最近、エロゲのグッズ製作等をしているデジクラフト社が、そこかしこのブランドからノートPCとネットブックを発売していますね。エフォルダムソフトの由宇ノートPCを始め、HOOKにゆずソフトと、人気メーカー片っ端という感じがします。春日野穹PCの25万ぐらいするプレミアムモデルを買った私だけど、当時は批判ばかりしてましたっけ。まだ一年経ってないことなので記憶は新しいけど、皮肉なことにあの批判の後に出たPCは、こちらの要望が反映された内容や仕様になってるんだから笑えません。どうして、穹PCでそれが出来なかったんだろうか。

エフォルダムソフトは毎月描き下ろしのグッズを出すグッズ商法で攻めていますから、憂姫はぐれ先生お疲れ様です以外の何物でもないのだけど、由宇のノートPCについては正直悩んでいる部分があります。由宇は可愛いと思うし、これまで出たグッズは全て買ってるけど、流石にまたノートPCを買うっていうのは現実的じゃないよね。ネットブックにしたところで7万円以上はするわけだし、天板の描き下ろしとカートンケースに金を払えるのかと言われると……うーん。
穹のときは、なにせ春日野穹は私の中で特別な存在だったからこそ、一番高いモデルを買ったし、仕様について文句も沢山言ったわけだけど、由宇に関しては昨年出たエロゲキャラの中では1,2を争うほど可愛いというぐらいで、恋騎士という作品の出来に対する不満もあってか、それほど購入意欲が沸かないというのが本音。単純にお金がないってのもあるんだけど、今のところは検討も様子見もしてません。ネットブック自体は、前々から欲しいと思ってるんだけどさ。
パソコンに萌えキャラの絵を描いただけの商品が高額で売れるというのは、私とてはなんだかなと思いますよ。以前にも書いた気はしますけど、デ・ジ・キャラットのドラマCDで、「キャラ絵が描いてあれば、オタクは物干し竿や筍の水煮でも買っていく」と言ってましたが、現実に米や酒やゼリーが売られているのを見れば、全くもって笑えない話ですよね。現実がフィクションに追いついてしまったわけですから。

ゆずソフトは縁がないのでよく分からないのですが、ノートPCを出すにあたってHOOKのツイッター上における発言はなかなか好感が持てました。Sphereもそうですが、ノートPCやネットブックというのはどこからどう見ても安い商品ではないし、萌え絵を付けた上で値上げ販売をしていることから、間違ってもお買い得品などではありません。だから、ブランド側としては価格に対しては触れないことが多いんですね。安いといえば安いわけ無いだろと言われるし、高いといえば、じゃあ、何でそんなものを出すんだということになる。
でも、HOOKはノートPCやネットブックが高額商品であることをしっかりとユーザーに説明した上で、それでも良ければという感じのニュアンスなんですよね。変に購入を煽ってないというか、もっと言うと余裕が無い人は買わなくてもいいぐらいの勢いだったりします。おそらく、この萌えPCはデジクラフトが目についたブランドへ持ち込む形で成立しているのだと思うけど、HOOKはそれほど気乗りしていなかったのかな。新作発表の方をメインにしていかなくちゃいけないとはいえ、HPでの扱いもそれほどじゃないし。
エフォルダムソフトなんかは、私の認識だとグッズで儲けるブランドと化している面がありますから、別にノートPCをバンバン売りだそうと不思議はないんですけどね。HOOKはかつて氷庫版で失敗して以降、グッズ製作には常に慎重な姿勢で挑んできたと思うし、安易に高額商品を出すことに抵抗感みたいのが、やはりあるんだろうか。

今年は夏コミの印刷費が途方もない額になりそうなので、私は節制と節約をしなければいけないし、ノートPCなんて買っている余裕はありません。去年の穹PCだって、穹だったからあそこまで高い金を、あんな出来のものに払ったわけで、正直未だにあの仕様に対する不満が残っているので、改善されたとはいえ同じところの違う商品を買う気になれません。まあ、春日野穹PCよりはまともな仕様になっているようですし、キャラ萌えのオンリーグッズとしては成り立っていると思いますから、買いたい人は買えばいいんじゃないかな。高いだけですからあんまりおすすめは出来ませんが、別に性能が悪いわけじゃないし、むしろ良い方ではあるのだから、ネットとエロゲやるだけなら問題もないでしょう。ただ、割にはあわないよ、というだけでね。ユーザーの冷静な判断に期待しましょう。
昨日桜木町に行ったのは、今日観る映画のチケットを取りに行くことで、駅前のコレットマーレ内にある映画館、横浜ブルク13で機動戦士ガンダムUCのEP5を観てきました。普段、チネチッタや109ばかり利用している私には初めての映画館でしたけど、これがどうしたなかなか良いところでね。最近出来た、というには数年ぐらい経っている気もするけど、新しいだけあって設備は本当に綺麗でしたよ。映画館ってのはそれぞれのスタイルが出ることでも有名だけど、ブルク13に関しては高級感を売り物にしているのかな。

UCを上映したのはスクリーン1だったんですけど、その横に細い通路みたいのがありまして、最初はお手洗いかと思ったらどうにも違い、確認するとなんとバーが隣接されていました。公式サイトによると、プレミアムラウンジのサルーンヒメルと言うらしいですが、まさか館内にそんな施設があるとはね。喫茶店とかが外にあるというなら分かるけど、チケット見せて入った中にそんなものがあるとは思いもしなかった。いや、公式サイトを何気なく観ていて、「へぇ、バーなんてあるのか」ぐらいには知ってたんだけど、てっきり外にあるもんだとばかり。なかなかどうした、洒落てるじゃないですか。
仕事終わりに駆け込むように入ったから、流石にバーの中を覗いている余裕はなかったのだけど、調べたところによれば映画館内という立地上、それほど人で混んでいるわけでもなく、一種の隠れ家的雰囲気があるらしいです。それって裏を返せば流行ってないんじゃないのか、と思わなくもないけど、一度は足を踏み入れてみたくなるような、そんな雰囲気があるのは否定出来ない。あいにくと公式サイトにも詳しい説明はなく、どんなメニューがあるのかなどは分かりませんでしたが、昼はカフェタイムをやっているそうで、人によってはそっちの方が入りやすいのかな?
ただ、私に言わせるとブルク13はスタッフの対応に素っ気なさや雑な面が見られたので、サイトにあるようなおもてなしの心を感じることはあまりできなかったかもしれない。なのでカフェに対しても、さて、どれほどのサービスなのかという疑問みたいのがあったり。まあ、物珍しさだけではいっても、元は取れるような気もするんだけどね。

そんなわけでガンダムUCなんですが、二週間限定のイベント上映ということで、実は劇場で観るの初めてだったりします。EP5が、という意味ではなく、UC自体劇場で観たことがなくてね。興味がなかったわけではないのだけど、なんとなく機会を逃していて、アニマックスでEP4までの一挙放送をやらなかったら、相も変わらずスルーしていたかもしれない。話し的にはいよいよ折り返しといった感じで、地球編が終わってまた宇宙へと帰るわけですが、ガンダムの主人公ってのは例外あれど宇宙生まれの宇宙育ちが多いですからね。戻ると言うよりは、帰るという表現のほうが正しいのかな、やっぱり。
前回のようにバイアラン・カスタムによる無双が行われたり、オールドモビルスーツによる博物館的な演出もありませんでしたから、実の所戦闘描写としては結構地味だったのかもしれない。むしろ、キャラクター同士の会話や対話に比重が置かれており、それはミネバとマーサであり、バナージとブライトであり、アルベルトやマリーダ、いえ、プルトゥエルブもそうでしょうか。リディとミネバのそれは考え方言うより生き方、進み方の違いであって、結局のところ彼はミネバ・ザビという少女の生き様を受け止めることが出来なかった。彼女は確実に血に対する宿命や運命を背負っていきており、自分自身がそこから逃げず、立ち向かおうとしている強い女性です。けれどリディは、その気性や性格から、少女とはかくも弱いものであるという男性的な発想から抜け出せなかった。彼は戦士であると同時に騎士であり、騎士である以上、か弱き姫であるミネバを守りたかった。でも、ミネバはそんなリディの器に収まるような人ではなかったんですね。
故にミネバはリディと一緒に行くことはできない、彼に守られる存在である自分を否定し、身を投げたのです。彼女にとって必要だったのは騎士であるリディではなく、共に同じ道を歩んでくれる人、バナージだったのだから。

バナージとオードリーの会話から、オードリーが彼に対して抱く絶対の信頼感が見て取れます。彼女はバナージという少年が、自分の理解者であること、リディと違い自身の行いを否定せず、共に歩んでくれる人であることが分かったのでしょう。バナージの言葉に「はい!」と答えたオードリーの初々しい可愛らしさといったら、リディに見せたミネバとしての強さとは対極の位置にありますね。出来ればもう一度観に行きたいけど、流石に時間無いだろうなぁ。ちなみにプラモ付き限定Blu-rayは、昨日の時点でありませんでした。
ちょっと用事があって仕事帰りに桜木町へ向かうことになったのですが、なにを思ったのか雨の降る中を横浜駅から徒歩で向かうことにしました。要はたかだか130円の切符代をケチったのだけど、歩き始めて10分ぐらいで後悔した。みなとみらい方面にずっと歩いていけばすぐ着くだろうと思ったのに、これがどうした、なかなか着かないのね。地図上でもそれなりの距離があるような気はしてたんだけど、実際に歩いてみると結構疲れました。自分が歩いている道が、本当に会っているのかと、そんな気分にもさせられたし。

私は生まれも育ちも横浜ですが、どちらかと言えば市外に近い隅っこの方が地元のため、所謂桜木町や関内を始めとした、みなとみらい方面には疎い部分があります。横浜駅周辺ならまだしも、そこから歩いて桜木町へ向かうとう言うのは生まれて初めてのことであり、そもそも横浜から130円出していけるような場所を、普通は歩こうなんて思わないよね。それをしたのは前述のとおり私が交通費ケチったからなのと、もう少し言えば自分が知らないであろう横浜の街を、少し歩いてみたくなったのかもしれない。
散歩がしたいなら、もっと晴れた日に、日中やればいいじゃないかという話で、それはもっともな意見だと思うけど、たまたま今日用事があったからさ。雨は降っていたし、空も時間も夜だったけど、たまにはそんな日があってもいいのかなって、そう思いました。結果から言えばくたびれただけだし、帰りには普通に電車乗って横浜まで戻ったんですが、不思議と後悔はなかった。130円出せば2分で着くところを、10倍の20分掛けて歩いたわけだけど、それに勝るとも劣らない満足感や達成感のようなものが、少しだけ自分の中で芽生えたような気がしたから。我ながら子供っぽいと思うし、安いっぽいですけど、そんなときがあってもいいじゃない。ランドマークタワーの近くまで出たときとか、割と感動しましたよ? 真っ直ぐだったとはいえ、道に迷ったんじゃないかという不安もあったし、辿り着いたときの喜びと言ったらもう……流石に少し大げさかな。
まあ、もう一度やるのかと言われれば、二度目はないよって感じでもあるけど、とにかく夜の散歩としてはそれなりに楽しかったです。メロンブックスで、すぴぱらを引き取る用事もあったので、さっさと帰らなくてはいけなかったから、夜のみなとみらいに洒落込むなんてことは出来なかったけど。

横浜といえば、七島の通称で親しまれている五番街のゲームセンター、セブンアイランドが27日で閉店になるそうです。ちょっと前には、アメリカン・グラフィティが閉まりましたし、時代なのか、五番街もお店の閉店が相次いでますね。FREEDOMとマクドナルドの隣にあった料理屋とか、知らない内にシャッター降りてたけど、どうやら1月末には閉店していたらしい。この4ヵ月ほど、まったく気付きませんでしたよ。
七島にしろ、アメリカン・グラフィティにしろ、子供の頃は父親に連れられて入ったこともあったけど、ここ最近は前を通りすぎるぐらいは、足を踏み入れたこともありませんでしたね。元よりゲームセンターというものが好きじゃなかったのもあるけど、それでもいざ閉店すると聞くと寂しく思うのは、やはり私が地元民だからなのだろうか。五番街も迫っこいところではあるけど、それなりに好きな店も多いし、思い入れもありますから、ここ最近の閉店ラッシュにはなんだかなぁと。ゲーセン自体は、ちょっと行った先にSEGAだのRound1だのありますけど、五番街のそれは歴史がありますからね。まあ、FREEDOMもポップンの筐体を見せ前から撤去して久しいし、そもそも今はゲーセンという時代じゃないのかねぇ……
私はゲームの才能があまりないし、特にアーケードゲームは技術がものをいう世界ですから、物心ついたときには既に敬遠する傾向にあったのだけど、七島に関しては閉まる前に覗いてみるのもいいかも知れませんね。ケチだから、何かしらプレイすることはないだろうけど。

時が流れれば街並みも変わり、消え行くものというのは次々に出てくることともいます。なにせ今は不景気ですし、それでなくとも震災の影響で老朽化したビルとかはどんどん閉められています。五年後どころか、一年後にはガラリと風景が変わっているなんてこともあり得ない話じゃないし、それなら今のうちに、自分が知らない自分の街を、足で歩いて目で見つめ、しっかりと想い出に刻むのも良いんじゃないですかね。まあ、その為には若干体力が必要になってきますが、若いうちにしか出来ないことってのもあるんだし、暑さが本格的になる前に、街歩きを楽しんでみても良いかも知れません。
ただ愛し続ける君へ
唐突ですが、本日行われていた某即売会で発行された同人誌、サークル・baroque diveさんの「Rose Bad Short Film」に、ゲストで短編を一つ寄稿しました。イベント自体はとっくに終わっているので、もう購入することは出来ないのですけど、コピー本だったのを良いことに前日まで作業を続けて、今朝方完成するという超ギリギリの作業だった。執筆期間はそれなりにあったのだけど、自分自身で時間を作ることができませんでね。まあ、言い訳でしかないけど、いつも通りの感じなったのかな。

イベントといっても蒲田でやっていたぷにケットではなく、某所で開催していた特撮オンリーで、ジャンルは海賊戦隊ゴーカイジャーになります。画像は発行されたコピ本の表紙だけど、あまりゴーカイジャーっぽくはないですね。むしろ、色合い的にディケイドじゃないかと思うんですが、親しい人が参加するというのでゲスト原稿を頼まれまして。特撮本に寄稿するのは初めてだし、ゴーカイジャー自体、映画でしかよく知らなかったのだけど、イベントまでの数週間に一気見を敢行し、なんとか話と設定を理解するに至りました。即興というか、突貫作業というか、ほとんど一夜漬けに近いんじゃないかという話だけど、元々戦隊ヒーローは好きな方だったし、尚且つカップリング本というのが大きかったと思う。カプ本だと、そのカプにさえ思い入れがあれば、如何様にも書くことができるからね。
ゴーカイジャー本でどんなカップリングなのか? と言われれば、マーベラス×ナビィであり、身内曰くマベトリ本とのことだった。人間じゃなくてマスコットロボットじゃないか、と思ったそこの貴方。私も同じこと思ったけど、サークル主曰く萌えたらしいので。まあね、同人誌でカップリング本なんて萌えた者勝ちですよ。そこに一欠片のときめきを見いだせたなら、一冊本を書くぐらい訳がないといいますか。私もその欠片をいくつか分けて貰う形で、短編書いたわけですし。

自分のサークルがジャンル固定をしている関係で、ここ最近はヨスガノソラ以外で二次創作を書いて来なかったのだけど、たまにはゲストというのも悪くないですね。コミケ当落前の気晴らし……としては結構キツイ作業でしたけど、丁度ポッカリと予定も空いてましたから、なんとか書くことが出来ました。カップリング本ではあったけど、曲がりなりにも特撮、それも戦隊の本だったから、久しぶりに戦闘パートにも挑戦してみたり、個人的には結構満足の行く話でした。私はそもそもロクゼロ等で同人やっていましたから、戦闘描写とか、戦いのシーンを書くこと自体は結構好きなんですよ。でも、流石に美少女ゲームであるヨスガノソラでは戦闘とか書きにくいじゃないですか。オトギノソラは童話パロだったので少しありましたけど、後はマフユノソラで騎馬戦のシーンをやったぐらいで、基本的にはそういう荒事とは無縁の世界観になってます。
別に恋愛メインのカプ本がつまらないってわけじゃないけど、たまには戦闘をガツガツ書いてスカッとしたいのは、やっぱり私が男の子だからなのかね? 厳密に言えば男の子とか年考えろって感じですが、それはまあ、表現の一種ということで一つ。ロクゼロが企画としてストップしているから、またしばらくは戦闘描写とかも書く機会はないのだろうけど、それに関してはオリジナルでなにか、という手もありますから、二次創作に拘らなくても良いのかな。ただ、私の場合、気付いたら戦っていたということがあまりにも多いので、この先出るであろうヨスガ本でも、あるいは……そういや、オカシノソラでもなんか魔法少女がバトルしてましたね。あれはなんというか、色々忘れたいw

夏コミでは新刊4冊を予定していますが、そのうち1冊はイラスト集ですから、私の作業といえば装丁やら各種編集作業になりますが、残り3冊は小説本なので、今から作業を始めても早くないぐらいです。まあ、本当にそんな数を出すことが出来るのか? という感じだけど、何事もやってみないことには始まらないでしょう。最も、イモウトノカタチの発売日が延期になった場合、3冊は2冊になるんですけどね。コミケは発売前の作品でパロディ本を出すのは、ルール違反ってことになっていますから。まあ、今の雰囲気的には問題なく出るような気がしますし、多分大丈夫でしょう。コミケの作業的には、大丈夫じゃないのかもしれないけど。
学生生活における大きなイベントといえば、体育祭、文化祭、そして修学旅行の3つが上げられると思いますけど、前2つが毎年行われるものに比べると、修学旅行は3年時に一度だけですから、なんとなく一番大きな、そして特別な行事に思えますよね。私も小中と経験がありますけど、高校生のときだけは行かなかった。理由は色々あるけど、まあ、海外に行くのが嫌だったんだよね。私が高校生だったのは随分前のことだけど、当時の選択が正しかったのかどうかは未だに分からない。後悔は一欠片もしてないのだが。

私は県内の私学に通っていたのだけど、そこの修学旅行は海外、つまり外国が行き先だった。国は確かオーストラリアかどこかで、カンガルーのいることろですね。ただの旅行なら行かないこともなかったんでしょうが、うちの高校は私学で、修学旅行は学業の延長上にあるという考えが強かったから、一週間という旅行にしては長期の日程も半分以上はホームステイのために設けたようなものだった。ホームステイ、つまり外国の一般家庭にご厄介となるわけだけど、私はファームステイの方に興味があってね。こちらは牧場や農場に泊まりこんで、その生活を体験するというものだったんだけど、個別ではなくクラス単位でしか選べなかったから、うちのクラスはホームステイになって。
それだけが理由ってわけでもないんだけど、まあ、語学に対する不安とか、色々あってさ。表向きは家計の都合を縦にして、私は修学旅行を回避しました。じゃあ、学友が旅行に行っている間、何をしていたのかといえば、別に家でゴロゴロしていたわけじゃありません。それだったらどんなに楽だったか、修学旅行居残り組は普通に投稿して授業を受けていました。授業といっても、自習だけどね。
どんな内容だったかはもう覚えてないけど、私以外にも修学旅行に行かなかった、あるいは行けなかったという同級生は結構いて、居残り組に割り当てられた教室は3分の1ぐらい埋まってたのかな。確かクラスメイトも一人だけいたような気がするけど、彼はなんで休んでたんだっけか。学年担任や副担任も旅行に同行していたから、居残り組は選択科目の教員が面倒みてくれたけど、授業をしているわけではないから、実際学校にいたのは半日程度だったような気もする。私はそうした生活を自分なりに満喫していて、空いた時間で平日開催のイベントに参加したり、割と気楽にやっていたように思う。

私もまあ、友達と呼ばれる存在がクラスにはいましたから、帰国後の彼ら、あるいは彼女らから土産物を貰ったりしました。比較的中の良かった女子だったか、カンガルージャーキーなるものをくれたっけ。何故に食べ物と思ったけど、なんでもオーストラリアはカンガルーが沢山いるせいで、食用に大量消費しても全然大丈夫なんだとか。折角買ってきてもらったのだからと自宅に持ち帰って食べてみたんですが、実は私って元々燻製の類がそんなに好きじゃなかったのと、慣れない肉の風味に戸惑ってしまい、結局飲み屋やっている父親に上げたような気がする。
修学旅行は前半がホームステイで、後半がシドニーかどこかのホテルに滞在だった気がするけど、クラスメイト達もそれなりに楽しいだらしい。結構なことだと思うけど、あれから随分と月日が流れ、私は未だに海外への抵抗がある。同人サークルとかで、台湾とか行ってる人を見ると興味はあるんだけどね、なんというか、私にはまだ早いような気がして。先に国内の方を見て回りたいという気持ちもあるけど、本当は単に怖いだけなのかもしれない。情けない話だけど、異国の地っていうのはどうにも……なかなか勇気がいるものです。
今だとオーストラリアもアメリカも、修学旅行の行き先としては珍しくもなんとも無いようですけど、未だに国内で京都とか言うのも少なくはないようです。創作物では良くある光景ですけど、あれで気になるのって例えば高校が舞台の話だとして、3年時に修学旅行で京都行くじゃないですか。すると、登場人物が、さも京都は初めてみたいな態度や言動を見せることがあるんだけど、じゃあ、君たちは小中高生の頃どこに行ったのかとね。

ちなみに地方の学校だと、逆に東京へ修学旅行に来るなんてのもあります。観て楽しい場所なんてあまりないかと思いますけど、秋葉原なんかで制服の集団を見かけることがあるのは、サボりでなければそういう事なんでしょうね。まあ、秋葉の場合、学生服着用だと入れないところも少なくないですから、行動範囲自体はかなり狭まれると思うのだけど、その辺りは理解しているのかな。駅前の閉店しないことで有名な閉店セール屋、あそこがたまに修学旅行生を引っ掛けてたけど、最近になって本当に、完全に閉店したとか聞いたけど、本当かな。そういや秋葉原に行く機会は多いものの、確認するのを忘れてた。今度行ったときにでも、跡地というのを見てこようかしら。
秋葉原のメロンブックス、今話題の「余命100コマ」という同人誌を買って来ました。コミティアで出されたオリジナル作品、つまり一次創作なわけだけど、こういう作品があるからコミティアというのは侮れない。完全な一次創作限定のイベントだから私はサークル参加したことないけど、世の中にはそれを知らない人もいるようで、コミ1でスペースにいたとき、「ティアでヨスガ本出したりしないんですか?」と訊かれた記憶がある。当然、そんな予定はなかったわけだけど、ティアがオリジナルだけしかダメなイベントだと説明すると、結構驚いていたかな。知らない人から見れば、コミケの小さい版という感じなのだろうか。

余命100コマは本当に発想勝ちというか、最初に書いた者勝ちといった感じの作品で、絵や漫画を書かない私でも、やられたとしか言い様がないものでした。逆に言うと、漫画だから出来たようなもので、例えば小説なんかだと絶対に無理なんですよ。そもそも、100コマという漫画のコマを利用した仕掛けなわけですから、これは見事といっていい。まあ、ネタに反して内容自体は割と平凡だから、物語として何がどう凄いってほどでもないのかもしれないけど、平凡だからこそ正統派作品として心に染みわたりやすいというか、なんというか。
私が感嘆を受けたのは、話やネタもさることながら、惜しげも無くページを使うことであり、実はこの同人誌、まったくの白紙ページがあったりするんですよ。遊び紙とも違う、本文中に発生する、一見すると乱丁や落丁のようなページ。でも、作品を読んでいると、それが意図的に行われた演出や手法、つまりわざとであることが分かります。
同人誌を作る方なら分かると思うんですが、確かに本文中に白紙ページを入れることは可能ですし、それ自体は難しいことじゃありません。ただ、このページは印刷しません、白紙で出して下さいと印刷所にいうだけですから、私だって目次と本文の間にいれることがあります。けど、両面とも白紙というのは通常まったくの無駄であり、ページが増えた分だけ印刷費が上がることを考えると、本当に凄いことをしているなって気分になる。私みたいに、如何に印刷代を安く抑えるかなんてことを考えている人間からすると、信じられないような話です。でも、それをやったからこそ、このように効果的で見栄えのいい作品が出来たんでしょうね。

ところで余命100コマはサンライズで印刷したらしいんだけど、私は一度この印刷所を使ってみたかったりします。今も未だあるのか分かりませんが、東京ビッグサイトから国際展示場駅に戻る道に広告が吊るしてあるから、それで知っている方もいるかと思いますけど、桜沢いづみが宣材を書いているところといえば良いのかな。ここは印刷品質がかなり高くて、それでいて印刷費も高いという印刷所なのだけど、同人活動をしていると、たまにはそうした高クオリティのところで本を刷ってみたくなるんですよね。
けれど、私は基本的に小説本の人ですから、わざわざオフセット印刷でする必要もないし、印刷費を売り上げで賄うなんてのは出来ないので、いつもオンデマになってしまう。多分、知らない人はいないと思うけど、うちの本って全部オンデマンド印刷で、オフセットって一冊もないんですよ。去年出したアンソロでさえオンデマですし、まあ、その割には結構良い感じに刷り上がっててましたが、とにかく一度ぐらいオフ本というのを出してみたいなと思いまして。特にサンライズなんて最高品質の一つだろうから、憧れみたいのが昔からある。
いっそ、誰でもいいから、うちのサークル名義で漫画本出さない? って感じなのだけど、基本的に個人サークルなので誰かと組んで合同本を出すという経験があまりないもんで……去年のアンソロでやればよかったのだけど、あのアンソロって今だから言うけど大半が小説ページじゃないですか。そう考えたら、オフセットにすることはないかなーって。後、何度か書いた気もしますが、いつも利用している印刷所がオンデマでも高品質の印刷を可能にしたと謳っていたので、それを試したかったのもある。

夏コミで発行予定の春日野穹イラスト集はもオンデマンドなのか? という質問ですが、これは明確に違います。オンデマではありません。確かにいつも使っている印刷所にもフルカラー本は作れるんですが、折角素晴らしいメンツが集まってくれた本なのに、オンデマで済ませるなんて勿体無いじゃないですか。まあ、予算が潤沢にあるわけではないですけど、今回は去年のような妥協をするつもりはありませんから、前々から刷ってみたかった印刷所、サンライズではないですけど、そこに頼もうかと思っています。少々高いですが、フルカラー本なんて高いのが当たり前ですからね。裏方の私としては、こういうところで頑張らないといけません。その為にも、まずは資料請求から始めないと。
某小説賞の山に埋もれていたんですが、春先というのはそういう仕事が多くて疲れますね。原稿の束という束をチェックして、まったくどうした結構な数です。世の中出版不況なんて言われていますが、というか不況なのは事実なんですけど、作家になりたい人というのは例年減ることがないというか、特にライトノベルなんかは投稿作品も増える一方なので、角川辺りが強気の態度を崩さないというのも頷ける話です。ただ、私に言わせると年間20人デビューさせるよりも、デビューさせた新人をじっくり育て上げることの方が大事なんじゃないかな。

私は今でこそ趣味の同人誌ばかり書いていますけど、オリジナル、つまり一次創作もしてないわけじゃありません。まあ、最近はすっかりご無沙汰ですが、元々物書き志望でしたからね。その道に進みたいと思って門を叩いたのが、さて、何年ほど前になるのか……当時の私は右も左も分からないどころか、ろくに文章も書けなかった青二才で、いや、今も青二才であることには違いないんだけど、本当に何も出来なかったな。本の趣味は古いし、新しい作品には馴染めなかったし、なにより文章が上手くなかった。私が物書きを志した当時は、まさにラノベ全盛期といった感じの頃で、群雄割拠の時代とも言えました。
つまり、若い作家志望はイコールでラノベ作家志望しかいなかったと言ってもよく、私みたいに古典SFとか、往年の日本人作家が好きだという奴はほとんど皆無だった。勿論、ライトノベルも読んではいましたけど、それよりもハヤカワとか創元読んでいる方が面白いと本気で思っていたし、元々が図書館愛好家だったから、今時の作品よりも、ちょっと古めの作品ばかり読んでいたというのも、私が異質だった原因なのかもしれない。師は私のことを正統派と評することが多かったけど、同年代の連中にとってそれは異端の証明であり、彼らは自分たちと違うものを観ている、もしくは読んでいる私と、遂に分かり合う事はなかったように思える。
唯一理解を示してくれたのは、今も付き合いのある私の親友ですが、彼の場合は多少なりとも私の趣味に近いものがあったし、感性が似ていたものかも知れませんね。書く文章はまったく違う、私よりもずっと繊細で丁寧な感じなんだけど、彼も今年はわけあって創作活動に打ち込むみたいだから、色々と期待していたりします。前にも書いたと思うけど、同期の文章を読む機会って本当になくなりましたからね……

結果として、私は物書き兼出版社の居候という微妙な立場に身を置きながら、仕事と趣味の同人活動をなんとか両立させる毎日を過ごしています。物書きといっても作家ではないですし、名前の載るような仕事は一欠片もないのだけど、そろそろかつての夢に対しても真剣に向き合う時期が来ているのかもしれない。親友が頑張るから私も、というわけではないのだろうけど、なんだかんだ言っていい歳になりましたし、安定収入に浸かりながら、趣味の同人誌を書いているだけで満足するのは、楽しいかもしれないけど違うんじゃないかなって思いまして。
こういう自分語りをするのは本意では無いというか、めちゃくちゃ気恥ずかしいのだけど、書いておかないと結局は同じ事になりそうだからさ。夏コミの原稿書いて、スパーク? は出るのかわからないけどそれも書いて、気付いたら冬コミが目前に……なんて例年の繰り返しをしてたら、一次創作なんて書けませんからね。どこかで線引きというか、覚悟は決めておく必要があるだろうし、それを形として残しておかないことには。
そういや、SF関係の仕事が多いせいか、よく勘違いされるのだけど、別に私はSF作家志望ではないです。勿論、SFも書いてみたいし、挑戦してみたいジャンルではあるのだけど、なんというか私には難しくてね。古典ばかり読んでいたせいか、やはり出来上がる作品が文体からなにまで古臭くなってしまう。確かに、この現代社会に光線銃はないとは思ったけどさ。でも、好きなんだよ光線銃と書いてレイガンとか。

まあ、私も仕事含めて十年以上研鑽を積んで、それなりに書けるようにはなってきました。少なくとも過去に書いた作品よりはマシになっているだろうし、そろそろもう一勝負していい頃だと思うんですよ。散々あった機会を自分で潰したり、逃したりしてきたけど、まだ自分でも若いと思えている内に挑戦というものしてみたくなった。今ある同人活動の予定を残しつつですから、大変なんて言葉じゃ済まされないのだろうけど、考えてみれば知り合い含めてプロは皆それをやっているはずなんだから、私もそれぐらい出来なくちゃいけないのかな……とりあえず、やるだけやってみます。為せば成るという言葉は嫌いじゃないし、私は結構精神論とか、熱情が好きですからね。人生の充実とは即ち、自分のやりたいことをすべてやり終えたときに感じられるのではないか。なんて、少し格好つけすぎかな。
特になにもない一日でした、で済ませると、まるで夏休みのやる気のない絵日記みたいですが、今日は本当になにもありませんでした。普通に仕事して、ネット観て、取り立てて大きな事件もなければ動きもない、そんな平凡な一日。疲れないという意味では嬉しいことだし、私は人生に刺激を求めている方でもないから構わないのだけど、日記を書く上ではやはり、なにかしらのネタが欲しいところではあります。ついろぐで自分の呟きを確認してみても、驚くほどなにもないことが分かる。

かと言って振り返って何かを語るようなこともないのだけど、今日はそういや隔週で聴いてるネットラジオの日でしたか。私も少し前まではラジオっ子だったはずなんですが、最近はめっきりラジオというものを聴かなくなり、今ではそのネトラジぐらいしか耳にする番組がありません。地上波の文化放送とか、最後に聴いたのは何年前かってレベルですしね。どうしてラジオを聴かなくなったのかといえば、聴いていた番組が終了したからと言うしかないのだけど、それ以上にどうも最近のラジオ、特にアニラジというのは肌というか耳に合わなくてね。
必要以上に作られているというか、それでいて奔放すぎるというか、継続的に聴取するだけの魅力を感じなくなってしまった。パーソナリティにしても、私は若手というか新人声優に疎いところがあるから、名前見てもよく分からなくなってきたし。一応、アニメは観ている方だと思うんですけど、それがラジオパーソナリティやってる若い子と結びつかないのよね。特に最近は、これでもかというぐらい新人デビューが相次いでるし、認識や把握が追いつかなくて困る。
単純に私が歳を取っただけじゃないか、という話だけど、もっと言うと聴く時間がないってのもある。仕事中に聴けるようなら一番いいんだけど、そういうわけにも行かないし、膨大にあるラジオ番組を全て抑えることなんて、なかなか出来ませんからね。超A&G+ぐらいは、と思わなくもないけど、あれって生放送が結構多いから、生で聴かないと楽しめない部分が多くてさ。デジタルラジオだった頃は、まだしも生のやり取りが可能だったんだけど、完全にネット移行してからは、どうもリアルタイムで聴くというのが難しくなり……たった一つ例外を除いて、どの番組も聴かなくなってしまった。かつての自分を考えると驚くべき話なんですが、逆に言うとネットラジオが増えすぎたというのも影響しているんだろうか。

ラジオだって聴けば楽しいんだろうし、今の番組には今の面白さというものがあるんだと思うけど、積極的になれない自分がいる。朝のFMラジオとかなら普通に聴いているんだけど、深夜ラジオって本当に縁遠いものになってしまったな。FMはさ、なんていうか毎朝同じ番組が長期スパンでやっているわけだから、変わらぬ面白さってのがあるわけですが、AMだとね……好きな番組が1,2クールで終わることなんて最近じゃ珍しいことでもないし、ちょっと聴かない間にパーソナリティが変わっていた、なんてこともあるぐらいです。まあ、後者に関しては毎週欠かさず聴いてなかった私に問題があるんだろうけど、このところはそういうことが結構多くて。
昔は良かった、なんてことを言うつもりはないけど、あの頃、つまり超A&GがDREAMPOWERだった当時は、アニラジというものに無限の可能性や広がりを感じていたっけな……私は大きな集まりというのが好きだったから、かつてA&Gとして一つの集合体であったQRのアニラジ群に対する思い入れは、やっぱ強いわけでね。翼なき者たちへとか、その象徴じゃないですか。あれから十年ぐらい経って、残っているのもラジオビッグバンぐらいか。正確にはアニスクもやっているはずですが、あれは地上波から撤退してネットオンリーになったらしいし。考えてみれば、あれもなんで終了しないんだろうね。一種の維持かなにかなんだろうか。1000回も突破したし、やれることまでやってみようみたいな。

ネタがなくなると昔なつかしラジオ話に逃げる私ですが、実は最近Twitterでマリ姉こと國府田マリ子さんからリプライを貰う機会がありましてね。ニャル子さん、ではなくて、これゾンの妄想ユーの声をやっていたことに対して私が呟いていたら、わざわざ反応して下さって。それで、なんというのかな、少し昔のことを思い出してみたくなりまして。結局、人間なんてのは自分の若いころ、所謂青春時代が一番思い出深く、思い入れもあるわけですから、今より昔が好きってのは当然なんだよね。けど、だからといって今を生きる若者にそれを押し付けちゃいけないよ。だって私たちの青春時代は、彼らにとって体験しようのない、過去のことなんだから。しかし、今のアニラジか……なんかオススメの番組でも、知り合いに教えてもらおうかな。
神田の駅前をみずほ銀行の方に歩いてたら、東口にあったはずのファーストキッチンが閉店していました。今や会った場所には工事用のビニールシートのような物が掛けられ、調べてみると今年の三月には閉店していたらしい。元バイトらしい人のブログを見る限り、そんなに流行っていなかったらしく、つまりは潰れたってことだね。神田のファーストフードショップも、これでバーガーキングだけになったわけか。かつてはマックドナルドにロッテリアもあったはずなのに、遂に最後の一つまで減ってしまった。

私はあまり外食をする方ではないし、したとしてもファーストフードはそれほど割のいい物じゃないと分かっているのだけど、例えば会社のデスクで食べたい場合とかは、コンビニ等で買った方が安いとわかっていながらも、バーガーキング等を利用することもあります。単純に、ああいう粗雑な味が好きなだけも知れませんが、まあ、舌にあってるんでしょうね。神田のファーストキッチンも昔はそこそこ利用していましたし、結構馴染みのある店でした。
けどまあ、オフィス街のファーストフード店なんてのは昼間はともかく夕方や夜はキツイものがあるのだろうし、過去に閉店していった店舗たちも、同じような理由で撤退したんだと思います。飲食業はただでさえキツそうだし、今は500円出せばそこそこの定食が食べられてしまう店がいくらでもありますからね。私はなんていうか、そういうのは所詮500円の味しかしないので好きではないのだけど、中には利益を度外視したコスパ良すぎる食事なんてのもありますし、秋葉や神保町なんかは、そういうのが多いのかな? それを考えれば、500円から700円ぐらいはするファーストフードを好んで食べる人が少なくなっているのも分かるような気はする。
私なんかはまだ若いから、ああいう味でも美味しいと思えるし、満足できるのかもしれないけど、決して上等な食べ物というわけじゃないし、以前合った高級志向、今もロッテリアが仕掛けていますけど、1000円とか払って食べるようなものじゃないってのは、その通りだと思うしね。松阪牛バーカーとか、近江牛ステーキバーガーとか、別にわざわざハンバーガーで食べなくてもいいじゃないですか。なんでも挟めば良いってわけでもないし、ファーストフードで1000円以上使うってのは、結構勇気がいると思うよ。家族全員の分ならまだしも、一人で1000円ってのは、ダメな大人の典型みたいじゃないですか。

まあ、別にファーストフードなんて横浜まで戻ればいくらでもあるんだけど、横浜にしたところでいつの間にかポルタの中にあったロッテリアが潰れてましたしね。チェーンそのものが潰れるってことはないでしょうけど、やっぱり厳しい時代なのかな。そういや、表参道にウェンディーズが復活したらしいが、あれもその後どうなったのか。土地柄か戦略か、やはり高級志向のバーガーを出しているそうだけど、フォアグラバーガーとか言われても、一体誰が食べているのやら。表参道の住人ってのは、そんなにお金持ちなのかしらね。小洒落たところに出店していくのだとすれば、今後は六本木か、横浜ならみなとみらい辺りに来るかもしれないが、その前にまた撤退しそうな気もする。
結局、潰れるってことは相応の理由があるわけで、バーガーキングだって今はなんとかやっていますけど、ここだって何度か日本からは撤退した店舗。最近はメニューの変更や価格調整も多いし、それによって客足が減退したらあるいは……なんてのも考えられるし、明日どうなるかなんて誰にもわかりませんからね。現に新宿の店舗がいくつか閉店したそうだし、決して楽ではないと思います。私は好きですけど、好きなメニューは削られる一方だし、昨年ほど頻繁に利用しているかと言ったら、どうなんだろうと首を傾げてしまう。元より、外食をあまりする方ではないし、このところはあまり惹かれるようなものがない。なにか新作が出たら、とは思っているけど。

でも、ファーストフードで1000円使うなんてダメな大人の典型だ、なんて書きましたけど、実際は一度でいいからそんな豪遊をしてみたいと思う自分がいる。あるいは、近隣のチェーン全て回って、好きなバーガー1つずつ買うとかね。それをテーブルに並べちゃったりして、この上ない贅沢だと思いませんか。まあ、私もいい年になって来ましたから、そんなこと出来るのは二十代の内だろうし、私がケチでなかったらきっとやってるんだろうな……・私はどうも、昔から食べ物にお金を使うのが苦手でね。気まぐれで買ってみて、結局は失敗したなんてエピソードが多いせいかも知れないのだけど、食べのものに対して気軽にお金を使えるようになるってのは、人間として結構重要なことだと思うんだよな。少なくともハンバーガー一つに気軽さを持てないようじゃ、私もまだまだでしょう。
お師匠さんの家に行って本の整理をしていたとき、ふと私はどれぐらい本を持っているのか、という話になった。私の師は数十年間本を買い続け、今も集め続けていることから数万冊を有に超える蔵書量を誇っているが、その弟子たる私はどれの程のものか? 特に意識したことはないし、流石に数十冊ということはなかろうが、数百冊もあればいい所だろうと思っていたのだけど、お師匠さん曰く二千冊は必ず超えていると言われた。別に師匠は私の家や部屋に来たことはないのだが、お前が数百冊程度で収まるわけがないと、割とハッキリそう言われたのである。

私の趣味は確かに読書であり、読書家と言っていい程には本を読む方だと思う。本読みとしては、小学生の頃から児童書や小説を読むようになっていから漫画に偏っていたということはないし、特に親が赤川次郎が好きだったこともあり、比較的幼少時に活字というものに触れ合う機会があった。まあ、それが高じて今の仕事に繋がっているわけだけど、自分で本を買うようになったのは、果たしていつぐらいからだったか。
最近はめっきり漫画を読まなくなった私だけど、流石に小中学生ぐらいは漫画を購読していたこともあり、特にコミックボンボンを好んで読んでいました。月刊誌であり、毎月15日でしたか、コロコロコミックと同時発売をしていた漫画雑誌ですが、価格は確か450円ぐらいだったかな? 地味に値上げしていた記憶もあるけど、それぐらいだったと思う。それで、私は当時小遣い制だったから、本を買うとなればそこから捻出しなくてはいけなかったのだけど、これがボンボン一冊買うとなくなってしまうような、限られた額でね。友人ないし同級生の小遣い、あるいはお年玉事情がどんなものだったのかは知りませんが、あまり多くなかったというのは覚えています。流石に中学生ぐらいになったら多少は上がりましたけど、それでも雑誌2冊も買えばなくなるぐらいだったんじゃないかな。
であるからして、私はあまり本を買えるほど金銭懐豊かだったわけじゃないのだけど、幸いなことに徒歩で行けなくはない距離に図書館があったことから、若いころはもっぱらそれを利用して様々な本を読んでいた気がする。近年の図書館がどんなものか私は知らないけど、あそこには漫画というものが置いてないから、必然的に読むものは児童書か、小説か、はたまたエッセイのようなものになってしまう。地元の図書館は二階建てだったのだけど、一階が児童書で、二階が大人向けの小説等。子供の頃は、二階が別世界のように感じて、ワクワクドキドキしてたっけね。

このように古典や名作をほとんど図書館で読んでいた私にとって、自分の蔵書数が2000冊を超えているというのは俄に信じがたい話だったのだけど、いざ数えてみると、勿論実際に並べたのではなく脳内でですが、確かにそれぐらいはあっても不思議じゃないような気がするんですよね。上記と矛盾するようですが、物心ついてから買い集めた本、漫画も含めてだけど、それらを全部合わせれば2000冊ぐらいあるんじゃないかって。
例えば小説もシリーズなら10巻、20巻を超えているものがあるし、漫画ならその倍はあるのだって持っている。作家単位で集めている本もあれば、ずっと買い続けた、あるいは買い続けている雑誌類だってあるのだから、私の年齢で2000冊というのは割と現実味のある数字なのかもしれない。特に最近は私も社会人で、そんなに貰っているわけじゃないけど、安定した収入がありますからね。本の1冊や2冊買うのは分けありません。
それでも例えばメロンブックスやアニメイトなどで、山のように本を抱えて買っている人を見ると、自分なんてまだまだと思わなくもないのだけど、考えてみれば私ってまとめ買いを余りしない人ですからね。だって持って帰るの重いし、そもそも店員だって手間でしょ。仮に私が月末とかに普段買っている本をまとめ買いしたのなら、やはり結構な量になるのではないか。人間、お金があると色々際限がなくなりますから、知らず知らずにうちに沢山買っていた、なんてことはよくあります。まあ、私の場合は本だけを買っているわけじゃありませんから、そこで歯止めが掛かっているのもありますが。

まあ、最近は仕事の関係で漫画の単行本とか貰う機会も増えたので、単純な蔵書量という意味では増えてきてはいるのだと思います。そろそろ収納スペースもなくなってきたから、本棚の一つでも増やしたいのだけど、その本棚を置く場所がないから面倒くさい話です。部屋の模様替えをするにも一日にや二日で出来る事ではないし、GW中に簡単な掃除はしたんですけどね。本格的な整理整頓となれば、一体いつ頃まで掛かるのやら。本棚買うだけの金銭的余裕も、今年はあるか分からないしさ。前にも書いたかもしれないけど、ここ数年は同じ事の繰り返しをしているせいか、月のお金の使い方が決まっているようなもので、なかなか予定外の買い物というのをしづらくなっている気がする。2000冊が3000冊や5000冊になる前に、なんとかしたいものです。
最近、海外のファンタジー小説が元気ないんじゃないかという話をしたのだけど、映画はともかくとして、小説だと真面目にそういう風潮になってきてますよね。あの、魔法の国ザンスシリーズでさえも打ち切られたぐらいですし、ファンタジー冬の時代といっても差し支えはないんじゃないでしょうか。決して、面白い作品が無くなったわけではないと思うのだけど、なんて言うのか、現代日本人の感性と往年の海外ファンタジーが合わなくなっているのではないかと、そんなことを考えていたりします。

ファンタジー小説と言われて一般的に思い浮かぶのは、やはり中世ヨーロッパ風の世界観に、剣と魔法、ドラゴンや魔王なんかが登場する、俗に「Sword and Sorcery」と呼ばれているものかと思います。トールキンの指輪物語から始まる、近大ファンタジーの形態ですが、日本においてもこれらは非常にヒットしました。過去の早川書房などを見れば、先に上げたザンスもそうですが、多種多様な作品が出版されて私もいくつか好きなシリーズ、昔読んでいた物語などがあります。近年はハリポッターやデルトラクエスト、それに乱発されたファンタジー映画の影響からか、ファンタジーとはどこか子供向け、児童書がほとんどであるという見方が強いように感じますが、本来は老若男女楽しめる、どちらかと言えば大人向けの作品も多かったように思います。
例えば、私が好きな作品に「ランドオーヴァーシリーズ」というのがありますけど、これの主人公は妻を亡くしたばかりの中年弁護士で、デパートのカタログで見つけた「魔法の王国売ります!」という記事を冗談かアトラクションの類だと思い、実際に申し込んだら本当に魔法の王国の王になる権利を与えられ……という話で、ハリポタなんかと違って少年が主人公というわけではありません。ランドオーヴァーシリーズは、荒廃した魔法の王国を、新国王が意外なほど優れた手腕で立て直し、その裏に隠された様々な思惑や謎に迫っていくという物語なんですが、これがまた面白い。どれだけ面白いかを語るには、今回の趣旨から外れてしまうので控えますが、一度は読んで見ることをオススします。

それでまあ、上記のようにファンタジーというのは海外はともかく、日本の場合かつて栄えていた小説のジャンルという認識が強く、今はわずかに児童向けが残っている程度にまで落ち込んでしまいました。勿論、そこには現代人があまり読書をしなくなったからとか、様々な理由が複合しているに違いないのですが、私は一つ、仮説ではないけど、こんな風に思うことがある。ファンタジーは架空、または過去の世界が舞台をすることが多いけど、そのモデルは大体が中世ヨーロッパであり、前述したように剣と魔法の世界です。
つまり、読者たる日本人にとっては架空であると同時に外国でもあり、海外の話ということになります。よく、海外のゲーマーが日本のゲーム作品、特にRPGへ寄せる疑問として、「何故、西洋風の世界観に、欧米人のような青少年たちが主人公なのか?」というのがあります。ドラクエでもFFでも良いですが、言われてみればそれらの作品に日本風の主人公や、例えば漢字で表記されるような日本人のキャラクターは、ほぼ出て来ませんよね。これは要するに中世風の世界観において、日本人の登場人物は雰囲気を崩してしまうからなんでしょうが、もっと言うと、日本人が出ることによって、途端に現実感が出てきてしまうからなんだと思います。外国であり、欧米風の日本人と異なるキャラだからこそ、プレイヤーは剣や魔法を許容できるのであって、日本人だと逆にあり得ないという気持ちが強くなってしまう。だから、キャラクターも西洋のそれに偏るのでしょうね。
ファンタジー小説が落ち込んだ要因の一つに、私は日本人の中にある外国観の変化があると思います。二十年ぐらいならいざ知れず、この情報化社会、国内にいても海外の様子や、姿形を見ることは容易であり、田舎町ならともかく、今やどの国も都市部や高層ビル社会であることを我々は知っています。故にかつて流行った剣と魔法、のどかな田園風景が過去のものであり、古臭いことを意識してしまい、なかなか積極的に読むことがなくなってしまったのだと思う。

時代や時世の違いといえばそれまでだけど、こういうことって結構あると思うのよ。例えばハリウッド映画とかでビルとかが大爆発したり、警察や軍隊がドンパチやってるのを見て、我々日本人は「まあ、アメリカだし」と受け入れることが出来るけど、当のアメリカ人からすれば「こんなことあるわけ無いだろ」とウンザリしているのかもしれない。それは我々が、未だに武士や忍者がいると思い込んでいる外国人に感じるのと同じものだけど、これにしたところで、段々と消えて行くことなんでしょうね。近い将来、ファンタジーというものがどうなっているのか、大いに興味深い話です。
10月7日に東京ビッグサイトで赤ブーブー社主催の同人誌即売会、COMIC CITY SPARKがあるのですが、その中で螺旋ことスパイラル~推理の絆~のプチオンリーが開催されるとかで、ちょっと興味が湧いてます。アニメ化10周年を記念して、とのことだけど、もうそんなに経つんですね……シティは多分、一般でも参加したことがないと思いますが、10月なら参加できないことはないかなとか思っている自分がいる。女性向けイベントだけにハードルは高いけど、それ以上に螺旋が好きなもんで。

スパイラルという作品は、かつて少年ガンガンで連載されていた推理漫画であり、連載期間は1999年から2005年、コミックスは全15巻とガンガン作品にしては比較的長い方だと思います。外伝、小説版、ドラマCDなどメディアミックスも多岐にわたり、2002年の10月から2クールでアニメ化もされましたから、アニメ版から数えて10周年というのはその通りですね。一時期は、鋼の錬金術師と双璧をなすほどに人気があり、ガンガンの看板作品であったスパイラルだけど、その作風は連載初期と中期、そして後期において大きく変わっていきます。
別に連載を続けていくうちに作風が変わる漫画なんて珍しくもないし、スパイラルに限らず内容やテーマさえ違うものになる作品は少なくもないけど、これの面白いところは最初は純粋な推理漫画として始まったことにあると思います。90年代末期というのは、金田一やコナンの影響から漫画界で推理モノが流行っていた時期であり、どの出版社でも自社の漫画雑誌に探偵漫画や推理漫画を入れているほど活気がありました。児童誌であるボンボンやコロコロにもあったぐらいですし、当時はまだエニックの単独雑誌だったガンガンにも少なからず影響はあったのでしょう。
そんな流行の中に生まれた作品がスパイラルであり、もう一つは魔探偵ロキなわけですが、この二つの作品は同じ推理モノでありながら、それぞれが独自の路線を走っていくことになります。前者は類まれな推理力のある切れ者高校生が、ひょんなことから事件に巻き込まれて、下手に絡むと厄介な新聞部部長の女子高生と共に事件を解決していくという、どちらかと言えば平凡な推理漫画でした。現に初期は純粋にトリックや犯人探しをメインとした話が多かったですしね。しかし、後者のロキはタイトルからも分かるように魔探偵であり、神界から追放され少年の姿となった邪神ロキが、ミステリーマニアの女子高生と共に、依頼された事件に挑む中で神や悪魔に関わっていくというもので……こちらも一応、初期はちゃんとしたミステリーだったんですよね。

スパイラルはその後、主人公である鳴海歩とその兄である鳴海清隆の関係、そして彼らを取り巻くブレード・チルドレンという謎の存在に真実に迫っていくという話に変換を遂げていくわけですが、私はなんというか、この作品が結構好きでね。ガンガンでは前述の魔探偵ロキと並んで大好きで、まあ、ロキはブレイドに言っちゃいましたけど、あの当時の私が相当熱を入れていたカップリング萌えの作品だったんですよ。まあ、私は基本的にカプ厨ですし、エロゲを始めとした恋愛ゲームをよくやることから、そういうのが単純に好きなんだろうけど、スパイラルは本当にキャラが魅力的でね。主人公の歩むと、そしてヒロインである新聞部部長の結崎ひよの。この二人の関係が本当に大好きで、物凄くはまっていた記憶があります。というか、今もなんですが。
スパイラルという作品は決して単純明快な物語ではなく、結構複雑な要素の詰まった話しなんだけど、作品としてはキャラ物の色合いも結構強く、男性向け、女性向け問わず同人誌が賑わっていたかこがあります。アニメが放送していたぐらいがピークであり、連載が終わる頃には流石に勢いも落ち着いていたのだけど、当時のガンガン作品で同人誌と言われれば、ハガレンもさることながら、スパイラルや東京アンダーグラウンドという認識が私の中では強かったと思う。

螺旋ことスパイラルはオンリーイベントが長く開催されていたなど、同人家に結構受けた作品でしたが、私が同人誌というものに深く関わっていくことになる、キッカケの一つだったりもします。現に私が十年以上通っているサークルさんは、元々螺旋や魔ロキの同人誌を出していたところですし、私にとっては原点的な意味合いが強いんですね。数としてはそれほど同人誌を持っているわけでもないのかもしれないけど、私が一番初めにハマったと断言できるジャンルは、やっぱり螺旋や魔ロキなんだと思う。CCさくらも数を買ってはいたけど、あれはなんか感覚が違った気もするし。
私が同人活動を始めたのはここ数年の話ですから、当然のことながら螺旋本というのは書いたこともなければ出したこともないのだけど、こうしてイベントが開催されると言われたら、今まで一般参加がメインだっただけに、今度はサークルで参加してみたくなりますよね。大昔、全然違うサイトを運営していたときに螺旋や魔ロキのSSもどきは書いたことがあるけど、本格的な同人誌となると経験がないから、この機会に一冊ぐらいと思わないでもない。私にとっては大切な作品だし、後はまあ、本作っているだけの時間があるかどうかですか。
でも、螺旋のイベントなんて、オンリーのひよひよ小劇場が終わってからしばらく経ちますし、これを逃したら二度とは言わないまでも、しばらく無いでしょうからね。ハードルは高いですが、挑戦してみたいという気持ちは強いです。10年前ならいざ知れず、今の私ならそこそこ文章も書けるようになってますから、螺旋というか歩ひよに対する、自分の中にある気持ちをぶつけてみたい。なまじ、私は原作のラストにおける展開と、最終回にもあまり納得がいってない方ですから、それを同人で発散したい部分もあるのだろうね。あまり、良いことではないのかもしれないけど、やっぱり歩ひよには幸せになってもらいたいじゃないですか。
基本的にカプ厨である私にとって、好きなカップリングというのは星の数ほどあるのだけど、歩ひよとロキまゆだけはね、なんというか頂点なんですよ。原点にして一番上、これ以上は存在しないというぐらいに。だからまあ、なにかを書きたいわけだよ。

別に同人活動を拡大させたいとか、そういう訳じゃないけど、今年は色々なイベントに出てみたいなとも思ってたし、スパークは参加検討ということにしておこうかな。夏コミ以降は、まあ、こみトレに出る予定はありますけど、新刊を出す予定はないから、忙しいというわけでもないし、コピ本の一冊ぐらいは作れる気がする。ただ、サークル参加ともなれば恐らく一人だろうし、買い物に出かけている暇があるかどうか、というのがね……書いてみたいと同時に、他の人の本も読みたいジャンルであるからして、そこら辺の折り合いをつけるのが難しいかもしれない。秋とはいえ、もう半年もないのだから早めに決めないとな。
即売会とかに参加していると、過去に同人誌を委託したことのある書店が営業で挨拶に来たりするんだけど、私の同人誌委託経験ってのはそれほど多いわけじゃありません。ロクゼロの小説本を出していた頃に5回ほど、ヨスガノソラにジャンル変えをしてからは一度も委託したことがないから、最後に書店委託をしたのは一昨年の今頃ですか。そんな昔でもないはずですが、私の感覚ではロクゼロをやっていたのは遠い過去のように思えて、なんとも不思議な気分です。それほどヨスガに染まりきったのか、あるいは別の理由かは分かりませんが、未だにうちみたいなサークルへ営業に来るのだから、書店さんも大変ですね。

ヨスガ本を出し始めてから、書店委託はしないんですかと聞かれたことは結構あって、その度に私は「予定ありません」と答えてきました。私自身、自分の書いているヨスガ本は好きだったし、書き手として多くの人に読んで貰いたいという気持ちも強かったんだけど、じゃあ書店委託として全国流通させるかと言われると、首を横に振ることが殆どだった。過去にロクゼロでしていたのだから、別に書店委託が嫌いってわけじゃないし、同人ショップ等で自分の本が置かれているのを見ると、なんとなく楽しい気分になるのも事実なんですが、個人的な見解として、ヨスガ本ってのは書店委託向きの同人誌ではないと思うんですよ。
私が過去に出していたロクゼロの小説本というのは、判型で言うと新書サイズであり、フルカラーカバーに口絵や挿絵まで入った、かなり豪華な仕様でした。ページ数も300P、400Pを超えていましたし、そこらの小説よりも厚みがあって、自分で言うのもあれですが、それなりの読み応えもあったと思います。同人誌の主流はB5判の漫画本や、最近だとA4判のイラスト集などですが、そんな中でも新書サイズの本っていうのは実際の商業小説を思わえる判型から、男性向けでは結構支持があったりします。ロクゼロがそれなりに数出たのにも、そういった理由があったのでしょう。
しかし、ヨスガ本というのは新書本でも無いければ文庫本でもなく、A5判というB5判よりも小さいサイズの本になっています。勿論、面積としては新書のそれよりも上ですが、これって俗に女性向けの多い判型だったりするんだよね。そして、小説本においては割とメジャーな形だったりもする。

ヨスガ本はA5判で1冊60Pぐらいに収まるよう毎回書いてるんですけど、これって新書や文庫だと凄く薄くなっちゃうのよね。所謂、普通の同人誌とは紙の厚みも違うし、そもそも大きさが小さいことから、物凄くペラペラに感じてしまう。しかも、それでいて印刷代は高いから、割に合わないんですよ。なので60P程度で新書や文庫にするなら、A5判のごくごく平凡な小説本でもいいじゃないかと思い、また、そういった本が作ってみたかったこともあって、ヨスガ本は最初からA5サイズの本を作るという目的のもとに、制作を始めた経緯があります。
唯一の例外は、一昨年の冬コミにて発行したヨスガ本第四弾「オトギノソラ」ですが、これだけはカバー付きの新書本になっています。とはいえ、これもロクゼロとはまったく違う視点から作られており、口絵や挿絵などは存在しません。その変わり、カバーを外した表紙と、開いて最初に現れる中表紙に力を入れており、イメージとしては青い鳥文庫のような児童書を参考にしました。内容が童話パロディということもあって、新書でありながら段組は一段であり、文字サイズも比較的大きくしたから、200P超えといっても、実際はそれほど枚数があるわけじゃないんですよ。
それでまあ、ここからが本題になるのだけど、A5サイズ60Pの小説本が、果たして書店委託して売れるのかという話で、表紙絵や挿絵があるならまだしも、ヨスガ本は存在しないのは殆どだから、委託本として考えることは最初から出来ないというのが私の考えです。価格も結構ギリギリでやってますから、書店に30%のマージン取られた状態では赤字も赤字ですし、数が出るようなものでもありませんからね。そういう本を委託販売するというのは、やっぱり難しいんじゃないかと思います。

実はヨスガ本でも一度だけ、去年のアンソロで書店委託を検討したことはあったんですけど、あれだけの本でも断られてしまいましてね。だから、今度のイラスト集も基本的にはイベント頒布だけを予定しています。それに、下手に委託頒布とかしてネットに流されでもしたら大変ですからね。私が委託に消極的なのは、そういった理由もなくはなかったりします。今は本当になんでもネットで読めてしまう時代ですから、まったく面倒な話です。まあ、うちの本が欲しい人はイベントに来てねということで、次の夏コミでお会いしましょう。
氷菓こと古典部シリーズのアニメが始まってしばらく経ちますが、私はなんとなく観ています。枠としては未来日記の後番になりますけど、感覚としてはAnotherの後釜というイメージがありますよね。同じ角川文庫の作品ですし、漫画家などのメディア展開も似通った部分がある。まあ、内容的には日常ミステリーとホラーミステリーですから全然違うわけですが、アニメとしての出来はさてどうなのか。元々原作が好きなので見ることを決めたわけですが、今のところ、毎週の視聴が楽しみで仕方がないというほどでもありませんね。

古典部のアニメ化については、この日記でも幾度か取り上げていたことですけど、放送が始まってから書くのは初めてですかね? 京都アニメーションだから映像は綺麗なんですけど、じゃあ、それ以外の見所はあるのかと言われると、なんとも言えないと思う。原作は実に小説らしい文章で書かれていますから、映像で全てを再現することなんて出来るわけがありません。最初から分かっていたことですが、個人的に好きなエピソードやシーンが削られていることもあり、ちょっと微妙な気がしないでもない。
事前にPVやCMも流れていたことから、アニメの雰囲気はある程度つかめていたわけですが、内容的な意味では十分予想範囲内だったかな。こんな感じにだろうと思っていたものが、そのまま出てきたというか、まあ、こんなものですよ。何度も書いていることですが、元より映像にして楽しい話じゃないし、小説として面白い作品が、必ずしもアニメを始めとした映像媒体に適しているとは限りませんからね。アニメとして何か気分を高揚させるような展開があるわけじゃないですし、精々EDの映像があざとかったぐらいか。
あのED映像も色々言われているみたいですけど、まあ、難しい部分もあるんでしょうね。京アニ作品の購買層は基本的に男性だし、今のアニメには水着だの温泉だの、そういったサービス回がスポンサーレベルで要求されます。そう考えれば、多少のあざとさを持ってキャラ萌えも見せて行かないといけないのでしょう。私としては、そのあざとさが却って作品作りにおける徹底さを欠いてしまっているような気もするんだけど、果たしてヒロインが歌う必要って合ったのかねぇ。

過去の京アニ作品、特に角川原作のそれと比較すると、氷菓のアニメは非常に華がない、端的に言えば鮮やかさのない作品になっていると思います。なにせ、灰色の学園生活がテーマになってるわけですから、全力で世界を盛り上げようとしているどこぞのSOS団とは対局の位置にいるわけです。ハルヒは自分の生活、過ごしている日常、いつもの毎日を世界で一番面白いものにしたいと思い、それを全力で実行している人です。それに引き換え、奉太郎は「やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことなら手短に」をモットーに掲げる省エネ主義ですから、まさに対極といっていい。
氷菓は今のところ、画面全体が暗めに表現されており、晴れ模様や日差しの下とか、そういったものが無縁のようになっています。梅雨時ということもあってか雨が降ることも多く、世界そのものが灰色になっているといってもいい。語り部である奉太郎の視線に沿っているから、というわけでもないのだろうけど、私の予想では奉太郎の心情が変化していくごとに画面もまた明るくなっていくのではないかと思ったり。作品の内容は変えられないにしろ、まさか、ずっと画面が暗いままでは観ている方も楽しくないじゃないですか。華やかさや鮮やかさがすべてだとは言わないけど、今のところ氷菓を30分見ても、気分がすっきりするとか、そういう事がないんだよね。

まあ、ホロ苦さを全面に押し出した青春群像劇ですし、うそ寒くなるような話ばかりですから、わかりやすい面白さを求めるような作品でないことはわかってるんですよ。原作の場合は、米澤穂信の文章を楽しむことで、ともすれば不快感の残る話も許容できたわけだけど、アニメはそこら辺をどうカバーしていくのか。正直、今のままだと2クール見続けられる人ってのはそんなにいないと思うんだよ。アニメとしては淡々としすぎているし、抑揚頓挫が存在しないから、これから盛り上がっていくぞ! ってのがないのは、毎週放送の映像作品としては致命的な気がする。日常ミステリーだから、緊迫感もないしね。今は作画クオリティが重視される時代だから、京アニ以外にも綺麗で丁寧なところは沢山あるし、そうした中でどこまでやれるのか……とりあえず、視聴継続の方向で行こうと思います。
アニマックスで機動戦士ガンダムUCの一挙放送がやっていたたので、夜はそれをずっと観てました。一挙放送といってもEp5公開前に、Ep1~Ep4を流すだけなんだけど、Ep4はアニマックス初放送ですからね。言ってしまえば、タダで観られる初めての機会ということで、イベント上映はおろかBDも買ってない私としては結構貴重なことでした。まあ、アニマックスは有料チャンネルですから、タダという表現には語弊があるかと思いますが、数ある番組の中の一つとして放送されるわけですから、単体でBD買うよりはお得感がありますよね。UCは確かに面白い作品だけど、集めるのは後々BOXが出てからでもいいかなと思っているので。

Ep1からEp3までは年末年始だったかに放送されているので、実質的に始めてみるのはEp4だけだったりする。UCは今放送しているAGEなんかと比べると、実に正統派ガンダム作品という色合いが濃く、宇宙世紀シリーズの後継者という感じが強い作品です。逆シャアの数年後が舞台の作品であり、当然ながらブライト・ノアといった旧来のキャラクターも出てくるなど、続編色がにじみ出ており、新しいファンには勿論、オールドファンの心もがっちり掴んでいるけど、原作自体は小説であり、既に完結しています。
アニメ化するにあたって細部の違いは出てきますけど、Ep3までは割と忠実に再現をされており、限られたOVAの巻数としてはそれなりに上手くやっているという印象があった。けれど、今回放送されたEp4は原作からキャラの設定を大きく変えており、オリジナル色が結構強いように思えた。原作と大分印象が変わる話であり、ロニはヒロインというよりサブキャラの女性兵士という感覚が強かったかな。
しかし、それを補うかのように沢山のオールドモビルスーツが出撃し、ラー・カイラムのパイロットが思わずモビルスーツ博物館かと言ってしまう程、多種多様な機体が出来た。まあ、ガンプラを売りたいスポンサーの都合とかもあるのだろうとは思ったけど、そういやバイアランって連邦軍の機体でしたね。Zでは敵として登場したから忘れてましたけど、いやはやカスタム機とはいえ一騎当千の強さじゃないですか。それまで古参兵の意地か、物凄い進撃を見せていたジオン残党軍を一掃してしまうとは、まったく大したものですよ。

ガンダムUCは何気ないモビルスーツでも、一機、一機を丁寧に描くことによって、今まで以上の格好良さを演出しているのがいいと思う。上記のバイアランもそうですけど、事務やネモにしたところでそれは同じであり、必ずしもユニコーンやデルタプラスなどの新型だけが格好いいってわけじゃないんだよね。Ep1だって最初にスタークジェガンがクシャトリヤと激闘を繰り広げていましたけど、アレにしたって見事な戦闘シーンではないですか。重装備型のジェガンとはいえ、サイコミュ兵器を持つ敵には分が悪いなんてものじゃないはずなのに、パイロットの腕かあそこまで奮戦してね。あれには男心をくすぐられたというか、一言で言うと興奮しましたよ。
UCも物語的には折り返しに入って来ていて、近日公開されるEp5はいよいよバナージとオードリーの再会になるのかな。アニマックスでは冒頭5分の映像が流れていたけど、要はリディがまたフラレて、バナージとミネバがラブラブになるというだけのことです。まあ、リディも悪い奴ではないんでしょうけど、彼の場合はオードリー、いえ、ミネバに恋する理由がよく分からないもんでね……唐突感があったというか、運命的な出会いをしたバナージと比べるとさ。
私は結構、オードリー・バーンという少女を気に入っていて、近年のガンダムヒロインとしては良い方なんじゃないかと思っています。ミネバ・ザビは、Z以降の足取りが公式的に描かれなかったせいか、外伝作品などで様々な扱われ方をしていますが、ここに来てそれをハッキリさせたというのは悪くないんじゃないかと思う。まあ、シャアとしては庶民として一生を終えてもらいたかったのかもしれないけど、それが出来るような生まれではないですからね。哀しい話です。

Ep5の公開が近いということで、私も少しイベント上映に興味を持って来ました。BDは買わないにしても、イベント上映ぐらいに見に行っても良いんじゃないかと思うし、今からでもチケットは取れるのだろうか? AGEがお世辞にもいい出来と言えない中で、UCに掛かるガノタの期待は高く重いものだと思うけど、その重圧に負けないように良い作品を作り続けてもらいたいものですね。今のペースで行けば、UCの方がAGEよりも後に終わるのだろうし、来年辺りには盛大な完結編が見られるのかな。どうせなら、閃光のハサウェイもアニメ化すればいいのに。ユニコーンの影みたいなものでしょ、あれも。
今期のアニメで私が観ているのは、氷菓とこれゾン、それにニャル子さんとFate/Zeroと、なんだか小説原作にラノベ原作が多いですね。単にそういうアニメが沢山作られているだけかも知れませんが、前期と比較すると、あんまり観ていないのかな。しかも、これゾンやFateは2期ですし、ニャル子さんに至っては再アニメ化ですから、純粋な新番組は氷菓以外にないのかもしれない。まあ、どれも相応に面白い作品ではあると思うけど、なにせ全てが原作持ちですから、大体の流れは知っていたりするんですよね。だから、どの作品も内容がどうこうというよりは、アニメとしての部分、つまり絵や音楽に注視して観ているよう気がする。

この中のどれが凄いなんてことを言うつもりはないですが、私の立ち位置的に注目しているのは、やはりニャル子さんでしょうか? 私は神話に対する教養が特別深いわけではありませんが、こういう業界に属するものとして、クトゥルフ神話に関してはそこそこの知識はあるつもりです。まあ、別にニャル子さんはクトゥルフ神話の知識なんてなくても大丈夫だし、むしろ、作中のパロディを理解できた方が楽しめると思うんだけど、問題というか着目すべき点はそこではなくてね。ニャル子さんによって巻き起こされた、昨今のクトゥルフ神話ブームについてなんです。
なにせ今はブームですから、この日記を読んでいる人の中にもクトゥルフについて調べた人はいるかも知れませんが、あれはギリシャ神話とか聖書とか、あるいは北欧神話やインド神話なんか違い、ハワード・フィリップス・ラヴクラフトという作家が書いた小説を元に、その友人の作家たちが作り上げた架空の神話であり、その成立時期も20世紀と、実はまだ100年も経ってなかったりします。サブカルチャーが盛んな日本では、早くからゲーム作品や漫画などを中心に題材とされることが多く、実際にクトゥルフ神話を元に書かれた小説、あるいはクトゥルフ作家と呼ばれる人もいるぐらいですから、メジャーではないにせよ、知る人ぞ知る存在であったとは思います。逆に言えば、一部のマニアやニッチな趣味を持っている人向けだったんですね。現代人はオタクですら、自分の興味のないジャンルの本なんて読みませんから、本来であればクトゥルフ神話は創作された神話体系として、ひっそりではないにせよ、細々と引き継がれていくはずでした。なにせ、一般的にもオタク的にもマイナーな神話なわけですから。

しかし、それがニャル子さんの登場で一変したのです。ギリシャ神話や聖書の天使、あるいは日本書紀に出てくるような八百万の神々については聞きかじったことがあっても、創作神話のことなどなにも知らないオタクたちは、ニャル子さんを観てその元ネタに強い興味を惹かれました。オタクというの元来調べることが好きな人種ですし、設定等を理解することが喜びを覚える傾向にありますから、その嗜好が上手く合致したんでしょう。ニャル子さんをより深く知るために、オタクたちは一斉にクトゥルフ神話系の関連書籍に手を出し始めた。
さて、クトゥルフ神話は架空の神話であることは既に何度も書いたが、解説書や研究所の類が皆無なわけではない。けれど、元々がマイナーであることに加えて、今日日のライトオタク向けの作品が皆無であったことから、簡単に読める書籍というのは、あまりないんですね。入門書と銘打っているものが一冊もないとは言いませんが、初心者はこれを読めという本が認知されていなかったのも事実であり、そうなってくるとオタクに限らず、人はとりあえず、一番有名で、それっぽい本を選ぶことになります。結果、国書刊行会などが何十年も前に出したクトゥルフ神話系の本が、2012年になって重版が掛かるなど、出版会は今、空前のクトゥルフ神話ブームとなったのです。出せば売れる、というほどではないのかも知れませんが、とりあえず外れることがないうレベルには来ています。なにせ、元来市場としては規模の小さかったジャンルですし、オタク向け、あるいはライトユーザー層に対する本は、今だからこそ出せるという強みもあります。ラノベアニメ一つでこんなに盛り上がるなんて、まったく大した話だと思いませんか。

もっとも、オタクも含めて日本人というのは飽きっぽい生き物ですし、ブームは収束し、流行は廃れるものだから、あるいは今年に限定されたささやかな現象で終わるのかも知れません。ですが、事神話に関して得られた知識というのは決して無駄にはならないはずであり、特になんらかの創作に身を置く人であるのなら、大事にしていって欲しいと思います。私の友人も昨今のブームに影響されてか、クトゥルフ神話系の本を読みあさっているけど、決してニャル子さんが好きだというわけではないらしい。まあ、キッカケを必ずしも尊重する必要はないけど、原典をより深く知ると、萌え系ラノベに満足できなくなることはあるのかも知れませんね。
私はあまりドラマを観る方ではないのだけど、最近放送しているSMAPの草なぎ剛主演の医者モノはなんとなく毎週観ています。偏見丸出しなことを書きますが、このところの医者モノ、あるいは医療モノというのは、やれ難しい手術を何時間で終えたとか、高度医療機関がどうとか、なにかと技術を売り物にする作品が多いですよね。一分一秒が左右した緊迫感とか、リアルな手術描写とか、まあ、そういうのが受けるのも分からなくはないですよ。海外でも、医療ドラマには一定以上の需要がありますし。

しかし、今放送している草なぎ剛主演のドラマはタイトルに純情と入っているだけあって、難しい手術がどうとか、凄い医療チームがなんていう、昨今の作品とは一線を画すものがあります。手術シーンが全くないというわけではありませんが、基本的に主人公の脱サラ研修医と、入院患者の触れ合いにのみ焦点が置かれている。患者は当然、病を患って入院しているわけですから、誰しも明るいわけじゃないし、例え治る病気で合っても、それぞれの事情から複雑な境遇に身を置いている人もいます。そして、不治の病に侵されている人も。
私は結構、人情モノが好きな方で、ドラマの場合は人間ドラマを好んでみる傾向にあります。前述の技術を売りにした作品がつまらないと言うつもりはないけど、私はそういう緊迫感よりも、ゆったりとして、そしてどこか切なさのある人と人の触れ合いが好きでね。医者モノですから、今日話している患者さんは明日の朝にはどうなっているか分からない。でも、だからこそ得られる関係性というものはあるわけで。
「必ず助けます」といって、難しい治療や手術を行い、それを達成することに意味が無いとは言いません。現に、私の親なんかはそういった昨今流行りの医療ドラマを好んでみてますし、再放送を録画するぐらいです。現代医療や医師に対する絶対的な安心感が欲しいのかは知りませんが、まあ、とにかく嬉しそうに見ている。私は所謂臓物が大嫌いなので、手術シーンとかチラ見しただけでも吐き気を催すのだけど、親は好きなのか医療ドキュメンタリーでさえ、「私は平気だから」などといって、食事時に付けていたりするんだよね。

純情や人情話が、必ずしも今の時代に受けるものでないというのを私は知っています。リアリティを追求した医療ドラマの方が人気はあるのだろうし、上記のように再放送も行われるぐらいには需要があるのでしょう。でも、私はあの手の作品にあるどことない冷たさが好きじゃなくてね。ファンに言わせれば、冷たいように見えて温かみがあるのが云々といってますけど、そんなツンデレよりは、最初から親身になってくれた方が嬉しいじゃないですか。難しい手術や、困難な治療を行うだけが医者じゃないとは、今やっている純情ドラマでも言っていたようなことですけど、私はまさにその通りだと思うのよ。技術は確かに大事だし、医者の使命が患者の病気を治すことなのは当たり前だ。
でも、それだけなのか? それだけで済ませていいのかということを、この純情ドラマは訴えているのだ。既に作中では不治の病に侵された患者が二人出てきて、一人は死に、もう一人も死に近いところへいる。医療ドラマのように天才医師が、奇跡のような神業で治してくれたりはしないし、そこに必ず助かる命というものは存在しない。別にそれこそがリアルだとか、人が死ぬからいいなんて言うわけじゃないのだけど、なんだろうね、それでしか伝わらないものも、やっぱりあると思うんだよ。特に今は医者が昔ほど信用されない時代だし、付き合いの長い主治医とかならまだしも、最近は医者と患者の信頼関係なんて重視されないからね。ドラマでさえ、ぶっきら棒な医者が時折見せる優しさで患者の心をつかむとか、そもそも医者側を一癖も二癖もある人間に書きすぎているように思う。

人は一人で生きられないというけど、人は死ぬときは一人だとも言います。どちらも正しいことではあるし、間違っているとはいえません。ただ、生きるにせよ死ぬにせよ、その人が納得や満足はしないくても、それを受け入れられるようにしてやるのも、お医者様の仕事だと私は思ってます。誰だって死ぬのは嫌だし、納得や理解を示すのは無理でしょう。でも、そんな自分に対して周囲の人がどれだけのことをしてくれたか、あるいはしてくれているのかを知ったとき、人はそうした自分の運命を受け入れられるんじゃないでしょうか? そして医者というのは、ある意味、家族以上に患者と接する機械の多い存在です。
人情とは苦楽です。甘いも苦いもあります。泣いたり笑ったり、単純ではないが故にドラマが生まれる。けれど、私は思うのです。こんな時代だからこそ、人と人は互いに真摯な眼差しを持って、向きあうべきなんじゃないかと。私はさ、誰かに優しい人でありたいんだよ。力はないし、学もないけど、その気持ちだけは忘れたくない。
GWだろうと普通に仕事をしている私ですが、今の会社に良い所があるとすれば、カレンダー通りに休日があることと、あまり残業がないことぐらいでしょうか。私はそれほど勤勉な方ではないですが、理由もなく仕事を休んだりはしませんし、なによりケチですからね。9連休という響きは魅力的だけど、貴重な有給を2日間消費するほどのものでもないよ。どこか旅行に行くとかなら分からんでもないけど、私にそんな予定もありません。家族旅行という歳でもないし、連れ合いがいるわけでもない。つまらない話かも知れませんが、まあ、そんなものですよ。

さて、今日は突然ですがAnotherの話をします。コミ1も終わり、予想以上にAnother本が無かったことへ衝撃を受けている私ですが、今日はこれの設定資料集を買ったんですよ。買ったといっても通信販売の代金を入金しただけで、本そのものは連休明けまで届かないんだけど、午後になって同人誌が少なかったとか、そんなことが吹っ飛ぶような更なる衝撃が私を襲った。
設定資料集は最短で5月1日から発送を行なっており、早ければ翌日2日、つまり今日には届いているという計算なのだけど、某大型掲示板のスレなどでは到着報告などが相次いだわけです。そして、当然のように内容にも触れる人がいたのだけど、その中のインタビュー項目がね……うーん、なんと言ったらいいのか。
私は自分が基本的にカプ厨であることを知っていて、だからこそ二次創作をやっている面があることを否定しないのだけど、冗談でもああいう発言をされると結構堪えるのよね。同人が妄想や捏造の類といっても、やはり公式カプや公式発言というのは強いわけで、それをねじ曲げてまで我を通すってのは、なかなか出来ないわけ。カプ厨ってのは勝手な生き物だから、誰と誰がくっついた、あるいはくっつくという明確な発言を求める一方で、くっつくない、くっつかなかったという否定の発言は拒否する傾向にあるんですよ。特に恒一と鳴みたいな、誰が見ても王道であろう、ましてや主人公とヒロインの関係性を否定されると、それはそれは堪えるわけで。そりゃないぜ、という気分になる。
勿論、Anotherは恋愛小説ではないのだし、最終的な目的やゴールがそこにないことは重々承知しているけど、なんていうか、色々踏みにじってくれたなぁと思いました。アニメ版はここぞというところで外してくることが多かったですけど、放送が終了した後もこんな感じなのだから、まったく酷い話です。

いつか私はAnotherはネット上の二次創作SSが多いみたいな日記を書いたと思いますが、先日のコミ1での結果も踏まえて考えるに、Anotherという作品は、どちらかと言えば内側に向けての盛り上がりが強いコンテンツだったのではないでしょうか? つまり、ネットを中心としたSS等の文化は流行っても、同人誌等のどちらかと言えば外側に属する作品発表には繋がらなかった。放送終わってしばらく経つけど、未だにSSの類は発表されているし、勢いが衰えたようにも思えない。しかし、同人誌は薄い本が沢山出るなどと言われていた割に、サンクリでもコミ1でも数は限られており、それこそ片手で収まる程度だったように感じる。
この差は一体どこにあるのか? エロもギャグもSSには無数に転がっているけど、同じようにエロもギャグもOKな同人誌では、意外なほど流行らなかった。勿論、漫画本とネットの文章では全然違うのだろうけど、ネットのSSだけが流行っているというのも、それはそれで妙な話でしょう。私はこの現象に対して明確な答えを持っているわけじゃないけど、Anotherの作品傾向が、内に内に広がるものだと言われると、なんとなく納得できるような気もするんだよね。原作にしろアニメにせよ、限定的な空間で繰り広げられた話だから、外に向けて大きく発展するようなコンテンツではなかったのかもしれない。

コミ1があんな結果だったことを考えると、Anotherの同人誌はこれで打ち止めというか、夏コミで数冊出るかでないか、といった感じでしょう。今は慢性的に同人業界もネタ不足ですし、旋風を巻き起こすかのような巨大なジャンルはないのだけど、だからといって現段階で少ないものが、この先増えるとも思えないしね。それに、設定資料集における発言は、二次創作をやる人間のモチベーションを下げるのには、十分過ぎるものであったし。まあ、別に私はAnotherで活動している人ではないけれど、仮にアニメ版がそういう方向で進んでいくのならば、BD買わない理由がまた一つ増えたよね。どこの誰が、くっつきもしないカップリングのために金を出すというのか。我ながら心が狭いと思うけど、私にとっては重要なことなんです。
いよいよ、COMIC1☆6も当日ということで、行ってきました東京ビッグサイト。冬コミから数えて、約5ヵ月振りということになりますが、コミケと同じ感覚で家を出てしまったもんだから、売り子共々かなり早い段階で現地に到着してしまった。コミケのサークル入場は確か7時半からだった気もするけど、膨大な参加サークルを抱えるイベントだけあって、前倒しされることが殆どだから、コミ1も同じようなもんだろうと勝手に思い込んでいたみたい。実際、コミ1のサークル入場は8時からだったので、7時半前に到着してしまった我々は当然ホール内にはまだ入れず、ベンチに腰掛けて時間を待つことにしました。

去年のコミ1がどんな感じだったか、あまり記憶にない私なのだけど、今回はサークル入場から10分程度でスペース準備が終わってしまい、開場前の時間をかなり持て余したように思う。前回は新刊が1冊だったのに比べて、今回は冬コミの既刊もあるわけだから、頒布物としては数が多いはずなのに、特に飾るようなポスターやタペストリーもなく、本を並べれば終わりだったことから早く済んでしまったでしょうね。
まあ、開場までの時間は売り子さんと駄弁ったり、スペース来てくれた知り合いのサークルさんと話したりしていたのだけど、売り手としてはともかく、買い手としてはこれといった目的のない即売会だっただけに、あんまり焦りのようなものは感じてなかったかもしおれない。10時ぐらいになって外周へ行く列に並んで、外に出たら近場にあるシャッター前サークルへと向かう。私は特に目当てのないときは、普段行かないようなサークルへ並んで見ることにしているのだけど、今回行ったところは昔良く通っていたところでした。島中の頃から知ってるけど、シャッター前になってからは時間が取られすぎるという理由で回避がちになり、まともに並んだのはそれこそ数年振りぐらいじゃないだろうか? 新刊とタペストリー、後はぬいぐるみが新グッズとしてあったけど、前者だけ買って後者は我慢することにした。いや、別にぬいぐるみ買っても良かったんだけど、流石に無駄遣いになってしまうかなぁと思ったり。嫌いじゃないんだけどね、あの肖像画兼マスコットキャラも。今回のコミ1は、一つのサークルで5000円以上の買い物をしたくなかったので、必然的に布モノとかグッズ系は避けていたように思います。タペストリーは買ったけど。

シャッター前サークルを済ませた後は、壁を横に移動しつつ贔屓にしているサークルさんへ新刊購入及びご挨拶。丁度、スケブを描かれているところだったんですが、少しだけお話する時間があり、どうやらこの日記をたまに見てくれているそうで……いやはやなんともはや、気恥ずかしい話です。以前の日記にも書いた通り、私はこのサークルさんに憧れた部分もあって小説系の同人サークルを主催しているところがあるから、受けた影響ってのは結構大きいんですよね。
あれから十数年経ち、今はもう漫画サークルになっているのだけど、私は変わらず通っています。私が通ってきたサークルさんの中では、一番長くお付き合いをさせて頂いるところなので、やっぱり思い入れが強いんだと思います。勿論、私以上に長い付き合い、長く通っている方というのは幾らでもいるのだろうけど、私個人ないし私自身が、ここまで一つのサークルに通い続けているってのは、他にないですからね。自分にとっての原点とでも言うのか……実は昔のログをこっそり残してます、といったら苦笑されましたがw 前述のシャッター前サークルもそうだけど、私は過去に色々なサークルと出会い、通い、そして別れて、今と昔ではイベントの際に赴くところも様変わりしています。でも、そんな中に、一つでもずっと通い続けているサークルがあるってのは、結構嬉しいことなんじゃないかと思う。流石に海外イベントまで追いかけてはいけないけどさ。
折角だから、久々にスケブでも持っていけば良かったかな。自重したというより、最近スケブを持ち歩く習慣がなくなってしまったのだけど、コミケよりも規模の小さいイベントだからか、色々なサークルさんがスケブを受け付けていたような気がする。私はなにせ小説サークルですからスケブとは無縁なのですけど、まさか即興で小説書き下ろすわけにも行かないしねぇ。あぁ、でもノーパソ的なものを持ち込めば出来るんだろうか? 先着1名様に、お好きなカップリングで短編ないしSSを書きます、みたいなの。うん、私の執筆速度じゃ無理だな。大体、私は騒がしいところで文章書けないし。ずっと前のサイトを運営していたことろは、キリ番リクエストとかで書いたこともあったけど、最近はそういうのとご無沙汰だね。まあ、特に募集もしてないし、そもそも今のサイトはカウンターがないのだけど。

話を戻して、今回のコミ1色々なサークルを回りましたけど、本当に普段行かないようなサークルへ並ぶ機会が多かったように思う。シャッター前の大手であっても、割りと正午過ぎまで新刊を買えるところが多くて、例えば何年振りかにHEART-WORKへ並びました。ヨスガの原画でもお馴染み鈴平ひろのサークルになりますけど、流石にグッズのタペストリーはなかったものの、新刊とポスターセットはギリギリ余っていて、後5セットぐらいのところを滑りこむことが出来ました。まさか、HEART-WORKを買える日が来るとは思っていただけに、これは嬉しいサプライズだった。後、桜沢いづみのCHRONOLOGも空いており、特に並ぶことなく新刊と、みみけっと本を買うことが出来た。うつらうららかも行列が解消されており、あの辺りは午後から非常にスムーズでしたね。最も、私がうつらに並んでいるときに憂姫はぐれのサークルが完売していましたけど。あそこも興味なかったわけじゃないのですが、ハイスクールD×Dほんで、小猫ちゃんではなくリアスというのが……そっち系の本はマケン姫っ!で出したじゃないですかとね。
行きつけのサークルも合わせて回った後はジャンル買いのお時間だけど、全体的に見てもっとも多かったのはあの夏で待ってるだったかな。ヒロイン全員の本が出ているといった感じで、特に島サークルはなつまち本が多かったと思う。大手、中堅を中心に出ていたのは妖狐×僕本であり、これはりりちよ様及びかるた本で占められていたね。まあ、他にヒロインらしいヒロインもいない作品だけど、女性が主催しているサークルなんかは、特にいぬぼくを出しているところが多かったようにも思える。
逆に、予想に反して全く見かけなかったのはAnotherであり、これはちょっとショックだった。サンクリのときから嫌な予感はしていたのだけど、やっぱり同人誌向けの作品じゃないのかな……イチャラブ本とか、いない者なのを良いことに好き放題する薄い本を期待していたのだけど、そういうのは一切なくて、ジャンルとしても片手で数えられる程度にあるぐらいだった。

最後に自分のサークルについてですけど、来て下さった方は本当にありがとうございました。新刊と既刊に関しては結構な数が余っていますので、現在自家通販の方を検討中です。詳しくは明日の日記に書きますが、完売しなかったというか、全然売れなかったのは多分初めてなので、割とショックが大きかったり。私の実力不足か、それともヨスガノソラというジャンルの限界か……まあ、その辺のことも含めて明日詳しく書こうと思います。
エイプリルフールらしいですが、今年の私は特に何もしません。まるで、去年は何か企画の一つでもしたみたいな言い草だけど、去年は世間も自粛ムードがありましたから、結局スルーしていたような気がする。まあ、原稿で忙しいにもかかわらずネタ画像もどきを作ったりもしたのだけど、あんまり良い感じに仕上がらなかったので、こういうのはお遊びのプロに任せておけばいいのですよ。エイプリルフールにプロが居るのかって? いや、居るでしょ。だって凄いところは本当に凄いもの。

休日だったので原稿やりながら色々なサイトをチェックしていたけど、これだ! というサイトはあまりなかったかな。エロゲブランドなんかはネタと思わせて本当に新作発表をしてしまうところとかもありますが、今年もその例に漏れず幾つかのブランドが新作画像を公開していましたね。私は今年買うエロゲを絞り込んでいるので、あまり関係ないといえばないのですが、例えばシロップの新作とかは気にならんでもないし、他にも色々ありますからね……先日書いたイベントの件もそうですが、何でもかんでも絞ったり削っていたりしていては、人生に面白みがなくなってしまうので色々悩んでいます。
夏コミまでの予定を既に決めて、更に冬コミのことも決まってしまった時点で、考えてみれば今年の私はこなしていくだけの一年を送ろうとしているのだろうか。勿論、夏のイラスト集や冬に出す最後のヨスガ本は、私が出したいから出すし、書きたいから書くわけだけど、予めやることが全て決まっているというのも、それはそれでどうなんだろうか。まあ、以前にも書いた通り私は器用な方ではありませんから、これ以上、追加でなにか新しいことをなんてのはとても出来そうにないんですが。
そりゃあ、今年が終わるまで8ヶ月近くあるわけですから、その間に色々なことが起こらないわけはないんでしょうが、だからといってなにか大きな予定を入れられるかと言えば……どうなんだろうねぇ。一次も二次も創作物で書かなければいけない、書きたいものはいくらでもあるけど、それを全部書くには1年が2年にならないと無理なんじゃないか、というぐらい時間が必要だし。コミ1の原稿をやりながら、私は自分のスロースターターっぷりに嘆いておりますよ。もう、これでもかってぐらい書けないのだけど、まあ、この話はまた今度にでも。

4月になって新年度なわけだけど、私の生活そのものはあまり変化してません。今までどおり居候先で仕事をしているし、給料も待遇も変わることなく来年までを過ごすことになりそうです。コミ1に出て、夏コミの当落を待ち、冬コミのことを考えながら書き物を書くという、まあ、去年と同じ流れですね。ただ、上ではあんなことを書きましたけど、いつまでも二次創作ばかり書いているわけには行きませんからね。私は同期が軒並みリタイアしてしまったから、孤塁を守るという意識は持っているものの、それと同時に危機感や焦りに欠けるところがあるんだよね。何せ、身近なライバルがいないわけだし。
ただ、私の親友であり、コミケとかで売り子をしてくれている同門の同期が、とある事情からフリーになったので、今年はなんか文章とか書くって言ってるんだよね。修行中はなかなかに綺麗で繊細な物語を書いていた奴だから、ちょっと期待していたりする。私はほら、なんだかんだ言って堅苦しいじゃない。石でパンを作ったみたいな、元々固いものを無理に柔らかいものに見せようとしても、無理があると言いますか。特に彼は、ジュブナイル系が得意だからね。決してそっち志望ではなかったと思うし、むしろ私が書きたい分野であるのだけど……まったく、世の中上手く行かないものです。
今の生活に余裕やゆとりがないわけではないけど、コミ1の原稿にも難航しているようでは、これの3倍はあるであろう一次創作とか、一体どうなってしまうんだろうね。いくつかプロットは持っているけど、例えばなにかの新人賞を目指したとして、果たして完成などするのだろうか。

まあ、この日記書いている時点でコミ1の原稿は完成しているのだけど、時系列上はまだ出来てないから、あまり踏み込んだ話も出来ないんだよね。なんとなく4月の日記で溜め込んだ分は全部書きたいな、という気分になっているので、一応書けるだけ書くつもりで入るんだけど、この日記って未来の日記も書けなければ、過去は1ヵ月ぐらいまでしか遡れないので、色々不便だったりします。けど、長年使っていると愛着も沸くものでして、他の日記やらブログにこれといった魅力を感じないこともあり、使い続けてるという。一応、メインはサイトであって日記ではない、という気持ちもあるのかもね。サイトリニューアルして更新頻度もそれなりに増えたけど、コンテンツの更新ではなくリンクの追加とかばかりだから、あれも何とかしたいなと思ってはいるんだが……画期的なアイデアと、それを考える時間が欲しい。

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