明日、今日の君に逢えなくても (MF文庫J) 感想
2015年8月26日 アニメ・マンガ
今年はライトノベルに驚かされることが多い。一時期、月刊で150冊は出ていると言われたライトノベルだが、私はこのところあまり買ってないし、読んでいるのも継続して購入しているシリーズか、贔屓の作家が出す新作ぐらいだ。最初にMF文庫のサイトを覗いたとき、私が知りたかったのは僕は友達が少ないの最終巻に関する情報だったし、別に新刊を漁るのが目的ではなかった。故に、私がこの作品と出会ったのは全くの偶然か、はたまた何かの運命がもたらした必然だったのだろう。先程読み終えたばかりだが、感想を書かずにはいられない、久しぶりにそんな心境になったのだから。
前述の通り、私がコミケ明けからしばらくして、ふと、MF文庫のサイトを開いたのははがないの最終巻が遂に出る、という話を耳にしたからだ。はがないに関してはこの日記の本題と関係ないので割愛するが、MF文庫の新刊案内ページというのは、他のレーベルと違って至ってシンプルな掲載順だった。普通なら話題作や人気シリーズなどを優先して目立つ場所に配置しそうなものだが、MF文庫はそうではない。何と、作品名の五十音順なのだ。
たとえば今月の新刊には、何度も書いているがはがないの最終巻や、アニメの二期も発表された緋弾のアリアの最新刊などが刊行されているわけだが、両作品とも作品名の頭文字がは行であることから、掲載位置はかなり下、というか、下から二番目と三番目だ。別にそのこと自体は珍しいと感じただけで、それ以上でもないのだけど、そういった掲載順だからこそ、この作品が目に止まったのかと思うと、少し感じ入るところがありまして。
だって、この作品ってあ行じゃないですか。つまり、余程のことがない限り先頭に掲載されるんですよ。ページ開いて、真っ先に飛び込んでくる作品って、やっぱり印象に残りますよ。
勿論、私の目に止まったのは掲載順が最初だったからでもなくて、表紙のイラストが高野音彦さんだったから、というのもあります。この方は古くからライトノベルでイラストを描かれている方で、有名どころでは電撃文庫のリバーズ・エンドや、桜庭一樹の推定少女、あまり知られてはいませんが、米澤穂信の古典部シリーズ、2巻目に当たる愚者のエンドロール、これの雑誌掲載時のイラストや初版刊行時のカバーなども担当されてるんですよね。
今はすっかりカバーも差し替えられてしまったので、高野版カバーは幻になっていますが、私からすれば、00年代におけるラノベブームの黎明期を代表するイラストレータ一人なんだと思います。
近年はイラストの活動をそれほどされてなくて、本人も久しぶりにラノベの挿絵を担当したとブログ等で書かれてましたが、それだけに珍しく、私の心がひかれたのだと思います。元より高野さんが描かれるイラストは好きでしたが、所謂黎明期から10年以上経った今でも、その色褪せることない魅力に心奪われたのかも知れません。
これだけ書くと、なんだ、イラストが好きで買っただけかと思われそうですが、確かに作品のことを知る切欠と、入口になったのは認めます。ですが、それと同等に作品のあらすじに興味を抱いたのも事実だったりします。そこにSFの香りを感じ取ったから、とでも言いますか……
前置きが長くなりましたが、そろそろ作品の話に入りましょうか。毎回、前置きが長くて全然本題に入らない私ですが、今回は発売したばかりの作品ながら、やや踏み込んだ話を、ネタバレに近い感想という奴を書きます。ここまで読んで、是非作品を購入したいと考えているそこの貴方、そんな人がいるのかは分かりませんが、ここから先は自己の判断で読んで下さい。
上記の通り、この「明日、今日の君に逢えなくても」という作品は、大分類ではSFに位置する物語だと私は考えます。勿論、作者の意図しているジャンルは分かりませんし、MF文庫での紹介は青春群像劇と、ありがちな、あるいは当たり障りのない表現になっています。
ですが、青春群像劇という言葉、もしくは表現は、作品を語る上で、この上ないものだと、読了後の私は思うのです。
本作は、という解離性同一障害、所謂、多重人格をモチーフとした架空の病気が物語のキーとなっています。何故、世間的にも有名な多重人格ではなく、わざわざ架空の病気を設定したのかは、勿論、それがデリケートなことだからと言うのもあるのでしょうが、結論的な理由はあとがきに記されてました。まあ、これは書かなくても良いでしょう。
シノニムという病気の説明は、MF文庫のサイトで無料公開されている立ち読み、つまり、作品の冒頭部分で詳しく解説されていますが、ここで簡単に紹介すると、勝手に治る多重人格です。お医者様による治療法がないだけで死ぬような病ではないし、ある特定の条件が揃えば別人格は消えてしまう、そんな設定。多重人格ほど深刻な理由で発症するわけではなく、その元となった傷、または心残りや悔やみのようなものが解消されれば、主人格はシノニムの人格を必要とせず、必要となくなった人格はいなくなってしまうと、まあ、そういうことです。
物語のヒロインは、このシノニムを患っており、しかも、とある事情からすぐ治るはずの病が完治せず、長期にわたって複数人格を維持しているという状態。ヒロインが多重人格という作品は、それほど数があるとは思えませんが、前例がないこともなく、やや例えとするにはライトすぎる気もしますが、ケロロ軍曹の西澤桃華などが有名でしょうか? 彼女の場合、表と裏、どちらの人格も主人公である冬樹くんのことが好きで、奪い合いなどはせず、時には協力し合って恋路を進んでいます。これがラブコメなら、あるいは複数の人格同士が主人公を奪い合って……なんて展開があるのかも知れませんが、この「明日、今日の君に逢えなくても」の凄いところは、そのどちらにも該当しないことなのです。
「明日、今日の君に逢えなくても」には3人のヒロインが登場します。藍里、茜、蘭香という少女達ですが、ヒロインはイコールで別人格となるため、人間の個体としては1人になります。
それぞれの少女を簡単に紹介すると、藍里は少しあどけなさを残した、可憐な少女らしい少女。茜はスポーティで陸上に打ち込む元気っ子、蘭香はクールで、軽音楽部に所属するロック志向と、まさに三者三様の人格を持っており、作中ではこのいずれかが主人格とされるも、彼女たち自身、記憶を失っているため、誰が主人格か分からない。結果としてシノニムが長引いている……ということらしい。
そんな少女達に対する主人公は、と言えば、ここがこの作品において、私が感心した箇所になるのですが、主人公もまた一人ではないのです。主人公も多重人格なのかと言えばそうではなくて、各ヒロイン(人格)に対する主人公が違うという、これまた珍しい設定なのです。
たとえば、ロックンロールな蘭香編における主人公は、軽音楽部の先輩、男子生徒の悠であり、弾丸少女の茜編では、幼馴染みの少女瑞希が主人公となります。各編の主人公達は、ヒロインを相手に恋や友情の物語を展開していくわけですが、ごく一般的なラノベにおいて、複数のヒロインに対する主人公は大体一人です。
主人公に対するヒロインが複数人いる、ある種のハーレム展開がラノベの常であって、別のキャラとくっつくような娘がいれば、それはヒロインではなくサブキャラになります。勿論、例外は幾らでもあるのでしょうが、そう数は多くないと思います。
ある種の決まり事、あるいはヒロインの法則を無視したかのような話作りは、しかし、読んでみるとごく自然に受け入れることが出来、複数人格の一つでしかない少女達が、確かに生きて、そして、それぞれの日常があることを読者に教えてくれました。登場するキャラも、語り部も、全てを代えることによって、同じ身体を持つ少女達の、個性や独立性を強調した。これは正直、そんな方法があったのかと、目から鱗が落ちました。
しかも、各編の主人公は自分が相対するヒロインに対しての興味のみが強くて、たとえば悠は蘭香のことは好きだけど、茜や藍里には恋愛感情を抱いていないし、瑞希は幼馴染みだから藍里や蘭香のことを知らないわけじゃないけど、まず第一に親友と考えているのは茜だったりと、人格と肉体をキッチリ区別しているんですね。だから、他のヒロインの物語に深く関わってくることはないし、あくまで1対1の物語が描かれています。
シノニムは治る病気ですから、それぞれのヒロインが物語を進めていく過程で、多重人格の彼女たちは消えゆく運命にあります。そんな儚い命とも言うべきヒロインと向き合い、どのような答えを出していくのか? 主人格は一体誰なのか?
物語はやがて、残された主人格と最後の主人公に委ねられるわけですが、
話の展開としては非常に分かりやすい、読書量の多い人なら容易に想像が付くものだと思います。実在の多重人格者、ビリー・ミリガンと、彼に定義されたスポットをシノニムのモデルにしているという時点で、私も話のオチ自体は見えていました。もっと言えば、あらすじの段階で勘づいた部分もあった。
物語の構成としても、1冊で複数人ヒロインの話、その全てを書かなければいけない都合上、少なからず駆け足に感じる部分はあったし、終盤のイベントなども唐突な気がしたけど、それがまったく、不快でもなければ不満にもならないというぐらいには、読み応えのある内容だった。
淡々と、そして静かな物語進行を考えれば、むしろこれぐらいが丁度良い速さなのだと、そんな気がするんだよね。飛び飛びのように感じる話運びも、過程よりも結末を、少女の最後の煌めきを優先した、とでも言うのだろうか。
イラストに関しても見事で、この作品には、所謂挿絵が存在しません。カバーと口絵はありますけど、一般的なラノベにある挿絵……ヒロインのセクシーショットだったり、主人公の見せ場みたいのを描いたイラストが一切なくて、代わりに各章ごとの表紙となる扉絵があるのです。同じ手法を使っているもので、イリヤの空がありますけど、間に視覚的な補助の役割を果たす挿絵を挟まないというのは、正に文章で勝負してる感じが伝わってきて、非常に好感が持てる。
勿論、イラストレーターとイラストの存在をないがしろにしているのではなく、作品世界を鮮やかにする、美しい色彩として、高野乙彦の静かなイラストは、非常にマッチしてるんですよね。これ以上にない、適材適所とも言える起用だったと思います。
物語の最終的な結末は、敢えて結論を語っていないけど、それすらも書く必要性を感じない、書いてしまえば、それこそ蛇足になるだろうと思います。物語の終わりとは、未来や将来に関する決定ではなく、希望や展望といった含みを持たせた方が良いのだと、私は考えるから。
最近のラノベは娯楽性の強い、文章力や技術力、あるいは構成力などとはかけ離れた、あるいはそれらを必要としない、文字通りのラノベが主流となりつつあります。以前、高名なラノベ作家が「最近のラノベは小難しすぎる」とぼやいていたことがありますけど、今のラノベはそういう次元ですらなくて、そもそも読み物なのか? と感じることが、最近の私に多かったのも事実です。
具体的な作品名は避けますが、そういった流れに対する抵抗感や、意地のようなものが、私からラノベを遠ざけていたのだけど、2015年になって、単発モノではありますが、まだまだ読ませる作品は、良い読書が出来る作品はラノベからも着実に生まれているんだということを実感できて、なんだか今は幸せな気持ち。
しかし、単発作品だからメディアミックスなどの展開はないだろうけど、このままふらっと刊行された一冊で終わるのはなんとも勿体ないですね。ラノベはただでさえ冊数が多いですから、脚光を浴びることが出来なかった名作、傑作の類いがどれほどあるのか私には検討も付きませんが、「明日、今日の君に逢えなくても」に関していえば、今の時代によく出せたと感じざるを得ない良作だと思うし、新刊案内の先頭に載せて、周知させるべき作品だったのでしょう。五十音順とはいえ、これもまた一つの運命なのですよ。多分、きっと。
このまま埋もれるのかは分かりませんけど、仮に何かしらの展開があるなら、私は映像作品よりも音声媒体の方が良いと思う。たとえば、青春アドベンチャーとかのラジオドラマで、ちょっと長めの15回~20回ぐらいにすれば、上手くまとまるんじゃないかって。まあ、私がラジオドラマ好きなのもあるけど。
ちなみに私の中でヒロインの脳内CVは、どうでもいい話ですが、某くすはら又は彼女とそっくりな声の人になってました。あの人なら、見事に複数人格を演じ分けられる気がする。いや、本当にどうでもいいことですが。
ところで、ビリー・ミリガンの本を執筆したダニエル・キイスが昨年亡くなったのは知ってたけど、まさか、ビリー・ミリガン本人も昨年末にこの世を去っていたとは……あとがき読んで、初めてその事実に触れました。いや、ビックリした。
前述の通り、私がコミケ明けからしばらくして、ふと、MF文庫のサイトを開いたのははがないの最終巻が遂に出る、という話を耳にしたからだ。はがないに関してはこの日記の本題と関係ないので割愛するが、MF文庫の新刊案内ページというのは、他のレーベルと違って至ってシンプルな掲載順だった。普通なら話題作や人気シリーズなどを優先して目立つ場所に配置しそうなものだが、MF文庫はそうではない。何と、作品名の五十音順なのだ。
たとえば今月の新刊には、何度も書いているがはがないの最終巻や、アニメの二期も発表された緋弾のアリアの最新刊などが刊行されているわけだが、両作品とも作品名の頭文字がは行であることから、掲載位置はかなり下、というか、下から二番目と三番目だ。別にそのこと自体は珍しいと感じただけで、それ以上でもないのだけど、そういった掲載順だからこそ、この作品が目に止まったのかと思うと、少し感じ入るところがありまして。
だって、この作品ってあ行じゃないですか。つまり、余程のことがない限り先頭に掲載されるんですよ。ページ開いて、真っ先に飛び込んでくる作品って、やっぱり印象に残りますよ。
勿論、私の目に止まったのは掲載順が最初だったからでもなくて、表紙のイラストが高野音彦さんだったから、というのもあります。この方は古くからライトノベルでイラストを描かれている方で、有名どころでは電撃文庫のリバーズ・エンドや、桜庭一樹の推定少女、あまり知られてはいませんが、米澤穂信の古典部シリーズ、2巻目に当たる愚者のエンドロール、これの雑誌掲載時のイラストや初版刊行時のカバーなども担当されてるんですよね。
今はすっかりカバーも差し替えられてしまったので、高野版カバーは幻になっていますが、私からすれば、00年代におけるラノベブームの黎明期を代表するイラストレータ一人なんだと思います。
近年はイラストの活動をそれほどされてなくて、本人も久しぶりにラノベの挿絵を担当したとブログ等で書かれてましたが、それだけに珍しく、私の心がひかれたのだと思います。元より高野さんが描かれるイラストは好きでしたが、所謂黎明期から10年以上経った今でも、その色褪せることない魅力に心奪われたのかも知れません。
これだけ書くと、なんだ、イラストが好きで買っただけかと思われそうですが、確かに作品のことを知る切欠と、入口になったのは認めます。ですが、それと同等に作品のあらすじに興味を抱いたのも事実だったりします。そこにSFの香りを感じ取ったから、とでも言いますか……
前置きが長くなりましたが、そろそろ作品の話に入りましょうか。毎回、前置きが長くて全然本題に入らない私ですが、今回は発売したばかりの作品ながら、やや踏み込んだ話を、ネタバレに近い感想という奴を書きます。ここまで読んで、是非作品を購入したいと考えているそこの貴方、そんな人がいるのかは分かりませんが、ここから先は自己の判断で読んで下さい。
上記の通り、この「明日、今日の君に逢えなくても」という作品は、大分類ではSFに位置する物語だと私は考えます。勿論、作者の意図しているジャンルは分かりませんし、MF文庫での紹介は青春群像劇と、ありがちな、あるいは当たり障りのない表現になっています。
ですが、青春群像劇という言葉、もしくは表現は、作品を語る上で、この上ないものだと、読了後の私は思うのです。
本作は、という解離性同一障害、所謂、多重人格をモチーフとした架空の病気が物語のキーとなっています。何故、世間的にも有名な多重人格ではなく、わざわざ架空の病気を設定したのかは、勿論、それがデリケートなことだからと言うのもあるのでしょうが、結論的な理由はあとがきに記されてました。まあ、これは書かなくても良いでしょう。
シノニムという病気の説明は、MF文庫のサイトで無料公開されている立ち読み、つまり、作品の冒頭部分で詳しく解説されていますが、ここで簡単に紹介すると、勝手に治る多重人格です。お医者様による治療法がないだけで死ぬような病ではないし、ある特定の条件が揃えば別人格は消えてしまう、そんな設定。多重人格ほど深刻な理由で発症するわけではなく、その元となった傷、または心残りや悔やみのようなものが解消されれば、主人格はシノニムの人格を必要とせず、必要となくなった人格はいなくなってしまうと、まあ、そういうことです。
物語のヒロインは、このシノニムを患っており、しかも、とある事情からすぐ治るはずの病が完治せず、長期にわたって複数人格を維持しているという状態。ヒロインが多重人格という作品は、それほど数があるとは思えませんが、前例がないこともなく、やや例えとするにはライトすぎる気もしますが、ケロロ軍曹の西澤桃華などが有名でしょうか? 彼女の場合、表と裏、どちらの人格も主人公である冬樹くんのことが好きで、奪い合いなどはせず、時には協力し合って恋路を進んでいます。これがラブコメなら、あるいは複数の人格同士が主人公を奪い合って……なんて展開があるのかも知れませんが、この「明日、今日の君に逢えなくても」の凄いところは、そのどちらにも該当しないことなのです。
「明日、今日の君に逢えなくても」には3人のヒロインが登場します。藍里、茜、蘭香という少女達ですが、ヒロインはイコールで別人格となるため、人間の個体としては1人になります。
それぞれの少女を簡単に紹介すると、藍里は少しあどけなさを残した、可憐な少女らしい少女。茜はスポーティで陸上に打ち込む元気っ子、蘭香はクールで、軽音楽部に所属するロック志向と、まさに三者三様の人格を持っており、作中ではこのいずれかが主人格とされるも、彼女たち自身、記憶を失っているため、誰が主人格か分からない。結果としてシノニムが長引いている……ということらしい。
そんな少女達に対する主人公は、と言えば、ここがこの作品において、私が感心した箇所になるのですが、主人公もまた一人ではないのです。主人公も多重人格なのかと言えばそうではなくて、各ヒロイン(人格)に対する主人公が違うという、これまた珍しい設定なのです。
たとえば、ロックンロールな蘭香編における主人公は、軽音楽部の先輩、男子生徒の悠であり、弾丸少女の茜編では、幼馴染みの少女瑞希が主人公となります。各編の主人公達は、ヒロインを相手に恋や友情の物語を展開していくわけですが、ごく一般的なラノベにおいて、複数のヒロインに対する主人公は大体一人です。
主人公に対するヒロインが複数人いる、ある種のハーレム展開がラノベの常であって、別のキャラとくっつくような娘がいれば、それはヒロインではなくサブキャラになります。勿論、例外は幾らでもあるのでしょうが、そう数は多くないと思います。
ある種の決まり事、あるいはヒロインの法則を無視したかのような話作りは、しかし、読んでみるとごく自然に受け入れることが出来、複数人格の一つでしかない少女達が、確かに生きて、そして、それぞれの日常があることを読者に教えてくれました。登場するキャラも、語り部も、全てを代えることによって、同じ身体を持つ少女達の、個性や独立性を強調した。これは正直、そんな方法があったのかと、目から鱗が落ちました。
しかも、各編の主人公は自分が相対するヒロインに対しての興味のみが強くて、たとえば悠は蘭香のことは好きだけど、茜や藍里には恋愛感情を抱いていないし、瑞希は幼馴染みだから藍里や蘭香のことを知らないわけじゃないけど、まず第一に親友と考えているのは茜だったりと、人格と肉体をキッチリ区別しているんですね。だから、他のヒロインの物語に深く関わってくることはないし、あくまで1対1の物語が描かれています。
シノニムは治る病気ですから、それぞれのヒロインが物語を進めていく過程で、多重人格の彼女たちは消えゆく運命にあります。そんな儚い命とも言うべきヒロインと向き合い、どのような答えを出していくのか? 主人格は一体誰なのか?
物語はやがて、残された主人格と最後の主人公に委ねられるわけですが、
話の展開としては非常に分かりやすい、読書量の多い人なら容易に想像が付くものだと思います。実在の多重人格者、ビリー・ミリガンと、彼に定義されたスポットをシノニムのモデルにしているという時点で、私も話のオチ自体は見えていました。もっと言えば、あらすじの段階で勘づいた部分もあった。
物語の構成としても、1冊で複数人ヒロインの話、その全てを書かなければいけない都合上、少なからず駆け足に感じる部分はあったし、終盤のイベントなども唐突な気がしたけど、それがまったく、不快でもなければ不満にもならないというぐらいには、読み応えのある内容だった。
淡々と、そして静かな物語進行を考えれば、むしろこれぐらいが丁度良い速さなのだと、そんな気がするんだよね。飛び飛びのように感じる話運びも、過程よりも結末を、少女の最後の煌めきを優先した、とでも言うのだろうか。
イラストに関しても見事で、この作品には、所謂挿絵が存在しません。カバーと口絵はありますけど、一般的なラノベにある挿絵……ヒロインのセクシーショットだったり、主人公の見せ場みたいのを描いたイラストが一切なくて、代わりに各章ごとの表紙となる扉絵があるのです。同じ手法を使っているもので、イリヤの空がありますけど、間に視覚的な補助の役割を果たす挿絵を挟まないというのは、正に文章で勝負してる感じが伝わってきて、非常に好感が持てる。
勿論、イラストレーターとイラストの存在をないがしろにしているのではなく、作品世界を鮮やかにする、美しい色彩として、高野乙彦の静かなイラストは、非常にマッチしてるんですよね。これ以上にない、適材適所とも言える起用だったと思います。
物語の最終的な結末は、敢えて結論を語っていないけど、それすらも書く必要性を感じない、書いてしまえば、それこそ蛇足になるだろうと思います。物語の終わりとは、未来や将来に関する決定ではなく、希望や展望といった含みを持たせた方が良いのだと、私は考えるから。
最近のラノベは娯楽性の強い、文章力や技術力、あるいは構成力などとはかけ離れた、あるいはそれらを必要としない、文字通りのラノベが主流となりつつあります。以前、高名なラノベ作家が「最近のラノベは小難しすぎる」とぼやいていたことがありますけど、今のラノベはそういう次元ですらなくて、そもそも読み物なのか? と感じることが、最近の私に多かったのも事実です。
具体的な作品名は避けますが、そういった流れに対する抵抗感や、意地のようなものが、私からラノベを遠ざけていたのだけど、2015年になって、単発モノではありますが、まだまだ読ませる作品は、良い読書が出来る作品はラノベからも着実に生まれているんだということを実感できて、なんだか今は幸せな気持ち。
しかし、単発作品だからメディアミックスなどの展開はないだろうけど、このままふらっと刊行された一冊で終わるのはなんとも勿体ないですね。ラノベはただでさえ冊数が多いですから、脚光を浴びることが出来なかった名作、傑作の類いがどれほどあるのか私には検討も付きませんが、「明日、今日の君に逢えなくても」に関していえば、今の時代によく出せたと感じざるを得ない良作だと思うし、新刊案内の先頭に載せて、周知させるべき作品だったのでしょう。五十音順とはいえ、これもまた一つの運命なのですよ。多分、きっと。
このまま埋もれるのかは分かりませんけど、仮に何かしらの展開があるなら、私は映像作品よりも音声媒体の方が良いと思う。たとえば、青春アドベンチャーとかのラジオドラマで、ちょっと長めの15回~20回ぐらいにすれば、上手くまとまるんじゃないかって。まあ、私がラジオドラマ好きなのもあるけど。
ちなみに私の中でヒロインの脳内CVは、どうでもいい話ですが、某くすはら又は彼女とそっくりな声の人になってました。あの人なら、見事に複数人格を演じ分けられる気がする。いや、本当にどうでもいいことですが。
ところで、ビリー・ミリガンの本を執筆したダニエル・キイスが昨年亡くなったのは知ってたけど、まさか、ビリー・ミリガン本人も昨年末にこの世を去っていたとは……あとがき読んで、初めてその事実に触れました。いや、ビックリした。
コミケの情報を収集していく中で、ふと、ご注文はうさぎですか?の新刊や新作グッズを出すサークルが、それなりにいる、ということに気付きました。まんがタイムきららMAXにて連載中の作品で、同雑誌ではきんモザと並ぶ二枚看板ですけど、アニメは昨年放送でしたか。昨今は二次創作の対象も消耗品のごとく消費されており、なかなか長く続くジャンルというのはないんですが、それを考えるとごちうさは、アニメの二期が決まっているとはいえ、息が長いですね。
所謂、まんがタイムきらら系の作品ってのは、あまり二次創作が盛り上がらないことで知られています。元々が四コマ雑誌だし、アニメは日常系が殆どですけど、これはどの作品についても同じことで、きんモザや、古くはひだまりでさえ、同人ジャンルとしてはさほどの人気、あるいは勢力は持っていませんでした。
唯一の例外にけいおんがありますけど、あれはきらら作品というよりは、京アニ作品という分類になり、アニメも決して日常系一辺倒ではありませんでしたから、ちょっと事情が違うんですね。特別なものというのは、どんなところにもあるものなんです。
まあ、それはともかくとしても、ごちうさの話。ごちうさはきらら系の同人ジャンルとしては異例と言ってもいいヒットが起こっており、大手や中堅、あるいはピコも含めて、結構なサークルが本を書いています。たとえば、このほどアニメの第二期が終了したばかりの、きんいろモザイク。こちらのジャンルの本がとらのあなにどれぐらいあるのか? 在庫のないものも含めて検索した結果、52件ほどヒットしました。対してごちうさの場合、こちらはアニメが終了してから1年以上、コミックスの4巻も未だ出ていませんが……検索ヒット数は122件と、一気にきんモザの倍以上の数になりました。
アニメ化以前はうちのサークル以外に本など出していませんでしたから、僅か1年と少しの間に100冊もの同人誌が出て、あるいはこの夏に出る予定がある、ということな訳で、ジャンルとしての成長ぶりはなかなかのものではないでしょうか?
ごちうさは、一般的なきらら系漫画に比べると、やや毛色が違う作品です。勿論、きらら系とて5~6誌もある訳ですから、そこには様々な作品が連載されているのだけど、アニメ化した作品に絞って考えてみると、それなりの共通点を見出すことが可能です。
これは上記では除外したけいおんにも言えることですが、きらら系アニメというのは総じて学園モノであることが多く、ひだまりだって、Aチャンネルだって、キルミーベイベーだって、その大半が学園を舞台にしています。
けいおんやハナヤマタのように部活動をメインに据えているものもありますし、逆に学園、学校を舞台にしていない作品といえば、ドージンワークや、後は夢喰いメリーぐらいなものではないしょうか? この2作品にしても主人公は学生なんですけど、前者は同人活動、後者は夢魔と呼ばれる敵との戦いが主軸であって、学園がその舞台になってないんですね。
ごちうさもまた、登場人物は全員学生ですけど、学校で物語が展開されることは驚くほど少なく、ハッキリ言って殆ど無いと思います。精々、ティッピーのコーヒー占いにおける災難がココアに降りかかったときぐらいで、後はラビットハウスや甘兎庵、それからフルールといったバイト先か、もっぱら木組みの家と石畳の街全体が、ごちうさという物語の舞台になってるんだよね。これはごちうさについて言及した日記で何度も書いてきたことだけど、ごちうさは街そのものがお話の舞台だからこそ、有り体な学園モノという体裁にはならず、作品の世界観そのものを広げていると思うんですよ。
これが、学園モノという狭い空間にとらわれない作品として、ある種の新鮮さを与えたのではないかなと。
似たような傾向として、きらら系ではありませんが、のんのんびよりにも同じことが言えます。あの作品の登場人物も基本的に学生ですが、学校生活は作品における一部分でしかなく、全体的に見れば田舎暮らしがメインですよね。田舎町そのものが作品の舞台として成立しており、そこからもたらされる様々なイベント、それはほんの日常の1ページに過ぎないかもしれないけど、読者、視聴者にとっては今までにないものとして新鮮味を受けるのでしょう。
とまあ、ここまで書いてきたのはあくまで作品の魅力であって、同人ジャンル云々の話ではないですね。ただ、私は作品としての魅力の高さが同人ジャンルの価値に結びつくこともあるだろうと考えているので、登場キャラクター達の可愛らしさもさることながら、そういった部分でごちうさは高く評価されたのではないか。後はまあ、単純に同人ジャンルとしての向き不向きもあるんだろうけど、要は二次創作の意欲どれだけ刺激できるかですよ。
今現在放送ているきらら系のアニメはがっこうぐらしと城下町のダンデライオンで、後者も又学園モノとは言いづらい作品だけど、夏コミでどの程度の発狂があるのかは気になるところ。
まあ、私は小説同人の人だったから、視覚的にあの作品の可愛らしさを表現することが出来なくて、ジャンルからは撤退気味なんだけど、又何かの機会があったら書いてみたいものです。最近は二次創作についての向き合い方も少なからず分かってきたので、冬までには色々と立て直したいと思う。どんな形にせよ、冬コミには参加したいから。
所謂、まんがタイムきらら系の作品ってのは、あまり二次創作が盛り上がらないことで知られています。元々が四コマ雑誌だし、アニメは日常系が殆どですけど、これはどの作品についても同じことで、きんモザや、古くはひだまりでさえ、同人ジャンルとしてはさほどの人気、あるいは勢力は持っていませんでした。
唯一の例外にけいおんがありますけど、あれはきらら作品というよりは、京アニ作品という分類になり、アニメも決して日常系一辺倒ではありませんでしたから、ちょっと事情が違うんですね。特別なものというのは、どんなところにもあるものなんです。
まあ、それはともかくとしても、ごちうさの話。ごちうさはきらら系の同人ジャンルとしては異例と言ってもいいヒットが起こっており、大手や中堅、あるいはピコも含めて、結構なサークルが本を書いています。たとえば、このほどアニメの第二期が終了したばかりの、きんいろモザイク。こちらのジャンルの本がとらのあなにどれぐらいあるのか? 在庫のないものも含めて検索した結果、52件ほどヒットしました。対してごちうさの場合、こちらはアニメが終了してから1年以上、コミックスの4巻も未だ出ていませんが……検索ヒット数は122件と、一気にきんモザの倍以上の数になりました。
アニメ化以前はうちのサークル以外に本など出していませんでしたから、僅か1年と少しの間に100冊もの同人誌が出て、あるいはこの夏に出る予定がある、ということな訳で、ジャンルとしての成長ぶりはなかなかのものではないでしょうか?
ごちうさは、一般的なきらら系漫画に比べると、やや毛色が違う作品です。勿論、きらら系とて5~6誌もある訳ですから、そこには様々な作品が連載されているのだけど、アニメ化した作品に絞って考えてみると、それなりの共通点を見出すことが可能です。
これは上記では除外したけいおんにも言えることですが、きらら系アニメというのは総じて学園モノであることが多く、ひだまりだって、Aチャンネルだって、キルミーベイベーだって、その大半が学園を舞台にしています。
けいおんやハナヤマタのように部活動をメインに据えているものもありますし、逆に学園、学校を舞台にしていない作品といえば、ドージンワークや、後は夢喰いメリーぐらいなものではないしょうか? この2作品にしても主人公は学生なんですけど、前者は同人活動、後者は夢魔と呼ばれる敵との戦いが主軸であって、学園がその舞台になってないんですね。
ごちうさもまた、登場人物は全員学生ですけど、学校で物語が展開されることは驚くほど少なく、ハッキリ言って殆ど無いと思います。精々、ティッピーのコーヒー占いにおける災難がココアに降りかかったときぐらいで、後はラビットハウスや甘兎庵、それからフルールといったバイト先か、もっぱら木組みの家と石畳の街全体が、ごちうさという物語の舞台になってるんだよね。これはごちうさについて言及した日記で何度も書いてきたことだけど、ごちうさは街そのものがお話の舞台だからこそ、有り体な学園モノという体裁にはならず、作品の世界観そのものを広げていると思うんですよ。
これが、学園モノという狭い空間にとらわれない作品として、ある種の新鮮さを与えたのではないかなと。
似たような傾向として、きらら系ではありませんが、のんのんびよりにも同じことが言えます。あの作品の登場人物も基本的に学生ですが、学校生活は作品における一部分でしかなく、全体的に見れば田舎暮らしがメインですよね。田舎町そのものが作品の舞台として成立しており、そこからもたらされる様々なイベント、それはほんの日常の1ページに過ぎないかもしれないけど、読者、視聴者にとっては今までにないものとして新鮮味を受けるのでしょう。
とまあ、ここまで書いてきたのはあくまで作品の魅力であって、同人ジャンル云々の話ではないですね。ただ、私は作品としての魅力の高さが同人ジャンルの価値に結びつくこともあるだろうと考えているので、登場キャラクター達の可愛らしさもさることながら、そういった部分でごちうさは高く評価されたのではないか。後はまあ、単純に同人ジャンルとしての向き不向きもあるんだろうけど、要は二次創作の意欲どれだけ刺激できるかですよ。
今現在放送ているきらら系のアニメはがっこうぐらしと城下町のダンデライオンで、後者も又学園モノとは言いづらい作品だけど、夏コミでどの程度の発狂があるのかは気になるところ。
まあ、私は小説同人の人だったから、視覚的にあの作品の可愛らしさを表現することが出来なくて、ジャンルからは撤退気味なんだけど、又何かの機会があったら書いてみたいものです。最近は二次創作についての向き合い方も少なからず分かってきたので、冬までには色々と立て直したいと思う。どんな形にせよ、冬コミには参加したいから。
傾向と対策は常に前向き
2015年8月4日 アニメ・マンガ
今年は夏コミに行かないのもありかな、と思っていた私だけど、一転して参加を検討しています。しかも、3日間のフル参加で。理由は色々ありますが、まあ、第一にやっぱり欲しいものがあるというのと、サークルとして落ちたからといって参加しないのは、流石にどうなんだろうなっていう迷いがありまして。3日間フルなのは、単純に2日目参加の友人知人のサークルが少なからずいるからで、究極的に言うと私はバカなので、5年ぶりの一般参加に対して、自分がどこまでやれるか試したいというのもあった。
先週の話になりますけど、コミケが開催される東京ビッグサイトとから程近い、というより、ほとんど徒歩圏内にある、ダイバーシティ東京に行ってきました。最寄り駅はりんかい線の東京テレポートで、ゆりかもめだと台場……あるいは船の科学館や、青梅からも歩けるのかな? あの辺は空間的に狭いですから、割りと数駅程度なら歩けるんだよね。
まあ、それはともかくとして、何でコミケ前にそんなところまで言ったのかというと、声優の上坂すみれさんの新曲リリースイベントがありまして。ダイバーシティー内の、フェスティバル広場でしたか? シティー内と書いちゃいるけど、実際は屋外スペースで、有名な等身大ガンダム像の裏手に当たる場所、そこで開催されたイベントに行ってきました。
テイクアウト専門のガンダムカフェとか、そういうのも近くにあったんですが、まあ、屋外だからとにかく暑いわけですよ。しかも、公開リハーサルをイベント開始1時間前ぐらいからやるので、それも観ようと思ったら、開演2時間ぐらい前には現地入りしていないといけないわけです。正直、悩んだのだけど、最近はすみぺがマイブームということもあって、13時開始のイベントに対して……11時過ぎぐらいですか? 一般エリアの最前列で待機することに。
何もそこまでしなくても、という気がするけど、実はこれってある種の実験を兼ねていて、ずばり今の自分はどれぐらい炎天下、直射日光の下に要られるのか?というのを試してみたかったんですよ。また馬鹿なことをと言われそうだし、実際に言われたんだけど、自分を知るために、個人的には重要な事だった。
11時から12時ってのは都内における一番日が高い時間帯と言いますし、13時や14時も最高気温になるだろうときです。しかも、待機場所は屋外、雲ひとつない青空の下で、直射日光が降り注ぎます。カンカンと照りつけられた太陽の光は暑く、さしもの私もぐったりしそうな感じでしたが、意外とぶっ倒れはしませんでした。
勿論、やっていることは馬鹿ですが、何の対策もしていかないほどアホになった覚えもありませんから、装備はそれなりに用意していきました。コミケ並ではないけどね。コミケと同レベルにしなかったのは、かさばるからってのもあるけど、敢えて一ランク程度落とすことで、当日の装備を調整したかったのと、本番はこれより重装備だという安心感を自分に与えたかったから。たとえば、最初からコミケ用の装備で行って、酷暑にぐったりしてしまうと、「やっぱり、コミケに一般参加とかないわー」になってしまうけど、最初から自分に余裕を作ることで、精神的な落ち着きを維持したわけですね。
それで結局どうなったのかというと、イベントが楽しかったのもありますが、前述のとおり、何とか切り抜けることは出来ました。こればっかりは昔取った杵柄みたいなもんで、暑さに対する対処法を知っているかどうかなんだろうね。自分を過信するつもりはなサラサラないけど、年齢面での不安はある程度払拭できたかなと思う。
ただ、今回は一般参加ですから、いつも以上にお金が掛かります。当然の話、サークルと一般では持っていくものが違いますし、言ってしまえば自分のスペースで休むことが出来るサークル参加者と、そうでない一般参加者の間には、アドバンテージ的な意味での差がありますし、荷物を全部スペースにおいてサークル回りしてくるぜ! という訳にもいかないのが実情です。
その辺りのことを考えつつ、ここ5年分の一般参加における状況を調べようかなと思ってるんですが、コミケの情報ってのは水物ですからね。参加者は大体腐ってますけど、情報に関しては鮮度が命なところがありますから、当日参加してみて、更に修正と調整を加える必要があるかもしれない。いつもなら2日目にそれが出来るんだけど、今年は2日目も参加するつもりだから、いやはやどうなることやら。もう、時間はあまりない。
先週の話になりますけど、コミケが開催される東京ビッグサイトとから程近い、というより、ほとんど徒歩圏内にある、ダイバーシティ東京に行ってきました。最寄り駅はりんかい線の東京テレポートで、ゆりかもめだと台場……あるいは船の科学館や、青梅からも歩けるのかな? あの辺は空間的に狭いですから、割りと数駅程度なら歩けるんだよね。
まあ、それはともかくとして、何でコミケ前にそんなところまで言ったのかというと、声優の上坂すみれさんの新曲リリースイベントがありまして。ダイバーシティー内の、フェスティバル広場でしたか? シティー内と書いちゃいるけど、実際は屋外スペースで、有名な等身大ガンダム像の裏手に当たる場所、そこで開催されたイベントに行ってきました。
テイクアウト専門のガンダムカフェとか、そういうのも近くにあったんですが、まあ、屋外だからとにかく暑いわけですよ。しかも、公開リハーサルをイベント開始1時間前ぐらいからやるので、それも観ようと思ったら、開演2時間ぐらい前には現地入りしていないといけないわけです。正直、悩んだのだけど、最近はすみぺがマイブームということもあって、13時開始のイベントに対して……11時過ぎぐらいですか? 一般エリアの最前列で待機することに。
何もそこまでしなくても、という気がするけど、実はこれってある種の実験を兼ねていて、ずばり今の自分はどれぐらい炎天下、直射日光の下に要られるのか?というのを試してみたかったんですよ。また馬鹿なことをと言われそうだし、実際に言われたんだけど、自分を知るために、個人的には重要な事だった。
11時から12時ってのは都内における一番日が高い時間帯と言いますし、13時や14時も最高気温になるだろうときです。しかも、待機場所は屋外、雲ひとつない青空の下で、直射日光が降り注ぎます。カンカンと照りつけられた太陽の光は暑く、さしもの私もぐったりしそうな感じでしたが、意外とぶっ倒れはしませんでした。
勿論、やっていることは馬鹿ですが、何の対策もしていかないほどアホになった覚えもありませんから、装備はそれなりに用意していきました。コミケ並ではないけどね。コミケと同レベルにしなかったのは、かさばるからってのもあるけど、敢えて一ランク程度落とすことで、当日の装備を調整したかったのと、本番はこれより重装備だという安心感を自分に与えたかったから。たとえば、最初からコミケ用の装備で行って、酷暑にぐったりしてしまうと、「やっぱり、コミケに一般参加とかないわー」になってしまうけど、最初から自分に余裕を作ることで、精神的な落ち着きを維持したわけですね。
それで結局どうなったのかというと、イベントが楽しかったのもありますが、前述のとおり、何とか切り抜けることは出来ました。こればっかりは昔取った杵柄みたいなもんで、暑さに対する対処法を知っているかどうかなんだろうね。自分を過信するつもりはなサラサラないけど、年齢面での不安はある程度払拭できたかなと思う。
ただ、今回は一般参加ですから、いつも以上にお金が掛かります。当然の話、サークルと一般では持っていくものが違いますし、言ってしまえば自分のスペースで休むことが出来るサークル参加者と、そうでない一般参加者の間には、アドバンテージ的な意味での差がありますし、荷物を全部スペースにおいてサークル回りしてくるぜ! という訳にもいかないのが実情です。
その辺りのことを考えつつ、ここ5年分の一般参加における状況を調べようかなと思ってるんですが、コミケの情報ってのは水物ですからね。参加者は大体腐ってますけど、情報に関しては鮮度が命なところがありますから、当日参加してみて、更に修正と調整を加える必要があるかもしれない。いつもなら2日目にそれが出来るんだけど、今年は2日目も参加するつもりだから、いやはやどうなることやら。もう、時間はあまりない。
くすはらゆい連載コラム『となりのヒロインさん☆』第4回感想
2015年8月3日 くすはらゆい
『となりのヒロインさん☆』第4回……なのですが、この日記って最近は月1でこれについてしか書いてませんね。まあ、書かないよりはマシなのかもしれないけど、このままじゃ良くないと思っていたりもするという。それはともかくとして、BugBugも250号記念のDVD付きが終了し、価格が400円以上安くなりました。一応、今月号にもDVDは付いてるのだけど、トールケース仕様じゃないからか、それほど値上がりもしなかったみたいですね。この頃は雑誌も高いですけど、BugBugの通常価格は1000円らしい。税込で1080円。エロゲ雑誌の中では、そこそこ安い方に入るのかもしれない。
コラムの話に移りますが、今月のゲストキャラは「サツコイ ~悠久なる恋の歌~」から、メインヒロインの白羽瀬悠でした。珍しいところから来たな、と思う反面、サツコイの発売日は昨年、2014年の8月29日ですから、丁度1年ぐらい前になるんですかね。まあ、正確には11ヵ月前だけど、夏に出た作品、という意味では分からなくもないチョイスです。サツコイは延期組だけども。
悠は設定上は学生で、主人公のクラスメートな訳ですが、普段は自宅のアパートで引きこもりライフを送っているため、今回はそんな悠の部屋をくすはらゆいが尋ねる、というシチュエーションになってました。クソ暑い夏に外へ出たくない、ということだけど、逆に言えば普段はどこで会っていたのでしょうか? あれですかね、富士美出版の会議室とかかな。わざわざ、すずなを村から呼んだとは思えないのだけど、まあ、深くは考えないでおこうか……
後、悠が訪ねてきたくすはらゆいを認識していたことから、各キャラは中の人を認識している設定みたいですね。悠はヤンデレヒロインを気取ってましたけど、中の人はヤンデレと思っておらず、それについては私も同感です。悠はヤンデレっぽい魅せ方こそしてましたが、あくまで見せ掛けだけというか、本質は違った。ネタバレがしにくい作品なので、漫才じみた掛け合いが多かったですが、さすがは演じた本人だけあって、相変わらずキャラクターを上手く掴んだ文章を書かれますね。来月は9月……雑誌の号数としては10月号になるわけですが、果たして誰が来るのやら。5回目だし、そろそろminoriヒロインから来るのかな。
他に注目してる記事とかエロゲですけど、先月のエロゲに全く興味ない時期に比べて幾らか解消はされてますが、相変わらずエロゲにさほど熱が入りません。8月にはHOOKとか、ま~まれぇどの新作が出ますが、それにしたって買うのかどうか……HOOKは2000年代初期から中期における私のエロゲライフを形作ったメーカーで、思い入れは結構あるんだけど、それでも最近は惰性で買ってる感が強くて。オレポケからの流れで、_summerぐらいまでは楽しく買ってましたけど、既にらっこも引退しちゃいましたからね。
別に原画家が引退したからといって、それだけでメーカーから離れる理由にはならないんだけど、HOOKは良くも悪くも純愛ゲーを突き詰めすぎたというか、システム面での強化とかはともかく、作風の代わり映えがしないといいますか。純愛の何が悪いってわけじゃないけど、結局それがマンネリ化して、いつものHOOKになってしまっているのが、個人的には微妙なのよ。そして、そこに安心感がないことも。
個々の作品はそれなりに面白いし、つまらないってことはないんだけど、オレポケから_summerまでに受けた、衝撃や鮮烈さはもう感じないかなって。勿論、長く続けてきたメーカーだから、それは仕方ないのかもしれないけど、Strawberry Nauts以降は何か一味足りない感じが続いています。そう、トキメキが足りないんだ。
minoriの新作についても記事が載ってましたけど、来年発売の作品ではありますが、まあ、買うんじゃないかと。minoriはHOOKと対照的に作品への信頼感があって、庄名泉石や御影といったスタッフが退社した後でもそれは変わりません。
これには個人的ながら色々な理由と要因があるのだけど、長くなるからここでは省くとして、そういえば新作にくすはらゆいは出るんでしょうかね? 流石に四連投はないなと思ってるんだけど、3作品も連続で出たら、それはもうある種の顔みたいなものですから、主題歌=原田ひとみのようなことが、起こらないとも限らない。何気にくすはらゆいも、今年は発表されているだけで、残すとろこ3作品しかありませんから、出演本数としては、去年よりも減りそうな気がしますね。上半期に集中しすぎたか。
コラムの話に移りますが、今月のゲストキャラは「サツコイ ~悠久なる恋の歌~」から、メインヒロインの白羽瀬悠でした。珍しいところから来たな、と思う反面、サツコイの発売日は昨年、2014年の8月29日ですから、丁度1年ぐらい前になるんですかね。まあ、正確には11ヵ月前だけど、夏に出た作品、という意味では分からなくもないチョイスです。サツコイは延期組だけども。
悠は設定上は学生で、主人公のクラスメートな訳ですが、普段は自宅のアパートで引きこもりライフを送っているため、今回はそんな悠の部屋をくすはらゆいが尋ねる、というシチュエーションになってました。クソ暑い夏に外へ出たくない、ということだけど、逆に言えば普段はどこで会っていたのでしょうか? あれですかね、富士美出版の会議室とかかな。わざわざ、すずなを村から呼んだとは思えないのだけど、まあ、深くは考えないでおこうか……
後、悠が訪ねてきたくすはらゆいを認識していたことから、各キャラは中の人を認識している設定みたいですね。悠はヤンデレヒロインを気取ってましたけど、中の人はヤンデレと思っておらず、それについては私も同感です。悠はヤンデレっぽい魅せ方こそしてましたが、あくまで見せ掛けだけというか、本質は違った。ネタバレがしにくい作品なので、漫才じみた掛け合いが多かったですが、さすがは演じた本人だけあって、相変わらずキャラクターを上手く掴んだ文章を書かれますね。来月は9月……雑誌の号数としては10月号になるわけですが、果たして誰が来るのやら。5回目だし、そろそろminoriヒロインから来るのかな。
他に注目してる記事とかエロゲですけど、先月のエロゲに全く興味ない時期に比べて幾らか解消はされてますが、相変わらずエロゲにさほど熱が入りません。8月にはHOOKとか、ま~まれぇどの新作が出ますが、それにしたって買うのかどうか……HOOKは2000年代初期から中期における私のエロゲライフを形作ったメーカーで、思い入れは結構あるんだけど、それでも最近は惰性で買ってる感が強くて。オレポケからの流れで、_summerぐらいまでは楽しく買ってましたけど、既にらっこも引退しちゃいましたからね。
別に原画家が引退したからといって、それだけでメーカーから離れる理由にはならないんだけど、HOOKは良くも悪くも純愛ゲーを突き詰めすぎたというか、システム面での強化とかはともかく、作風の代わり映えがしないといいますか。純愛の何が悪いってわけじゃないけど、結局それがマンネリ化して、いつものHOOKになってしまっているのが、個人的には微妙なのよ。そして、そこに安心感がないことも。
個々の作品はそれなりに面白いし、つまらないってことはないんだけど、オレポケから_summerまでに受けた、衝撃や鮮烈さはもう感じないかなって。勿論、長く続けてきたメーカーだから、それは仕方ないのかもしれないけど、Strawberry Nauts以降は何か一味足りない感じが続いています。そう、トキメキが足りないんだ。
minoriの新作についても記事が載ってましたけど、来年発売の作品ではありますが、まあ、買うんじゃないかと。minoriはHOOKと対照的に作品への信頼感があって、庄名泉石や御影といったスタッフが退社した後でもそれは変わりません。
これには個人的ながら色々な理由と要因があるのだけど、長くなるからここでは省くとして、そういえば新作にくすはらゆいは出るんでしょうかね? 流石に四連投はないなと思ってるんだけど、3作品も連続で出たら、それはもうある種の顔みたいなものですから、主題歌=原田ひとみのようなことが、起こらないとも限らない。何気にくすはらゆいも、今年は発表されているだけで、残すとろこ3作品しかありませんから、出演本数としては、去年よりも減りそうな気がしますね。上半期に集中しすぎたか。
くすはらゆい連載コラム『となりのヒロインさん☆』第3回感想
2015年7月3日 くすはらゆい
『となりのヒロインさん☆』も第3回ということで、今月はちょっと意外なキャラクターが登場した。くすはらゆいが担当したキャラは主役、サブ含めて既にかなり人数になるが、1回、2回と登場したキャラはどちらも去年出演した作品のヒロインであって、直近の出演作ではなかったからだ。
このコラムがメーカーに許可を取っているのかは分からないけど、まあ、登場させるからには簡単な手続きぐらいはいるのかな、と思っていたのだけど……まさか、2015年5月発売の作品に出てくるヒロインが、早くも登場するとは。
ここで、「え、まさか、ゆっきーが?」と思った貴方、残念ながら違います。そもそも、あのほんわかテイストなコラムにゆっきーが出演する余地があるのか、出演したとして円交やっていたことについて語り合うのか、その辺りは大いに興味あるのだけど、第3回目のヒロインは、5月にPULLTOP Airから発売された「なついろレシピ」のヒロイン、早蕨すずなちゃんでした。
2015年は2月から作品に出ずっぱりのくすはらゆいですが、まさか先月、正確には戦先月末に発売されたエロゲのヒロインがやってくるとは、ちょっと予想外。湊月や雫、桜華ではなく、どうしてすずなだったのか? コラム内にはこれといった理由は書かれてなかったけど、なにせ8月号、夏ですからね。作品の舞台や季節が夏の作品を選んだのだと思います。
考えて見れば、くすはらゆいの出演作で夏が舞台になっている作品って、あまりないですね。学園モノのエロゲは大体春に始まる作品が多くて、夏になって海だプールだ水着だといったイベントに突入するものですから、最初から季節が夏で固定されている作品は、くすはらゆいの出演作に限って言えば、夏ペルぐらいでしょうか? あれもタイトルに夏とありますし、夏が舞台の作品は、タイトルにそれと分かるように記載するものなのかな。
だったら、遠野恋でも良かったじゃないかという気もするけど、恋は特別なキャラですからね。5回とか10回とか、あるいは年末とか、そういった区切りや節目に出すんじゃないかと思ってる。minoriキャラは4人……いえ、3人いるわけだけど、誰が一番最初に出てくるのか、ちょっと頼みだったりします。
コラム自体はなついろレシピの飯テロ作品っぷりを紹介するとともに、台本に指示がなくても、物を食べてそうな演技をすることを心がけるなど、作品に対する細やかな姿勢が書かれていました。
他にくすはら関係で特筆するべき記事はなかったけど、先日発表されたクロシェット以外の新作については記載があった……かな? マジカルディアーズが載っていたかは忘れましたが、ういんどみるのアンラッキーリバースですとか、ensemble SWEETのHでヘンタイ~なんかですね。既に11月まで出演作が確定しているわけですが、これでも昨年の出演本数にはまだ届いてないんだよね。昨年はクロデの追加パッチを除いても14本とか出てましたから、既に10本超えているとはいえ、記録の更新はちょっと難しいかもね。
雑誌自体の話をすると、興味深かったのはサクラノ詩の特集記事ですね。先月末ですか、延期が発表されたわけだけど、雑誌には新しい発売日についての記載があり、モノクロページにあったすかぢのロングインタビューでは、延期について言及までありました。この雑誌の入稿日は知りませんが、インタビュー内でも触れている、ということは、延期そのものは結構前に分かっていたことなんだろうね。それこそ、スクリプターを募集する前から。
サクラノ詩の延期年数を考えれば、数ヶ月なんて誤差レベルだとは思いますが、4月の時点では絶対に延期しないから……とまで言ったかどうかは覚えてませんが、とにかく延期しないのでエイプリルフールネタにしなかったことを考えると、まあ、ケロQと枕なんてこんなものだよね、という気もする。知ってた、という奴です。
実は今、人生で3度目のエロゲに全く興味ない時期に突入していまして、所有エロゲの処分と購入エロゲの見直しを行っています。くすはら作品に手を付けるつもりはないですけど、メーカーごと切り捨てようかな、と思っているところが幾つかあったり。一つに身を軽くしたいってのがあるのと、私もいい年ですから、そろそろ趣味を絞っていこうかなと。後、エロゲは嗜好品として高い部類に入りますし。
まあ、何年周期かで訪れることなので、あるいは来年に、もしかすれば数ヶ月もすれば、すっかりエロゲユーザーとして復帰しているかもしれませんが、当分は省電力で行きます。今はもう少し本を読みたい。
このコラムがメーカーに許可を取っているのかは分からないけど、まあ、登場させるからには簡単な手続きぐらいはいるのかな、と思っていたのだけど……まさか、2015年5月発売の作品に出てくるヒロインが、早くも登場するとは。
ここで、「え、まさか、ゆっきーが?」と思った貴方、残念ながら違います。そもそも、あのほんわかテイストなコラムにゆっきーが出演する余地があるのか、出演したとして円交やっていたことについて語り合うのか、その辺りは大いに興味あるのだけど、第3回目のヒロインは、5月にPULLTOP Airから発売された「なついろレシピ」のヒロイン、早蕨すずなちゃんでした。
2015年は2月から作品に出ずっぱりのくすはらゆいですが、まさか先月、正確には戦先月末に発売されたエロゲのヒロインがやってくるとは、ちょっと予想外。湊月や雫、桜華ではなく、どうしてすずなだったのか? コラム内にはこれといった理由は書かれてなかったけど、なにせ8月号、夏ですからね。作品の舞台や季節が夏の作品を選んだのだと思います。
考えて見れば、くすはらゆいの出演作で夏が舞台になっている作品って、あまりないですね。学園モノのエロゲは大体春に始まる作品が多くて、夏になって海だプールだ水着だといったイベントに突入するものですから、最初から季節が夏で固定されている作品は、くすはらゆいの出演作に限って言えば、夏ペルぐらいでしょうか? あれもタイトルに夏とありますし、夏が舞台の作品は、タイトルにそれと分かるように記載するものなのかな。
だったら、遠野恋でも良かったじゃないかという気もするけど、恋は特別なキャラですからね。5回とか10回とか、あるいは年末とか、そういった区切りや節目に出すんじゃないかと思ってる。minoriキャラは4人……いえ、3人いるわけだけど、誰が一番最初に出てくるのか、ちょっと頼みだったりします。
コラム自体はなついろレシピの飯テロ作品っぷりを紹介するとともに、台本に指示がなくても、物を食べてそうな演技をすることを心がけるなど、作品に対する細やかな姿勢が書かれていました。
他にくすはら関係で特筆するべき記事はなかったけど、先日発表されたクロシェット以外の新作については記載があった……かな? マジカルディアーズが載っていたかは忘れましたが、ういんどみるのアンラッキーリバースですとか、ensemble SWEETのHでヘンタイ~なんかですね。既に11月まで出演作が確定しているわけですが、これでも昨年の出演本数にはまだ届いてないんだよね。昨年はクロデの追加パッチを除いても14本とか出てましたから、既に10本超えているとはいえ、記録の更新はちょっと難しいかもね。
雑誌自体の話をすると、興味深かったのはサクラノ詩の特集記事ですね。先月末ですか、延期が発表されたわけだけど、雑誌には新しい発売日についての記載があり、モノクロページにあったすかぢのロングインタビューでは、延期について言及までありました。この雑誌の入稿日は知りませんが、インタビュー内でも触れている、ということは、延期そのものは結構前に分かっていたことなんだろうね。それこそ、スクリプターを募集する前から。
サクラノ詩の延期年数を考えれば、数ヶ月なんて誤差レベルだとは思いますが、4月の時点では絶対に延期しないから……とまで言ったかどうかは覚えてませんが、とにかく延期しないのでエイプリルフールネタにしなかったことを考えると、まあ、ケロQと枕なんてこんなものだよね、という気もする。知ってた、という奴です。
実は今、人生で3度目のエロゲに全く興味ない時期に突入していまして、所有エロゲの処分と購入エロゲの見直しを行っています。くすはら作品に手を付けるつもりはないですけど、メーカーごと切り捨てようかな、と思っているところが幾つかあったり。一つに身を軽くしたいってのがあるのと、私もいい年ですから、そろそろ趣味を絞っていこうかなと。後、エロゲは嗜好品として高い部類に入りますし。
まあ、何年周期かで訪れることなので、あるいは来年に、もしかすれば数ヶ月もすれば、すっかりエロゲユーザーとして復帰しているかもしれませんが、当分は省電力で行きます。今はもう少し本を読みたい。
流れ戻って、流れ行く
2015年7月1日 アニメ・マンガ6月も終わって2015年も下半期になりました。7月ということで季節としては夏なんでしょうが、外は連日の雨とまだまだ梅雨を感じさせますね。上半期は全然日記を更新しなかった……というか、年々更新頻度は落ちてるんですが、、まあ、1年も半分が終わったということで、コミケのこととか、キンスパのことも含めて、振り返ってみようかなと。
実はキンスパのこととか自分の現状、色々なことを6月中に書こう、書こうと努力はしていて、時間作って書き出したりもしたんだけど、何か自分の文章にしっくり来なくて。
まずはコミケのこと。先月、コミケの当落があった訳ですが、5年ぶりに落選しました。2008年頃から個人サークルでの活動を始めて、初のコミケサークル参加は2009年でしたか。一度だけ落ちたんですけど、2010年以降はずっと当選してまして、最後に一般参加したのは何時だろうって感じになりつつ合ったんですが、その記録も遂に潰えました。
このところは毎回受かっていたとはいえ、そういうこともあるとは理解していたし、今回はちょっと小細工を弄したという自覚もあったので、仕方のない結果だと思っています。しかし、まあ、東館に戻りたくてジャンルコード変えたのに、ギャルゲージャンルが東館配置になったのは、手痛い皮肉ですね。
正直、どこかのサークルに委託をお願いしてまで新刊を作ろうとは思わないし、書店委託もやってないサークルですから、今年の夏は本を作らない予定です。誰かしらに手を貸してくれと言われたら動きますけど、サークル・シャリテクロワールは冬までお休み。
去年辺りから、何か空回っているというか、慢性的なネタ切れを起こしていたので、潮時かな……と、考えていたりもしたんですよね。同人誌って、私は売れ線とか、ゴロとか、イナゴではないから、そのとき自分が好きな作品で、二次創作をしてみたいって思うものだから、限界を感じていたというのが本音で。コミ1は声優のデータブックだったからまだしも、同人小説については、色々と見つめ直してみる期間も必要かなって。
そんなこんなで、コミケに落選したことは冷静に受け止めていたつもりというか、ショックは少なかったんだけど、あのカタログとポスターが公開された今となっては、結構堪えてます。最初はこれ以上のネタはもうない、コミケットはなんて素晴らしいんだとか言って盛り上がったけど、翌々考えてみると、そんな素晴らしいカタログに自分のサークルは載ってないわけですから、流石に堪えますよ。何か、一気に来てしまった。
キンスパについて。これは先月、6月20日及び、21日の土日に開催されたKING SUPER LIVE 2015のことですね。
このフェスに関しては個別に書こうと思ってて、今でも書きたいと考えているんだけど、上手く言葉にならないから、ひとまずここでまとめてしまうと、物凄く楽しかったのですよ。大きいイベントというか、声優ファン、アニメ系アーティストのファンから一線を退いた、横文字で書けばセミリタイアですか? それをした私にとっては久しぶりの大規模フェスだったんだけど、何かもう、本当に楽しかった。
林原めぐみを始めとしたキングレコードの歴史を語る上では外せない出演者の数々に魅了され、何だろうね、90年代当時の青春時代を思い出したといいますか。キングレコードやスタチャにはここ数年、思うところは確かにあったのだけど、それがどうでも良くなってしまうほどに楽しい2日間だった。
細かい不満とか、これはどうかな? と、感じる部分もあったけど、それは100%が120%に届かなかったぐらいの差であって、コミケ落選以降、「さて、これからどうしようかな」と迷いを感じていた自分、心にポッカリと穴の開いていた私に、凄まじい衝撃を与えてきたといいますか。
終わった直後は、確かに楽しいフェスだったけど、これで自分に何か変化があるとか、そういうことはないだろうと思っていたのに、後からじわじわと影響が出てきたというか、一つのターニングポイント、運命の分かれ道や分岐点になった気がする。大袈裟かもしれないけど、コミケの落選という結果が、ここ数年間の自分を強制終了したのも事実で、そこにキンスパはちょっと刺激が強すぎたのかもしれません。
今現在とこれからの私――どんな理由であれコミケには落選して、ここ5年か続けてきた私の同人活動はストップしました。冬コミには出る予定ですが、何を出すかとか、見通しは何もないし、そもそも受かるかも分かりません。サークルを畳むことはないと思いますけど、今一つ積極さを欠いているのも正直なところです。
じゃあ、最近の私が何をしているのかといえば、このところはラジオを聴いてます。キンスパで所謂レジェンドたちを見てきたのと同時に、今活躍し始めた若手たちを見たことで、少なからず感じ入るところがあって、「ああ、こういう世界あったよな」と、自然な感じで4~5年前の自分を思い出し始めたのかなと。
私が俗に言う声オタ、声優ファンを積極的にやっていたのは4年ぐらい前までで、3年ほど前には完全に一線から退いてました。理由は色々あるけど、多分、前述のコミケと同じで、自分の中に限界が来ていたんだと思う。同人活動が楽しくなっていた時期でもあったし、趣味の方向性がシフトしたんだろうね。
久しぶりに超A&G+とか聴いてるわけだけど、番組の構成とかラインナップは様変わりしても、文化放送は文化放送だなって安心感があった。元々はキンスパを消化する目的で、何か感想とか話さないかなって上坂すみれとか、小松未可子のラジオを聴いてみたのが始まりなんだけど、帯番組だったし、Lady Go!!はてさぐれシリーズとのコラボもしていたから、そのまま視聴を続けている感じです。
キンスパの消化自体は、上記の番組だったり、めぐさんのTBNで大分スッキリした感じがします。特にTBNは、それこそ10年ぶりぐらいに聴いた気がするけど、全く変わりがなくて、声優ラジオの枠を超えた、ラジオの完成形の一つだよなと実感してみたりして。
勿論、声優に対する興味が再燃したのは他にも理由があって、てさぐれシリーズを通して声優の存在を再認識する機会を得たとか、色々と理屈を並べることはできるし、理屈と膏薬はどこへでもつくといいますけど、結局のところ答えはいつもシンプルで、楽しかったんだよね。この項目の最初に書いた通り、物凄く楽しかった。それが理由で、いいじゃない。
しかし、QRはQRのままだからいいとしても、若手声優、あるいは新人声優ですか? 情報量が多いですね。ツイッターでも呟きましたけど、流行りの声優を一人調べるだけで、膨大な情報、媒体、番組なんかが出てくるわけですよ。昔はそれこそアニメにラジオ、それから声優雑誌が1~2冊という時代でしたから、ネットがないという不便さはあれど、追いかける側は楽だったと思う。
それが今では週末のイベント、午前とお昼と夜で違うものに出演した後は、ラジオの生放送やニコ生があるよ、なんてのも珍しくないわけで、浦島太郎ってほどじゃないけど、僅か数年で随分と幅が広がったなと。特にニコ生ですか、某声優によれば若手の必須事項みたいになっているそうで、やっぱりネットの力は凄いもんですよ。BBQRでバッファに悩まされていた時代の人間からすれば、映像配信が主体になるとか、何か信じられませんね。そういや、BBQRなくなったみたいですね。まあ、超A&G+がある今、殊更あれを残す必要もなかったとは思うけど、何か感慨深い……
唐突に私が持っている携帯電話の話をしますけど、スマホじゃなくてガラケーね? 今の機種を選んだ理由って、FMラジオと、デジタルラジオを聴くことが出来たからなんだよね。前者は解説の必要もないけど、後者は4年ぐらい前まで存在していたラジオ媒体で、まあ、昔で言うところのBSQRみたいなものですよ。文化放送が力入れて参加したら、事業そのものが終了しちゃったといういつものパターンで、デジタルラジオに関しては元々試験放送だったらしいけど、それをネットラジオという形で仕組みごと残したのが、今の超A&G+というわけさ。
ラジオを聴ける、それだけのために携帯を選んでいたぐらいだから、当時は相当にQRとかアニラジ、声優ラジオに思い入れがあったんだろうけど、前述のようにデジタルラジオは終了してしまったし、ネットラジオは仕組みが違うから受信できないということで、携帯はただの携帯になりました。まあ、FMラジオはまだ聴けるんだけど、あれは電波の受診が難しくてね。そこまでして聴きたい番組もないし。
けれど、それもスマホが主流となった時代では何の問題もないんだよね。私はauのAndroid使ってますけど、超A&G+はアプリで聴けるし、AMラジオもradikoで聴けて、FMラジオは何と全国の放送がLISMO WAVEとやらで聴き放題。ラジカセ抱えて冬の寒さの中、ベランダで電波拾っていた世代からは考えられない……いい加減、くどいかな。
情報量に対する選択肢も、相対的に増えたよねと思う。確かに技術の発達でツールは色々増えたけど、一個人が費やせる時間、資金、その他諸々には必ず限界があって、たとえば今の若い子は対応出来てるのだろうか? 一人の声優、あるいはアーティストから発信される膨大な情報を、全て受信できてる人って、そんなにいないんじゃなかな。
勿論、各々が興味や関心を持っている事柄は違うから、たとえば水樹奈々を引き合いに出すけど、彼女の歌手活動は追いかけてるけどアニメは見てないとか、ラジオは好きだから聴いているなんて「選択」している場合も多いは思う。そうした選択肢が、勿論対象の人気に比例することではあるけど、今の時代は本当に増えたなと。
まあ、色々とだらだら書いてきましたけど、暫くは自分の興味や関心が向いた方向に歩いてみようと思います。日々着実に若さを失っていく身ですから、そんなにのんびりともしていられないんだけど、ラジオ聴きつつ、イベントとか出かける生活もたまには良いのかなって。何だか5年ほど前に戻った気がしますけど、次の自分が現れるまでは、これで行ってみることにします。
実はキンスパのこととか自分の現状、色々なことを6月中に書こう、書こうと努力はしていて、時間作って書き出したりもしたんだけど、何か自分の文章にしっくり来なくて。
まずはコミケのこと。先月、コミケの当落があった訳ですが、5年ぶりに落選しました。2008年頃から個人サークルでの活動を始めて、初のコミケサークル参加は2009年でしたか。一度だけ落ちたんですけど、2010年以降はずっと当選してまして、最後に一般参加したのは何時だろうって感じになりつつ合ったんですが、その記録も遂に潰えました。
このところは毎回受かっていたとはいえ、そういうこともあるとは理解していたし、今回はちょっと小細工を弄したという自覚もあったので、仕方のない結果だと思っています。しかし、まあ、東館に戻りたくてジャンルコード変えたのに、ギャルゲージャンルが東館配置になったのは、手痛い皮肉ですね。
正直、どこかのサークルに委託をお願いしてまで新刊を作ろうとは思わないし、書店委託もやってないサークルですから、今年の夏は本を作らない予定です。誰かしらに手を貸してくれと言われたら動きますけど、サークル・シャリテクロワールは冬までお休み。
去年辺りから、何か空回っているというか、慢性的なネタ切れを起こしていたので、潮時かな……と、考えていたりもしたんですよね。同人誌って、私は売れ線とか、ゴロとか、イナゴではないから、そのとき自分が好きな作品で、二次創作をしてみたいって思うものだから、限界を感じていたというのが本音で。コミ1は声優のデータブックだったからまだしも、同人小説については、色々と見つめ直してみる期間も必要かなって。
そんなこんなで、コミケに落選したことは冷静に受け止めていたつもりというか、ショックは少なかったんだけど、あのカタログとポスターが公開された今となっては、結構堪えてます。最初はこれ以上のネタはもうない、コミケットはなんて素晴らしいんだとか言って盛り上がったけど、翌々考えてみると、そんな素晴らしいカタログに自分のサークルは載ってないわけですから、流石に堪えますよ。何か、一気に来てしまった。
キンスパについて。これは先月、6月20日及び、21日の土日に開催されたKING SUPER LIVE 2015のことですね。
このフェスに関しては個別に書こうと思ってて、今でも書きたいと考えているんだけど、上手く言葉にならないから、ひとまずここでまとめてしまうと、物凄く楽しかったのですよ。大きいイベントというか、声優ファン、アニメ系アーティストのファンから一線を退いた、横文字で書けばセミリタイアですか? それをした私にとっては久しぶりの大規模フェスだったんだけど、何かもう、本当に楽しかった。
林原めぐみを始めとしたキングレコードの歴史を語る上では外せない出演者の数々に魅了され、何だろうね、90年代当時の青春時代を思い出したといいますか。キングレコードやスタチャにはここ数年、思うところは確かにあったのだけど、それがどうでも良くなってしまうほどに楽しい2日間だった。
細かい不満とか、これはどうかな? と、感じる部分もあったけど、それは100%が120%に届かなかったぐらいの差であって、コミケ落選以降、「さて、これからどうしようかな」と迷いを感じていた自分、心にポッカリと穴の開いていた私に、凄まじい衝撃を与えてきたといいますか。
終わった直後は、確かに楽しいフェスだったけど、これで自分に何か変化があるとか、そういうことはないだろうと思っていたのに、後からじわじわと影響が出てきたというか、一つのターニングポイント、運命の分かれ道や分岐点になった気がする。大袈裟かもしれないけど、コミケの落選という結果が、ここ数年間の自分を強制終了したのも事実で、そこにキンスパはちょっと刺激が強すぎたのかもしれません。
今現在とこれからの私――どんな理由であれコミケには落選して、ここ5年か続けてきた私の同人活動はストップしました。冬コミには出る予定ですが、何を出すかとか、見通しは何もないし、そもそも受かるかも分かりません。サークルを畳むことはないと思いますけど、今一つ積極さを欠いているのも正直なところです。
じゃあ、最近の私が何をしているのかといえば、このところはラジオを聴いてます。キンスパで所謂レジェンドたちを見てきたのと同時に、今活躍し始めた若手たちを見たことで、少なからず感じ入るところがあって、「ああ、こういう世界あったよな」と、自然な感じで4~5年前の自分を思い出し始めたのかなと。
私が俗に言う声オタ、声優ファンを積極的にやっていたのは4年ぐらい前までで、3年ほど前には完全に一線から退いてました。理由は色々あるけど、多分、前述のコミケと同じで、自分の中に限界が来ていたんだと思う。同人活動が楽しくなっていた時期でもあったし、趣味の方向性がシフトしたんだろうね。
久しぶりに超A&G+とか聴いてるわけだけど、番組の構成とかラインナップは様変わりしても、文化放送は文化放送だなって安心感があった。元々はキンスパを消化する目的で、何か感想とか話さないかなって上坂すみれとか、小松未可子のラジオを聴いてみたのが始まりなんだけど、帯番組だったし、Lady Go!!はてさぐれシリーズとのコラボもしていたから、そのまま視聴を続けている感じです。
キンスパの消化自体は、上記の番組だったり、めぐさんのTBNで大分スッキリした感じがします。特にTBNは、それこそ10年ぶりぐらいに聴いた気がするけど、全く変わりがなくて、声優ラジオの枠を超えた、ラジオの完成形の一つだよなと実感してみたりして。
勿論、声優に対する興味が再燃したのは他にも理由があって、てさぐれシリーズを通して声優の存在を再認識する機会を得たとか、色々と理屈を並べることはできるし、理屈と膏薬はどこへでもつくといいますけど、結局のところ答えはいつもシンプルで、楽しかったんだよね。この項目の最初に書いた通り、物凄く楽しかった。それが理由で、いいじゃない。
しかし、QRはQRのままだからいいとしても、若手声優、あるいは新人声優ですか? 情報量が多いですね。ツイッターでも呟きましたけど、流行りの声優を一人調べるだけで、膨大な情報、媒体、番組なんかが出てくるわけですよ。昔はそれこそアニメにラジオ、それから声優雑誌が1~2冊という時代でしたから、ネットがないという不便さはあれど、追いかける側は楽だったと思う。
それが今では週末のイベント、午前とお昼と夜で違うものに出演した後は、ラジオの生放送やニコ生があるよ、なんてのも珍しくないわけで、浦島太郎ってほどじゃないけど、僅か数年で随分と幅が広がったなと。特にニコ生ですか、某声優によれば若手の必須事項みたいになっているそうで、やっぱりネットの力は凄いもんですよ。BBQRでバッファに悩まされていた時代の人間からすれば、映像配信が主体になるとか、何か信じられませんね。そういや、BBQRなくなったみたいですね。まあ、超A&G+がある今、殊更あれを残す必要もなかったとは思うけど、何か感慨深い……
唐突に私が持っている携帯電話の話をしますけど、スマホじゃなくてガラケーね? 今の機種を選んだ理由って、FMラジオと、デジタルラジオを聴くことが出来たからなんだよね。前者は解説の必要もないけど、後者は4年ぐらい前まで存在していたラジオ媒体で、まあ、昔で言うところのBSQRみたいなものですよ。文化放送が力入れて参加したら、事業そのものが終了しちゃったといういつものパターンで、デジタルラジオに関しては元々試験放送だったらしいけど、それをネットラジオという形で仕組みごと残したのが、今の超A&G+というわけさ。
ラジオを聴ける、それだけのために携帯を選んでいたぐらいだから、当時は相当にQRとかアニラジ、声優ラジオに思い入れがあったんだろうけど、前述のようにデジタルラジオは終了してしまったし、ネットラジオは仕組みが違うから受信できないということで、携帯はただの携帯になりました。まあ、FMラジオはまだ聴けるんだけど、あれは電波の受診が難しくてね。そこまでして聴きたい番組もないし。
けれど、それもスマホが主流となった時代では何の問題もないんだよね。私はauのAndroid使ってますけど、超A&G+はアプリで聴けるし、AMラジオもradikoで聴けて、FMラジオは何と全国の放送がLISMO WAVEとやらで聴き放題。ラジカセ抱えて冬の寒さの中、ベランダで電波拾っていた世代からは考えられない……いい加減、くどいかな。
情報量に対する選択肢も、相対的に増えたよねと思う。確かに技術の発達でツールは色々増えたけど、一個人が費やせる時間、資金、その他諸々には必ず限界があって、たとえば今の若い子は対応出来てるのだろうか? 一人の声優、あるいはアーティストから発信される膨大な情報を、全て受信できてる人って、そんなにいないんじゃなかな。
勿論、各々が興味や関心を持っている事柄は違うから、たとえば水樹奈々を引き合いに出すけど、彼女の歌手活動は追いかけてるけどアニメは見てないとか、ラジオは好きだから聴いているなんて「選択」している場合も多いは思う。そうした選択肢が、勿論対象の人気に比例することではあるけど、今の時代は本当に増えたなと。
まあ、色々とだらだら書いてきましたけど、暫くは自分の興味や関心が向いた方向に歩いてみようと思います。日々着実に若さを失っていく身ですから、そんなにのんびりともしていられないんだけど、ラジオ聴きつつ、イベントとか出かける生活もたまには良いのかなって。何だか5年ほど前に戻った気がしますけど、次の自分が現れるまでは、これで行ってみることにします。
くすはらゆい連載コラム『となりのヒロインさん☆』第2回感想
2015年6月2日 くすはらゆい
PCゲーム雑誌BugBugで先月から連載を開始した、声優・くすはらゆい執筆コラム『となりのヒロインさん☆』の第2回が掲載されました。1ヵ月なんて早いもので、何だかあっという間だった気がします。
毎月連載のコラムではありますが、特に次回予告等がなされている訳ではないので、メインとなる「ゲストヒロイン」に関しては雑誌を手にとって初めて分かるようになっており、今回は誰がゲストで登場するのかな? と、あれこれ予想を立ててたんですが、2回目は結構手堅いヒロインが選ばれてましたね。
そんな訳で2回めのゲストは、春風センセーション!のヒロイン、神薙五十鈴が登場しました。個人的にはもう少し奇を衒ったキャラが出てくるんじゃないかと思ったけど、主演を務めた前回の魔女こいにっきに続いて、割りとメジャータイトルが並んできましたね。
くすはらゆいは今年だけでも既に6本の作品に出演し、更に3本の新作に出演を予定してますから、その気になれば直近の作品で書くことも出来るはずです。勿論、色々な柵や大人の事情で出せない、あるいは、そもそもコラム向きじゃないキャラなどもいるかと思いますが、2回目でいきなり五十鈴が来たことは、少なからず意外でした。予想よりずっと早く登場したなって意味だけど。
前回は桜の季節だからありすとゲストに呼んだ理由付けをしていましたが、今回は特にそういうのはなくて、キャラの掘り下げと収録時のエピソードなどを交えて和気あいあいとした流れになってました。五十鈴といえばツッコミ属性であることを最大限に活かして、流れるようなやり取りはキャラを演じた本人ならではだと思います。
くすはらゆいは、自身が演じたキャラに対する理解力が高くて、たとえばソレヨリノなら、永遠ちゃん=ゆいちゃんと言われるほど一体化した演技と、役への入り込みを見せますし、それは今回のコラムでも触れられていた「キャラと同じ格好をしてみる」という姿勢にも表れています。
勿論、minoriのニコ生みたいにコスプレをして収録に挑むというわけではなくて、そもそもが学生服ばかりのエロゲにおいて、演じたキャラの格好をするというのは容易なことではないですけど、たとえば五十鈴ならニーハイだったり、花の野に咲くうたかたのの雫だったら、黒ストッキングを履いてみたりと、小さい部分ではあるけど、役作りの一環として取り入れてることが分かりました。本人曰く、これまで演じてきたキャラはニーハイ率が高かったそうで、言われてみれば確かにそうですね。逆に黒ストッキングなんかは珍しくて、新鮮な気分だったとか。
キャラとの対談コラムっていう特殊な形式ではあるけど、その中でこんなふうに自分の演技における拘りとか、役作りについて書いてくれるのは、ファンとしては嬉しいよね。キャラや作品のことを知りつつ、本人のことにも詳しくなっていけるのは良いことなんじゃないかな。
勿論、五十鈴や春風センセーション!についてもしっかりと書かれてますし、これは私も同人誌で取り上げましたけど、この作品を取り上げる上でE-moutの存在は外せないようですね。
今までHシーンで動きのあるエロゲといえば、minoriの目パチとか、後はテックアーツ系のフルアニメーションなどがありましたけど、E-moutはそのどちらとも違う新技術で、エロゲではういんどみるが最初に導入したものでもあります。当初は立ち絵のみに採用されており、立ち絵は動くのに何故Hシーンは止まるのだと言われたこともありますが、今回は晴れてHシーンにも使われたわけです。もっとも、その影響で発売日が数ヵ月伸びたり、立ち絵には採用されなかったりもしたのだけど、これまでにないHシーンになったことは確かだと思います。
五十鈴本人に対しては、やはり前述のようにツッコミ属性であることや、後は意外と熱血名部分がある所だったり、キャラの持つ魅力の一端を、コラムの中で過不足なく書ききったんじゃないでしょうか? 五十鈴のことをもっと知りたい、この子可愛いと思った人は、是非春風センセーション!をプレイしてみて下さい。
他には……そう、今月号は250号記念アペンドHディスク集PART2ということで、ソレヨリノプロローグの250号記念ミニミニAVGが付録として付いてきました。前号にもあったアニバーサリー企画第2弾な訳ですが、ソレヨリノに関してはアペンドではないのが特徴的です。
どういうことかと言いますと、他の収録作は元となったゲームソフト本体に追加インストールする形でプレイすることが出来るのに対して、ソレヨリノのミニミニAVGはy単体での起動が可能な作りになっています。ツイッターでは足並みを揃え損なったとか言ってましたけど、これに関しては別に良かったのかなと感じています。
私個人の考えですけど、アペンドって言うのは結局のところその作品を持っていない人には、あれな表現になりますが、全く意味のない物だと思うんですよ。たとえば、このディスク集にはソレヨリノの他に3作品ほど収録されていて、一つはまあ、体験版用だからともかくとしても、それじゃあ残り2本のアペンドをやりたいが為に、わざわざその作品を買ってくるのか? といえば、必ずしもそうはならないんですよね。
であるなら、敢えて作品を持ってない人にも解放することによって、「お、これ結構エロいじゃん。本編も買ってみようかな?」と思わせた方が、機会損失的な意味ではお得なんじゃないかなと。
脚本と演出を担当された鋏鷺先生もブログで触れてましたが、ミニミニAVGはソレヨリノを持ってない人でも楽しめる、かなりまとまりの良い作品に仕上がってると思うんですよ。アペンドによくある追加で一本エロシーンぶち込みました的な感じじゃなくて、しっかりと登場人物を描いているから、心の揺れ動きとか、永遠ちゃんの終くんに対する想いみたいのが、短い中でもよく伝わってきました。短いと言ってもminoriの作品ですから、Hシーンは結構なボリューム感でしたけどね。
後、内容は永遠ちゃんメインだけど、永遠ちゃん以外のヒロインが登場したのも好印象でした。まさか登場するとは思っていなかっただけに、私の中ではミニFDとしての満足感があります。efなんかと違って、夏ペルやイヴはFD出ませんでしたし、こういった機会で永遠ちゃんに会えたってのは、それだけでありがたいことだし。勿論、ゆいちゃんの演技も最高でした。
雑誌全体としては、特に私の琴線に触れる記事はなかったですかね。5月の月末エロゲの日に延期を発表したエッチでヘンタイ! ヤキモチお嬢様!!が、コラム内で延期する前の発売日で載っていたことぐらいですか。6月は正直重たかったので、1本ぐらい延期しても別に構わないといえば構わないんだけど、3本出るものと思って準備をしていただけに、何とも複雑な気分です。
それ以外だとオーガストの新作と、あかべぇが銃騎士のお詫びに出す騎士モノ新作の情報も載ってましたか。銃騎士の件は思うところありますし、こういう形になった事への反発がないといえば嘘になるけど、私はどちらかといえば、てぃ~ぐるの幻のディストピアに関心が向いているので、買うとすればそっちになると思います。
毎月連載のコラムではありますが、特に次回予告等がなされている訳ではないので、メインとなる「ゲストヒロイン」に関しては雑誌を手にとって初めて分かるようになっており、今回は誰がゲストで登場するのかな? と、あれこれ予想を立ててたんですが、2回目は結構手堅いヒロインが選ばれてましたね。
そんな訳で2回めのゲストは、春風センセーション!のヒロイン、神薙五十鈴が登場しました。個人的にはもう少し奇を衒ったキャラが出てくるんじゃないかと思ったけど、主演を務めた前回の魔女こいにっきに続いて、割りとメジャータイトルが並んできましたね。
くすはらゆいは今年だけでも既に6本の作品に出演し、更に3本の新作に出演を予定してますから、その気になれば直近の作品で書くことも出来るはずです。勿論、色々な柵や大人の事情で出せない、あるいは、そもそもコラム向きじゃないキャラなどもいるかと思いますが、2回目でいきなり五十鈴が来たことは、少なからず意外でした。予想よりずっと早く登場したなって意味だけど。
前回は桜の季節だからありすとゲストに呼んだ理由付けをしていましたが、今回は特にそういうのはなくて、キャラの掘り下げと収録時のエピソードなどを交えて和気あいあいとした流れになってました。五十鈴といえばツッコミ属性であることを最大限に活かして、流れるようなやり取りはキャラを演じた本人ならではだと思います。
くすはらゆいは、自身が演じたキャラに対する理解力が高くて、たとえばソレヨリノなら、永遠ちゃん=ゆいちゃんと言われるほど一体化した演技と、役への入り込みを見せますし、それは今回のコラムでも触れられていた「キャラと同じ格好をしてみる」という姿勢にも表れています。
勿論、minoriのニコ生みたいにコスプレをして収録に挑むというわけではなくて、そもそもが学生服ばかりのエロゲにおいて、演じたキャラの格好をするというのは容易なことではないですけど、たとえば五十鈴ならニーハイだったり、花の野に咲くうたかたのの雫だったら、黒ストッキングを履いてみたりと、小さい部分ではあるけど、役作りの一環として取り入れてることが分かりました。本人曰く、これまで演じてきたキャラはニーハイ率が高かったそうで、言われてみれば確かにそうですね。逆に黒ストッキングなんかは珍しくて、新鮮な気分だったとか。
キャラとの対談コラムっていう特殊な形式ではあるけど、その中でこんなふうに自分の演技における拘りとか、役作りについて書いてくれるのは、ファンとしては嬉しいよね。キャラや作品のことを知りつつ、本人のことにも詳しくなっていけるのは良いことなんじゃないかな。
勿論、五十鈴や春風センセーション!についてもしっかりと書かれてますし、これは私も同人誌で取り上げましたけど、この作品を取り上げる上でE-moutの存在は外せないようですね。
今までHシーンで動きのあるエロゲといえば、minoriの目パチとか、後はテックアーツ系のフルアニメーションなどがありましたけど、E-moutはそのどちらとも違う新技術で、エロゲではういんどみるが最初に導入したものでもあります。当初は立ち絵のみに採用されており、立ち絵は動くのに何故Hシーンは止まるのだと言われたこともありますが、今回は晴れてHシーンにも使われたわけです。もっとも、その影響で発売日が数ヵ月伸びたり、立ち絵には採用されなかったりもしたのだけど、これまでにないHシーンになったことは確かだと思います。
五十鈴本人に対しては、やはり前述のようにツッコミ属性であることや、後は意外と熱血名部分がある所だったり、キャラの持つ魅力の一端を、コラムの中で過不足なく書ききったんじゃないでしょうか? 五十鈴のことをもっと知りたい、この子可愛いと思った人は、是非春風センセーション!をプレイしてみて下さい。
他には……そう、今月号は250号記念アペンドHディスク集PART2ということで、ソレヨリノプロローグの250号記念ミニミニAVGが付録として付いてきました。前号にもあったアニバーサリー企画第2弾な訳ですが、ソレヨリノに関してはアペンドではないのが特徴的です。
どういうことかと言いますと、他の収録作は元となったゲームソフト本体に追加インストールする形でプレイすることが出来るのに対して、ソレヨリノのミニミニAVGはy単体での起動が可能な作りになっています。ツイッターでは足並みを揃え損なったとか言ってましたけど、これに関しては別に良かったのかなと感じています。
私個人の考えですけど、アペンドって言うのは結局のところその作品を持っていない人には、あれな表現になりますが、全く意味のない物だと思うんですよ。たとえば、このディスク集にはソレヨリノの他に3作品ほど収録されていて、一つはまあ、体験版用だからともかくとしても、それじゃあ残り2本のアペンドをやりたいが為に、わざわざその作品を買ってくるのか? といえば、必ずしもそうはならないんですよね。
であるなら、敢えて作品を持ってない人にも解放することによって、「お、これ結構エロいじゃん。本編も買ってみようかな?」と思わせた方が、機会損失的な意味ではお得なんじゃないかなと。
脚本と演出を担当された鋏鷺先生もブログで触れてましたが、ミニミニAVGはソレヨリノを持ってない人でも楽しめる、かなりまとまりの良い作品に仕上がってると思うんですよ。アペンドによくある追加で一本エロシーンぶち込みました的な感じじゃなくて、しっかりと登場人物を描いているから、心の揺れ動きとか、永遠ちゃんの終くんに対する想いみたいのが、短い中でもよく伝わってきました。短いと言ってもminoriの作品ですから、Hシーンは結構なボリューム感でしたけどね。
後、内容は永遠ちゃんメインだけど、永遠ちゃん以外のヒロインが登場したのも好印象でした。まさか登場するとは思っていなかっただけに、私の中ではミニFDとしての満足感があります。efなんかと違って、夏ペルやイヴはFD出ませんでしたし、こういった機会で永遠ちゃんに会えたってのは、それだけでありがたいことだし。勿論、ゆいちゃんの演技も最高でした。
雑誌全体としては、特に私の琴線に触れる記事はなかったですかね。5月の月末エロゲの日に延期を発表したエッチでヘンタイ! ヤキモチお嬢様!!が、コラム内で延期する前の発売日で載っていたことぐらいですか。6月は正直重たかったので、1本ぐらい延期しても別に構わないといえば構わないんだけど、3本出るものと思って準備をしていただけに、何とも複雑な気分です。
それ以外だとオーガストの新作と、あかべぇが銃騎士のお詫びに出す騎士モノ新作の情報も載ってましたか。銃騎士の件は思うところありますし、こういう形になった事への反発がないといえば嘘になるけど、私はどちらかといえば、てぃ~ぐるの幻のディストピアに関心が向いているので、買うとすればそっちになると思います。
スケッチブック 11 (BLADE COMICS)
2015年5月11日 アニメ・マンガ
秋葉原に神田祭の見物に行ったとき、丁度発売日だったのでゲマ屋やとらで購入しました。毎月、Web版を読んでいる割にはコミックスの発売日を把握してなくて、殆ど偶然見つけたんですけど、無事特典付きを購入できてよかったです。まあ、特典がWonderGOOを除いて全部みなもんなのは笑ってしまいましたが……最近は所謂特典サイトが更新を停止してしまったので、特典情報を拾うのも大変ですね。出版社が載せている場合は良いのですが、きらら系とか数が多いのに載せてないなんてのもありますし。
スケッチブックも11巻目ということで、8巻ぐらいから続いていた初回限定版は存在せず、通常版のみの発売となりました。100話、10巻などの大台を主人公・梶原空のように「何となく」乗り越えてきた作品ではありますが、お祝い事も一頻り済んだら通常進行という辺り、この作品らしいですよね。
ただ、10巻と11巻の間には結構大きな出来事があって、作品外のことではありますが、コミックブレイドの刊行が終了しました。スケブの連載誌だった訳ですが、紙媒体としての発行を終えて、Web版に移行したんですね。何だか某コミックラッシュを思い出す展開ですが、同時に新しい雑誌「コミックガーデン」も創刊されており、スケブはWebのブレイドと、このコミックガーデンの両誌に掲載される形で移籍を果たしました。
ちなみに雑誌としてのコミックブレイド最終刊、こちらの表紙を担当したのもスケッチブックであり、創刊号から連載していた作品として、堂々と雑誌のラストを飾った形になります。雑誌と一緒に完結する可能性もあっただけに、連載が続いてくれたのは嬉しいですが、ブレイドは比較的好きな雑誌だっただけに、刊行が終了してしまったのは残念でもあります。
スケブは所謂、ガンガン等からの移籍組ではないブレイド内での叩き上げですが、それが結果として雑誌を代表する作品になり、100話や最終刊など、作品や雑誌の節目でカラー表紙を担当してきたのは、何だか感慨深いです。
前置きが長くなりましたが、そんなスケブも11巻。表紙は根岸みなもんですが、今回はまさしく彼女の巻だった、と言えてしまうほどには沢山登場します。アニメからの逆輸入キャラではありますが、原作初登場からこっち、そこまで出番が多かった訳でもないだけに、今回は破竹の勢いで連続登場してました。特に、主要キャラでは青より先に表紙デビューを果たしていますね。これに関しては空のクラスメートである渓や高嶺もそうですが、彼女たちは一応4巻が初登場ということになってますから、青より早くてもまあ問題は……ないのか?
スケブは基本的に最初の1ページ、扉のネタは空で始まることが多かったのだけど、最近はその縛りも無くなったのか、空以外のキャラで始まることも増えてます。今回はみなも尽くしと言ってもいい話でしたが、彼女もすっかり原作の空気に染まったのか、なかなかにいい性格を見せるシーンが目立ちますね。空のふてぶてしさに感化されたわけじゃないけど、意図的な無邪気を露わにしており、美術部やその関係者を翻弄しています。少なくとも、兄貴よりは上手なんじゃないかと。
他に特筆すべき事として、梶原家の家族構成が若干ですが垣間見えましたね。前述の青が家事、特に料理が得意なので何となく予想はしていましたが、梶原家にはどうやら母親が不在らしく、11巻にして初めて父親の存在が言及されました。登場こそしてませんが、テーブルの上に大量の小銭を置いて、「これで何か食べよ」と子供たちに書き置きを残していました。文章から伝わってくるニュアンスが何となく空に似ていますが、どうやら性格も空に似ているらしく、小銭を大量に持っているのはレジで小銭を出すのが遅く、後方のプレッシャーに負けてお札で払うことが多いかららしい。それを聞いた空も小銭で重くなった財布を取り出す辺り、やはり娘は父親に似るんですかね。
「これで何か食べよ」を、「これで美味しいもの食えってさ」に変換する青は結構ちゃっかりしている気もしますが、出かけてくるとしか書いてない書き置きを見て、「父さんは遊びに行ったみたいだよ。ひとりで」と言ったり、割り箸袋に残された書き置きの趣旨を正確に察する辺り、親子だけあって色々慣れてるのかもしれません。
一人でフラッと遊びに行くなんて、それこそ空の専売特許みたいなものですが、この親にしてこの子ありという感じなのかな。姉と父親がふてぶてしくものんびりした性格なだけ、長男がしっかり者になったということか。
みなもの登場で原作とアニメの違いが明確化されたスケブだけど、青のキャラクターだけはそんなに差がなくて、姉に振り回されつつも卒なくこなす辺りは、本当によく出来た弟さんです。ただ、和風を好む姉とは逆に、嗜好の上では洋風を好んでおり、11巻でもホワイトシチューを作った際、具に入れるマッシュルームの買い出しを姉に頼んだのにも関わらず、売り切れで椎茸を買ってくるという外れっぷり。青は椎茸じゃマッシュルームの代わりにならないと言いますが、入れてみると意外にイケる。いつかの蒲鉾素麺もそうですが、組み合わせによってはそう悪くないものが出来たりするんだよね。
「でも姉ちゃん関わるとなんかいつも和風になっちゃうなぁ」という青のボヤキは、姉の個性を尊重しつつも自分の嗜好に対する拘りも見られる。煎餅とかいりことかが好きな姉に対して、青はドーナツとか洋菓子が好きですから、和風一辺倒なところがある姉に対して、思うところもあるんでしょう。まあ、それだってポテチやアイスを食べることはあるけども。
お茶漬けを料理と言いはる、包丁を使う料理は簡単と言わない、空の言い分も理解は出来ますが、葉月がはまっているというお茶漬けはちょっと興味ありますね。序盤の方であった栗原さんのお刺身講座もそうだけど、スケッチブックは食に対する記述も結構豊富で、作者の多彩っぷりをよく表していると思います。
11巻はみなもや青といったキャラが印象的な活躍をしていましたが、その反面、佐々木さんメインのネタがほぼなかった気もする。根岸ちゃんと空閑先輩の絡みもなかったけど、そういや朝霞はやっぱり、根岸くんと通学路が同じなんですかね。あの雰囲気から察するに。
まあ、キャラも増えてきたからそのとき動かしやすいキャラがメインを張っていくことになるのだろうけど、Web版やコミックガーデンでも平穏無事に連載を続けて欲しいものです。
それではまた来年、次巻を楽しみにしてましょう。
スケッチブックも11巻目ということで、8巻ぐらいから続いていた初回限定版は存在せず、通常版のみの発売となりました。100話、10巻などの大台を主人公・梶原空のように「何となく」乗り越えてきた作品ではありますが、お祝い事も一頻り済んだら通常進行という辺り、この作品らしいですよね。
ただ、10巻と11巻の間には結構大きな出来事があって、作品外のことではありますが、コミックブレイドの刊行が終了しました。スケブの連載誌だった訳ですが、紙媒体としての発行を終えて、Web版に移行したんですね。何だか某コミックラッシュを思い出す展開ですが、同時に新しい雑誌「コミックガーデン」も創刊されており、スケブはWebのブレイドと、このコミックガーデンの両誌に掲載される形で移籍を果たしました。
ちなみに雑誌としてのコミックブレイド最終刊、こちらの表紙を担当したのもスケッチブックであり、創刊号から連載していた作品として、堂々と雑誌のラストを飾った形になります。雑誌と一緒に完結する可能性もあっただけに、連載が続いてくれたのは嬉しいですが、ブレイドは比較的好きな雑誌だっただけに、刊行が終了してしまったのは残念でもあります。
スケブは所謂、ガンガン等からの移籍組ではないブレイド内での叩き上げですが、それが結果として雑誌を代表する作品になり、100話や最終刊など、作品や雑誌の節目でカラー表紙を担当してきたのは、何だか感慨深いです。
前置きが長くなりましたが、そんなスケブも11巻。表紙は根岸みなもんですが、今回はまさしく彼女の巻だった、と言えてしまうほどには沢山登場します。アニメからの逆輸入キャラではありますが、原作初登場からこっち、そこまで出番が多かった訳でもないだけに、今回は破竹の勢いで連続登場してました。特に、主要キャラでは青より先に表紙デビューを果たしていますね。これに関しては空のクラスメートである渓や高嶺もそうですが、彼女たちは一応4巻が初登場ということになってますから、青より早くてもまあ問題は……ないのか?
スケブは基本的に最初の1ページ、扉のネタは空で始まることが多かったのだけど、最近はその縛りも無くなったのか、空以外のキャラで始まることも増えてます。今回はみなも尽くしと言ってもいい話でしたが、彼女もすっかり原作の空気に染まったのか、なかなかにいい性格を見せるシーンが目立ちますね。空のふてぶてしさに感化されたわけじゃないけど、意図的な無邪気を露わにしており、美術部やその関係者を翻弄しています。少なくとも、兄貴よりは上手なんじゃないかと。
他に特筆すべき事として、梶原家の家族構成が若干ですが垣間見えましたね。前述の青が家事、特に料理が得意なので何となく予想はしていましたが、梶原家にはどうやら母親が不在らしく、11巻にして初めて父親の存在が言及されました。登場こそしてませんが、テーブルの上に大量の小銭を置いて、「これで何か食べよ」と子供たちに書き置きを残していました。文章から伝わってくるニュアンスが何となく空に似ていますが、どうやら性格も空に似ているらしく、小銭を大量に持っているのはレジで小銭を出すのが遅く、後方のプレッシャーに負けてお札で払うことが多いかららしい。それを聞いた空も小銭で重くなった財布を取り出す辺り、やはり娘は父親に似るんですかね。
「これで何か食べよ」を、「これで美味しいもの食えってさ」に変換する青は結構ちゃっかりしている気もしますが、出かけてくるとしか書いてない書き置きを見て、「父さんは遊びに行ったみたいだよ。ひとりで」と言ったり、割り箸袋に残された書き置きの趣旨を正確に察する辺り、親子だけあって色々慣れてるのかもしれません。
一人でフラッと遊びに行くなんて、それこそ空の専売特許みたいなものですが、この親にしてこの子ありという感じなのかな。姉と父親がふてぶてしくものんびりした性格なだけ、長男がしっかり者になったということか。
みなもの登場で原作とアニメの違いが明確化されたスケブだけど、青のキャラクターだけはそんなに差がなくて、姉に振り回されつつも卒なくこなす辺りは、本当によく出来た弟さんです。ただ、和風を好む姉とは逆に、嗜好の上では洋風を好んでおり、11巻でもホワイトシチューを作った際、具に入れるマッシュルームの買い出しを姉に頼んだのにも関わらず、売り切れで椎茸を買ってくるという外れっぷり。青は椎茸じゃマッシュルームの代わりにならないと言いますが、入れてみると意外にイケる。いつかの蒲鉾素麺もそうですが、組み合わせによってはそう悪くないものが出来たりするんだよね。
「でも姉ちゃん関わるとなんかいつも和風になっちゃうなぁ」という青のボヤキは、姉の個性を尊重しつつも自分の嗜好に対する拘りも見られる。煎餅とかいりことかが好きな姉に対して、青はドーナツとか洋菓子が好きですから、和風一辺倒なところがある姉に対して、思うところもあるんでしょう。まあ、それだってポテチやアイスを食べることはあるけども。
お茶漬けを料理と言いはる、包丁を使う料理は簡単と言わない、空の言い分も理解は出来ますが、葉月がはまっているというお茶漬けはちょっと興味ありますね。序盤の方であった栗原さんのお刺身講座もそうだけど、スケッチブックは食に対する記述も結構豊富で、作者の多彩っぷりをよく表していると思います。
11巻はみなもや青といったキャラが印象的な活躍をしていましたが、その反面、佐々木さんメインのネタがほぼなかった気もする。根岸ちゃんと空閑先輩の絡みもなかったけど、そういや朝霞はやっぱり、根岸くんと通学路が同じなんですかね。あの雰囲気から察するに。
まあ、キャラも増えてきたからそのとき動かしやすいキャラがメインを張っていくことになるのだろうけど、Web版やコミックガーデンでも平穏無事に連載を続けて欲しいものです。
それではまた来年、次巻を楽しみにしてましょう。
COMIC1☆9、お疲れ様でした。当日はキャラ1のALcotブースにくすはらゆい出演のCDを買いに行ったりしていたこともあり、いつもよりスペースにいる時間が短かったのですが、尋ねてきてくれた人も多かったそうで、ちゃんとご挨拶できず申し訳ありません。
キャラ1に行ったのは初めてだったんですが、結構賑わっており、minoriブースのセールでは狙っていたフォーエバーちゃんタペストリーが完売していたなど、色々計算外な出来事もあって楽しかったです。
さて、当サークルの新刊「くすはらゆいDataBook-Vol.1-Alice」ですが、おかげさまでそれなりに数が出まして、ミノラーが中心かと思いきや、くすはらファンが何人も来たそうで、ソレらじ等のラジオで私の名前を知って……という人がいたとかなんとか。ソレらじ終わって以降、何かと暇している私ですが、そういう切欠は何か嬉しいですね。
新刊に関しては好調でしたが、残部も出ましたので冊数限定で自家通販を行おうと思います。以下が詳細ですが、自家通販は初めて、自家通販って何? なんて人も多いでしょうから、少し長いですがご一読下さい。要するに、同人書店を介さないサークルとの直接的な通販になります。
以上です。他にも神のみ本とか、空の境界本が置いてありますけど、あれはいつもの小説本なので。興味のある方はついでにどうぞ、という感じでしょうか。
くすはら本もそれほど数が残っている訳ではありませんが、まあ、そこそこ好評だったようなので、来年も作るんじゃないかと思います。既に2015年は……えーっと、発売前のも含めると8本ですか? 上半期だけでとんでもない数になっていますが、まともにクリアしてるのがソレヨリノだけなので、早いところ他のも始めないといけませんね。今回の本で何が辛かった買って、積んでいたエロゲをひたすらプレイすることだったので。
今回は自家通販に期間等は設けません。完売すれば終わりだし、残部がある内はずっと置いておきます。片手で数えられる程度は夏コミにも持って行くかも知れませんが、当落もまだはっきりしていませんから、どうするかは未定です。
ちなみに夏コミは小説本を出すつもりですが、ジャンルに関しては……まあ、それこそ当落がはっきりした頃にでも。ギャルゲーじゃないとだけ書いておきましょうか。そろそろ東館に帰りたいので。
キャラ1に行ったのは初めてだったんですが、結構賑わっており、minoriブースのセールでは狙っていたフォーエバーちゃんタペストリーが完売していたなど、色々計算外な出来事もあって楽しかったです。
さて、当サークルの新刊「くすはらゆいDataBook-Vol.1-Alice」ですが、おかげさまでそれなりに数が出まして、ミノラーが中心かと思いきや、くすはらファンが何人も来たそうで、ソレらじ等のラジオで私の名前を知って……という人がいたとかなんとか。ソレらじ終わって以降、何かと暇している私ですが、そういう切欠は何か嬉しいですね。
新刊に関しては好調でしたが、残部も出ましたので冊数限定で自家通販を行おうと思います。以下が詳細ですが、自家通販は初めて、自家通販って何? なんて人も多いでしょうから、少し長いですがご一読下さい。要するに、同人書店を介さないサークルとの直接的な通販になります。
自家通販詳細
サークルページ:http://www.usamimi.info/~mlwhlw/index2.html
(Eventページを参照の上、Orderページからご注文下さい)
新刊
くすはらゆいData Book-Vol.1-Alice
ジャンル:声優
通販価格:600円
ページ数:36P
サイズ:B5判
収録内容
声優・くすはらゆいの2014年出演作品を中心に、ラジオ、CD情報等も掲載。
収録作品
12の月のイヴ、Clover Day’s、大図書館の羊飼い -Dreaming Sheep-、魔女こいにっき、星織ユメミライ、G.I.B.(ガールズ・イン・ブラック)、サツコイ ~悠久なる恋の歌~、南十字星恋歌、ヤキモチストリーム、恋春アドレセンス、ジンコウガクエン2 アペンドディスク、残念な俺達の青春事情、ココロ@ファンクション! NEO、春風センセーション!等。
発送方法
ゆうメール・定形外郵便・レターパック
(クロネコメール便廃止に伴い、発送は郵便局で行えるもの限定になります)
入金方法
今回の自家通販では、以下の入金方法を選択することが出来ます。尚、振込手数料は各自のご負担でお願い致します。
・郵便振替
郵便局にある青色の振替用紙で入金する方法。手数料は一律ですが、入金確認まである程度の時間を要します。
・ゆうちょ銀行
郵便局の総合口座から振り込む方法。手数料は無料ですが、ゆうちょ銀行の口座を持っていることが必須となります。
・他行振込
郵便局以外の銀行等、金融機関から振り込む方法。手数料割高で振替と同じく入金確認まで時間が掛かります。
注文後は自動返信で振込先の詳細が送られる仕組みになっております。
仮に3日間以上経っても詳細メールが届かないという方が居られましたら、サークルページの問い合わせメールアドレスまで連絡を頂ければ幸いです。
※注文のキャンセル及び変更は基本的に出来ません。
又、発送通知メールも送っていませんので、発送状況はサイトのEventページからご確認下さい。
以上です。他にも神のみ本とか、空の境界本が置いてありますけど、あれはいつもの小説本なので。興味のある方はついでにどうぞ、という感じでしょうか。
くすはら本もそれほど数が残っている訳ではありませんが、まあ、そこそこ好評だったようなので、来年も作るんじゃないかと思います。既に2015年は……えーっと、発売前のも含めると8本ですか? 上半期だけでとんでもない数になっていますが、まともにクリアしてるのがソレヨリノだけなので、早いところ他のも始めないといけませんね。今回の本で何が辛かった買って、積んでいたエロゲをひたすらプレイすることだったので。
今回は自家通販に期間等は設けません。完売すれば終わりだし、残部がある内はずっと置いておきます。片手で数えられる程度は夏コミにも持って行くかも知れませんが、当落もまだはっきりしていませんから、どうするかは未定です。
ちなみに夏コミは小説本を出すつもりですが、ジャンルに関しては……まあ、それこそ当落がはっきりした頃にでも。ギャルゲーじゃないとだけ書いておきましょうか。そろそろ東館に帰りたいので。
PCゲーム情報誌のBugBugも通算250号目ということで、結構出てるんですね。創刊は92年ですから、今年で23年目ですか。あんまり意識していませんでしたが、何気に現存するエロゲ雑誌の中では最古参ということになります。パソパラは細々続けてるらしいけど、PC Angelとかはもうありませんからね。TECH GIANやPUSHは後発の雑誌だから、BugBugに一番歴史があるというのは間違いではないでしょう。知らない間にサン出版から富士美出版に変わってましたが、これはなんかゴタゴタがあったそうで、編集部ごと移籍したようです。
私はそれほどBugBugを買う方ではないのだけど、今月号から何と声優・くすはらゆいによる連載コラムがスタートするということで、くすはらゆいファンとしてこれは黙ってられないぜ! と、早速買ってきてしまいました。
又、新連載コラムの他にも3ページに渡るロングインタビューが掲載されており、くすはらファンにとってはとても読み応えがある内容になっていると思います。3ページもあるからか、夏空のペルセウスからじっくりと振り返っており、これは私も同人誌で触れたのですが、やはり、遠野恋を演じた直後に、大図書館の羊飼い-放課後しっぽデイズ-の土岐のぞみを演じたのが大きかったみたいですね。オーガスト作品に出演したことで名前を知った人は多かったようです。
個人的に彼女を強く意識したのは、遠野恋なのですが、当人も初のメインヒロインだったこともあり、思い入れは深いようです。以前ゲストパーソナリティで出演した電妄でも言ってましたが、今回のインタビューでも恋ちゃんへの想いを語っています。
他にも遠野恋、土岐のぞみ以降に演じたキャラの話に進みつつ、「てにおはっ!」にも触れていたのが印象的でしたかね。rootnukoが2012年に出した作品ですが、本人曰く「ちゃんとしたHシーンが2回も3回もあるキャラは『てにおはっ!』が最初だった」ということで、言われてみればその通りですね。rootnuko的には前作にも出てますけど、確かにHシーンの多さでは水島薫だわ。サブキャラなのにHシーンが2回も3回もあるってのは、流石抜きゲーと言うべきか。
インタビューでは他にも声優になった経緯や、2015年以降に演じたキャラ、あるいはこれから演じるキャラクターなどにも触れられており、かつての楠原ゆい、今のくすはらゆい、これからのくすはらゆいといった、三つの面を読み取ることが出来ると思います。語り口は気さくですけど、内容は至って真面目で、彼女を改めて知るには丁度良いと、そう感じました。
そして、インタビューページから飛ぶこと189ページに、今月号から始まる新連載コラムが掲載されています。
その名も、『となりのヒロインさん☆』というタイトルで、くすはらゆいがこれまで自身が演じたヒロインをゲストに招いて、そのキャラクターと対談を行うという趣旨らしいです。最も、この形式についてはBugBugの公式ツイッターでも触れられていましたから知っていたんだけど、気になっていたのは初回はどのキャラで、一体誰が書くのか?ということ。
ゆいちゃんが出演した作品も既に20本近くになっており、サブキャラ、サブヒロインを含めるなら、20人近いキャラがいる訳です。これから発売される作品を含めずとも20ヵ月分のストックがあり、それだけに最初にどの娘が来るのかは悩ましいところでした。私はこの連載が始まった経緯的に、minori作品のヒロインが来るのではないかと思っていたのですが、第1回にやってきたのは遠野恋でも宇奈原由紀でもなく、魔女こいにっきのヒロイン、南乃ありすちゃんでした。ありすと言う名のシンデレラガールですが、ゆいちゃん曰く、原稿を書いてる時期が桜の季節だったから呼んだとのこと。
つまり、このコラムに登場するヒロインたちに関しても、ゆいちゃんが書いてる訳ですね。
ヒロインとの対談、というのはコラムとしても珍しい、あるいは新しいものだと思いますが、流石にその作品のライターを呼んでくることはしなかった訳ですね。まあ、メーカーに許諾は取っているはずですが、自分で演じたキャラだけ合って、特徴を良く掴んでいたのではないでしょうか? キャラと、そして作品の紹介がメインという感じで、ありすを演じていたときのことにも触れていましたね。
特に次回予告などはなく、来月はどのヒロインなのかまだ分かりません。そもそも毎月連載なのかさえも記載はありませんでしたが、今月からと言っている以上は、来月も載るのでしょう。
しかし、今回はありすという秘密を抱えながらも可愛らしい女の子という、ある意味で分かりやすいキャラだったから良かったものの、これがたとえば、今後出る作品だからあれだけど、ゆっきーとかだったらどうなるのだろうね? いや、割と楽しみなんですよ、あの作品。インタビューでは触れられていませんでしたけど、コラムの方には出演作Hotいんふぉ♪という形で紹介されていました。作品自体の記事も、カラー1ページですが掲載されていて、新規CGも一応ありましたね。アキバblogのメーカーコラムで公開されたものとも又別で、23枚しかないのにそんな公開して良いのかと心配してみたり。しかも、体験版まで出すと言うし。
話がずれましたけど、インタビュー、コラム共に読み応えがある内容で、DVD付きだからちょっと高かったですけど、くすはらファンとしては十分に元が取れたと感じました。まあ、詳しい内容は買って読んでくださいと言うことで、ゆいちゃんが洗濯機を買い換えられるぐらい連載が長続きするよう応援していきましょう。
尚、色紙プレゼントも行っており、合計3名に抽選で当たるようです。そういえば、ゆいちゃんって改名前もサインだけは平仮名だったんですよね。平仮名に改名したことはとても大事なことなので、コラム内でも2回書かれてました。
私はそれほどBugBugを買う方ではないのだけど、今月号から何と声優・くすはらゆいによる連載コラムがスタートするということで、くすはらゆいファンとしてこれは黙ってられないぜ! と、早速買ってきてしまいました。
又、新連載コラムの他にも3ページに渡るロングインタビューが掲載されており、くすはらファンにとってはとても読み応えがある内容になっていると思います。3ページもあるからか、夏空のペルセウスからじっくりと振り返っており、これは私も同人誌で触れたのですが、やはり、遠野恋を演じた直後に、大図書館の羊飼い-放課後しっぽデイズ-の土岐のぞみを演じたのが大きかったみたいですね。オーガスト作品に出演したことで名前を知った人は多かったようです。
個人的に彼女を強く意識したのは、遠野恋なのですが、当人も初のメインヒロインだったこともあり、思い入れは深いようです。以前ゲストパーソナリティで出演した電妄でも言ってましたが、今回のインタビューでも恋ちゃんへの想いを語っています。
他にも遠野恋、土岐のぞみ以降に演じたキャラの話に進みつつ、「てにおはっ!」にも触れていたのが印象的でしたかね。rootnukoが2012年に出した作品ですが、本人曰く「ちゃんとしたHシーンが2回も3回もあるキャラは『てにおはっ!』が最初だった」ということで、言われてみればその通りですね。rootnuko的には前作にも出てますけど、確かにHシーンの多さでは水島薫だわ。サブキャラなのにHシーンが2回も3回もあるってのは、流石抜きゲーと言うべきか。
インタビューでは他にも声優になった経緯や、2015年以降に演じたキャラ、あるいはこれから演じるキャラクターなどにも触れられており、かつての楠原ゆい、今のくすはらゆい、これからのくすはらゆいといった、三つの面を読み取ることが出来ると思います。語り口は気さくですけど、内容は至って真面目で、彼女を改めて知るには丁度良いと、そう感じました。
そして、インタビューページから飛ぶこと189ページに、今月号から始まる新連載コラムが掲載されています。
その名も、『となりのヒロインさん☆』というタイトルで、くすはらゆいがこれまで自身が演じたヒロインをゲストに招いて、そのキャラクターと対談を行うという趣旨らしいです。最も、この形式についてはBugBugの公式ツイッターでも触れられていましたから知っていたんだけど、気になっていたのは初回はどのキャラで、一体誰が書くのか?ということ。
ゆいちゃんが出演した作品も既に20本近くになっており、サブキャラ、サブヒロインを含めるなら、20人近いキャラがいる訳です。これから発売される作品を含めずとも20ヵ月分のストックがあり、それだけに最初にどの娘が来るのかは悩ましいところでした。私はこの連載が始まった経緯的に、minori作品のヒロインが来るのではないかと思っていたのですが、第1回にやってきたのは遠野恋でも宇奈原由紀でもなく、魔女こいにっきのヒロイン、南乃ありすちゃんでした。ありすと言う名のシンデレラガールですが、ゆいちゃん曰く、原稿を書いてる時期が桜の季節だったから呼んだとのこと。
つまり、このコラムに登場するヒロインたちに関しても、ゆいちゃんが書いてる訳ですね。
ヒロインとの対談、というのはコラムとしても珍しい、あるいは新しいものだと思いますが、流石にその作品のライターを呼んでくることはしなかった訳ですね。まあ、メーカーに許諾は取っているはずですが、自分で演じたキャラだけ合って、特徴を良く掴んでいたのではないでしょうか? キャラと、そして作品の紹介がメインという感じで、ありすを演じていたときのことにも触れていましたね。
特に次回予告などはなく、来月はどのヒロインなのかまだ分かりません。そもそも毎月連載なのかさえも記載はありませんでしたが、今月からと言っている以上は、来月も載るのでしょう。
しかし、今回はありすという秘密を抱えながらも可愛らしい女の子という、ある意味で分かりやすいキャラだったから良かったものの、これがたとえば、今後出る作品だからあれだけど、ゆっきーとかだったらどうなるのだろうね? いや、割と楽しみなんですよ、あの作品。インタビューでは触れられていませんでしたけど、コラムの方には出演作Hotいんふぉ♪という形で紹介されていました。作品自体の記事も、カラー1ページですが掲載されていて、新規CGも一応ありましたね。アキバblogのメーカーコラムで公開されたものとも又別で、23枚しかないのにそんな公開して良いのかと心配してみたり。しかも、体験版まで出すと言うし。
話がずれましたけど、インタビュー、コラム共に読み応えがある内容で、DVD付きだからちょっと高かったですけど、くすはらファンとしては十分に元が取れたと感じました。まあ、詳しい内容は買って読んでくださいと言うことで、ゆいちゃんが洗濯機を買い換えられるぐらい連載が長続きするよう応援していきましょう。
尚、色紙プレゼントも行っており、合計3名に抽選で当たるようです。そういえば、ゆいちゃんって改名前もサインだけは平仮名だったんですよね。平仮名に改名したことはとても大事なことなので、コラム内でも2回書かれてました。
COMIC1☆9に出ます。何かイベント時期にしか更新していませんが、そういえばHPやpixiv、ツイッター等では告知してたけど、この日記はすっかり忘れていました。何だかんだで前日になってしまいましたが、新刊出します。今回は初めてのジャンルで、もっと言えば小説本ですらありませんが、前々から作ってみたかった本なので間に合って良かったです。久々に締切も守ったし。
そんな訳で、いつも通り以下が当日の出し物になります。前回のコミスペで色々発掘はしましたけど、コミ1に持っていくものはそれほど多くない感じ。
こんな感じでしょうか。書き出してみると結構種類があるように思いますが、既刊もグッズもそれほど数が残っている訳ではないので、メインはあくまで新刊になります。
声優の本を作るというのは初めての経験で、しかもB5サイズというのは個人誌だと今までありませんでしたからね。合同誌ではあるんだけど、それだけにどんな仕上がりになるのか、今からワクワクしています。
新刊について軽く説明すると、まあ、上にも書いてある通り声優・くすはらゆいさんの2014年出演作品を中心に纏めた本になります。ただ、作品よりも演じたヒロインについてページを割いているので、作品その物の感想とかそういうのはあまり少ない……かな? あくまで、くすはらゆいの本ですから、そこら辺は線引きというか、情報を整理しています。
構成としてはメインヒロイン、又はそれに準ずるキャラは見開き2ページで、所謂サブキャラは1ページで紹介しています。作品の基本情報、ヒロインのプロフィールに、シナリオの感想。そしてゲームその物について。特典情報なども載せていますが、こちらはキャラの抱き枕とかそういうのよりも、店舗特典ドラマCDなど、音声特典のことを書いてます。HPにも記載してますけど、意外とCD出てるんですよね。
くすはらゆい好きによる、くすはらゆい好きの為の本だと思うので、彼女に興味あるけど出演作はあまり知らない、好きだけど全作品はプレイできてないみたいな人は、まあ、データブック、あるいはガイドブック的な意味合いの本にもなっているから、是非とも1冊、お手に取ってみてください。勿論、コアなファンが読んでも楽しめる内容にはなっている……はずです。
今回は分かりやすく2014年だけに絞りましたけど、その内2014年以前についても書きたいものです。まあ、大半が遠野恋についてで終わりそうな気もするけど、番外編と言うことでね、冬コミ辺りで考えて見るのも良いかもしれない。
最初は手探りで作り始めた本だけど、完成してみると結構しっくりきたので、今後、コミ1辺りで継続的に出していきたいなと、そう考えています。冬コミだと12月出演作をカバーできないし、夏コミだと遅いからね。勿論、需要があればだから、明日の反応次第ってのはあるけども、作っていて楽しかったのは事実だから、自分でも早く本を手に取ってみたいというのが今の正直な気持ちですね。
そんな訳で、明日は宜しくお願いします。
そんな訳で、いつも通り以下が当日の出し物になります。前回のコミスペで色々発掘はしましたけど、コミ1に持っていくものはそれほど多くない感じ。
イベント名:COMIC1☆9
参加日:2015年5月2日(土)
会場:東京ビッグサイト
スペース№:ち-45b シャリテクロワール
新刊
くすはらゆいData Book-Vol.1-Alice
ジャンル:声優
頒布価格:500円
ページ数:36P
サイズ:B5判
収録内容
声優・くすはらゆいの2014年出演作品を中心に、ラジオ、CD情報等も掲載。
収録作品
12の月のイヴ、Clover Day’s、大図書館の羊飼い -Dreaming Sheep-、魔女こいにっき、星織ユメミライ、G.I.B.(ガールズ・イン・ブラック)、サツコイ ~悠久なる恋の歌~、南十字星恋歌、ヤキモチストリーム、恋春アドレセンス、ジンコウガクエン2 アペンドディスク、残念な俺達の青春事情、ココロ@ファンクション! NEO、春風センセーション!等。
既刊
死蝕現象/上下巻
ジャンル:空の境界×Another
通販価格:1000円
総ページ数:68P+156P
サイズ:A5判
シャロちゃんの休日
ジャンル:ご注文はうさぎですか?
イベント価格:500円
サイズ:A5判
備考:シャロこと桐間紗路が主人公の本になります。
HONEY SO SWEETS
ジャンル:ご注文はうさぎですか?
イベント価格:500円
サイズ:A5判
備考:ココアとチノ中心のオールキャラ本です。
グッズ 各1500円
ヨスガノソラ・春日野悠&春日野穹タペストリー(イラスト:やむ茶)
春日野穹タペストリー(イラスト:wingheart)・展示品
こんな感じでしょうか。書き出してみると結構種類があるように思いますが、既刊もグッズもそれほど数が残っている訳ではないので、メインはあくまで新刊になります。
声優の本を作るというのは初めての経験で、しかもB5サイズというのは個人誌だと今までありませんでしたからね。合同誌ではあるんだけど、それだけにどんな仕上がりになるのか、今からワクワクしています。
新刊について軽く説明すると、まあ、上にも書いてある通り声優・くすはらゆいさんの2014年出演作品を中心に纏めた本になります。ただ、作品よりも演じたヒロインについてページを割いているので、作品その物の感想とかそういうのはあまり少ない……かな? あくまで、くすはらゆいの本ですから、そこら辺は線引きというか、情報を整理しています。
構成としてはメインヒロイン、又はそれに準ずるキャラは見開き2ページで、所謂サブキャラは1ページで紹介しています。作品の基本情報、ヒロインのプロフィールに、シナリオの感想。そしてゲームその物について。特典情報なども載せていますが、こちらはキャラの抱き枕とかそういうのよりも、店舗特典ドラマCDなど、音声特典のことを書いてます。HPにも記載してますけど、意外とCD出てるんですよね。
くすはらゆい好きによる、くすはらゆい好きの為の本だと思うので、彼女に興味あるけど出演作はあまり知らない、好きだけど全作品はプレイできてないみたいな人は、まあ、データブック、あるいはガイドブック的な意味合いの本にもなっているから、是非とも1冊、お手に取ってみてください。勿論、コアなファンが読んでも楽しめる内容にはなっている……はずです。
今回は分かりやすく2014年だけに絞りましたけど、その内2014年以前についても書きたいものです。まあ、大半が遠野恋についてで終わりそうな気もするけど、番外編と言うことでね、冬コミ辺りで考えて見るのも良いかもしれない。
最初は手探りで作り始めた本だけど、完成してみると結構しっくりきたので、今後、コミ1辺りで継続的に出していきたいなと、そう考えています。冬コミだと12月出演作をカバーできないし、夏コミだと遅いからね。勿論、需要があればだから、明日の反応次第ってのはあるけども、作っていて楽しかったのは事実だから、自分でも早く本を手に取ってみたいというのが今の正直な気持ちですね。
そんな訳で、明日は宜しくお願いします。
コミケットスペシャル6参加情報
2015年3月27日 アニメ・マンガ
コミケットスペシャル6にサークル参加します。既に開催日の前日なわけですが、なかなかお品書き等が出来なかったので、ギリギリの告知になってしまいました。今回は新刊こそありませんが、折角のお祭りですし、蔵出し大セールでもやろうかなと思ってまして、自宅に残っていた既刊という既刊、グッズというグッズをかき集めてみました。初の個人誌だったロクゼロ本とか、ヨスガノソラ本全冊、この世に2枚しか存在しない抱き枕カバーなど、懐かしいものや新しいもの含めて全部持っていきます。
詳しくは画像のお品書き又は、ピクシブにアップした詳細を参照して頂ければと思いますが、一応はここにも文字情報として載せておきます。
種類だけは物凄い数になってますが、実際の冊数はそれほどではありません。蔵出しなので各5冊もあればいい方で、グッズに関しても似たような感じです。なので、確実に欲しいという方はなるべく早めに来ることをオススメします。
シエル抱き枕カバーは過去に2枚だけ作って展示していたやつで、展示品としては使用しましたが、それ以降は綺麗に畳んでタンスの奥底に眠ってました。片面印刷でオリキャラも一緒に描かれてますが、まあ、私以外はイラストレーターしか所持していないレア物なので、シエルが好きだという人は是非。
ロクゼロセットは都合上、午後からの頒布となりますが、これは本当に在庫がないので1限です。頒布形式は……それほど状態が良いとも言えないので悩みどころですが、売り子と相談の上、最適と思われるものを考えようかと思います。まあ、そこまでの需要があるかどうかは謎ですが。
ヨスガノソラセットに関しても1限ですが、こちらは午前中からの頒布を予定しています。状態はそこそこですが、今回のために再印刷した本もあるので、宜しくお願いいたします。
バラ売りの方も今まで作ってきた本は大体揃っていいますが、流石に机に全て広げることは難しいので、売り子に欲しい本を伝えて頂き、スペース内から出す形になると思います。なので机の上になくても、お気軽にお声がけ下さい。
尚、グッズに関してですが、一部は展示用に飾る場合もございます。展示品をそのままお渡しすることもありますので、その点ご了承下さい。
それではもう明日どころか半日後のような気もしますが、宜しくお願いいたします。
詳しくは画像のお品書き又は、ピクシブにアップした詳細を参照して頂ければと思いますが、一応はここにも文字情報として載せておきます。
コミケットスペシャル6 お品書き
開催日:2015年3月28日(土)
会場:幕張メッセ
スペース№:L-55b
サークル・シャリテクロワール
ロックマンゼロセット
内容
赤き閃光の英雄-上-
赤き閃光の英雄-下-
逆襲の救世主-上-
逆襲の救世主-下-
赤き閃光の英雄-読本-
ゼロ本
価格:時価
備考:限定1セット。午後からの頒布を予定しています。
ヨスガノソラセット
内容
遥かな穹、トカイノソラ、オカシノソラ、オトギノソラ、マクラノソラ、
サクラノソラ、マフユノソラ、カフェノソラ、シノビノソラアシタノソラ
ヨスガノソラアンソロジーハルカノソラ
春日野穹イラスト集-蒼穹-
ヨスガノソラ同人誌総集編「悠久の穹」
悠久の穹タペストリー
価格:1万円
備考:限定1セット。開場時からの頒布を予定しています。
空の境界セット
内容
死蝕現象上下巻
価格:1000円
バラ売り
ヨスガノソラ同人誌
遥かな穹:500円
マフユノソラ:500円
カフェノソラ:500円
アシタノソラ:500円
ロックマンゼロ同人誌(各上巻のみ)
赤き閃光の英雄-上-:1000円
逆襲の救世主-上-:1000円
リリカルなのは同人誌(R-18)
るーるーのほん:300円
神のみ同人誌
天球の記憶:500円
minori同人誌
銀月の魔女:200円
夕月の恋:300円
.hack(黄昏の腕輪伝説)同人誌
Ruin Knight lore:200円
フェイツ・パペットショウ:500円
ヴァニタスの羊同人誌
ラインケ狐の伝説:500円
スパイラル同人誌
星影懺悔:200円
蔵出しグッズ
夕月の恋(夏ペル&すぴぱら)タペストリー:1000円
悠久の穹タペストリー:1000円
春日野穹タペストリー:2000円
シエル抱き枕カバー:3000円
種類だけは物凄い数になってますが、実際の冊数はそれほどではありません。蔵出しなので各5冊もあればいい方で、グッズに関しても似たような感じです。なので、確実に欲しいという方はなるべく早めに来ることをオススメします。
シエル抱き枕カバーは過去に2枚だけ作って展示していたやつで、展示品としては使用しましたが、それ以降は綺麗に畳んでタンスの奥底に眠ってました。片面印刷でオリキャラも一緒に描かれてますが、まあ、私以外はイラストレーターしか所持していないレア物なので、シエルが好きだという人は是非。
ロクゼロセットは都合上、午後からの頒布となりますが、これは本当に在庫がないので1限です。頒布形式は……それほど状態が良いとも言えないので悩みどころですが、売り子と相談の上、最適と思われるものを考えようかと思います。まあ、そこまでの需要があるかどうかは謎ですが。
ヨスガノソラセットに関しても1限ですが、こちらは午前中からの頒布を予定しています。状態はそこそこですが、今回のために再印刷した本もあるので、宜しくお願いいたします。
バラ売りの方も今まで作ってきた本は大体揃っていいますが、流石に机に全て広げることは難しいので、売り子に欲しい本を伝えて頂き、スペース内から出す形になると思います。なので机の上になくても、お気軽にお声がけ下さい。
尚、グッズに関してですが、一部は展示用に飾る場合もございます。展示品をそのままお渡しすることもありますので、その点ご了承下さい。
それではもう明日どころか半日後のような気もしますが、宜しくお願いいたします。
シェフ~三ツ星フードトラック始めました~
2015年3月23日 映画
日本橋のTOHOシネマズで「シェフ~三ツ星フードトラック始めました~」を観てきました。二日連続で同じ映画館に来た訳ですが、この映画は先週、先々週にも観ようと思って、雨で延期していた作品です。今日も雨がぱらついてたけど、昨日のうちにチケットは買ってましたから、これはもう行くしかないなと。
既に公開から3週間程度は経っている作品ですが、劇場内の人入りも良く、早期に打ち切られることもなく上映が続いているところ見ると、結構人気なんですかね?
あらすじについて簡単に触れると、ロサンゼルスの有名フランス料理屋で料理長を務めるシェフが、頑固で分からず屋のオーナーと対立し、自分の望む料理を作れない中、ふとした切欠で始めたツイッターから、人生を変えることになる……といった感じの話です。
ざっと説明すれば、有名な料理批評ブログを運営していた男に、オーナーの指示通り作った料理をこき下ろされたシェフが、その記事がツイッターで拡散されていると知って、自分もツイッターに登録するところから物語は始まっていきます。ジョン・ファヴロー演じるシェフ、カール・キャスパーは、料理を作ることを至上の喜びとし、結婚して妻子を持つも、家庭作りには失敗するなど、とにかくプロの料理人であることに誇りとプライドを持つキャラです。
予告編を見ると、オーナーと喧嘩してすぐにフードトラックを始めたような印象を受けるけど、実際にトラックを、移動屋台を始めるのは物語の後半に入ってからと結構遅い。しかも、元々は別れた女房が勧めていた話で、カールは乗り気じゃなかったんですね。
しかし、ブログの一件でプライドを傷付けられたと感じたカールは、登録したばかりのツイッターで批評家にリプライを送ってしまいます。個人的な内容を、個人にだけ送ったと思い込んだままに。当然、DMでもないカールの下品な反論は批評家によってRTされ、十万単位でフォロワーを持つ彼との間に檄が生じます。ネットでは彼らの対決をはやし立て始め、カールは料理で対抗しようと、彼に酷評されたのとは違う、全くの新作を用意しようとするのですが……それもまた、分からず屋のオーナーに止められ、逆に解雇されてしまいました。
結果、カールは店を追い出され、再び来店した批評家に出されたのは前回来たときと同じメニュー。批評家は酷評し、カールは逃げ出したと罵倒ツイートをしますが、それにぶち切れたカールは店に舞い戻り、批評家に罵声を浴びせる訳です。
けれど、このとき店に来ていた客の多くは、ネットの騒動を聞きつけた者ばかりで、つまりツイッターなどのSNSやツールに明るい人達でした。カールがキレて叫び声を上げる姿はたちまちネット動画としてYouTubeなどに公開され、カールは一躍時の人、正し仕事にはありつけない状態となってしまいました。要するに炎上した訳ですが、これはカールの無知から来る結果であり、決してツイッターを始めとしたSNSを悪くは描いていません。
YouTubeを始めとした動画を消すことは難しいという現代社会におけるイタチごっこについても分かりやすく説明されており、その辺りが非常に現代的な感覚で作られてるんだよね。カールはそれまで料理一筋で、SNSなどには触れたこともないような職人気質の人でした。息子が汚い、悪い言葉を使うことにも敏感で、YouTubeなどで知ったと言えば顔を顰めるなど、清廉とした人柄の持ち主で、それは彼が批評家に罵声を浴びせたとき、どこか無理をして、必死になって汚い言葉を考え、吐き出していたことからも見て取れます。
彼はブログやツイッターを始めとしたネットの影響で全てを失い、一度ならずツイッターをやめることを考えました。しかし、そんな彼を救ったのもまた、ツイッターだったのです。
別れた女房の元夫の援助という、何とも複雑な構図からフードトラックを入手したカールは、息子と、元の職場で一緒だったコックと共に移動屋台を始めます。予告ではキューバサンドイッチだけみたいな印象を受けますが、芋のフライや、テキサスに行ったときはテキサスBBQなど、伝統的な料理屋地元の食材なども多数取り入れ、メニューは豊富とは行かないまでも、充実していたように思えます。
そんなフードトラックの宣伝として活躍したのが、他でもないツイッター。そして、フェイスブックです。位置情報を登録することで今現在屋台がどこで販売しているかを世界中に伝え、写真をアップし、如何に楽しそうに屋台をやっているか、料理をしているかを見せていく。テレビに取り上げられた訳でも、雑誌に掲載された訳でもない。シェフの息子が投稿したツイートの一つ一つが、写真の一枚一枚が人を呼び、屋台を繁盛させていったのです。
シェフは言います。「俺の息子で、コックの見習い中なんだ。ツイッターはこいつがやってる」と。
ツイッターによって全てを失ったはずの男が、今やツイッターによって世界と繋がり、客を呼び、料理を作る喜びを取り戻していたのです。しかも、それを嬉しそうに訪れる客に語っていく。
そんなシーンを見たとき、私はこの作品がSNSを中心としたネット文化に対し、極めて好意的で、理解のある話だと感じました。日本では多分、こうは行かないでしょう。ツイッターは一部ネット住人からはバカッターと揶揄され、さながら炎上発生装置扱いで、既存のTVメディアや出版業界は、焦りからか、未だにネットを胡散臭い者扱いして下に見ています。
私がシェフという作品で驚いたのは、作中にTVを見るシーンや、新聞・雑誌を読むシーンが一切登場しないことです。小鳥が呟きを運ぶ姿は幾度となく描写されるけど、ネット以外の既存メディアが全く登場しないんですね。
たとえば批評家に罵声を浴びせて炎上したシーンにしても、昔の映画なら翌朝新聞や雑誌の三面記事にでも掲載されて「くそっ!」とでも言いながらグシャグシャにするか、TVでちょっと取り上げられて乱暴にリモコンで消すと言った、そんな描写になっていたことでしょう。それがこの作品では、批評家が批評した場は数十万ドルの価値があると言われる有名ブログで、晒されたのはツイッター。フェイスブックも登場するけど、とにかく全てがネットのSNSや動画サイトで完結してしまってるんです。
つまり、ネットでのありがちな失敗を、ネットで挽回してるんですね。そこには最初からネットに対する偏見や悪意がなく、ツールを好意的に取られているからこそ、出来たのだと思います。
そして、おそらく今の日本にそれは出来ないことだろうと。日本はネットに対する偏見が強いから、ドラマなんかを見てもネットは良くないものという前提から話作りを始めています。だから、きっと逆立ちしたってこんな内容の物語は作れないんです。
ただ、ツイッターを始めとしたSNSの有用性を理解し、この映画のように活用している人達もいます。それはたとえば秋葉原のお店とか、その辺りが顕著でしょう。秋葉原という街は一つの文化発信点であり、流行の生まれる場所でもあるけど、電気街という特性からか、ネットツールに対する抵抗感が非常に少ないんですね。
だから、店は積極的にツイッターやフェイスブックを宣伝媒体に使うし、それは老舗だって変わりません。私がよく行く秋葉原の天ぷら屋は昭和の時代から営業しているそうですが、ここは昨年の夏頃にアカウントを取得し、私はそれを通じてお店にお邪魔しました。初めて来店した際、ツイッターを見ましたと言ったときの女将さんの嬉しそうな顔は、上記の映画で息子がツイッターを管理していると誇らしげに、そして嬉しそうに伝えたシェフのそれにとても近いような気がしたのです。
料理や家族愛を通して分かる、ツイッターを始めとしたSNSや動画サイトの現在と将来性。そのことが非常によく伝わってくる映画であり、飲食店に限らず、何かお店や商売をやっている人に是非観て欲しい、そんなロードムービーでした。
シェフの物語は、カール・キャスパーが一度どん底に落ちて、そこから再起を図る話です。故にフードトラックを手に入れてから楽しい旅のスタートであり、それ以降は事件というほどの事件は何も起こりません。だから全体的に楽しく観られるし、話運びに安心感みたいのがあるんだよね。無理にドラマ性を付けないというか、たとえば屋台を初めてキューバサンドイッチが飛ぶように売れているとき、あそこでカールが売上を箱に仕舞うシーンが二度ほど登場します。
これが凡庸な話だと、売上を泥棒に取られるか、あるいはロスから駆けつけた同僚が裏切って売上を持ち逃げするか……なんて、ありがちなドラマを入れてきそうなものだけど、シェフにはそういったものが一切ないんだよね。ロスから駆けつけてきた同僚は、元の職場でスーシェフ、つまり、副料理長みたいな立場にまで昇進したというのに、カールがフードトラックを買ったと聞きつけたら、そこを辞めてマイアミまでやってきたのです。
「次の店に入ったら、呼んでくれる約束でしたよ」
「給料は出ないぞ?」
地位や賃金よりも友情を。尊敬するシェフの店で働きたい、お祝いに車の塗装をプレゼントする。こういう性格の男が、裏切るはずなんてないじゃないですか。
それもこれも、シェフ、カール・キャスパーの人となりが為せる技で、別れた女房と暮らしている息子も、どちらかと言えば父親と一緒にいる時間を大事にして、シェフとしての彼を尊敬しているフシがあります。だからこそ、一緒に屋台をやりたかったのでしょう。
カールは息子に言います。
「自分は良い夫、良い父親でもなかったが……料理が作れる」と。
息子がカールを尊敬しているのは正にその一点が大きく、親子の仲も、そして夫婦の仲も、料理が取り持ったと考えて良いでしょう。
親子愛、友情、料理をすること楽しさ。
それらを詰め込み、心が幸せで満腹になる。元気を出したい人に向けて。ごちそうさまでした。
既に公開から3週間程度は経っている作品ですが、劇場内の人入りも良く、早期に打ち切られることもなく上映が続いているところ見ると、結構人気なんですかね?
あらすじについて簡単に触れると、ロサンゼルスの有名フランス料理屋で料理長を務めるシェフが、頑固で分からず屋のオーナーと対立し、自分の望む料理を作れない中、ふとした切欠で始めたツイッターから、人生を変えることになる……といった感じの話です。
ざっと説明すれば、有名な料理批評ブログを運営していた男に、オーナーの指示通り作った料理をこき下ろされたシェフが、その記事がツイッターで拡散されていると知って、自分もツイッターに登録するところから物語は始まっていきます。ジョン・ファヴロー演じるシェフ、カール・キャスパーは、料理を作ることを至上の喜びとし、結婚して妻子を持つも、家庭作りには失敗するなど、とにかくプロの料理人であることに誇りとプライドを持つキャラです。
予告編を見ると、オーナーと喧嘩してすぐにフードトラックを始めたような印象を受けるけど、実際にトラックを、移動屋台を始めるのは物語の後半に入ってからと結構遅い。しかも、元々は別れた女房が勧めていた話で、カールは乗り気じゃなかったんですね。
しかし、ブログの一件でプライドを傷付けられたと感じたカールは、登録したばかりのツイッターで批評家にリプライを送ってしまいます。個人的な内容を、個人にだけ送ったと思い込んだままに。当然、DMでもないカールの下品な反論は批評家によってRTされ、十万単位でフォロワーを持つ彼との間に檄が生じます。ネットでは彼らの対決をはやし立て始め、カールは料理で対抗しようと、彼に酷評されたのとは違う、全くの新作を用意しようとするのですが……それもまた、分からず屋のオーナーに止められ、逆に解雇されてしまいました。
結果、カールは店を追い出され、再び来店した批評家に出されたのは前回来たときと同じメニュー。批評家は酷評し、カールは逃げ出したと罵倒ツイートをしますが、それにぶち切れたカールは店に舞い戻り、批評家に罵声を浴びせる訳です。
けれど、このとき店に来ていた客の多くは、ネットの騒動を聞きつけた者ばかりで、つまりツイッターなどのSNSやツールに明るい人達でした。カールがキレて叫び声を上げる姿はたちまちネット動画としてYouTubeなどに公開され、カールは一躍時の人、正し仕事にはありつけない状態となってしまいました。要するに炎上した訳ですが、これはカールの無知から来る結果であり、決してツイッターを始めとしたSNSを悪くは描いていません。
YouTubeを始めとした動画を消すことは難しいという現代社会におけるイタチごっこについても分かりやすく説明されており、その辺りが非常に現代的な感覚で作られてるんだよね。カールはそれまで料理一筋で、SNSなどには触れたこともないような職人気質の人でした。息子が汚い、悪い言葉を使うことにも敏感で、YouTubeなどで知ったと言えば顔を顰めるなど、清廉とした人柄の持ち主で、それは彼が批評家に罵声を浴びせたとき、どこか無理をして、必死になって汚い言葉を考え、吐き出していたことからも見て取れます。
彼はブログやツイッターを始めとしたネットの影響で全てを失い、一度ならずツイッターをやめることを考えました。しかし、そんな彼を救ったのもまた、ツイッターだったのです。
別れた女房の元夫の援助という、何とも複雑な構図からフードトラックを入手したカールは、息子と、元の職場で一緒だったコックと共に移動屋台を始めます。予告ではキューバサンドイッチだけみたいな印象を受けますが、芋のフライや、テキサスに行ったときはテキサスBBQなど、伝統的な料理屋地元の食材なども多数取り入れ、メニューは豊富とは行かないまでも、充実していたように思えます。
そんなフードトラックの宣伝として活躍したのが、他でもないツイッター。そして、フェイスブックです。位置情報を登録することで今現在屋台がどこで販売しているかを世界中に伝え、写真をアップし、如何に楽しそうに屋台をやっているか、料理をしているかを見せていく。テレビに取り上げられた訳でも、雑誌に掲載された訳でもない。シェフの息子が投稿したツイートの一つ一つが、写真の一枚一枚が人を呼び、屋台を繁盛させていったのです。
シェフは言います。「俺の息子で、コックの見習い中なんだ。ツイッターはこいつがやってる」と。
ツイッターによって全てを失ったはずの男が、今やツイッターによって世界と繋がり、客を呼び、料理を作る喜びを取り戻していたのです。しかも、それを嬉しそうに訪れる客に語っていく。
そんなシーンを見たとき、私はこの作品がSNSを中心としたネット文化に対し、極めて好意的で、理解のある話だと感じました。日本では多分、こうは行かないでしょう。ツイッターは一部ネット住人からはバカッターと揶揄され、さながら炎上発生装置扱いで、既存のTVメディアや出版業界は、焦りからか、未だにネットを胡散臭い者扱いして下に見ています。
私がシェフという作品で驚いたのは、作中にTVを見るシーンや、新聞・雑誌を読むシーンが一切登場しないことです。小鳥が呟きを運ぶ姿は幾度となく描写されるけど、ネット以外の既存メディアが全く登場しないんですね。
たとえば批評家に罵声を浴びせて炎上したシーンにしても、昔の映画なら翌朝新聞や雑誌の三面記事にでも掲載されて「くそっ!」とでも言いながらグシャグシャにするか、TVでちょっと取り上げられて乱暴にリモコンで消すと言った、そんな描写になっていたことでしょう。それがこの作品では、批評家が批評した場は数十万ドルの価値があると言われる有名ブログで、晒されたのはツイッター。フェイスブックも登場するけど、とにかく全てがネットのSNSや動画サイトで完結してしまってるんです。
つまり、ネットでのありがちな失敗を、ネットで挽回してるんですね。そこには最初からネットに対する偏見や悪意がなく、ツールを好意的に取られているからこそ、出来たのだと思います。
そして、おそらく今の日本にそれは出来ないことだろうと。日本はネットに対する偏見が強いから、ドラマなんかを見てもネットは良くないものという前提から話作りを始めています。だから、きっと逆立ちしたってこんな内容の物語は作れないんです。
ただ、ツイッターを始めとしたSNSの有用性を理解し、この映画のように活用している人達もいます。それはたとえば秋葉原のお店とか、その辺りが顕著でしょう。秋葉原という街は一つの文化発信点であり、流行の生まれる場所でもあるけど、電気街という特性からか、ネットツールに対する抵抗感が非常に少ないんですね。
だから、店は積極的にツイッターやフェイスブックを宣伝媒体に使うし、それは老舗だって変わりません。私がよく行く秋葉原の天ぷら屋は昭和の時代から営業しているそうですが、ここは昨年の夏頃にアカウントを取得し、私はそれを通じてお店にお邪魔しました。初めて来店した際、ツイッターを見ましたと言ったときの女将さんの嬉しそうな顔は、上記の映画で息子がツイッターを管理していると誇らしげに、そして嬉しそうに伝えたシェフのそれにとても近いような気がしたのです。
料理や家族愛を通して分かる、ツイッターを始めとしたSNSや動画サイトの現在と将来性。そのことが非常によく伝わってくる映画であり、飲食店に限らず、何かお店や商売をやっている人に是非観て欲しい、そんなロードムービーでした。
シェフの物語は、カール・キャスパーが一度どん底に落ちて、そこから再起を図る話です。故にフードトラックを手に入れてから楽しい旅のスタートであり、それ以降は事件というほどの事件は何も起こりません。だから全体的に楽しく観られるし、話運びに安心感みたいのがあるんだよね。無理にドラマ性を付けないというか、たとえば屋台を初めてキューバサンドイッチが飛ぶように売れているとき、あそこでカールが売上を箱に仕舞うシーンが二度ほど登場します。
これが凡庸な話だと、売上を泥棒に取られるか、あるいはロスから駆けつけた同僚が裏切って売上を持ち逃げするか……なんて、ありがちなドラマを入れてきそうなものだけど、シェフにはそういったものが一切ないんだよね。ロスから駆けつけてきた同僚は、元の職場でスーシェフ、つまり、副料理長みたいな立場にまで昇進したというのに、カールがフードトラックを買ったと聞きつけたら、そこを辞めてマイアミまでやってきたのです。
「次の店に入ったら、呼んでくれる約束でしたよ」
「給料は出ないぞ?」
地位や賃金よりも友情を。尊敬するシェフの店で働きたい、お祝いに車の塗装をプレゼントする。こういう性格の男が、裏切るはずなんてないじゃないですか。
それもこれも、シェフ、カール・キャスパーの人となりが為せる技で、別れた女房と暮らしている息子も、どちらかと言えば父親と一緒にいる時間を大事にして、シェフとしての彼を尊敬しているフシがあります。だからこそ、一緒に屋台をやりたかったのでしょう。
カールは息子に言います。
「自分は良い夫、良い父親でもなかったが……料理が作れる」と。
息子がカールを尊敬しているのは正にその一点が大きく、親子の仲も、そして夫婦の仲も、料理が取り持ったと考えて良いでしょう。
親子愛、友情、料理をすること楽しさ。
それらを詰め込み、心が幸せで満腹になる。元気を出したい人に向けて。ごちそうさまでした。
アニメミライ2015特別上映会の感想
2015年3月22日 アニメ・マンガ日本橋のTOHOシネマズで、アニメミライ2015の特別上映会を観てきました。世間ではAnime Japanというジャパニメーション最大のコンベンションが行われているはずですが、その真裏でやっているのが東京アニメアワードフェスティバル。その中のプログラムとして、アニメミライの新作を上映したという訳ですね。招待状が届いたので行ったのだけど、なかなかどうした、考えさせられる内容でした。
文化庁が主催……いや、後援かな? とにかく、お役所主導で若手アニメーター中心の新作、オリジナルアニメを作るというのがこのアニメミライの趣旨な訳だけど、企画が通って、いざ上映された作品を見比べてみると、スタジオごとの個性や、アニメというものに対する思想のようなものが見えてきてなかなか興味深かった。
13時半開演で16時半までと招待状には記載されていたから、3時間の長丁場を覚悟していたのだけど、実際には15時半前に上映は全て終了し、始まる前のアナウンス等を含めれば、1作品30分もなかったのではないだろうか? 今のTVアニメーションが1話大体20数分であることを考えれば、大体それと同じぐらいだと思うけど、これといって物足りなさは感じませんでした。長編を観に行った訳でもないし、予めそういうものだという認識があったのも大きいのかな。
200席以上ある劇場の内、150席は一般の招待客用で、落選者も出たぐらいだから、それなりに人は入っていたように思います。ただ、プレスや関係者はそれほど多いようにも感じられず、そこら辺はAnime Japanに流れたのかも知れません。内容自体はそれほどお堅くもなかったけど、取材しがちのある企画という意味では。Anime Japanの方が華やかですからね。私はああいう大きなイベントに参加するだけの気力や体力をもう持ち合わせていないから、こっちの上映会を選んだ訳ですが、まあ、特に騒がしいようなこともなく、ゆったりとした気持ちで観られました。もっとも、劇場全体で考えれば、都心にあるとはいえ普通の映画館ですから、一般のお客さんも多くて、そこに今回の招待客だから結構ごった返してましたけども。最近は日本橋……というか、三越前も次々に新しい商業施設が出来て、流行ってますからね。映画館の下にある店でオムレツを一度食べてみたいのだけど、まあ、そんな話はどうでも良いとして各作品の感想を。
アキの奏で
この頃は漫画原作やラノベ原作のアニメを多く手掛けていることで有名な、J.C.STAFFの作品。
スタジオの歴史は浅くもなければ深くもない、80年代の後期に出来た所ですが、名が売れてきたのは2000年代以降でしょうか? あくまで私の印象になりますけど、感覚的な意味では比較的新しいイメージがあります。
そんなJ.C.STAFFがアニメミライ用に制作してきたアキの奏では、和太鼓に青春を費やした少女の人生と将来を描いた作品です。子供の頃に一時打ち込んだ和太鼓を、高校になって再開し、そのままプロの道に歩んだアキが、かつての恩師に請われて故郷の祭で行われる太鼓祭の指導をするため、東京から実家の熊本に帰省する……というのが大まかなあらすじ。
和太鼓といえば裸一貫、ふんどし一丁、さらしを巻いた上に法被を着込みと、何かと男臭いイメージがありますが、女性の和太鼓奏者というのはそれほど珍しくもありません。私の母校にも和太鼓部はありましたが、クラスの女子が所属しており、コンクールだか親善イベントだかでアメリカに行き、そこで太鼓を叩いたという話を聞いたこともあります。確か、1セント硬貨だかをお土産に貰った記憶があるので、女性が太鼓奏者をやっていることへの違和感は微塵もなく、設定はすんなりと受け入れられました。
ただ、世間一般に和太鼓奏者というのはそれほど儲かる職業ではなく、和太鼓を披露する場所というのも限られています。主人公であるアキが所属している集団は一応のプロだけども、和太鼓だけで食べていけるはずもなく、あるものは土木作業員を、そして主人公のアキもバイトをしているなど、決して安定しているとは言えません。アキは夢を叶えてプロになったはずですが、その現状や訪れた将来に対して不安を抱いており、故郷に帰り、過去を回想する中で、自分を見つめ直していく訳ですね。
映像はJ.C.らしい画風ながらも、短編作品、つまりショートフィルムであることを意識しており、太鼓をメインとした祭り囃子や、少年少女たちの幼少期から中高生時代に掛けてまでの青春を綺麗に描いていたと思います。
故に映像はチープであるはずもなく、題材に対して最大限の表現方法と、見せたい物がハッキリとした画になっていたのですが、それに引き替えると、お話の方はやや陳腐だったかなと。これは私が映像屋でもアニメ屋でもなく、文章畑にいる人間だからだと思いますが、この企画自体があくまで若手アニメーター育成のため、つまり作画ないし動画がメインであるから、話はそれに合わせてどうしてもコンパクトというか、分かりやすい物になっていたように思う。シンプルというより、簡単なんだよね。殊更、斬新さや驚きを求めていた訳でもないけど、面白味を感じることも出来なかった。
私が一番これはどうかな? と感じたのは、作品を彩るキャスト陣です。主人公であるアキ役、つまり主演は声優・佐藤利奈で、他に助演で釘宮理恵など、J.C.STAFFの作品で一度は主人公、あるいはヒロインを務めてきた一線級の声優が揃っていました。当然、プロですから演技は上手いですし、そつのなさという意味では完璧だったけど、何か浮いてるんだよね。今時のアニメで聴き慣れた、聴き慣れすぎた声というか、若手メインの作品という企画に対して、新鮮味が薄れてしまった。
けれど、これは仕方のない一面もあるのだと思う。アナウンスによる説明によれば、アニメミライは若手アニメーターの育成と、彼らに機会を与えることでそのモチベーションを高めるものだそうです。薄給で知られるアニメーターのモチベーションアップに、お賃金の昇給以外あるのかは分かりませんが、声優の存在は決して小さくないのでしょう。
自分の手掛けた作品とキャラに、あの声優さんが声を吹き込んでくれる。若手にとってこれほど嬉しいことはないだろうし、J.C.はその辺りの効果を意識していたのかも知れない。企画が企画なんだから若手声優とかにもチャンスを言いたくなる気もするが、それだと趣旨が広がり過ぎちゃうからね。J.C.の選択もまあ、一つの答えではあったと思います。
ハッピーカムカム
CMでよく耳にする結婚相談所と同じ名前ですが、SynergySPが制作したこのアニメは、テーマ性という意味では一番分かりやすい、もっと言えばありきたりな作品でした。今のアニメでは出来ない物を作ろうというコンセプトの通り、古くさいギャグ物という感じだけど、それだけに観やすい作品ではあったと思う。
仕事を辞めて、離婚して、母親も死んだ男が、遺産を元手にメイドロボの購入を考えたところ、業者が持ってきたのは萌えとは程遠い、母ちゃんロボットのヨシコだった……という話は、昭和のドタバタギャグを彷彿とさせるけど、それが特別面白いかと言われたら、まあ、普通なんだよね。今の時代にこういうアニメをよくやったという点では褒めるに値するんだろうけど、逆に言えば「昔はこういうのあったよね」という、いつか観たような作品になってしまったのも事実というか。若手が作るにしては、新しさに欠けていたというか、勿論、今の若手が作れないであろう古き良きアニメという意味では、それはそれで良い勉強なのだろうけど……凡庸な話だったし、その割にはちとくどく感じた面もあっただけに、ちょっと評価に困る。
泣かせるようなシナリオ運びだけど、これで泣くのはよくない気がしたというか。
だって、男だったら泣かざるを得ない話じゃないですか。そこが卑怯というか、実際に私はグッと来てしまったんだけど、中年ないしその手前に差し掛かった男性が感じている孤独、無気力、そこに母親という存在や、母性のありがたみ。寄りかかるものが少ない大人にとって、子供のように甘えられる環境ってのは重要なんですよ。
単純に話の善し悪しで言えば、多分この作品が一番いいと思う。凡庸ではあったけど、それだけに崩れることがなくて、展開なんて観てれば丸わかりだけど、だからこそ共感する部分も多いし、話がすっと入ってくるんだよね。
けれど、映像は何せ日常ギャグ物だから特筆してここ! というシーンはなく、たとえば一つ前のアキの奏でみたいに、和太鼓の演奏シーンでドーンと魅せるような、そんな印象的なものが残らなかった。しいて言えば、ヨシコと過ごす日々や、時間経過の描写が鮮やかだったけど、どちらかと言えばこの作品はお話メインのような気がしてならない。そこがどこか中途半端に映ってしまった面は否めないけど、こういう作品を作ることが出来る、という意味では、アニメミライの意義を強く感じたような気がする。
音楽少女
私は一応、この作品を観に今回の上映会に行った訳ですが、まあ、安定していたというか、面白かったですよ。如何にも今時の美少女アニメ、萌え作品といった感じで、作品的な古くささは微塵も感じさせず、テーマ的にも現在進行形の青春であり、非常に明るい作風でした。
音楽少女はCosmic recordが2012年頃より始めた音楽プロジェクトの総称で、そのCosmic recordがアニメ製作スタジオのStudio DEENの傘下になったことで、今回のアニメ化に結びついたという事情があります。つまり、漫画や小説ではないにせよ、原作といえる存在があるんですね。原作が言い過ぎなら、設定とでも言いましょうか、少なくとも既存の作品を使ったオリジナルアニメーションな訳です。
音楽に熱情を捧げる新入生千歳ハルと、音楽が好きながらもあがり症の性格のため人前で歌うことが出来ない熊谷絵里。この二人の出会いと、音楽にかける熱い想い、そしてその先にある別れを、音楽少女の数々の楽曲をと共に描いたのが、アニメ版音楽少女なんだけど……いや、面白いんですよ? 今時であるだけに観やすく、知っているキャラだからこそ楽しく、細かいネタも楽しめましたから。
しかし、この作品はやっぱり音楽なんだよね。伝えたいものがあるとすれば、それはアニメではなくて音楽なんですよ。アニメミライを利用して……という書き方は綺麗じゃないけど、アニメミライを使って音楽少女という作品と、その音楽を世に知らしめたというのが正しい気がする。
それだけに上映された4作品の中では一番の異色作だったのではないか? と、思います。言ってしまえば、別にこれアニメミライじゃなくてもよくね? と、感じたのも事実であり、良く出来ているからこそ、面白いからこそ、何だか酷く場違いな気分でムズムズしてしまった。「ちょっとこの場所お借りしますね」といった感じの、そんな気分が強かった。話自体も決められた分数に合わせて、取って付けたような展開だったと思うし、ハッピーカムカムのように展開の予想はし易いけど、とりあえずオチを付けるために山や谷を用意しました、みたいな安直さが見受けられた。別にハルの留学設定とかいれずに、それこそライブシーンに多大な時間を取って、現代アニメーションにおける演奏、歌唱、ライブ、コンサートといったシーンの重要性と派手さをアピールするべきだったのではないか? その方向に振り切った方が、映像としてのインパクトが又違っただろうに。変にお話として物語性や中身を加えようとした結果、音楽少女が伝えるべき音楽が霞んだというか、鈍くなった印象があるね。
声優は勿論音楽少女の楽曲を担当している人がそのまま出演して、助演に早見沙織など、こちらも歌唱力には定評のある声優が出ていたけど、アキの奏でほど違和感を覚えなかったのは、やはり既存の作品という点が大きいのだと思う。
勿論、現代アニメ化文化に置ける美少女アニメの立ち位置とか、重要性を示す意味では価値があったのだろうけど、今少し別の形で出しても良かったのではなかろうか。プロジェクト、あるいはコンテンツとしての力は強いのだから。
クミとチューリップ
手塚プロダクションが送り込んできた作品は、手塚治虫の息子である手塚眞が総監督を務めるアート系のアニメでした。
いや、アート系と決めつけるのはどうかと思うけど、この作品は若手アニメーターを育てるというアニメミライの趣旨に対して、一つの正答を出したかのような強い印象を受けた。少なくともJ.C.STAFFが作ってきた作品とは真逆の位置にあり、企画を逆手に取った、あるいは正直に解釈した直球という気もします。何せこの作品、声優がいないんです。勿論、キャラクターが存在しない、という訳ではありません。キャラは沢山出てくるし、登場するメインキャラ、という意味では今年のアニメミライ出展作品では一番多かったのではなかろうか?
にもかかわらず、この作品には台詞が存在せず、音楽とキャラクターの動きだけで、作品世界を過不足なく表現し、台詞やナレーションが一切ないにも関わらず、観る者に対してお話の内容を理解させてしまう、実に優れたアニメーションでした。
話その物は映像のみで伝えるという観点から、それほど複雑なものではなく、科学の発達した未来社会における一輪の花という、非常に分かりやすいテーマを選んでいます。それが現代への警鐘なのか、未来への説教なのかはともかく、この作品で特筆すべきは用いられた技法であり、そこをまず評価すべきなのではないかと感じます。
台詞を敢えて入れないことで、画面を見なければ話が分からない、つまり、映像を見せるという意味でこれほど直接的な作りをしてきたのは、このクミとチューリップだけです。J.C.が作ったアキの奏で、あれの配役について疑問を呈しましたけど、手塚プロは声優を必要としない作品を出すことで、あくまで映像を主役にしたんです。
アキの奏では若手の作品という前提に対し、一線級の声優が却って重荷になっていて、音楽少女は既に確立されたキャラクターと声優の存在が、新しさを感じさせなくなっていた。無論、声優はアニメーション作品を構成する上で重要なファクターだけど、アニメミライのようにコンセプトがハッキリしている企画では、作品を食ってしまう場合もあるんですね。そこを、手塚プロは意識していたのか、もしくは理解していたように思います。
総監督は前述の通り、手塚眞。この人はもう50代で全然若手などではありませんが、アニメミライはベテランから若手へ、その技術の継承も兼ねているそうだから、人選自体は別に不思議じゃありません。ベテランが指揮して、若手が作る。形としてはもっともスタンダードであり、企画趣旨にも適していたと言えるでしょう。
まあ、タダで招待して貰った身としてはあまり御託を並べてもしょうがないけど、そういえば、音楽少女が終わったとき、幾人かが退場したのは気になりましたね。3時間ではなかったにせよ、それなりの長丁場、予定があったのかも知れませんが、招待客だからといって、途中で帰るのは如何なものだろうか。あれは、ちょっと気になりました。
全体の感想としてはそれぞれ個性があって、アニメミライという企画をどのように捉えたのかが、DEEN以外からは伝わってきたように思います。ただ、上映前のアナウンスで海外下請けが常態化しているアニメーション製作に対し云々と言ってましたが、その割にどの作品も自社以外に動画等で多数の国内スタジオに下請けを回していたようですし、手塚プロの作品なんて、出展しているはずのJ.C.STAFFの名前がありましたからね。それを観てしまうと、あまり意味がないんじゃないかとも感じてしまいます。
来年があるのかどうかは知りませんが、意義自体はある企画だと思うから、続けていって貰いたいものです。
文化庁が主催……いや、後援かな? とにかく、お役所主導で若手アニメーター中心の新作、オリジナルアニメを作るというのがこのアニメミライの趣旨な訳だけど、企画が通って、いざ上映された作品を見比べてみると、スタジオごとの個性や、アニメというものに対する思想のようなものが見えてきてなかなか興味深かった。
13時半開演で16時半までと招待状には記載されていたから、3時間の長丁場を覚悟していたのだけど、実際には15時半前に上映は全て終了し、始まる前のアナウンス等を含めれば、1作品30分もなかったのではないだろうか? 今のTVアニメーションが1話大体20数分であることを考えれば、大体それと同じぐらいだと思うけど、これといって物足りなさは感じませんでした。長編を観に行った訳でもないし、予めそういうものだという認識があったのも大きいのかな。
200席以上ある劇場の内、150席は一般の招待客用で、落選者も出たぐらいだから、それなりに人は入っていたように思います。ただ、プレスや関係者はそれほど多いようにも感じられず、そこら辺はAnime Japanに流れたのかも知れません。内容自体はそれほどお堅くもなかったけど、取材しがちのある企画という意味では。Anime Japanの方が華やかですからね。私はああいう大きなイベントに参加するだけの気力や体力をもう持ち合わせていないから、こっちの上映会を選んだ訳ですが、まあ、特に騒がしいようなこともなく、ゆったりとした気持ちで観られました。もっとも、劇場全体で考えれば、都心にあるとはいえ普通の映画館ですから、一般のお客さんも多くて、そこに今回の招待客だから結構ごった返してましたけども。最近は日本橋……というか、三越前も次々に新しい商業施設が出来て、流行ってますからね。映画館の下にある店でオムレツを一度食べてみたいのだけど、まあ、そんな話はどうでも良いとして各作品の感想を。
アキの奏で
この頃は漫画原作やラノベ原作のアニメを多く手掛けていることで有名な、J.C.STAFFの作品。
スタジオの歴史は浅くもなければ深くもない、80年代の後期に出来た所ですが、名が売れてきたのは2000年代以降でしょうか? あくまで私の印象になりますけど、感覚的な意味では比較的新しいイメージがあります。
そんなJ.C.STAFFがアニメミライ用に制作してきたアキの奏では、和太鼓に青春を費やした少女の人生と将来を描いた作品です。子供の頃に一時打ち込んだ和太鼓を、高校になって再開し、そのままプロの道に歩んだアキが、かつての恩師に請われて故郷の祭で行われる太鼓祭の指導をするため、東京から実家の熊本に帰省する……というのが大まかなあらすじ。
和太鼓といえば裸一貫、ふんどし一丁、さらしを巻いた上に法被を着込みと、何かと男臭いイメージがありますが、女性の和太鼓奏者というのはそれほど珍しくもありません。私の母校にも和太鼓部はありましたが、クラスの女子が所属しており、コンクールだか親善イベントだかでアメリカに行き、そこで太鼓を叩いたという話を聞いたこともあります。確か、1セント硬貨だかをお土産に貰った記憶があるので、女性が太鼓奏者をやっていることへの違和感は微塵もなく、設定はすんなりと受け入れられました。
ただ、世間一般に和太鼓奏者というのはそれほど儲かる職業ではなく、和太鼓を披露する場所というのも限られています。主人公であるアキが所属している集団は一応のプロだけども、和太鼓だけで食べていけるはずもなく、あるものは土木作業員を、そして主人公のアキもバイトをしているなど、決して安定しているとは言えません。アキは夢を叶えてプロになったはずですが、その現状や訪れた将来に対して不安を抱いており、故郷に帰り、過去を回想する中で、自分を見つめ直していく訳ですね。
映像はJ.C.らしい画風ながらも、短編作品、つまりショートフィルムであることを意識しており、太鼓をメインとした祭り囃子や、少年少女たちの幼少期から中高生時代に掛けてまでの青春を綺麗に描いていたと思います。
故に映像はチープであるはずもなく、題材に対して最大限の表現方法と、見せたい物がハッキリとした画になっていたのですが、それに引き替えると、お話の方はやや陳腐だったかなと。これは私が映像屋でもアニメ屋でもなく、文章畑にいる人間だからだと思いますが、この企画自体があくまで若手アニメーター育成のため、つまり作画ないし動画がメインであるから、話はそれに合わせてどうしてもコンパクトというか、分かりやすい物になっていたように思う。シンプルというより、簡単なんだよね。殊更、斬新さや驚きを求めていた訳でもないけど、面白味を感じることも出来なかった。
私が一番これはどうかな? と感じたのは、作品を彩るキャスト陣です。主人公であるアキ役、つまり主演は声優・佐藤利奈で、他に助演で釘宮理恵など、J.C.STAFFの作品で一度は主人公、あるいはヒロインを務めてきた一線級の声優が揃っていました。当然、プロですから演技は上手いですし、そつのなさという意味では完璧だったけど、何か浮いてるんだよね。今時のアニメで聴き慣れた、聴き慣れすぎた声というか、若手メインの作品という企画に対して、新鮮味が薄れてしまった。
けれど、これは仕方のない一面もあるのだと思う。アナウンスによる説明によれば、アニメミライは若手アニメーターの育成と、彼らに機会を与えることでそのモチベーションを高めるものだそうです。薄給で知られるアニメーターのモチベーションアップに、お賃金の昇給以外あるのかは分かりませんが、声優の存在は決して小さくないのでしょう。
自分の手掛けた作品とキャラに、あの声優さんが声を吹き込んでくれる。若手にとってこれほど嬉しいことはないだろうし、J.C.はその辺りの効果を意識していたのかも知れない。企画が企画なんだから若手声優とかにもチャンスを言いたくなる気もするが、それだと趣旨が広がり過ぎちゃうからね。J.C.の選択もまあ、一つの答えではあったと思います。
ハッピーカムカム
CMでよく耳にする結婚相談所と同じ名前ですが、SynergySPが制作したこのアニメは、テーマ性という意味では一番分かりやすい、もっと言えばありきたりな作品でした。今のアニメでは出来ない物を作ろうというコンセプトの通り、古くさいギャグ物という感じだけど、それだけに観やすい作品ではあったと思う。
仕事を辞めて、離婚して、母親も死んだ男が、遺産を元手にメイドロボの購入を考えたところ、業者が持ってきたのは萌えとは程遠い、母ちゃんロボットのヨシコだった……という話は、昭和のドタバタギャグを彷彿とさせるけど、それが特別面白いかと言われたら、まあ、普通なんだよね。今の時代にこういうアニメをよくやったという点では褒めるに値するんだろうけど、逆に言えば「昔はこういうのあったよね」という、いつか観たような作品になってしまったのも事実というか。若手が作るにしては、新しさに欠けていたというか、勿論、今の若手が作れないであろう古き良きアニメという意味では、それはそれで良い勉強なのだろうけど……凡庸な話だったし、その割にはちとくどく感じた面もあっただけに、ちょっと評価に困る。
泣かせるようなシナリオ運びだけど、これで泣くのはよくない気がしたというか。
だって、男だったら泣かざるを得ない話じゃないですか。そこが卑怯というか、実際に私はグッと来てしまったんだけど、中年ないしその手前に差し掛かった男性が感じている孤独、無気力、そこに母親という存在や、母性のありがたみ。寄りかかるものが少ない大人にとって、子供のように甘えられる環境ってのは重要なんですよ。
単純に話の善し悪しで言えば、多分この作品が一番いいと思う。凡庸ではあったけど、それだけに崩れることがなくて、展開なんて観てれば丸わかりだけど、だからこそ共感する部分も多いし、話がすっと入ってくるんだよね。
けれど、映像は何せ日常ギャグ物だから特筆してここ! というシーンはなく、たとえば一つ前のアキの奏でみたいに、和太鼓の演奏シーンでドーンと魅せるような、そんな印象的なものが残らなかった。しいて言えば、ヨシコと過ごす日々や、時間経過の描写が鮮やかだったけど、どちらかと言えばこの作品はお話メインのような気がしてならない。そこがどこか中途半端に映ってしまった面は否めないけど、こういう作品を作ることが出来る、という意味では、アニメミライの意義を強く感じたような気がする。
音楽少女
私は一応、この作品を観に今回の上映会に行った訳ですが、まあ、安定していたというか、面白かったですよ。如何にも今時の美少女アニメ、萌え作品といった感じで、作品的な古くささは微塵も感じさせず、テーマ的にも現在進行形の青春であり、非常に明るい作風でした。
音楽少女はCosmic recordが2012年頃より始めた音楽プロジェクトの総称で、そのCosmic recordがアニメ製作スタジオのStudio DEENの傘下になったことで、今回のアニメ化に結びついたという事情があります。つまり、漫画や小説ではないにせよ、原作といえる存在があるんですね。原作が言い過ぎなら、設定とでも言いましょうか、少なくとも既存の作品を使ったオリジナルアニメーションな訳です。
音楽に熱情を捧げる新入生千歳ハルと、音楽が好きながらもあがり症の性格のため人前で歌うことが出来ない熊谷絵里。この二人の出会いと、音楽にかける熱い想い、そしてその先にある別れを、音楽少女の数々の楽曲をと共に描いたのが、アニメ版音楽少女なんだけど……いや、面白いんですよ? 今時であるだけに観やすく、知っているキャラだからこそ楽しく、細かいネタも楽しめましたから。
しかし、この作品はやっぱり音楽なんだよね。伝えたいものがあるとすれば、それはアニメではなくて音楽なんですよ。アニメミライを利用して……という書き方は綺麗じゃないけど、アニメミライを使って音楽少女という作品と、その音楽を世に知らしめたというのが正しい気がする。
それだけに上映された4作品の中では一番の異色作だったのではないか? と、思います。言ってしまえば、別にこれアニメミライじゃなくてもよくね? と、感じたのも事実であり、良く出来ているからこそ、面白いからこそ、何だか酷く場違いな気分でムズムズしてしまった。「ちょっとこの場所お借りしますね」といった感じの、そんな気分が強かった。話自体も決められた分数に合わせて、取って付けたような展開だったと思うし、ハッピーカムカムのように展開の予想はし易いけど、とりあえずオチを付けるために山や谷を用意しました、みたいな安直さが見受けられた。別にハルの留学設定とかいれずに、それこそライブシーンに多大な時間を取って、現代アニメーションにおける演奏、歌唱、ライブ、コンサートといったシーンの重要性と派手さをアピールするべきだったのではないか? その方向に振り切った方が、映像としてのインパクトが又違っただろうに。変にお話として物語性や中身を加えようとした結果、音楽少女が伝えるべき音楽が霞んだというか、鈍くなった印象があるね。
声優は勿論音楽少女の楽曲を担当している人がそのまま出演して、助演に早見沙織など、こちらも歌唱力には定評のある声優が出ていたけど、アキの奏でほど違和感を覚えなかったのは、やはり既存の作品という点が大きいのだと思う。
勿論、現代アニメ化文化に置ける美少女アニメの立ち位置とか、重要性を示す意味では価値があったのだろうけど、今少し別の形で出しても良かったのではなかろうか。プロジェクト、あるいはコンテンツとしての力は強いのだから。
クミとチューリップ
手塚プロダクションが送り込んできた作品は、手塚治虫の息子である手塚眞が総監督を務めるアート系のアニメでした。
いや、アート系と決めつけるのはどうかと思うけど、この作品は若手アニメーターを育てるというアニメミライの趣旨に対して、一つの正答を出したかのような強い印象を受けた。少なくともJ.C.STAFFが作ってきた作品とは真逆の位置にあり、企画を逆手に取った、あるいは正直に解釈した直球という気もします。何せこの作品、声優がいないんです。勿論、キャラクターが存在しない、という訳ではありません。キャラは沢山出てくるし、登場するメインキャラ、という意味では今年のアニメミライ出展作品では一番多かったのではなかろうか?
にもかかわらず、この作品には台詞が存在せず、音楽とキャラクターの動きだけで、作品世界を過不足なく表現し、台詞やナレーションが一切ないにも関わらず、観る者に対してお話の内容を理解させてしまう、実に優れたアニメーションでした。
話その物は映像のみで伝えるという観点から、それほど複雑なものではなく、科学の発達した未来社会における一輪の花という、非常に分かりやすいテーマを選んでいます。それが現代への警鐘なのか、未来への説教なのかはともかく、この作品で特筆すべきは用いられた技法であり、そこをまず評価すべきなのではないかと感じます。
台詞を敢えて入れないことで、画面を見なければ話が分からない、つまり、映像を見せるという意味でこれほど直接的な作りをしてきたのは、このクミとチューリップだけです。J.C.が作ったアキの奏で、あれの配役について疑問を呈しましたけど、手塚プロは声優を必要としない作品を出すことで、あくまで映像を主役にしたんです。
アキの奏では若手の作品という前提に対し、一線級の声優が却って重荷になっていて、音楽少女は既に確立されたキャラクターと声優の存在が、新しさを感じさせなくなっていた。無論、声優はアニメーション作品を構成する上で重要なファクターだけど、アニメミライのようにコンセプトがハッキリしている企画では、作品を食ってしまう場合もあるんですね。そこを、手塚プロは意識していたのか、もしくは理解していたように思います。
総監督は前述の通り、手塚眞。この人はもう50代で全然若手などではありませんが、アニメミライはベテランから若手へ、その技術の継承も兼ねているそうだから、人選自体は別に不思議じゃありません。ベテランが指揮して、若手が作る。形としてはもっともスタンダードであり、企画趣旨にも適していたと言えるでしょう。
まあ、タダで招待して貰った身としてはあまり御託を並べてもしょうがないけど、そういえば、音楽少女が終わったとき、幾人かが退場したのは気になりましたね。3時間ではなかったにせよ、それなりの長丁場、予定があったのかも知れませんが、招待客だからといって、途中で帰るのは如何なものだろうか。あれは、ちょっと気になりました。
全体の感想としてはそれぞれ個性があって、アニメミライという企画をどのように捉えたのかが、DEEN以外からは伝わってきたように思います。ただ、上映前のアナウンスで海外下請けが常態化しているアニメーション製作に対し云々と言ってましたが、その割にどの作品も自社以外に動画等で多数の国内スタジオに下請けを回していたようですし、手塚プロの作品なんて、出展しているはずのJ.C.STAFFの名前がありましたからね。それを観てしまうと、あまり意味がないんじゃないかとも感じてしまいます。
来年があるのかどうかは知りませんが、意義自体はある企画だと思うから、続けていって貰いたいものです。
カワバンガと叫んでみれば
2015年3月1日 アニメ・マンガ
タートルズの新作が実写映画で公開されたということで観に行ってきた。私にとってのタートルズは、なんと言ってもテレ東で放送されていた地上波アニメーションと、後はコミックボンボンで連載されていた漫画版ということになるが、実写映画にも馴染みがない訳ではない。旧三部作はTV放送されたものを視聴した記憶があるし、アメコミ作品としては比較的好きな部類に入るだろう。
この作品は元がオリジナルの同人誌から始まっていることもあってか、D.C.やマーベルといった大手作品とは一線を画す……といっても元はパロディ要素も強いのだが、とにかくアメコミの中でも独特な存在であることは間違いない。
そんなタートルズシリーズをリブートし、トランスフォーマーなどで名を上げたマイケル・ベイが監督を務めたのが今日観てきた映画になる。私は正直、マイケル・ベイの撮る映像はそれほど好きではない。全体的に画面が五月蠅くて、ゴチャゴチャしていて目が疲れるからだ。それに3D鑑賞が推奨されているのも、3D酔いの激しい身としてはあまり好ましいことではない。
まあ、それは個人の都合だからともかくとして、トランスフォーマーのようなSFならともかく、タートルズのような格闘メインの作品なら、少なくとも目が疲れるほどにはならないだろうとも考えていた。タートルズは一部作品を除けば変身も変形も合体もしないし、敵のフット団はサイボーグ忍者とかいるけど、同じく激しいSF的ギミックは持たないからだ。
予感は的中して、多少の激しいアクションはあったものの、格闘シーンとして十分に映えるものだったし、これといって鑑賞の負担にはならなかった。
しかし、問題は吹き替えにあった。私はこのところ、吹き替えで映画が観られなくなっており、洋画は基本的に字幕で観ていた。どうにも役者と吹き替え声優がマッチせず、違和感を覚えることが多かったからだ。これは何も素人の起用による弊害、というだけではなく、所謂プロ声優が起用された場合も同じくことで、たとえば豪華声優陣で話題になったパシフィックリムなどは吹き替えよりも字幕の方が良かったと思う。
タートルズの場合、やはり各シリーズを日本語吹き替えで観てきた印象が強かったのと、ニンジャタートルズという設定を考えれば、日本語の方が違和感なく観られるのではないか? と考えた。それから、字幕版が全然上映していなかったとのも大きいか。
結論から言って、タートルズたち4人……4匹か? 彼らの声は問題なかった。声優が演じており、レオナルド以外はそれほど目にする名前ではないが、キャラの特徴をよく掴んだ、正にタートルズといって差し支えない演技だっただろう。
問題はエイプリルと、いや、彼女はまだ良いのだが、彼女の上司とスプリンター先生はよくなかった。最悪とは言わないが、エイプリルの上司など、あれはどう観てもウーピー・ゴールドバーグその人だったが、久々にスクリーンで観た彼女の口からこぼれ落ちたのは、泉ピン子の声だった。少し前に渡る世間は鬼ばかりのスペシャルがやっていたせいもあるのだろう、折角のウーピーなのに、もう五月にしか聞こえないのだ。エイプリルに対してメイなんて洒落が聴いているじゃないか思わなくもないが、ウーピー好きとしてはもう少しまともな声優をあてがって欲しかったと残念でならない。
そして、スプリンター先生であるが……泉ピン子はまだしも女優としてのキャリアがある物の、こちらはなんと芸人だった。タートルズを育て、鍛えた老ネズミの師匠が、高めのボイスで喋りだしたときは何事かと耳を疑った。下手とは言わないが、決して上手いとも言えず、なんだって芸人なんかを起用したのか、まったくガッカリしてしまった。
エイプリルを演じたのはベッキーというタレントだったが、こちらは可もなく不可もなく。先の二人に比べれば上手い方だと思うが、それでもどことない稚拙さ、違和感があった。声を聴いた瞬間に、プロじゃないというのが分かってしまうほどには。
映画としては結構面白い部類に入ると思う。話がコンパクトに纏まりすぎているとは思うが、リブート版ということを考えれば丁度良い気もするし、タートルズたちの関係性や格好良さを上手く描けていた。特にラファエロが最後の最後に仲間への想いを叫ぶシーンなど、ありがちながら胸が熱くならざるを得なかった。
タートルズ好きなら観ておいて損はない映画だし、良く出来た娯楽作品だったと言えるが、字幕版で観れば今少し印象は変わっていたのかも知れない。
ところで劇場予告でターミネーターの新作が流れたのだけど、今度の世界は変化した過去だそうで、また審判の日がどうとか言っているらしい。止められるなら止めて貰いたいものだが、スターウォーズの新作同様、観たいような、観たくないようなといった作品であることには違いない。まあ、私の中では、だけど。
この作品は元がオリジナルの同人誌から始まっていることもあってか、D.C.やマーベルといった大手作品とは一線を画す……といっても元はパロディ要素も強いのだが、とにかくアメコミの中でも独特な存在であることは間違いない。
そんなタートルズシリーズをリブートし、トランスフォーマーなどで名を上げたマイケル・ベイが監督を務めたのが今日観てきた映画になる。私は正直、マイケル・ベイの撮る映像はそれほど好きではない。全体的に画面が五月蠅くて、ゴチャゴチャしていて目が疲れるからだ。それに3D鑑賞が推奨されているのも、3D酔いの激しい身としてはあまり好ましいことではない。
まあ、それは個人の都合だからともかくとして、トランスフォーマーのようなSFならともかく、タートルズのような格闘メインの作品なら、少なくとも目が疲れるほどにはならないだろうとも考えていた。タートルズは一部作品を除けば変身も変形も合体もしないし、敵のフット団はサイボーグ忍者とかいるけど、同じく激しいSF的ギミックは持たないからだ。
予感は的中して、多少の激しいアクションはあったものの、格闘シーンとして十分に映えるものだったし、これといって鑑賞の負担にはならなかった。
しかし、問題は吹き替えにあった。私はこのところ、吹き替えで映画が観られなくなっており、洋画は基本的に字幕で観ていた。どうにも役者と吹き替え声優がマッチせず、違和感を覚えることが多かったからだ。これは何も素人の起用による弊害、というだけではなく、所謂プロ声優が起用された場合も同じくことで、たとえば豪華声優陣で話題になったパシフィックリムなどは吹き替えよりも字幕の方が良かったと思う。
タートルズの場合、やはり各シリーズを日本語吹き替えで観てきた印象が強かったのと、ニンジャタートルズという設定を考えれば、日本語の方が違和感なく観られるのではないか? と考えた。それから、字幕版が全然上映していなかったとのも大きいか。
結論から言って、タートルズたち4人……4匹か? 彼らの声は問題なかった。声優が演じており、レオナルド以外はそれほど目にする名前ではないが、キャラの特徴をよく掴んだ、正にタートルズといって差し支えない演技だっただろう。
問題はエイプリルと、いや、彼女はまだ良いのだが、彼女の上司とスプリンター先生はよくなかった。最悪とは言わないが、エイプリルの上司など、あれはどう観てもウーピー・ゴールドバーグその人だったが、久々にスクリーンで観た彼女の口からこぼれ落ちたのは、泉ピン子の声だった。少し前に渡る世間は鬼ばかりのスペシャルがやっていたせいもあるのだろう、折角のウーピーなのに、もう五月にしか聞こえないのだ。エイプリルに対してメイなんて洒落が聴いているじゃないか思わなくもないが、ウーピー好きとしてはもう少しまともな声優をあてがって欲しかったと残念でならない。
そして、スプリンター先生であるが……泉ピン子はまだしも女優としてのキャリアがある物の、こちらはなんと芸人だった。タートルズを育て、鍛えた老ネズミの師匠が、高めのボイスで喋りだしたときは何事かと耳を疑った。下手とは言わないが、決して上手いとも言えず、なんだって芸人なんかを起用したのか、まったくガッカリしてしまった。
エイプリルを演じたのはベッキーというタレントだったが、こちらは可もなく不可もなく。先の二人に比べれば上手い方だと思うが、それでもどことない稚拙さ、違和感があった。声を聴いた瞬間に、プロじゃないというのが分かってしまうほどには。
映画としては結構面白い部類に入ると思う。話がコンパクトに纏まりすぎているとは思うが、リブート版ということを考えれば丁度良い気もするし、タートルズたちの関係性や格好良さを上手く描けていた。特にラファエロが最後の最後に仲間への想いを叫ぶシーンなど、ありがちながら胸が熱くならざるを得なかった。
タートルズ好きなら観ておいて損はない映画だし、良く出来た娯楽作品だったと言えるが、字幕版で観れば今少し印象は変わっていたのかも知れない。
ところで劇場予告でターミネーターの新作が流れたのだけど、今度の世界は変化した過去だそうで、また審判の日がどうとか言っているらしい。止められるなら止めて貰いたいものだが、スターウォーズの新作同様、観たいような、観たくないようなといった作品であることには違いない。まあ、私の中では、だけど。
映画「サンバ」の感想
2015年1月6日 映画エリック・トレダノ&オリヴィエ・ナカシュ監督、オマール・シー主演の映画「サンバ」を観てきた。かの名作、「最強のふたり」でタッグを組んだ3人の新作ということだが、私はこの映画が公開されることを朝のラジオで知った。金曜日だけ番組をやっている映画好きの政治ジャーナリストが、新作紹介のコーナーで語っていたので、これは見に行かねばならないと思ったのである。
本来なら元旦に川崎で観る予定だったのだが、都合がつかなくて仕事始めの帰り、有楽町のTOHOシネマズシャンテで観ることになった。シネコンでないミニシアターは久しぶりだが、なかなかどうした、雰囲気のある場所だった。
私は「最強のふたり」という作品が好きだ。本国フランスでの公開は2011年、日本での公開は2012年の9月であるから、既に公開から2年半以上経っているが、あの劇場で観た際の鮮烈さは今でもハッキリと覚えている。私がアメリカ以外の洋画に食指を伸ばす切欠になった作品でもあり、フランス映画は勿論、インド映画なども見始めたのは、最強のふたりの影響が強い。
それまでの私にとって、フランス映画は学生時代に観たヌーヴェルヴァーグの印象が強く、具体的な作品名は避けるが、精神的で芸術的、陰気なアート系といったイメージが拭えなかった。無論、純粋な娯楽作品も多数存在するはずだし、そういったものが日本で公開されてないとも限らないが、私はそういった作品があることを知らなかったし、その偏見は未だに残っていたりもする。
しかし、如何にお国柄や国民性があると言っても、人間が作る以上、そこには個性の差があり、作風の違いがある。話は少し変わるが、インド映画だからといって全てが歌って踊るわけではなく、私が昨年鑑賞した「めぐり逢わせのお弁当」という作品は、歌はあっても踊りはなく、孤独感や切なさを全面に出した映画だった。要は、作り手と演者によって幾らでも多様なものを生み出すことが出来るし、作り出すことが出来るのだ。
そして、話は最強のふたりに戻るわけだが、この映画は私がそれまで抱いていたフランス映画への偏見や先入観をいい意味で打ち砕いてくれた作品だ。確か、シネコンのサイト経由で公式サイトに行ったのが最初だったと思うが、予告編を見て痺れた。これは私が今まで観てきた、知っていたフランス映画とは違うものだと、ひと目で気付かせてくれたのだから。
最強のふたりとて単純な話ではなく、娯楽作品と捉えるにはテーマが重く、人によっては芸術性の高い作品だと評するかもしれない。個々人の感想や感慨は人それぞれとしか言い様がないものの、私はあの映画を娯楽作品としても十二分に評価出来るものと考えている。予告編を観たときのワクワクと興奮、「生きることへの活力」が、映画本編にありありと現れていたからだ。故にあの映画は楽しくて面白く、そして感動が出来るのだろう。
そういったことを踏まえた上で、やっと「サンバ」について書こうと思うのだが……私はこの映画を観るにあたって、当然ながら公式サイトをチェックしたし、予告編についても観た。しかし、それ以前に前述のラジオにおける紹介が私の頭には強く残っており、それによるとこの映画はフランスにおける移民問題と燃え尽き症候群を扱った作品だ、ということだ。前者はフランスにおけるお国の問題という奴だが、では、後者はなにか?
朝方の忙しい時間帯に聞いていたので正確ではないかもしれないが、エリック・トレダノかオリヴィエ・ナカシュ、あるいはその両監督は最強のふたりを世に送り出して以降、まさに燃え尽き症候群だったというのだ。最強のふたりは国内でもセザール賞に多数ノミネートし、主演男優賞ではオマール・シーが受賞、国外でも日本アカデミー賞をはじめ、多数の賞にノミネートしては、受賞してきた。名作や傑作という評価は、極めて正しいものであり、監督たちの名声は頂点に達したことは疑いようもない。
だが、名作や傑作というのは現役の作家や創作者にとって必ずしもいいことばかりではない。これが遺作なら最後の最後に素晴らしい物を作ったと、安心して眠りにつくことが出来るのだろうが、現役で作品作りを続ける者にとっては、自分の作品そのものが大きなハードルとなって聳え立ち、同時に重い足枷となってしまう。最強のふたりを超える作品を作ることは出来るのか? これ以上の作品は自分の中にあるのか? なまじ最強のふたりが文字通りの最強だっただけに、その苦労や葛藤は想像に難くない。むしろ、当然のことと言えるだろう。
数日前、映画.comに掲載されたニュース記事だが、ジム・キャリーが「最強のふたり」米リメイク版出演を辞退していたというものがある。
ジム・キャリーはゴールデングローブ賞の受賞経験もある俳優で、受賞作でもあるトゥルーマン・ショーの主演が世間的には有名だろうか? そんな彼が、最強のふたりのリメイク版出演を辞退した理由として、記事の中でこんなことが書かれている。
アメリカのリメイク版がどうなるのかは分からないし、富豪役での出演が決まっているコリン・ファースの演技にも興味はあるが、それはともかくとしても、ジム・キャリーの発言は単なる出演辞退の説明以上に重たいものがあるだろう。
最強のふたりは完璧な作品なのだ。対外的に見ても、役者が出演を辞退してしまう程に原典が完成されていて、リメイク版が越えなければいけないハードルは、既に山ほどの高さになっているはずだ。それだけに役者たちも名作の出演には慎重になる。元がいいだけに、場合によっては自分のキャリアに傷が付いてしまうからだ。
だが、こういった事情は何もリメイク版に携わる者達にだけある訳じゃない。前述のように原典を作った監督自身が、最強のふたりという作品に囚われ、あるいは全てを出し切って、燃え尽き症候群になっていたのだ。主演のオマール・シーはどうだったのか、それも気になるところだが、名作や傑作を作り出した創作者たちにとって、こうした躓きや、先に勧めないことに対する閉塞感は珍しくないのかもしれない。
故に私は、この「サンバ」という映画を、最初から監督のリハビリ作品として捉えていた。最強のふたりで全てを出し切った男たちがもう一度集まり、なにか新しい映画を撮ってみようと、そんな感じだったのだろう。そこには斬新さや、核心的なものなどあるはずはないが、最強のふたりで燃え尽きたと知っていれば、何ら不思議はない話なのだ。
しかし、映画を売る側としてはそうも言っていられない。興行収入を稼がないといけないし、そのためには宣伝をしていかなければいけない。前評判を良くする意味でも、配給元や広報としては最強のふたりの再来であることをアピールするのは当然の選択だったのだろう。事実、この映画が最強のふたりの監督によるものであり、主演もまたオマール・シーであることに変わりはないのだから。
公開中の作品だから深いネタバレは避けることにするが、映画としては全体的に暗く、シリアスな内容だ。移民問題や燃え尽き症候群を扱っているのだから当たり前だが、時折クスリとしてしまう小ネタを除けば、作品自体は深刻なテーマに適度な軽さを加えつつ、重苦しく仕上げていると言える。
予告編だけ観れば、オマール・シー演じる主人公のサンバが、そのハチャメチャな性格で移民問題に対して果敢なアタックを行い、そのダンスのサンバの如き情熱で燃え尽き症候群のヒロインがもう一度燃え上がる……! みたいな内容を想像しがちだが、ハッキリ言ってそんなことはない。うっかりでビザの更新を忘れた、などと公式サイトや劇場、映画紹介サイトのあらすじには書かれているが、そんなコメディタッチな言い回しが通用するほど甘い話ではなく、最強の笑顔で人助け!? などと書かれてもいるが、実際のところサンバの暮らしぶりは笑顔で人を助けるほど余裕があるものではなく、もっと言えばキツいものがあった。ヒロインに対してはそうであったかもしれないが、サンバはとにかく余裕のないキャラクターなのだ。国外退去を迫られ、日々の暮らしすらままならず、しかし、それでも国の家族に仕送りをしなくてはいけないなど、精神的にはかなり追い詰められた、重いものを背負った主人公と言える。
最強のふたりは障害者と介護をテーマに扱った作品で、ノンフィクション、つまり実話を元にしているから、こちらはこちらで軽い話であるはずもないのだが、オマール・シーが演じた主人公のドリスは、スラム街の出身でありながらも陽気で明るかったし、同じく主人公で、フランソワ・クリュゼが演じたフィリップは障害者だが、知的な教養人だった。
そしてこれは重要な事だと思うが、最強のふたりのフィリップは大富豪であり、障害によるハンディキャップはあるものの、食うに困るほどの困窮とは無縁で、不便はあってもそれが直接的な危機には結びつかない。フィリップにすれば堪ったものではないかもしれないが、彼は大富豪だからこその余裕があった。
そして、そんな大富豪のお屋敷で介護人をやることになったドリスもまた、日々の暮らしには余裕が生まれる。それまで失業保険で食い繋いできた男が、いきなりお屋敷住まいだ。仕事は大変だが部屋は広いし、食事も料理人が作った結構いいものが食べられる。ドリスにあてがわれた部屋が、スラム街にある彼の実家よりも広いのではないかと思ってしまう程には、良い暮らしをしているのだ。
しかも、話の舞台はフィリップの邸宅と、彼が行き来する金持ちの社交場がメインだ。それは華やかな世界であり、時折スラム街とあくせく働く人々との対比もあるが、そこまで深刻なものとして映らないのが実情だろう。何せ、スラム街出身であるはずのドリスは、意外と簡単にフィリップの世界に順応し、溶け込んで、教養人としての彼から学び、自身を成長させていくのだから。
金持ち故の余裕というものは、主人公の片割れが金持ちである以上、どうしても生まれてしまうものだ。たとえば、2007年にアメリカで公開された「最高の人生の見つけ方」という映画は、余命6ヶ月を宣告された二人の男が死ぬ前にやり残したことを行うため、世界へ旅立ち冒険を始める、という話だが、これだって二人の内の一人、ジャック・ニコルソンが演じたエドワードが事業家として成功していた、金持ちだったから出来たことだ。
話を最強のふたりに戻すが、つまるところ最強のふたりという作品は、全体的に綺麗かつ華やかなのだ。金持ちの華やかな世界に、粗野で無学者の、スラム街出身のゴロツキが混ざったからこそ生まれるコメディであり、感動ストーリーだった。しかし、それはドリスというゴロツキを受け入れる側に、それを出来るだけの余裕があったからこそ、成立したのだとも言える。
サンバは最強のふたりで観せた華やかなフランスとは全く違う、陰気でジメっとしたフランス社会を描いた映画だ。主人公のサンバは移民者として迫害され、日雇いの仕事すら満足に付けないこともあるなど、過酷な状況に身を置かれている。これもまたフランスという国の実情であり、花の都パリの現実なのだ。しかし、それだけに、最強のふたりのような映画を観たいと思って劇場に出かけた人は、その薄暗い話にショックを受けるのかもしれない。移民問題という日本人には馴染みのないテーマも、受け入れがたいものがあるだろう。
映画として考えたとき、サンバは決してつまらない作品ではない。いくつかのテーマとお国の事情に対して、映画という媒体で真剣に取り組んだ結果の一つだろうと、そう受け止めることができるからだ。けれど、それが娯楽作品の映画として楽しいのか、面白いのか? と聞かれたとき、私は首を横に振るだろう。決して楽しいものではないし、面白くもないだろうと。そういうネタを扱っていないのだから、それは仕方のないことだ。
最強のふたりという名作の後に撮られたリハビリ的映画。そう考えれば、「まあ、こんなものだろう」という気もするし、最初からそういう考えでいけば、満足はしないかもしれないが、不満も少ないのが私の感想といったところか。
ただ、このサンバという映画に対して最強のふたりみたいな映画じゃなかったからつまらない、という人がいるのだとしたら、それは映画会社の宣伝を真に受けすぎというか、馬鹿正直に受け止めすぎていると言わざるをえない。名作や傑作はそう簡単に生まれるものではないし、たとえ天才であっても、連続してそれを成し遂げることは至難の業だろう。最強のふたりのような作品が観たいのであれば、最強のふたりをもう一度観ればいいのであって、それを求めてサンバを観に行くのだとすれば、その人もまた、名作に囚われている人ということになってしまう。
監督と主演が同じであるのだから期待しない方が無理だとも思うが、この映画は決して陽気で明るい作品ではなかった。燃え尽きたり、先に進めなくなった人たちがもがき苦しみ、それでも前に進もうと試みた、そんな映画なのだから。
本来なら元旦に川崎で観る予定だったのだが、都合がつかなくて仕事始めの帰り、有楽町のTOHOシネマズシャンテで観ることになった。シネコンでないミニシアターは久しぶりだが、なかなかどうした、雰囲気のある場所だった。
私は「最強のふたり」という作品が好きだ。本国フランスでの公開は2011年、日本での公開は2012年の9月であるから、既に公開から2年半以上経っているが、あの劇場で観た際の鮮烈さは今でもハッキリと覚えている。私がアメリカ以外の洋画に食指を伸ばす切欠になった作品でもあり、フランス映画は勿論、インド映画なども見始めたのは、最強のふたりの影響が強い。
それまでの私にとって、フランス映画は学生時代に観たヌーヴェルヴァーグの印象が強く、具体的な作品名は避けるが、精神的で芸術的、陰気なアート系といったイメージが拭えなかった。無論、純粋な娯楽作品も多数存在するはずだし、そういったものが日本で公開されてないとも限らないが、私はそういった作品があることを知らなかったし、その偏見は未だに残っていたりもする。
しかし、如何にお国柄や国民性があると言っても、人間が作る以上、そこには個性の差があり、作風の違いがある。話は少し変わるが、インド映画だからといって全てが歌って踊るわけではなく、私が昨年鑑賞した「めぐり逢わせのお弁当」という作品は、歌はあっても踊りはなく、孤独感や切なさを全面に出した映画だった。要は、作り手と演者によって幾らでも多様なものを生み出すことが出来るし、作り出すことが出来るのだ。
そして、話は最強のふたりに戻るわけだが、この映画は私がそれまで抱いていたフランス映画への偏見や先入観をいい意味で打ち砕いてくれた作品だ。確か、シネコンのサイト経由で公式サイトに行ったのが最初だったと思うが、予告編を見て痺れた。これは私が今まで観てきた、知っていたフランス映画とは違うものだと、ひと目で気付かせてくれたのだから。
最強のふたりとて単純な話ではなく、娯楽作品と捉えるにはテーマが重く、人によっては芸術性の高い作品だと評するかもしれない。個々人の感想や感慨は人それぞれとしか言い様がないものの、私はあの映画を娯楽作品としても十二分に評価出来るものと考えている。予告編を観たときのワクワクと興奮、「生きることへの活力」が、映画本編にありありと現れていたからだ。故にあの映画は楽しくて面白く、そして感動が出来るのだろう。
そういったことを踏まえた上で、やっと「サンバ」について書こうと思うのだが……私はこの映画を観るにあたって、当然ながら公式サイトをチェックしたし、予告編についても観た。しかし、それ以前に前述のラジオにおける紹介が私の頭には強く残っており、それによるとこの映画はフランスにおける移民問題と燃え尽き症候群を扱った作品だ、ということだ。前者はフランスにおけるお国の問題という奴だが、では、後者はなにか?
朝方の忙しい時間帯に聞いていたので正確ではないかもしれないが、エリック・トレダノかオリヴィエ・ナカシュ、あるいはその両監督は最強のふたりを世に送り出して以降、まさに燃え尽き症候群だったというのだ。最強のふたりは国内でもセザール賞に多数ノミネートし、主演男優賞ではオマール・シーが受賞、国外でも日本アカデミー賞をはじめ、多数の賞にノミネートしては、受賞してきた。名作や傑作という評価は、極めて正しいものであり、監督たちの名声は頂点に達したことは疑いようもない。
だが、名作や傑作というのは現役の作家や創作者にとって必ずしもいいことばかりではない。これが遺作なら最後の最後に素晴らしい物を作ったと、安心して眠りにつくことが出来るのだろうが、現役で作品作りを続ける者にとっては、自分の作品そのものが大きなハードルとなって聳え立ち、同時に重い足枷となってしまう。最強のふたりを超える作品を作ることは出来るのか? これ以上の作品は自分の中にあるのか? なまじ最強のふたりが文字通りの最強だっただけに、その苦労や葛藤は想像に難くない。むしろ、当然のことと言えるだろう。
数日前、映画.comに掲載されたニュース記事だが、ジム・キャリーが「最強のふたり」米リメイク版出演を辞退していたというものがある。
ジム・キャリーはゴールデングローブ賞の受賞経験もある俳優で、受賞作でもあるトゥルーマン・ショーの主演が世間的には有名だろうか? そんな彼が、最強のふたりのリメイク版出演を辞退した理由として、記事の中でこんなことが書かれている。
URL:http://eiga.com/news/20150102/2/この説明が作品に参加したくないことに対する体のいい言い訳か、あるいは本心なのかは定かで無いが、作品を持ち上げた上で自分を謙遜している様は謙虚だし、作品ファンとしても好感が持てる。
オファーされた役柄は明らかにしなかったが、キャリーは「『最強のふたり』は完璧な作品だから、僕が出演することで、ダメにしたくなかったんだ」と説明した。
アメリカのリメイク版がどうなるのかは分からないし、富豪役での出演が決まっているコリン・ファースの演技にも興味はあるが、それはともかくとしても、ジム・キャリーの発言は単なる出演辞退の説明以上に重たいものがあるだろう。
最強のふたりは完璧な作品なのだ。対外的に見ても、役者が出演を辞退してしまう程に原典が完成されていて、リメイク版が越えなければいけないハードルは、既に山ほどの高さになっているはずだ。それだけに役者たちも名作の出演には慎重になる。元がいいだけに、場合によっては自分のキャリアに傷が付いてしまうからだ。
だが、こういった事情は何もリメイク版に携わる者達にだけある訳じゃない。前述のように原典を作った監督自身が、最強のふたりという作品に囚われ、あるいは全てを出し切って、燃え尽き症候群になっていたのだ。主演のオマール・シーはどうだったのか、それも気になるところだが、名作や傑作を作り出した創作者たちにとって、こうした躓きや、先に勧めないことに対する閉塞感は珍しくないのかもしれない。
故に私は、この「サンバ」という映画を、最初から監督のリハビリ作品として捉えていた。最強のふたりで全てを出し切った男たちがもう一度集まり、なにか新しい映画を撮ってみようと、そんな感じだったのだろう。そこには斬新さや、核心的なものなどあるはずはないが、最強のふたりで燃え尽きたと知っていれば、何ら不思議はない話なのだ。
しかし、映画を売る側としてはそうも言っていられない。興行収入を稼がないといけないし、そのためには宣伝をしていかなければいけない。前評判を良くする意味でも、配給元や広報としては最強のふたりの再来であることをアピールするのは当然の選択だったのだろう。事実、この映画が最強のふたりの監督によるものであり、主演もまたオマール・シーであることに変わりはないのだから。
公開中の作品だから深いネタバレは避けることにするが、映画としては全体的に暗く、シリアスな内容だ。移民問題や燃え尽き症候群を扱っているのだから当たり前だが、時折クスリとしてしまう小ネタを除けば、作品自体は深刻なテーマに適度な軽さを加えつつ、重苦しく仕上げていると言える。
予告編だけ観れば、オマール・シー演じる主人公のサンバが、そのハチャメチャな性格で移民問題に対して果敢なアタックを行い、そのダンスのサンバの如き情熱で燃え尽き症候群のヒロインがもう一度燃え上がる……! みたいな内容を想像しがちだが、ハッキリ言ってそんなことはない。うっかりでビザの更新を忘れた、などと公式サイトや劇場、映画紹介サイトのあらすじには書かれているが、そんなコメディタッチな言い回しが通用するほど甘い話ではなく、最強の笑顔で人助け!? などと書かれてもいるが、実際のところサンバの暮らしぶりは笑顔で人を助けるほど余裕があるものではなく、もっと言えばキツいものがあった。ヒロインに対してはそうであったかもしれないが、サンバはとにかく余裕のないキャラクターなのだ。国外退去を迫られ、日々の暮らしすらままならず、しかし、それでも国の家族に仕送りをしなくてはいけないなど、精神的にはかなり追い詰められた、重いものを背負った主人公と言える。
最強のふたりは障害者と介護をテーマに扱った作品で、ノンフィクション、つまり実話を元にしているから、こちらはこちらで軽い話であるはずもないのだが、オマール・シーが演じた主人公のドリスは、スラム街の出身でありながらも陽気で明るかったし、同じく主人公で、フランソワ・クリュゼが演じたフィリップは障害者だが、知的な教養人だった。
そしてこれは重要な事だと思うが、最強のふたりのフィリップは大富豪であり、障害によるハンディキャップはあるものの、食うに困るほどの困窮とは無縁で、不便はあってもそれが直接的な危機には結びつかない。フィリップにすれば堪ったものではないかもしれないが、彼は大富豪だからこその余裕があった。
そして、そんな大富豪のお屋敷で介護人をやることになったドリスもまた、日々の暮らしには余裕が生まれる。それまで失業保険で食い繋いできた男が、いきなりお屋敷住まいだ。仕事は大変だが部屋は広いし、食事も料理人が作った結構いいものが食べられる。ドリスにあてがわれた部屋が、スラム街にある彼の実家よりも広いのではないかと思ってしまう程には、良い暮らしをしているのだ。
しかも、話の舞台はフィリップの邸宅と、彼が行き来する金持ちの社交場がメインだ。それは華やかな世界であり、時折スラム街とあくせく働く人々との対比もあるが、そこまで深刻なものとして映らないのが実情だろう。何せ、スラム街出身であるはずのドリスは、意外と簡単にフィリップの世界に順応し、溶け込んで、教養人としての彼から学び、自身を成長させていくのだから。
金持ち故の余裕というものは、主人公の片割れが金持ちである以上、どうしても生まれてしまうものだ。たとえば、2007年にアメリカで公開された「最高の人生の見つけ方」という映画は、余命6ヶ月を宣告された二人の男が死ぬ前にやり残したことを行うため、世界へ旅立ち冒険を始める、という話だが、これだって二人の内の一人、ジャック・ニコルソンが演じたエドワードが事業家として成功していた、金持ちだったから出来たことだ。
話を最強のふたりに戻すが、つまるところ最強のふたりという作品は、全体的に綺麗かつ華やかなのだ。金持ちの華やかな世界に、粗野で無学者の、スラム街出身のゴロツキが混ざったからこそ生まれるコメディであり、感動ストーリーだった。しかし、それはドリスというゴロツキを受け入れる側に、それを出来るだけの余裕があったからこそ、成立したのだとも言える。
サンバは最強のふたりで観せた華やかなフランスとは全く違う、陰気でジメっとしたフランス社会を描いた映画だ。主人公のサンバは移民者として迫害され、日雇いの仕事すら満足に付けないこともあるなど、過酷な状況に身を置かれている。これもまたフランスという国の実情であり、花の都パリの現実なのだ。しかし、それだけに、最強のふたりのような映画を観たいと思って劇場に出かけた人は、その薄暗い話にショックを受けるのかもしれない。移民問題という日本人には馴染みのないテーマも、受け入れがたいものがあるだろう。
映画として考えたとき、サンバは決してつまらない作品ではない。いくつかのテーマとお国の事情に対して、映画という媒体で真剣に取り組んだ結果の一つだろうと、そう受け止めることができるからだ。けれど、それが娯楽作品の映画として楽しいのか、面白いのか? と聞かれたとき、私は首を横に振るだろう。決して楽しいものではないし、面白くもないだろうと。そういうネタを扱っていないのだから、それは仕方のないことだ。
最強のふたりという名作の後に撮られたリハビリ的映画。そう考えれば、「まあ、こんなものだろう」という気もするし、最初からそういう考えでいけば、満足はしないかもしれないが、不満も少ないのが私の感想といったところか。
ただ、このサンバという映画に対して最強のふたりみたいな映画じゃなかったからつまらない、という人がいるのだとしたら、それは映画会社の宣伝を真に受けすぎというか、馬鹿正直に受け止めすぎていると言わざるをえない。名作や傑作はそう簡単に生まれるものではないし、たとえ天才であっても、連続してそれを成し遂げることは至難の業だろう。最強のふたりのような作品が観たいのであれば、最強のふたりをもう一度観ればいいのであって、それを求めてサンバを観に行くのだとすれば、その人もまた、名作に囚われている人ということになってしまう。
監督と主演が同じであるのだから期待しない方が無理だとも思うが、この映画は決して陽気で明るい作品ではなかった。燃え尽きたり、先に進めなくなった人たちがもがき苦しみ、それでも前に進もうと試みた、そんな映画なのだから。
TVアニメ 失われた未来を求めて 最終話『君のいる未来』感想
2014年12月20日 アニメ・マンガ
実は最終回の上映回に行ったんですよ。たまたまチケットの発売日に新宿行く用事があって、角川シネマ新宿が近かったので買っておいたんです。アニメの最終回先行上映というのは、今時それほど珍しいことではないのだろうけど、私がその手のものに参加するのはこれが初めてで、最初がこの作品になるというのは自分でも少し意外なところがありました。
確かにアニメは毎週視聴していたけど、そこまで思い入れがある訳ではなかったし、正直、チケットを買うことにも迷いがあって、殆どその場の勢いとノリだった気がする。
失われた未来を求めてという作品は今から4年前、2010年の11月末に発売されたエロゲです。当時はそう、ヨスガノソラのアニメが放送していた頃で、私がヨスガ以降のエロゲを探し求めていた時期でもある。
原作を買った理由は、ハッキリ言うと覚えてません。多分、絵が好みだったとか、そういう理由なんだと思うけど、購入自体にそれほど大きな決断や、意味はなかったんだと思います。今はもうないメッセサンオーで予約して、ゆいのテレカが付いてきたんだったかな? とりあえず発売日に新品を店で買ったのは記憶しています。まあ、私はよっぽどのことがないと中古でエロゲは買わないのだけど。
プレイは勿論しました。当時はまだ古いPCか、あるいはノーパソを使っていたと思うけど、それも今のPCに買い換えたときアンインストールしてしまったから、一度切りだったと言っても差し支えはないと思う。私にとっては大量に所有するエロゲの一本で、それほど心に深く残っていた訳ではなかった。
でも、何でか手放さなかったんだよね。手放せなかった、と言った方がいいのか、この4年の間に多数のエロゲ買い、その半分ぐらいは売ってしまった中で、この作品はヨスガノソラと同じ棚の、それも奥の方へ大切に保管されていた。存在を忘れていたこともあったし、なにかの拍子に見かけることもあったけど、それをどうこうしようと思ったことは、つい最近までありませんでした。
転機になったのは、勿論アニメ版の放送が開始したからで、「こんな古い作品を今更どうして」という困惑と同時に、そういえば自分がまだ原作を持っていることを思い出して、それで再インストールをしたんですよね。
まあ、原作の話はともかくとしてもアニメ版。最終回を観てきた訳ですが……私はAT-Xにも加入しているから、そちらの方でも視聴済です。言いたいことは色々あるんだけど、まず最初に、簡潔に言ってしまえば私はこの最終回に納得していません。いつも通り理解は出来るんだけど、それを受け入れることが出来ないと言いますか。
先週までの話をすると、タイムリープを繰り返すゆいは佳織の事故を回避するために奔走を続け、その中で過去の奏との関係性が変わってくる。やがて、ゆいに対する恋愛感情を自覚した奏は、告白してきた佳織を振り、ゆいの元に駆けつけた。佳織の事故は回避され、奏はゆいに告白し、ゆいはそれを受け入れるが……過去が変わったことで、ゆいの存在が未来で作られる事実が消え、ゆいは消滅してしまう。
こんな話でしたね。大体の部分で原作通りですから、これについては何も言うべきことはありません。原作におけるここから先の流れをざっと解説すると、やはりアニメの最終回と同じように奏たちはゆいの記憶を失う訳ですが、ふとした拍子に思い出し、皆で一丸となってゆいの存在を取り戻そうと、失われた未来を求めて歩み始める訳です。
先週までが原作通りなんですから、今週、つまり最終回だって原作準拠で行くんだと私は思ってた。だって、その方が流れとしては自然でしょう?
にもかかわらず、最終回に古川ゆいは登場しなかった。主人公に好きだと告白され、ヒロインであるはずの彼女が登場せず、皆が明確に彼女の存在を思い出すこともなかった。つまり、アニメのゆいは原作と違って復活せずに終わる訳です。
では、一体最終回は何をしていたのか? ゆいが復活しないなら、われめてのアニメはどんな最終回だったのだろうか? なんとビックリ、文化祭を開催していました。無論、それだけであるはずはないけど、先週までの奏たち、便宜上3週目の彼らとでも言うべき主人公たちは、普通に文化祭を開催していた。この時点で、私はあれ?っと思った。
それでも先週が先週ですから、私はゆいエンドを疑うことなく上映回で鑑賞を続けました。だって、それ以外にはあり得ないとさえ確信があったから。
開催された文化祭では佐藤聡美演じるオリジナルキャラ、タイアップの主題歌を歌う声優のために用意された女の子ですが、ゆいのクラスメートである彼女が意外な、ある意味では当然とも言うべき活躍を見せます。要は見せ場ですね。
深沢花梨というのが彼女の名前ですが、花梨はゆいのクラスメートで、席が隣席となったことから親しくなり、フルカワニストを自称するほどにゆいとの仲を大切にしていました。彼女は所謂学生アイドルで、学校でも少なからず浮いた存在です。勿論、クラスで仲間外れとか、のけ者にされてるなんてことはなく、普通に会話をする仲ではあるのだけど、やっぱり特別な存在という認識は合ったんだと思う。
ゆいはあの通りの性格で、現代の事情にも疎いから、アイドルである花梨を強く意識してないんですね。クラスメートで隣席の深沢さん、自分が親しくしている人。ゆいにとって、花梨はアイドルよりも、自分にとって親しい人物であることが重要だった。
そんなゆいを花梨がどれほど好ましく思っていたのか、正確なところは分かりません。しかし、彼女は後夜祭を残すのみとなった文化祭の日に、天文学会を訪れます。確かに存在していたはずの、「友達の話」をするために。
深沢花梨というオリキャラを最大限に活かすのであれば、私もこの瞬間しかないと思っていました。奏が自力で思い出さないのはあれだけど、原作だって未来愛理の助けがあって辿り着けた訳だし、その役目が花梨に変わるだけなのだと、そう理解していた。
花梨は友達だったはずの少女について語り、それは天文学会がここ数日間に抱いていた違和感と合致するものだった。さあ、いよいよゆいの復活に向けて動き出すのかと、おそらく劇場にいた誰もが、TVの前にいた視聴者の殆どがそう思ったはずです。少なくとも私はそう信じていたし、そんな自分を一欠片だって疑っちゃいなかった。
なのに、話は私の想像していなかった方向へと進んでしまった……
未来の奏と愛理が登場したとき、今更何故? と感じたのは事実です。彼らは、視聴者の目線で言えば2週の目の奏たち、1話のラストから、9話のラスト近くまで活躍した、最も長く本編におけるドラマをになった主人公です。ゆいの復活に向けて動き出すはずの話が、何故かいきなり彼らにシフトします。
ゆいを作り、過去へと送り出した奏は、「もう必要ないから」とゆいの実験資料をシュレッダーに掛けます。それが自らメスを入れて解剖したゆいの資料なのか、自ら作り出して過去へ送ったゆいなのか、それとも両方なのか。分からないけど、奏はそのデータを抹消してしまった。
未来の愛理はゆいが佳織を助ければ彼女が消滅すること、ゆいがそれを承知で過去に飛んだこと、それさえも分かった上でゆいを過去に送り込んだ奏を非難します。残酷だと。
「あなたにとってゆいは道具なの?」という、愛理の問いかけ。これが3週目の奏ならば、そんなはずはないと答えたでしょう。何故なら彼にとって、3週目の奏にとって古川ゆいは自分が恋して、告白した少女です。彼にとって、ゆいは道具なんかであるはずがない。
でも、この質問を投げかけられたのは2週目の奏だった。佳織に告白され、その答えを返す前に事故が起きた悲劇の男。彼がゆいを作ったのは、本人が言うように佳織を助けるためだった。どんなに言い訳をしようと、弁解しようと、それは事実であり、彼にとって古川ゆいは「佳織を助けるための道具」以外の何物でもなかったのだから。故に2週目の奏は愛理の言葉を否定せず、殆ど弁解しようともしなかった。
そして、ゆいは成功した。でも、それだけで世界は変わらない。世界がやがて収束するというのは理論と言うよりは理屈でしかないし、いきなり周りの景色が変化するような激変が起こる訳もなく……しかし、それでも佳織は目を覚ました。未来の奏は佳織の目覚めに涙し、彼女の言葉を聞き、そして抱き合った。
その頃、3週目の奏は、過去の奏はゆいの存在を僅かながらにもたぐり寄せ、彼女をまた作るために自分の進路を決めた。そして、それで終わりです。エンディング後のCパートもなく、失われた未来を求めてのアニメは終わってしまいました。
アニメ版の最大の特徴は、その本編において古川ゆいが復活しなかったの一言に尽きると思いました。先週までの流れから、原作通りのゆい復活、ゆいエンドを予想していた私としては呆気にとられ、上映終了後は声になりませんでした。ゆいは辛うじて一言台詞があったけど、あろうことか彼女の復活よりも、植物状態となった佳織の目覚めに焦点が当てられてしまったのです。
勿論、事故に遭った佳織は不幸ですし、ゆいが作られた経緯を踏まえれば、あの佳織が目覚めて幸せになる、というのも必要なことでしょう。視聴者にとっても、あの佳織こそが尤も本編で長く、メインとして登場していた訳ですからね。
だけど、それでも佳織は一度救われたじゃないですか。バス事故という悲惨な未来は、先週ゆいによって回避されたはずで、その時点で佐々木佳織は救われているはずなんです。
なのに、どうして最終回で二度も佳織を救う必要があったのか、それが私には分からない。上の理由があるのだとしても、しかし、それならそんな佳織を救うために命を、存在のすべてを賭けて消滅していった、古川ゆいの立場はどうなるのでしょうか? 自分を道具扱いした男の笑顔のためにその身を犠牲にし、花梨と奏以外には明確に思い出されることもなく、復活して学園祭を楽しむことも出来ず……奏に対する恋心を果たしきることも出来ずに彼女の物語は幕を閉じました。
確かに奏の進路から、未来に対する希望や期待はあるのかも知れない。でも、そこに絶対的なものは存在しなし、何よりも奏以外の協力がないという事実が大きい。原作では前述の通り、奏以外の天文学会の皆がゆいのことを思い出し、ゆいが帰ってこられるようにと力を合わせて頑張るんです。
だって、ゆいは天文学会の仲間だから。
私が好きな、ケニーの台詞があります。ゆいをまた作ることに躊躇いを感じる奏を殴り飛ばした際に発した台詞です。
私はどうしても、そこに納得が、いや、許せなかったと言うべきか。
何も原作と結末が違うから、という訳じゃありません。勿論、先週までの流れを考えれば原作通りの結末を迎えるのが普通だと思うし、最善だとも感じています。だけど、それ以上にこの結末は消えていった古川ゆいに対して救いがなさ過ぎます。そして、機能停止をして奏たちの実験材料にされたゆいにとっても。
何故、ゆいは復活できなかったのか? 幾度となく続いた残酷な運命の果てに潰えた彼女が救われず、どうして先週の時点で救われたはずの佳織が、また救われているのか。
違うだろう、佳織がメインヒロインなのだとしても、いや、そうであるならば先週の時点でもっと佳織寄りに書くべきだろう。どうしてゆいを助けて上げなかった。彼女に天文学会の仲間達から、奏から差し伸べられるはずだった救いの手を取り上げてしまったんだ。最終回で救わなければいけないのは、佳織じゃなくてゆいだろう!
上映回後のトークショーは本当に面白かったですよ。Twitterでも呟いたけど、友永朱音司会の小気味良いトークで、出演者たちの仲の良さが伝わってきたと言いますか。でも、友永朱音自身は佐々木佳織がメインヒロインであると明言していたし、締めの挨拶もメインヒロイン役である高田初美に渡していた。つまり、そういうことなのだ。
一応、未放送話数、俗に言う13話は存在するらしいけど、これは所謂サービス回らしいので、きっと海かプールか、温泉にでも行くのでしょう。いずれにせよ肌色満載の話だから、最終回後の後日談、なんてことにはならないと思う。後日談だというなら、むしろ最終回こそ、前回の後日談だった。
円盤はきっと買います。1巻予約しちゃったし、買うしかないと思ってる。だけど、アニメの最終回を受け入れることは、多分出来ないと思う。
なんで、どうしてゆいが残した記憶を、想い出に触れなかったのか。
ゆいを復活させるには、原作をやる以外にはない。でも、私はともかくとして、アニメ視聴者にはハードルが高い話です。なればこそ、最終回でゆいを救う必要があったのに……
ゆいを道具にしたのは奏だけど、使い捨てたのはアニメスタッフなのかも知れない。
最後の最後まで、ゆいは佳織のために犠牲となって終わってしまった。私にはそれがどうしても許せない。ゆいが救われる未来を、『君のいる未来』をこのアニメは描くべきだったのだ。
確かにアニメは毎週視聴していたけど、そこまで思い入れがある訳ではなかったし、正直、チケットを買うことにも迷いがあって、殆どその場の勢いとノリだった気がする。
失われた未来を求めてという作品は今から4年前、2010年の11月末に発売されたエロゲです。当時はそう、ヨスガノソラのアニメが放送していた頃で、私がヨスガ以降のエロゲを探し求めていた時期でもある。
原作を買った理由は、ハッキリ言うと覚えてません。多分、絵が好みだったとか、そういう理由なんだと思うけど、購入自体にそれほど大きな決断や、意味はなかったんだと思います。今はもうないメッセサンオーで予約して、ゆいのテレカが付いてきたんだったかな? とりあえず発売日に新品を店で買ったのは記憶しています。まあ、私はよっぽどのことがないと中古でエロゲは買わないのだけど。
プレイは勿論しました。当時はまだ古いPCか、あるいはノーパソを使っていたと思うけど、それも今のPCに買い換えたときアンインストールしてしまったから、一度切りだったと言っても差し支えはないと思う。私にとっては大量に所有するエロゲの一本で、それほど心に深く残っていた訳ではなかった。
でも、何でか手放さなかったんだよね。手放せなかった、と言った方がいいのか、この4年の間に多数のエロゲ買い、その半分ぐらいは売ってしまった中で、この作品はヨスガノソラと同じ棚の、それも奥の方へ大切に保管されていた。存在を忘れていたこともあったし、なにかの拍子に見かけることもあったけど、それをどうこうしようと思ったことは、つい最近までありませんでした。
転機になったのは、勿論アニメ版の放送が開始したからで、「こんな古い作品を今更どうして」という困惑と同時に、そういえば自分がまだ原作を持っていることを思い出して、それで再インストールをしたんですよね。
まあ、原作の話はともかくとしてもアニメ版。最終回を観てきた訳ですが……私はAT-Xにも加入しているから、そちらの方でも視聴済です。言いたいことは色々あるんだけど、まず最初に、簡潔に言ってしまえば私はこの最終回に納得していません。いつも通り理解は出来るんだけど、それを受け入れることが出来ないと言いますか。
先週までの話をすると、タイムリープを繰り返すゆいは佳織の事故を回避するために奔走を続け、その中で過去の奏との関係性が変わってくる。やがて、ゆいに対する恋愛感情を自覚した奏は、告白してきた佳織を振り、ゆいの元に駆けつけた。佳織の事故は回避され、奏はゆいに告白し、ゆいはそれを受け入れるが……過去が変わったことで、ゆいの存在が未来で作られる事実が消え、ゆいは消滅してしまう。
こんな話でしたね。大体の部分で原作通りですから、これについては何も言うべきことはありません。原作におけるここから先の流れをざっと解説すると、やはりアニメの最終回と同じように奏たちはゆいの記憶を失う訳ですが、ふとした拍子に思い出し、皆で一丸となってゆいの存在を取り戻そうと、失われた未来を求めて歩み始める訳です。
先週までが原作通りなんですから、今週、つまり最終回だって原作準拠で行くんだと私は思ってた。だって、その方が流れとしては自然でしょう?
にもかかわらず、最終回に古川ゆいは登場しなかった。主人公に好きだと告白され、ヒロインであるはずの彼女が登場せず、皆が明確に彼女の存在を思い出すこともなかった。つまり、アニメのゆいは原作と違って復活せずに終わる訳です。
では、一体最終回は何をしていたのか? ゆいが復活しないなら、われめてのアニメはどんな最終回だったのだろうか? なんとビックリ、文化祭を開催していました。無論、それだけであるはずはないけど、先週までの奏たち、便宜上3週目の彼らとでも言うべき主人公たちは、普通に文化祭を開催していた。この時点で、私はあれ?っと思った。
それでも先週が先週ですから、私はゆいエンドを疑うことなく上映回で鑑賞を続けました。だって、それ以外にはあり得ないとさえ確信があったから。
開催された文化祭では佐藤聡美演じるオリジナルキャラ、タイアップの主題歌を歌う声優のために用意された女の子ですが、ゆいのクラスメートである彼女が意外な、ある意味では当然とも言うべき活躍を見せます。要は見せ場ですね。
深沢花梨というのが彼女の名前ですが、花梨はゆいのクラスメートで、席が隣席となったことから親しくなり、フルカワニストを自称するほどにゆいとの仲を大切にしていました。彼女は所謂学生アイドルで、学校でも少なからず浮いた存在です。勿論、クラスで仲間外れとか、のけ者にされてるなんてことはなく、普通に会話をする仲ではあるのだけど、やっぱり特別な存在という認識は合ったんだと思う。
ゆいはあの通りの性格で、現代の事情にも疎いから、アイドルである花梨を強く意識してないんですね。クラスメートで隣席の深沢さん、自分が親しくしている人。ゆいにとって、花梨はアイドルよりも、自分にとって親しい人物であることが重要だった。
そんなゆいを花梨がどれほど好ましく思っていたのか、正確なところは分かりません。しかし、彼女は後夜祭を残すのみとなった文化祭の日に、天文学会を訪れます。確かに存在していたはずの、「友達の話」をするために。
深沢花梨というオリキャラを最大限に活かすのであれば、私もこの瞬間しかないと思っていました。奏が自力で思い出さないのはあれだけど、原作だって未来愛理の助けがあって辿り着けた訳だし、その役目が花梨に変わるだけなのだと、そう理解していた。
花梨は友達だったはずの少女について語り、それは天文学会がここ数日間に抱いていた違和感と合致するものだった。さあ、いよいよゆいの復活に向けて動き出すのかと、おそらく劇場にいた誰もが、TVの前にいた視聴者の殆どがそう思ったはずです。少なくとも私はそう信じていたし、そんな自分を一欠片だって疑っちゃいなかった。
なのに、話は私の想像していなかった方向へと進んでしまった……
未来の奏と愛理が登場したとき、今更何故? と感じたのは事実です。彼らは、視聴者の目線で言えば2週の目の奏たち、1話のラストから、9話のラスト近くまで活躍した、最も長く本編におけるドラマをになった主人公です。ゆいの復活に向けて動き出すはずの話が、何故かいきなり彼らにシフトします。
ゆいを作り、過去へと送り出した奏は、「もう必要ないから」とゆいの実験資料をシュレッダーに掛けます。それが自らメスを入れて解剖したゆいの資料なのか、自ら作り出して過去へ送ったゆいなのか、それとも両方なのか。分からないけど、奏はそのデータを抹消してしまった。
未来の愛理はゆいが佳織を助ければ彼女が消滅すること、ゆいがそれを承知で過去に飛んだこと、それさえも分かった上でゆいを過去に送り込んだ奏を非難します。残酷だと。
「あなたにとってゆいは道具なの?」という、愛理の問いかけ。これが3週目の奏ならば、そんなはずはないと答えたでしょう。何故なら彼にとって、3週目の奏にとって古川ゆいは自分が恋して、告白した少女です。彼にとって、ゆいは道具なんかであるはずがない。
でも、この質問を投げかけられたのは2週目の奏だった。佳織に告白され、その答えを返す前に事故が起きた悲劇の男。彼がゆいを作ったのは、本人が言うように佳織を助けるためだった。どんなに言い訳をしようと、弁解しようと、それは事実であり、彼にとって古川ゆいは「佳織を助けるための道具」以外の何物でもなかったのだから。故に2週目の奏は愛理の言葉を否定せず、殆ど弁解しようともしなかった。
そして、ゆいは成功した。でも、それだけで世界は変わらない。世界がやがて収束するというのは理論と言うよりは理屈でしかないし、いきなり周りの景色が変化するような激変が起こる訳もなく……しかし、それでも佳織は目を覚ました。未来の奏は佳織の目覚めに涙し、彼女の言葉を聞き、そして抱き合った。
その頃、3週目の奏は、過去の奏はゆいの存在を僅かながらにもたぐり寄せ、彼女をまた作るために自分の進路を決めた。そして、それで終わりです。エンディング後のCパートもなく、失われた未来を求めてのアニメは終わってしまいました。
アニメ版の最大の特徴は、その本編において古川ゆいが復活しなかったの一言に尽きると思いました。先週までの流れから、原作通りのゆい復活、ゆいエンドを予想していた私としては呆気にとられ、上映終了後は声になりませんでした。ゆいは辛うじて一言台詞があったけど、あろうことか彼女の復活よりも、植物状態となった佳織の目覚めに焦点が当てられてしまったのです。
勿論、事故に遭った佳織は不幸ですし、ゆいが作られた経緯を踏まえれば、あの佳織が目覚めて幸せになる、というのも必要なことでしょう。視聴者にとっても、あの佳織こそが尤も本編で長く、メインとして登場していた訳ですからね。
だけど、それでも佳織は一度救われたじゃないですか。バス事故という悲惨な未来は、先週ゆいによって回避されたはずで、その時点で佐々木佳織は救われているはずなんです。
なのに、どうして最終回で二度も佳織を救う必要があったのか、それが私には分からない。上の理由があるのだとしても、しかし、それならそんな佳織を救うために命を、存在のすべてを賭けて消滅していった、古川ゆいの立場はどうなるのでしょうか? 自分を道具扱いした男の笑顔のためにその身を犠牲にし、花梨と奏以外には明確に思い出されることもなく、復活して学園祭を楽しむことも出来ず……奏に対する恋心を果たしきることも出来ずに彼女の物語は幕を閉じました。
確かに奏の進路から、未来に対する希望や期待はあるのかも知れない。でも、そこに絶対的なものは存在しなし、何よりも奏以外の協力がないという事実が大きい。原作では前述の通り、奏以外の天文学会の皆がゆいのことを思い出し、ゆいが帰ってこられるようにと力を合わせて頑張るんです。
だって、ゆいは天文学会の仲間だから。
私が好きな、ケニーの台詞があります。ゆいをまた作ることに躊躇いを感じる奏を殴り飛ばした際に発した台詞です。
「なぁ、俺はな……本当に馬鹿なんだよ」天文学会という場所で結ばれたかけがえのない仲間達。それを象徴するかのようなケニーの発言、見せ場をアニメで観ることは出来ませんでした。だって、皆はゆいのことを思い出さなかったから。受け入れるべき仲間達が、ゆいのことを明確に思い出すことが出来なかったから。
「俺にはみんなの言ってることが全然分からないんだ」
「だけど、お前は分かってるんだろ? なんだか知らないが、お前がキーメンなんだろ?」
「だったら、どうにかしてみせろ! お前は俺より頭がいいんだろ!」
「ゆいちゃんがどうにかして帰ってくるなら、俺はそれをみんなで受け入れたい」
私はどうしても、そこに納得が、いや、許せなかったと言うべきか。
何も原作と結末が違うから、という訳じゃありません。勿論、先週までの流れを考えれば原作通りの結末を迎えるのが普通だと思うし、最善だとも感じています。だけど、それ以上にこの結末は消えていった古川ゆいに対して救いがなさ過ぎます。そして、機能停止をして奏たちの実験材料にされたゆいにとっても。
何故、ゆいは復活できなかったのか? 幾度となく続いた残酷な運命の果てに潰えた彼女が救われず、どうして先週の時点で救われたはずの佳織が、また救われているのか。
違うだろう、佳織がメインヒロインなのだとしても、いや、そうであるならば先週の時点でもっと佳織寄りに書くべきだろう。どうしてゆいを助けて上げなかった。彼女に天文学会の仲間達から、奏から差し伸べられるはずだった救いの手を取り上げてしまったんだ。最終回で救わなければいけないのは、佳織じゃなくてゆいだろう!
上映回後のトークショーは本当に面白かったですよ。Twitterでも呟いたけど、友永朱音司会の小気味良いトークで、出演者たちの仲の良さが伝わってきたと言いますか。でも、友永朱音自身は佐々木佳織がメインヒロインであると明言していたし、締めの挨拶もメインヒロイン役である高田初美に渡していた。つまり、そういうことなのだ。
一応、未放送話数、俗に言う13話は存在するらしいけど、これは所謂サービス回らしいので、きっと海かプールか、温泉にでも行くのでしょう。いずれにせよ肌色満載の話だから、最終回後の後日談、なんてことにはならないと思う。後日談だというなら、むしろ最終回こそ、前回の後日談だった。
円盤はきっと買います。1巻予約しちゃったし、買うしかないと思ってる。だけど、アニメの最終回を受け入れることは、多分出来ないと思う。
なんで、どうしてゆいが残した記憶を、想い出に触れなかったのか。
ゆいを復活させるには、原作をやる以外にはない。でも、私はともかくとして、アニメ視聴者にはハードルが高い話です。なればこそ、最終回でゆいを救う必要があったのに……
ゆいを道具にしたのは奏だけど、使い捨てたのはアニメスタッフなのかも知れない。
最後の最後まで、ゆいは佳織のために犠牲となって終わってしまった。私にはそれがどうしても許せない。ゆいが救われる未来を、『君のいる未来』をこのアニメは描くべきだったのだ。
神のみオンリー新刊「天球の記憶」自家通販開始
2014年10月21日 神のみぞ知るセカイ
実は10月19日に開催された神のみぞ知るセカイオンリーイベント「落とし神 Fall in love FLAG 3.0」にサークル参加していました。
HPやツイッター、pixivなんかでは宣伝していたんですが、そういや日記に記載するのを忘れてましたね。今更ではありますが、新刊の自家通販とか始めたのでちょっと紹介しておこうと思います。同人関係の宣伝や告知でしか日記を書かなくなったけど、オンリー前に旅行とか行ったりもしたので、本当は旅行記とかも載せたいんだよね……
まあ、それは今書いてるけど。
まあ、10冊も残ってない夏コミ既刊の話はともかくとして、今回の神のみオンリー新刊について。
前回は天理を中心とした女神の宿主たちのコピー本でしたが、今作は公式の天理botを元ネタにしたショートショート集になります。天理botについては以前もこの日記で触れたと思いますが、神のみ終了に伴いツイッターの鮎川天理アカウントがbot化しまして、天理とディアナの日常や、ヒロインのその後などおまけ要素をチラホラと呟くようになったんですね。
既に3巡目ぐらいに突入しているから、新規呟きみたいのはもうないんだけど、これが結構想像の翼を羽ばたかせることの出来る内容でして。
是非本にしたいなと考えていたんだけど、140字の呟きをかき集めて長編というのも無理があったし、だったら個々の呟きを膨らませてショートショートにするのはどうかな? と、久々に実験的な試みをしてみることに。判型がA6……つまり、文庫本と同じぐらいのサイズなのはショートショートの文庫を意識したからで、手軽にさっと読める本をコンセプトに、時間の許す限り話を詰め込んだ感じです。20本以上はあるのかな?
相変わらず火が着くのが遅くて、拾いきれなかったネタは多数あるんだけど、天理とディアナを中心に、女神の宿主はほぼ全員出すことが出来たし、白鳥家や桂馬といった、天理に関わりの深いキャラも出すことが出来たので、そこは良かったかなと思う。ショートショート自体は何度も書いたことがあるけど、同人誌でショートショート集を出すのは初めてだったから、良い経験になりました。文庫サイズの本はヴァニタスの羊以来だったけど、たまにはこういうのもアリかな。サイズ的には新書の方が好きだけど、文庫はやっぱりコンパクトに纏まっていて、読みやすいってイメージがあります。
神のみオンリーは来年も開催されるらしいけど、拾いきれなかったネタを集めて続刊というのも一つの手かな。まあ、参加するかもまだ決めていませんが、サークルとして出るならやはり天理本を書くだろうから、今から構想を練るのも良いかもしれない。
ところで、予定していた浅間亮本ですけど、あれは時間の問題と、「何でもかんでも本にすれば良いってもんじゃない」という尤もな指摘から、公開媒体を変えようかと思います。年内に時間が取れれば良いけど、たとえばサークルHPとかpixivとか、そういったところで連載するのも面白そうだしね。
何はともあれ、神のみオンリー新刊の自家通販開始と言うことで、皆様宜しくお願いします。私はそろそろ、冬コミの準備に入ります。
HPやツイッター、pixivなんかでは宣伝していたんですが、そういや日記に記載するのを忘れてましたね。今更ではありますが、新刊の自家通販とか始めたのでちょっと紹介しておこうと思います。同人関係の宣伝や告知でしか日記を書かなくなったけど、オンリー前に旅行とか行ったりもしたので、本当は旅行記とかも載せたいんだよね……
まあ、それは今書いてるけど。
自家通販詳細
自家通販ページ:http://www.usamimi.info/~mlwhlw/cgi-bin/order/index.cgi
期間:2014年10月19日(日)~2014年11月02日(日)
新刊
天球の記憶
ジャンル:神のみぞ知るセカイ
通販価格:700円
総ページ数:92P
サイズ:A6判(文庫)
収録内容
公式の鮎川天理ツイッターbot(@angelfrench_tnr)を元ネタにした、天理とディアナのショートショート集。女神の宿主、白鳥家、桂馬等が登場します。
備考:pixivでサンプル公開中
http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=46479146
既刊
死蝕現象/上下巻
ジャンル:空の境界×Another
通販価格:1500円
総ページ数:68P+156P
サイズ:A5判
収録内容
上巻:空の境界×Anotherのクロスオーバー小説。死の色が映る夜見山で、両儀式は人形の目を持つ少女、見崎鳴と出会う……
下巻:黒桐幹也が助けた少女、小椋由美は呪われていた。彼女が語る、3年3組の現象とは?
※個別の入金連絡、発送通知は出しておりません。発送状況はサークルHP内、Eventページに随時記載します。
URL:http://www.usamimi.info/~mlwhlw/index2.html
まあ、10冊も残ってない夏コミ既刊の話はともかくとして、今回の神のみオンリー新刊について。
前回は天理を中心とした女神の宿主たちのコピー本でしたが、今作は公式の天理botを元ネタにしたショートショート集になります。天理botについては以前もこの日記で触れたと思いますが、神のみ終了に伴いツイッターの鮎川天理アカウントがbot化しまして、天理とディアナの日常や、ヒロインのその後などおまけ要素をチラホラと呟くようになったんですね。
既に3巡目ぐらいに突入しているから、新規呟きみたいのはもうないんだけど、これが結構想像の翼を羽ばたかせることの出来る内容でして。
是非本にしたいなと考えていたんだけど、140字の呟きをかき集めて長編というのも無理があったし、だったら個々の呟きを膨らませてショートショートにするのはどうかな? と、久々に実験的な試みをしてみることに。判型がA6……つまり、文庫本と同じぐらいのサイズなのはショートショートの文庫を意識したからで、手軽にさっと読める本をコンセプトに、時間の許す限り話を詰め込んだ感じです。20本以上はあるのかな?
相変わらず火が着くのが遅くて、拾いきれなかったネタは多数あるんだけど、天理とディアナを中心に、女神の宿主はほぼ全員出すことが出来たし、白鳥家や桂馬といった、天理に関わりの深いキャラも出すことが出来たので、そこは良かったかなと思う。ショートショート自体は何度も書いたことがあるけど、同人誌でショートショート集を出すのは初めてだったから、良い経験になりました。文庫サイズの本はヴァニタスの羊以来だったけど、たまにはこういうのもアリかな。サイズ的には新書の方が好きだけど、文庫はやっぱりコンパクトに纏まっていて、読みやすいってイメージがあります。
神のみオンリーは来年も開催されるらしいけど、拾いきれなかったネタを集めて続刊というのも一つの手かな。まあ、参加するかもまだ決めていませんが、サークルとして出るならやはり天理本を書くだろうから、今から構想を練るのも良いかもしれない。
ところで、予定していた浅間亮本ですけど、あれは時間の問題と、「何でもかんでも本にすれば良いってもんじゃない」という尤もな指摘から、公開媒体を変えようかと思います。年内に時間が取れれば良いけど、たとえばサークルHPとかpixivとか、そういったところで連載するのも面白そうだしね。
何はともあれ、神のみオンリー新刊の自家通販開始と言うことで、皆様宜しくお願いします。私はそろそろ、冬コミの準備に入ります。
お注射しましょ~催眠メイドとペットなお嬢様~自家通販開始
2014年8月20日 アニメ・マンガ
現在開催中のシャリテクロワール夏コミ新刊通販に、Santa☆Festa!さんの新作、「お注射しましょ~催眠メイドとペットなお嬢様~」イベント限定冊子セットを追加しました。私のサークルで委託していた分が完売しなかったので、まあ、在庫通販という奴ですね。さんた茉莉さんのご厚意により、手持ち分は自家通販に出しても良いよと許可が下りたので、今日から頒布物に加えました。イベント限定冊子付きと言うことで、夏コミ頒布時と同じB5フルカラー冊子のセットになります。
久々に長々と通販情報を書きましたが、同人ゲームの方は既にDL販売が始まっていることもあり、書店委託はしないということなので、イベント限定の冊子付きがネットで買えるのは、ヤフオクを除けばうちの自家通販だけとなっております。手数料分高くなってますが、ヤフオクよりはまだまだ安いので、冊子付きが欲しいという方はこの機会にご利用下さい。ただし、在庫は少ないのでお早めに。できれば新刊と一緒に注文してくれると嬉しいな!
自分で言うのもなんですけど、短いながらも結構良いゲームだと思うんですよ。Graphic綺麗だし、ヒロインは見た目も声も可愛いし、音楽も素敵だしね。私は縁あって参加することになりましたが、こうして実物を手に取ってみると、参加してよかったなぁと素直に思います。
友人のwingheartさんが、今年エロゲの原画家デビューをして、pure moreの契約彼女って作品なんだけど、具体的な話はともかく、彼がエロゲの原画をやりたいという話は結構前から聞いてたんですよ。
それが今回果たされることになって、「wingheartさん、凄いなー」とか思ってたんだけど、そんな私にも声が掛かって、まあ、同人作品とはいえシナリオの一部を担当することになった、担当したというのはなんか感慨深いものがあるよね。一度やってみたかったというのもあるし、自分の書いた文章がゲームになるってのは、やっぱり嬉しいものがあります。次回作もあれば良いなぁ。
まあ、そんな訳で夏はまだまだ終わらないと言うことでね。夏コミ通販の方、宜しくお願いします。私はボチボチと次のイベント、神のみオンリーだけど、それに向かって動き出そうかなと。実はそんなに時間ないんだよね。10月のイベントだし、ちょっと技巧的な本になりそうだから、通常よりも多く執筆期間を設けています。ページ数も、夏コミほどではないにせよ厚くなりそう。
それが終わればすぐに冬コミと言うことで、なんだ、全然暇がないですね。冬コミで出す本は既に決めてるんだけど、その前に旅行とか行きたいなぁ。いつだったか、飛騨に行ってからと言うもの、旅ともご無沙汰で……あれ、福岡って飛騨の前だっけ、後だっけ。まあ、忘れるぐらいしてないと言うことですね。落ち着いた頃に、どこか考えて見ようかな。
シャリテクロワール夏コミ自家通販
頒布ページ:http://www.usamimi.info/~mlwhlw/cgi-bin/order/index.cgi
通販期間:2014年8月18日(月)~9月19日(金)
頒布物案内
夏コミ新刊
死蝕現象/上下巻
発行日:2014年8月17日
ジャンル:空の境界×Another
自家通販価格:1500円
総ページ数:68P+156P
サイズ:A5判
サンプル
http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=45237457
委託同人ゲーム
「お注射しましょ~催眠メイドとペットなお嬢様~」イベント限定冊子セット
発売日:2014年8月17日
ジャンル:ショートADVゲーム
自家通販価格:1600円
仕様:プレスCD+イベント限定B5フルカラー冊子
原画:さんた茉莉(Santa☆Festa!)
公式サイト
http://www.airamatnas.com/ocyuusya/
※注意事項
発送方法について
大きく分けて3種類の発送方法があります。また、発送は入金確認が行われ次第、随時行わせて頂きます。
・メール便
クロネコヤマトがやっている冊子配達サービスです。料金は164円と低価格ですが到着までの日数が掛かります。通販時に住所等を明かしたくないという人は「営業所止サービス」の利用が可能です。
・ゆうメール
日本郵便がやっている旧冊子小包と同等のサービスです。特に保証などはありませんが、メール便よりも幾分か早く郵送してくれます。通販時に住所等を明かしたくないという人は「局留め指定」を行うことが可能です。
・レターパック
日本郵便がやっている旧エクスパックと同等のサービスです。こちらも特に保証はありませんが、離島など極端な場所でない限り発送した翌日には到着します。同じく「局留め指定」も可能です。
入金について
今回の自家通販では、以下の入金方法を選択することが出来ます。尚、振込手数料は各自のご負担でお願い致します。
・郵便振替
郵便局にある青色の振替用紙で入金する方法。手数料は一律ですが、入金確認まである程度の時間を要します。
・ゆうちょ銀行
郵便局の総合口座から振り込む方法。手数料は無料ですが、その場合はゆうちょ銀行の口座を持っていることが必須となります。
・他行振込
郵便局以外の銀行等、金融機関から振り込む方法。手数料割高で振替と同じく入金確認まで時間が掛かります。
注文後は自動返信にて振込先の詳細メールを送るシステムになっていますが、仮にいつまで経ってもメールが届かないという方は、お手数ですがシャリテクロワールのサイトにあるメールフォームからお問い合わせください。
※キャンセル又は変更について
基本的に一度注文された場合のキャンセルには応じられませんが、例えば振込先や発送方法を変更したいということがあれば、「注文№」及び「氏名」を明記の上、シャリテクロワールのサイトにあるメールフォームからメールを送ってください。尚、冊数の変更は難しいため予めご了承下さい。
発送通知について
発送メールは基本的に送っていません。発送状況の確認は、シャリテクロワールHP内にあるEventページに記載されます。発送は入金の確認が取れた順に行いますが、発送方法によっては到着に差が出るかと思われます。
サークルHP:http://www.usamimi.info/~mlwhlw/index2.html
久々に長々と通販情報を書きましたが、同人ゲームの方は既にDL販売が始まっていることもあり、書店委託はしないということなので、イベント限定の冊子付きがネットで買えるのは、ヤフオクを除けばうちの自家通販だけとなっております。手数料分高くなってますが、ヤフオクよりはまだまだ安いので、冊子付きが欲しいという方はこの機会にご利用下さい。ただし、在庫は少ないのでお早めに。できれば新刊と一緒に注文してくれると嬉しいな!
自分で言うのもなんですけど、短いながらも結構良いゲームだと思うんですよ。Graphic綺麗だし、ヒロインは見た目も声も可愛いし、音楽も素敵だしね。私は縁あって参加することになりましたが、こうして実物を手に取ってみると、参加してよかったなぁと素直に思います。
友人のwingheartさんが、今年エロゲの原画家デビューをして、pure moreの契約彼女って作品なんだけど、具体的な話はともかく、彼がエロゲの原画をやりたいという話は結構前から聞いてたんですよ。
それが今回果たされることになって、「wingheartさん、凄いなー」とか思ってたんだけど、そんな私にも声が掛かって、まあ、同人作品とはいえシナリオの一部を担当することになった、担当したというのはなんか感慨深いものがあるよね。一度やってみたかったというのもあるし、自分の書いた文章がゲームになるってのは、やっぱり嬉しいものがあります。次回作もあれば良いなぁ。
まあ、そんな訳で夏はまだまだ終わらないと言うことでね。夏コミ通販の方、宜しくお願いします。私はボチボチと次のイベント、神のみオンリーだけど、それに向かって動き出そうかなと。実はそんなに時間ないんだよね。10月のイベントだし、ちょっと技巧的な本になりそうだから、通常よりも多く執筆期間を設けています。ページ数も、夏コミほどではないにせよ厚くなりそう。
それが終わればすぐに冬コミと言うことで、なんだ、全然暇がないですね。冬コミで出す本は既に決めてるんだけど、その前に旅行とか行きたいなぁ。いつだったか、飛騨に行ってからと言うもの、旅ともご無沙汰で……あれ、福岡って飛騨の前だっけ、後だっけ。まあ、忘れるぐらいしてないと言うことですね。落ち着いた頃に、どこか考えて見ようかな。
夏コミ新刊「死蝕現象」自家通販開始。同人ゲームDL販売のお知らせ
2014年8月18日 アニメ・マンガ夏コミお疲れ様でしたー。いやー、今年も暑かったですね。1日目は一般参加、2日目はお休みで、3日目はサークル参加とコミケを駆け抜けてきた訳だけど、年に2度の祭典と言うことで、結構充実したお盆を過ごすことが出来ました。シャリテクロワール的にはヨスガから撤退して初めてのコミケということになりますが、夏コミはギャルゲジャンルが軒並み西館に追いやられてしまったので、そういった意味では苦戦したかな。まあ、私は今回、ギャルゲでスペース取ってないんだけど。
先に宣伝と言うことで、サークルHPにて夏コミ新刊の自家通販を期間限定で開始しました。
自家通販ページ
http://www.usamimi.info/~mlwhlw/cgi-bin/order/index.cgi
開催期間:8月18日(月)~9月5日(金)※完売次第終了
注意事項:発送状況はサークルHP「Event」ページ内にて記載。
シャリテクロワールとしては初めてのTYPE-MOON作品……と、コミケのジャンルコード的にはなっていますけど、正確には奈須きのこ作品ですかね。空の境界の二次創作小説と言うことで、綾辻行人原作のAnotherとのクロスオーバー作品です。
夏コミでは上下巻を同時発行して、幸いなことに皆さん上下巻を一緒に買っていってくれたのですが、自家通販ではそうも行かないので最初からセット頒布ということにしています。というより、上下巻を両方読まないことには話がサッパリ分からないと思うので、その辺はご了承下さい。在庫の通販ですから、それほど数がある訳ではありませんが、まあ、そんなすぐに完売するようなことはないんじゃないかと。
私の本というのは、校正者を除いて最初に読むのはいつも売り子をやってくれる友人なんだけど、空の境界を読んだことがあるという彼には結構好評でした。私としては、彼がらっきょを読んでいた事実に驚いたんだけど、自分でも割としっかり嵌まった作品だと思うから、この評価は嬉しかったかな。何気にアクションのあるシリアス本を書くのは、長編だと1年と数ヵ月ぶりになるのかな? 調べ直したら意外に短かったけど、ロクゼロの後にもヴァニタスとか、うででんとかでアクションシーンないし、バトルのある作品って書いてたから、実はそんなに久しぶりでもなかったんじゃないだろうか。
ていうか、ヨスガ以外は殆どがバトルありな気もしてきたわ。夏ペルはともかく。
今回のコミケでも思ったけど、うちは長いことヨスガノソラの本を出してきた関係から、ヨスガサークルとしての認識が強いらしくて、ヨスガ本はないんですが、という質問は結構あったし、ヨスガ本をまた出しましょうよ、というお誘いも複数任から受けました。どちらもありがたい話ではあるんだけど、幾らなんでも気が早いのではないかという迷いもあり、現在サークル内で協議中です。ただ、冬コミのサークル申込が目前に迫っていることもあり、それを考えると……困ったもんだ。
そういえば、スペースに来た参加者の1人が新刊ではなく既刊をチェックして去って行ったんだけど、数分後にふと戻って来て、「神のみ本ありますか?」と尋ねてきました。おそらく、オンリー出だしたコピー本のことを言ってるんだと思いますが、流石にあれの持ち合わせはなかった。しかし、神のみ目当てでうちのサークルに来る人がいたのは結構新鮮で、それだけに印象深い出来事でした。
神のみに関しては、一応秋のオンリーに参加予定です。新刊も予定していますが、既刊のコピー本はどうかな。あれ結構作るのに手間が掛かる本なので、再版は無理じゃないかなと思う。予定している新刊に再録でも良いんだけど、ちょっと特殊な形式の本を作ろうとしているから、雰囲気に合わないという難点があって。だから、ちょっと難しいかも知れません。
即売会は上記の神のみを除けば、後はもう冬コミだけじゃないかな。.hackオンリーも昨年に続いて開催はされるようですが、Liminality本とか作っても需要なさそうじゃないですか。それに冬コミまでの期間が4ヵ月、本を出すとなれば3ヵ月しかないことを考えると、イベント2つに参加するのは無理がある気がして。だから、今のところ参加は見合わせ状態です。
さて、話は変わりますが夏コミで頒布していた同人ゲーム、「お注射しましょ~催眠メイドとペットなお嬢様~」のDL販売が開始しているようです。私も一部シナリオで参加していて、一部って具体的にはどこなのかと質問を受けましたが、まあ、主人公以外ですかね? ヒロインの方を中心に書かせて頂きました。可愛いでしょ、あの2人。
詳細をまだ貰ってないので、どれだけのサイトでDL販売するのかは知らないのですが、確認できたのだとDMMとDLsiteで販売が行われているようです。エロいページに直アドというのもあれなので、サイトの方にリンクを張りましたから、そちらから確認下さい。DMMでは、キャンペーン価格と言うことで値引きになってるみたいですね。私はシステム的にDLsiteが使いやすいのだけど、そこはまあ、個々の好きな方で。
DLsiteといえば、特設ページが出来ていたので覗いてみたのですが、なかなかに見事な紹介文が書かれていて感心しました。なるほど、作品の特徴をよく捉えているな、と執筆者が実際にプレイしたのがよく分かる文章だったと思います。
容量からも見て取れるように、割とコンパクトな作品なんだけど、その実、9割方はエロと考えて貰って構いません。もう、ひたすら主人公がメイドとお嬢様相手にえっちなことをしまくる作品です。なんかお話っぽい部分もありますが、というか、そこを書いたのは私ですが、基本的には朝から晩までエッチなことをしているエロゲと考えて下さい。考えて妄想が膨らんだ貴方は早速DLしに行きましょう。
新刊もそうですが、「お注射しましょ」の感想なんかを頂けると嬉しいです。Santa☆Festa!さん宛てでも私が転送しますから、プレイした方は是非是非感想をお待ちしています。
後、イベント限定の冊子セットなんですが、手持ちの在庫が少しあるので、冬コミに持って行くかどうするか、現在検討中です。イベント限定だから自家通販は無理かも知れないけど、冊子が欲しい、読みたいという方は何かの機会で手にとって貰えればと思います。
今年の夏は初めてのジャンルに、初めてのゲームシナリオと、色々初めて尽くしでしたが、まだまだ夏は終わらないと言うことで、新刊の自家通販の方も宜しくお願い致します。それにしても……冬コミはマジでどうするかな。
先に宣伝と言うことで、サークルHPにて夏コミ新刊の自家通販を期間限定で開始しました。
自家通販ページ
http://www.usamimi.info/~mlwhlw/cgi-bin/order/index.cgi
開催期間:8月18日(月)~9月5日(金)※完売次第終了
注意事項:発送状況はサークルHP「Event」ページ内にて記載。
シャリテクロワールとしては初めてのTYPE-MOON作品……と、コミケのジャンルコード的にはなっていますけど、正確には奈須きのこ作品ですかね。空の境界の二次創作小説と言うことで、綾辻行人原作のAnotherとのクロスオーバー作品です。
夏コミでは上下巻を同時発行して、幸いなことに皆さん上下巻を一緒に買っていってくれたのですが、自家通販ではそうも行かないので最初からセット頒布ということにしています。というより、上下巻を両方読まないことには話がサッパリ分からないと思うので、その辺はご了承下さい。在庫の通販ですから、それほど数がある訳ではありませんが、まあ、そんなすぐに完売するようなことはないんじゃないかと。
私の本というのは、校正者を除いて最初に読むのはいつも売り子をやってくれる友人なんだけど、空の境界を読んだことがあるという彼には結構好評でした。私としては、彼がらっきょを読んでいた事実に驚いたんだけど、自分でも割としっかり嵌まった作品だと思うから、この評価は嬉しかったかな。何気にアクションのあるシリアス本を書くのは、長編だと1年と数ヵ月ぶりになるのかな? 調べ直したら意外に短かったけど、ロクゼロの後にもヴァニタスとか、うででんとかでアクションシーンないし、バトルのある作品って書いてたから、実はそんなに久しぶりでもなかったんじゃないだろうか。
ていうか、ヨスガ以外は殆どがバトルありな気もしてきたわ。夏ペルはともかく。
今回のコミケでも思ったけど、うちは長いことヨスガノソラの本を出してきた関係から、ヨスガサークルとしての認識が強いらしくて、ヨスガ本はないんですが、という質問は結構あったし、ヨスガ本をまた出しましょうよ、というお誘いも複数任から受けました。どちらもありがたい話ではあるんだけど、幾らなんでも気が早いのではないかという迷いもあり、現在サークル内で協議中です。ただ、冬コミのサークル申込が目前に迫っていることもあり、それを考えると……困ったもんだ。
そういえば、スペースに来た参加者の1人が新刊ではなく既刊をチェックして去って行ったんだけど、数分後にふと戻って来て、「神のみ本ありますか?」と尋ねてきました。おそらく、オンリー出だしたコピー本のことを言ってるんだと思いますが、流石にあれの持ち合わせはなかった。しかし、神のみ目当てでうちのサークルに来る人がいたのは結構新鮮で、それだけに印象深い出来事でした。
神のみに関しては、一応秋のオンリーに参加予定です。新刊も予定していますが、既刊のコピー本はどうかな。あれ結構作るのに手間が掛かる本なので、再版は無理じゃないかなと思う。予定している新刊に再録でも良いんだけど、ちょっと特殊な形式の本を作ろうとしているから、雰囲気に合わないという難点があって。だから、ちょっと難しいかも知れません。
即売会は上記の神のみを除けば、後はもう冬コミだけじゃないかな。.hackオンリーも昨年に続いて開催はされるようですが、Liminality本とか作っても需要なさそうじゃないですか。それに冬コミまでの期間が4ヵ月、本を出すとなれば3ヵ月しかないことを考えると、イベント2つに参加するのは無理がある気がして。だから、今のところ参加は見合わせ状態です。
さて、話は変わりますが夏コミで頒布していた同人ゲーム、「お注射しましょ~催眠メイドとペットなお嬢様~」のDL販売が開始しているようです。私も一部シナリオで参加していて、一部って具体的にはどこなのかと質問を受けましたが、まあ、主人公以外ですかね? ヒロインの方を中心に書かせて頂きました。可愛いでしょ、あの2人。
詳細をまだ貰ってないので、どれだけのサイトでDL販売するのかは知らないのですが、確認できたのだとDMMとDLsiteで販売が行われているようです。エロいページに直アドというのもあれなので、サイトの方にリンクを張りましたから、そちらから確認下さい。DMMでは、キャンペーン価格と言うことで値引きになってるみたいですね。私はシステム的にDLsiteが使いやすいのだけど、そこはまあ、個々の好きな方で。
DLsiteといえば、特設ページが出来ていたので覗いてみたのですが、なかなかに見事な紹介文が書かれていて感心しました。なるほど、作品の特徴をよく捉えているな、と執筆者が実際にプレイしたのがよく分かる文章だったと思います。
容量からも見て取れるように、割とコンパクトな作品なんだけど、その実、9割方はエロと考えて貰って構いません。もう、ひたすら主人公がメイドとお嬢様相手にえっちなことをしまくる作品です。なんかお話っぽい部分もありますが、というか、そこを書いたのは私ですが、基本的には朝から晩までエッチなことをしているエロゲと考えて下さい。考えて妄想が膨らんだ貴方は早速DLしに行きましょう。
新刊もそうですが、「お注射しましょ」の感想なんかを頂けると嬉しいです。Santa☆Festa!さん宛てでも私が転送しますから、プレイした方は是非是非感想をお待ちしています。
後、イベント限定の冊子セットなんですが、手持ちの在庫が少しあるので、冬コミに持って行くかどうするか、現在検討中です。イベント限定だから自家通販は無理かも知れないけど、冊子が欲しい、読みたいという方は何かの機会で手にとって貰えればと思います。
今年の夏は初めてのジャンルに、初めてのゲームシナリオと、色々初めて尽くしでしたが、まだまだ夏は終わらないと言うことで、新刊の自家通販の方も宜しくお願い致します。それにしても……冬コミはマジでどうするかな。