最近、古いエロゲをなんとなく再プレイすることに凝っています。積んでる作品がいくつもあるくせになにやってるんだって話だけど、感覚的には一度読み終わった本を本棚から引っ張り出して、もう一度読み直すのに近いかも知れない。それでまあ、暁の護衛だったりG線上の魔王だったりと、あれ、よく考えたら全部あかべぇそふとつぅ系列じゃないか。まあ、そういった作品をやっていたりするわけです。私はG線上の魔王はそんなに好きじゃないんだけど、たまたま手の届く範囲にディスクがあったもんで。

暁の護衛はFDまでなら好きなんだけど、続編というか完結編はそんなに好きじゃない。未完成がどうのというより、シナリオのレベルが本当に低いから。作品にあった負の一面をクローズアップしたといっても、なんか中途半端だったしね。それにFDまでのヒロインが軒並み脇役になってしまったのもいただけない。だって、あれだけヒロインがいて、誰のルートからの続編でもないってどうよ。まだパラレルであるとしてくれた方が良かったというか。
まあ、どれが正規ルートであるかなんてのはエロゲで語っても無駄なんでしょうけど、それにしたって……でも、実際に暁の護衛で正ヒロインないしメインシナリオって誰なんだろう? 普通に考えれば麗華なんでしょうけど、海斗の過去に対して密接な繋がりを持っているのはツキですからね。一般的な攻略法としては最初に麗華をやって、最後にツキをやるのがいいと言われてるけど、私はツキが好きだったなぁ。今回、改めてプレイして思ったけど、ツキは一番海斗に合ってるよ。それは単に漫才の相方という意味だけじゃなく、波長というか、結局は生まれが関係しているんだろうけど、互いに気楽というかなんというか。日常的に漫才している二人からは想像も出来ないけど、基本的にどちらも無口であり饒舌などではありえないというのが双方の主人である麗華の評。そのことからも、海斗とツキが特殊な関係にあることが見て取れます。
海斗は基本的に自分の内面を晒すことを潔しとせず、ツキもまた自分の立場から例えイジメに合っていようと我慢するタイプです。互いに自分を押し殺して生活しているわけで、それを唯一開放出来るのが、二人で掛け合いやいたずらをしあっている時というのは、なんとも微笑ましいじゃありませんか。まあ、ツキにしてみれば最初から海斗の存在を怪しいと思っていたわけですから、探りを入れる意味もあったんでしょうけど。

ツキはそのスペックからスキル、キャラクター性と、どれをとっても完璧な存在であり、戦闘能力こそ皆無ですが海斗に匹敵する実力を有しているただ一人のヒロインです。海斗の過去を象徴する存在である杏子が出て来るのもツキルートですし、凄惨としか言いようがない昔の海斗に踏み込むことが出来るのは、同じ場所に生まれ、育ってきたツキだからこそでしょう。
まあ、要するに私はツキが好きなんだという話でしかないんだけど、あれだけ完成されたヒロインってのはそうそういないよ? 単に他のヒロインがレベル低いだけじゃないのかって言われれば否定出来ませんけど。麗華と彩は単なる一目惚れだし、妙だって似たようなものでしょう。萌に関してはなんかわけわからないし。杏子とかその辺はサブヒロインだからともかくとしても、実は暁の護衛ってキャラクター性やシナリオ性という意味でのヒロインの魅力が薄いんじゃないかと思う。ツキにしたって、そんなに濃い内容ではないからね。暁の護衛の欠点はまさにシナリオ面での薄さにあり、それをFDや続編でカバーしようとしたわけだけど、なんか方向性を間違えた気がしないでもない。G線上の魔王が原画家間違えたみたいに、あかべぇ系列のブランドは毎回どこかしら惜しい作品ばっかりな気がする。
なんとなくG線上の魔王もプレイしてみたけど、あれも色々と物足りない。構成は見事ではないにせよ作りこまれている方だと思いますが、有葉の絵がねぇ。声優も豪華だっただけに残念でならない。

まあ、積んでいるエロゲを消化しないといけないから、これぐらいにしておきます。1月分がなかったから、2月分が出る前に追いつかせることも不可能では……ない、か? 原稿忙しいから無理だろうけどね。というか、いい加減に原稿の方を書き進めないといけないから、エロゲなんてやっている場合じゃないんだった。どうにも最近筆のノリが良くないんだけど、この不調の原因はどこにあるのか。病み上がりだからってわけじゃないだろうが、基本的に加速しだすまでが遅いからね。そろそろなんとかしなくちゃいけないとは分かってるんだけど、こればっかりはどうにも……エロゲを封印するなんてことは私にはできませんが、やるときはやらないと後で大変なことになりますから。頑張ってはいるんですけどねぇ、どうにも上手くいかない。から回っている最近の私です。
いつの間にか2巻が出ていたので買ってきました。再開当初や1巻発売時はそれなりの話題を持って迎えられていたけど、2巻はそうでもなさそうですね。特典をつける店舗は前回と殆ど買わないけど、共通特典が廃止されてまんが王倶楽部だけになっていた。後は、とらのあなとCOMIC ZINがそれぞれ描き下ろしを付けてましたね。一番可愛いのが通販でしか買えないまんが王ってのは、私に対する挑戦なんだろうか。とりあえず、とらとZINで買いましたけど、さて残る1枚はどうしようかな。つぐみが可愛すぎるから困る。

ラッシュの電子書籍化への移行が発表されて、そういやCRコミックにはどれぐらい影響があるんでしょうか? さすがにコミックスを出さないなんてことはないでしょうけど、電子書籍の売り上げが芳しくなければコミックス化しても採算が取れないと判断される可能性は大いにあるし、少し不安を覚えます。まあ、ブラフマンに関していえば後2冊もすれば完結するような気がしないでもないけど、基本的に作中の時間経過がゆっくりな作品ですからね。最終的に全5巻ぐらいのボリュームになっても、まあ、おかしくはないのかな。
折角再開することができたんだから、電子書籍に移行しようとも作品が完結するまで、もっといえば打ち切りとかそういうことにならずに書き続けてもらいたいんですけど、貴島煉瓦自身はコンプエースでの連載とか初めてますし、ちょっと雲行きがあやしくはなってきましたよね。一度休載という形になった作品だし、煉瓦の中でブラフマンに関するモチベーションがどんな感じになってるのかは分からないけど、途中で投げ出すことがないようにお願いしたいものです。コンプエースの方はコミカライズでしたっけ? まだ読んでないからなんとも言えないけど、スニーカーや電撃の大賞ってのはねぇ。正直、大賞作品なんてのは毎回出さなくてもいいと思うんだけど、あそこら辺は無理矢理にでも大賞を上げちゃうから、結構微妙なことになってると思う。煉瓦がラノベのコミカライズを担当するのは初めてじゃないけど、あのときは自分が挿絵描いていた作品をそのまま担当しただけだったから、こういう形のコミカライズは、スマガ以来になるのかな。まあ、あれはエロゲだったけど。煉瓦は割と速筆な方だから、連載を複数本抱えていても問題はないはずですが、ブラフマンが救済したときが似たような感じだったので、ちょっとね……杞憂で済めばいいが。

第1巻の時点では、休載前の原稿も入っていたわけだけど、今回はつぐみのおまけ漫画を除けば全部OVERBOOSTになってからの話でした。新キャラである飛鳥翠が鳴と佳耶の秘密を知ってしまうのだけど、その前にちょっと1巻読み直して気付いたのだけど、佳耶の名前の表記が凄くバラバラだった。OVERBOOST以降は佳耶なんだけど、休載前は佳弥だし、連載再開直後は佳那になってた。一体どれが正式表記なんだろうね。煉瓦はこういう所が適当だったりするというか、普通こういうミスは編集が気付くべきなんだけど、コミックス化の時点で何故修正できなかったんだろう。
まあ、それはいいとして、飛鳥翠のキャラクターって結構不思議だよね。織葉の弟である和刃のクラスメイトであり、同時に佳弥のクラスメイトでもあるわけだけど、本人は和刃の事をが好きなため、佳耶に対して少なからず思うところがある、そんな少女。ハッキリ言って物語の本筋にはまったく関係ないキャラだし、茜以上に一般人というカテゴリーに属しているわけだけど、秘密を知られた際も織葉の人徳もとい達観した考え方に影響されてか、大きな問題にはなりませんでした。まあ、その場の勢いで和刃に対して告白とかしてましたけど。
しかし、佳耶の方は和刃と翠のことをどう思ってるんでしょうね? 和刃は自分のことが好きであると指摘されてもまるで動じていませんでしたし、もっといえばその程度のことはとっくに気付いていたんじゃないか、という感じもする。心を読むぐらいの芸当は簡単に出来るだろうし、もっといえばつぐみでさえ気付くほどに和刃は分かりやすかったですし。まあ、佳耶も和刃のことは嫌いではないだろうし、意識していないわけではないんだろうけど、初めて会った際に否定されたときに比べて、ほとんど感情が死んでますからね。始終笑顔を絶やさないというのは、それが素であるというよりは、そういった仮面を作って被っているという感じなんじゃないかと。鳴だって本当は熱いものを持っているのに、初登場時は無気力な面倒臭がりを演じていましたしね。抱え込んでいるものもそうですけど、よく似た2人だと思います。
和刃自身は佳耶のことが好きである以上、翠はクラスメイトないし友人でしかないわけだけど、告白されて動揺しないわけもなく、結構複雑らしい。まあ、想い人である佳耶は鳴と距離を縮めてしまっているし、自分にしたところで想いを伝えるなど素直に気持ちを表現できているわけじゃないからね。別に鳴と佳耶の間に恋愛感情や関係は存在しないだろうけど、ちょっと気になる流れではあります。

しかしまあ、特筆すべき部分はそれぐらいで、話的には特に進みもしなかったかな。サンサーラがさらにパワーアップするらしいということと、響が本格的に動き出し、凛が反逆を企てていることぐらいか。何気に凛が響の実子であることが示俊されてましたけど、こいうのが全部明らかになることはあるのだろうか? まあ、電子書籍を買うかどうか決めかねている部分があるので、今後の展開についてはコミックスが出ないことには始まらない、なんてことにはなるかも知れない。
久しぶりに職場へ行きました。先週はなんだかんだと4日間も休んでしまい、小心者の私は内心不安もあったんですけど、さすがに流行病ともなれば仕方がない的な感じで、まあ、温かく迎えてもらえたかも知れない。復帰早々仕事があるということで、居候中の出版社主催している新人賞に届いた原稿をチェックする、簡単なようで難しい仕事を一日中ずっとしてました。これがまた、数がそれほどでもないんだけど綴じ方とか原稿形態の規定が緩かったせいで、結構乱雑でね。要するに、手書き読みにくいって奴です。

一般的に新人賞の投稿作品といえば、まず下読みと呼ばれる方々に原稿が割り振られ、そこから選ばれた作品が初めて選考員や審査員といった人達の眼に触れるわけだけど、私がやったのはそんな下読みに送る原稿をチェックして、まあ、色々するという一番最初の段階です。私も立場的にその賞に少なからず関わっていたので、忙しい編集部に変わって雑用感覚で引き受けたのですが……さすがに1日で片付く量じゃなかった。ライトノベルではないから、投稿数は三桁とかその程度なんだけど、それを私含めて片手にも満たない人数で捌いていくわけですから、これが割と大変なんですよ。
それでまあ、原稿をチラ見程度に読んでいったわけだけど、正直なんとも言えない気分になった。よく、ラノベの新人賞は若い奴ばっかりが送ってくるから読めたもんじゃない作品ばかりだという意見があって、それはその通りなんだけど、ぶっちゃけると普通の文芸とかミステリーとかも大差ないな、と改めて実感した気がする。あんまり偉そうなことはいえないけど、年配層が多く投稿してくるような新人賞だからといって、文章的、もしくは内容的に必ずしも優れているわけじゃないんだよね。まあ、内容に関しては私の趣味も多分に含まれるのかも知れないけど、あれはちょっとなぁ。私も自分の原稿を紛れ込ませるぐらいしたかったのだけど、あいにくと立場的に出来なくて。この辺り、出版社に席を置いている人間のデメリットだよね。さすがに自分のところの賞には出せないだろう。
まあ、あの原稿の束に金の卵があるかどうかは、下読みや選考員に頑張って貰いたいところですが、それなりに読める感じの作品もチラホラあったから、なにかしら出るんじゃないでしょうか。該当作なしなんて珍しいことじゃないけど、やっぱりないと寂しいじゃないの。折角募集したのにさ。

新人賞ってのは大抵は半年以上の募集期間があって、例えば毎年開催のものは1年ぐらいの期間がありますよね? 勿論、作品は徐々に集まって来て、最終的に何百、何千通届きましたーって感じになるわけだけど、原稿の配達が集中する時期ってのがあったりします。一つは勿論、最終締切及びその付近。すべり込みの投稿って奴ですね。宅急便や郵便がどっと届くなんてことは、新人賞を開催している出版社だと珍しくもない光景です。
そしてもう一つは、意外に思われるかも知れませんが募集を掛けた直後です。早いものなら、募集期間の初日に届くものだってある。どうしてそんなことが可能なのかというと、その手の原稿は所謂書きためという奴で、予め用意してあった投稿用作品です。作家志望の場合、そういうのを常にいくつか持っていたりするんですよ。別に問題があるわけじゃないし、よく書けていれば全然構わないんだけど、後から届く作品と決定的に違うものがそれらの原稿にあります。後から送られてくる原稿は、当然ながらその新人賞に送るため書かれた作品であり、募集要項やそのレーベルの色合いなどを少なからず意識したものになっています。というか、大抵の投稿作品ってのはそういうものでしょう。しかし、書きための原稿を送るというのはどんな出版社にも送れるように書かれているものが多いため、そのレーベルっぽさに欠けることが多いのです。当たり前の話、出版社としては自分の会社にあった作品を選びますし、うちに合う合わないというのは確かに存在します。
だから、書きためた原稿を所有している人はここに送っても問題はないではなくて、ここに送ったほうがいいという賞を探したほうが思う。広義のファンタジーとかSFとか書いてあるし大丈夫だよね、なんていう考えはあまり喜ばれないから。

原稿の量が相当なので、今週はこの仕事に縛られっぱなしだと思いますけど、原稿を読む側の立場になってみると、送る側はこうしたほうが良いというのが分かって、かなり勉強になりますね。まあ、こういう仕事するの初めてじゃないけど、簡単に言うと送る側が考える、受け取る側、読む側に対する配慮なんてものは全然役に立たないってこと。原稿は紐で縛ってないほうが嬉しいし、発送手段はレターパックが一番楽。そしてなにより、手書きよりワープロ原稿じゃないと読む気がしない。手書きOKなんてのは、今や建前でしかない時代なんでしょうね。まあ、達筆ならまだしも、ノートに鉛筆書きの原稿とか送ってこないでください。
池袋サンシャインシティで行われたサンシャインクリエイション50に参加してきました。記念すべき50回目の開催なんですが、その割には使用ホール数が2ホール半と従来のサンクリに比べてこれでもかというぐらい規模が縮小していましたね。情報流出の不祥事から2年以上過ぎたわけだけど、その間も勢力を取り戻すどころか、衰退の一途をたどっていたようです。このところは3ホール開催がデフォルトのようになっていましたが、まさか、A23ホールを半分しか使わない日が来ようとはね。さすがにもう、終わりが見えてきたんじゃないでしょうか。

元々年明けのサンクリというのは2月開催じゃなくて1月開催だったんですが、Cレヴォの終了から生じたポスト・レヴォ争いの影響でクリエイション事務局が日程を移動させたという経緯があります。1月開催というのは年末の冬コミが終了してから間もないこともあり、当然大手の参加は少ないですし、新刊を出すところも多くはありません。冬コミで新刊を落としたところが出すぐらいで、イベント開催時期としては確かに微妙ではあったんですよね。それが2月に移ったことでサークルにもいくらか余裕が出来たのか、新年最初のイベントにサンクリを選ぶところも多くなって、一時期はかなり活気に溢れていました。バレンタインが近いということもあって、それをネタにした本やグッズも増える感じで。
だから、2月のサンクリというのは本来年4回開催の中でも結構賑わいを見せていたんですけど、今回の状況からすると、それはもう過去のことと考えたほうがいいみたいです。ハッキリ言って見る影もないほど、イベントとして衰退してしまったと思う。Cレヴォ終了以降、中規模即売会はサンクリぐらいという現状から躍進してきたわけだけど、それもここまでみたいだね。50回記念で、記念本やサンクリ弁当といった企画まで打ち出しているのに、参加サークルは減る一方で、参加者の入りもよくないという現実を見てしまうと……私はサンクリよりもCレヴォが好きだった人だけど、それでもサンクリに思い入れがないわけじゃないから、ちょっと複雑ではあります。ただ、ああいうことを起こしてしまったのは事実ですし、それ以外にも問題がなかったわけじゃないから、仕方ないのかも知れないけど。まあ、問題なんてイベントには大なり小なりあると思いますが、私の贔屓にしているサークルも被害にあったとかで、サンクリには参加しなくなってしまいましたし。影響は確実にあったんですよ。

会場についたのは9時ぐらいで、開場の2時間前ですか。早いかな、とも思ったんですが、私の認識では2月のサンクリはそれなりに人も多い感じだったからね。結果として、ほとんどではないにせよ、あんまり人はいませんでした。カタログと、一応記念本を購入して列で待機。サンクリといえばカタログにやたら偉そうなことが書いてあることで有名ですけど、最近はその論調も控え目になったと思う。それはそれ、これはこれだというのは分かっていても、やっぱり思うところはあるのかな。
私はヨスガ本を買いに来ただけだから、特にこれといった用があるわけではありませんでした。なにせ好きなサークルは一つも出てないし、本当にジャンル買いをしに来たって感じで。調べたところ、書店委託をしないところが多そうだったんでね。後、コピー本とかもありましたし。一箇所はコミケでも壁に配置されるようなサークルだったから並ぶかと思ったんだけど、開場して真っ先に向かってみると、列らしい列もなくてあっさり買えてしまった。その後はまあ、ヨスガ本を回収しながら会場内を見て回ったんだけど……さすがに冬アニメの本は少なかった、というか私の見た限りではなかったような気がする。秋アニメにしたところでなにがあるってわけでもなかったけど、そういやミルキィ本とかなかった気がする。ミルキィは同人誌としての需要がないんですかね? 俺妹はそれなりだったと思うけど、なんていうか息が短い作品ばっかになった。作品をその場限りの消耗品としてアニメ化を続けているのが今のアニメ業界だけど、同人業界もそういった風潮に対する影響を受けているのかもね。一時期のように息が長いジャンルというのが出てこないのは、単純にパロディ元の人気が長続きしないからなんでしょう。考えて見れば、なのはが今も同人ジャンルとしてそれなりの勢力を保っているのは、どんな形にせよ原作が続いているからですし。そう考えると、1クール消費型でアニメ乱発している現状から、人気同人ジャンルが生まれないのも納得出来るのかも知れない。

サンクリが持ち直すかどうか分かりませんけど、同人業界自体そんなに面白い状況にはないんじゃないかって、そんな気がするイベントだった。少なくとも、いい状況や傾向にないことだけは確かだよね。まあ、今回に限ってはワンフェスと開催日が被ったというのもあるんだろうけど、そんなの前例がないわけじゃないし、そもそも参加層が違うでしょう。
パロディが圧倒的な数を占める同人業界にって、やっぱり面白い原作ってのは必要不可欠なんですよ。他力本願に聞こえるかも知れないけど、同人誌には人気作品にあやかるみたいなところがあるから、図々しくもそんなことを思ってしまうわけです。救われない世界だとは思うけど、これが楽しいんだから仕方ない。
私、そらおとではニンフが好きなんですよ。スラングですけど、ニンフルエンザに感染しているって自覚があるぐらいニンフが好きで。まあ、そらおとに嫌いなキャラなんてほとんどいませんし、イカロスだってアストレアだって可愛いとは思うんですけど、それでもやっぱりニンフには敵わない。多分にアニメの影響もなくはないんだろうが、原作は原作で可愛い……はずだったんだけど。いや、ニンフの会話さは微塵も損なわれてないんですけど、なんでしょうね、うん、カオス次世代級の可愛らしさに圧倒されてしまった。

11巻は基本的にニンフの出番が少ないですね。せいぜい、学園祭のバンドで歌を歌ったぐらいで、まあ、そはらほどではないですけど、アストレアと同じくまったく出番がなかったと思う。あくまでメインはイカロスと、後半に出て来るカオスって感じで。イカロスに関しては、ここに来てやっと人間臭い部分が出てきたというか、会長はさすがに人心の掌握、じゃない、認識力が凄いですね。会長自身、守形先輩との微妙なん関係があるからこそ、イカロスの感情のブレ幅をよく分かっているんでしょうが。
けれどまあ、この話はイカロスのマスターである智樹への感情もさることながら、それ以上にダイダロスの想いが複雑化してきたことに着目すべきだと思う。ダイダロスは元々、何らかの形で智樹と知り合いであり、シナプスにおいて囚われの身である自分を助けてもらうために、イカロスの封印をといて智樹のところ送り込んだということになっています。序盤は夢を通じて智樹にそれを伝え、エンジェロイドを楽しむためではなく、自分を助け出すために使って欲しいと思っていたようですが、イカロスたちが楽しそうにしている姿を見て考えを改めたのか、一度はもう智樹を巻き込むまいと考え眠りに付くことにしました。
それがまあ色々あって、結局は眠る間もなく智樹のことを見守ることになったんですが……自分が作ったエンジェロイドと、智樹が必要以上に仲良くなっていくことへダイダロスは不安というより不満みたいのを、僅かながらに感じているのかも知れません。アニメだとあっさり出会っていましたけど、原作だと多分終盤まで再会することもないんでしょうし。

智樹はダイダロスのことをどこまで覚えているのか不明ですが、彼はエンジェロイドを製作した人物に強い不信感をいだいています。それは、マスターを失って間もなかったニンフに感じたことですが、マスターの命令を利くことを生きがいとするエンジェロイドに強烈な違和感を感じたのでしょう。この辺り、智樹は潔癖な人間なわけですけど、そのエンジェロイドを製作したのは他でもないダイダロスなわけで。ダイダロスがエンジェロイドという存在をどのように捉えているのかは不明ですけど、少なくとも智樹はその存在意義を植えつけた奴をぶん殴ってやりたいと思っているぐらいですから、この2人の間に認識の相違みたいのが発生しても、おかしくはないような気がする。推測や予想は色々できるけど、例えばカオスに対する考え方をとってもね。
カオスはダイダロス制作のエンジェロイドではないけど、セイレーンを吸収して復活した際の反応は恐怖だったよね。まあ、それだけPandoraが凄まじいってことなんだろうけど、確かに復活した直後のカオスは圧倒的なまでの存在感があった。思わずビビッてしまうというのも、分かる気はします。
けど、後に智樹と遭遇したカオスはどうだっただろうか? 愛イコール痛みを否定され、キョトンとした瞳。愛を教えてやるという智樹に手を引かれたときの、驚いたような眼差し。そのすべてがなにも知らない、無知な子供のものだった。智樹が愛を教える中で、カオスは常に肩車をされてるんだけど、それがたまらなく可愛いのなんのって。エンジェロイドとしては生まれてすぐ海に沈められて、外見年齢は幼稚園児ぐらいなのかな? 知能にしても同じ年頃の子供と変わらないように思えるけど、カオスだってちゃんと物事を教えてあげれば大丈夫のはずだったんですよ。それをPandoraによる進化や、セイレーン吸収したという事実のみにとらわれて、ダイダロスとかは焦り過ぎだと思う。

うっかりカオスに転びそうなぐらいカオスが可愛らしい11巻でしたけど、シナプスからトールハンマーのようなもので砲撃されて無事なのでしょうか。砲撃程度で消し飛びはしないと思うけど、一つの愛を知った直後のことですから、一気に絶望へとたたき落とされる可能性は十分にあるよね。この辺り、水無月すうはさすがだよ。私はアニメ版の後半における流れがあまり好きではなかったので、原作がカオスという存在にどのような決着を付けるのかはちょっと興味深いです。出来ることなら、カオスに愛と幸福がもたらされることを願って。
自分への誕生日プレゼントってわけじゃないんですが、久しぶりに一般向けのゲームを買ってみました。あくまでエロゲではないってだけで、そらおとのゲームが一般向けなのかどうかは分かりませんけど、禁書や俺妹といった話題作ではなく、あえてそらおとを買っている辺り私らしいよね。DSのゲームなんて、それこそロクゼロコレクション以来じゃないだろうか? 実は未だにPSPのソフトも1本しか持ってないし、エロゲ以外のゲームを買うことが極端に少ないんですよね。俺妹もノベルゲーとしては面白そうなんですけど、単純にそらおとの方が好きなので。

本当は値引きされている店舗で買おうかと思ったんだけど、あいにくとニンフのテレカがアニメイトでしか付かなくて。メイトは定価販売が基本だから、あんまり利用したくはなかったんだけど、まあ、仕方ないですよ。ニンフの可愛さにはかなわない。皆が俺妹とか引きとって帰る中、私だけそらおとを持って帰るという。まあ、公式サイトからしても、そらおとは全然力入れてないからね。発売したのに未だシステムページが公開されてないし、正直売る気ないんじゃないかと思う。特典もそれなりなんだから、もっと宣伝に力入れても良かったのに。そういや、イカロスTwitterもゲームに付いてはあまり呟いていなかったような気がする。周りも買ってる人は皆無だしなぁ。客層は被ってないはずだけど、さすがに話題作の影に隠れてしまったか。そもそも、そらおとのゲームは話題になるほどでもないからな……いや、出来もそれなりだと思うんだけどね?
前作はPSPから出たわけだけど、あれは酷い出来だという話だったので結局買わなかったんだっけ。それに比べると、今回はアニメ版をメインとしながらも、よく特徴を掴んでいるというか、そらおとを分かっているところが作っていると思う。DSになったことで、システムというか機能面でクオリティは下がってしまったような気もするけど、こればっかりはね。今時、フルボイスでもないってのはゲームを売る上でのネックになるのかも知れないが、まったくボイスがないってわけでもなかったから。やれることはきちんとやってるみたいだし、確かにPSPと比べれば見劣りする部分もありますけど、だからといってショボイ出来とか、そういう感じではないんじゃないかと。

まだ始めたばかりなのでなんとも言えないけど、基本的にはアニメ版を元に構成されており、雰囲気としては普通のノベルゲーに近い。話数ごとに分かれているようで、話の序盤のみボイスが付くという感じで、一応キャラクターの声も聴ける仕様ですね。全何話かはまだ分からないけど、なんでもイカロスのカードが7枚ぐらい紛失して、それを回収するのが全体的なゲームの目的みたいな感じだから、7話ぐらいはあるのかな、と思ってみたり。話を進めていき、その中の選択肢によってヒロインの好感度が上がっていくのは、まあ、ただのギャルゲーですね。なにげに守形先輩とかもパラメーターが存在するのは、やっぱりそういうエンディングもあるってことでいいのだろうか……?
私は、とりあえず最初だからニンフ狙いで進めています。このゲーム、一応DSで出していることを意識してるのか、タッチペンを使ったそらおとらしいミニゲームがあるんだけど、単にヒロインの身体をタッチしたり、撫でたりするだけだからな。これ、好感度上がるとエロい部分を触っても逆に喜んでしまうとか、そういう素敵な関係になれたりしないのだかろうか。いや、さすがにそれはないかな。
そらおとって、エロい作品と思われつつも、実はかなりのソフトエロだと思うんですよ。原作からして乳首描写があるわけじゃないし、アニメだって下着以上のきわどい描写がなされることは滅多にない。BDやDVDだと乳首丸出しみたいなのが売りの今時萌えエロアニメに比べると、結構生やさしい。意外なことだけど、そういうところがまた作品の魅力だったりするんだよね。所詮は中学生レベルのエロ妄想ということで、生々しくないんですよ。ゲームも同じというか、なんかエロい感じがするシーンも逆に可愛気を感じてしまうというか、そんな気がするんです。

私はそんなに携帯ゲーム機をやるほうじゃなくて、持ち歩くこととかめったにない人なので、攻略に関しては気長にやっていこうかと思います。今の若者は皆モンハンとかやってるそうだけど、そういうの一度もやったことないや。誘われたこともあるけど、やりこみゲーってあんまり好きじゃなくて。ゲームやり込む暇があるなら、本の10冊でも読みますよ。まあ、そらおとに関してはとりあえずエンジェロイド3人ぐらいはクリアする予定だから、それが達成されるまではやり続けようと思います。そらはらとか会長は……気が向いたらってことで。
さて、今日は私の誕生日でした。年齢の公表は控えさせていただきますが、私もすっかりいい歳になった。まだ二十代だから若いと思い込むことにしたけど、最近の体調不良とかその他諸々のことを考えれば、そうも言ってられないんでしょうね。いつまでも若くないなんて言葉、私としては使いたくもないし、私にとって十代だった頃はそれほど昔ではないと思ってるんだけど、悲しきかな時間というのは否応なしに流れていくものでして。それを私が意識していないといえば、多分嘘になるんでしょうね。

私だって自分が無駄に年を重ねてきたとは思ってないけど、じゃあ、その生涯賭けてなにをしてきたんだと言われれば、正直言葉に詰まる。だから、私にとって年齢に対する焦りというのは確かにある。時間は無限でも、人に分け与えられる分には限りがあるし、それをどのように使うかはその人次第であって、私は果たしてそれを上手く出来ているんだろうか。消費なのか、それとも浪費なのか。時間も金と同じで、不可抗力でもない限り使うことを決断するのは自分でしかないんですよ。いくら、人が人生という学問を学び続ける学生だとしても、積極的に学生でいられる時間は、そう長くはない。
人には誰しも叶えたい夢というものがあって、当然私にもそれはある。私はいつも、とある人の才能に嫉妬していた。羨んでいた。自分にないものを天才性を持っていたその人を超えたくて、同じようなことをしてみては失敗して……その度に自分の力の無さに絶望した。そんな自分を変えたくて、十代の終わりが近づきつつ合った頃、私はなにか一つの道だけでも極めようと思った。極められずとも、高みに行きたいと。多彩な才能を見せつける天才に対して、凡才以下であった私に出来たのはそれぐらいしかなかったから。
所謂プロという存在の門弟となって、私は文章の修行をし始めた。才能がないことは元々分かっていたけど、それでもなにかを掴みとりたくて、本当に必死だったと思う。一門には私なんかより文章の上手い奴がいくらでもいて、ハッキリ言って私なんて実力でいえば下の方だった。技術にしても同期が凄まじい物を書く中で、私のは良くてその切れ端程度。挫折や絶望はしなかったし、それが現実なんだとも思ったけど、不思議と対抗心や悔しさも抱かなかったんだよね。同期はあくまで同期であって、実力の差はあれど立場は同格だし、私の目標というのは別に合ったから。それに、私は古いタイプの本読みだったから、趣味嗜好も違ったしね。

昨年の話になるんだけど、偶然当時の同期たちが写っている写真を見つけました。まあ、小さい空間内でのことだから人数と呼べるほどの人間が集まっていたわけでもないんだけど、気が付いたら私の同期たちはみんないなくなっていた。どこかで生きてはいるんだろうけど、少なくとも作家になった奴はいないし、それ以外のものとなって業界にいる奴は一人もいない。実力も才能もなかった私だけが、何故か最後の最後に残ってしまった。兄弟子たちは同期の付き合いがあるけど、私の場合は私以外の人間が残ってないから……正確には一人だけいて、彼は私の親友だけど、今は文筆とは程遠い仕事に勤しんで、私とはたまに合う程度の関係です。
気にすることはない、そんなものだと師匠は言うし、私も別に思うところはないんだけど、周りから人が次々に消えて言ったことで、逆に道の険しさや厳しさを再実感したとでも言うのかな。なにを持っていたわけでもない私がこの業界に残っているのは、結局私にこれ以外のことが出来なかったからで、才能の欠片もない凡才は自分が学び得たことを活かすことしか、他にやれることがなかったんですよ。お前はこの業界でしか生きて行けないと思ったと師匠に言われたことがあるけど、それは多分事実以外の何物でもなかったんでしょう。
私は同期たちと比べて異才ではなく異質な人間だった。彼らがいまどきのエンターテイメント小説や、ライトノベルを熱く語り、それらを書くような作家になりたいと執筆をする中で、ひたすら私はSFやミステリーなど、ある種古典的なものに傾倒していた。ラノベを読まないわけじゃなかったけど、私にとっての小説というのはSF文庫などがそうだったのだ。そんな奴が他の人間と話が合うわけもないってんで、仲が悪くはないけど仲良くもないと、同期との関係なんてそんなものだったかも知れない。師匠も正統派SFファンが門を叩きに来たのは久しぶりだと言ってたし。

けれど、そんな同期たちも既に消えてしまい、私は最後の一人となってしまった。別に責任感や義務感があるわけじゃないし、そんなものはセンチメンタリズムにすらならないと思ってるけど、私までいなくなれば、私のいた時代そのものが消滅するかのような、そんな錯覚を覚えるんですよ。私みたいな劣等性が思い上がりも甚だしいのかも知れないけど、全滅なんて悲しすぎるじゃないか。
私はまた一つ年を重ね、しかし、まだ夢を叶えるには至っていないけど、目指すべきものがあるのだから逃げずに挑戦し続けようと思います。時が許してくれる限りは。
復刊ドットコムで、ロックマンメガミックス&ギガミックスBOXセットというのの予約をやっていて、実は買っていなかった私はいい機会だと思って注文しました。まあ、既存のコミックスを書き下ろしの紙箱に入れただけの商品なんですけど、有賀ロックマンは好きだし、私に与えた影響は岩本版と同じく大きいですからね。金のない時期だったので振込ではなく着払いにしたけど、考えて見れば届く頃も金がなかったという事実。まあ、なんとか支払いを済ませて受け取りましたけど、箱そのものにバーコードが記載されていたり、割と商品感覚の強いものでした。

改めてメガミックスを読んでみて、その内容の濃さや物語としての質、そして作品としての深みにどっぷりと浸かってしまった。ロックマンというのはゲームとしてはともかく、物語的にはある種単純なところがあって、それをここまで膨らませたのは本当にすごいよ。もっとも、有賀に言わせればロックマンというシリーズそのものが壮大なものを感じているんだろうけど、あくまで子供向けのゲームだし、Xやゼロほどシナリオ面を重視はしてないじゃないですか? 中身がないのではなく、簡素や簡易、そうした表面にある物語や世界観を広げて膨らませて、どこか殺伐とした、悲壮感漂う作風を成立させたのは有賀ならではの技でしょう。
私はなんといっても史上最強の敵が好きですけど、復活の死神なんかもアフターストーリーとして優れていると思うし、昔ながらのSF的テーマを違和感なく作品に組み込んでいる。特に新装版は復活の死神から史上最強の敵までの流れが見事だね。コサックナンバーズのコピーに対する心境は、彼らだからこそじゃないだろうか。ワイリーナンバーズは勿論、ライトナンバーズにとってもコピーはコピーでしかなかったわけで。スカルの一件を経験した彼らこそが、少なからずコピーのことを理解することが出来た。行いや考えを認めることは出来なくても、それが存在をそのものを認めない理由にはならない。ロック自身、コピーはやり方を間違えただけだと言ってましたし。そして、それはおそらくスカルも同じだったはず。でも、彼らを成功者だとか失敗者だとか、極端な言葉で表現はしたくないよね。生き様を一言で表すことは可能なんだろうけど、一言で済ませることが出来ないからこそ、こうしていくつもの物語が出来ているわけだしさ。

なんかメガミックスを読んだら、無性にロクゼロを書きたくなってきた。私もまだ書き残したのがあるというか、先日くろのとくろえのくろのさんが私の個人誌であるロクゼロクロスに使った画像等をまとめたものをくれたんだけど、あれだけはきちんと完結させたいかなぁと。プロットや構想自体はあるものの、今までで一番長くなりそうだから、なかなか書き始める機会がなくて。
今年はすることも多いし、二次創作に掛けられる時間というものが本当に少ない。ちょっとしたSSじみたものを書く時間さえないというのだから、相当だよね。日記も貯まる一方ですし。まあ、単に私の要領が悪いだけなんだろうけど、何かしら手を打たないと面倒なことになりそうですね。ロクゼロも一応今年再開を考えているし、春は無理でも夏頃に時間が取れたら、なんて思ったりもしてるし。思っているだけで、全然見通しは立ってないんだけどさ。ジャンルとしての鮮度は、まだ持つとは思うんだけど……同人作品としては既に過去のものになっているよね。なんていうか、くろのさんがまとめた画像をくれた際にしみじみ感じたんだけど、実に3年は前の作品じゃないですか。そう考えると、完結編にしろ早めに書かないと忘れ去られちゃうからね。でなくても、クロスジャンルは廃れる一方なのだから。完全な趣味で書いている作品ならともかく、少なからず読者がいた作品だし、それが読まれなくなるというのは悲しいことだよ。
けど、いっそ連載という形より同人誌として一気に作ったほうがいいのかなぁと思っていたりもする。連載する時間がないんだろうね、今の私には。仮に同人誌化するとしたら、おそらく逆襲の比ではない文量になると思うから、それはそれで上中下に分けたりと面倒なんだけど。

実は時間がくて、まだギガミックスの方を読んでないんだよね。ロックマン8が舞台というわけでもなさそうだし、どんな話なのやら。個人的に好きだったロックマン7がレースのほうで一纏めにされてしまったのが少し残念だったかな。そういや、BOXが届いたのは良いんだけど、本の背表紙が傷ついてたり、メガミックスの1巻が思いっきり日焼けで黄ばんでいたりするんだけど、私は新品を買ったんだよね? これで抗議したり、好感を要求するのは、心が狭いんだろうか……でも、これ日焼けの黄ばみってわけでもなさそうなんだよな。週明けに対応を考えてみるか。
なんだか体調が優れなかったので、今日は帰宅早々に寝てしまいました。勿論、夕飯ぐらいは食べましたけど、なんというか身体がダルくて。微熱と頭痛がするぐらいで、明確にどうってわけじゃないんだけど、問題はその程度の病とも言えない状態では仕事を休むわけにも行かなくて。さっさと寝て明日に備えようということで、22時前にはベッドの中にいたと思う。今日日、小学生でもこんな時間には寝ないでしょう。一度、医者にでも見てもらったほうがいいのかも知れませんが、流行病の時期でもありますし、病院なんて行ったら逆に良くない病気を貰ってきそうで。

ほとんど寝て過ごしていたわけだから、これといって日記に書くようなネタが無いんだけど、そういえばコミックラッシュが電子書籍に完全移行するそうですね。今はその試験運用ということで、発売中の2011年3月号が無料で読めるようになっているみたいです。
URL:http://comic-rush.jp/pre/index.html
パソコンやスマートフォンで読めるという話ですけど、紙媒体で始まった漫画雑誌がすべてネットに移行するというのは過去に例がなく、なんというか寝耳に水でした。電子書籍として最初から刊行していたのならともかく、私が受けた衝撃は小さくなかった。ラッシュはかつて月間の漫画雑誌が新創刊されていた時期、その一番手として現れた存在です。売上はそう悪くないものと聞いていましたが、どうやらそれも過去のものだったらしい。確かに最近じゃ人気作品の打ち切りによる紙面変更や、タイアップの減少など雑誌的に宜しくない事象が増えていて、私も正直ブラフマンがやっていなければ買っていないという状態だったんだけど……やっぱり、こんな結果になったか。休刊という名の廃刊でないだけマシと思うか、それとも電子化は最後の悪あがきに過ぎないと近い将来の破滅に目を向けるかは、まあ、人それぞれだろうけどね。今の日本では電子書籍なんてお世辞にも流行ってないし、ほとんど廃れていたラッシュがやっていけるのかといえば、多分それは無理なんじゃないかと私は思う。紙媒体だから買っている層ってのが絶対数として多いとは言わないけど、逆にいえば電子媒体なら別にいらないという人は少なくないでしょう。私は、人がマンガ雑誌にそれほど手軽さというものを求めてないと考えてるんだけど、世の中的にはどうなんでしょうね。

しかし、まあ、ショックですよ。最近はブラフマン以外に読むものもないような雑誌だったけど、なにせ創刊号から持っている数少ない雑誌ですからね。出会いはそう、確かマル天のイベントでしたっけ。当時のスポンサーにジャイブがいて、広井王子原作の蜃気楼帝国をコミカライズする縁で、イベント参加者全員に創刊号をおみやげとしてプレゼントするという、かなり太っ腹なことをやったんですよ。何故かチョロQが特典として付いていたラッシュの一号目は、ブラフマンの全面に押し出した表紙で、思えばブラフマンって創刊時の看板作品だったんだよね。アニメ化の話もあったけど、色々あって休刊して、さらに色々あって再開して、そしたら今度は電子化か。なんというか、やるせないな。
私が他に創刊号から持っている雑誌なんて、それこそメガマガぐらいしかありませんし、ラッシュには思い入れも深いからね。まあ、全号持っているが故にCRコミックスはあまり買わなかったんだけど、これから一体どうなるんだろう。私はスマートフォンとか持っていませんし、そもそも電子書籍というものが好きじゃありません。それに、電子書籍の作品はコミックス化した際の売上を見極めるのが難しいから、コミックスが出ないなんてこともよくありますしね。まあ、これは大手の例だからジャイブがそれをするとは限らないけど、ブラフマンだけのために電子書籍となったラッシュを買うべきかどうか。ハッキリ言うと、既に価格設定すら曖昧になったラッシュは紙媒体ですら買う価値がないに等しかったから、私に対して大きな決断を迫っていると思う。ブラフマンさえ終われば、さっさとおさらば出来る雑誌なんだけどね。変な話、あれだけ再開を祈っていた作品が、今度は離脱のための足かせとなっているのだから、人間なんて勝手なものです。

でも、今後はこういうのが増えるかも知れないね。まだ時代じゃないといっても、10年ぐらいの長い目で見れば、確実に時代は電子書籍でしょう。最近は電車内でも、iPhoneなどのスマートフォンを持っている人が目立つし、決して本を読んでいる人がいないとは言わないけど、文庫本などならともかく、所謂週刊漫画雑誌などを読んでいる人は本当に少なくなったと思う。駅の売店で売っているような雑誌を、電車内ではなく家で読むような人はあまりいないでしょう。いくら電子コミックに抵抗感があろうと、そのうち抗えない時代が来るのです。否応なしに。
今日は一日掛けて、秋葉原や横浜のショップを回っていました。いや、一日掛けてというのは言いすぎかな。あくまで仕事の合間と、仕事帰りの話です。ただまあ、複数のショップで予約していたせいもあってか、相応の時間は掛かりましたね。面倒くさいことこの上なかったし、今にして思え、何店かは秋葉原にしておいても良かったんじゃなかろうか。意外に昼はすいていて、逆に夜の横浜は混んでいるという。まあ、横浜に関してはとらのあなのシステムが宜しくないというのもあるだろうけど。いくらなんでも客を待たせすぎだろう、あれは。

横浜という町には比較的、アニメ系のショップが揃っているわけだけど、BD等の発売日ともなればどこもそれなりに混んでますね。正確には早売りなんですけど、前日にはもう発売していることぐらい、この趣味なら誰でも知っていることでしょう。基本は西口に集中しているショップだけど、アニメイトだけは東口のプラザホテル内にあって、本店並のイベントスペースを確保している結構大きな店舗なんだけど、まあ、客層的には他の店舗と同じく女性が多い。フロアごとの広さは割とゆったりしていて、秋葉原店のように狭さによる圧迫感を感じることはないんだけど、大型店故に客も多くてね。色々なものの発売日ともなれば、会計を済ませるまで30分などというのは珍しくありません。レジは4台ほどありますが、常にそのすべてが稼動しているわけでもないし、予約品をどっさり買っていく人なんてのもいますからね。さらにフェアだ、特典だと様様な付属物も付くから、アニメイトは他の店に比べると会計に時間がかかる傾向にありますね。あくまで、私の感覚ではですけど。
次に西口へ移ってゲーマーズ横浜店だけど、ここはレジ1台にも関わらず、それほど時間を消費しません。単純に利用客が少ないだけではないかと言われればそれまでですが、フロアというかレジ周りが狭いから予約商品探して右往左往なんてことが殆ど無いんですね。少々雑に物を置き過ぎじゃないかとも思うけど、そのスピードはアニメイトとは比較にならないと思う。後、これはゲマ屋にありがちなことだけど、古い特典とかが普通に残っていたりするんですよ。だから、なにかにつけて懐かしいものを貰えたりすることがある。アニメイトだと、まずないよね。どんだけゲマ屋流行ってないんだよという話だけど、正直横浜店まで潰れたらゲマ屋に未来はないと思うから、粘って欲しいものです。

とらのあな横浜店は、とにかくシステムが宜しくない。予約品を箱詰して、その中から手探りで物を探し出すという行為は本当に手間で、時間がかかりすぎている。アニメイトやゲマ屋のように分かりやすく棚においておくわけでもなく、立てて箱詰しているだけなわけだから、一見してどこになにがあるかなんて分からないんですよ。私は引き取るものが一つだったからまだしも、BDやCDなどを大量に予約していたであろう隣のレジの客は、私がレジに並んでいたときからずっと会計中で、私が終わってもまだ物が揃っていなかった。あっち探してこっち探して、スペースや棚がないわけじゃないのに、その活用を全くしてないんですね、とらのあな横浜店は。それなりに広い倉庫もあるし、レジの台数だって少ないわけじゃないのに、全体的に下手くそなイメージがある。でも、それがとらなんだよ。通販のシステムとかも、メロンと比較して大きく溝を開けられているし。全店での店舗引き取りが可能となったのも、つい最近ですからね。それにこれは私の不安でもあるんだけど、とらだけは全巻購入特典が先着なんですよ。つまり、予約していようが特典がなくなった時点で貰えなくなるわけ。全巻キチンと集めてもね。そんな馬鹿な話があるかと思うけど、あると言い張っているのがとらなので。サークルカードがなければ、あんなところで買い物はしません。
ソフマップはエロゲの発売日でもなければ混むことがない店ですし、BDやDVDが出たからといって混雑するようなことはまずありません。多少、値引きがされると言っても特典はテレカが大半ですし、殊更ソフマップでアニメのBD等を買う人は少ないと思う。なので、並ぶことなくスイスイと済ませることが出来た。しかし、エロゲの発売日の際は最高1時かん以上は覚悟しなければいけない。それでも秋葉原のエロゲショップよりはマシなんだけどさ。

しかし、毎月のように何枚も買っているとさすがに堪えるものがあるね。金を消費しすぎて、あろうことかエロゲも買えない事態になってますから。まあ、今月に欲しい物もないから良いんですけど、少しぐらいBDの方を処分しないとやってられませんね。エロゲは買わずとも、DSのゲームとか買わないといけないから。金がないわけじゃないんだけど、ケチとしては貯金を切り崩すことは金があるとは言わないと思っているので。
1月もほぼ最終週となり、所謂新番組と言われるものが放送を開始して1ヶ月程度過ぎたことになります。私は基本的にドラマを見ない人なので、見ているものといえばNHKでやってるきょうの料理と、後は各局のアニメぐらいなんですけど、今期はどうにも琴線に触れるようなものがない。まあ、昨年の勢いが強すぎたんですかね。あの作品はともかくとして、ミルキィだイカ娘だと、それなりに流行りましたから。そらおとやパンストもありましたし。敢えて断定的な表現をするなら、今期のアニメは前期に劣っていると思う。

まあ、最近はアニメというのもネタ不足な一面がありますから、早々に面白い作品なんて出てきやしないんですけどね。13話未満の1クールが当たり前になって、原作モノも消費物と考えられるようになった世の中、DVDやBDが売れればいという流れだと、どうしたってその場しのぎの作品が多くなってしまう。売れれば2期をやって食いつなげばいいなんて、そりゃあ、原作サイドもアニメ化に対して慎重になり始めるわけですよ。松智洋じゃないけどね。一騎当千みたいにしぶとくアニメ化を続けている成功例もありますし、恋姫無双も……あれ? ふと思ったけど、なんだって三国志が元ネタの作品だけこんなに続いてるんでしょうね。いや、エロいからだろうけど。私の感覚では、どちらも原作のほうが面白いと思うんだけど、この2つはアニメオリジナルでもエロければ売れるという流れを作ってしまった典型的な例だからなぁ。さすがにもう続編はないと思うけど、普通に原作も続いてることを考えると凄いものだ。オリジナルであるが故に、別ものであるからこそ原作に与える影響が皆無というか、アニメ版の恋姫無双がどんなに人気だろうと、エロゲであって百合ゲではない原作から主人公を排除するのは不可能じゃないですか? 一騎当千にしても、男キャラの存在は歴史的に見てもなくてはならない。原作の再現だけがアニメ化じゃないとはいうけど、本当に上手くやったよね。私はそんなに好きではないけど、素直に褒めていい現象だと思う。
ただ、原作と全然違うけど売れたなんてのは過去にもあって、有名所ではスレイヤーズなんかもそうですね。あれはアニメの印象やインパクトが強すぎるが故に、原作との歴然とした差が気にならなくなるといった、非常に珍しい例ですけど。というか、一昔前はそれで通用したんだよ。だから、スタチャはトップに上り詰めることが出来た。

まあ、そんな話はいいとしても今期のアニメ……一応、ほとんどの作品を見ているけど、凄く面白いってのは一本もないよね。ギリギリこれはゾンビですかが悪く無いといった感じで、あれにしたって、それほど良いわけじゃないからなぁ。よくも悪くも富士見書房の作品というか、ヒロインが分かりづらいのと、主人公の個性や能力が鈍いのと、なにより野水伊織の演技がね。スタッフはそらおとと同じだから、その流れを汲んでいるといえばそれまでだけど、野水伊織の演技はないわ。主題歌もそうだけど、正直あのレベルの低さで主演はキツイと思う。もっとも、前述のとおりヒロインが分かりづらいから、今の段階だとサブキャラにも見えなくはないという。いや、実際原作でもヒロインはヘルサイズの方だから、間違ってはいないのか。
他にはなんだろうねぇ、フラクタルやまどかはなにが面白いのかサッパリだし、肌に合わないアニメが多いのかもね。レベルEは確かにそれなりだったけど、あれは原作がそもそも面白いのであって、アニメ的にはさてどうなのよと。私がこれ言うと、お前が言うなと思われるだろうけど、女の子の所謂リョナって好きじゃないんですよ。女の子の殴りあいとか殺しあいとか、だからフリージングがあまり好きじゃなくて。特に私の場合はAT-Xで見てますから、凄惨なシーンも修正ないですからね。そういや、あのアニメは何故か画面が4:3で放送されてるんだけど、この地デジ時代にどうしたんだろう。今時、ソフトを買わないと16:3で見れませんよなんて、流行らないと思うんだけどな。いつの時代の話だって感じだし。まあ、売り方は作品それぞれなんでしょうけど。

そういや、今期のアニメでもなんでもないけど、AT-Xでやっているゆとりちゃんは面白いね。新作どころか、BIGLOBE専用のアニメをTVで放送しているだけだけど、ああいうなにも考えずに見られるギャグアニメっていいよ。最近はさ、ただのギャグアニメのくせに無駄に中身を入れたがるというか、説教臭いものを作り奴が多いから、ゆとりちゃんみたいなのは貴重だよ。少なくとも、今期はBDないしDVDを買うような作品はないってことかな。今は荒れを除けばカンパネラと、そらおとがメインなわけだけど、カンパネラはそろそろ終わるな。OVAが出るって話だけど、早く落ち着いてもらいたいものです。金の消費が半端ないし。
原稿をカタカタと打ちながら、年末に録画したアニメを観ていました。刀語は原作こそ読んだことはあるのですが、アニメは月イチでの放送だったから見逃すことが多く、もっと言えば1話以外はろくに観たことがなかった。アニマックスでも地上波に遅れて放送していたことは知ってたんだけど、年末にプレイバックと題して9話までを一挙放送するということだったので録画することに。丁度、コミケ前だかコミケ中だったかでリアルタイムで視聴する時間はなかったんだけど、改めて一気見すると見応えがありますね。

月イチ1時間アニメというのは珍しいことのように思えますが、過去に例がないわけでもなく、かつてAT-Xでやっていたフィギュア17などは同局の1時間枠で放送し、地上波では分割して30分ごとにするという方法をとっていました。AT-Xでは比較的1時間のアニメというのが多くて、そういった事例を知っている人間からすれば刀語の1話1時間というのは珍しくはあっても意外ではなく、驚くほどのことではありません。ただ、それを地上波でも実現させたというのは、制作側や放送局の作品に対する力の入れよう、ということなんでしょうか? 10年ほど前になりますが、特撮作品で鉄甲機ミカヅキというのがあって、やはり月イチで1時間ぐらいの作品だったんだけど、あれは元々映画の企画だったものをTVシリーズに変えたものだし、事情がちょっと違うかな。ふと思ったんだけど、フィギュア17も約10年前の作品なんだよね……割と最近のアニメであるという印象が強いのは一応2000年代のアニメだからだけど、ミレニアムとか2000年問題となんかで騒がれていたときから、もうそんなに経ったのか。あんまり実感ないのは、それほど私自身が成長していないから? 無駄に年齢重ねてきたとは思いたくないけど、まあ、フィギュア17は好きな作品だったし、あの頃はCSを導入したばかりの頃だから、色々と思い出深いんでしょうね。1時間制作のアニメだなんて、やっぱりCSは凄い! とか思ってましたから。単純だったというか、後のProject BLUEやMnemosyneはそれほど印象に残ってないのに、フィギュア17は頭に焼き付いてる。そういや、AT-Xの1時間アニメは共通点として全部SF作品ですけど、これにはなんか理由があるんでしょうかね? あまり流行らなかったのか、ここ最近は作られてませんけど。

刀語のプレイバックは二夜連続放送で、とりあえず5話までを見てみました。私は西尾維新という作家には思うところあって、様々な経緯から割と同情的な視線を送ってしまいがちなのですが、作品に関してはそれなりに読んでいる方だと思います。ただ最近は年齢的なこともあってか段々と読めなくなってきて、刀語や化物語に関してはそれほど深くは読み込んでいません。西尾維新という作家の作品には年齢による境界線みたいのがあって、ある程度の年齢になるとまともに読むことが出来ないのではないか? というのが、私の周囲にいる年齢層の高い作家や編集者たちの意見。まあ、第二世代ないし第三世代の作家は濃いからね……西尾維新みたいなタイプは受け付けないんでしょう。清涼院流水もそうだけど、ああいうのが理解出来ないというのは当たり前だと思いますよ。それを古い臭いとか、年寄りだというのは当然の意見だと思うが、ああいうのは別に次世代でも新世代とも違うものなんですよ。西尾にしろ清涼院にしろ、あれは個人の才能や才覚が文体に表現されているだけで、小説における新しい形というわけでは決してない。大体、その狭い分野においても意識差や年代差というものが存在して、例えば西尾維新の著作を頻繁に読む若年層は西尾こそがああいった作風の開祖であると思い込んでいるが、そんなことあるわけもなく、清涼院流水などが存在する。同期作家ですら、舞城王太郎や佐藤友哉みたいのがいるのである。ただ、その三者がアニメ化ライトノベルという分かりやすい形で、その手の読者層の前に姿を表していないだけである。もっとも、講談社のファウスト・メフィスト系のファンというのは既に形成されているから、そこから飛び出してさらに広がりを見せたのが、西尾維新といったところか。しかし、それでも、有川浩や桜庭一樹のような広く一般的ではない、狭い空間における作家であることは否定出来ないだろう。
年配の作家たちで、特に弟子や学生などに物を教える立場にある人が近年言うのだが、今の作家志望、特にライトノベルを目指す若者たちは本当に視野と読書の幅が狭いらしい。曰く、彼らには過去を振りかることがなく、言ってみれば2~3年前の古い作品には見向きもせず、ひたすら今量産されている作品だけを読んでいるというのだ。例えば、西尾維新で言うなら化物語や刀語は読んでも、戯言シリーズは読まないといったところか。電撃文庫等で流行っているような作品を少しかじって、まあ、それで作家を目指すことが悪いとは言わないが、なんとも薄っぺらい話ではある。別に読書力がないわけではないのにだ。

過去の名作、SFなら夏への扉を読ませたとして、彼らはそれを理解できるし、面白いと思うことも出来る。けれど、彼らには進んでそれら過去の名作を、古い作品を、もっと言えばライトノベル以外を読むつもりがない。単純な話、彼らはラノベを読んでラノベ作家を目指しているわけだから、それ以外のものを読むことは、彼らにとって読書ではなく勉強になってしまうのだという。そして、誰しも好き好んで勉強をしたがるものはいないのだ。所謂、エロゲ的なイラストが付いていなければ読む気がしないというのは、なんとも微妙な話である。これもまたジェネレーションギャップなのだろうか。
体調不良を引きずっていたこともあり、今日は一日家でのんびりしていました。先日から溜め込んでいたテキストファイルの整理を始めていて、まあ、フォルダの中には昔書いたプロットとか、書きかけで放棄した作品なんかがゴロゴロしているわけですよ。ボケーッと過ごすのもあれだからと、整理の続きも行ったんですが……たまに書いた覚えのない奴とか出て来たり、書いたはずなのに見当たらなかったりするもんだから、数が多いのも考えものです。まあ、そのおかげで二次創作ならハル×穹の書きかけとか、オリジナルなら使えそうなプロットを2つほど発見できたりと、成果はあったんですけどね。

私は小説的なものを書く際、ほとんどの場合はガチガチにプロットを組んでからはじめます。プロットがなければなにも書けないというわけじゃないんですけど、中編以上の場合はないと必ず詰まるから。なので、基本的にはなにを書くにしてもプロット制作から取り掛かるのが私のスタイルであり、これは別に珍しいことでもないと思う。身内みたいなネット専門の物書きは文章創作術が分からないから、プロットの組み立て方というものが理解出来ないんだそうだけど、それを集中的に修行していた身としては、前段階としてのプロットがないのは割と不安な気分になるんですよ。ライター的な仕事ならまだしも、小説となるとね。
プロットというのはプロからすれば企画書みたいなもんだから、それを持って自分が今書きたいものを編集者に提示し、出版社を納得させなければいけない。専業作家の中にはコンセプトから研究資料まで提出して、その話が売れるであろう理由や可能性を具体的に示す人もいますけど、私はプロじゃないので作品の中身だけをしっかり書くタイプです。まず簡易的な流れを書いたものをサラサラと書いて、それを数ヵ月間寝かせた後に清書用のガチガチとしたものを組み立てていく。私が今回発掘したのは、どちらかと言えばサラサラしたタイプのものですね。こんな話を書きたいと思ったときと、実際にそれが書けるときというのは違うと私は考えているから、まあ、酒じゃないですけど書き頃になるまで寝かせるんですよ。

そんなわけで今はオリジナルのプロットをチラホラと書いてます。程良く熟しているので、そろそろ書けると思うんだけど、私にしては暗い話かも知れない。久しぶりのSFとはいえ、所謂スペースオペラの類ではなく……早川文庫でいうなら、リアル・フィクションって奴ですかね? 別に小難しい話を書くつもりはないし、リアル・フィクションがイコールで薄暗い話ってことじゃないんだろうけど、イメージ的に明るくはないでしょ? 私はハッピーエンド至上主義者だから、不幸な結末とかそういうのが大嫌いなんだけど、今回ばっかりはどう転ぶか分からない。誰かが幸せになる話ってのは、結局のところ違う誰かが不幸になることで、皆が幸せになる話なんてのはなかなかないものなんですよ。大団円なんてのは、所詮主人公とその周りだけがハッピーになることだからね。新ビックリマンの最終回みたいな、ああいうのは例外にしても。
だから今回は、敢えて誰かが悲しむ話しを書いてみようかと思う。むしろ、それが悲しみや同情に価するものなのかというのを試したいというか……私も酷いこと考えているな。一人のキャラを犠牲にして、それが人々の感傷に響くものかどうかを実験しようとしているのだから。本当に酷い奴だね、私って。正直、冒険的というよりは挑戦的な内容なんだけど、ネタの鮮度的に考えると、今書かないと後は腐るだけなんですよ。本当は去年のうちに書くべきだったんだけど、思いついたのが去年だったから自分の中でまだ熟してなくて。とりあえず、プロットが組みあがった時点で悲恋堂の店主にでも読ませるか。奴曰く、「あなたの作品はプロットの時点で『あぁ、読んだ、読んだ』という気分になるから、実のところあなたもそれだけで満足しているじゃないですか?」とのことだけど、確かにまあプロット書き上げた時点でやり遂げた感があるのは事実。まだなにも始まってないのにね。

なんだって書く前の作品について日記を書いたのかといえば、まあ、日記だからいいんじゃないかという思いと、書き始めるに当たっての心構えみたいなものかな。今年はなんとしても書き上げたい作品が2つあるので、まあ、二次創作の方もありますけど、そっちをメインでやっていきたいかなと。テンションを保っていられるうちにね。文章を書くだけが楽しみじゃないにせよ、それぐらいしかすることもないんだから、頑張っていかなくては。
昨日、食事に出かけた豚野郎(店名)ですけど、その夜にやったテレビ番組で紹介されたとかで、どうやらかなりの混雑になっているみたいですね。さすがテレビ効果といいますか、私は色々とギリギリだったみたいだ。決断というほどのことではないにせよ、食べに行って良かった。これでしばらくは、まともに入店も出来ないほどの繁盛ぶりとなることでしょう。また行く機会があるかは分かりませんが、こういうすべりこみセーフみたいなのは少し気分が良いよね。ささいなことに過ぎないんだけどさ。

良いことの後は悪いことが起きるじゃないけど、なんか昨晩からずっと体調が悪かったです。具体的にいうと、まあ、酷い頭痛に微熱がありまして。風邪って感じはしなかったので、流行りのインフルエンザを疑ったんだけど、それにしては熱の上がり方が大したことない。まあ、私はとある事情から基本的に体温が高くて、にもかかわらず発熱しにくいという変な身体をしているため、高熱で寝込むということが人より少ないほうだと思います。インフルエンザにも、生まれて以来かかったことがないですからね。別に自慢でもなんでもないけど、不健康に生きている割に、意外と身体は健康だったりするんですよ。多少、ガタは来てますが。
そんなもんだから、たまに体調が悪くなると逆に一般人には大したことがなくても、すぐにダウンしてしまう傾向にあって、病は気からじゃないですが、実はメッチャ弱っちいです。幸い、家には常備薬が豊富なのと、サーティワンで買ったアイスクリームの買い置きがあったから、これらで熱を下げることに。私は別に仕事に熱情のすべてを捧げてはいませんが、それにしたって行かなければならないときというのは必ずあるわけで。今日だけは休むわけにもいかなかったので、なんとか治ったことにして仕事へ出掛けました。そんな私を真面目という人もいるけど、悲恋堂の店主に言わせれば「思い込みが激しいだけ」とのこと。まあ、実際にどうしても、張ってでも行かなければいけないときなんて早々ないし、私がそう思っているだけなんですけどね。でも、だからといってほいほい休むのも、それはそれで違うと思うし、情けない気もするからさ。妙な責任感というより、単に頑固なだけなんだろうけど、考えて見れば病欠で今の仕事を休んだのってほとんどないは。ちょっと動けない怪我というか、傷で寝込んでいたことはあったけど。

しかし、アイスとか結構効くもんですね。気持ち程度かと思ってたけど、それなりに熱下がりましたし。地元にサーティワンが出来て、いや、戻ってきてからまだ1年と経ってない気はしますけど、たまに食べると美味しい気もします。20年ぐらい前に一度合ったんだけど、流行らなかったのか、某ドーナツ屋に変わってしまいましてね。それが、小型のショッピングモール的なものが出来るからと、場所は全然違いますが再出店してきたんですよ。まあ、コンビニで売ってるような100円アイスとは比較にならないし、ハーゲンダッツやレディーボーデンと並ぶアイスブランドでしょうね。ただ、ハーゲンダッツがコンビニで、レディーボーデンがスーパーで買えることに比べると、サーティワンは店舗限定みたいな部分があるから、それほど身近存在ではなかったと思う。まあ、再出店してきてからは数ヵ月に一度ぐらいのペースで利用しています。
ただ、私はどちらかと言えばアイスクリームよりソフトクリームの方が好きで、好きなんだけど滅多に食べません。アイスと違って持ち帰りできるものじゃないし、売っている店というのもそんなにありませんからね。ましてや、コンビニにあるようなソフトクリームもどきは好きじゃないから、考えて見れば数年は食べてなかったことになるな。実は最近、昨日今日みたいに体調が優れない日があって、微妙に熱っぽい感じもしたので帰りの横浜で寄り道をしました。ダイヤモンド地下街に下りて、すぐそこに有隣堂のまんが王国があるんですけどね? そこに隣接するように、森永のミルクスタンドがあるんですよ。秋葉原駅にあるような奴とほとんど変わらないんだけど、既製品じゃない軽食みたいのも売っていて、フライドポテトとかそういうのもあるんだけど、ここでソフトクリームを食べることが出来る。身内の話では美味しいという話だったし、冷たいものでも食べれば少しは気分も良くなるんじゃないかと思って、数年ぶりに食べてみることにしました。
まあ、大の男がソフトクリーム食べている姿なんて絵にもなりませんけど、アイスと違って柔らかいミルクソフトは、どことなく懐かしい味でしたね。コーンも美味しかったし、ワッフル系もキライじゃないけど、普通のが私は好きかな。

アイスといえば、セブンティーンアイスってあるじゃないですか? 自販機で買えるアイスとして有名な。子供の頃はあれをよく食べていたんだけど、あれもここ10年ぐらいはご無沙汰かも知れない。自販機自体は、今も色々なところで見かけるんですよ。横浜だとダイエーの横にありますし、例えば池袋サンシャインの文化会館前にもあったと思う。それから、りんかい線の大井町駅、国際展示場方面のホームにもあって、まあ、あこで食べることはまずないと思うけど、たまにはああいうのを買ってみるのも、ありなのかな。
私は基本的に職場へ弁当を持参していて、昼食は自分の机で弁当を食べていることが圧倒的に多いです。外食や買い食いが殊更嫌いなわけではないのですが、特に稼いでいるわけでもないから金銭的な問題もありますし、なにより勿体無い。飲食に関して金を使うことが好きじゃない。食べ歩きが趣味とか言われることもありますけど、私ほどケチな人間はいませんからね。あなたは色々な意味で金の使い方が下手な人だとは悲恋堂の店主に言われたことですけど、まあ、ケチなくせして万年金欠だからその通りなんでしょう。

弁当持参を常としていても、時にはそれが出来ない場合もあります。寝坊したり、交通機関の乱れから早めに家を出ないときなど、弁当を用意する暇がないときですね。一昔前の私なら昼食ぐらい抜いても生きていけたんですが、最近は食べないとやっていけない部分もあるというか、俗っぽいこというと飯食っているときが一番心休まるとか言うじゃないですか。飯の時間があるから働いていられるというか、仕事に疲れたサラリーマンじゃないけどさ。それに私は朝食を食べない人だから、飲まず食わずで夜まで過ごすにはキツイものがあって。だからまあ、弁当を持っていないときは素直に外食ないし買い食いをすることが多いです。
ただ、私の中にも順位というかハードルの高さというのがあって、外食に行くよりは買い食いの方が頻度は高いと思う。リーマンばっかりの飲食店へ入ることの気後れがないといえば嘘になるだろうけど、それよりなにより外で食事をすることで消費される時間が惜しいんですよね。上記の考えからすれば、食事のときぐらい社外に出たいと思うのが普通かもしれないけど、私はなんていうか外食って忙しない気がしてさ。そのいい例がラーメン屋だろうけど、定食屋さんなんかでもそれは変わらないというかね。だったら、そこらで弁当でも買って、パソコンをカチカチやりながら昼休みを過ごしていたほうがよっぽど気楽なんじゃないかと。幸い、私の周囲は外へ食事に行く人が多いから、周りに対する気兼ねもいらないし。結局、私が弁当持参を続けているのも、その方が楽だからなんでしょうね。金銭的にも精神的も。それに外に出ると、時間があっという間に過ぎてしまうから、なんか存した気分にもなる。要するに出不精なだけじゃないかと言われればそれまでだけど、人が思っているほどに外食とか食べ歩きに熱があるわけでもないんですよ。

なんてことを書いてきましたけど、今日の食事は珍しく外食でした。色々あって弁当を持ってこれず、さて昼はどうしようかなと悩み、気分的にどうも弁当とかそういう感じじゃなかったので。あまりコンビニ弁当とか、おにぎり的なものが好きじゃないのと、かと言ってそこらの店が出している仕出しの弁当って感じもしなかったし、ファーストフードは不健康な食事を控えていこうといった手前、どうにも選ぶ気が起きなくて。
そんなことを考えながらTwitterを眺めてたら、そういうやよくTLで御茶ノ水だったかの豚丼屋が長いこと話題になっていたなということを思い出す。エロゲというか、秋葉原関係者を中心に行く人が多いらしく、まあ、その気になれば御茶ノ水なんて徒歩でも行けますからね。私は面倒臭いから電車ですけど、「外食か……それもいいな」ということで行ってみることにしました。
その気になれば徒歩でも行ける距離ですから電車だと本当に早くて、尚且つ店自体駅から近い場所にあったのですぐに辿り着くことが出来ました。そう、ここがTwitter等で話題の焼豚丼 豚野郎(店名)です。直球ともまた少し違った店名に、主なメニューは豚丼しか存在しないという剛毅な店ですが、1000円未満でボリュームある丼ぶりが食べられるため、地元の学生たちに大人気みたい。私が店についたのは12字5分ぐらいだったと思うけど、ビルの3階にある店から階下まで列は伸びていて、私の後に来た人は並ぶ時間を惜しんだのか、断念して去っていくというのがチラホラ見受けられました。私は自分の前に10人以上いなかったのと、カウンターのみの店という話だから回転率はそれほど悪くないだろうと考えて待つことに。入店したのは12時半ぐらいだったかな? まあ、それなりに待ちましたけど、交通費掛けてきたからには帰るのもあれかなと思って。
メニューは豚丼と、付け合せに味噌汁と温玉があったけど、特に興味もないから中豚丼を頼むことに。680円、チェーン店の丼ぶりと比較すれば高いですけど、作り置きをせずに注文を受けてから肉を焼くから、できたてを食べられました。

まあ、上等な食材を使っているわけでもないし、分類するならB級グルメの一種ですから味は相応でしたけど、炭火焼の肉は香ばしかったし、タレの染みこんだご飯は美味しかったですよ。混んでいる店だし、頻繁に通うことは出来ませんけど、学生人気が高いのも納得のボリュームでしたからね。御茶ノ水とか神保町は学生街ということもあって、こういう店が多いけど、あいにくと神田・秋葉原方面にいる私とは距離的に咬み合わない。昼休みなんて1時間しかないし、12時40分頃出てきた豚丼を10分未満で食べて、ダッシュで職場に戻る感じでしたからね。なかなかどうした、上手く出来ていないものです。
同人活動をしているとサイトの更新が疎かになるものらしい。身内の意見であるが、言われてみれば確かにその通りだった。私が個人サークルを作ってから昨年末で2年が経過したわけだけど、年に3回も大きなイベントに参加していると、なかなかサイトに手をつける時間ってなくなるよね。特に私は絵描きではないから、1枚ポンとギャラリーに追加とか出来ないもの。勿論、絵を描くことが執筆作業より簡単だなんて思ってはいないけど、私みたいに長文が基本だとなかなかサイトに載せるようなものが用意できなくて。

ネタ自体は常に持っているというか、例えばハル×穹であれば今も2~3個のストックはあるんだけど、良いネタを思いつくとすぐにそれを同人誌用に回してしまうんですよね。だからサイトに載らないというか、実際今サイトで公開されているSSの一部は、以前の夏コミで出した同人誌からの再録ですし。別にサイト更新するのが嫌なわけじゃないものの、同人誌作っている方が楽しいというか、新刊のネタは常に用意しておく意識みたいのが出来てしまったのかな。そういやコミケとかCOMIC1の告知以外で、昨年サイトを更新した記憶がない。
今年こそはと思わなくもないんだけど、よく考えると個人サイトの利便性とか価値って年々低下している気がする。だって、サイトで出来るようなことって大抵違う場所で出来るじゃないですか。イラストにしろSSにしろpixivとかシステム性に優れた投稿サイトがあるし、ちょっとした話ならTwitterで呟ける。もうちょっと長い話ならブログや日記があるし、ブログをサイト替わりにしている人も最近じゃ少なくないですからね。私が使っているDiaryNoteは機能性が低いからそういうのに不向きだけど、他のところはイラストをはじめ動画とかも貼りつけられるじゃないですか。しかも、さしたる労力を必要とせず。
私は身内が色々な個人サイトを長きに渡って開設していた影響で、見よう見真似でHTMLタグを学んでいった、所謂個人サイト世代に属する人間です。サイト制作の全盛期ぐらいにパソコンを導入したということもあり、まあ、自分のページというものを大事にしているんでしょうね。過去に二度ほどサイトをやっていて、諸事情からそれを閉めた後はCGIチャットのみを稼動させてましたが、考えてみれば新しいサイト、つまりシャリテクロワールを作ったのは同人活動のためだった気もする……うん、だって同人サークル用のサイトなんだから。

同人サークル用に作ったサイトが、同人活動の忙しさから疎かになるってのも本末転倒なのかも知れない。そりゃあ、皆が皆ブログのみに切り替えるわけだよ。イラストとかの保管ならpixivで十分だし、実際にあそこでサークルの新刊情報とか出している人は沢山いますしね。私もその一人だし。そう考えると、もう個人サイトの時代じゃないのかも知れません。私は世代だし、身内の影響もあるからサイト作りの楽しさというのを知っているけど、今の若者は個人でサイトを作成し、更新することの意味や意義を見出せないのかもね。ニコニコ動画とかもそうだけど、個人でなにかをするよりも、集団で群れることの方が面白いのでしょう。特にオタクなんて人種はリアルで孤独なことが多いから、ネット上で大勢の人と一緒にいるというのが嬉しいに違いない。今や掲示板等の文字媒体だけじゃなく、スカイプなら音声での会話も可能ですからね。IRCチャットが廃れるわけですよ。
個人としてサイトを作り、コンテンツを発信していくことが90年代末から00年代中期ぐらいまでは流行っていたわけだけど、今は一つの大きな空間に身を投じて、そこに集う人たちとなにかを作っていくことが主流になりつつあるんでしょうね。そして、そういった場所で活躍なり実績を上げるなりすれば、個人サイトで地道にやっていくよりも簡単に評価され、賞賛を受けることが出来ますし。ニコニコに神と言われる投稿者は、一体何人いるんでしょうね? 皮肉っぽい言い方だけど、少し安易になり過ぎたと思う。サイト持ちが偉いとか、そういうことを言いたいわけじゃないけど、なにもかもが簡略化され、簡単になっていく世の中ってのは……これ、時代に取り残された者の考えなのかな。

サイトの更新は今後の課題ですけど、現在ネット公開用にハル×穹で一本書いてます。この前、原稿のフォルダを整理していたら出てきた書きかけの作品で、季節柄の問題から春のCOMIC1にはそぐわなくて。予定としては2月5日に公開予定だけど、プロットが少し雑だったので現在修正中です。まあ、私らしい話だなとは思うけど、COMIC1に関してはちゃんと別の話を考えていますので、どちらもチャッチャッと書き上げたいですね。
そういや、最近ショックなことがあって、もう誰が言ったかも覚えてないんだけど、「原稿用紙100枚分書こうと、ファイル上では1枚のイラストにも満たない」というTwitterの呟きがグサリと来た。確かにイラストは最低でも数メガありますし、テキストファイルはキロバイトの世界だけどさ……なんていうかこう、やるせなかった。
偏食家な私だけど、最近になって自分の体調というものが気になってきた。若い頃はなにをどれだけ食っても死ぬことはなかったけど、そんな若かりし10代の頃とはとっくにおさらばしてますし、こんな食生活を続けていて本当にいいのかと思い始めた今日この頃でして。悲恋堂の店主に話すと、「やっと気付きましたか」と頷いてくれたのだけど、だからといって私は自分の食生活をどのように変えるべきなのかが分からない。店主はいっそ、2~3ヶ月店に下宿しますかなんて言ってるけど、そんな荒療治はごめんです。

私は基本的に野菜を摂取しない生活をずっとしてきて、さらに言えば揚げ物好きだから身体の中は多分ボロボロで、血もドロドロになっていると思います。ここまで偏食な理由は食育がどうとか、そういうのじゃなくて、私の体質的な問題にあるのではないかというのが悲恋堂の結論。味覚以前に、野菜を受け付けない身体になっていると言われると、なんとなくそれが正しいような気もして、どこか納得している自分がいました。店主は勿論、偏食家などではなく、料理の腕も私の5倍じゃ利かないほどですから、何かにつけては私の偏食を治そうと策を講じてきました。店主は面倒くさがりに見えて集中力があるので、一時期は如何にして野菜嫌いに野菜を食べさせるかということばかり研究していたように思う。そして、その尽くが通用しなかったのだけど。
今回、私が自分から偏食を改善しようと思ったのは、勿論年齢的なものもあるけど、ここ最近の体調不良から。日常生活が困難なほど酷いわけではないものの、見えないところの肌荒れとかも気になってきたし、そろそろ体質改善も必要なのかなって。店主に言わせれば、ここまで生きてこられたのが不思議な食生活とのことだけど、そんな不思議が永続的に続くわけもないし、各種病の心配もあります。なにかこう、いい手はないものかと相談したところ、店主は頭を悩ませてしまった。なにせ、今までどんなことをしても私の偏食を治すことが出来なかったのだし、いい加減ネタ切れもいいところだろう。それでも考えてくれる辺り、さすがは店主といったところか。
「どうです、ここは発想の転換をして、食べないというのは?」
「今までとなにも変わらないじゃないか」
「野菜を食べない、というわけじゃありません。野菜以外のものを食べないんです」
店主はいつになく不敵な笑みを浮かべていた。

悲恋堂の店主はなにも飯を食うなと言っているわけじゃなくて、私が好んで食べる揚げ物とか身体に悪そうなものを控えるべきだと考えてきた。つまり、そうったものをしばらく食べないことで身体の毒素を輩出して、そこから徐々に変化をつけていくのはどうだろうか? とのことらしい。昨年末、とある事情からカレーというものを一切食べない生活を始めたんですけど、原理的にはそれと同じようなものですかね。ただ、ひたすら揚げ物に絞った断食を行い、油分みたいなものを全部出してしまおうと、つまりはそういうこと。
「別に肉や魚を食うなと言っているわけじゃないですし、これならあなたにも出来るでしょう」
随分な言われようだが、店主の今までの努力を考えれば、これでもかなり生易しい言い方なのだろう。世捨て人である店主は、基本的に誰かのためになにかをするというのが好きではない。形だけの客商売をやっているとは言え、そもそもが人好きな性格をしていないからね。私とはもう長い思付き合いですが、店主に言わせると「唯一、腐らせたくない縁だと思いました」とのことらしい。まあ、お互いに色々あって今の関係になったわけだけど、出会った当初はこんなにも長い付き合いになるとは思っていなかったな……互いに相手のことが興味なかったし。あの頃は、どちらも単なる客だった。

まあ、大事な親友の助言ですから、とりあえず2月から1ヵ月ぐらい揚げ物を断ってみようかと思います。どうして来月なのかといえば、2月は28日間しかないですからね。通常より短いなら我慢も出来るのではないかと。食べ物に対する禁断症状なんて私は持ち合わせていないはずだし、このまま少しずつ食事の内容を変えていければ、少しは長生きできるんじゃないでしょうか。最初から健康になることを考えるからハードルが高いわけで、まずは不健康なものを辞めることから始めて見ようじゃないか。成功するしないはともかく、やって見る価値はあると思う。
昨年からpixivやTwitterを活用するようになって、それによる繋がりや交流というものが増えてきました。私は自分がネット文化に疎いとは考えていませんが、リアルとは比較にならないほどの速度で進化を続けるネット社会のすべてを理解しているとも思ってはいません。だから、新しいコンテンツを使って出来た関係性がどれだけ篤いのか、それとも薄いものなのかというのは、常に悩んでいることだったりします。mixiはちょっと事情が異なるけど、Twitterだと分かりやすいのかな。

Twitterというツールの説明は不要だと思うから省きますけど、あれは本当に気軽というか、気楽すぎる一面があると思う。私はなにも不用意な呟きがどうのとか、そういうことを言いたいわけじゃなくて、敢えてこういう表現を使うと、その程度の問題であればmixiだろうが、ブログだろうが、今までいくらでも合ったじゃないですか。2~3年前までは、mixiでの犯罪告白なんてものが話題になっていましたしね。
私が気に掛けているのは、そんな自業自得な問題のことじゃなくて、Twitterにおける人と人の繋がりみたいなもので、こんな風に書くと仰々しく思えるかも知れませんが、Twitterがフォロワーとの交流を楽しむという側面を持っている以上、私は重要なことだと思うんですよ。Twitterで他者と繋がりを持つのはかなり簡単で、フォローボタンひとつ押せば、相手の呟きが自分のTL上に流れてきます。そして相手が自分のこともフォローしてくれれば、相互フォロー完了ということで、晴れて双方向の繋がりが持てるというわけです。
けど、芸能人とか業界人とか、所謂著名人と呼ばれる方々は例外にしても、一般的な観点でいえば、この相互フォローって凄い楽だと思う。Twitterにはフォローされたら、フォローし返しましょうといったマナーのようなものがあるから、よっぽどの事情がない限り、すぐにフォロワーになってくれたりするんだよね。ツイートを拡散させてフォロワー募集を掛けたり、目についた人を片っ端からフォローしていけばある程度のリフォローがなされるから、著名人以外で1000人以上のフォロワーを持っている人はそういうカラクリがあるわけです。私は別に否定しようと思わないし、フォロワーを増やすこともまたTwitterの楽しみ方だと認識しているんだけど、じゃあ、果たしてそうやって作られた繋がりは篤いのかと言われれば……きっと、違いますよね。

私は人間関係に対して小心者な部分があるから、友人や知人といった者に対する線引きがとても苦手です。例えば、自分は友人と思っていても、相手はこちらを知り合い程度にしか考えていないんじゃないかとか、まあ、ありがちですけど、そんなことを常に考えてしまう臆病なところがある。そんな私からするとTwitterのフォロワーというのは、そもそも知り合いと呼んでいいのかすら分からないほど曖昧なもので、不思議なことに言葉を交わすことがあっても、そこにさしたる実体はないのです。
昨年の冬コミで、私のスペースに幾人かフォロワーの方が訊ねてきて、実際にリアルで挨拶を交わす機会というのを得ることが出来ました。それにしたって片手で数えられる程度ではあったんですが、私はここで初めて相手のことを現実の存在として強く認識することが出来たというか、少なくともこれで知り合いぐらいにはなったんじゃないかと、そんなことをぼんやりと考えていました。勿論、相手は私のことを既に友人だと思っているかも知れないし、そうだとすれば失礼な事この上ないとは思うけど、Twitterでの関係性ほど、相手との距離感が掴みにくいものはない。フォロワーはフォロワーであって、友人とも知人とも違うまったく別種の存在なのではないかと、最近考えることが多い。
mixiやpixivだって、それは同じです。招待制だった頃はいざ知れず、今のmixiは開放的ですし、マイミクを作ることもそれほど難しくはない。フォロワーほど気軽ではないでしょうが、著名人の中には限定何名でマイミクにするとか、そんなイベントっぽいことをやっている人もいますよね。pixivに関していえば、私なんかでも50人以上の人がお気に入りに登録してもらえるほど、人に対する繋がりを作ることは簡単だったりします。まあ、マイピクに関してはそうじゃないのかも知れないけど、繋がりを広げ、人数を増やすことに喜びを感じる人なら、どんどん申請をしていくことでしょう。そして、私はそういうのに抵抗があったりする。

私はTwitterというものは自分の呟きを発信すると同時に、誰かの呟きを見るためのツールだと思っていて、そのためにはどうしたって数を絞らないとやっていけないと思うんですよ。著名人が関係者以外をフォローしないのとはまた違うんだろうけど、例えば1400人ぐらいフォローしている穹botのTLを眺めていると、もうなにがなんだか分からないわけで。人間の認識範囲なんてたかが知れてるんだし、1分なし数秒感覚で呟きが更新されていく中で、一体どのように人と深い繋がりや交流を持てばいいのか? そういった懸念から、私は積極的に他者をフォロー出来ないでいるんでしょうね。増やせば増やすだけ、文字通りフォローしきれない状況に陥ると思うから。まったく、悩ましい話です。マイミクやマイピクに関しては、知人以上であるという感情が私の中であるんですけど、相手もそう思っていてくれるとは限らないから、ネットによる人間関係なのに、結局リアルでの対面や遭遇を求めがちなのかもし知れませんね。人の気持ほど見えないものはないと言うけど、いやはやなんともはや。
某出版社が新しい編集部を立ち上げるにあたり、人出不足ということで私に声がかかってきた。その際、今の仕事というか職場にいても将来の経歴的になんの役にも立たないぞという説得を受けたんだけど、まあ、その通りだろうなと思った。世話になっているところを悪く言うつもりはないけど、先がない場所にいるということは分かっているつもりです。それを踏まえても、今回の話というのは私なんかには勿体無いほどであり、待遇も給料も今とは比較にならないほどのものになるだろうと思います。なにせ相手は業界最大手の一角、肩書きとしてはどこに出しても恥ずかしくないものになるでしょう。

まあ、現実的なことを考えて私に大手出版社の編集なんて務まるわけはないし、まだ死にたくなかったので話を聞くだけに済ませました。相手もそれほど本気ではないと思うしね。今の仕事が落ち着いて、それでもまだというならさすがに考えますけど、私には色々と早過ぎる話でした。気に掛けてくれているというか、買ってくれているのは嬉しいんだけど……なんていうのかな、私はまだ夢を追いかけていたいんですよ。我ながら馬鹿な事を言っていると思うけど、完全に中の人になってしまうと物書きとして自立することはほぼ不可能に近いですからね。
とはいえ、年齢的なことを考えると、やっぱり将来に対する不安とか、そういうのはあるわけで。ここで一生を決めてしまうのも、一つの手ではあると思う。いや、普通に考えればそうしたほうがいいはずなんだよ。私は今の仕事が将来的な経歴や経験の上で役に立つとはあまり思ってないけど、改めて他者からそれを指摘されちゃうと堪えるものがある。それは好きでやっていることなのかと訊かれると、嫌いではないとしか答えることの出来ない自分がいるしね。やりがいがないとは言わないけど、単に仕事以外の時間を多く持てるからやっているだけだし、将来性に乏しいという指摘には反論が出来ない。まあ、今やっている仕事がこれからどうなるかなんて、私には別に関係ないことなんだけど、去就は決めておくべきじゃないかという意見を無視することは出来なかった。
なんか、こんなふうに書くと私はどんだけろくでもない仕事をしているんだと思われそうだけど、そんな悪いものじゃないですよ。ただ、人に心配される程度には不安定で、先行き不安どころか先そのものがないんですけど。

年始に神田明神へ初詣に行ったとき思ったんだけど、お参りをする際に願掛けってするじゃないですか? 神様、仏様に対して「今年こそ○○がか叶いますように」みたいな、そういった類の奴をさ。大体、毎年同じようなことを願うわけですけど、毎回同じことを願っている時点で願掛けしたところで、神も仏も叶えてなんてくれない……って、これは初詣行った日の日記に書きましたっけね。よく覚えてないけど、結局自分の夢とか目標を叶えるのは、神仏じゃなくて自分自身なんですよ。なにかを成し遂げるために誰かの力を借りることがあったとしても、それは決して神通力なんかじゃない、生身の話に過ぎない。そんなの当たり前だと思うわれるだろうし、事実としてこれは当然の話しでしかないけど、じゃあ、どれだけの人がそれを理解し、認識して行動できているのか。
こういうことに対して、もっとも眼に見える形で頑張ることが出来るのは、やはりなにかしらのスポーツに取り組んでいる人でしょう。大会でも記録でもいいですが、自分の中で目標を決めて、そこを到達点する事に関して、スポーツほど分かりやすいものはない。少なくとも、人生設計なんかよりはよっぽど見通し良いと思う。でもさ、なにかに向かって突き進むという意味では、スポーツにしろ人生にしろ同じだと私は思うのよ。かつて、人は人生という学問を学び続ける永遠の学生だという言葉を、とある同人誌で読みましたけど、私はそれに共感してしまった。
決めるのは簡単さ、思うことも楽だよ。でも、本当に重要なのは自分がなにをしたいかではなくて、自分はどうなりたいかだと、私はそう思う。

いつまでも若くないんだからという言葉や、私の将来を案じての説得は、本来なら私なんかには勿体無いほどありがたいことで、そういうことを言ってくれる人がいるというだけで、涙が出るほど嬉しい。私がそういう人たちに甘えて、自分のやりたい事をやり続けようとしているのは、実際に愚かなことでしかないのかも知れない。けれど、私はかつて思ってしまった。想像してしまった。こうなりたいと思う自分の姿を。だから私は、無謀であってもまだ頑張りたい。諦めるのは、早過ぎるから。
オーガストの新作である穢翼のユースティアの体験版が公開されていたのでプレイしてみました。私が公開直後の体験版をやるなんて珍しい事この上ないのですが、この作品に限ってはかなりの興味があったので。最近はエロゲの体験版も容量が大きい物が増えて、これも600MBぐらいあったのかな? 結構時間かかりましたけど、それに見合うだけのボリュームはありましたね。ただ、これは多くの体験版に言えることなんだけど、これをまた製品版が発売されたときに繰り返すのかと思えば、ちょっと面倒くさいかも知れない。

既に公開されている体験版ですから、ネタバレもなにも無いと思うので色々書かせてもらうと、想像していたよりはずっと良かった。オーガストにしては珍しいタイプの、ハッキリ言って薄暗い話だったのでどんなものかと思ったんだけど、雰囲気としては古いegoのエロゲを思い出すような、そんな感じでしたね。純愛ゲーばかり作ってきたオーガストの意欲作というだけあって、世界観設定や舞台などはかなり作りこんでいると思う。ネタがネタだけに抵抗を覚える人も少なくはないだろうけど、人を惹き込むだけの魅力みたいのは確実にあった。
一度崩壊しかけた世界を舞台に、最底辺の地獄に住んでいる人間たちの生活を描いているわけだけど、汚いものの描き方というのがよく出来ているね。べっかんこうという可愛らしい絵を主体とする原画家だけに、ミスマッチというかアンバランスな感じになるのではないかと思ってたんだけど、それほど違和感もなく、これは声優の演技がなせる技でしょうか。さすが豪華声優陣を使っているだけあるわ。背景とかも、程良く腐った町並みになっていますしね。欲を言えばもう少し容姿の汚い下衆とかも描いた方がより雰囲気がでるとおもうんだけど、まあ、醜い奴をわざわざ描く必要もないのかな。陵辱的な展開があるのかは分かりませんけど、文章的なグロテスク描写もあったから、絵的な面でも少し覚悟はしておいたほうが良いかも知れない。ちょっと精神的にきつかったから。まあ、そこら辺は難しい塩梅だろうと思うけど、オーガストがどこまでやるのかってのは興味あるよね。ヘタをするとそれまでのファンを失い掛けない、これは一種の賭けだよ。でも、オーガストがそういった勝負に出たということに関しては、私は評価してもいいと思う。

体験版とはいえ、プロローグ的部分が終わったばかりなので攻略可能ヒロインも半分は顔見せ程度の登場でしたね。良く考えてみれば、聖女とか王族なんてどうやって牢獄の殺し屋が攻略するんだよって思いますけど、彼女たちが牢獄へ来るのではなくて、主人公が上層まで上がるってことかな。前者の場合、よっぽどのことがないとありえないし。その際に思ったんだけど、このエロゲのヒロインたちって牢獄だ娼館だとか良いながら、ほとんどが処女なのではないでしょうか? サブキャラの娼婦たちはともかく、攻略ヒロインに関していえば全員処女っぽいよね。キスもしたことがないティアは当然として、娼婦になる前に身請けされたエリスも貞操守ってそうだし、聖女であるイレーヌは純潔だろう。見た目ロリで尚且つ王族のリシアが経験済みとは思えないし、フィオネみたいな堅物に近い騎士に浮いた話はないだろう。
そう考えれば、娼館街だとか地獄より酷い世界なんて言いながら、ヒロインは処女しかいないことになる。まあ、エロゲにおけるヒロインの膜と純血ほど重要なものはないと言うけど、作品の雰囲気的にはどうなんだろうか……そもそも、サブキャラである娼婦たちと寝る機会はあるのかどうか。オーガストのことだからFDでいう気もするけど、意欲作なんだからいつもと違うことをしそうな気もするし。まあ、ハッキリいえばアイリスのイベントシーンはあるのかってことなんですけどね。あれはちょっと卑怯だよ。非処女確定していてもキャラ的に魅力がありすぎる。

オーガストの作品というのは基本的にシナリオが馬鹿みたいに長いことで有名ですけど、体験版でこの長さなのだから、本編はどれほどのボリュームになるのか。さすがに体験版第二弾が出ることはないだろうけど、3月の発売が楽しみといえば楽しみですね。一応購入を決めていますけど、諸事情で春までは金銭的なカツカツなので、あくまで予定といった感じです。今月もほしい作品は幾つかあるんですが、正直金が足りない。予想以上にヨスガノソラのBDが懐を圧迫していて、痛いどころの騒ぎじゃなくなってます。そういえば、あれもそろそろ2巻が出ようというのに特典がまったく発表されませんね。数字の上ではともかく、目に見えて売れている気がしないというか。そういや、Sphereの公式で新作についての記述がなされたけど、とりあえずPUSH!!を買えばいいらしい。週明けには出ているはずだし、チェックするだけしてみますかね。

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