女性声優に知り合いが出来るって言うのも、なんだか考えものですね。今日は堀江由衣の武道館ライブだったんですけど、その前に時間があったので物書きの恩師が主催している集まりに顔を出したんですけどね? そこにまあ、なんというか若手の声優がいまして。集まりにいる時点で恩師の弟子なんだけど、なんでまた作家志望が声優へと発展したのか、いや、それ自体は別に不思議じゃないというか、創作者と声優に憧れるのはアニオタの誰しもが通る道だからね、作家志望が声優になっていてもおかしくはないです。

まあ、恩師の元には業界で働いている弟子が私の他にも何人か集まることがあって、今日の声優もその一人というわけだけど……なまじ若手で、アイドル声優じゃないけどアイドル声優と交友が深い人だと接し方に少し戸惑うよね。特に、私みたいなイベンターではないけど長いこと声優ファンをやっている人間には。これもなにかの縁と少しばかし話をしてみたんですけど、いや~、生々しい! リアリティ溢れるというか、リアルの話ですからね。目の前にいる人は実際の声優で、誇張や冗談を交えることがあっても、基本的に嘘を付いてくる必要性はないわけですから。昨今のアイドル声優事情もそうだけど、主に恋愛面での話をしましたね。なんで声優を目の前にそんな下世話な話をしているのかってことだけど、女性相手だと他にする話もなかったし。アニメの話とか仕事の話は、契約の問題や守秘義務の関係上あまり出来ないからさ。
壊れる夢なんて私はもう持ち合わせてないけど、それでも生の話を聴くってのは結構来るものがあるというか、概ね予想通りだったことと、飛び込んできた変化球に爆笑していました。いや、アイドル声優が合コンしまくりでも私は別に構わないというか、出会いがない+同業者はお断りという気持ちもわかるけど、なんでその職種と合コンするのかとw ネタとして最高というか、アイドル声優+1名と、あの職業の方々の合コンか……カメラ設置して、別室から覗きたい光景だと恩師と大爆笑してました。
なかなかに気さくな人で、声優をやっているだけあってはつらつな印象を受けました。業界人が集まれば自然とそっちの話に傾く揉んで、いくつか仕事の話が始まったり、それがまとまったりもしてましたね。私は武道館があったので早めに出てしまったんですが、そういえば名前を聞き忘れていた。こういうときに渡せる名刺があれば便利なんだろうな。
丁度、その人が所属している事務所というのを私がよく知っていて、こっそり長年好きな声優の近況を教えて貰ったりも。だって、HPも随分更新されてないから気になって。仕事で一緒になったとかならないとか。仕事があるのか。ならよし。
声優に対する夢や幻想なんて、早々に破壊しておいた方が良いよと言うお話しでした。ダメだ、思い出しただけで笑いが。そして、マリオン学院放送部のとあるコーナーに対する失笑がこみ上げてくる。

移動した武道館は、思い返せば田村ゆかり以来だろうか。あのときはライブには参加しないでグッズというかCDだけ買って帰るという馬鹿みたいな真似をしたので、武道館の中に入るのは本当に凄い久しぶり。箱として好きかどうかと聞かれると、あまり好きではないというのが私の気持ちなんですけど、それでもアリーナ席という良い席を貰ったからには楽しんでおこうかなって。
地下に潜る感じで何回もチケットの確認をされて、3回ぐらいかな? なんであそこまで厳重だったのかサッパリですけど、それでもスムーズに着席することができました。中央ステージの真ん前、位置取りとしては国技館の時と同じぐらい良い感じですかね? 国技館の時は最前列ではなかったけど、前から2列目という好位置でしたから。どちらかといえば今回の方が見やすさでは上だったかな。常に立っていないとステージ見えないのはともかくとして、スカートの中も見えるぐらいは出来たし。中身どんなだったって? なんていうか、中身が見えるとああいうのってつまらないよね。見えそうで見えないことへの緊迫感や焦り、興奮という、要するにチラリズムを堪能するのが一番なんですよ。少し白い物が見え隠れするぐらいが丁度いいというか、実際に見えてその白いものがなんであるかを知ると興醒めとはいかないまでも、僅かにガックリしてしまう。

ネタバレ禁止という布告だ出たので、書けることはほっちゃんが可愛かった!と、やたら楽しかった!の2つだけなんですけど、両日共に内容は同じみたいなので詳しくは日曜の日記で書きます。楽しいと面白い、この間には大きな隔たりや差のようなものがあると実感したライブでしたね。友人は凄い楽しかったと言っていたのですが……私はなにせ、長いから。それでは続きはまた明日。
書くことがないからって、ここ数日は日記にろくなことを書いてないんじゃないかと寝て起きて反省中。ネタがないからといって投げ出すわけにもいかないから書いているけど、修練という意味では果たして効果があるのだろうか。
日記書くだけで一日が終わるなんてことはさすがにないけど、確実に1時間以上書ける日もあるからもう少し効率のいいやり方を模索せねば。その日、その日に必ずネタがあるとは限らないけど、それをどうにかするのが物書きというものです。ただ、日記書くので疲れて他の執筆が止まるなんてことになったら……うーん、どうなんだろう。

神谷明さんのニュースが朝から目立っているというか、元々ブログ読者なので今朝は衝撃の午前中を過ごしていました。神谷さんはご年齢から考えると珍しく、ブログを毎日頻繁に更新される方で、今回はなにやら思い詰めていたので仕事関係かとは思っていたのですが……今日の時点では情報が出そろってませんし、日曜か月曜の日記にでも回しますかね。ショックといえばショックですけど、それ以上に思うところもあると言いますか。神谷さん本人と言うよりは、コナンという作品についてですけどね。長く続いていると、原作にもアニメにも色々なことが起こるもので、長く続けること、続いたことでの弊害みたいのは確かにあるんだと思う。大きくなりすぎた作品ってのは、もう誰か個人の所有物じゃなくなってしまうんですよ。一個人の創作物と始まって、それが会社や組織、誌上をも左右することになった作品と言えばドラゴンボールが有名ですけど、アニメ化までしてしまうとね、どんなに小規模な作品でもそれにまつわる権利だとか、対人関係だとか、複数の組織が絡んだ利益問題へと発展していくから、そういうのに嫌気がさしてしまった原作者の肩書きを持つ人は沢山いるし、幾人か知っています。とはいえ、コナンに関してはゴールデンから左遷されたわけだし、そろそろ良いんじゃないかという気持ちなんですけどね……4月の映画の時点では、まさかこんな未来が待ち受けているとは思わなかったよ。

さて、話を超えて逆襲の救世主を更新したわけですけど、ついに名前を出すことが出来ましたね、ルクリュの。命名は私なんですけど、作中にも書いたとおりロクゼロ4からの流用です。ほら、アルエットがエルフの名前を決めるって言うイベントあるじゃないですか、あれでアルエットが考えたものを拒否すると、仲間から色々案を貰えにいけるんですよ。くろのさんなんかはアルエッタンには抗えないとクロワール一本だったんですけど、実は結構重要なイベントなんですよ、あれ。
何故かって言うと、まあ、知ってる人は知ってると思うけど、名前によって能力が変わるんですよあのサイバーエルフって。詳しくは憶えてないけど、名前が違うと能力も違う、それぞれの名前の意味にそった感じになるのかな。
例えば、アルエットが考えたクロワールというのは信じるという意味ですし、シエルが思い付いたシャリテというのは博愛という意味があるそうです。私のサークルは、この二つの名前を繋ぎ合わせて出来ています。
そして、他にもセルヴォが提示したプログレスだったり、これは機体名として使いましたね、ネージュが検索したヴァリアブルなんてのもあって、それぞれ進化、変数といった意味になります。イロンデルは自分が大好きなヌーヴェルという、何故かニュースの意味を持つ言葉を名前にしようと提案したり、最後の最後、フォコンに会いに行くとルクリュという名前を選ぶことが出来ます。意味は作中にも書いたとおり新しい兵士で、実直なフォコンらしい名前ですね。
これを逆襲に出てきたデバイス兼サイバーエルフ娘の名前にしたのは、意味よりも響きの良さを優先しました。私は元来、名前をつけるというの苦手でして、300名以上のオリキャラを作り上げてきた身内に比べると、それはもう貧弱なネーミングセンスしかない。プロットを作る際になにが困るって、名前が決まらないし、思い付かないんですよ。だから今回の蒸すめっこの名前を決める際も、ロクゼロに関連した物から引っ張ってこようと、サイバーエルフの名前を流用した次第で。プログレス・ルクリュ、カッコ可愛い感じになったと思うんですけどね。
現在はくろのさんと協議の末、清書レベルにまでなっているキャラですが、この娘が逆襲でどんな働きをして、どのように活躍していくのか、私にもまだ判りませんけど、見せ場が多く作れればいいなと思っています。可愛いは正義です。あの番組にも川澄綾子出てた気がするし。
昨日の日記に書いたようにSW進行に追われてるんですが、それでも作品は書かなくちゃいけないと言うことで現在逆襲の救世主書いてます。嘘です。いや、嘘じゃないけどこの日記書いてる時点ではとうに完成して更新してるんだよね。時系列的に言えば、この日は明け方近くまで逆襲を書いてました。仕事があるというのに。仕事が忙しいというのに。
ただ、冬コミまで時間もないし、それの準備もあるからね。段々と追いつめられてきたというか、自分一人のことならまだしも、共同作業でもあるから。

私は追いつめられると加速するというか、追いつめられないと速度が上がりません。ギリギリの極限にまで追いつめられて、「あと一日、あと一日あれば!」と叫んでいるのが普段の私です。これ、前の日記にも書きましたかね? 逆襲の救世主に関しては本来なら夏前に完結している話で、それがここまで延びたことで周囲に結構迷惑を掛けてしまっています。まあ、事情や理由は色々あるんだけど、そんなものは私個人にしか通用しない言い訳でしかないわけで、大幅に遅れてしまった分を取り戻す勢いで現在書き進めています。
でも、完結が伸びたことは悪いことばかりじゃなくて、筆力や勢いは大きく落ち込んだけど、それによって得た物もあるといいますか。詳しくは明日の日記に書きますが、私としてはそう悪いことばかりでもなかったかなと。まあ、なんだかんだで数ヵ月書けなくて、そうしている内に投稿先がすっかり廃れちゃったりしたのは残念というか、良いことでもなんでもないんだけどさ。得た物と、なくした物、比較するのもおかしな話だけど、私は得た物の方が大きいような気がする。
投稿先に関してはこうなるんじゃないかと思ってたし、それが現実になっただけだからなぁ。アクセス数が7000すら切った現状を考えると、衰退という言葉が身に染みてきますね。別に私の存在価値がどうとかそういう話ではないけれど、他にやりようとか、選択の仕方はあったんじゃないかと思う。現状に満足している人間がいるのかは知らないし、誰の責任でもないんだろうけど……いや、私がそれを言ってはお終いか。

あんまりこの日記で赤き閃光とか逆襲の救世主の投稿先に触れたことはなかったけど、実はあそこについては遠慮よりも書きたくないという気持ちが大きい。実はこの日記はいよいよ触れようかと思って、実際に書き上げたんだけど、読み返すまでもなく内容が酷かったんで書き直してます。私の心の中にも迷宮があるというか、複雑なんですよ。色々思うところはあるし、それを全部書くのは流石にはばかられる。一部だけでも相当な内容なのだから、全部なんて書いた日にはどうなることか。
最近もなんですか、あそこに関連して私が日記に色々書きましたけど、まあ、何故だか知らないけど巡りに巡って私のところへ結果だけ転がり込んできた始末。その処理をする羽目になったのは、私の自業自得だったのだろうか。そうなのかなぁ。なんだか酷く疲れたよ。まともなやり取りが出来るとは思ってなかったというか、どうして私は問題が起きると直接的、もしくは間接的な対話でいつも解決してるんだろう。手っ取り早いと言えばそうなんだけど、なんというか私もよくやるな。
折り合いの付け方、付き合いの仕方、そこら辺を見極めつつも当分は図々しく居座っておこうかと思います。別に責任感や義務感、使命感なんて感じてないけど、思うところは色々あるので。一年以上も関わっているとさすがにね、しがらみとはまた違うけど。

しかし、仕事が忙しいのと執筆しかしてなかったから書くことがまるでないですね。さっさと土曜日辺りの日記を書きたいんだけど、連日更新を謳っていると飛ばすわけにもいかないわけで。これを書こうと思っても、そのネタが次の日のニュースだったりするからなぁ。
あぁ、そういやこれは書いてなかったかな、先週の土曜日にレミゼのチケットが来ましてね。丁度、真綾イベの仕度に追われていたときだったんで受け取り損ねたんですけど、まさかイベの当日にFCから荷物が届くとは思わないじゃない? 翌日、郵便局まで取りに行ってきたけど、なんとまあ微妙な席だった。仕事の都合上、祝日の公演しか申し込めなかったからでもあるし、取った席が元々安かったのもあるんだけど、それでも帝劇であの位置は厳しいかな。前回みたいに2階席でマッタリ見る方がまだしも楽だったかも知れない。
私の演劇や芝居、ミュージカルや歌劇に関する思い入れも機会があったら書きたいですね。少なくとも物書きをやってる人間は、芝居ぐらい観ないとダメだ。古風な考えなのかも知れないけど、そこだけは譲れない。別にそれは大ホールでの壮大な芝居でも良いし、下北辺りでやってる小さい箱の、しょぼっちい劇でも良いんですよ。どちらを楽しいと思うかは人の自由だし、どちらも楽しめる人だっているわけだから。
自分でなにかいてるのか判らなくなってきたので今日はここまで。SW進行その他に心身をやられつつあるのかな。
別に出版業に限った話じゃないんだろうけど、シルバーウィークなる大型連休のせいで仕事がメチャクチャ忙しくなってます。出版業には基本的に三つの修羅場というものが存在して、その一つがゴールデンウィーク、GW進行と呼ばれるものです。これを超えられるかどうか、五月病にかかっている暇などないほど忙しい。
そんな大型連休が秋にもあるということで、来週はもう一週間があってないようなものです。私の職場も、気分は既に月末です。それぐらいの認識じゃないと、とても仕事にならない。

まあ、私は出版業といっても職場では居候みたいな形だし、どの編集部、セクションにも属さないかなり特殊な立場にあるんだけど、それでも忙しいときは忙しいし、編集部から持ち込まれる仕事をやったりすることも多々あります。
さすがにここ数日はSW進行もあってか自分の作業だけをしていますけど、どこもかしこも大変そうというか、そもそも五日間も連休あっても困るんだよね。まあ、休日はしっかり消化するタイプだから予定は入れましたけど、平日に三連休もあるってことは休んだ分だけ給料も減るというわけで。ただでさえコミケのダメージが回復していない時期に、三日も稼げないのは死活問題です。来週にはハルカナソラを買わなくちゃいけないし、その金だって用意しないと。今月は他にも遊行費がかさむから、考えるだけで頭が痛くなってきますね。特に私はケチだから如何にして出費を抑え込むか、そればっかり考えてるし。
ハルカナソラも大量購入するとはいえ、すべて手元に置いておく必要はないのかな。2~3本あれば十分だし、だけど中高買取も大した値段にはならないだろうし……そもそもエロゲを売り払うという行為が好きじゃない。昔はね、あれやこれやと色々な物を売っていた時期があるけど、今になって思えばなんと愚かしいことか。物を捨てること、売ること、そういったことに対して当時の私は鈍感すぎた。
意識が芽生えてからは逆に物持ちが良すぎるというか、今度は捨てられないものが多すぎて困ってるんだけどね。特に書籍類は、極端に状態が悪くなった雑誌を除けば無料冊子レベルまで捨てられないでいる。それにポスターも、エロゲ、声優、その他色々あるけど一体どれぐらいの本数があるのか。数十本単位でないのは確かだし、丸めてあるから広げてみないとなんのポスターなのかも判らないという。でも、そういうの調べるのも面白いというか、広げてみたときに懐かしかったり、意外さに驚き憶えたりすることも多いから、時間があるときにでもやってみたいな。

仕事といえば自分が出版業界何年生なのかよく判ってないんですけど、気付けば今の職場も結構長い。私がいる間にも新しく来た人や、それとは逆に去って行く人など、様々な出会いと別れがあります。もっとも、私は前述の通り居候みたいな立場だから直接的な関わりはあまりなくて、部下も出来なければバイトを使う立場でもない。職場にいる期間では先輩でも、仕事上の上ではそうとも言えない微妙な存在。なんか、自分で書いてて凄く判りづらいなと思うんですけど、説明のしようがないんだよね。別に雑用や小間使いというわけじゃないし、そういうのはこの前入ったバイトさんがやってるけど、では私がその人になにか作業を頼むかといったら、それはあり得ないわけで。基本的に一人で黙々と作業をしています。真面目かどうかは判らないけど、なるべく周囲に迷惑は掛けないようにひっそりと。居候は辛いです。
五日間の休みというのは金銭的な問題の他にも、仕事が止まるという深刻な悩みを引き連れてきます。休んだ分だけ休み明けにしわ寄せがくると言いますか、当たり前の話、私が休んでいる愛に作業を進めてくれる妖精さんは存在しないのだから。
まあ、それはどこの業界、職場でも同じなんだろうけどさ。カレンダー通りに休みを貰えることを喜び、しっかりと消化するのが一番なのかな。

愚痴っぽくなりましたけど、SW進行のせいで本来は3日ほど掛けてやる仕事を1日で終わらせる羽目になったのであまりいい気分でもなくって。せめて前日に言って貰えれば2日間掛けて良い物を仕上げたのに。ここ数日はそういうことが多いというか、だからこそ修羅場なんですけどね。毎日が忙しく、私にしては珍しいことに仕事をしている実感すら沸いてきます。まあ、本来は秋に大型連休などあり得ないし、新しく加わってきた進行に慣れていないんだろうね。天文学的数字のイタズラも、職種によってはイタズラで済まないから大変だ。今回を乗り切れば2015年まで発生しないらしいけど、私は6年後なにをやっているんだろうな。結構いい歳になっているし、出来れば作家にでもなっていてくれると嬉しいんだけど。さすがに今の仕事は終わっているはずだから。
昨日から今日にかけてくろのさんとメッセで話してたんですけど、主にデバイス娘の設定を練り込んでいたりしました。いいね、デバイス娘って呼び方。この前の日記では、娘っ子とか、新キャラとか色々な呼び名を使っていたけど、なるほどデバイス娘か……
口調、言動、性格、立場、そういう細々としたものを詰めていって、不完全だったものが形になってきたと思います。私のキャラではないといってましたけど、一応は私のキャラでもあるぐらいにはなってきたかも。

絵を先行させてキャラを作るってのは意外に珍しいことじゃなくて、今流行りの手ブロとかはキャラを募ってSS企画を始めたり、そういうことが多いですよね。一枚ないし複数枚の絵やキャラから想像を膨らまして話を作るってのは、物書きとしても結構いい勉強で、特に描写力を養う面では重要な要素になってきます。
私の知り合いに、小説もアニメシナリオも書ける雑誌ライター兼ノベライズ作家というのがいるんですけど、その人に言わせればライトノベルに確たるキャラクター描写など必要ないということですからね。必要性が皆無であるとは言わないが、なにせラノベは基本的に絵がありますから。以前の日記で書いたかは覚えてませんが、視覚的効果としての絵が存在する時点で、百の描写よりもより明確に読者には伝わるんですよ。作中でどれだけ正確に描写しても、絵を見た方が早いし、想像するよりも楽でしょう? そこがラノベの利点であり、同時に欠点でもあるんですよね。
今回は、まあ、二次創作ではあるにせよキャラクター絵を先行させて、そこからキャラの中身を作っていこうという試みなので私としては結構楽しいです。試行錯誤はしているけど、役割や立ち位置を確立すれば自然にキャラが立ってきますから。
デザイン自体はこの前の日記に載せたのと、今現在くろのさんのブログ等で描かれているのが第三稿ぐらいになるんだろうか。初期は髪型とか服装に違いがあって、表情もややきつめだったんですよ。そこから私も考えつつ修正を加え、今のふんわりとした感じに仕上げていったんですけど……可愛いなぁ、ほんと。コンセプトというか、根底としてリインやアギトと違う存在をイメージしてるから、赤き閃光で主軸としていた三人娘のゼロに対する接し方の違いほどではないにしろ、差異は出るんじゃないかと思う。
一つ言えるのは、このデバイス娘はゼロにとってのなにかにはならないというか、誰に対してのなにになるのか、っていうのは実は既に決まってる。もちろん、ゼロと関わりがないわけじゃないし、ゼロに対してはまた違った関係性が作られるんだけど、それよりも深い繋がりを持つであろうキャラが、随分先になるけど現れる予定なので……設定を細かく決めるにしても、話の内容に密接に関わってくるから、その辺りはくろのさんともなかなか話しづらい。
脳内CVは岩男潤子から川澄綾子に変更。まほろさんですか? と訊かれたけど、どちらかと言えばセイバーかな。あの完成され切ったヒロイン声優について語ると、別にファンでもないのにものすごく長くなります。

そういや、全く関係ないけどまほろまてぃっくが再アニメ化するそうですね。続編は作りようもないのでリメイクか、それとも中話か、みなわはでるみたいですね。清水愛はああいう役をやってこそだと思っているので、ちょっと期待してます。ただ、家にはもうBSががないんだ……しかも、壁の工事が始まるからCSチューナーのアンテナも外さないといけない。勘弁してほしいよ。
CSが見られなくなるということは、家にあるテレビが単なる地上波アニメを流すだけの箱になるということですが、これから銀英伝の再放送が始まろうというときにこれは辛い。第一、現在進行形で視聴しているCCさくらの再放送はどうするんだ。他にもクイーンズブレイドとか色々ありますけど、恐ろしいことに年内で作業が終わらないらしい。こうなったらチューナー内蔵型のテレビでも買おうかと思ってるけど、ケチだから家電にお金を使いたくない。今あるチューナーにしたところで、実質タダでしたからね。というのも、随分昔の話になりますが、ゲマ屋がポイント交換景品として何故かスカパーのアンテナやらチューナーを出してたんですよ。20Pぐらいかな? 丁度、その頃の私というのがブ社中毒にかかっていた時期なんでポイントが豊富にあって、折しも諸事情でBSを手放していたこともあってCSに加入。大して性能が良いわけではないけど、今日まで現役で活動しています。

仕事が物凄い忙しくて逆襲を書いているどころじゃなくなりつつあるのですが、それも明日までだと信じたい。というか、出版業で今月忙しくない人は皆無だと思うんだけどその辺りはどうなんだろう。
先日、Zepp Tokyoに行った話は書いたと思うけど、昨日のチャットはその閉鎖の件で色々な話をしました。都内もしくは近郊に住んでいて、こういう趣味をしている人なら一度ぐらいは行ったことがある場所です。それが閉鎖となれば感慨も深いというものでして。まあ、基本的には閉鎖には反対というか、特に赤字でもないから閉鎖しなくてもいいじゃないかっていう考えが世間にも多いわけだけど、あれだけの規模を持ったライブハウスって少ないからね、惜しむ気持ちもわかります。

Zepp Tokyoは最大で2700人近くを収容することが出来るライブハウスとして有名ですけど、とないどころか日本でもこれだけの規模は珍しくて、JCBホールを除けば日本最大でしょう。個人的にJCBホールをライブハウス扱いすることに抵抗があるので、私の中ではZeepが一番って感じです。それを潰してしまって、さて、そこで開催されているイベントはどこに行くのか? というのがチャットでも出た疑問。Zeepを聖地としているバンドやグループもあるでしょうし、毎回ここで開催しているイベントというのも多くて、終了しないとすればどこかしらに移る必要があるわけで、となれば受け皿が必要となります。
けれど、前述のとおりZeepは2700人を収容できる大規模ライブハウスで、これに匹敵するものってのはなかなかない。Shibuya O-EASTなど有名どころも1200人ぐらいだし、SHIBUYA-AXも1500人、再オープンした赤坂BLITZだって2000人に届きません。人がライブハウスに求める魅力ってのは色々あるだろうけど、収容人数という意味ではZeepが飛びぬけてるんですよね。その受け皿ともなれば、それこそSTUDIO COASTぐらいしかないわけだけど、あそこも2400人と若干劣る。でも、ここしかないのかなぁ。新木場だから施設間の距離としては近いし、けど、私の好みではあまり好きじゃないんだよねぇ。
私はライブハウス通いするようなタイプじゃないんだけど、個人的にはある程度広い方が好きですね。いや、世の中のライブハウスなんて300人規模でそれなりという感じなんですけど、あんまり小さいと閉塞感みたいのが発生するというか、CLUB CITTA’ぐらいの会場が一番好きです。単にラ チッタデッラ贔屓なだけなんだけど。チネチッタとか大好きです。最近は行けてないけど、あの小洒落た感が良い刺激になる。

そういや、D.C.~ダ・カーポ~シリーズで有名なエロゲブランドCIRCUSが、D.C.シリーズが大嫌いで、サーカスで他の企画を作りたい人を募集しているらしいですね。リクルート情報になに載せてるんだよと突っ込みたくなりますけど、それだけ深刻なんだろうか。いつかの日記でも書いたけど、本当にD.C.関連しか売れないブランドになってしまいましたし。1名だけ募集しているみたいですけど、これはネタなんだろうか。本気だとすればそれはそれで哀れだし、ネタだとしても同情してしまう……
私はD.C.シリーズは結構やってますけど、昔は好きだったという感じです。というのも、D.C.を否定する人の多くは作品の良し悪しではなくて、曲芸商法のほうを否定しているんだと思うんですよ。もちろん、作品そのものが大嫌いって人もいるだろうけど、あらかさまな商法が作品価値を下げているんだと思う。無印は文句なしで名作だったけど、逆にいえば名作の存在がブランドをダメにしてしまった。プレッシャーとでも言うんですかね、D.C.というヒット作があるために、それを超えないと次の道が開けないというか、完全に重荷や足枷になっている。D.C.Ⅱという焼き直しを出したことでもわかるように、D.C.以外で勝負する気力がな付きかけているんじゃないかと思う。他が負けっぱなしだから。一つの作品ばかりが売れ過ぎるというのも考えものですね。
まあ、流石にネタだと思うし、埼玉なんて行ってられないからスル―するけど、応募する人はいるんだろうか。一応はトップブランドの一つだし、魅力を感じる人もいるのかな。友人がチャットで斎藤kの弟子になりたかったとかなんとか言ってたけど、ネックになるのはやはりエロゲ会社勤務ということだし。イベント企画会社のアシッドと言い張ることは可能なのだろうか。

エロゲといえば今月は本当にハルカナソラと夏ノ雨しか買えないかもしれない。金がないわけじゃないんだけど、武道館行ったりとか出かけることも多いからそう言った出費も計算しておかないといけない。そうして10月、11月と過ぎればすぐにコミケですよ。瞬きする間に時間が過ぎ去っていく。
気ままとは言わないまでも、もう少し気楽にやっていきたいものです。
薙ぎ倒してでも頂点に立て
逆襲の救世主17話を更新しました。筆力は後半部分に関して力尽きた感があって、16話共々直すことが確定しているんですが……書いてから気づいたけど、私には珍しいオリキャラなんてものが登場しちゃったりしています。珍しいというか名前ありでは初めてなんじゃないかな。まだ名前だしてないけど。
画像の娘がそうなんですけど、いやー、可愛いね。オリキャラとか書いたけど、9割のレベルで私が作ったキャラじゃないから、どちらかと言えば人様のキャラクターなのかも。オリキャラに強い抵抗感を持っている私が違和感なく登場させられたのも、そういった事情があったからでしょうね。

夏コミで配布した無料配布本で初お披露目した娘っ子ですけど、基本的には作中で書いたとおり、サイバーエルフを主体にデバイスシステムの流用して仕上げた次世代型AIということになるらしい。らしいってのは私も良く設定を把握していないからで、実のところ性格も決まりきっていない部分が多いです。リインともアギトとも違うキャラクター像を目指してはいるんですが、明確な情報や決定している設定が少ないというか、なにせ私が唯一把握しているのが脳内CVは岩男潤子ということぐらいなので、キャラがつかみ切れてないというのが本音。もう少し、詰める必要があるかな。
岩男潤子さんといえば私の中では大道寺知世の印象が強いので、自然とそちらのイメージに傾いてしまうのですが、今回登場した娘っ子の言動や口調からはあまり結び付きませんね。リインやアギトと違うというのを念頭に置いて、まず第一に考えたのが別にゼロのことが好きではないキャラというもので、これはツンデレとかそういうの一切含まずに、あの娘はゼロのことをなんとも思ってません。まだ初対面だから当然だろうという意見はあるだろうし、それについては私もそう思うんだけど、これから好意を持つかと言われれば、実はそれにも疑問的。
理由としては、赤き閃光の英雄と続編である逆襲の救世主を書いて来て思ったんだけど、この作品ってキャラの関係性が少し極端すぎやしないかーと。赤き閃光の英雄は孤独な戦士としてのゼロを描いて、二次創作には珍しく味方が少ない主人公というのを演出してみたんだけど、その反面、数少ない味方のほぼ全員が彼に好意的、恋愛面での感情を持っているんですよね。フェイトやセインが代表的で、ギンガだって今はあんな感じだけど昔はそうだったし、リインなんてあからさまでしょ?
味方はゼロを好いていて、それ以外は嫌ってる。分かりやすい構図や相関図を作るために、いささか極端にし過ぎたんですね。物語を書くにあたって私は話の内容にしろ、キャラクターにしろ、とにかく分かりやすさを追求するからキャラクターの性格が極端になり過ぎで、八神はやてはその典型という感じかな。彼女の役割というのは逆襲の救世主における方が大きいわけだけど、赤き閃光の英雄では単に嫌な奴でしかないわけで。

今回登場した娘っ子は、そうした極端なキャラクターという枠からはみ出した、ゼロのことを好きでも嫌いでもない、戦闘におけるパートナー的な立ち位置を持たせてみても面白いんじゃないかと思う。なんだかんだいってゼロに惚れてるキャラが多すぎるし、今のゼロはシエルやセインがいるから孤独とは無縁なんですよ。だから、そうした中でこの娘がやるべきこと、出来ることというのはゼロを癒すことではないわけで、そう考えると様々な役割を持たすことが可能ですよね。実は、その辺りのこともある程度は考えているんですが……逆襲の中でどれだけ書けるのかはやってみないと分からない感じ。一つ言えるのは、彼女にとってゼロというのは英雄でもなければ最強でもないってことで、初対面であるが故になんの実感もないんです。知らないからこそ、他とは違う接し方が出来る。これは私が抱いている一つのテーマであり、後にそれを体現したかのようなキャラが出てくるんですが、この娘っ子はそれに先駆ける感じです。

とまあ、色々書いては来たけど、そもそもが私のキャラではないから今後どうなっていくかは不明です。なにせノリと勢いで作って、急遽登場させたキャラなもんで……まあ、可愛ければなんだっていいよね! 可愛いは正義って何年か前の流行語にもあったし。
既に18話を書き始める準備はしているので、徐々にお話の中へと溶け込ませていければと思っています。これまでのヒロインとは違ったアプローチが出来るキャラになればいいなと、そんなことを考えてみたりして。キャラ原案のくろのさんと話さなければ。いい加減、執筆ひきこもりも終わりにしないといけませんし。
坂本真綾FCベントに参加してきました。東京はZepp Tokyoで三回公演ってことで、久しぶりの東京テレポート、パレットタウンです。最後に行ったのが、それこそ前回の真綾FCイベントとか言うレベルなので、ほぼ一年ぶりぐらい? いや、前回がいつだったか憶えてないけど。コミケ時期以外にも、りんかい線に乗ることってあるもんですね。

パレットタウン自体は、なんでしたっけ、借用地としての期限が切れるとかで来年で閉鎖、施設の撤去が行われるらしいですね。お台場の景観も大きく変わると言うことで色々話題になっているようですが、既に次の施設構想は進んでいるようで、パレットタウン内にあるトヨタのスペースには新しく開業する予定の施設のジオラマが飾ってありました。観覧車は残すみたいですけど、Zepp Tokyoはなくなってしまいそうですね。ライブハウスとしては日本最大収容人数、規模を誇るだけに勿体ないですけど、仕方ないと諦めしかないでしょう。
東京レジャーランドとか、昔はZepp Tokyoの待ち時間で良く利用したね。私ってどうしてか小さい子供、特に男の子に好かれて、居合わせた子供と何故か一緒にルーレットとかしてました。まあ、その男の子は「昨日からここにいるんだよねー」と、結構洒落にならないこと言ってたんだけど。親父さんはメタルゲームコーナーですけど、あそこのメタルゲームって金になるんですかね? 良く判らないけど、子供をゲーセンで一晩明けさすなよ……とか思ったり思わなかったり。凄い面白い少年だっただけに。当時は小学生低学年ぐらいだったけど、今は中高生ぐらいにはなってるのだろうか。良い子に育ってくれていれば嬉しいけど。
そういえば、横浜でもコスモワールドとか、その辺りの場所は市の保有する敷地ですから、市長も替わったことで早急な閉鎖が行われてしまうかも知れませんね。個人的には勘弁して欲しいけど、開国博が完全に失敗した現状を考えると……困ったものだ。基本的に暫定施設が多いから、借金次第では箱物を中心に潰される可能性があるんだよね。

想い出や感傷に浸るのはこれぐらいにして、私は2回目の公演に参加したんだけど、男女比としては6:4、かなり女性が多い印象を受けました。僅かに男性が多い気がするぐらいで、ほとんど差はなかったと思う。真綾も有名になったというか、渋谷のAXでイベントやっていた頃は渋谷の若者やギャルに「誰、それ?」とか言われてたのに、今日のパレットタウンを訪れた若い子たちは「坂本真綾のイベントじゃん!」と、結構一般にも認知されていた様子。まあ、その若い子たちがオタクないし腐女子だった可能性も、ギリギリあるとは思うんだけど、個人的にはオタクとかの方が真綾ファンには少ないイメージ。男女比もそうだけど、基本的にFMラジオの人だからFCへのお便りとかもAMラジオのそれとは質が違うんだよね。
開場時間から数分過ぎたぐらいに入場して、すぐにドリンクを引き替えたわけだけど、Zepp Tokyoは気前が良いから500円のドリンクコインでペットボトルを一本くれます。普通は紙コップなのにね。まあ、ペットボトルなんてコンビニで買えば150円、スーパーで買えば100円以下だから、安いかどうかと言えば悩みどころだけど。無難にバヤリースのオレンジを貰って、開演までの一時間を読書で潰す。なにか真綾に関連のある本でも読もうかと思って、ベッドという名の本棚を漁ったら、昨年道楽で買って放置していた「空の境界-未来福音-」を発掘。200ページもない同人誌に1800円とかアホかと思ったけど、意外に読めるんだよね。これといってグロくないし、奈須きのこの文章が上達してからの作品だから、それなりに読みやすくはなっている。静音やマナのキャラも、判りやすくて良い感じ。一発ものだから特に伏線なんて残されてないし、空の境界にしては読みやすかった。
昨日の日記で軽く触れたけど、奈須きのこや西尾維新なんてのは純粋な本読みにとっては読みにくい、典型的な中高生向けライトノベルでしかないんですよ。一応はエンターテイメント小説だけど、内容自体には大差なくて、結局は文章の雰囲気や独特さ、際だっているかに見える個性が若者を引きつけているだけ。年齢が上がるにつれて、批評家や読書家は読むことが出来ない、読むに耐えない作品になってくるんだけど、それをして年寄りには判らないと切り捨てるのは、若者側のおごり高ぶり。言ってしまえば、所詮は若者向けの、若者にしか相手にされない程度の物と言うことになるわけで、万人には通用しない作品でしかない。
でも、考え自体は間違ってないというか、結局その辺りの作家にとっての読者層、対象年齢が中高生というだけの話だから、大人は判らなくて当然なんですよ。読めなくて当たり前だし、それ自体は正しい。けれど、それに対する否定、これが判らないなんておかしいとか、この作品こそ文学だなんだという意見は宜しくないよね。君たち若い者にとってはそうなのかも知れないけど、それはどこまで行っても君たちの世界から抜け出すことが出来ないレベルでの存在でしかない、最低限理解して貰いたいところです。いつだったか奈須きのこを引き合いに出して、小説を書くということを私に語ってみようとしてみた小説家気取りの女がいましたけど、ああいうのが一番どうかと思う。いや、そいつにとっては奈須きのこが神であり、至高であるんだろうけど、私としては「あぁ、若いんだな」という失笑しかなかった。凄いところがあって、素晴らしいところも存在するんだろうけど、それがすべてでもなければ、それ以外に存在しないわけでもない。自分の中の一番が、どうして他人の一番でもあると思いこめるのか、何故他人の一番でないからといって、それが間違いだと言い切れてしまうのか。私には良く判らない。

全くイベントのこと書いてませんけど、読書も終えて16時に開演し、今回はFC会員から貰ったお便りを中心に曲目を選んだらしい。そういえばそんな企画やってましたね。忙しさのあまりすっかり忘れてましたけど。セットリストとかはもっと詳しいサイトやブログがやってくれると思うので省きますけど、なんというか坂本真綾のイベントは良いもんですね。基本的に声優のイベント、特にライブやコンサートって、サイリュウムとかピカピカと点いて、観客はほぼすべてがオールスタンディング、大半が跳んだり跳ねたり叫んだりと、非常に騒々しいものなんですけど、真綾のイベントに限ってそれはないです。
まず、誰も立ちません。向こうから言われない限り立たないし、基本的には座りです。次にサイリュウムなんて光りません。持ってきた人がいるかはともかく、今回は一つも見受けられませんでした。ウルトラオレンジ? なんですかそれ? というレベル。更にコールもありません。曲によって手拍子をするときもあるけど、基本的には静かに見てますし聴いてます。極めつけは、こんな感じであるからして跳んだり跳ねたりなんてまずあり得ないし、オタ芸なんてやった日には追い出されると思います。
跳んだり跳ねたり、オタ芸したり叫びながらコールしたり、ウルトラオレンジを振り回すことこそ声優ライブ、イベントの楽しみ方であり楽しみだとの考えを持っている人には絶対に合わないと思うけど、私はこういう雰囲気の方が好きです。疲れないしね。水樹、堀江、田村とはまるで違ったテンションで挑めるし、明らかに違う空間が出来上がっているのが素敵。単に私の趣味や好みに合ってるだけで、前述の三者のなにがいけないってわけでもないけどさ。

聴きたい曲は相変わらず聴けなかったけど、それはハガキを出さなかった私の失態だからどうでもいいとして、一から十まで楽しめた良いイベントでした。次は来年の武道館になるのかな? 誕生日に一夜限りの公演ってことですけど、あんまり会場の規模を大きくされても困るというか、大会場の向きの人じゃないから少し不安。まあ、記念すべき三十路の一日目ということで、想い出としてはこれ以上にないとは思うけど。
武道館といえば来週は堀江由衣の武道館ライブか……まだ先の話とはいえ、どちらが楽しめるかと言われれば、言うまでもないような気がする。期待の欠片もしていない辺り、私も純粋なファンではないですね。
どんなライブになることやら、私に未来視はないから予測もなにも出来ません。
ツバサがそろそろ終わるみたいですね。長かったというか、まだやっていたのかというレベルですけど、ほとんど不定期掲載みたいな漫画だから載っていない週も多かった気がする。毎週掲載ならもう少し早く完結できていたのだろうか。いずれにせよ、お話しがきちんとした終幕を迎えるのは喜ばしいことです。

最近、CSやBSでカードキャプターさくらの再放送がやっていて、地元の商店街にある所謂街の電器屋が偶然にも店先の液晶で流してて、帰宅途中の私は思わず足を止めてしまったりしました。この話は日記で書いたっけ? チャットでは書いた気がしたけど、イマイチ憶えてない。凄いよね、店先でCCさくら流してるんだよ? 見事に足を止めてしまったというか、テレビごとさくらをお持ち返したくなったもん。あれは良い宣伝だ。
私はCCさくらに対する思い入れが強いから、あまりツバサが好きではないんだけど、決して嫌いではない。嫌うだけの理由は特にないし、単にスターシステムが苦手なだけです。まあ、ツバサがスターシステムを採用した漫画なのかどうかというのは意見が分かれるところだけど、あれはクロスオーバーでありスターシステムだと思うんですよ。
同じキャラクターが同一設定ないし、まるで違うキャラとして様々な作品に登場するってのは、それこそ漫画の最初期から行われていた手法であって、殊更珍しいものじゃありません。アニメーションの世界ではディズニーという偉大なる先例がいます。ただ、ディズニーのスターシステムは単純に映画世界での話だし、キャラが極端に崩れるということがないので許容できるんだけど……漫画はねぇ。
この作家の作品にはすべて登場するマスコットキャラ、とかならまだしも、人間キャラクターの場合だと違和感が強くなってしまう。私がツバサを好きになれないのも、設定やシナリオはともかくとして、木之本桜への思い入れが馬鹿みたいに強いからなんですよね。であるからして、xxxxHOLiCのほうが面白いと昔は思ってた。xxxxHOLiCがツバサとリンクしているという点はともかく、四月一日とか特殊すぎる存在だからスターシステムから外れてる感があるし。それに初期は一話完結だったから読みやすかった。

でも、どうなんだろうね、クロスオーバーやスターシステムには色々な使い道、使い分けがあって、CLAMPの作品だけでもちょびっツはエンジェリックレイヤーの未来の世界って設定があるじゃないですか。これはクロスというより同一の世界観ってだけで、CLAMP作品にはこういう裏設定画結構あるんだけど、なにも漫画の世界だけじゃないんだよね。
成田良悟とかラノベ作家の中にも、ほぼすべての作品を同一の世界観で表現している人がいるし、私自身世界観の共有という手法は惹かれるものがあるんだけど……よっぽど構成力がないと難しいよね。一つの、とてつもなく大きな世界を構築して、その中に様々な作品の舞台を作って、ドラマを用意して。やがては舞台にいる役者ごとに絡みがあって、そういうのを書いたり、書ききったりするのは凄いことだと思う。私にはとても真似できない、かな。
私は身内なんかと違って単なる技術屋だから、発想や世界観構築、キャラ設定などではどうしたって敵わない、及ばない部分が多いんだけど、これは明日の日記で触れる予定だけど要するに小難しい話が嫌いなだけなんだと最近は思う。馬鹿だから理解力がないだけだろうと、悲恋堂とかその辺りは笑うけど、そこに関しては特に否定しない。難しい内容なんて、読んでても面白くないもの。二次創作でもそうだけど、基本的に私は判りやすい話し書かない。複雑な話なんてのは、私の趣味じゃないからね。
エンターテイメントにおいて、特にライトノベルよりの作家、西尾維新や奈須きのこなんてのは難解さと複雑さ、設定に匂わせる独特の雰囲気で多くのファンを獲得して、まあ、典型的な雰囲気作家なわけだけど、ああいうのもある種の才能なわけで。別に天才ではないけど、一分野における完成系ではあるよね。清涼院流水には敵わないにしても。

一次創作について頭を悩ませていると、上記のような悩みが色々浮かんできて、複雑に絡み合っては自己主張を開始する。私は技術だけでカバーできないもの、自分自身の才能を伸ばすことでなんとか出来ないかと思っているんだけど、才能って伸びないね。本当に。才覚ならまだしも、才能は開花しても限界があるし、そもそも私には開花するだけの才能が備わってない。それが私と身内の最大の差で、私が奴に勝てない所以だ。
昔、とある作家がことあるごとに私とかに言ってたんだけど、「運は大事だ、何故なら作家になりたい奴、作家になった奴、作家として食っている奴は、みんな努力している。努力によって差は生まれない。結局最後は運というのも、あながち間違ってない」とか、「頑張ることはサルにだって出来るし、誰だってやってる。問題はその事実を受け止めた上で、挫けずに持続させることが出来るかだ」なんて、まあ、あの人は口から先に生まれてるから半分以上適当なこと言ってるんだけど、文筆に関してだけは売れた作家として良いこというのよ。

結局、努力は誰だってしてるし、最終的に勝敗を左右するのは元々の実力、才能、そして運なわけだけど……一つ言えるのは、それでも勝者たちは努力してることなんですよ。誰だってしている、つまり、少なくとも努力はしないといけないんですよ。
自分自身になにが出来るのか、努力は当然としても、どこまで、どれだけのことが出来るのか、そろそろ自分の限界を突破してみようかと思います。
ミルクスタンドってあるじゃないですか。秋葉原駅の総武線ホームとかにある。私ってああいうスタンドが結構好きで、昔はよく利用していました。軽食スタンドに哀愁を感じるような歳でもないけど、愛着があるんですよ。最近は総武線自体を利用しなくなったので、秋葉原に行く気かは会ってもご無沙汰という感じなのですが、最近になって横浜で似たような店を発見しましてなんとなく懐かしい気持ちに。

まあ、最近になってとか書きましたけど、ダイヤモンド地下街のミルクスタンドは前々から知っていたし、有隣堂とかPXストアに行く際は目の前を通るんですけどね。単に利用したことがなかったというだけで、一度あそこで瓶牛乳かソフトクリームを食べてみたい。昨日も有隣堂へ用事もないのに立ち寄った際、店先でソフトクリーム食べてる人がいましてね。アイスクリームはそれなりに食べるけど、ソフトクリームは最後に食べたのいつだっけというレベル。牛乳大好きなんだけど、胃腸が弱いからすぐに腹を下してしまう。好きなものを楽しめないというのもなかなかに不便です。ちょっとやそっとの腹痛なら我慢できるとはいえ。少し値段は高かったけど、一度ぐらい食べてみようかな。私もまだ若い方だから、ソフトクリーム頼んだっておかしくはないだろう。店員のお嬢さんがどう思うかはともかくとして。
いつだったか、悲恋堂の店主が私の食べ物の趣味に関して苦言を呈したことがあって、世捨て人からすれば偏食家の私が食べ物、飲み物にあれこれいうのは宜しくないらしい。偏食だからこそ好みや趣味が現れるのではないか、という反論に「あなたは偏食家のくせして食事や料理に洒落っ気を出そうとしているんです。要は気取り屋です」と、かなり的確な指摘をしてきた。
私が書く文章というか作品には、確かに食べ物や飲み物が結構登場する。二次創作がどうであるかはあまり意識してないけど、傾向としてはあるよね。特に今書いているヨスガノソラSSとか、私の好みや趣味、料理やホテルに対するこだわりが前面に出てるし。そういうのを世捨て人は「気取り屋のカッコつけ」と言い切ったわけだけど、反論できないのが辛いところ。自分が洒落者じゃないことなんて、自分が一番良く分かっているからね。私は羊肉も鴨肉も片手で数えられるほどしか食べたことはないし、鹿肉なんて一度もない。美味しいのかどうかすら、良く分かってない。
「あなたは雰囲気だけで料理を選んでる。実際に食べられるかどうかも分からないくせに」と言いながら、世捨て人が私を睨む。まあ、睨んできたところで身内よりも童顔だから怖くもなんともないんだけど。

実際に体験したことのないことを書くっていうのは、それ即ち想像や推測、嘘になるわけで、百聞は一見にしかずという言葉があるように、自分の目や鼻、口ほどに信頼できるものというのもないんですよ。そう考えると世捨て人が私にした指摘はかなり正しくて、ある意味で私の危うさのようなものを見抜いている。あなたの文章はハッタリに過ぎない……まったく容赦ないなと思う。まあ、それでこそあの人なんだけど。
ハッタリが通用するのはライトノベルぐらいですからね。雰囲気だけで引き込めるのは中高生までが限界なわけで。いささか以上に面倒な話ですけど、時間的都合や金銭的余裕を作って、自分の足で歩いたり、自分の舌で味を確かめたり、そういうことをする必要というのは確かにあるんですよ。大英博物館のサンドイッチがクソ不味いと言われても、サンドイッチが不味いなんて一般的に想像出来ないじゃないですか? それは実際に食した人にし変わらないことなんですよ。
やっぱり、取材費として毎月いくらかは用意しておかないとダメなのかなー。世捨て人のいう私の好みや趣味ってのは馬鹿みたいな値段だから、早々に手が出ないんだけどさ。誰か、私にフレンチおごってくれないだろうか。半分以上残すことを前提で。

私って基本的にケチなんですよ。日記に書いたかは忘れましたけど、飲食に金を使うことが一番嫌いで。だから外食なんて滅多にしないんですけど、そのくせ外食や食事のシーンに拘りを持っているから、悲恋堂店主の世捨て人からは「矛盾じゃないですか」と突っ込まれるんですね。けれど、私としては矛盾ではなく、ある種の憧れなんじゃないかと思う。どうしたって自分には無理だから書いてしまうというか、まあ、そういうのが一番ボロ出やすいんだけどさ。複雑なんじゃなくて、単に馬鹿なだけですね。世捨て人に指摘されるまでもないことだけど、仕方ないからたい焼きでも買って機嫌を取るか。くりこ庵も随分高くなってしまったけど、列ができるぐらいには人気だし。
最近は発売日の前日、前々日にはもう電撃文庫の新刊を買える店が多くなってきましたね。19巻目ですか、電撃文庫のシリーズとしては長い方ですけど、これも惰性で買い続けている作品の一つかな。初期というか、10巻ぐらいまでは面白かったと思うんだけど、後はもうなんていうか……まあ、好みは人それぞれということで。

メロンブックス横浜店で買ったんですけど、この頃はあそこに行くのが凄い辛くって。というのも、いつかの日記で店先にハルカナソラ夏ノ雨の巨大POPが置いてあるのを書いたと思うんですが……行くたびに凄い欲しくなるのよ。もう、自分でも限界だなって分かるぐらいにあれが欲しい。けど、ギリギリの理性が働いて踏みとどまっているというか、なにも奪い去りたいとかそういう気持ちを抑えているわけじゃなくて、ハッキリ言ってあれを手に入れるために交渉して、上手くいくならまだしも失敗したら気まずいだけじゃないですか。断られればすっぱり諦めるだろうけど、それでもやっぱり未練は残るし少しは食い下がるかも知れない。そうやって拗れれば私は単なる迷惑な客でしかないわけで、そんな自分になり下がるのが嫌なのよ。みっともないとか情けないとか、かっこ悪いとか恥ずかしいとか、そういうことじゃなくて、自分の中にある一種のルール―、思考的決定に反するのではないかと。具体的にどんなものか説明するのは難しいけど、今の私と昔の私じゃ根本的な考え方が違うから、それを為すことへの抵抗感のようなものがいつの間にか生まれてしまった。
大人と子供の違い、昔は若ければなんでもできると思っていたからな。今だって十分若いけど、大人になるということは理性や常識の芽生えですからね。現在の私にとっては足枷のようなものですが、無視して取りはらうほどの勇気はない。精神的な箍が外れきってないから、これ以上踏み出すことを身体ではなく心が拒んでいる。なんとかしない方がいいんだろうけど、なんとかするべきなのだろうか。
凄い複雑で長ったらしいこと書いてるけど、原因が穹の限りなく等身大に近いであろう特大POPを手に入れるにはどうすればいいのだろうかだから、私も相当アレな男ですね。元からか? 元からだよなぁ……うん。

灼眼のシャナに関しては、前述のとおり10巻以降はどうにも面白くない。戦闘がメインとなったのが原因なんだろうけど、高橋弥七郎ってのは元々戦闘描写に定評がない作家だから、基本的に戦闘はつまらないんだよね。この人の持ち味は言ってしまえばセリフ回しとか、キャラの掛け合いで、A/Bエクストリームシリーズに見られるアンディとボギーのようなやり取りは凄く良く出来てると思います。灼眼のシャナにおいてはそれがフレイムヘイズと契約している紅世の王に変わるわけですけど、イマイチ薄っぺらいというか、キャラに関する奇妙な説得力が欠けてしまっている。特に主役であるシャナがまだ子供、小娘というのが高橋弥七郎の持つ独特な文体とセリフ回し、ハッタリの利いた勢いを殺してしまっているといいますか。そう考えるとカムシンは素敵というか、キアラとサーレのカップルは最高だ。今回の話は見るべきところも少なかったけど、キアラとサーレが参戦したのは待ってましたと言わんばかり。
全体的な話をすればやはり面白くないというか、前の巻と同じく薄っぺらい内容なんだけど、あれですかね、シャナが悠二に告白するシーンは泣き所、萌え所なんですかね? 正直、失笑しか出てこなかったというか、感動の欠片もなかったのは何故なんだろう。あぁ、そもそも悠二が嫌いだからか。シャナもそんなに好きじゃないし。
キャラが乱立し過ぎたってのもあるんだけど、全然視覚的じゃないんだよね、文章が。ライトノベルに関しては、如何に視覚的イメージを文章で表現するか、作り出せるかだと思ってて、この映像技術が発達した現代社会では重要なことなんですよ。特にシャナのように一度ならずアニメ化してしまった作品の場合は、それが顕著に求められる。作者の力量があれば問題ないけど、足りないときは悲惨なことになります。

シャナもあと何巻続くのか、既に全盛期の勢いはないですし、今更のように再アニメ化しても売れないと思うんですけどねぇ。ハルヒを御覧なさい、酷いものでしょう。いとうのいぢのブランド的価値が下がってきているのか、私は元々好きな絵でもないから良く分からないんだけど、シャナというハードな作風、特に今みたいに戦争でドンパチやってる展開だと、のいぢじゃキツイものがあるよね。まあ、こうなってしまった以上は変えようがないし、どうせ後数冊もすれば終わるんだろうから良いけどさ。
個人的にはA/Bエクストリームシリーズを復活させてもらいたいですね。SF好きとしては。
ここ数日、HPのサーバーが著しく不安定で、ろくにチャットもできない状態が多発しているんですが、鯖管理者が頑張ってくれたおかげで週末には回復できそうです。これの影響か、HPと日記のアクセス数も極端に減ってますね。単に更新サボってるからだって? まあ、それが最大の理由なんだろうけど、あのHPってイマイチ更新できるものが少ないんだよ。基本的にヨスガノソラSS以外は外部で書いたものの修正再録だから。

まあ、同人関連の整理とかすることは多々あるので時間があるときにでもやっていこうと思うんですが、変にコンテンツを増やしたりするのもどうかなーとは思ってる。書きたい作品、ジャンル、ネタ、そういうのは色々あるんだけど、今の段階でそれをやってしまうと収拾がつかなくなるというか、バランスが取れなくなる。複数のことを同時にやれるほど、私は器用じゃないんですよ。とはいっても、ネタを腐らせるとまずいからプロットとして保存はしておこうかな……最近の私の傾向からして、なにが書きたいのかは大方想像がつくとは思うんですけど、私としては書くより読むがいいといいますか、ここ数日はグーグル先生とYahooを駆使してひたすら自らの欲求を満たしているという。これがせめて3年前だったら今よりも充実していたのかと思うと、なんだか悔しいですね。
私はいつも遅いというか、すべてが終わった後にそれを追い求め始めるから、ハッキリ言って時代に乗り遅れてるんだよね。10年間も、私は無為に時を過ごしてきたしまったのではないかとすら思うよ。まあ、私はタイムマシンを持ってないし、貸してといって貸してくれる代物でもないから諦めるしかないんだけど。そもそも私はタイムトラベルが嫌いだった。話はずれるけど、過去に行くにも未来に行くにも、私は上手くやっていけそうもない。よく、今の記憶を持ったまま過去へとか言っている人がいるけど、大人としての感性を持ったまま子供時代に戻り、それをやり直すなんて私には耐えられないよ。小学生のころに戻りたいと思う気持ちがあったとしても、実際に戻っても私の心はもう小学生じゃないし、そうやって生きていくことは不可能だ。
逆に未来を見つめたとして、私は明るい未来なんてものに余り希望は抱いていないから、漠然とした不安を常に抱えている。結局は今をどう生きるかであって、変えられない過去、戻れない昔なんか振り返らずに、これからある未来を作るために、今日を確実に生きていくべきなんじゃないかと思う。明日は欲しい、けれどその明日を手に入れるには今日を生き抜くしかない。今は昨日でもなければ、明日でもないんだから。

同人活動で思い出したけど、身内と距離を置くことにしたから冬コミは技術的、作業的支援は一切望めないんですよね。私は都合のいい男で、しかもケチな野郎だから、使えるものはなんでも使います。身内も、あれでいて技術力だけは持ってるからかなり有能なんですけど、あの人がいないと赤入れが物凄いことになりそうだな……ハッキリ言って、赤入れは個人作業では絶対に出来ないから誰かしらのヘルプを必要とする。今までは暇人の身内に丸投げしてたわけだけど、これからはそうもいかなくなってくる。早急に校正のシステムと人員を確保しなくては……人員というよりは人材か。校正は向き、不向きがハッキリと現れる作業だし、私はどちらかといえば苦手。とはいっても、私が身内に頭を下げて助力や協力を乞う理由はないので、心当たりに頼んでみるしかないか。ただ、正直な話、私の友人、知人は基本的に忙しい人間が多いから、誰一人として余裕がない気がする。元々数も少ないし。あんまり面倒や迷惑をかけるのも悪いしさ。これが身内なら、なにせ身内だから遠慮などしないんだけ……嘘だな、私は結構というか今までずっと遠慮してきた。思いやりが足りないとか言われるけど、もう十分思いやったよ。
赤入れはどうにかなるにしても、最大の問題は冬に出すヨスガ本の表紙制作か。あれも夏コミのときは身内に金払って制作依頼したからなぁ。意外と利用価値がある人なんだけど、その才能や技術を外に使わないのがダメというか。まあ、都合のいい関係というのはいつまでも続けていてはいけないから、ここらで方向転換しないとね。お互いのために良くない。あれが私に見放されたからといって堪えるとは思えないんだけど、それで変わらないなら後は見捨てるだけだし。

いつも利用している印刷所が料金とか割引関係を改定して、入稿方法を新システムに移行するという情報を目にしました。場合によっては以前よりも使いづらくなるかも知れない。今のところ対応が良い会社だから変える気はないけど、大事なのは時間とお金と利便性です。けど、もっと大切なのは同人印刷への理解と愛があるかどうか。人によっては後者のほうを重要視するかな。私は半々といった感じですけど。
来週ぐらいには冬コミの準備を始めないと、ちょっと間に合わないかもしれないな。
ロックマンゼロ2-逆襲の救世主-を久方ぶりに更新しました。2ヵ月、いや、3ヵ月ぶりになるのかな? よく憶えてないけど、思い出せないぐらいの期間が過ぎたということです。まあ、色々あったわけだけど、それをここで振り返るのもなんだかね。いつかも書いた気がするけど、私は基本的に後ろを振り返らずに生きていこうと思っているので。連載を再開させたからには完結という目標を目指して、ひたすら前だけを見て進みます。

唐突に再開した感じがするけど、実は予定の上でも結構早めました。仕事は忙しいし、他に書かないといけない原稿もあるし、とにかくまあ今月の中頃か末日ぐらいまでは先延ばしにするはずだったんだけど、日曜の午前中にふと思い立って執筆を開始、完成したのは24時45分ぐらいだったかな? 休み休みの作業だったから、少し時間が掛かった気がする。予定を早めた理由は単なる気まぐれというわけじゃなくて、いくつか理由があって、第一には自分の二次創作における筆力が落ちてきたと肌で実感したこと。ヨスガノソラSSは快調に書いてるんだけど、それ以外の筆のノリが悪いというか、文章の質が宜しくなかったんですよ。あぁ、これはやばいなと思って、このままでは二次創作が書けなくなるかも知れないと危機感を抱き。一次創作と二次創作では使う筋肉が違うというか、凝る肩が違いますからね。どんなに一次創作を飛ばしていても、二次創作はさっぱりというのでは困ります。いや、本当は困らないんだけど冬コミその他を控えている身としては困るんです。
だから、二次創作における勘みたいのを取り戻すために、ロクゼロクロスを再開させた方が良いんじゃないかと、これが主な理由の一つ。結果として、まあ、読んで分かるとおり大分筆力が落ちてます。自分でも愕然とするほど文章が汚いし下手くそになってる。これを元に戻すのは難しそうだ……やるしかないけどさ。

次の理由も結構深刻なんですけど、この前ヨスガノソラのコミカライズ目当てにコンプエースを買ったじゃないですか。そのときの日記にリリカルなのはの漫画が連載していることは書いたと思うんですけど、先日ついに読んでみたんですよ、魔法少女リリカルなのはViVidを。そしたらまあ、これがなかなか面白くって。元々、藤真の絵柄が嫌いじゃないってのもあるんだろうけど、結構引き込まれましたね。戦闘メインの話だから、特にストーリーとか気にせず読めたのも大きかった。
それで思ったのが、この作品は確実に新しいリリカルなのはであるってことなんですよ。緋賀ゆかりが描いているほうはまだ読んだことないですけど、新作であり新シリーズ、しかもパラレルでない続編ってのは二次創作作家にとっては結構驚異でしてね。例えば、私が書いているロックマンゼロとリリカルなのはのクロスオーバーSSは、リリカルなのはStrikerSが元ネタとなっているわけだけど、ViVidやForceが登場してきた時点で、StSは既に過去の作品になりつつあるんですよ。両作品ともStSの未来であり続編であり、映像媒体ではないけど完全な新作じゃないですか。
つまり、元ネタとしてのStSはもはや最新ではないわけで、単発もののドラマCDが出たときとはわけが違うんですよ。こうなってくると世間の流れも新作へと移行していくわけだから、StSで物を書き続けることに限界が近づいてくるわけで。作品としての賞味期限ってわけです。投稿サイトなんかみてもそうだけど、StSを元ネタにしている作品の方が旧2作より圧倒的に多いでしょ? つまり、確実にファンが移行しているわけで、その内StSでも同じ現象が起こると思うんですよ。ViVidとかが映像化するかはともかくとしてね。映画は所詮無印のリメイクだし、それによって二次創作が盛り上がるとは思えないけど、ViVidとForceならそれが出来るんじゃないかなって。だから、StSが元ネタとしてある程度の鮮度を保っている内に、書きたいものは書いておいた方が良いかなと。新作で付け足される後付設定とか、色々と面倒じゃないですか。
以上が執筆を再開させた主な理由二つめ。ここまではまあ、普通の理由ですね。

後は……酷く個人的な理由だけど、これ以上差を付けられたくなかったんですよ。誰にとかそういうのは一切書きませんけど、このまま放置しておくと差を詰めるのが不可能とは言わないまでも、限りなく難しくなりそうだったので。私の三倍以上放置しているくせに、差はどんどん開いていくという。あれは不思議というか、読んだこと無い作品だから判らないけど、そんなに面白いんですかね。普通に考えて放置というより作品放棄だと思うんだけど。
随分、嫉妬心めいたことを書いてるけど、人ってのは常に誰かに嫉妬していた方が良いんですよ。物書きなんてのは特にね、他者の作品に嫉妬して、他人の発想を羨んで、そうした気持ちを抱えている方が良い文章を書けると、敬愛する作家の一人が言ってました。それがすべて正しいとは思わないけど、確かに物を書くに当たっての一側面は付いているなと思う。私が物を書き始めたのも、身内の影響が大きいわけだし。

今週中にはもう一本ぐらい更新できそうです。それと並行して書いているヨスガノソラSSがあるんだけど、かつてないほど長くなりそうなので、いっそのこと冬コミのネタに回そうかなとも思ってる。HPに載せるには、少しページ数がありすぎると思うので。そこら辺はよく考えてみます。
さて、それじゃあ執筆に戻るとしますか。先は長いが、走っていこう。
デジモンでポケモンやっちゃいけないだろう……と、デジモンハリケーン上陸!!/超絶進化!! 黄金のデジメンタルを見ながら思う。まあ、映画としては本当に迷作で、主題歌である「スタンド・バイ・ミー ~ひと夏の冒険~」からも分かる通り、アメリカのロードムービーを意識した作りになってます。ロードムービーってのは有名どころを上げると「パリ、テキサス」とか、そういう作品のことを言うわけだけど、いくらアメリカを舞台にしているからってデジモンでこれをやっちゃいけないよね。

これが例えば、ポケモンならどうか? 戻れない過去がテーマになっている本作を観て、私がまず思ったのはこれをやるべきはデジモンではなくポケモンだ、ということ。昨今のポケモン映画は娯楽映画としての意識を強めているのか、あまり内容面を追及している作品は少ないとされているが、このテーマとネタを表現するにあたってはポケモンが一番いいんじゃないかと思う。なにせ主人公にしてから旅人だしね。逆に大迫力のバトルシーンとかは、もちろんポケモンでも可能だけど、それはデジモンのほうが強みがあるというか、例えばポケモンの映画に伝説なり最強なりのポケモンが出てきたとして、それに相対するは所詮ピカチュウとか一般的なポケモンで、最近の対決図式からも分かるように相手にならないじゃないですか。伝説には伝説で、最強には最強で、一般のポケモンバトルにすら敗北することがあるピカチュウが戦う隙間なんて存在しないわけで、そこが弱みというかなんというか。デジモンはなにせ、主人公のパートナーであるデジモンが、完全体、究極体と次々に強くなっていき、どんな強い敵ともガチのバトルを繰り広げるわけですから、映画でぽっと出てきた伝説ポケモンたちが戦ってます、ふーん、よりも思い入れがしやすいと思うんですよ。ポケモンの映画における欠点というのはまさにそこで、主人公とその仲間が戦うという意味ではいつも迫力に欠けるんですよ。一作目と三作目は良い線いってましたけど、あれっきりですね。あくまで個人的な意見だけど、あれ以降はバトル展開で燃え上がる作品は出ていないと思う。

逆に言うと、デジモンの映画の欠点というのはストーリー性が求められていない点にあって、これはウォーゲームと続編のディアボロモンの逆襲に比べて、デジモンハリケーン上陸!!/超絶進化!! 黄金のデジメンタルの評価が低いことからもうかがえる。デジモンユーザーが高いストーリー性や濃密で深みのあるシナリオを求めていないと断定することは出来ないが、長編アニメを作るにあたってデジモンほど不向きなものもないだろう。圧倒的なバトルシーンが売りデジモン映画だが、まさか60分、90分戦い続けるわけにもいかないし、そもそも世界観が狭い。日本とデジタルワールドが中心のテレビシリーズの世界観では話を広げるにも不向きだし、出来て無印の東京編のような話だったはずだ。それを解消させるためにアメリカへと舞台を移したのだろうけど、そうすることで今度は逆に作品の雰囲気が大きく変わってしまい、観る者への違和感を生み出してしまった。ディアボロモンの逆襲が制作された経緯は知らないが、デジモンの映画というのは40分、それこそ30分でも表現出来てしまうのだ。徹底的にバトル色を強めた娯楽作品ならば。
一つの場所に固定されない作風という意味では、常に旅人であり続けるポケモンのほうが分かりやすい。歌にもあったと思うが、彼にとって旅とは過ぎ去った過去であり、そこにはいくつもの出会いと別れがあるのだ。そうしたある種の時の流れを表現することが、デジモンでは難しかった。特に02では。映画オリジナルキャラの過去を主軸に置いていたけど、それでは観る人がすぐに感情移入が出来ないし、その経験がないはずの既存キャラクターがなにを言っても不自然さが出てしまう。

作品が持つ独自の色合い、作風、世界観、それらを使って出来ることというのは意外に限られていて、その作品にあった物語作りというのが確かにあるんだと思います。ビューティフルドリーマーは例外にしても、それを見極めた上での作品作りを心掛けたいですね。これは一次創作も二次創作も同じことです。二次創作のほうが顕著なのかな。その題材、元ネタでなにをするか、なにを作れるのかというのをよく考えなくてはいけないのだから。
日記のネタがないからって随分と偉そうなこと書いてますね、私。
ちなみに個人的にも評価が低い上記の映画ですけど、主題歌だけは別格です。歌だけ映画とは言わないけど、この歌があるからロードムービー的な映画をうまくまとめることが出来ているんだと思う。まあ、02自身、作品が楽曲に勝っていないといわれることがあるけど、それが明確に表れている気がする。

それにしても、これはポケモンに限らずコナンとか長く続いているアニメ映画シリーズに言えることだけど、壮大さを追求するあまり荒唐無稽になりつつあるというか、薄っぺらい、深みのない作品ばかりが出来てしまっている気がする。ミュウツーの逆襲や、結晶塔の帝王みたいな作品はもう望めないのだろうか……いや、子供向けということを考えれば、あれでいいのかもしれないけど。大人の視線で見ているからつまらないと思う、実はそうなんだろうか。
私は予定がなくても休日はしっかり消化する男なんだけど、今日はすることもなかったのでなにを思ったか一日中ゲームしていました。珍しい、私としては考えられない休日の過ごし方だけど、たまにはエロゲ以外もいいよね。エロゲも、最近は学園モノばっかりだから話の内容はともかく、システムやゲームの進め方はほとんど大差なくて……映画だって恋愛映画ばっか観てたら食傷気味になるでしょ? それと同じで、たまにはアクションとかパワフルなものも観たいんですよ。

レッスルエンジェルスサバイバー2は去年発売したゲームで、川崎のマグマニで買ったんだったかな? 往年の女子プロゲームの新シリーズで、若手人気声優を起用しまくっている声優ファンにも嬉しい作品です。私が購入を決めたのは前作をプレイしていたからで、偶然にも雑誌の懸賞で当たったんですよ。これといって欲しいものがないときはいつも適当にはがきなんて書くから、応募したこと自体忘れてたんですけど、やってみるとこれがなかなか面白い。知人にプロレス好きの人がいて、ゲームを購入している人がいたから取っ掛かり安かったというのもあるけど、声優はほとんど知ってるし、そもそもプロレスが嫌いではなかったから、かなりやりこみましたね。こういうキャラが確立された育成型ゲームというのは色々想像を掻き立ててくれるというか、創作における刺激を与えてくれるんですよ。
団体を運営して、選手を集め、育て、それ自体は流れ作業のようなものなんだけど、実際はそこにいくつもの出来事があり、試合一つとっても様々なドラマが生まれているわけで……そう考えると二次創作の題材としてはこれほど面白そうなものもない。どのキャラも主役になれるとは言わないけど、どのキャラにもドラマがあるし、作ることは出来るんですよ。ゲームを進行していく中で、選手の間に生じる遺恨。どうしてそんなものが生じたのか? どんな試合だったのか? 反則か、そうではないにしろ納得のいかない結果だったのか。年末に発表されるプロレス大賞だって、何故その試合がベストバウトに選ばれたのか? なにが観客をひきつけ、熱狂させたのか。そういうのを考えだすと止まらないよね。

まあ、だからといって私が二次創作書くかと言われたら多分書かない。とういうのも、プロレス嫌いじゃないけど詳しくもないから、その辺りで必ずボロが出ると思うんですよ。詳しい人間に監修でもしてもらわないと、とても試合のシーンや運営についてなんて書けないと思う。サバイバーもノベライズが出たそうだけど、あまり好評とは言い難いらしいし。
でも、キャラの魅力という意味ではどのキャラも可愛いんだけどね。もしくは美人。私は新世代から入ったのでコーヒーブレイクトリオこと、相羽、杉浦、ノエルが好きなわけだけど、彼女たちにしたところで主役級の存在感は持っているわけで、そこから物語を創作し、書くことは出来ると思うんだけど……自信ないなぁ。コーヒーブレイクトリオはまだしも、旧世代のキャラにはしっかりとした設定があるわけで、そこら辺との整合性が必要になるし。一番手っ取り早いのは次回作にストーリーモードがあることなんですけどね。旧世代と新世代に分けて、キャラクター選択式のシナリオ方式を採用するとか。恋愛ゲーム要素は半減してしまうけど、ハニカミのオンリーワンモードみたいなもんだと思えばいいし。今のコンセプトで続けるのもありだけど、シリーズ三作目ともなれば新要素が必要だろうし。後、次回作では是非、我らがアイドル藤島瞳さんを最強キャラに出来るよう、システム上の細工を……無理か、無理なのか。あれでも旧作の設定では菊地と互角に戦えたほどなのに。まあ、私の団体ではもっぱらタレント要員だけど、写真集、映画、CD、アイドルとしての活動を満喫してもらってます。アイドル性が高いから、なにやっても大抵成功するし。

ひたすらゲームするだけで終わった土曜日だけど、本当になにもしなかった。実はこの日記を書くにあたって、これといって書くことがなかったんだよね。それほどまでに面白みのない休日を送っていたということで、じゃあ、なにか別のネタを絞り出そうかと思っても、しっくりくるのが見当たらず。不思議なほどネタがない土日というか休日だった。明日とかほんと、なにを書けばいいんだろう。いや、明日は明日で色々してたんだけどね。ただ、作業していただけに過ぎないから日記に書くネタとしては……どちらかと言えば月曜に書くような話だし。順調に書いてきたと思われる日記も、そろそろネタ切れなのかな。まあ、時事的な話題とかならいくらでもあるんだけどさ、某声優の一件とか。ゴシップではあるけど、前々から騒がれていたし、なにかしら進展や結末のようなものはあるのかしら。先の話になるけど、もう一つの有名な事件は決着がついたようだしね。
別に日記なんだから方向性とかそういうのは必要ないはずなんだけど、気づけば書くことに対して気を使っている自分がいる。まったく、誰に気を使っているのだろうか。
メダロットの新作が8年ぶりぐらいに出るらしいですね。コミックボンボンが廃刊、休刊だっけ? してから結構な月日がたち、かつてのメインが再始動をはじめたようです。イマジニアはもうないから、子会社のロケットカンパニーが作るらしい。
完全新作であって、リメイクとか続編ではないらしいけど……世界観は繋がってるのかな。

ボンボン読者だった私は、当然のごとくメダロットには強い思い入れがあります。連載開始前、ほるまりんが原稿の持ち込みに行った際の話も良く覚えていますし、連載1話からすべての話を読んでいた。ゲームも当然買ったし、ポケモンと違ったシナリオ重視のストーリー性の高さ、さらに何気に存在する恋愛ゲーム的要素に強い影響を受けましたね。私は元来SF好きなので、単純なミリタリーよりはロボットとかのほうが好きなんですよ。
まあ、私は今も昔もゲームが下手だったので、メダロット1のときはまさかの振られるENDだったんですけどね。失恋とはまた違う気がするし、あれは振られたんだ。フラグとか、立っていたのかも分からないけど、とにかくバキバキ。でも、良いんだ。私はキララよりナエが好きだから。あの漫画版に出てきたときの、白衣のブカブカっぷりがたまらない。メダロット魂? そんなのは知らん。
だから、私としてはイッキよりヒカルだし、アリカよりキララ、ナエに思い入れが……カリンはなぁ、ゲーム版とアニメ版でキャラが違い過ぎるし、漫画版は空気だし。アニメ版に関しては声の都合上、大好きなんだけどさ。基本的にアニメ版はイッキが少し不遇だった気がする。だってカリンはなんだかんだでコウジのほうに行ったし、アリカなんて世界大会の準決勝に出てきたベルモットに惚れちゃうし。そう考えると、最終回になって再登場したタコ焼き屋の娘のナダコは良いキャラだったかも。
ただ、基本的には漫画版が好きだわ。ボンボンがコロコロとかいう玩具のカタログと違う存在でいられるのは、ああいう重厚感と深みのある漫画が存在してこそだと思う。サイボーグクロちゃんもそうだったけど、あの頃のボンボンは哲学的というか、SFだった。イサナガミのばあさんとメタビーの会話、そのあと月のマザーと戦って殺されるところ、そして最後に月のマザーがヒカルとメタビーに問いかけるシーンは最高過ぎる。

そのメダロットの完全新作ということで、私は普通に買おうかと思っているんですが、漫画のほうはどうなんでしょうね。ボンボンはもうないから、漫画の復活はしないんでしょうか。ポケモンのようにその気になれば延々と続けることが出来るアニメがある一方で、メダロットのように明確なストーリーを定めたがために区切りをつけなくてはいけない作品もある。ポケモンを否定するつもりはありませんが、その点は薄っぺらいよね。定番化された形、いわゆるパターンを持っている作品というのは長期的に考えれば強いんだけど、持続させることの難しさ、大変さがあるから中だるみも起きやすい。ポケモンファンがどれだけいるか知らないけど、ポケモンとドラえもん、それにアンパンマンを毎週欠かさず見ている人ってのはそれほどいないんじゃないかな。さらにいうと、これらの作品って一週や二週見なかったころで、別に差し障りはないじゃないですか? これをもっとオタク向けの作品で表現すると、絶望先生も同じようなもんで、あれもドラえもんみたいなパターンが確立されてて、のび太がドラえもんに泣きつくのと、絶望先生が「それは、○○ですね」とか言って現れるまでの流れは、本質的には同一のものなんですよ。
こういった確立されたパターンがない、つまり、話全体を通してのストーリーがあるからこそ、メダロットは長続きさせることが出来なかった。話としては面白いし、傑作ともいえるんだけど、それは完結した一つの作品だからであって、永続的にシリーズを存続させるだけの力はなかった。どちらの手法が良いかなんて、それは芸術とエンターテイメント、どちらに価値があるのかと言っているようなものだけど、私はどちらも価値があるし、創作という分野においては必要なんだと思う。

ネットに上がっている画像を見る限り、新作の主人公となる少年は帽子をかぶっているようです。帽子……なんだかポケモンみたいな感じがして微妙ですけど、野球小僧かなんかでしょうか。帽子=野球という貧弱な発想なわけだけど、メダロットシリーズの主人公は極端な奴が多いから、メダロットにまったく興味がないか、それとも凄い興味を持っているかなんですよ。それはポケモンと違って、メダロットが金を出して買う玩具の域を出ていないっていう証拠でもあるんだけど、果たして新作はどこまで踏み込んだ話を書いてくれるのか。そして、ナエより可愛いヒロインは出てくるのか。少なくともほるまりんの絵柄は大して変わってなかったようで安心しました。同人誌即売会ではいつもニアミスしてます。そういや、藤岡建機はもうメダロットには関わらないのだろうか。鉄乃巨刃とか、あの辺りの人もメダロット大好きだからなぁ。ポケモンと違ってクリエイターとか、玄人にもファンが多いから、反応が気になりますね。
テアトルダイヤにて空の境界最終章と、センコロールを見てきました。平日の夜に映画を2本も見るなんて珍しいことをしてみたけど、時間が上手く取れたので。東京方面から池袋まで行くのは面倒だったけど、テアトルダイヤでしかやってないんだから仕方ない。
サービスデーだから2本観ても2000円だったわけだけど、正直どちらも値段以上の価値はなかったかな、という印象。

テアトルダイヤは、丁度一年ほど前のマシュランボーイベントで行って以来、リニューアル後は初めての来場となるんですけど、なんというか狭くなったね。ロビーはともかくとして、スクリーンを2つにしたもんだから、1スクリーンごとの場内が凄い手狭に感じた。もう、イベントみたいなことは出来ないんだろうなと思うし、まだ慣れてないのもあるんだろうけど、なんかしっくり来なかった。
チケット引き換えてから上映までしばらく間があったので、新宿書店のほうに足を運んでみました。昔は、旧ゲーマーズ池袋店と同じビルにあった書店ですが、今もアニブロゲーマーズが入店しているビルの隣にあるので、なんというかその手の店舗は近くにあるのが定めなのかなと。もっとも、移転した新宿書店池袋店舗に関しては、かなり規模が縮小しているというか、想像以上に手狭で横浜のたちばな書店よりも狭かった。目当ての本は当然なかったし、というかアンソロジーコーナーが凄く小さい。気づかないほど小さい。やはり新宿店に行く方がいいのか、それとも素直に秋葉原で探すべきなのか、趣味ではないがネットで注文した方がいいのか……基本的に考え方が古いから、本だろうとなんだろうと店で買うものだと思ってるんですよね。エロゲに関しては、オフィシャル通販特典とかがあるから妥協しているけど、本当は店舗で買うのが大好き。
新宿書店に寄った後は隣のセブンイレブンで飲み物買って、テアトルダイヤに戻る。空の境界もセンコロールも同じ列の似たような席を取ったんだけど、空の境界のほうはど真ん中だったかな。上手い具合に席があったもので。客の入りは、空の境界のほうは半分と少し入っていたぐらいか。まあ、センコロールと違ってテアトル新宿とかでも見られるし、そもそも連日4回も上映しているわけだから段々と観る人が少なくなっているのかも。逆にセンコロールはモーニングショーとレイトショーの2回のみ、関東ではテアトルダイヤだけの上映だから人が集中しやすいんでしょう。平日の朝から映画を観られる環境にある人がどれだけいるのかは知りませんが、レイトショーに集中するのも分かる気がする。昨日がサービスデーってのもあったんだろうけどさ。

空の境界最終章に関しては、まあ、こんなものかという感じ。きのこには昔から薄い縁があるもんで、彼を崇拝している人間を見ると失笑してしまう嫌な奴なんですけど、それはあくまで個人と個人の問題。映画の内容とは関係ない。ただ、その映画にしてみてもなんというか、パッとしないというか、声優の演技は高評価なんだけど、映像的やシナリオ的に考えると……地味だよねぇ。元々、空の境界自体が話としては複雑で、いや、複雑なように見せかけている作品だから映画という媒体で表現するにも難しいんだよね。今のラノベアニメの多くに言えることだけど、文章として完成されている作品を映像に置き換えるのは結構な技術と能力がいるわけで。私は所謂カニバリズムに対する嫌悪感を持っている人間なので、最初からこの話に関しては嫌いであるという認識から観ていたので、上映後もその評価は大して変わらない。気持ち悪いったらありゃしない。ユーフォーテーブルは作画と動画クオリティだけならトップレベルだから、生々しい表現と映像を見せつけてくるわけで。肉が食えなくなるじゃないか。
空の境界最終章は、話自体はまったくもって解り易い。上で複雑だと書いたけど、それは空の境界という全体を考えてのことで、この7章に関してだけ言えば要するに伏線の回収や過去への決着であるからして、出来る限り分かりやすくないと意味がないんですよ。そう考えると映画のラストは肝心な部分、第三の両儀式が登場しなかった点で説明がし切れていない気がするけど、敢えてそれを削除することで小難しい部分を出さずに済んだというか……それでも全体的に地味だわ、やっぱ。音楽と映像、シナリオがかみ合ってない。いや、音楽と映像にシナリオが追い付いていないというべきか。空の境界自体、別に大作でもなければ傑作でも名作でもない作品だから、これは仕方ないのだろうけど。
声優の演技力については文句なかったし、特に保志総一郎は見事としか言いようがなかったけど、よくよく考えれば主演の鈴村健一とは事務所の先輩、後輩の間柄。某作品を踏まえるとなかなかに因縁のある相手ですね。あ、そう考えると坂本真綾もか。
まあ、1章~6章まで観てきた作品だから最後まで観ようと思ったわけだけど、最初から最後まで私にはピンと来ない作品だった。精々、3章が良かったぐらいか。内容的にはともかく、能登麻美子の演技が。そういえば、最終章のスタッフロール見て、たなか久美がレポーター役で出演しているのを見て目を疑ってしまった。移籍して改名してから名前見なかったけど、こんなところで声を聴けるとは。まあ、声で気がつなかったから驚いたんだけどね。いやー、凄いびっくりした。

センコロールに関しては、花澤香菜がヒロインってだけで観るのを決めた作品だから、事前情報は公式サイトぐらいなもので、そもそも来たいとかそういうのをして観に行った作品じゃありません。自主制作アニメーションと言われてもそんなものは数年前に新海誠がやってますし、一人で作ったから凄いというわけでもないでしょう。器用だな、とは思いますけど。
30分の作品ということで足早な内容でしたけど、映像的にはあんまり動かない。とんでもなく動くのかと思ってたのに、これといって動かない。面白くないわけじゃないし、個人で作ったということを考えれば、まあ、こんなものかという感じではあるんだけど、お話としては全然尺が足りてない。なにがしたいのかは分かるんだけど、なにがしたかったのかを伝えてるだけというか、一つの大きな話、例えば1クールないし、2クールのアニメの1話を切り取っただけというか、そんな印象を受ける。30分のアニメ映画ってのはそう珍しいものじゃないけど、深みが足りないんだよね。内容的に。続編を匂わせるような構成の仕方も、私としてはあまり好きじゃない。後、下野紘はともかくとして、花澤香菜があんまり合ってないんじゃないかな。結構、アニメ声の人だから、ああいう色合いのアニメのヒロインだと声が浮いている気がする。まあ、この二人も共演が多いから、掛け合いという意味では自然だった気もするけど。
だけどまあ、それでも個人製作ということを考えると、これと言って酷評するようなところもないし、決してつまらないわけじゃなかったから良いのかも。空の境界よりは面白かったと思うし。斬新さは皆無だけど、新鮮味はあった。

でも、正直にいえばシネ・リーブル池袋で星に願いを Fantastic Catでも見た方が良かったような気がしないでもない。あれは5日まででしたか。さすがに観に行く時間はないなぁ。金銭的にも厳しいし。一つ言えるのは、空の境界にしろセンコロールにしろ、DVDを買うようなものではないね。まあ、センコロールは明らかに続編を狙っていそうだし、もう少しだけ見てみたいという気はするんだけど……いやはやなんともはや、どうなることやら。
Honey Comingを買ったんですけど、少し早まったかもしれない。というのも、Sphereがハルカナソラのオフィシャル通販を始めたんですよ。特典は本編の穹CG使い回しでA3タペストリーだったんですけど、穹の特典が付く時点で買わないわけにはいかないじゃないですか? 数が少なかったのか深夜の内に完売してしまいましたけど、今朝方になって一瞬だけ在庫が復活したので買ってしまいました。誰かがキャンセルしたのか、それともシステム上の問題なのか、本当に私が買った分だけしかなかったようなので、今はもう購入できなくなってます。きっと神様がサービスしてくれたに違いない。

ハニカミはまだ封も開けてないし、しばらくは開けることもないと思います。忙しいってのもあるけど、HOOK作品はとりあえず買っておけばいいやってレベルになっているので。なんていうかどの作品も、雰囲気を楽しむものばかりになっているんですよね。作品としての楽しさとか、お話としての面白味とか、そういうのじゃなくて、ブランドが持つ独特の空気や雰囲気だけが魅力になりつつある。これはアニメでいうところの京アニ制作の作品と同じことが言えて、作品そのものではなくてブランドイメージのみが先行している形。そうなってくると作品単体における価値というのは意外に低く、ぶっちゃけどんな作品でもよくなってしまう。もっと極端な例を出すと、CIRCUSなんかは作品単位で固定されてしまっているから、D.C.~ダ・カーポ~であるか、そうではないかですべてが決まってしまう。あそこが曲芸商法なんて揶揄されながらも、ダ・カーポ出し続けてるのは、結局それしか売れないからなんですよ。
HOOKは色々と決まりごとや制約を自らに課して作品作りをしているせいか、結局のところ似たような感じの作品が出来てしまう。テーマや内容は違っても、根本というか骨格が同じだから。オレポケの呪縛なんて向こうはいってますけど、それに拘るばかり新鮮さがなくなりつつあるといいますか。まあ、新しいものは見せていかなくてはいけないと向こうも言ってはいるけど、そうするとブランドが持つ空気や雰囲気が好きな従来のユーザーが離れてしまう。難しいところではあるんですけどね。純愛路線のみを追求し過ぎたせいか脱却が出来なくなっている。TJRとSMEEがあるから、いいのかもしれないけどさ。

そう考えるとSphereも結構危ないというか、ヨスガノソラがあまりにもヒットし過ぎたから新しいものが受け入れられるかどうかという不安みたいのがある。言ってしまえば、橋本タカシ以外の原画家が描いた作品で売れるのかどうか。ファン心理としてはもちろんヨスガは好きだし、もっと穹を見たいという欲があるけれど、ブランド的に考えるとそれはあまりいい形ではないわけで。第二のダ・カーポとはいいませんけど、ヨスガノソラに縛られ続けるのもよろしくはなはずなんだけど……それでもハルカナソラの次を期待してしまう辺り、私も矛盾を抱えているなぁ。
まあ、姉妹ブランドを複数抱えているわけだから、その辺りのことはそれぞれが補いつつ進んでいくってのも手段としてはありだろうし、でも、そうすると今のHOOKと同じ状態になってしまうのか……2作目ですね、作家や漫画化もそうですけど、処女作がヒットしてしまうと真価を問われるのはむしろ2作目からですし。これもヒットすれば安心できますが、ヒットしなければ単なる一発屋で終わります。常に名作や傑作など生み出せるわけもないのですが、市場やユーザーというのは無意識にそれを望んでいる。いや、期待しているのかな。2作目が書けずに消えていった作家というのは何人もいますし、ヒットメーカーはなかなか誕生しないから貴重なんですよ。そう考えるとあかほりさとると神坂一って対照的だよね。

しかし、私はハルカナソラだけで何本買っているんだろうか。ハニカミの購入を早まったと書いたのは、要するに金がないんですよ。先月のコミケで大量に金を使ってしまいましたし、それでなくても私は貧乏人。今月はそれでなくてもライブだイベントだと出かけることを考えると、貯金を切り崩さないとやっていけそうもありません。基本的にケチなくせして、使うときは際限なく使うから金が貯まらないんでしょうね。ハルカナソラの発売日は給料日だけど、それが唯一の救いだろうか。ただでさえシルバーウィークとか言う休みのせいで来月分の給料は減るからなぁ……あー、やだやだ、固定給羨ましい。
このままではそらいろを買うことが出来なくなってしまう。折角のねこねこ復帰作だし買っておきたいんだけど。そういや、先月末に赤き閃光の売り上げが入ったんですけど、まだどこかに5冊残っているらしい。てっきり完売したと思ってたけど、一体どこに5冊も残っているのか。名古屋か大阪だとは思うけど。これが完売してくれると少しは足しになるんだけどなぁ。
記憶の海にたゆたって
メロンブックス横浜店で撮影。ヨスガノソラスレにアップしたのよりちょっと大きいサイズ。珍しくエレベーターで上がったりしたもんだから、入店時はまったく気付かなかった。入口の正面にあったというのに。そんな位置にあるからなかなか撮影も出来ず。
まあ、なんて言いますか、昔の私はカードキャプターさくら関連だったら店と交渉してPOPからなにから可能な限りゲットしていたんですけど、あれは若さ故に出来たことと言いますか……でも、これは欲しい。マジで欲しい。どこに置くんだよとか、同時購入キャンペーンの絵柄じゃないかとか、そういうのすべて関係なしにこれが欲しい。

ただなぁ、自称常連とはいえ一介の客でしかない私に譲ってくれるかどうか。そもそも、メロンブックスに限らず量販店は譲ってくれない気もするし……今は時代が違う。まあ、可能なようならアタックかけることにしますけど、正直こういうものまで作ってくるとは思わなかった。階下のゲマ屋でもハルカナソラ&夏ノ雨コーナーが出来ていたけど、そこまで期待度があるエロゲなのか、それとも営業サイドの努力が実を結んでいるのか、私としては目の保養になるので結構嬉しいです。
私もいくつかこの手のPOPは持っているんですけど、必ずといっていいほどオークション党で違法な売買をする輩がいるから、交渉の際はいつも手間取っていました。巧みな交渉術なんてものは、まあ、なくはなかったんですけど、基本的には頭を下げてお願いするのが一番です。個人経営の店とかは割と楽よ。融通が利くから。
既に私の頭の中ではこれを如何にして手に入れるかを考えているわけですが、なにか良い知恵はないものか。昔は純真だったのか、若さに任せてぶつかっていきましたけど、最近はもう歳ですからね。いい歳してなにやってるんだとか言われかねませんし、食い下がって迷惑な客と思われるのも嫌だから……うーん、なにか良い知恵はないものか。本気で手に入れる方法を考えている辺り、私も馬鹿ですね。あ、昔からか。

心穏やかにすることが出来ないので話を変えますが、私は自分で自分をぶっ飛ばしたいほど怒りに震えています。ことの起こりは今を遡ること9年前、私が地元の書店でとあるエロパロアンソロジーを購入したことから始まるんですが……いきなりろくでもないこと書いてるけど、そういうことが昔あったんですよ。2000年ですか、あの頃は良い時代でしてね、一冊数百円もする同人誌を1000円ぐらいのアンソロジーとして一纏めにして売るみたいな手法が、まあ、それ以前にもあったんですけど目立ち始めてまして。今は一般商業における成人コミックスが強いから、ほとんど廃れてしまった気もしますけど、昔はそういうのが流行ってたんです。私は地元の駅前にある書店で普通にそれを購入していた口なんですけど、同人誌を商業アンソロで出すには結構制約があって、著作権の観点から名前とかを微妙に変えないといけないんですよ。それでも灰色どころか黒なんですけど、堂々と出版していた腐女子系のアンソロも多々ありましたから、そこはまあ色々あって。
私は基本的に物持ちが良い方なんですけど、さすがに一度も物を捨てずに生きてきたなんてことはなくて、数年に一度は部屋の整理も兼ねていらないわけじゃないけど、捨てても別に構わないというのを処分してしまいます。それは毎回微々たる量なんですけど、私の記憶が確かなら9年前に買ったエロパロアンソロジー、5年ぐらい前に処分しちゃった気がするんだよね。確か、保存状態がメチャクチャ悪かったから、当時のエロゲ雑誌かなんかと一緒に捨てちゃった。なんていうか、当時の私をぶん殴ってやりたい。
どうして今になってそんな9年も前の本について書いているのかというと、私が最近デジモンにはまっていることはもう何度も書いていますよね? 私の記憶が確かなら、あのアンソロに光ミミのエロが載っていたはずなんだよ! 当時はデジモンに大して興味がなかったからなぁ……それにしては内容とか他の収録作品まで克明に憶えてるけど。現在、光ミミブームが来ている私としてはなんていうか、凄まじい損失です。本の内容は憶えている。収録作品も。しかし、本のタイトルが思い出せなかった。ありとあらゆる方法で検索しても見つからない。
あぁ、私の光ミミへの愛というか欲望はこれまでなのか、私はもうダメなのか、そう思っていたそのとき。奇跡が起きました。本当に奇跡的、偶然にも私はその本の系列を探し当てたのです。後は1冊目まで遡って、表紙画像を確認すれば良いだけ。さすがに9年も前の本だからなかなか画像はなかったけど、なんとか確認することも出来ました。Web上でもまだ買えるところはあるみたいですが、送料や手数料が面倒なので、とりあえず新宿書店辺りで探してみることにします。書籍タイトルさえ判っていればこちらのものだ……

しかし、私の記憶力はくだらないことにしか使用されないと言われることが多いんですけど、自分でもその通りだと思う。9年前に読んで、5年前に捨てた本の内容憶えてるんだからね。エロ本だけにイメージが鮮烈に残っていたのだろうか。あー、なんか凄いスッキリした。やればできるじゃん、私。内容のろくでもなさはともかくとして。
今の小学生のお小遣いって、平均いくらぐらいなんですかね? 私は割といい年まで小遣い制ではなかったので、自分のことを思い返してというわけにもいかないのですが、高学年なら1500円ぐらいは貰ってるのかな? いや、しかし娯楽の多い今の世の中だ。1000円~1500円程度で1ヵ月過ごすなんて出来るのだろうか。私なんかはコミックボンボンさえ買えれば、後は図書館で済ませるような生活を送っていたからともかく……でも、今は不景気だからそんなに多くはないのかな。子供によっては携帯代だって掛かるんだろうし、となると1200円ぐらいが妥当か。大人である私からすれば少ないけど、子供にとっては大金になるのかな?

私は今も昔もケチな人間だから、買い食いとか飲食に対して金を使うことをあまりしません。食事は基本的に自炊だし、職場にも弁当持参で食費を出来る限り抑えてます。だから、子供のころも駄菓子屋に行ってとか、今の子供なら基本はコンビニですか? そういう場所で飲んだり食べたり、ジュース買ったり、お菓子を買ったりという経験がほとんどありません。ファーストフードにしたところで、地元には寂れたモスバーガーが一店舗あったぐらいで特に興味もわきませんでしたし、マクドナルドが駅の向こうに出来たのもそこまで昔の話ではありません。横浜の僻地ですからね。
モスも潰れて、マックも一年の内ごくたまに利用する程度の私は飲食に対してどケチなわけですけど、それでも子供のころは金が有り余っているという印象はなかった。なにに使っていたのか、エロゲか、同人誌か、大方そんな気もするけど、そもそも小遣いというものをなにに利用するかが実体験としてあまり見えてこない。
今はもう、大抵の小学生は携帯を持っている時代みたいですし、それを踏まえて考えると世代の差、時代の違い、そういうものを認識せざるをえません。感覚が違うんですよ。自分の世代とは。かつて自分が子供の頃、小学生だった頃の常識と、今の世の中を生きる現役小学生の常識では違いがあり過ぎる。時代や文化は常に新しいものへと流れて、切り替わっていくわけだから、いつまでも古い感覚が通用するかと思ったら大間違いなわけですよ。例えば、私が小学生のころは三学期制といって一年を三つの学期に分けて授業を行う方式がとられていましたが、いつの間にか横浜市すべての小学校で二学期制が採用されています。つまり、その学校に通う子供たちは三学期制がなんたるかなんてまるで知らないわけで、ここに意識と認識、感覚の差が生じるわけです。

なんでこんな話を書いているかと言うと、実は前々から若い物書きの間で議論が続いている一種の悩みみたいなものなんですよ。少し前までのブームを引きずっているせいか、未だにライトノベル作家を目指す人間という奴は多いもんで、彼らにしろ現役のライトノベル作家にしろ、現代社会なり世界が舞台の話を書く人間、特に多いであろう学生や学校をメインにした作品を作る人間にとって、上記の問題は決して看過出来るものじゃありません。私の師匠なんかもよく言ってますが、ライトノベル作家なんてのは長続きしないんですよ。早くにデビューすればその分燃え尽きるのも早いし、かといって遅くデビューしても、何年、何十年も続けられるかと言われるとそんなのは無理です。神坂一みたいな人はともかく、一般的に四十代、五十代にもなって中高生が主役の学園物を書き続けることができると思いますか? どんなに情報収集したって、勉強を試みたって、感覚の差は開くばかりですよ。
だからこう、現在のライトノベルにおける学園モノ一辺倒みたいな流れは作家潰しにもほどがあると思うんですがねぇ。おっさんに若い子の気持ちなんてわからないんだよ。私はまだまだ若いけど。
ライトノベルが中高生を対象としている以上、舞台が彼らの身近なものになるのはある意味では仕方ないことで、ありきたりと言われようが重要なことではあるんですけど、それを持続させることの難しさ、保つことへの限界のようなものはやはりあって、ライトノベル作家も一生ライトノベル作家やっているわけにもいかないというわけです。ここで方向転換できれば生き抜くことも可能ですが、大抵はそれが出来ずに沈んでいってしまう。
まあ、上にも少し書いたけど今は新人賞が多くなったせいか若くして賞を取ってデビューなんてのも目立ちますけど、そういう人に限って書きたいものが定まってない、もしくは書きたいものが限られているからすぐにダメになってしまうんですが。そこがライトノベル作家の難しいところというか、ある程度書き続ける、良いもの書くには経験が必要で、二十代も前半のような若者にはそれが欠けている。かといって二十代後半、三十代前半になってくると段々とではあるけどライトノベルというものが書けなくなってくる。
だから、踏み台として考えるのが一番いいんですよ。ライトノベルで一生食っていこうなんてのは90年代の発想だから、適当なところで切り上げて普通のエンタメ、SF、ミステリーにいくのが一番なんです。桜庭なんてその典型じゃないですか。あの人がラノベにあっさり見切りをつけたのをファミ通文庫経由で聴いたときはさすがと思いましたし。

なんか最後の辺りはずいぶん話が脱線してるけど、今度小学生が主人公の話を書こうとしてまして。上ではライトノベルを例題にしたけど、実はこれが児童書だった場合はまた状況が変わってきます。児童書を書くのは私の夢の一つだけど、残念ながらこれから書くのはそうじゃない。勝手なイメージだけど、児童書に関しては人間的な深みがとても重要だと思っているので。さて、とりあえず横浜の街に繰り出すか。

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