴取が可能となるサービスです。元々は出力電波が弱いFMの欠点のカバーするために開始されたんですが、システム的な問題もあってradikoほどクリアな音質というわけではなく、ネットラジオにしては珍しい雑音混じりの放送になっています。特に番組聴いてる最中も感じたんだけど、パーソナリティの叫び声などが聴き取りづらく、そういった意味ではアニソン番組を放送するために適しているとは言い難いかも知れない。まあ、これに関しては24kで音声流しているFMおだわらにも責任があるはずなので、次回放送時には改善されていることを期待します。
番組の方は普通に面白かったですよ。少々、ノリやテンション任せなところも感じましたけど、昔ながらのアニラジって感じがしましたし。天乙准花の地声は私が想像していたより落ち着いた感じで、カッコイイ系だったんだけど、本人曰く歌声と変わらないと言われることがあるらしく、それを気にしてるんだとか。言われてみれば、エアーマン歌っているときの声と同じ感じはするね。それなりに場慣れしているというか、生放送に対する気後れがないのはニコ生における経験があるからでしょうか? 私はニコ生というものを聴いたことがないのでよく分かりませんけど、思っていた以上にちゃんとした番組だった。
けれど、生放送という点を差し引いいても放送事故が多かったかな。曲が流れなかったり、別の曲を流してしまったり、FMおだわらの規模がどれぐらいかは分かりませんけど、細々としたミスや失敗が目立っていたような気もする。Twitterを見る限り、下準備あまりが万全じゃなかったみたいだね。まあ、第2回までの課題ということで。レギュラー化含めた話し合いもたれているようだし。
Twitter上で前々から告知していたこともあって、私もリクエストとか送ったんですけどね。スタッフ側も受け取った云々言ってたし、感触良さそうだったんで採用されるかな、と思ったんだけど、放送中に送ったの含めてリクエスト曲が流れることはありませんでした。番組的にノリのイイ曲が中心だったのと、私のリクエストがカバー曲だったのが原因かな。だって、最近のアニソンと言われて思いついたのがそれしかなかったんだもん。一応、TwitterでもミルキィのOPを投げといたんだけど、そういやこれも駄目だったな。Twitter、事前メール、放送中メールと全部駄目だったわけか……全滅だとさすがに沈むな。投稿リスナーってのはやっぱり投稿が採用されることに意味があると思うのですよ。まあ、リクエストが採用されなかった事自体は私の方に責任があるので、精進していくしかありませんね。
ただ、意外なことにスタッフ側のイチオシと思われたけいおんの曲がなにも流れなかった。というか、ツナグキズナはともかくとして、最近のアニソンとして流れた中で印象深かったのがイカ娘ぐらいしかなかったような。ひだまりや化物語はちょっと前だし。あれ、そう考えると本当に秋アニメはヨスガとイカ娘しか流れてないのか? 最近の曲というのが放送中ないし前期ぐらいまでのアニメと考えていた私って。
私はリクエスト曲こそ流れなかったけど、投稿自体はテーマメールに出したのが採用されました。俺得No.1アニソンということで、これまた最近の楽曲から選んでみたんだけど、私は牧野由依ではスケッチブックを持ったままが一番好きです。番組EDにウンディーネが流れたけど、あの流れでどうしてウンディーネにいってしまったんだろう。まあ、スケブはラジオのEDって感じじゃないけどさ。
しかし、Twitterで何気なく呟いた私の冬コミ参加情報を拾ってもらえるとは思わなかった。でも、考えて見れば天乙准花さんは同人の出身だし、自身も未だにコミケとか参加される方だから、そういう方面に抵抗というのがないんでしょうね。なんか、スペースの方に来るみたいなこと言ってたけど、本当に来たらどうしよう。相手も同人やってる人だと、冗談ですまない場合があるから怖いよね。まあ、そのときは新刊でも渡すけど、ラジオでサークル名まで紹介されちゃったし、これは絶対に本を落とせなくなった。
コンプエース版ヨスガノソラ 第14話「ハルカナソラ」
2010年11月26日 ヨスガノソラ
1年以上続いたヨスガノソラのコミカライズも最終回ということで、やけにあっさりと終わってしまいました。事前に終了の告知がなかったことは、コンプエースだとそう珍しいことではないんですけど、あるいはハルカナソラまでやってくれるのではないかと思っていただけに、結構なガッカリ感があったりします。今現在、アニメ放送中の作品に対する扱いとしては、必ずしも良いとはいえないよね。特典のリバーシブルポスターに騙されがちだが、もう少し雑誌を上げて盛り上げて欲しかったという気持ちがある。
最終回は原作の穹ルートとほぼ同じなので、殊更書くことがなかったりします。先月号のような良い改変が特になされていたわけでもないので、前回が良かっただけに今回は普通と表現するのが相応しいかも知れない。だからこそ、あっさり終わってしまったと感じるんでしょうね。まあ、これは物足りなさというべきものだし、全体的に考えればハル×穹の話として綺麗にまとまっていたとは思う。
春日野家を見つめる委員長から話は始まり、そこに奈緒や亮平の2人が現れる。主を無くした家は寂しいものだと語る奈緒に、いなくなってしばらくだしなと呟く亮平。そう、今の春日野家は無人であり、そこにハルと穹の姿はなかった。曇る委員長の顔は、自然と空を見上げてしまう。
「春日野君…」
その頃ハルは、とある空の下で大きく伸びをしていた。服装はいつもと同じでよそ行きという感じはせず、とてもじゃないが異国を旅行しているふうには見えない。けど、ハルがいるのは日本ではなかった。スーツケースに腰掛ける穹の服装もいつもと変わらないものの、2人が見上げる空は、奥木染よりもずっと深い、綺麗な青空だった。
「穹、そろそろいいか?」
「もう疲れた」
原作で2人が奥木染に来た時を思わせるやり取り。
「何よここ、ど田舎じゃない」
「奥木染といい勝負だろ」
「奥木染の方がまだマシよ。道路も舗装してないじゃない」
「向こうが恋しくなった?」
最初にほとんど原作と同じと書きましたけど、このシーンなんかは随分と違いますよね。原作のラストは穹が結構ゆったりと構えており、逆に初めての海外であるハルがワタワタしているという感じで、こんな風に余裕を感じさせはしなかった。やはりコミカライズ版のハルは一味違いますね。
穹はハルにどうしてこの国へ来たのかと問い、ハルは穹に父さんと母さんの知り合いに会いに行くといいます。穹はその言葉に若干驚いたようですが、ハルはちゃんと伝えと言います。
「聞いてないまたひとりで決めたから…」
「話したよ…あ、また話半分にしか聞いてなかったな」
一方、日本の穂見学園では瑛を始めとしたいつものメンバーが外で昼食をとっていました。そこには委員長もいて、渚さんがハルから届いたというメールを披露します。仲間内で携帯を持っているのは渚さんだけですが、瑛もメールができない携帯と称して自宅の子機を取り出してみる。それだけのために仕込んでいたのか……コミカライズの瑛もやっぱり違うね。回し読みするまでもないということで渚さんがメールの文面を読み始めますが、その内容に関してはさほど原作と大差あるものではありません、北欧の小さな国に来ていること、両親の知人に招待されたことなど、後はまあ近況のようなものですか。
『それからみんなへ――僕と穹のことなのに親身になって助けてくれたことを一生忘れない。また会う日まで元気でいてください』
別れの言葉に感極まり、思わず委員長は涙しますが、その文面にはまだ続きがありました。
『P.S. いつ帰れるか分からないけど、お土産のリクエストを聞いておきます』
呆然とする委員長を尻目に、本場のソーセージが欲しいという亮平や、チーズとヤギの首についている鈴みたいのが欲しいという瑛。ハルが帰ってくることを知らなかったのは委員長だけで、みんな誰かしらが伝えているものと思っていた様子。もちろん、2人は駆け落ちしたわけでも逃避行したわけでもなく、単に旅行へ出掛けているだけでした。直通便のない外国だけに期間は長めですが、そのうち帰ってくることには変わりありません。
「私は無事に帰ってきてくれれば、それでいいです」
お土産として欲しいものを訊ねられたとき、委員長はこのように答えました。既に先ほどの曇は顔から消え失せており、安堵の笑顔がそこには広がっていた。
場所は異国に戻り、ハルの余裕が徐々に薄らいできました。車も来ない田舎道に取り残され、計画性の無さを穹に指摘されています。見渡してもあるのは小屋一つで、人影すら見当たりません。
「穹はここにいて車が来たら止めといてくれない?」
「えー」
「じゃあ、小屋に誰かいないか見てきてくれる?」
「やだ」
ちょっとは協力してくれというハルに、穹はせっかちだと言います。せっかくの旅行なんだから、もっと楽しめばいいのにと。
「ねぇ、ハル。一緒にいてよ。せっかく二人きりなんだし。それとも私と一緒は嫌?」
往年の口説き文句にハルは声もなく顔を赤らめました。のんきなものだと口では言うものの、まんざらでもないのか穹の横へと腰掛けます。たまにはいいでしょと答える穹に、ハルは余裕とはまた違う暖かな表情を取り戻していく。
穹と生きていく
お互いを想い合える僕たちなら、歩いていける
この果てしない空のように――
エストニアの空を見上げるハルと穹の二人を描きながら、物語は終りを告げました。
本当に、これこそがヨスガノソラという感じでしたね。これ以上にないほど素敵な物を見せられたというか、最初から最後まで追いかけ続けたかいがありました。まだコミックス第2巻の発売を控えてますし、そのときにもまた長々と書こうと思うので今回は控えめにしておきますが、私はこのコミカライズを読んでいて良かったと、心からそう思います。
水風天先生、1年間の連載お疲れさまでした。コミックスの発売もすぐですが、またなにかの機会で会えることを楽しみにしています。コンプエース版、いえ、水風天版ヨスガノソラは最高でした。素晴らしいハルと穹を本当にありがとうございました!
最終回は原作の穹ルートとほぼ同じなので、殊更書くことがなかったりします。先月号のような良い改変が特になされていたわけでもないので、前回が良かっただけに今回は普通と表現するのが相応しいかも知れない。だからこそ、あっさり終わってしまったと感じるんでしょうね。まあ、これは物足りなさというべきものだし、全体的に考えればハル×穹の話として綺麗にまとまっていたとは思う。
春日野家を見つめる委員長から話は始まり、そこに奈緒や亮平の2人が現れる。主を無くした家は寂しいものだと語る奈緒に、いなくなってしばらくだしなと呟く亮平。そう、今の春日野家は無人であり、そこにハルと穹の姿はなかった。曇る委員長の顔は、自然と空を見上げてしまう。
「春日野君…」
その頃ハルは、とある空の下で大きく伸びをしていた。服装はいつもと同じでよそ行きという感じはせず、とてもじゃないが異国を旅行しているふうには見えない。けど、ハルがいるのは日本ではなかった。スーツケースに腰掛ける穹の服装もいつもと変わらないものの、2人が見上げる空は、奥木染よりもずっと深い、綺麗な青空だった。
「穹、そろそろいいか?」
「もう疲れた」
原作で2人が奥木染に来た時を思わせるやり取り。
「何よここ、ど田舎じゃない」
「奥木染といい勝負だろ」
「奥木染の方がまだマシよ。道路も舗装してないじゃない」
「向こうが恋しくなった?」
最初にほとんど原作と同じと書きましたけど、このシーンなんかは随分と違いますよね。原作のラストは穹が結構ゆったりと構えており、逆に初めての海外であるハルがワタワタしているという感じで、こんな風に余裕を感じさせはしなかった。やはりコミカライズ版のハルは一味違いますね。
穹はハルにどうしてこの国へ来たのかと問い、ハルは穹に父さんと母さんの知り合いに会いに行くといいます。穹はその言葉に若干驚いたようですが、ハルはちゃんと伝えと言います。
「聞いてないまたひとりで決めたから…」
「話したよ…あ、また話半分にしか聞いてなかったな」
一方、日本の穂見学園では瑛を始めとしたいつものメンバーが外で昼食をとっていました。そこには委員長もいて、渚さんがハルから届いたというメールを披露します。仲間内で携帯を持っているのは渚さんだけですが、瑛もメールができない携帯と称して自宅の子機を取り出してみる。それだけのために仕込んでいたのか……コミカライズの瑛もやっぱり違うね。回し読みするまでもないということで渚さんがメールの文面を読み始めますが、その内容に関してはさほど原作と大差あるものではありません、北欧の小さな国に来ていること、両親の知人に招待されたことなど、後はまあ近況のようなものですか。
『それからみんなへ――僕と穹のことなのに親身になって助けてくれたことを一生忘れない。また会う日まで元気でいてください』
別れの言葉に感極まり、思わず委員長は涙しますが、その文面にはまだ続きがありました。
『P.S. いつ帰れるか分からないけど、お土産のリクエストを聞いておきます』
呆然とする委員長を尻目に、本場のソーセージが欲しいという亮平や、チーズとヤギの首についている鈴みたいのが欲しいという瑛。ハルが帰ってくることを知らなかったのは委員長だけで、みんな誰かしらが伝えているものと思っていた様子。もちろん、2人は駆け落ちしたわけでも逃避行したわけでもなく、単に旅行へ出掛けているだけでした。直通便のない外国だけに期間は長めですが、そのうち帰ってくることには変わりありません。
「私は無事に帰ってきてくれれば、それでいいです」
お土産として欲しいものを訊ねられたとき、委員長はこのように答えました。既に先ほどの曇は顔から消え失せており、安堵の笑顔がそこには広がっていた。
場所は異国に戻り、ハルの余裕が徐々に薄らいできました。車も来ない田舎道に取り残され、計画性の無さを穹に指摘されています。見渡してもあるのは小屋一つで、人影すら見当たりません。
「穹はここにいて車が来たら止めといてくれない?」
「えー」
「じゃあ、小屋に誰かいないか見てきてくれる?」
「やだ」
ちょっとは協力してくれというハルに、穹はせっかちだと言います。せっかくの旅行なんだから、もっと楽しめばいいのにと。
「ねぇ、ハル。一緒にいてよ。せっかく二人きりなんだし。それとも私と一緒は嫌?」
往年の口説き文句にハルは声もなく顔を赤らめました。のんきなものだと口では言うものの、まんざらでもないのか穹の横へと腰掛けます。たまにはいいでしょと答える穹に、ハルは余裕とはまた違う暖かな表情を取り戻していく。
穹と生きていく
お互いを想い合える僕たちなら、歩いていける
この果てしない空のように――
エストニアの空を見上げるハルと穹の二人を描きながら、物語は終りを告げました。
本当に、これこそがヨスガノソラという感じでしたね。これ以上にないほど素敵な物を見せられたというか、最初から最後まで追いかけ続けたかいがありました。まだコミックス第2巻の発売を控えてますし、そのときにもまた長々と書こうと思うので今回は控えめにしておきますが、私はこのコミカライズを読んでいて良かったと、心からそう思います。
水風天先生、1年間の連載お疲れさまでした。コミックスの発売もすぐですが、またなにかの機会で会えることを楽しみにしています。コンプエース版、いえ、水風天版ヨスガノソラは最高でした。素晴らしいハルと穹を本当にありがとうございました!
恙無い日々などありはしない
2010年11月25日 ヨスガノソラ規制が解除されていたので某大型掲示板のヨスガノソラスレへ行ってきました。最近はコンプエースなど月末の雑誌が発売される時期以外、規制中ということもあって覗く程度に済ませていたんですけど、人が書き込めないことを知ってか知らずか色々やってくれた奴がいましてね。いい加減にして欲しかったので、直接乗り込むことにしたわけです。自分で言うのもなんだけど、私は結構あのスレ長いほうで、2年ほど前にとあることで世話になってからは、それなりの恩義も感じています。しかし、だからといって、看過出来ない問題というのはある。
まあ、ヨスガノソラのアニメが始まってから私も毎週色々なことを書いているわけですが、その度に何故だか過剰に反応する人がいましてですね、同一人物なのかは知りませんけど、私が日記を更新する都度、なにかしらの嫌がらせ行為のようなものをしてくるのですよ。最初はTwitterで名指し批判したり、ヨスガノソラの関係者へ突撃して私に対する否定を行ったりする程度で、この時点で非常に迷惑ではあったんだけど、まあ関係者も相手にしてなかったし、あんま関わりたくなかったので放置していました。
そうしたらね、気に食わなかったのか知らないけど今度は違うことをしてきたのよ。私が規制中なのをいいことにスレでなりすましを行ったり、日記やらTwitterやらのアドレスをバンバン貼り付けたり、挙句の果てがヨスガ関係のスレに私の日記を全文コピペし出すときたもんだ。私がTwitterで呟く程度で具体的な行動を起こさなかったのもあるんでしょうが、ここまでされると流石に黙っているわけにもいかず、スレに転載された直後に乗り込みました。スレだけならまだしも、他人のブログのコメ欄とかにまで転載され始めていたし、これ以上の放置は出来ないと思って。
結局、転載していた奴は反応しなかったけど、一応迷惑行為は止んだので効果はあったのかな。まあ、めぼしいスレというスレに貼りまくられたから対応としては遅すぎだけど、後は来週の月曜から火曜に掛けてどうなっているかかな。なにせ奈緒ルートの最終回ですし、穹が明確な敗北を喫する話でもありますから、私も今までにない荒れ模様となるでしょう。こればっかりはどうしようもない。穹ルートで手の平を返す準備は出来ていますが、だからといってこれまでのアニメ版を認めるわけにもいかないのだから。
私がアニメ版に対して鬱屈とした感情を抱いているのは事実だし、本当は書き直すべきである8話の日記を放置したままにしているのも、これ以上8話を観ていたくないからなんですよ。触れるべき点は沢山あるし、制作側の作り上げた春日野悠像みたいなものが明確化された話でもあるんだけど、まともに視聴すると精神が崩壊しそうでさ。なんていか、穹があまりにも可哀想で心が痛い。ハルについては前々からやりたかった媒体におけるキャラクター性の違いという話の中で、後日書こうと思ってるんだけど、今日のところはどうしても無理です。あのハルみたいな姿をした偽物を粉砕する方法があるなら、私はなんだってするという勢いだし。
結局のところ考え方が違うんでしょうね。作品やキャラクターに対することもそうだし、ヨスガノソラという物の見方にアニメスタッフと私の間で大きな差異がるんです。別に私が正しくて向こうが間違っているとは言いませんけど、問題なのはアニメスタッフがこれこそヨスガノソラの正しい形であり、在り方であると自負しているところなんじゃないのかな。彼らはエロに関する批判に対しては口にするけど、キャラクターに対する批判、特に春日野悠を改悪したことについては一切口をつぐんでいるし。そんなにアニメ版ヨスガノソラに自信があるなら、批判に対して堂々と反論すればいいのにね。出来るならの話ですが。
ハッキリ言ってさ、ヨスガノソラに置いてハルの存在はヒロイン以上に重要なものなんですよ。形だけの主人公なんかじゃない、ヒロインよりも価値ある存在だから、ハルは人気が出たんですよ。穹とセットではあるにせよね。
アニメ版なんてもう消し飛んでもいいような存在ですけど、あんなのでもヨスガノソラの名を冠する関連作品ではあるし、ここまで来た以上は最後まで観ます。さすがにもうBDを32枚とか買うつもりはありませんし、どれぐらい削ることが出来るかという調整段階にすら入っているんですけど、BDも一応買う予定です。ただ、店舗特典の詳細がわからないため最初のうちは複数購入が基本となるかも。下手すれば、1巻発売時には絵柄発表されてないかも知れませんしね。面倒くさい事この上ないが、それは妥協しなくてはいけないと思う。描き下ろしに奈緒やダメイドが来るのは考えにくいけど、5つある特典すべてが穹であるとは限らないし。その辺りは注意していきましょう。
まあ、ヨスガノソラのアニメが始まってから私も毎週色々なことを書いているわけですが、その度に何故だか過剰に反応する人がいましてですね、同一人物なのかは知りませんけど、私が日記を更新する都度、なにかしらの嫌がらせ行為のようなものをしてくるのですよ。最初はTwitterで名指し批判したり、ヨスガノソラの関係者へ突撃して私に対する否定を行ったりする程度で、この時点で非常に迷惑ではあったんだけど、まあ関係者も相手にしてなかったし、あんま関わりたくなかったので放置していました。
そうしたらね、気に食わなかったのか知らないけど今度は違うことをしてきたのよ。私が規制中なのをいいことにスレでなりすましを行ったり、日記やらTwitterやらのアドレスをバンバン貼り付けたり、挙句の果てがヨスガ関係のスレに私の日記を全文コピペし出すときたもんだ。私がTwitterで呟く程度で具体的な行動を起こさなかったのもあるんでしょうが、ここまでされると流石に黙っているわけにもいかず、スレに転載された直後に乗り込みました。スレだけならまだしも、他人のブログのコメ欄とかにまで転載され始めていたし、これ以上の放置は出来ないと思って。
結局、転載していた奴は反応しなかったけど、一応迷惑行為は止んだので効果はあったのかな。まあ、めぼしいスレというスレに貼りまくられたから対応としては遅すぎだけど、後は来週の月曜から火曜に掛けてどうなっているかかな。なにせ奈緒ルートの最終回ですし、穹が明確な敗北を喫する話でもありますから、私も今までにない荒れ模様となるでしょう。こればっかりはどうしようもない。穹ルートで手の平を返す準備は出来ていますが、だからといってこれまでのアニメ版を認めるわけにもいかないのだから。
私がアニメ版に対して鬱屈とした感情を抱いているのは事実だし、本当は書き直すべきである8話の日記を放置したままにしているのも、これ以上8話を観ていたくないからなんですよ。触れるべき点は沢山あるし、制作側の作り上げた春日野悠像みたいなものが明確化された話でもあるんだけど、まともに視聴すると精神が崩壊しそうでさ。なんていか、穹があまりにも可哀想で心が痛い。ハルについては前々からやりたかった媒体におけるキャラクター性の違いという話の中で、後日書こうと思ってるんだけど、今日のところはどうしても無理です。あのハルみたいな姿をした偽物を粉砕する方法があるなら、私はなんだってするという勢いだし。
結局のところ考え方が違うんでしょうね。作品やキャラクターに対することもそうだし、ヨスガノソラという物の見方にアニメスタッフと私の間で大きな差異がるんです。別に私が正しくて向こうが間違っているとは言いませんけど、問題なのはアニメスタッフがこれこそヨスガノソラの正しい形であり、在り方であると自負しているところなんじゃないのかな。彼らはエロに関する批判に対しては口にするけど、キャラクターに対する批判、特に春日野悠を改悪したことについては一切口をつぐんでいるし。そんなにアニメ版ヨスガノソラに自信があるなら、批判に対して堂々と反論すればいいのにね。出来るならの話ですが。
ハッキリ言ってさ、ヨスガノソラに置いてハルの存在はヒロイン以上に重要なものなんですよ。形だけの主人公なんかじゃない、ヒロインよりも価値ある存在だから、ハルは人気が出たんですよ。穹とセットではあるにせよね。
アニメ版なんてもう消し飛んでもいいような存在ですけど、あんなのでもヨスガノソラの名を冠する関連作品ではあるし、ここまで来た以上は最後まで観ます。さすがにもうBDを32枚とか買うつもりはありませんし、どれぐらい削ることが出来るかという調整段階にすら入っているんですけど、BDも一応買う予定です。ただ、店舗特典の詳細がわからないため最初のうちは複数購入が基本となるかも。下手すれば、1巻発売時には絵柄発表されてないかも知れませんしね。面倒くさい事この上ないが、それは妥協しなくてはいけないと思う。描き下ろしに奈緒やダメイドが来るのは考えにくいけど、5つある特典すべてが穹であるとは限らないし。その辺りは注意していきましょう。
コンプエースのCMを確認するためにそらのおとしものを観てたんですけど、普通に好きな作品の一つだったりします。元々がSF好きってのもあるけど、おちゃらけているようでシリアスとギャグの落差をあまり感じさせない、かなりしっかりした作品になっていると思う。作品自体に明確なテーマがいくつかあるから、全体的な話のまとまりが凄くいいんだよね。AT-Xで1期の再放送やってるからそちらも見てるんだけど、当時は中だるみと言われていた部分も、今見るとあまり気にならなくなっていた。というか、ニンフが可愛ければ他にはなにもいらないと思う。
先週から続きニンフ回なわけだけど、メインがニンフというだけであって、話的には前回も今回も第一世代エンジェロイドの三人の心境の変化や明確化が描かれていたように思う。ニンフは未だ精神的に立ち直れていない部分があって、そこを抉られたわけだけど、智樹のおかげでなんとか崩壊するには至らなかった。けどそれはあくまで一時的なものに過ぎず、羽根を失ったことやマスターがいないことはニンフに取って弱点ともいうべき心の傷になっており、それを今後どうするのかが課題として残りました。まあ、智樹がマスターになることで解決するんでしょうけど、ニンフはああいう性格ながらマスターという存在に対する依存心が強いので、智樹はその危うさを案じている印象がある。
一方で自ら鎖を断ち切ったアストレアは、心境的な変化が一番明確に現れたキャラではなかろうか。智樹のことを好きだといった言葉は、本人の言うとおり恋愛というよりは友人としてなんだろうけど、馬鹿が馬鹿なりに考えて、自分で決断できるほど成長したというのは大きいと思う。前回からこっち、色々悩んでもいましたし、これからどうするのかはともかくとしても、今後に期待は出来るんじゃないかと。戦闘シーンもいつになく格好良かったし、一気に存在感が増しました。
ただ、話の根幹としてはやはりイカロスが良い所を持っていったかな。カオスと戦う中で愛について問われ、答えを出すことは出来ないけど内に秘めた想いを爆発させることは出来た。恋にしろ愛にしろ、感情としてそれを理解不能であるイカロスだけど、智樹への想いは本物ですから。それを全力でぶつけたからこそ、カオスに打ち勝つことが出来たのではないか。けど、ウラヌスシステムまで起動したのに追い込まれたというのはどうなんだろ。それだけカオスが強かったというのもあるんだろうが、空の女王としてイカロスの持っていた、圧倒的な力が損なわれてしまった気がする。まあ、自己修復に能力を使い過ぎて攻撃面まで回復できなかったのかも知れないけど。ウラヌスシステムを使ったのも、それがなければカオスと渡り合うことが出来ないぐらいまでのダメージを受けていたと考えるべきかな。大破に近い状況まで破損したけど、もうシステムは使用不能になったんだろうか? イカロス本人に自己修復機能が備わっているのだから、システムの再構築ないし再起動も不可能ではないと思うけど……でも、下手すると海底へ封じ込まれたカオスが吸収する可能性もあるから怖い。そうなったら、誰もカオスを止められなくなる。
カオスはなんていうか、哀れな娘だなぁって感じがした。個人的には嫌いじゃないんだけど、エンジェロイドにしては自己の欲求や欲望が全面に出ているよね。何者にも姿を変えることが出来るのに、誰もが心に持っている感情を理解することが出来ない。カオスはどす黒い性格をしているようで、実はかなり純粋な存在なのかも知れない。間違っても純真ではないだろうが、結局のところカオスは最初から最後まで愛について知りたくて戦っていたように思える。勝ち負けじゃないんですよ、カオスに取って重要なのは。だから、アストレアに腕一本持って行かれても少し驚く程度の反応で済ませていたし、馬鹿だから愛についてわからない彼女を殺すことを躊躇わなかった。ニンフに対してそうであったように。
イカロスをも粉砕する勢いだった攻撃も、マスターの命令がどうというより、自分の感情を優先させていた傾向があるし、カオスには戦闘よりも対話や教育のほうが良いんじゃないかと思う。子供なんだよ、生まれたてで、分からないことだらけだから分かりたいと考える。愛が知りたいと、そう叫び続けたカオスにイカロスが驚いたのは、エンジェロイドであるのにも関わらず、実に自分の欲望へ忠実な行動をしていたからではないだろうか。もちろん、質問そのものの意外さもあったんだろうけど。
そういやカオスの声は豊崎愛生でしたが、これで戸松遥以外はスフィアが全員出ているのかな? 日笠陽子や大亀あすかも出てますが、最近のアニメでは特に若手でキャストが構成されていると思う。
智樹も今回は格好良かったね。戦闘者ではない彼に出来たのはニンフを保護することだったけど、シリアスパートだと途端に格好良くなって、言葉に重みが増すと思う。ダイダロスがある種、技術者としての視点から外れられないのに対し、智樹は地上人として純粋な、いや、純真な存在だろうし。そういった意味では、カオスとも会っておくべきだったのかも知れない。
EDは村下孝蔵の踊り子でしたが、ニンフ回は村下孝蔵が多いですね。1期のときも初恋が流れましたし、私は結構好きな歌手だったので嬉しいです。まあ、シリアス回の後にどうなのかと言われると、人によって色々あると思いますけど、昭和の歌謡曲だって捨てたもんじゃないですよ。
先週から続きニンフ回なわけだけど、メインがニンフというだけであって、話的には前回も今回も第一世代エンジェロイドの三人の心境の変化や明確化が描かれていたように思う。ニンフは未だ精神的に立ち直れていない部分があって、そこを抉られたわけだけど、智樹のおかげでなんとか崩壊するには至らなかった。けどそれはあくまで一時的なものに過ぎず、羽根を失ったことやマスターがいないことはニンフに取って弱点ともいうべき心の傷になっており、それを今後どうするのかが課題として残りました。まあ、智樹がマスターになることで解決するんでしょうけど、ニンフはああいう性格ながらマスターという存在に対する依存心が強いので、智樹はその危うさを案じている印象がある。
一方で自ら鎖を断ち切ったアストレアは、心境的な変化が一番明確に現れたキャラではなかろうか。智樹のことを好きだといった言葉は、本人の言うとおり恋愛というよりは友人としてなんだろうけど、馬鹿が馬鹿なりに考えて、自分で決断できるほど成長したというのは大きいと思う。前回からこっち、色々悩んでもいましたし、これからどうするのかはともかくとしても、今後に期待は出来るんじゃないかと。戦闘シーンもいつになく格好良かったし、一気に存在感が増しました。
ただ、話の根幹としてはやはりイカロスが良い所を持っていったかな。カオスと戦う中で愛について問われ、答えを出すことは出来ないけど内に秘めた想いを爆発させることは出来た。恋にしろ愛にしろ、感情としてそれを理解不能であるイカロスだけど、智樹への想いは本物ですから。それを全力でぶつけたからこそ、カオスに打ち勝つことが出来たのではないか。けど、ウラヌスシステムまで起動したのに追い込まれたというのはどうなんだろ。それだけカオスが強かったというのもあるんだろうが、空の女王としてイカロスの持っていた、圧倒的な力が損なわれてしまった気がする。まあ、自己修復に能力を使い過ぎて攻撃面まで回復できなかったのかも知れないけど。ウラヌスシステムを使ったのも、それがなければカオスと渡り合うことが出来ないぐらいまでのダメージを受けていたと考えるべきかな。大破に近い状況まで破損したけど、もうシステムは使用不能になったんだろうか? イカロス本人に自己修復機能が備わっているのだから、システムの再構築ないし再起動も不可能ではないと思うけど……でも、下手すると海底へ封じ込まれたカオスが吸収する可能性もあるから怖い。そうなったら、誰もカオスを止められなくなる。
カオスはなんていうか、哀れな娘だなぁって感じがした。個人的には嫌いじゃないんだけど、エンジェロイドにしては自己の欲求や欲望が全面に出ているよね。何者にも姿を変えることが出来るのに、誰もが心に持っている感情を理解することが出来ない。カオスはどす黒い性格をしているようで、実はかなり純粋な存在なのかも知れない。間違っても純真ではないだろうが、結局のところカオスは最初から最後まで愛について知りたくて戦っていたように思える。勝ち負けじゃないんですよ、カオスに取って重要なのは。だから、アストレアに腕一本持って行かれても少し驚く程度の反応で済ませていたし、馬鹿だから愛についてわからない彼女を殺すことを躊躇わなかった。ニンフに対してそうであったように。
イカロスをも粉砕する勢いだった攻撃も、マスターの命令がどうというより、自分の感情を優先させていた傾向があるし、カオスには戦闘よりも対話や教育のほうが良いんじゃないかと思う。子供なんだよ、生まれたてで、分からないことだらけだから分かりたいと考える。愛が知りたいと、そう叫び続けたカオスにイカロスが驚いたのは、エンジェロイドであるのにも関わらず、実に自分の欲望へ忠実な行動をしていたからではないだろうか。もちろん、質問そのものの意外さもあったんだろうけど。
そういやカオスの声は豊崎愛生でしたが、これで戸松遥以外はスフィアが全員出ているのかな? 日笠陽子や大亀あすかも出てますが、最近のアニメでは特に若手でキャストが構成されていると思う。
智樹も今回は格好良かったね。戦闘者ではない彼に出来たのはニンフを保護することだったけど、シリアスパートだと途端に格好良くなって、言葉に重みが増すと思う。ダイダロスがある種、技術者としての視点から外れられないのに対し、智樹は地上人として純粋な、いや、純真な存在だろうし。そういった意味では、カオスとも会っておくべきだったのかも知れない。
EDは村下孝蔵の踊り子でしたが、ニンフ回は村下孝蔵が多いですね。1期のときも初恋が流れましたし、私は結構好きな歌手だったので嬉しいです。まあ、シリアス回の後にどうなのかと言われると、人によって色々あると思いますけど、昭和の歌謡曲だって捨てたもんじゃないですよ。